致命的な執感
親友の兄と付き合っている。
正直、彼氏の妹とすごく相性がいいです! どこへでも出かける関係です! なんでも相談できます! みたいなケースなんてほぼ稀だし、彼氏の姉妹との動画やエピソードが膨大ないいねの数を叩き出すのは珍しくて羨ましいからなわけで。
こっちは彼氏の家族だから付き合わなきゃいけないだけだし、あっちは家族が付き合っている人間だからそれとなく交流しないといけない、なんて義務感で形成された繋がりなんて普通に上手くいくはずもない。
そう思っていたけど、親友の兄と付き合うとなると話は変わってくる。
親友繋がりで出会っているわけで相手の家族の感じも分かっているし、マッチングアプリみたいに職業を詐欺られない。浮気されたり殴られれば、親友に密告出来る。
浮気した兄弟を庇うカス姉妹もいるかもしれないけど、少なくとも私の親友の菖蒲は違う。
たとえ王子様のように優しく紳士的な兄でも「本当にごめん、頭割って引きずりまわしてもう二度と視界に入らないようにするね」と慈母の微笑みをくれる、菖蒲はそんな優しい女の子だ。
私たちの友情に終わりがあるとするならば、どちらかが死んだとき、もしくはお互い途方もなく追い詰められて借金や違法薬物に手を出したときだ。
その時は殺してくれと頼んでいる。そして彼女からも「菖蒲が悪いことをしていたら殺してね」と頼まれている。私は刃物で殺してほしいと言った。苦しいのは嫌いだし、殴られるのも嫌だから。
菖蒲は「目を見て首を絞めて殺してほしい。命尽きるその瞬間までずっと見届けてほしい」と手間のかかるオーダーだけど、可愛い菖蒲の為だと受領した。
だからこそ、菖蒲の兄──械と付き合うことになっても躊躇いはなかった。
親友の兄と付き合い、別れることになって親友とも関係が悪くなったら嫌、なんて不安は必要がないから。械と別れても菖蒲とは親友のままだし、菖蒲は兄より私を選ぶ。
「械と別れようと思う」
なので、交際約10年が経過しつつも、彼氏との別れはすんなり決定した。決定したといっても私が
「もう別れよう」と思い立ち、彼氏こと械に言う前に菖蒲に言おうと思って今に至っている。
そして報告は彼氏に関して相談するシチュエーションより、菖蒲が行きたいと言っていた場所に行くことのほうが100倍重要なので、おそらく別れ話の相談なんて絶対すべきではない科学技術館の休憩スペースになった。
周囲には帽子を被ったお爺さんとその孫らしき品行方正で容姿も整った学生のほか、僕らはボーイズラブの実写ドラマの登場人物です、みたいな雰囲気の陰気な青年と関西弁の胡散臭い柄シャツ男のペアがいる。陰気な青年は「ありす」と呼ばれており、胡散臭い柄シャツ男は「なお」らしい。
なお。
私の親戚に「尚人」という名前の男がいる。そしてその彼女がその男を「尚くん」と呼ぶから若干気まずい気持ちになる。世間は狭い。遠くの品行方正な学生は「誠」らしいけど、お爺さんも「なお」かもしれないし。「なおき」でも「なおひさ」でも「なおじ」でも。
「どうしたの、なにかあった?」
私の別れ宣言に菖蒲は目を丸くする。
菖蒲はふわふわのお人形さんみたいな女の子だ。いつも可愛いけど不思議そうにしている時が一番可愛い。一生いろんなことに疑問を抱いて生きていてほしい。
「いや、何か普通に、械って私に興味なさそうって言うかさ、好きじゃなさそうだなって」
「え、そう……? 械、珊瑚のこと好きだよ」
「それさ知人枠としての好きじゃない? 私はさ、一応結婚とか考えてて、もちろん菖蒲と家族になれるっていうか……そういう気持ちもあるけど、械と結婚して家族になりたい気持ちもちゃんとあって……でも、そういう気持ちも無さそうって言うか」
私と菖蒲は高校からの親友で、械は一つ上の先輩だ。女子に人気で優等生のいけ好かない先輩以外に感情が無かったけど、菖蒲の家に遊びに行き交流するようになって、向こうから告白され付き合うようになった。
ただ当時から今に至るまで向こうが何故私を好きか分からない。
なぜ付き合いたいと思ったのかもサッパリ分からない。
「械、結婚する気はあるよ。むしろ珊瑚がそういう気ないんじゃないかって相談されたことあるし」
「いつ」
「高校の頃」
「ならもう10年前くらい前の話じゃん。今絶対思ってないでしょ」
私は「普通」「どこにでもいる」なんて名乗るのもおこがましいくらい平均以下の人間だった。成績は全部赤点。体育は「跳び箱さえあれば」と思うような結果しか出してない。当然跳び箱なんてないので内申点は総じてカス。「自分に合った仕事を」「適職」「自分らしく」という転職サイトの言葉で散々異業種を渡り歩いた後、今はファッションデザイナーの滝永漱史が創設したブランド会社で働いている。
とはいえ服どころかファッションにもデザインにも興味がないし、学生時代美術はずっと2だった。1じゃない理由が出席点とテストの選択問題がそこそこ当たったからという筋金入りの画伯である。
にもかかわらず、初対面の業界人には「どうやってあの滝永漱史のもとで⁉」と聞かれるような職場と巡り合ったのは、ひとえに人手不足と私の応募のタイミングが完璧に合致したからだろう。
どうやら滝永漱史は女性関係が最悪で、「滝永漱史に興味がないやつ」が必要だったらしい。デザイン会社だからと言って全員絵が描ける、デザインが出来る必要はなく、むしろそういうことが全くできない無センス人間が必要な局面もあり、そういう隙をついた形だ。無能でもなんの才能が無くても興味が持てる物がなくても、案外生きていける場所はあるらしい。
一方の菖蒲は学生の間に読書が趣味だからという理由で本屋バイトをしてそのまま書店員になった。今は駅中の店舗で勤務している。ホラーやグロは苦手な菖蒲だけど、この間デスゲーム漫画のポップと呼ばれる棚に飾るカードやポスター貼り付けの装飾をし大変だったらしい。怯えながらも一生懸命に仕事をする菖蒲は可愛かっただろうな。見たかった。
私の彼氏であり菖蒲の兄の械は誰もが知る飲料水メーカー勤務だ。カタカナとローマ字の混ざった部署にいて、一番最初に聞いたとき調べたところ優秀な人間じゃないと入れないところ、三か国語くらい話せてなおかつエンジニアとしての専門用語も通じなきゃ駄目だしコミュ力がないと死ぬ場所、ということだけ知っている。学生時代から優等生だったけど就職しても躓くことなく二段飛ばしで人生のハッピーエンドまで駆けあがっている。羨ましい限り。
そして改めて思ったけど、どうして械は私と付き合おうと思ったのだろう。
自分の妹の親友とはいえ私と付き合うの、リスクすぎるどころか人生の汚点になってないか。
「菖蒲さ、前に言ってたじゃん。械、独占欲強いとか執着心強いとか、そういうのマジで感じないんだよね」
私の親戚の「なお」は収集癖がありそこに彼女への愛情がバッチリ重なった結果、彼女を収集するという常人に理解しがたい愛情表現に至った。今配信者や動画サイトで『生活音ASMR』という人間の生活音をBGMにする、みたいなものが流行っているけど、それの彼女版をしている。簡単にいえば、彼女の音を常に遠隔で聞いている。ありとあらゆる音全部。話を聞いた人間が「え、この音も?」と聞く音すべて把握している。そうした収集癖に関して彼女のほうは「恥ずかしいよ~」とふわふわしつつ「でも私も飲み会行かないでとか、私と一緒に押し入れにいてとか我がまま聞いてもらっているしね」なんて笑っているから、需要と供給が成り立っているのだろう。
独占欲や執着心の伴う行動と言えば、そういうのがあるイメージだけど、どう考えても械は私に対して何かこう、そういう兆候がない。
『珊瑚がもし械と付き合うの嫌なら、私は械殺す。だから一緒に逃げよう? 返事は後で良いって言うけど、承諾しか求めてないから。珊瑚が械と付き合うのが嫌なら、械を殺すしかないんだよ。本当に、めちゃくちゃ終わってるから。あいつ生きてる限りずっと珊瑚のこと追っちゃう。犯罪者と変わらないっていうか、もうほぼ犯罪者だと思う。最悪なことに、捕まってないし多分逮捕できないから余計ダメだし、だから急かしたくないんだけど、付き合いたいか本当に無理か教えて、械は背高い分、埋める穴も大きくしなきゃだから』
菖蒲の過去の発言だ。菖蒲の好きなところとして誇張と嘘がない点にある。そう見せかけて実は大嘘つきでも、私は菖蒲が好きだけど。
「珊瑚が感じてないだけで日増しに酷くなってるよ」
「そうかなぁ」
「械は珊瑚の為ならどんなこともするって。っていうかむしろ大丈夫なの? 平気そうな言い方してるけど」
「まぁ、私の為になんかしたんだったら、共犯くらいにはならないとなって……まぁ、そんなハッピーエンドはないだろうけど」
「ハッピーエンド?」
「菖蒲のとこで売ってた本にあった。なんだっけ、独下ケイの最新刊、帯がかっこいいやつ。白字でさ、クリームイエロー、中々見ないじゃん?」
内容は後戻りできない復讐者の話だった。悲劇によりすべて失い復讐に身を堕とした女は復讐の過程でそれまで感じたことのなかった人の優しさや温かさ、繋がりを「得て」しまい、「もしも悲劇が起きなかったら」を夢想する自分が許せず、最後の復讐を果たし自殺するまでの物語。
そこで主人公の復讐者が言った台詞がある。「もうこの人生にハッピーエンドなんかないんだよ」と。
すべて失っている人間は社会に守られていないので社会の規範に則るという意識が持てない。守られたり優しくされた経験がないので周囲の人間全員が自分に関心がなく、むしろ関心がないことが一番最良の形で、基本ベースとしては悪く思っていたり隙あらば加害してくると想定している。
自分が倒れたらその周囲は助けてくれないが、ほかの周囲が倒れれば、皆その人は助けると思っている為、「別にいいだろ」という思考から簡単に殺そうとしてしまうし実際に殺す。なにか持っていればブレーキがかかる。それはお金じゃなく、もっと根源的な記憶や体験だからこそ警察や防犯システムでどうこうし辛い。
情報番組で心理分析を行っている専門家が話をしていた。復讐者の話は、そういう何も持たない人間の抵抗の話だったように思う。
何も持たない。私には菖蒲がいるけど共感した。というか菖蒲がいなかったらたぶん主人公と変わらないメンタルだった。
「それ械も読んでたよ」
菖蒲は表情を固くした。独下ケイはホラーを良く書く。警戒しているのだろう。
「へー、あんまり流行ってる印象なかったけど」
「流行ってないよ。珊瑚が読んでるから械は買ったんだって」
「読んでるなんて言ったことないよ。偶然じゃない?」
「買うの見てたんでしょ」
「仕事終わりだよ、デート中じゃないからね」
「でも見てたんだよ」
菖蒲は表情を変えない。
「私に興味あるみたいじゃん」
「みたいじゃなくてあるっていうか好きなんだよ。ずっと前から」
「そうしたらそんなハッピーエンドはないよ。実際は、まぁあれだけど」
私は展示会場を眺める。蒸気機関の展示が照明の光を受けキラキラしている。綺麗だ。
「この間さ、一人で日帰り旅行したって言ったじゃん。湯山旅館」
私は先日、少し足を伸ばして温泉旅館に行った。本当に突発的に。事件だったら「極めて衝動性の高い犯行」と称されるタイプの無計画旅行だ。素泊まりだったので温泉に入って、お土産ショップにある燻製卵と千円でお釣りがくる饅頭、おつまみ用の缶詰を食べてダラダラし、登場人物はおろかあらすじもら知らない恋愛ドラマの6話を見て、日付が変わる頃にまた温泉に入り寝るという荒療治の自愛を経て、別れるかと結論を出した。
「行きはさ、こういうところ、械と行きたかったなと思ったんだけどさ、帰りは行かなくて良かったなとも思って。だって別れたあと、観光名所とか、テレビでやるじゃん。そのたびに痛みを負う。きつくない? 春夏秋冬の旅行シーズンで心に傷を負うのきつくない?」
「珊瑚はまだ械のこと好きなの?」
「うん。好きだからこそ、私に興味ないの嫌になっちゃってさ、その嫌って私が彼女という位置にいるから発生してる嫌さなわけじゃん。彼女じゃなく他人だったら無関心当然だから、そっちのがいいかなって」
最初に付き合った理由は、菖蒲と義理でも家族になれるからだ。不純極まりない。効率や結婚という制度を利用した。公務員と結婚したいとか介護したくないから次男と結婚したいとか学歴を重視するとか、そういう契約的な目的での付き合いだった。
でもずっと一緒にいれば情くらい沸く。前に何気なく言った好きなものを覚えていてくれたりとか、仕事の相談をして寄り添ってくれたりとか、何かすごくつらい目にあって助けてもらったわけじゃないけど、彼は私に誰かに優しくなれる時間をくれた。
物語であれば契約的な繋がりが精神的な繋がりに移行しただけで、ハッピーエンドで終わるだろうけど、現実は違う。
私は私が械を好きになったことで、械が私に対して実のところそうでもないというのが良くわかってしまった。
「珊瑚から貰った、湯山旅館の温泉饅頭さ」
菖蒲が静かに呟く。美味しくなかったのだろうか。
「うん……こしあん駄目だった?」
「ううん。すごく美味しかったんだけど、その温泉饅頭、今うちに二箱あるの」
菖蒲は言う。
「え」
「今日の展示、私行くって誰にも言ってないの。珊瑚とのチャットだけ。で、私のスマホに何かされてんのかなと思って、午前中、彼氏に色々見てもらったの」
菖蒲の彼氏はゲームアプリ運営会社の社長だ。いわゆるベンチャーで、自分がシステム開発や運営に専念したいから、という理由で企業した。しかしながら肝心の社長業はすべて部下に任せ自分はプログラミングに専念したいと社長室をハッカーの部屋みたいにして引きこもっている。代表作は確か……「惨染世界デッドエラー」だ。BLゲームではないが腐女子に人気らしい。
「私のスマホには、なにもされてなかった。だから多分漏れてるとしたら、珊瑚のほうだよ」
「漏れてるって誰に」
「械」
菖蒲は言う。視線が合わない。不思議に思い振り返ると、私の後ろに械が立っていた。




