人工的リライト
上司 パワハラ
検索すると「言葉一覧」とか「訴える」とか「弱点」というワードが続く。皆合法でやり返そうとしているのだろう。
素晴らしい倫理観がある。
転職三年目の私の場合、「殺人 判決」とかになる。それを見て冷静になっている。
「クライアントが2000万ダウンロードの数字に引かれるだけの人間を欲してると思うか。継続的にプレイしてくれるユーザーを欲してる。継続性を考えろ、目先の数字、利益だけ狙うのは無能がすることだ。お前は人間だろ。違うのか」
──すべて見直せ。
金曜日の昼食後、二人きりの会議室、ぼろぼろの企画書を突っ返され、殺意が湧いた。
私は「ばい」と短い声で返事をする。言い訳をしたところで通じる相手ではないし、パワハラは理不尽なものだけど目の前の男の場合、言い方が最悪フルバーストなだけで間違ったことは言ってない。そこが絶妙に悪質なところはあれど。
私は会議室を出て社内を歩く男の背中を睨む。男の名前は九十楽芭冬、私の上司だ。
この会社では主にアプリゲームの開発、運営を行うベンチャー企業。
現在取り扱っているのは「惨染世界デッドエラー」というゲーム。シナリオとイラストは外部のゲームクリエイターコンビに依頼し、ダウンロード数は2000万を突破した。私は主に宣伝企画の進行をしている。宣伝は大切だ。コンテンツそのものの集客力に依存する企業も多いけど、それらの良さは結局のところ「これが秀でている」「あれが秀でている」と感じるのは個人の主観。どんな評論家だろうと感想の域を脱しないし、誰かの名作は誰かの駄作、根拠も何もない。
ビジネスにおいて売れるものがいい、売れないものが悪いのではない。売り方と時期が合うか、ただそれだけ。
ビジネスの手腕が問われるのは売りづらいものを売る瞬間、売れると分かっているものを売るだけならば人間はいらず、すべて生産元からユーザーへ直送したほうがコストカットになる。
だから宣伝は大切だ。それはよくわかっている。
でも言い方少しは選べよと思う。私は会議室を出て自分のデスクに戻る。後輩が「大丈夫でしたか」と不安そうな顔をしていた。
「九十楽芭冬さん、鈴目さんに厳しくないですか」
「あの人が厳しくない人なんてこの世界に存在しないんじゃない?」
「あ、赤ちゃんとか……」
「いやあれ電車とかで睨むタイプじゃない。うるさいみたいな。結婚したらモラハラとか酷そう。あの顔に騙されたハイスぺ狙いの女がこんなはずじゃなかったってタワマンで泣く姿が目に浮かぶ」
「なんですかタワマンって」
「だって実家太そうじゃん。っていうか実家太くなきゃゲーム好きでもないのにアプリ開発のベンチャーしようと思わないでしょ。わざわざ大学卒業して」
流れるように九十楽芭冬の悪口を言う私に、後輩は悪口に対して相槌をうつことは一切せず、「ゲーム……好きじゃないんですよね九十楽さん……」と不思議そうな顔をする。この会社は元々フリーランスでエンジニアをしていた社長が法人化し出来た企業だ。
なにごともイラストとシナリオを並べて「出来ました」は出来ない。プレイヤーがボタンを押して選択肢を選ぶ「仕組み」や、特定の選択肢を選べば特定の結末に辿り着く「仕組み」を作らなくてはいけない。その仕組みを支えるのがこの企業だけど、元々社長が個人の雇われだったこともあり、「こういう会社があるよ」という周知の為に宣伝部署が出来た。
そして会社の存在が知られていくうちに、「御社みたいな宣伝がしたいのですが……」と、取引先から宣伝を頼まれることが増え、「ゲームの仕組みを作る」「その仕組みが円滑に進むよう守る」「ゲームの宣伝をする」ことがメインの仕事になった。
で、九十楽芭冬はゲームの仕組みを作ったりその仕組みを守る、いわば「システム開発・運営」と私がしている「宣伝全般」のつなぎをしている。この会社の代表者だ。ちなみに九十楽芭冬の上司は社長かつ、社長はずーっと創作の中のハッカーみたいに一人モニタールームに籠りカチャカチャしているので、九十楽芭冬が実質代表だ。
クソパワハラ上司に権力が集中している。
自分に権力が集中したから調子に乗り、九十楽芭冬がクソパワハラ化したかは分からない。
ただ、九十楽芭冬はたぶん新入社員として存在していてもあんな感じだろうな、とは思う。誰に対しても高圧的だから。「全方位にマシンガンを搭載しています」と背中に書いたほうがいいくらいの仕上がりだし。
「もういっそのこと駅の広告大規模ジャックして会社転覆させてやろうかな」
私が呟くと、「不純な動機だがアイデアは悪くないな」と上から声が降ってくる。「うっ」と後輩の死にそうな声が続いた。九十楽芭冬が真後ろに立っていた。
「頑張ります」
「ああ。他人の実家に言及する熱量を割けば少しは形になるだろう。じゃあ、俺は会社を出る。今夜は応対が出来ない。くれぐれもトラブルを起こすな」
九十楽芭冬は吐き捨てるようにして、オフィスを出ていこうとする。私も後輩も「おつかれさまでーす」とは言うけれど、絶対聞いていない。
「くれぐれもトラブルを起こすなと言うけどさ、トラブル起こしたくて起こす奴なんかいないでしょ、っていうか、トラブルを起こしたい人間なんて少なくともこの会社にいないでしょ、なんなの」
「まぁまあ、そういえば新しいビルオープンしたらしいですけど、ちょっと行ってみません?」
「いや、今日はちょっと、私も絶対外せない用事があって……そして二時間くらい電話出れない時間あるから」
「え、なんか、あったんですか?」
後輩が不思議そうな顔をする。
「うん、大丈夫、楽しいことというか……生きる支えに会いに行くだけ」
生きる支え……いわゆる、「推し」に会いに行く。
多分、通じるだろうけど、「推し」とは言わなかった。まぎれもなく「推し」は私の「推し」だけど、その単語を口にすることは、まだ今の私には出来ないことだから。
◇◇◇
最寄駅から徒歩3分に位置しつつ、その駅を使っているサラリーマンや学生は知らない。
そんな場所の地下にアイドルのライブ会場があったりする。アイドル専用というわけではなく、インディーズバンドやお笑い芸人の単独ライブや使われており、ポスター掲示板にはアイドルの公演告知だけではなく、サブカルチャーやエンタメが凝縮されている。
あんまり予算がかけられなかったのかな、とか、デザイナーの創意工夫が見られるな、とか、そういうノイズ思考を振り切りながら、私は年代問わず集う男性陣の群れに混ざり、サイリウムを握りステージの上に立つ三人組の女性アイドルグループを見上げる。
「ぷらねっと☆どーるず」
女性三人組の地下アイドルグループ。
センターを飾るのは黒髪ロング、清楚な雰囲気ながら凛々しい、どこか少年っぽさもある、正統派美少女。
パステルピンクのフリル衣装が良く似合う彼女の名前は、みゃうみゅんだ。芸名はみゃうみゅんで固定されている。バーチャルのアイドルと勘違いされがちな名前だが生身の人間だ。
「今日は来てくれてありがとー‼」
マイク越しのはつらつとした声が会場に響く。明るい人間も人気者も嫌いだけど、みゃうみゅんは違う。私はみゃうみゅんのメンバーカラーであるピンクのサイリウムを握りしめ、ほかのオタクたちと同じように、彼女のコールに応えた。
私の生きる支え、みゃうみゅん。
ヲタクが推しを推すには、いろんな理由があるだろう。普通に見た目に惹かれてとか、元々アイドルが好きだったからとか、テレビ番組とか、ドラマとか。
私はみゃうみゅんに救われたからだ。みゃうみゅんは自覚なんかないだろうし私のことを認識していないだろうけど、私が勝手に救われた。みゃうみゅんが生きる支えだから、勝手に推している。
勝手に、一生推している。
彼女が私の好きと世界を、取り戻してくれたから。
◇◇◇
私は幼少期からアイドルに憧れていた。テレビで見て好きだと思ったから。理由はそれ。
あの頃は謎に真っすぐで思い立ったらすぐ行動できる体力も精神力もあったから「アイドルと言えばダンスでしょ」とダンスを習い、中学の頃にいくつかの大会で優勝した。
並行して大手事務所のオーディションを受けたけど、二次選考にはいけても最終選考で落ちる。ひどいときは一次落ち。ダンスを見てもらえれば受かるけど、最終面接で落ちるを繰り返した。
『いい意味で真面目過ぎるんだよね』
『顔はかわいいけど花がない』
落ちた後、たまたま関係者に会うと言われた台詞がこれ。傷つけないように「向いてないよ」をオブラートに包んでくれていたのだろう。そうした優しさを励ましと勘違いしていた私は「今回は駄目だったけどいつか!」なんて幻覚を見ていた。
気付けば高校卒業目前。
両親と進路はどうするかと口論の果て、大手事務所ではなくいわゆる地下アイドルを抱える事務所のオーディションを受けたところ、一発合格だった。
そうして私は、新しく発足するグループのセンターとしてデビューすることになった。
地下アイドルは、とにかく数が多い。すべてのアイドルを集合させ三角形を作ると分かりやすい。
トップアイドルは少ない尖った場所にいて、地下アイドルは台形の部分だ。
ほかのグループと差別化をはかるため、色々設定をつけたり個性的な衣装だったり売りを作るけど、うちのグループは「逆に王道正当派」だった。
地下アイドルとトップアイドルの大きな違いは、距離と接触頻度にある。
大きなコンサートホールも憧れるけど、お客さんの表情までハッキリ見えるのは地下のライブ会場だ。場所や準備から、トップアイドルと会える機会は少ないけど、地下アイドルとはチェキを撮れる。
トップアイドルっぽい売り方だけど、地下アイドルとして触れ合える。それを売りに集められたメンバーは、「アイドルに求められる普通のことを普通に出来る子」を求められ、結成されていた。
でも、「推す」という単語が公用語に変わり始め、毎日毎日アイドルグループが出来上がって、応援してくれるみんなが「だれか」じゃなくグループみんなを推す──いわゆる「箱推し」をさらに掛け持ちするようになってから、ふんわりグループの中で「このままでいいのかな」という不安が漂うようになった。
いつまで推してもらえるんだろう。
いつまで応援してもらえるんだろう。
自分たちが最高のパフォーマンスをしていれば、みんなどんなに忙しくたって公演に来てもらえる! 後ろ向きじゃ駄目! みんなを信じよう!
そう思って頑張ってきたけど、一人、家業を継ぐと辞めてしまった。運営が「新しい風を」と新メンバーの加入を決定した。私がセンターだったけど、脱退によるイメージダウンを払拭するため、新体制として大きく打ち出すべく、新メンバーと交代になった。
「大丈夫だよ、私たちのセンターはいつだってつむだよ」
ほかのメンバーの言葉だ。
新メンバーはダンスも歌も未経験。SNSで人気の女の子。フォロワー数は、それまでグループにいた誰よりも多かった。
明るくて素直な子。みんなで支えなきゃと思っていたけど、節々の言動に「ん?」ってなるような、「悪い子ではないんだよなぁ」ってなる、絶妙な女の子。
メンバーのSNSのアカウントや発信情報は運営管理の元に行われるけど、その子はブランディングがしっかりしているからとの理由で事務所が噛まないことになっていた。
でも、たまに漏洩が起きる。お渡し会の情報だったり、新曲のことだったり。うっすら運営が「推している」のが分かる。
完全に新人だからダンスも歌も、私たちが支える形だ。彼女の為にダンスの難易度も歌の難易度も落とした。拡散力は抜群でライブに来てくれる人も増えた。
ダンスや歌のクオリティは落ちているのが、ハッキリわかる。今までの私たちについているファンが満足していないことも。一方で、新規のファンはすごく増えた。出来ることも増えた。グッズも特典も倍増した。地上波出演も決まった。
そんな矢先のこと。
暴露系配信者から連絡が来た。メジャーデビュー済みバンドマンのベーシストの性関係リストに新人の名前があったらしい。
主演女優賞を取ったばかりの若手女優、東西のコレクションの両方に出演するようなモデル、歌番組で出演がほぼ固定化されているようなグループの左側アイドル、子育てをしながら働くママのリーダーみたいなタレントと共に名を連ねていたのが新人だった。
グループでは注目度トップ。
バンドマンが直々に書いたタイトルである「使用済みリスト」という下品なノートの中では彼女は末端だった。
でも、地上波デビューを吹き飛ばすには充分すぎるくらいの拡散力を持っていた。何もしていないメンバーも「実は裏では何かやってるんじゃないか」と疑いの目で見られた。そんなことないと言ったところで信じてくれない。疑いの目はずっと向き続ける。
怒りは湧かなかった。
ああ、こういうことがあるんだな。
どんなに頑張っても、地道にコツコツやっていても、結局報われないじゃん。
それがすべてだった。
夢なんて見るものじゃない。頑張っても意味がない。気付いたころにはすべて手遅れで、私に残っていたのは真っ白な履歴書と中途半端な「私は他とは違う」というプライド、「このまま生きていたところで意味なんてないんだろうな」という、うっすらとした絶望だった。
その後、あらゆるエンタメが楽しめなくなった。
ネットを見てアイドル関連のなにかが視界によぎるたび、そのコンテンツの裏側みたいなものが透けて見えて、デバイスを投げた。
本屋もアイドルの写真集があるから駄目。映画もアイドルが出ているものは見れないし、主題歌にアイドルソングが使われていたら嫌で、予告の視聴すらままならない。コンテンツとして触れられるものは、洋画かゲームだけだった。特に洋画はいい。若い女、若い男を推すという文化がなく、スターと呼ばれる人種が出るにせよ、国内のものとは全然違うから。
でもアイドルに関わる何もかもが無理になった。あんなに好きだったすべて、普通に受け取れない。ノイズが走る。当事者にしか分からない最悪な副音声がずっと響く。
私の「好き」のすべてが、失われた。残ったのは夢破れた空っぽの私。もう何者にもなれない私。
そんな絶望を救ってくれたのがみゃうみゅんだ。
意味もなく惰性でスクロールしていたショート動画で、気になる言葉があった。
『たくさんの人を励ますためには、たくさん傷つく必要があると思うんです。だから私は、痛いのも悲しいのも抱えて、捨てきれない悔しさを、輝きに繋げたい‼』
力強い声の発信源が気になり調べたら、アイドルだった。
吐いた。
最悪な気持ちで動画を止めようとして──止められなかった。
短くまとめられたみゃうみゅんのパフォーマンス。ほんの15秒で、私の世界は変わった。そんな簡単なことで世界が変わるなんてと笑うだろう。納得がいかない人間のほうが多いと思う。
でも私は変わったのだ。みゃうみゅんのおかげで、みゃうみゅんの一言で世界が変わった。
それまで、ただ後ろを向いて生きてきたけど、みゃうみゅんを推すために私は就職活動を始めた。正社員にはなれず、バイトから派遣として働き始め、今の会社にいる。普通の人間から見ればまだまだまともじゃないかもしれないけど……それでも、前よりは生きている感じがする。過度にアイドルコンテンツを避ける生活もせず、普通に本屋さんに入れて、映画館に行けるようになった。
ただ、あの男──九十楽芭冬に出会ってしまったけれど。
でも、私にはみゃうみゅんがいる。
みゃうみゅんがいるかぎり大丈夫だ。
みゃうみゅんが変な男にさえ引っかからなければ、いい。
あと変な薬とか詐欺とかで捕まらなければいい。変なものを売る怪しいインフルエンサーにならなければいい。
そしてどうか、安らかに幸せでいて欲しい。それだけが願い。それだけが救い。
◆◆◆
『最高だった。ありがとうみゃうみゅん』
私はライブ会場を出てすぐスマホを開き、匿名の推し活アカウントで呟く。
みゃうみゅんのアカウントを見るためだけにある鍵アカウントだ。みゃうみゅんのアカウントしかフォローしていない。誰に届くわけでもない。みゃうみゅんすら見ない。でも拡散ボタンといいねは絶対に押す。ボタンを押すことで推しを推すことに繋がるから。
「鈴目さん」
ライブ会場の動線には引っかからないはずの位置で立ち止まっていたら、よりにもよって過去の因果に現実に引き戻された。声の主は私の所属していたグループのアシスタントスタッフだった。
「ま、まさかこんなところでお会いできるなんて、光栄です」
スタッフは言う。私が返事をしない間に「今はマネージャーをしていて」と感極まった様子で自己紹介を始めた。
「ずっと、鈴目さんたちのこと気がかりで……運営の体制をただ批判しても駄目だ、行動しないとと思って……転職したんです」
「え……」
目の前にいるスタッフとは挨拶だけする関係だった。元々、アイドルと繋がりたい為に運営側に入ろうとする人種もいるし、そうでない場合は普通にバイトが受かったとか、知人の紹介とか、アイドルと言うより映像制作とか制作に興味がある人間がベースだから、私たちのことなんて認識すらしてない印象だった。
「それでなんですけど、あの、鈴目さん噂で聞いたんですけど、ゲームとか作ってる宣伝会社に行かれたって……」
「まぁ」
「ちょっとご相談があって……ちょっと、来てください」
そう言って元スタッフが私を地下に戻そうとする。ここで騒ぎを起こせばみゃうみゅんに迷惑がかかる。私は大人しく従い、地下会場の「STAFFONLY」と刻印された扉の向こうを歩いていく。
昔、私はここを通っていた。この境が、私をただの女からみんなのアイドルに変える境界だった。
苦々しい気持ちを抱えながら、楽屋とは名ばかりの待機スペースに向かう。鏡が並びパイプ椅子が雑多に置かれたそこには──、
「九十楽さん」
みゃうみゅんの衣装を着た九十楽芭冬がいた。九十楽芭冬も私を見て驚いている。
「ど、どういうことですか。なんでみゅうみゅんの衣装を九十楽さんが」
「ああ、やっぱり鈴目さん、九十楽さんの職場と同じなんですね」
スタッフが勝手に納得している。自分の心臓がばくばくと嫌な鼓動の仕方をしているのが良くわかる。
「みゃうみゅんが九十楽芭冬さんなんですよ。女装してアイドルをしていて……中々こう正体を隠したりするにもこちら側では無理があって……九十楽芭冬さんのもう一つの職場でも協力者が必要だと思ってたんですけど、鈴目さんがいるって分かって、ほら、鈴目さん口固いし」
「九十楽さんがみゃう、みゅん」
私はスタッフの言葉に絶句した。こんな身バレの仕方があるか。もっとアイドルの正体がバレる瞬間はキラキラしていて、アッと驚くような場面であるべきだ。それこそドラマになるような、絵面的に映えるような。とにかくこんな身バレ場面なんておかしい。あってはいけない。
一方、九十楽芭冬は一言も発さない。冗談が嫌いで、少しでも自分がいじりの対象になろうものなら瞬時に殺しにかかるこの男が、およそ年下であろうスタッフの言葉に反論しない。
それが答えであり、最悪な事実の肯定だった。
◇◇◇
どうやら最悪は続くらしい。私はスタッフと九十楽芭冬の案内のもとみゃうみゅんの自宅で話をすることになった。
推しの部屋は担当カラーで揃えていて欲しいとは思わない。最近では青や水色だけではなくターコイズとかミントグリーンとか複雑な色合いが出てきたし、ミントグリーンの机なんかどこ探したって無いからだ。衛生が悪くない部屋ならいい。ラブコメドラマの汚部屋程度だ。社会派ドラマの汚い部屋は心配になるので嫌だった。
そもそも私も、自分のメンバーカラーで部屋のインテリアを揃えていなかったし。
そうした気構えで辿り着いたみゃうみゅんの部屋は成人男性九十楽芭冬の部屋だった。自炊写真の映り込みから内装を知られたら、「彼氏の部屋」「男と住んでる」と炎上しかねない、男性向けインテリア雑誌でしか見ないような家具とインテリアのクソ部屋。
「私のみゃうみゅんを返してくれよ‼ 私の‼ いや私のじゃない……みんなのみゃうみゅんを返してくれ‼ 返して……‼」
私はあまりの苦しみに部屋に入って早々床に膝をついた。
「鈴目さんみゃゆみゅん推しだったんですか?」
ここまで連れてきた元スタッフもといみゃうみゅんのマネージャーが問いかけてくる。九十楽芭冬は反応しなかった。当たり前だ。九十楽芭冬はステージ上で私にレスをくれたこともあるし、握手会のときに前の握手会で話をしたことを覚えていた。認知されている。ただ、私が認知されるというよりみゃうみゅんはプロ意識の高さから自分のヲタクを分かっているだけだ。調子にはのってない。そう思っていたし実際そうだ。みゃうみゅんにとって私が特別なのではなくみゃうみゅんにとっては皆が特別。そんなみゃうみゅんも素敵だけどそのみゃうみゅんが九十楽芭冬。死んでしまいたい。これ安楽死の動機として認められるべきだろ。なんで私は推しが九十楽芭冬に扮していることも九十楽芭冬が推しに扮していることも分からなかったのだろう。終わりだ。推しが推しと見抜けない。なんなんだろうこの眼球。大事なものは目に見えないというけれどこの目イズ何? 早急に死刑になりたい。司法で私をさばいてもらいたい。生きていたくない。この世界はカス。この世界はクソ。
「なんでアイドルになったの」
「おすずに憧れて」
最悪な返答が飛んできた。おすずというのはファンが私を呼ぶ名前だ。私の本名は鈴目祝子。女性アイドルを男のファンは下の名前で呼び捨てにすることが多いけど、「のりこ」はわりとどこにでもいること、ほかのメンバーが私を「すずめちゃん」と呼んでいたことから、「すずこ」に移り変わり、本物のすずこが他のグループで出たため「おすず」に再調整が行われた。
おすずに憧れてみゃうみゅんが生まれ私はみゃうみゅんを推した。
地獄の図式だ。紀元前よりこんなに最悪な因果が存在しただろうか。というか。私本当になにかしたのだろうか。前世でなにかした? スピリチュアルなことは何一つ信じていないけれど、ここまでくると江戸とか燃やした気がしてならない。
「共演したりすれば関係が出来ると思って……おすずが地下に出る前に……」
「関係って何」
「つ、付き合うとか……」
「みゃうみゅんは……女の子アイドルに憧れてアイドルになったわけじゃない……? その、ジェンダーを超えて、みたいな」
「いや、お、男としておすずが好きで……」
九十楽芭冬は今まで見たことのないへらついた笑い方をした。私は「キモい‼」と絶叫した。
「キモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイキモイ繋がるためになんでアイドルの神聖なステージにそんなおかしいキモいキモいキモいキモいキモいキモいえええええうわ、うわ、うわ、全世界のアイドルに謝れ‼ 夢を見せてるアイドルに謝れ‼ こうしてる間にもダンスレッスンとかボイトレ通って寝る間も惜しんで生きてるアイドルに謝れ‼ なんなんだよお前は‼ おかしいだろ」
一瞬部下から上司へのハラスメントも訴えられるのではと過ったけれど、その前にみゃうみゅんの2年前のインタビュー記事が脳裏に過った。
『夢を叶えるには、気持ちを伝えることと行動が大事だと思うんです‼ 勇気を持って一歩踏み出せば、たとえ失敗しちゃっても、きっとその失敗がなにかの役に立つ瞬間は、絶対来るから‼』
ことあるごとにみゃうみゅんは勇気について語っていた。
努力論も根性論も嫌いだけど、私はみゃうみゅんの言葉だけは効いていた。みゃうみゅんがそう言うなら、この世界もそんなに捨てたものじゃないと思えた。ほかの人間ならぶっ殺してやろうかと思う綺麗ごとだってみゃうみゅんが言えば特効薬になるから。
でもその特効薬がオーダーメイド毒薬だなんて想像できるはずもない。
「せめてスタッフだろ、なんで、アイドル……それも女装?」
「いや、俺は背も低いし華奢だから声さえなんとかすれば近くに行けると思って、ほら、スタッフだと繋がり警戒して、おすずは関わろうとしないだろうし……」
インタビューで「持ってるものを最大限に生かそう」とか言ってただけあるわ。カスのバイタリティ。
「スタッフと関わろうとしないなんて当たり前だろスキャンダルなんか出たら終わりなんだから。アイドルは恋愛なんてしないんだよ。恋愛する暇あるなら寝てるわ。っていうかなに? なんでアイドル……歌うたえるならバンドマンとかにすれば良かったじゃん、バンドマンはモテたいからバンドするんでしょドラム以外。そういう種族じゃん。違うじゃんアイドルは、ステージで歌うアイドルに憧れてって言うべきじゃない? 夢を見せろや……っていうか何、私のファンって」
私はみゃうみゅんのマネージャーを睨む。マネージャーは「いや自分も知らなかったです」と顔面蒼白だ。こいつが始めたんだろうがよ。
「証拠は出せる」
そう言って九十楽芭冬が「部屋を移動したい」と言いだした。どうやら書斎に向かうらしい。九十楽芭冬の後を追うのは嫌なので、間にマネージャーを挟み、最後尾としてついていく。
このまま玄関から帰ってやろうかなと思えど、明日も仕事だ。ベンチャーはクソなので月曜日から金曜日が仕事なんて概念はない。どこかしらで2日休み、どこかしらで5日出勤がベースだけどそれもリモートワークで破壊された。ゆえに明日私はマネージャー抜きで九十楽芭冬と仕事だ。
「これ」
九十楽芭冬が開く。成人男性の気取った部屋ではなく、「おすず単推しヲタク」の部屋だった。机も椅子も全部私の担当カラー。絶対にオーダーメイドだ。最悪が増す。ファンがやってたらいい。でもこいつは私の上司だ。
「一般人の写真でアクスタ自作はストーカーだろうがよ‼」
私は拳を握りしめる。おすず単推しヲタク部屋の一角には鈴目祝子のストーキング記録があった。社内で撮った打ち上げや記念写真を、勝手にアクリルスタンドにしたもの、私の部分だけ切り取り拡大してポスターにしたものだ。素材は盗撮じゃない。後輩に「撮っていいですか」と聞かれ許可を出し、「集合写真」や「日常のワンショット」というテイがある写真だ。そのせいで多分、法的に殺しづらいし、法的に殺そうとすると私もただでは済まない。最悪だ。
「あの、御取込み中、申し訳ないんですけど……」
静の九十楽芭冬と、暴の私の間にマネージャーが入る。
「あの、鈴目さんには、本当に申し訳ないんですけど九十楽さんがみゃうみゅんだとバレないよう、会社側からサポートしてほしくて……」
私人権と意思を持つ権利、剥奪されてる?
「な、なんで」
「実はここだけの話、ツアーが決まったんです。最終日は、アイドルの最終到達地点というか、目標とされている会場で、行うことになっていて」
私が、行けなかった場所。
そこにみゃうみゅんが行こうとしている。出来ればただのヲタクとして喜びたかったし、喜ぶ状況では絶対ないけれど、どうしても嬉しかった。ああそこまでみゃうみゅんは頑張ってきたのか。推しの努力が報われた。握りしめていた拳が少し緩む。
顔を上げると、九十楽芭冬が私を見下ろしていた。冷たく見下すのではなく、ただ、見ていた。いつもこの男はこの目で私を見る。見下ろすというより見上げていたけど。
九十楽芭冬は見る男だった。他の人なら絶対見逃すような企画の甘さや不備を的確についてくる。同時に努力も見てくれる人だった。ただ、「事前に調べたわりには見積もりが甘いな」「他人の雑用ばかりこなしてないで自分の仕事をしたらどうか」と嫌味を強化してくることで発覚するので、殺意が湧く。多分嫌いな人間のほうが多いし、あの言動はSNSにアップして、男上司が女部下にしてます、と書いておけば相当燃えると思う。
でも、「わー助かる!」というおべっか作法でで無尽蔵にこちらの頑張りを消費してくる人間より、「見てくれてるな」とは感じていて、それが洗脳と言われればそれまでだけど、それでも、嬉しかった。
私が風邪を引いたとき「休め」と言ってくれたのもこの男。痴漢に遭い調子が戻らず出勤した時に気付いてくれたのもこの男。仕事の理不尽を庇い味方してくれたのもこの男だった。
派遣社員として、少しずつ生活が安定してきたとき、「炎上系アイドル」として例の新人が再デビューしたと聞き、職場で突然涙が止まらず挙句の果てに嘔吐した時、無言で片づけてくれたのもあの男だった。
その一方で何考えてるか良く分からないし言葉にいたってはバーサーカー同然。
九十楽芭冬の目に救われることはあっても言葉で救われることは無い。そもそも言葉は求めていなかった。みゃうみゅんがいるから。
『誰かを励ますには、誰より傷ついたほうがいいと思うので!』
そう言って笑う彼女を応援したいと思った。私に夢を見せてくれるのが彼女だった。
それがパワハラクソ上司として君臨している九十楽芭冬だった。こんな狭い夢と憧れのSDGsがあるか。勘弁てくれ。
それに推しの未来を守るためにパワハラクソ上司をサポートしなきゃいけない構造グロすぎるだろ。明日もこいつと仕事しなきゃいけないの何らかの福利厚生がおりてしかるべきだろ。
でも、
「やりますよ」
私は立ち上がった。
夢半ばで暗闇に閉ざされる冷たさを私は知っている。それを推しには味わわせたくない。だから私は──すべて見直す。
「……みゃうみゅんの幸せが、私の幸せなので」
それだけが願い、それだけが救いだから。




