包囲網
極道、ヤクザ、暴力団。
反社会的組織には色々呼び方がある。
違いはない。普通に全員反社。地獄行き。犯罪者集団だ。
どんな志があろうと、どんなに人の為に尽くそうと、すべて悪い。悪いやつらが誰が一番強いかを競い合い堅気が割を食う…所謂一般人が抗争に巻き込まれるからだ。
でも、今代はなにかがおかしいと言われている。
最も古い歴史を持ち、最も多い構成員を抱える国内最大勢力蛇財会。
二番手ながら他の追随を絶対に許さない蜂辻会。どちらも権力に興味がないのだ。となると抗争に発展しづらく平和なのではと思われがちだが、こういった時こそ縄張り争いが活発化する。
三番手がトップを狙い、一番手と二番手に潰し合いをさせ、自分がのし上がろうと画策したりとか。
そして私──蜘蛛田燐世率いる蜘蛛田会が、その三番手に位置している。
で、私も私で勢力拡大に興味がない。
なのに一番手と二番手と距離があることで井の中の蛙どもが、「三番手を倒せば平和ボケしてる一番手も二番手もすぐ倒せるだろう」と、果敢にこちらに抗争を仕掛けてくる。
事務所に車が突っ込んでくるわ、銃持ってやってくるわ、爆弾送られてくるわと酷いものだ。
なにより状況を悪化させているのは、私の性別が24歳の女ということも大きい。
「女が頭やってるようなとこ簡単に落ちるだろ」「あんな若いのどうとでもなる」というのが極道の中の一般論だ。
実際その通りだと思う。
私を手籠めにすれば、私と私の率いる会派が一気に手に入るし、極道の世界は高齢化が顕著だ。
代表になるなんて早くても30歳越えてから。都道府県知事の資格年齢と変わらない。
心理戦みたいに舎弟でも部下でも下っ端でも、スパイみたいなのが平気で潜り込もうとしてくるし。
うんざりした私は熟考の果て、弱く、女に相手にされない男──童貞を拾い、身代わりや捨て駒にすることにした。
だって強さは私で足りてるし、いわば相手が面倒なのだ。強い男を近くに置き、野心で下剋上をされたら潰すだけだけど、いちいち相手にしていられない。
それに野心がなくともハニートラップを仕掛けられ陥落する。面倒なのだ。
でも童貞は女に相手にされないから童貞なのだ。
男が好きな男、何にも好きじゃない男ならまだしも、女に興味があるのに童貞の男は独特の警戒心を持っている。
目が合った、ちょっと優しくされただけで自分のことを好きだと勘違いして自意識を暴走させようとも、ハニートラップなんて大業なことを仕掛けられようものなら逆に疑うのだ。
非力だし、下剋上なんてできないから丁度いい──はずだった。
「ねえ、お風呂の設定温度43度にしたの誰? 殺す気? ふざけてんの?」
安全性を考慮し借りている賃貸タワーマンション。
私は火照った体をそのままにお風呂から出ると、リビングで待機している八人の童貞を睨みつけた。
八人とも私を見るなりバッと顔を赤くして、不格好な動きで立ち上がるとバスタオルを持ってきた。
「ふ、服着てください! お、お風呂場の前に置いた着替えはど、どどどどうしたんですか⁉」
「熱くて着れないって言ってんじゃん」
「お、お、女の人は身体を冷やしたらだ、駄目なんですよ」
「女の身体なんて知らないだろ」
全員、誰とも付き合ったことがない生粋の童貞のくせに、ネットで調べてくるのか、「女の人は~」なんて言ってくる。ちゃんちゃらおかしい。
「だ、誰かに見られたらどうするんですか⁉ ってって、ていうか、お、お、俺たちがいますし……」
「男になってから言えばーか」
私は裸のまま冷蔵庫に向かい、適当に缶ビールを見繕う。
海外もののラベルに紛れ、成人したての大学生が飲むようなサワーやチューハイの缶のほか、アニメ絵柄のエナジードリンクも並んでいる。
これ絶対あれだ。集めるとなにか貰える感じの。
ヲタク文化は知らないけど、共生により変な知識ばっかり増えてしまった。
「なんか飲むよってやついる?」
「あっ、お、俺たちが出します!」
「出すっつったって銘柄わかんないじゃん」
童貞たちは全員酒が飲めない。ワインも無理だ。アルコールに弱いのかと思いきや味が駄目という徹底的なキモい感覚で、ジュースみたいな酒しか飲まない。
じゃあもう酒じゃなくジュースでいいだろと思えど、「せっかくの飲みなので」と、言い慣れてない感じの「飲み」というワードを出し、酒を持ってきてキモい。
私が海外製のビールを飲んでるのをチラ見してきて、一口飲むか問えば顔を真っ赤にしてぶんぶん首を横にする。徹頭徹尾キモい。
「っていうかこのおこちゃま乾杯用ドリンク買ってきたの誰? なに? 今ノンアルでも無限にあるじゃん、おしゃれなやつ。なんでよりによってこんなん……」
私は冷蔵庫にあるいかにも子供向け飲み物を一瞥したあと、サワーやチューハイの缶を取り童貞たちに渡そうとするが、「その前にバスタオルを……!」「髪を乾かさないと」と受け取ろうとしない。
「暑いうちはなんも着たくないわけ。バスタオルもかけたくない」
「か、風邪ひきますし!」
「うるっさいなー。おっぱい揉む? そしたら黙る?」
そこまで言えば、ぎゃーぎゃー言っていた童貞たちは黙った。
この手段があったか。
もっと早く言っておけば良かった。私は缶を開け、ビールを煽る。
「ご自身のお身体を大切にし、してください」
一人が蚊が飛ぶみたいにか細い感じで反抗してくる。
「私の身体なんだから私の好きにさせろ、あんたたちに指図される覚えないから」
「で、でもり、凛世さんになにかあったら俺たち……も、もしかして、そういうことして何か仕事進めてたりしてるんじゃないですよね、ま、枕営業的な」
「するわけないじゃん! あたしは身持ち悪い女がいっちゃん嫌いなの」
私の身体は、胸とか腕に花が咲いてたりもしない。蝶も飛んでない。墨をつけた針を身体に刺すことから、刺青を「墨を入れる」というけど、私の身体に墨は入ってない。なぜならダサいから。
刺青は消せず、痛みを伴うことから「極道への覚悟」と称し昔は当たり前だった。
でも今、完全ではないまでもお金をかければ手術で消せるし、普通に包丁で刺されるほうが痛い。
体にお絵描きしないと覚悟が決まらないのならこんな道歩かないほうがいい、というのが私の持論だ。生き方や覚悟は、刺青で──わざわざ作って示すものではない。
戦っていれば自然と傷となり身につくものだ。
それに刺青がなければ、ホテルやスパにも気兼ねなく行ける。
童貞たちにも覚悟は墨じゃなく生き方で示せと言っているから、全員ホテルや旅館、スパに行ける。
でも童貞だから縁がない。
「っていうかあたしが誰にでも揉ませるような尻軽とでも思ってるわけ?」
全員睨みつけると「いや……」と瞬きしながら視線を逸らす。
「この間の若頭の時もなんか疑ってきたよな、結婚するんじゃないかって」
私は足を組み童貞たちを睨む。前に別の組の若頭が和平のための結婚をもちかけてきたことがあった。
私は結婚なんてしたくない。そもそも「幸せ」とか「夫婦」みたいなものに自分が参加できる気がしない。そういう資格もない。にもかかわらず童貞たちは私が結婚すると思い込んでいて、若頭に断りを入れる前日、八人そろって「結婚されるんですか」と聞いてきて、無性に苛々した。
で、今日みたいにお酒を飲もうとし──本当に物に当たる気はなかったのに、そばにあった紙袋を蹴り飛ばし、童貞共のおもちゃの武器を床にまき散らす事件が起きた。
童貞たちは強くなろうとしたのか、全員たいして鍛えてない、腕力もないくせに鉄の鎖だのなんだのを買い集めていた。蹴った瞬間響いた、馬鹿みたいなジャラジャラ音は忘れられない。
「そんな鎖使ってぶんぶん振り回して戦えるとでも思ってるのか」と怒鳴り散らしたくなった。怒鳴ってないけど。パワハラになるから。
一応、「鎖振り回して強いのはアニメの中だけ」と注意したものの「そういうために使うんじゃない」とか言い訳してきてキモかったし、他人の意識を失わせる……ドラマで出てくるような薬品の強力なタイプまで出てきて、「腕力で戦おうとしてるのか姑息にやろうとしてるのかどっちなんだよ」と、正直呆れた。
だから、断りの席で若頭を半殺しにしたのは無理もないと思う。
極道の世界は強弱がすべてだ。腕力で強いのが一番。その次に人脈とか、どれくらい兵隊を持ってるか。資金力はそのあと。強ければ人も金も集まる。
そうした世界で弱さゆえ馬鹿にされるのが確定してる童貞たちを連れてきた私も悪いけど、童貞が弱いと同時に、若頭は私より弱い。
なのに味方ぶって近づいてきたから、分からせた。
「っていうかそろそろ慣れたら? 女の身体」
「む、無理ですよ……」
「なんで」
「だ、だってそれはり、凛世さんですから……美人さんで……」
童貞たちがちょっとにやついた。
「キモい」
「ご、ごめんなさい」
「情けない声で謝るな。余計キモいから」
おろおろする童貞たちを睨んだあと、私はため息をつきながらビールを煽り、机にビール缶を置く。童貞たちはびくついた。
「ぼちぼちさ、女慣れしときなって。二次元の女はあんたたちの面倒見れないし、生身の女も……微妙じゃん。あんたたちがいけそうって思う女は、なんか、清楚風に気取った養殖ものだし、アイドルとか声優とかはあんたたち選んで同業選ばない理由ないし、私だっていつまで保護者気取りできるか分かんないんだから」
私は嘘をつく。
実のところ、分かるのだ。
面倒が見られる期限。
決まっているから。
◇
私は、もともとは普通──堅気の世界の人間だった。
所謂一般市民だった私が、この世界に足を踏み入れたのは復讐がきっかけである。
私の母親は、私を一人で産んだ。
誰からも資金援助を受けることなくパートをいくつも掛け持ちしながら私を育てた。
母親をしながら女でもあろうとすることは一度もなかったから、ネットで見るような母親の彼氏、義父という存在とは無縁で苦痛を感じたことはなく、よくはないまでもそこまで酷い環境じゃなかった。
でも母親は絶望的に頭が悪かった。
私の高校の学費や、大学入学を見越しお金を稼ぐべく、合法の仕事だって無限にあるネットの求人から「出稼ぎ」「高収入」の文字に惹かれ、海外に向かった。
仕事内容は海外要人の接待。
非合法に決まってるだろうに。私の母親はバカみたいな話に釣られたのだ。
結局、薬漬けにされ身体を売らされ現地で死んだ。
私が中学の頃の話だ。
しかし当時の私は、そんなことは知らなかった。「仕事で半月くらい出張するから」と言って出て行った母親が帰ってこなくなった──それがすべてだったのだ。
私の母親は、他人が評価するならば情弱バカ女に該当する。
でも私にとっては、授業参観で私が手を上げれば喜び、お金もないだろうにファミレスに行けば好きなものを食べさせてくれて、私に「なんにでもなれるよ」「なんでも応援するよ」と笑い、私がいじめられれば学校に乗り込み、機嫌が悪いところを誰かに見せることは絶対にしないお母さんだった。
施設に引き取られ中学を卒業した私は、高校に入らず仕事をしながら母親について調べた。求人によりバカを釣って海外に売り飛ばしていたのが、黒い世界の人間と分かった。
分かって何をするかといえば復讐だ。
幸いといえば不謹慎だが、復讐相手は定期的に未成年の買春に手を出していた。
ネットで私は自分を売りそいつに買わせた。簡単に釣れた。
相手にとって、私は人を殺したこともない素人。
洗いざらい調べたところで私は一般人。
極道の人間じゃないから警戒されることもなく、なにもかも簡単に終わった。
このまま逮捕され、他人の稼いだ税金で生きていくのも筋が違う。
復讐も終わったことだし母親もいないしで、生きている理由もなかった。潔く死のうとしたら警察がやってきてしまい救命措置が施され──生きて裁かれることになってしまった。
弁護なんかしなくていい。
死刑でいい。
法治国家においてそういう私のスタンスは受け入れられず、国で選んだ弁護士がついた。
「情状酌量の余地がある」
「一人しかいない身内を殺されたのだからやむを得ない」
「彼女に必要なのは罰ではなく周囲の支え」
世論と弁護士により私には執行猶予がついた。
人を殺したにも関わらず明るい未来を期待され、世に放たれてしまったのだ。
生きていても仕方ない。もうなにをしても手遅れなのに。失ったものは取り戻せない。
私を待ち受けていたのは、私に先を越された極道の男たちだった。私が殺した奴が目障りだった組織がある。そこに招かれたのだ。
母親が死んだとわかった日、私も死んだ。復讐した。
でも結局、こうして生きてしまっている。
ならば手遅れ側の人間として、私の母親みたいな被害者が生まれないようにする。
そうして行動していたら、国内第三派閥のトップになっていた。
三番手というのは何かと狙われやすく、何より一番手と二番手がデカすぎること、私が元々こっち側の世界の住人じゃなく、ある種ヒーロー扱いで祭り上げられたことで、周りの奴らに「いけるだろ」と思われた。
その「いけるだろ」と調子に乗ったやつを潰して成り上がってきたわけだけど、色々面倒なことはあって。
どうしたものかと考えていたある日のこと、公開パワハラの現場に出くわした。
場所はファミレス。
店長らしき男が客に聞こえる音量で、バイトっぽいいかにも冴えない男に激怒していて、さんざん罵った後、バイトに背を向けた。
バイトはしばらく俯いた後、包丁を握りしめたので間に割って入り、捕まえた。正義感があれば警察に突き出してるだろうけど、私は警察からの感謝状なんて欲しくはない。
人を殺す気力があるのならついてこいとスカウトした。
それが童貞多頭飼いのきっかけだ。
それからというもの自殺しようとしてたり女をストーカーしようとしてたり、ネットで変なやつを見つけてはスカウトしていた。
気付けば童貞は八人に増え、せっせと組員として働──かせようとしたところ、あまり役に立たなかったので、身の回りの世話をさせている。
しかしその童貞を今回、脅しの材料に使われた。
一行で説明すると、人を一人殺してこなければ、童貞たちが危険な目に遭うのだ。
さらに巧妙なことに、殺してこいと言われた相手は、馬鹿な女を海外に売り飛ばして稼いでいるクズで、殺したくなる相手だった。
なのに若干気乗りしないのは、今まさにもたもたわたわたしている童貞が、「私がいないと生きていけないんじゃないか」なんて思う所にある。そんなわけないのに。
「なんかさー手身近な女と付き合ってみたら? 見合いするなり」
「いやいやいやいや俺たちには凛世さんがいます」
「なんであたしが女としてもあんたたちの面倒見なきゃいけないわけ?」
「そ、そんな烏滸がましいことは言ってないですよ。こ、今度は俺たちが凛世さんのお世話を……」
「学生時代にまともな青春送ってないやつに他人の世話する甲斐性なんかあるわけないだろ」
私は最後のお節介として、調子に乗った童貞たちを切り裂く。
ある程度の傷には耐えられるように。
へこたれないように。
「で、でも、そこをなんとか」
「無理でーす」
私はビールを呷る。
まともな青春送ってないやつ。
特大ブーメランだ。もちろん相手は私。
私も送ってないから。まともな青春。
お母さんを殺した奴らに復讐することだけを考えていた。
今周りでわたわたしている童貞たちは、いじめられたりとか、机で伏せてたりとか、教室のすみで愛想笑いしてたり、漫画とか読んだり、なにかをしているふりをしていたり、そもそも学校に行ってなかったりしたのだろう。
そっちのほうがまともだ。世間様からすれば犯罪者予備軍だろうけど。
表面上問題ないように取り繕いながら、ずーっと誰かを殺すことだけ考えてた私より、ちゃんとしてる。
まだ間に合う。
最初こそ、こいつらだって社会に属してないし、無差別に誰か殺したり、女を追いかけまわして捕まるなら、私に道連れにされたほうが被害者も少なく済んでマシだろうと考えていた。
でもこいつらは手遅れじゃない。
私と違って手遅れじゃない。
もう私にできることなんて殆どないと思っていた。母親が死んで私の人生は終わったし、復讐を完遂するまでの間は余生にすぎない。
復讐を終えた時点で、私にはもうなにもなくなった。私に出来ることも、生きている理由も全部消えた。なのに心臓だけがしっかり動いている。
そんな私の「あまりの時間」に、出来ることを作ってくれたのが周りの──男たちだ。ここ最近ずっと童貞社会復帰に努めていた。一応、それぞれに適した再就職先を用意した。
幸せになってもらいたいから。
毎日ある程度嫌なことはあるだろうけど、楽しく過ごせるような、新しい場所に向かっていってほしい。
「でも、俺たち凛世さんを支えたいです」
「男になってから言え。ばーか」
悪態をつきながら、馬鹿は自分だなとつくづく思う。
童貞が夏祭りのチラシを見て逆張りするさまをあざ笑うべく、一緒に夏祭りに行ったとき。
ハロウィン間近にグラドルがコスプレしてるさまを見てそわそわしてるのをからかうべく、パーティーを企画したとき。
クリスマスに「カップルがどうの」「SNSの更新がない」とかキモいことしか言わないので、やむなくケーキを作ったとき。
全部楽しかった。
何言ってるか分かんないくらいの早口で喋ったり、もぞもぞしてるのを眺めていると、自分が手遅れであることを、少しだけ忘れ、馬鹿みたいな「もしも」が頭をよぎる。
もしも。
お母さんが、私のことをちょっとだけ考えなくて、好きな大学に行かせたいなんて思わなくて、海外に行こうとなんてしなかったら。
いや、私のお母さんを騙すクズがいなかったら。
普通にお母さんと一緒にいられて、普通にここの奴らと出会えてたら。
いやまともな状態でこんな童貞なんて相手にしないけど。
でもちょっと思う。
色々違ってたらなって。
何にも期待せずに生きるのが当たり前だった。誰かに理解されたいなんて思わなかった。だって私の世界では永遠に手に入らないことだから。自分自身が捨てたことだから。
幸せになれるのならそんなにいいことはないけど、幸せになれないしなる資格もない。
なのに、馬鹿みたいな期待がよぎるのだ。
だからちょうどいい。情緒をかき乱されるのは疲れる。いつも通りにこれで戻れる。
◇
殺す対象が現れる時間まで、退屈だった。
私を脅してきた奴は、緻密に計画を立てているのだろう。殺す時間まで指定してきた。おそらくその時間以外、殺す対象に隙は生まれない。
そこまで計算できるなら自分で殺せばいいのに、という話だけど完全犯罪は無理なのだ。
確実に殺すことと、確実に犯行を隠すことはイコールにならない。
捕まるつもりで殺さないと人は死なない。
殺すつもりがなかったなんて嘘だ。殺したことあるから分かる。
ようするに私を脅した人間は、今から私が殺す相手だけじゃなく、私も邪魔なのだ。私に殺させ、ついでに私を逮捕させる。一石二鳥だ。
見え透いたシナリオだけど、それに乗る。
私は適当にスマホをいじり、カメラフォルダを整理する。童貞の写真ばっかりだ。ほかは、母親がガラケーで撮った私の写真。なんでこうなっているかといえば、私のスマホは母親のメモリーカードをリサイクルしているからだ。
ああ、今はSDGSだっけ。もうどうでもいいか、なんて一人で納得しながらスマホを見る。
母親は写真が好きだった。
海外に行くときにガラケーは盗まれるからおいていけなんて言われ、それを信じて置いていったのだ。
ちゃんと、帰ってくるつもりで。
目頭がぎゅっとして、私は画面をスクロールする。童貞が出てきた。
私の持つメモリーカードは、傍目に見れば「女子中学生に思い入れがある童貞」のものに見える。
「キモ……」
思わず呟く。
最後に笑えてよかった。
もう時間かと、息を吐く。
でも、来ない。おかしいと時間を確認するけど指定された時間はゆっくりゆっくり過ぎていく。
交通渋滞か、電車の遅延かなにかに巻き込まれたか、事故か。
なんなんだろうと思いスマホをいじっていると、ニュースサイトに見覚えのある名前があった。
──児童買春および斡旋の容疑で逮捕。
「おあ、え?」
今まさに殺しに行かなければならない男が捕まった知らせだ。
時間は今から約一時間前。
丁度こっちの方に向かうために出発した辺りで警察に捕まったことになる。
「なんで」
「通報しました」
「……は?」
真横で囁かれ戦慄した。
完全にストーカーの距離感だった。隣を見れば顔なじみの八人がそこにいた。
それも、中学から時が止まってるセンスでお送りされる地獄のファッションショー状態で。
「証拠ないと警察動かないじゃん、なのに、なんで?」
色々言いたいことはあれど、目下そこだった。
証拠がないと警察が動かない。反社繋がりで私の出せる証拠は違法性があるため、機能しない。
というか反社側に回ったことで、馬鹿を道連れにする選択肢の威力は増したけど、正攻法で誰かに助けを求める選択肢は消えた。
その結果、脅されたら刺す手段に至り今こうして準備をしてきたわけで……。
「僕ら一応……普通の人扱いみたいで……、でも、調べて……」
童貞たちは常識を語るような調子だ。普通じゃないだろと言い返したくなる。
正気なら極道の女についてこない。
あと童貞だし。
「調べて何が出るの。っていうかなんであんたたちがあたしの依頼知ってんの」
「凛世さんのことは何でも知ってます」
「何で知ったって聞いてんだよ。あたしのスマホ触ったってこと」
「いや……メールアカウントとパスワードで、メール見ました」
「教えてねーだろ」
「普段から見えてたので……あの、二段階認証つけたほうがいいですよ。アカウントとパスワードさえわかっていたら、誰でもログインできちゃうし……ほら、クラウドと紐づけしてたら、わ、分かっちゃう」
「キモすぎる……」
ほぼストーカー。いい加減にしてくれ。
「名前はそれで割って、どうやって証拠集めした?」
「あの、殺す奴……? のこと調べて、SNSとかで」
もごもごしてるので小突くと半分にやけながら手口を早口でしゃべりだした。
「調べても出ないだろ」
「あの……本人は出ないんですけど、燐世さんのクラウドデータにあった相手の情報から、相手がよく行く場所調べて、あの、女の人たちが同行していたので、女の人たちのSNSから……おしゃれな料理のお店って、店長が単独でアカウント持ってたりするじゃないですか。プライベートっぽいやつ。そこで、駆け出しの料理人のふりして、フォロー許可貰って、鍵垢の投稿全部見て……」
完全にストーカーの手口だった。
キモいとかじゃない。犯罪者だった。反社の私が言うのもあれだけど。
「キモの重ね掛けじゃん……」
「でも間に合ってよかったです。凛世さんが手を汚さずに済んで」
「もう汚れてんだよ十分。お前らと違ってな」
私は童貞たちを睨む。変な空気が流れた。
「あっ、じゃ、じゃあ刑務所とか行かなくて良かった。一緒にいられる。女の子はじょ、女子刑務所に入るから」
「女の子って言い方最大級にキモい。女性と言え。せめて女の人にしろ」
「でも、女の子扱いされるの嬉しいってテレビで」
「テレビの女はテレビの女だろうが。それもどうせイケメンとかでギャーつく言われる俳優相手だよ。絶対あんたたちじゃない」
「凛世さんは……やっぱりそういう男のほうがいいんですか」
「若頭のこと言ってんの? 興味ないって言ってんじゃん。ああいうのと結婚するならお前らの卒業ツアーして一妻八夫で私の介護させるほうがマシ」
「それはぜひ……」
「ぜひってなんだよキモ。卒業ツアーならいいけどぜひが介護のことだったら殺すからな」
私はどうしたものかと首をかしげながらスマホを見る。メールが入っていた。
ひとまず依頼は取りやめ、なおかつ脅してきた奴は、海外逃亡の手配の手伝いを希望してきた。
「もしかして私を脅してきたこいつにも手出した?」
問いかけると「違います。金桂花さんが」と一人が呟いた。
金桂花は海外マフィアだ。国内占拠を企みつつ薬物撲滅運動を並行している。
掴みどころがないし、インテリヤクザだし「この国で影響力のある存在になりたいけど、薬物掃討できる程度でいいです。でもお金にも興味あります」みたいなグレーさがある。話をしていれば丁寧な暮らしワードがめちゃくちゃ飛び出てきて「なんだこいつ」が常に頭に浮かぶ。
「なんで金桂花知って……あぁなに、私のこと脅してたやつってなんか、あれか、麻薬やってる……?」
「いえ、薬物乱用? 未成年にオーバードーズさせたりとか、治療薬の濫用とかを」
「あー、なるほど。それだ。だから手出してきたんだ」
金桂花は人助けをしない。麻薬撲滅にしか興味がない。最近恋人と同棲しようやく人の心を得たと周囲は安堵していたが、一層、仕事に対しても何に対しても厳しくなったらしい。
部下と話をしたけど、金桂花の恋人を見ても見られてもアウトの状態で護衛しろと無茶を言われ死んだ目をしていた。
ようするに今日、私が殺そうとしていた相手は児童買春どころか麻薬も扱い、業界で怖いやつの怒りを買った。
で、たぶん私を脅してきた奴にも、怖いやつに対して後ろ暗いところがある。
つまり助かったらしい。
「凛世さん、これ……」
「囲むな、なに? やめろ通報されるから」
先日、童貞たちとコンビニ前でからあげを食べていたところ、「私」が童貞たちに囲まれ困っているのではと通報があった。
怖いやつが八人の弱いのを従えているというのに、世間様的には「女の人が八人のヲタクに付き纏われている」に見えるらしい。
本当は5個入りのからあげを2セット買い、童貞たちは1個ずつ、私だけ2個という圧倒的弱肉強食分配をしていたというのに。
「丁度節目にと思い、若頭の一件があったので……良ければ、若頭除けに」
そう言って八人が人差し指で少しずつ変な持ち上げ方をして私に差し出してきたのは小箱だった。
「なにこれ」
「開けてください」
「こういうもの本来代表に開けさせないからな」
私は受け取り、開いた。指輪だ。
「GPS入ってたりしない?」
「本当に普通の結婚指輪です。大丈夫です」
童貞たちは「俺たちもつけてるので!」とドヤ顔だ。私は馬鹿避けだけど、童貞たちの場合「見栄を張りクソ指輪」にならないだろうか。というか結婚の機会を逃しかねない。
「女と会うときは外しな」
童貞たちの中に男好きと誰も好きじゃないやつはいない。全員、結婚願望はあるらしい。だから見栄指輪は枷になりかねない。
「一生外しません」
童貞たちは声をそろえる。一生、こうして呆れたやり取りをしながら生きていけたら、いいなと思う。どうせできないだろうけど。
私は「キモ」と返しつつ、みんなで帰った。
もう二度と、縁がないと思っていたいつも通りに。
「一生、ですよ。俺たちには、燐世さんだけです」
歩いていると、童貞たちがまた声を揃えた。
振り返ると、皆立ち止まっている。逆光になっていて表情は窺えない。感情も良くわからなかった。
まぁどうせ、にやついているんだろうなと思う。童貞の団結なんてろくなことじゃない。
「キモ」
私は繰り返し、気に留めることもせず歩んでいった。




