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百年の恋毒

 王道。


 そう聞いて、正義の名のもとに仲間を集めて敵をうち世界に平和をもたらすファンタジーをイメージする人間は多いだろう。


 対義語はなーんだとクイズをしてすぐ答えられる人間は少ないかもしれない。


 覇道だ。


 王道は元々、徳をもってして政治を進めるやり方のことを差し、覇道は逆に武力行使で政治を進めるやり方のことを言う。王道を行く王者は優しさで仲間を集め、応援されながら一致団結して戦い、覇道を行く覇者はとにかく武力‼ 脅迫‼ と攻撃的に一人でなんとかするものだ。


 どちらも道の半ばで天下を取れるかは運次第、己次第。


 王道を通れば最後に天国に行ける。覇道を通れば地獄行き。


 だから好き好んで覇道を行く人間なんかいない。結果的にそこを歩くしか道が無かったか、道を作ったら覇道だったかの二択だ。歩きたくなんかないのだ。覇道なんて。危ないし、痛いし、苦しいし、最後は地獄だし。


 でも、私は通るほかなかった。


 多分今世でも。


◆◆◆


「全員死んじまえばいいのにな。何がお任せだよ。ターゲットも言わねえでバカじゃねえのかこの女、お前の言う可愛いって10代の女が言う可愛いなのかよ、20代の女が言うロココ調の可愛いかよ、30代の言う北欧系の可愛いかよ。つうかこの女の言う水色すら信用できねえんだよ。パステルブルーのことミントグリーンって言ってたんだよ前、で、まずはざっくりでいいから作ってもらってって、くたばれよ。死ね。本当に死ねばいい。方向性も教えねえで探偵じゃねえんだよこっちは。出版社ぜーんぶ潰れますよーに‼ うわあああ‼」


 週末、日付が変わる頃。


 終電の概念なんてそもそも存在しないオフィスで、私は呪詛を吐きながらデザインを組んでいく。


 新進気鋭のウェブデザイナー明志礼二(あかしれいじ)が設立し、最近では書籍や雑誌などエンターテイメント全般を担うデザイン事務所──lonely。デザイナーもとい社員たちは、第一線で活躍する孤高の王に続けと言わんばかりに、今日も今日とて必死の形相で仕事をしていた。私もその一人だ。


永雅(えいが)さーん!」


 死臭すら漂ってきそうな雰囲気のオフィスとは不釣り合いな明るい声が響いた。こちらに駆け寄ってくる男──藤寿喜江(とうじゅきおり)


 私がずっと「新人教育なんてする暇ないんでその分仕事こなしますし頼むから後輩はつけないでほしいんですよね」という入社10年にわたる懇願成功神話を「永雅さんに憧れて入社したんです」という一言で打ち砕いてきたモンスター後輩である。


「やっぱり最初は、男には男の、女には女の教育係をつけるのがいいと思うんですよね」という、ジェンダー大問題の反論もしてみたが本当に駄目だった。藤寿喜江が入社し3年が経過するが、そうした経緯があるせいでずーっとセット扱いを受けている。


「なんじゃ」

花木(はなき)さんから帯のデザイン依頼がきて、メール急いで見たほうがいいと思ってきました」


 犬が飼い主を見て「ヘッヘッへっ」をしているときと大差ない様子で藤寿喜江が走ってきた。花木さんというのは漫画家や作家をマネジメントしている会社の編集者だ。最近は、芸能マネジメントを行うエンタメ会社が編集部を設け、小説家や漫画家と契約し、作品を刊行するケースが増えてきた。


 読書家でコンテンツ作りが好きな人間は多いが、同時にプロデューサーやマネージャー的采配を弱点とする人間は多い。主にマネジメントを行うプロダクションは、読書家も一定数いるしマネジメントに長けた人間も多いので、業界全体の隙を補うことができる──ということだ。


 別の業界にいる人間がそう簡単に出来るかよ、と思っていたけど、花木(はなき)さん──花木たよりの仕事は悪くない。お任せくださいというオーダーはするけど、ターゲット層や方向性の提示はある。ありがたい。「ゆめかわみたいな感じですか?」と聞いて「ゆめかわって何ですか」と返してきたレスだけ早い副編集長に「お任せくださいっていうのはこうなんだよ」と花木さんの発注書を叩きつけてやりたい。髪の毛にメッシュ入れる時間あったら持ってるパソコンで調べろカス。お前の後生大事に抱えているデバイスは洗濯板ですか~? と何度思ったか分から……、


「ままままままま待って、最終巻帯リテイク?」


 花木さんは「おはよう天国さよなら地獄」という花木さんの真っすぐな仕事からは想像もつかない残虐で救いのないデスゲーム漫画を担当している。ちなみに作家さんの素性は徹底的に隠しており、出版社のちょっとした集まりで「どんな方なんですか~」と話題になっていたがやっぱりひた隠しにしていた。


 素晴らしいと思う。ぜひ出世してほしい。元々花木さんも副編集長だけど。そして「さよなら天国おはよう地獄」は最終巻を迎える予定だ。あらすじや帯の文字は編集者さんが決めていて、花木さんは毎回、新規読者の開拓と作品に合うかを一生懸命考えたであろうワードを選んでくる。いいと思う。


 出世してほしい。社長になればいいのに。言わないけど。クーデーターが起きてしまうことになるし、花木さんの会社の来歴的にちょこちょこ元社員が新しい会社を作っているからシャレにならないのだ。それに花木さんの上司の編集長も、デザイナーを人間扱いする仕事の仕方だし、とりあえず、幸せになっていてほしい。


「違います。既刊重版で映画化するって」

「ああよかったよかった」


 この時期にリテイクになると誰か殺すしかなくなる、という意味でも良かったけれど、本当に良かった。


「締め切りは……多分、なるはやなんでしょうな……」


 藤寿喜江が「どうかご無理はなさらぬように……俺が出来ること、全部手伝います‼」と、苦しそうに、でもエネルギッシュに訴えてくる。


「ありがとう。でもそっちは夏発売の雑誌のデザインがあるじゃろ、男の裸特集なんてセンシティブなもの締め切りギリギリですれば絶対事故起きるんだから、丁寧におやり」


 私は献身を願う後輩を突き放した。分かりやすく「しゅん」とし、とぼとぼ自分のデスクに戻っていく藤寿喜江を見送る。傍から見れば忠実な部下そのものだが、私はあまりそう思えない。


 なぜなら藤寿喜江は、多分だいたい、江戸時代っぽい頃……という何ともアバウトな時期に、私のことを裏切ったからだ。


◇◇◇


 前世の記憶があるといえば、絶対にカウンセリングをすすめられる。だから言わないけど私には前世の記憶がある。舞台はだいたい江戸時代、存在していたことは確かだ。うっすら私っぽい大名? 武士を束ねる強い武士として存在していたのは、歴史の資料や博物館で確認が取れている。


 思い出したきっかけは「和風流行ってるしデザインの勉強に昔の水墨画でも見るかな~」と調べて、私の描いた絵が出てきたのがきっかけだ。「やっべえ構図被った‼」とはまた違うドキッとした感じが胸のあたりを襲った。


『先の戦を拝見し、天下に立つに相応しいお方と心得ました。どうぞ、この私めに、貴女様にお仕えする栄誉を与えては頂けないでしょうか』


 藤寿喜江の前世はどっかの役人だった。私はそこら辺の不届き者を切り伏せていたら、あれよあれよと言う間に家がない金がない家族がいないと失うものも後戻りも出来ない人間たちに担ぎ上げられただけの人斬り女大名だ。前世でも部下と上司だった。


 放っておいてくれればいいのに、周囲の持っている人間たち──今でいう金持ちや地主に「こいつ味方にしたら金になるのでは?」「戦力になるのでは」というカスの思惑に巻き込まれてはねじ伏せ、民が弱っているときは等価交換で条件を飲んだりして、大名にまでなってしまった。


 とはいえ学びもなければ人望もなく、統率に関してはゴミだ。なにせ私の民は私を応援したくて集まっているのではなく、私のそばにいれば飯にありつけるから、ただそれだけ。私がその利益を提供できなければ当然見限るし、他に良さそうな場所があればそこに行く。それでも残っているのはどこにも受け入れられず、ここしかいられないというだけだった。


 なので結局のところ、民は集まれど味方はいない、孤立無援にほかならない。しかしよそから見れば民を率いているように見えてしまうので勝手に敵視され攻め込まれる最悪な繰り返しが起きていた。


 民を見捨てて逃げてしまおうかと思った日もあった。民の為に稲作をせど反応はなく、畑を耕す手を疎かにすればすぐさま「私たちを捨てたのか」となじられる。誰も助けてくれない。誰も味方になってくれない。しかし助けない、味方にならない人間になりたくない。


 生き地獄だ。


 そうした中で、藤寿喜江の前世が現れた。明らかにどこかも分からない敵のスパイだったけど、退けて戦になるのも面倒で受け入れた。


 藤寿喜江はよく働いた。当然である。スパイゆえにならず者大名を懐柔して殺さなければいけない。信頼を勝ち得て隙を作る義務があった。


 それほど私は強かった。自画自賛をしているように錯覚されそうだが、そもそもの土台が違う。ほかの大名は守るものがあり、命への執着を捨てているように見せかけ、明日を生きる気があった。豊かな世のために戦う志があったのだ。


 こちらはそんなものはない。生まれてから生きていてよかったことなんて一度もない。死ぬために生きている。死にしか希望がない。これからどう頑張っても地獄行きの中それでも生きているのは、なにも生きたいからではなく、死ぬのも大変だからだ。


 死ぬまでの暇つぶしに戦をし、貧しさにあえぐ子供が視界にうつると苛々するので、人さらいをぶっ殺してストレスを解消していた結果の大名だ。


 人に慕われ応援されて生きているほかの大名さまとは異なる。いつ死んでもいいので、躊躇いのない戦い方が出来ただけ。戦の才能なんてない。恵まれている人間には出来ないルール無視の戦いをしているのだから勝って当たり前である。


 救うべき民はいる。でもその民は味方じゃない。私が死んだあと惜しみはしても助けたいとは思わないし、哀れみも三日も続かない。なんのために戦っているかも分からないけれど、理由を探し始めるとそもそもなぜ生きているかの理由も探し始めてしまう性分なので、すべての期待を捨てた。


 幸せになろうとするから苦しくなる。


 報われたいと思うから明日が嫌になる。


 自分には報われる瞬間などない。


 幸せになれない運命。


 死ぬために生きる。


 誰も殺してくれないから殺されるのを待つ。それが私の生きる道だ。


 いい具合に私以外の全員が救われて私がさっさと死ぬ瞬間だけを求めて。


 だから、敵とはいえ藤寿喜江との日々は豊かだった。藤寿喜江は私をいつか殺すだろうが、そばにいてくれた。仕事の仕方も申し分なく、彼の理念で進む政治は持たざる民も報われそうなものだったから。


 相手はどうせ敵。いずれ私を殺す。なんでも話ができた。


「綺麗な景色見て絵描いて、のんびり死にたい。何者かの膝の上で」


 大名として責任感0の話も無限にした。


「戦危ないし。攻めない。面倒くさい。稲作だけ頑張りたい。戦は嫌だ。人が死ぬ、何もしたくない。1回でいいから応援されてみたい人生だった。あーあ、笛吹いて暮らしたい」

「どれが本心なのですか」

「分からない」


 何も分からない。正直な気持ちだった。多分、第二志望ならぬ第二意向は死なせてくれが近い。ただスパイに死なせてくれは、命乞いに他ならないので言わなかった。


「どこか遠くへ行きたい。私を必要としてくれるところに行きたい」

「民はみな貴女様を必要としております」

「私じゃなくていいだろ、民は。自らを守ってくれる存在であればなんでもよい。私がいなくなれど気付かない。誰も私に話しかけない。大名として終わりなのだ私は。誰も求めてない。大名として無価値だ。ただの人斬りよ」

「そんなことは……」


 藤寿喜江は苦々しい顔をしていた。民は基本的に私に無関心だ。たまに、ごくまれに声をかけてくれる民もいるが、結局、私は大名としてではなく、私として好かれたい醜い欲があり、それは叶わないことを知っている。


 褒められたり励まされたりしながら、みんなと、民と歩んでいける人間になりたかった。


 結局のところ願いはそこかもしれない。人望はいらないから、誰かの一言が欲しい。誰かに必要とされてみたい。その一瞬が欲しい。


 本当は誰かではなく、藤寿喜江の一言が欲しかった。ありえないのに、私にはあなたが必要だと言ってほしかった。私の目を見ようとした人間は藤寿喜江だけだったから。





 藤寿喜江が本懐を遂げる瞬間は案外早くやってきた。新年を迎え私の肺に病が見つかったのだ。盲点だった。流行り病にかかり、何かおかしいと医者が調べた結果、生き地獄の終わりが迫っていることを知った。


 もともと、内臓のあちこちが悪かった。普通に生きたとて嫁にもなれぬ身の上だからこその捨て身が、戦い勝てば褒められるという浅ましい捨て身に変わり、今がある。


 もうすぐ、生き地獄が終わる。


 終わりが見えると、あれほど先の見えない世への絶望や失望が穏やかなものに変わった。


 藤寿喜江の立ち位置がなるべくよくなるよう、民の望みがなるべく叶うよう支度をした。傍から見れば暴れ狂っているように見えただろうが、傍若無人に振る舞わねば相手にされないのが覇道だ。


 しばらくして戦が始まり、敵将を討った後、藤寿喜江率いる軍に奇襲をしかけられた。


 燃え盛る炎の中、藤寿喜江は私に育ての親を殺されたのだと語った。


 謝罪はしなかった。言い訳もしなかった。謝っても藤寿喜江の親は帰ってこない。訳を伝えたところで藤寿喜江の心の傷は癒えない。


 私は藤寿喜江の刃を受け入れた。無抵抗だったのが意外だったのか、私を切り裂く藤寿喜江の刃からは躊躇いが感じられた。


 特に理由もなく理不尽と苦痛しかないばかりの人生だと思っていたが、良い最期だった。


 適当な人間に殺されるより、私を仇と認識している人間の刃のほうが、殺意とはいえ「私」である意義が生まれているから。


 その後、私は現代に生まれ記憶のないままデザイナーになった。そして藤寿喜江が後輩になり、せっせと指導をし、前世を思い出した。


 記憶を取り戻して、腑に落ちた。


 藤寿喜江が私に固執する理由。


 復讐のためだ。


 理解する同時に気付いたことがある。


 あいつは記憶を保持したまま私に近づいてきている。


◇◇◇


「永雅さんは何のために生きているんですか」


 就職面接で聞かれていたら、「死にたくないからですかね、小さい頃に、ドキュメンタリーで同い年くらいの子供が死んじゃうの見て、えへへ」と感受性豊かな感じを出しつつグローバル社会貢献に繋げてアピールをするし、あまり交流のない人間に質問されたら「宗教勧誘の導入か?」と身構える質問を藤寿喜江は入社早々私にしてきた。


 当時は「ぷらねっと☆どーるず」という三人組地下アイドル、略して「ぷらどる」にハマっており、「ぷらどるの為」と答えた。「笛吹いて暮らしたいとかじゃなく?」と怪訝な顔をされ、「何だコイツ」と思った。


 一瞬、「コイツ煽ってるんけ?」「お前そんな社会不適合者でよく生きていけるな、みたいな煽りをオブラートに包みきった感じか?」と疑ったけど、記憶があると思えば納得がいく。


 たしかに私は何百年か前、笛を吹いて暮らしたいと言っていた。


 しかし当時から今に至るまで笛は吹けない。音楽の才能が全くない。小学校のリコーダーテストは3回居残りになり、4回目が先生の職員会議でなあなあになったことで「終わった」前歴がある。


 そしてついでに、と言ったらアレだけど、家族について質問をされていた。「失礼ですけどご家族はいらっしゃるんですか」という聞き方だ。コンプライアンス違反の塊だと思う。失礼でしかない。


 当時は「いない」と答えた。いないからだ。


 ただ、その後、私が自爆したので、何故不在かも知られている。


 経緯としてはこうだ。


 私は取引先からキャバ嬢とホスト、いわゆる夜の世界の写真集の仕事を依頼された。


 断った。うちの会社では、年齢制限のあるコンテンツの仕事は受けないようにしている。最初に受けたのが児童文学のデザインなので、同じ会社名義で大人向けコンテンツが出るのは良くないという社長の思想あってのことだ。


 私もその思想に共感している。子供が検索し、その目に触れることがあってはならない。「昔はわりと出ていた」というが昔にスマホはない。子供は道に迷った時スマホを取り出し検索する時代じゃない。昔のテレビで許されていた事例やデザインは、スマホのように常時見れる状態ではなかった。


 なので、個人の考えでどうにでも調整できる、言い方は悪いがコントロール可能な創作のキャバ嬢とホストはいいが、生身の水商売の人間の露出は制限されるべきだと社長も考え、私も同じ考えを持っていた。


 だってお店には18歳未満は入れないのだから。


 なおかつ最近、性産業の人間が美容医療と結託しているケースがきわめて多く、その業界に入らない人間を食い物にするケースが増えてきた。簡単に言えば「減量薬」「メディカルダイエット」という呼称で、本来治療目的で使う薬を「痩せたい」と願う人間に処方するビジネスだ。


 だいたいの謳い文句は、食欲抑制、血糖コントロール等に効果があり、週に一度注射するだけ、海外で承認されている、なんてものもある。インフルエンサーは「1日1食で済むようになった」と宣伝することが多い。


 海外で承認されている薬が危険と断ずることが許されないように、海外で承認されていることは安心に繋がらない。日本人と海外の人間の体格は違い、そもそも大麻が合法の国も存在している。


 食欲抑制や血糖コントロール系だって、「病気の人間の治療」が前提としてあるので、「健康な人間」が使っていいわけがない。そして治療薬に使われているという謳い文句がおそらく使用者の安心に繋がっているのだろうが、そこがトリックになっており、現役の医者は「本当に治療でその薬が必要としている患者さん」を不安にさせないため、強くその薬の危険性を訴えることが出来ないのだ。


 結果的に、治療目的ではない薬を使ったことで、元々体質や病気で内臓が悪かった人間より身体がボロボロです、という人間が量産されている。大学卒業して間もない年齢の人間がだ。


 ただ、こういう話をしても通じる人間は少ない。身体も心も、壊れてからじゃないと 人間は関心を寄せない。


 なのでセンシティブ方面のみを理由に依頼を断ったとき、私のデスクを見て「アイドルと似たようなものだと思うのですが」「職業差別では?」とクライアントは反論して、大ギレした。


 だってアイドルは夢を売ってを手振られながら生きていく。


 一方、キャバ嬢ホスト風俗パパ活は尊厳を売って後ろ指さされながら生きていく。よく職業差別だ、彼ら彼女たちは生活のために仕事してるんだという人間がいるが、そういう人間は隠すのだ。


 いつかちゃんと働き、誰かに言えるような仕事をしたいと。ゆえに自らに注目が集まることを嫌い、表で名前を聞くことを嫌がる。毎日コツコツ働いてる人間が一番素晴らしいと言い、それが一番難しい、でもなりたいと願うのだ。


 差別するなと騒ぐのは、同業に貢ぐATMか、金銭感覚が壊れたブランド依存症、もしくは整形の繰り返しにより、自分の理想を目指すのではなく、もはや新しくて流行ってる手術に依存する人間か、水商売の人間にモテたい勘違いクソ業界人だけだ。


 そして、本当に微かな確立で、自らの母親、もしくは父親が、自分を養うために仕方なく水商売を始める人間がいて、そうした人間が実の親を想い、「職業差別」と主張するケースもごくごく稀にある。しかしそれもほんの一握りだ。身内を育てるために身体を売っていた人間は、結局、声も承認欲求も大きいインフルエンサーのせいで、巻き添え喰らう。


 私がキレた時、基本的に皆、「まぁまぁ」みたいな感じだったし、「いいじゃん」「何が悪いの?」と、普通に共感されることはなかった。別にいい。ただ藤寿喜江だけは違った。


「当事者なんですか」


 とんでもない剛速球質問を繰り出してきた。コンプライアンスどころの騒ぎじゃない。


「はい。性病で母親が死んだの。祖父が博打好きの馬鹿で、父親はそれでもいいと結婚したけど若い女に走って失踪したの。で、私に苦労かけさせたくないという一心で母親は身体売った。だから嫌いなの。そういう出身で色々発信している奴が認められたいのは水商売という仕事じゃなくて水商売をしている私だから。そして認められたとしても絶対その承認欲求は満たされないから。今度はこれ、今度はこれと際限ないの。パパに気に入られて飛び級で成功した瞬間は、私は選ばれた存在で才能あるって喜べるけど時間が経つと、自分は地味に努力してコツコツ頑張りましたって人をなんでか羨ましく思って、努力とか語りだすまでがセットなの。だから、勝手に憧れる分には勝手だけど、憧れさせる、いいように見せたら駄目なの。リスクがデカいから。それが母親の教えなの。でも言ったところでどうせ、幸せそうなのを僻んでる妬んでる嫉妬してるって解釈されるだけだし、無関係だよ? って冷笑されるだけなのも理解しておりますので、じゃあ! 消えろ」


 母親はアイドルに憧れていた。時代やタイミングが良かったら確実にアイドルとして芸能界にチャレンジ可能な容姿を生まれつき持っていたのだ。でも、時代もタイミングも状況も何もかも母親から夢を見る権利を奪った。


 私が生まれたこともそうだ。


 そして母親は、私へ好きに生きなさいと言って死んだ。親孝行が出来ないままだった。死に物狂いで美大のデザイン科を受け、現役合格の果てに今の事務所に入った。


 絵を書いてく喰える人間、ようするにデザイナーになる。

 母親の墓を立派にする。


 私の好きなことは全部終わった。この後の人生をどうするかと考えた矢先に出会ったのが藤寿喜江だ。


 他人に期待することなんか大嫌いなのに、味方だと一瞬期待した。でも結局、敵だった。家族がいないか聞かれたのは殺すためなのだろう。江戸っぽい時代の乱世は誤魔化しやすいが、現代社会で人を殺して無事でいられることはまずない。


 失踪した父親は本当にどうでもいいけど、母親が死んでいて良かったかもしれない。突然殺されたらさよならが言えなかったけど、母親にさよならは言えていたから。


 家族がいないから、家族を巻き込まずに済む。天涯孤独が良いほうに作用することなんてあるんだなと思った。強がりじゃなく。


◆◆◆


「花木神のためにやったんぞ!」という気合いで一人オフィスに立てこもり、延々と帯の試行錯誤をしていくと扉が開いた。警備員さんかもしれない。警備員さんはオフィスに電気がついていると、「ワンチャンこれ食べきれるか分からないけど食べたいな……」という出前を取り、こちらを尋ねてくる。闇のフードデリバリーと言うけど、度々戦時の闇市の話をするので、笑っていいのか分からない。


「スマホ、忘れちゃって……ああ、もうタクシーより始発のがマシ……ですかね。シャワー浴びたかったんだけどな」


 藤寿喜江だった。闇のフードデリバリーならぬ暗殺者が来てしまった。


「ネカフェは」

「最近なんか、混んでるんですよね。パパ活のせいで。出張所扱いなんですよ。勘弁してほしい。キャリーケースとかハイブランドのバック抱えてるいかにも! って感じの茶髪ロングの女がガリッガリの足で出てきて、その後に30くらいから80くらいの爺がさぁ、そそくさ出てくるんですよ」

「へー」


 じゃあトイレで髪洗えば?


 言いそうになるのを堪える。


 パワハラになる。


 私は特に髪がギシギシになろうがどうでもいいし、むしろ満員電車に乗って家と職場を往復するくらいなら職場に泊まってトイレで髪を洗うほうがノーストレスだけど、普通の人間は逆だろうし。私は家に帰ったところでカス立地カス間取りのクソボケ賃貸が待ってるだけだから、都心のオフィスで寝泊まりするほうがいい環境だ。それでも部屋を借りてるのは保険証と身分保障の為。それ以外ない。


「なんか食べました?」

「差し入れ」

「またですか、身体壊しちゃいますよ」


 先日、花木さんから差し入れがあった。クッキーボックスだ。一気に食べられるけど勿体ないと理性が働き、蓋すら開けないという処世術でやりくりしていたが、3日ほど何も食べてないので食べた。


「いいよ別にどうでも」


 前だったら、なんか作ろうかとか、食べに行こうかとか誘っていたけど、帯で忙しいし、色々なんかもう藤寿喜江が嫌いなのでそっけなく返した。


 まだ記憶を取り戻していないころ、私は気が狂っていたので藤寿喜江にラーメンを作った。明志社長からご当地ラーメンを貰い、コンビニで野菜とゆで卵、肉、片栗粉を買ってきて、いわゆるご当地ラーメンをサンマーメンにするという邪教徒の極みのようなキメララーメンだ。


『ふつうに、もっとなんか、お洒落なやつ、パエリアとか作ればよかった? パエリアがお洒落の代表な時点で、ダメかもしれないけど』

『その発想こそ陰の発想ですよ』


 みたいなやり取りをした。今思う。ラーメンなんて作らなきゃよかった。なんで私のこと嫌いで復讐しに来てるやつに優しくしなきゃいけないんだ。バカらしい。本当にバカ。最悪。死刑になりたい。


「明志さん、ご実家のこと忙しくなる感じですけど、ここどうなるんでしょうね」

「さぁ」


 藤寿喜江が自分のデスクに座った。今夜いるつもりだろうか。殺すなら帯が完成してからにしてほしい。


「あの人、芸能事務所の御曹司なんでしょう? それでこの会社作ったとかで」

「次男だよ。あとあの人の家の会社とこの会社は無関係」


 私は即答する。この会社を作った明志礼二は、元々デカい芸能事務所の社長の弟という、しがらみに雁字搦めにされた極みの男で、自分は自分だという反骨精神のもと起業した。家の金には手を出したくないと昼間は商社営業、夜間はホスト、隙間時間はウェブデザイナーというハムスターもびっくりなステップアップ操業で起こしたのがこの会社だ。


 とはいえ、長男がカスなあまり、ぼちぼちそちらに助力しなければ家の会社が死にそうとのことで、助っ人に行く必要もあると話をしており、少しだけこの事務所を留守にする、と言っていた。


「よくご存じですね」


 藤寿喜江の声が冷えた。なんで感じ悪くされなきゃいけないのか。


「そういえばこの間、薬のデザインされてましたけどいかがでしたか、クライアント、中国語、出来ないんじゃなかったでしたっけ」

金桂花(チャンジャンファ)、日本語喋れるよ」


 ずっと取引をしていた中国企業と先日初めて対面で顔を合わせた。通訳を連れてくるかと思いきや代表本人がやってきて驚いた。見た目も、「インテリヤクザっぽい」というか、「あ、女性向けのえっちな話で出てくる眼鏡の人」という感じで、映画に出てきそうだったから。


 でも普通に日本に暮らしていて、結婚を考えている人間も日本人の薬剤師とのことだった。


「へえ楽しそう」

「まぁ、話合うからね」


 主にしていたのは薬物乱用の話だ。金桂花とは話が通じる。


「ラーメンとか作ったんですか」

「本場の人間に作るわけないじゃん。っていうか金桂花、趣味料理だよ。趣味料理の人間に料理なんか作れなくない」

「どうしてですか、趣味合うじゃないですか」


 面倒くさいなと思う。この茶番。最近ずっとこうだ。自分は思い出してないアピールなのか復讐の何らかに必要なのか分からない。無視して帯の仕上げに入る。「これだ」と思う瞬間に恵まれ、私は上書き保存をしたあと、万が一が無いようにクラウドにコピーファイルを作成し、さらに念のためとメールフォルダに下書きでファイルを添付し、ソフトを閉じた。


「終わりましたか」

「まぁ」

「俺も終わりました」

「お疲れ」


 時計を見ると4時だった。外は暗い。深夜営業のラーメン屋も閉まる時間だ。勘弁してほしい。コンビニでなにか食べるにも、今食べて次食べるのは朝食? となるし、深夜の空腹の峠を抜けると次に何らかのイベントがないと食べる気になれない。


「本当のところ、スマホなんて忘れてないんですよね」


 藤寿喜江が呟く。


 正気か疑った。やったことをやってないと言って良いのは小学生までだ。素面で堂々嘘を吐かれると、いら立ちよりも恐怖が踊りだしてくる。


「置いていったんです」

「……やり方についてどうこう言う権利私にないけどさ、お前そろそろキモいよ」


 私は藤寿喜江を睨む。


 復讐の為、私に近づいてきたことは分かる。でも、昔と異なり私を殺すタイミングなんていくらでもあるし、昔と違って私は別に日本刀を傍らに置いてない。愛刀は多分どこかの骨董屋で売られているし、多分簡単に買える値段か、一生働いても買えないかの二択だ。


「お前全部覚えてんだろ、いつかは知らんけど、とりあえず私と出会った瞬間から、っていうか最悪私のこと追いかけてきてない?」

「そう聞いてくるってことは、すべて思い出したんですね」


 藤寿喜江は「私がすべてお話した時と同じ目ですね」と続ける。

 

 おそらく、私たちの最期の話をしているのだろう。


「思い出したよ」

「俺に復讐しないんですか」

「するわけねえだろ。する道理がない」

「俺は貴女を殺したんですよ」

「誰か殺した以上、自分だけ無傷で殺されず生きていけるわけねーだろうが」

「なら貴女は殺されることを受け入れて生きていたということですか」

「受け入れるもなにもはなから選択肢にない。どうせ生きてたって幸せになれる人生じゃないからな」


 そう返せば藤寿喜江は不服そうな顔をした。昔と変わらない。


「エンタメで、あるじゃないですか」

「あ?」

「……復讐を断念する展開。虫唾が走るんですよ。善良な人間に、復讐なんてしても故人は喜ばないなんて言われて、泣き崩れるみたいな。家族を、友人を、恋人を殺されたのに止まれるはずないだろって」

「だろうな」

「でも、どうして、止まれなかったんだろうって……思うから、嫌いなのかもしれない」

 藤寿喜江が視線を落とす。


「初めて、だった。仇である貴女が目の前に、殺せる距離にいるのに、復讐以外の生き方もあるかもしれないって、楽になれたんです。でも、どうにも出来なかった。耐えられなかった。どうしようもなかった」


 私は、以前図書館で調べた歴史書の一説を思い返す。


 主君を切り伏せた後、自害。


 藤寿喜江のことだった。そして私に無関心だったはずの民は私の死に憤り、反乱も起きたらしい。


 歴史は日々塗り替わるので、本当のところは分からない。考えたくもない。


「貴女は何も覚えていなかった。俺と生きるために全部忘れてくれたんだって、嬉しかったです。貴女は心のどこかで俺と生きることを選んでくれたんじゃないかって思った。でも、全部思い出しちゃったんですね」

「何がしたいんだよお前は」

「俺の親を殺したことを償ってもらいたい」

「お前の親、今はいるだろ、みかん段ボール3箱送ってくるご両親がよ」

「そのご両親は貴女を望んでるんですよ。天涯孤独な身の上の貴女に同情して、お母さんとお父さんになってあげたいって」

「お父さんは顔も知らないカスだから空いてるけど、私のお母さんは一人しかいない。ずっと埋まってる」

「なら義母と父として」

「ややこしい。お前いったい何がしたいんだよ」


 藤寿喜江の目的。昔は分かりやすかった。私を殺したい。


 今は複雑すぎて想像するのも疲れる。それに昔は切り殺せば済むものが、色々、違うし。刀の代わりにパソコンを使って、土下座ではなく普通に頭を下げて、シンプルになったり複雑化したりと、ままならない。



「俺と生きることを選んでください。選べないなら、死んでもらいます」

「刀どころか包丁もないのにどうやって殺すんだよ」


 オフィスには包丁がない。危ないし無くなってたら怖いからだ。よってこの間、SNS映えしそうなケーキを割りばしで切るという最悪が起きた。

 

「首絞めます」


 それより最悪なことを藤寿喜江は言う。


「怖すぎるだろ」

「包丁で襲い掛かって奪われたら負けますが、素手同士なら力業でいけるので」

「無理だよ。というか今世では何もしてない。剣道もしてない。傘で戦うとかでも無理だよ」

「体育の選択授業、バトミントン選んだって」

「体育バトミントン過信しすぎだろ。なんなんだよお前は。意味わかんねえわ」


 本当に、心の底から理解できなかった。


 藤寿喜江が新しい大名として君臨できるようすべての手筈は整えたはずだ。私は悪さをしていて、藤寿喜江は正義をもってして私を打ち倒し、世は平らになるはずだった。民だって栄えたはずだ。私ではどうにもできないことがどうにかなったはずだから。


 なのに藤寿喜江は自害したし、民は民で内乱が起きた。


「俺を、選んでください」

「私は何かを選ぶ側の人間じゃない」

「じゃあもう、全部諦めて一緒に歩いてください。膝、固いですけど貸しますから」


 藤寿喜江は言う。私はしばし考えて、「分かった」と告げた。


 藤寿喜江の背後、真っ暗だった窓の外がわずかに明るくなってきた。


 夜が明けるのだろう。


「雑誌デザインの締め切り終わった」

「完全に終わってます」

「分かった後で確認しておく」


 私はパソコンをシャットダウンする。藤寿喜江は「明志さんにしてもらうんで」と断ってきた。


「あ? 何故?」

「男の裸特集ですよ。貴女にそんなもの見せたくないです」


 藤寿喜江は当然のように言う。仕事を舐めてるのかこの男は。


「バカか」


 私は呆れる。現代も藤寿喜江もややこしくてバカらしい。


 でも、何となくだけど、前の世よりは歩きやすいように感じた。


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