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となりの中華マフィア

あらゆる現実と無関係です。







 目を覚ますと、眼前に反社の男の顔があった。


「もう少しで目が覚めそう、と思って見ていました」


 男は私がただ起きただけで、大輪の蓮が花開くような笑みを浮かべる。視線を逸らせば頬に手を添えられ、額へ口づけられた。王子様みたいな所作だなと思う。反社だけど。


 普段はサイドは頬そばで大胆に切られた姫カット、後ろは腰までの黒髪ロングヘア。創作の人物みたいだけど、仕事中は後ろに結び、巧妙に無造作ヘアの範疇に納まっている。


 涼やかなオリーブブラウンの瞳は、日本では見慣れない。


 さらに銀色がかっているから、海外でも見ない。


 露になっている上半身は、細身ながら美術館のメイン展示の石膏彫刻を彷彿とさせる。


 そんな彼が、今度は私の唇に自分の唇を重ねた。


 やっぱり、まだ夢を見ているみたいだ。


「宝贝好。今日も貴女の一日がよいものになりますように」


 キングサイズのベッドの上、恋人でもない私に対し恋愛映画の如く甘い響きで囁くのは、鐘木(かねぎ)犀、自分の国での名前は(チャン)桂花(ジャンファ)──裏社会の住人。


 そして私は、この男にペットとして飼われている。


◆◆◆


 マフィアのペット。とんでもない肩書だと思う。


 考えられる人生転落経緯として、ファンタジー世界ならオークションで売られた、現実的に考えるなら水商売をしていたとかそういうものだろう。


 でも私は半年前まで、ある小規模医院で働く普通の薬剤師だった。水商売には縁がないし、むしろ嫌い。


 にもかかわらずここまで私の人生が転落したのは、国で認可されてない薬を流行りの漢方薬と偽ったり、治療薬を減量薬なんて都合のいい名前で呼び、痩せたい人の味方面で大儲けするカスみたいなダイエットブームと元彼のせいである。


 元彼──私には付き合ってる男の人がいた。


 勤めている医院の院長で、結婚を前提としての交際だった。


 医者薬剤師あるあるとして臨床研修終了時の27歳くらいの時に結婚ラッシュが起きる。


 ラッシュに備え学生時代から相手を探し始める人間が多く、カードゲームのルールみたいに、医者は医者か薬剤師、薬剤師は薬剤師か医者か看護師、看護師は看護師か検査技師……といったパワーバランス縁結びが生まれる。


 同時にラッシュを見越し、見合いが組まれることも多い。


 私と元彼は見合いによる交際で三十歳になったら籍を入れようと、薄ぼんやりとした将来設計が決まっていた。


 でも、ある日、新しく医療事務の女の子が入った。


 キラキラしていて仕事ができる子だ。


 老若男女みんなが好きだと思うような子。


 その子が嫌いと言った人は、嫉妬とか妬みだろうと言われるような感じの子。


 私の元彼はその子に惚れた。


 浮気──だったらまだしも、元彼は当時、私と付き合っていることをその子に隠し交際を申し込んだ。ようは二股をかけた。


 二股が発覚したきっかけは、彼女が院長と付き合うことになって、何かプレゼントしたいと皆に相談をもちかけたのがきっかけだった。当然「皆」は私も含まれる。


 地獄である。


 地獄の最中、医院の皆に愛されていた彼女は、医院のためにと始めたSNSのアカウントで減量薬と謳い、病気の治療薬や国内で無認可の漢方を薦め始めた。


 医院の役に立ちたい、痩せて可愛くなりたい女の子のためにと。でも私は看過できなかった。


 病気の治療薬や無認可の漢方を飲むことが駄目なのは、ずるいことだからじゃなく、身体を悪くしてしまうから駄目なこと。


 私は彼女に薬の危険性を伝えた。でも、「自己責任じゃないですか?」「私はあくまで薦めているだけ」「飲むのは患者さんの自由」と、話が通じなかった。


 私は周囲に報告したけど、周りは「今わりとやってるところ多いし」と動こうとしない。


「薬が危険だと思うなら薬剤師の貴女がフォローすべき」

「なんで助けてあげないの?」

「院長のことがあるから?」


 ずっと、ずっとずっとずっと、嫉妬前提で話が進められた。誰にもなんにも届かなかった。


 私は、私が良いと言ってくれた患者さんに代わりとなる別の薬局を薦め、SNSを見て痩せたいという理由で処方箋を持ってくる人には拒否をした。危険なことはできない。


 なにより、そうした薬に手を出す人の中には、依存性はない薬だとしても痩せるために飲み始め、今度はその薬に依存する可能性もあるのだ。


 でもそれすら、私と彼氏──院長との交際が駄目になり、上手くいかなくなったから反抗し、医院の経営を妨害していると解釈された。


 私は患者さんの身を危険に晒したくないだけだ。しかしその思いは通じなかった。


 辞表を出した後、元院長……元彼の父親から話があると呼び出された。


 正直、期待してしまったのだ。


 元院長は、利益至上主義の処方を問題視しているのではないかと。


 呼び出されたのは、観光客で賑わう中華街。その時点で嫌な予感がした。


 栗の押し売りが多発した結果、行政により一斉粛清が行われ、食べ歩きに適した肉まんやあんまんのほか、カップに入った小籠包を片手に人々が行き交うメインストリートに面した高級店。


 込み入った話をするために選ぶのではなく、接待で選ぶ場所。


「まだ若いんだから」

「ちょっと我慢して」

「彼女を羨む気持ちも分かるけど」


 私がごねている。


 私がこだわっている。


 少し耐えればいいだけのことがどうしてできないの?


 言葉の節々、視線、声音、全部から伝わってくる。


 実家の親もそうだった。


「あんたが折れればいいんじゃないの?」

「気にしなければいい」

「小さいころから繊細なんだから」

「向こうのご両親はあんたがいいって言ってるんだから大丈夫でしょ」

「なにがそんなに気に入らないの?」


 気に入らない。


 気に入る気に入らないで話をしているつもりはないし、一応,、真面目に働いてきたつもりだった。「10分で薬出せ」と言ってきた患者さんにそれはできないとお伝えして、土下座させられたとき、「全部やめてハワイに行きたい」とかは思ったけど、思っただけ。


 毎日、精一杯頑張ってた。


 それがどこまでも「つもり」でしかなく、むしろ私の頑張りが死ぬほど不要で邪魔で、でもそんな風に言えばまた私はごねていると扱われるだけで、誰にも何も届かない。


 もう駄目だ。どうでもいいや。


 私はそのとき、なにもかも捨てることにした。


「もうどうでもいい、全部、無理だ……今日でやめます……」


 そう告げると、元院長は「どうして分からない」と怒りだした。


「お前のことを認めてやっていたのに」

「少しはこっちを理解したらどうだ」

「この業界ではもう生きられないからな」


 殴りかかってきそうな勢いでまくしたてる元院長。


 殴られていいや。どうでもいいや。


 ぼんやり元院長を眺めていると──反社こと、金桂花が現れたのだ。


「食事の場です。ほかのお客様のご迷惑になりますよ」と。


 当時の彼は、異質だった。


 正円のフレームに緑がかったグラデーションレンズが嵌め込まれた眼鏡が似合うところも。


 袍と呼ばれるらしい服の上から、唐服と呼ばれる前を綴じて着るようなものを肩掛けにしているところも。


 洋画に出てくるボディーガード、海外のバスケットボール選手みたいな人たちを背にして、薄ら笑いを浮かべているところも。


 元院長の肩を宥めるように叩いた後、テーブルにあった料理を隅に寄せスペースを作った後に──そこへ元院長の頭を叩きつけ、潰すように押し込んだことも。


「全部無理なら、私に飼われてみませんか?」


 凶行に及びながら、満面の笑みで提案してきたことも。


 そして、そんな彼の提案を受け入れた私も、同じように異質だった。


◇◇◇



 金桂花に飼われてから、私の世界の中心は海沿いに聳え立つタワーマンションの最上階の一室になった。


 マンションでは芸能人やら政治家やら企業重役など、富裕層且つ子育てをしている30代~50代の家族世帯のほか、仕事を引退し趣味をしながらゆっくりと暮らすシニア世代が多い。


 若年層となるとそれこそ赤子や家族世帯の子供だ。大学生から20代はほとんど見ない。


 一階から二階にかけてはコンビニエンスストアや小規模スーパーのほか、すべて英会話で行われる幼稚園とジムがある。ちなみに幼稚園の先生は外国人9割日本人1割に対し園児はほぼ日本人。


 若手俳優の日野珱介が暮らしている、という噂さえなければ完全に家族層へターゲットを絞っているマンション。


 金桂花の存在はやはり異質と感じるが、本人も自覚があるのかビジネスシーンではスーツを、プライベートではタートルネックに黒のスラックスと、人畜無害を装ってエレベーターに乗り、住民の輪に溶け込んでいる。


 そして今日は仕事なのか、ベッドから離れるとスーツを纏い、早々にワイヤレスイヤホンを使って電話をしていた。


「把医院弄碎。男人杀。女人也是。如果宴结束的话、不需要」


 窓から差し込む朝日を浴びながら、慣れた手つきで香水を手首にかける姿をぼんやりと眺めていると、電話が終わったらしくこちらに向かってくる。


「すみません。ばたばたしてしまって。今日の社員向け仕出し弁当の発注が上手くできていなくて……」


 金桂花はくすくす笑っている。反社の構成員向け弁当がなくなってしまったということだろうか。お弁当屋さんの命は大丈夫なのか不安を覚える。


「どうしてそんな顔をしているのですか?」

「お弁当屋さんが、大変だなと思って……」

「大丈夫です。お弁当屋さんには非がありませんから、罰することはありませんよ」


 ああ……なら、構成員の人が駄目だったのか。


「そろそろ寒くなってきましたね、コートの新調しましょうか。淡い色も似合いそうだ」

 金桂花は私の髪に触れた。 


「なら……一緒に、見たいです」

「見繕ってきますよ?」


 金桂花が見繕う、というのは気に入ったものを1着持ってくるのではなく、購入済み100着を部屋に置いて「どれにしますか?」とドキドキの100択してくることだ。それは避けたい。


「いいです。一緒に選びたいです」

「分かりました。なら、ゆっくり過ごせるよう都合をつけなければいけませんね」


 ふわりといい香りが漂う。


 当初、彼の香りに対し、印象から何か良からぬ薬のものと思っていたが、完全な濡れ衣だった。


 この香りは、ベルガモットとスターアニスを用いた、ちゃんとした香水だった。


「この跡が消える頃には」


 ふわりとアロマティックな香りが強まり、首筋に柔らかいものが触れる。


 ベッドのそばには大きな鏡があって、鏡越しに金桂花が私を見つめる。


「你愿意嫁给我吗?」

「今のは、どういう」

「朝食はトーストでいいですか? と聞きました」

「はい……ありがとうございます」


 朝食を作りたい。申し出ようか悩んで、悩んだまま止めた。


 反社の要人が他人に易々と包丁を渡すか疑問だ。料理を作ることと、私という部外者が包丁を持つ環境を作り出さないこと、金桂花の気が楽になるのは後者だろう。


 彼の国の言葉の勉強もしたい。


 何度も考え断念している。


 いつ捨てられるか飽きられるかも分からない中、彼のルーツに触れることが恐ろしい。


 飼い主とペット。


 反社と一般人。


 私達の関係性のボーダーラインは明確な一方、私と彼自身の境界線は曖昧だった。


 身体の線が繋がったところで何も変わらない。だから大丈夫だと言い訳をする。


 最初はなにもかもどうでもいいから一緒にいた。


 でも今は、違う。


 飼われないか聞いてきたということは、私を欲してくれたということだから。


 金桂花と出会ったころの私は、途方もなく疲れていて、何の気力もないのに一刻も早く私を欲してくれる人のところに行きたかった。


◇◇◇


 二股騒動が起きたとき、医院の女性陣が私の味方になったかといえば、そうじゃない。


「あれだけ可愛ければ勝ち目ないよね」

「転職なら今のうちだよ」

「一緒にいいところ探すよ」


 前を向こう! と転職前提で励ましが贈られた。


 一方で、可愛いあの子に対しては「なんかあったらいつでも言ってね」「絶対助けてあげる!」と守りの姿勢だった。


 私は「なんかあったらいつでも言ってね」なんて言ってもらったことない。というか立場上言う側だし、助けてもらう側じゃなく助ける側。


 彼女は助けてもらう側。


 何から助けてもらうかと言えば、私から。


 周りは「きっと許してくれるよ」「貴女に悪気がないって彼女だってわかってくれるよ」と、私を見つつ、「責めたら駄目だよ」「お互い被害者なんだから」「分かってあげなきゃ」と私をなだめた。


 まだ何も言ってないし、何かする気もないのに。


 患者への服薬指導で手一杯だから。


 言葉一つで患者さんは不安を覚え薬を飲まなくなるし、嘘をつけば離職確定の私より嘘をついても問題視されないネットの話を信じる。


 一生懸命患者さんのために働いた。


 だんだん、風向きが変わってきた。


「まだ続けてるんだ」

「ちょっと変じゃない?」

「ストーカーっぽい」

「未練があるんだよ」


 更衣室で偶然聞いた内緒話。


 苦痛による幻聴だと思いたかったけど、私と歳の変わらない看護師が不安げに見せてくれた「私の知らない院内のトークグループ」では、ストーカーの対処法で盛り上がっていた。「大丈夫?」と聞かれたけど、返事が出来なかった。大丈夫なわけがなかった。


 同週、看護師は「見せちゃった! 多分これでいなくなる!」と、備品庫で笑っていた。


 無理かもしれない。


 日々、何に対してかもわからない無理が積み重なる。


「もう無理!」


 叫び出せたらどんなに楽だろうかと頭の中でシミュレーションするけど、そんな勇気はない。患者さんもいる。あの子の周りに抗議することもなかった。


 だって、私の仕事は患者さんの為にお薬の説明をして、服用服薬の危険を失くすこと。誰かとの諍いを生むことじゃない。


 でも、中華料理屋での元院長の言葉が決定打になった。


 これから先ここで働いても駄目だろうし、元院長の繋がりがあるから再就職先も駄目で、薬剤の道以外に歩けそうな道もないから、人生も全部おわり。私に未来はない。


『全部無理なら、私に飼われてみませんか?』


 金桂花の誘いに乗ったのは手頃な自殺のつもりだ。見るからに反社だし実際、取引先相手にはとても冷たい声で話す。


 話すと言っても発するのはだいたい「御託に興味はありません」「取引は中止しますが」「では進めてください」の三種類。


 部下に対しても同様で「はい」「なぜ?」「続けて」「なるほど」の四種だ。四種類あるけどほぼ否定で使っている。


 たまに愛想よく話をしているときもあれど、そういう時ほど相手を変えた次の電話で「取引を切る」とか「融資はいい」と手を切る規則性がある。


 表情はずっと冷ややか。笑いながら話をしていても、電話のときは表情がない。動きにも無駄がなく、洗練されているというより機械的という印象が強いくらいだ。


 一方、私に対しては甘い声で話し、笑みを浮かべ優しく触れる。髪に口づけすることも、頬をなぞることも意味がないはずなのに、ずっと幸せそうにしている。


 容姿が良ければ、スタイルが良ければ、そのうち身体を売るために色々教えられていると解釈できる。


 私は違うのだ。手を尽くしたところで売れない。


 だって、院内でよく言われていた。丸いとか、色々。顔のことも。


 健康診断では問題がないし、血液検査の数値にも問題がない。でもたぶん駄目。ほかの女の子たちの話を聞いていると、分かる。自分の外見の位置みたいなものが。


 だからそんな私をどうして金桂花がそばに置くのか疑問だ。


 可愛い子を飼えばいいのに。いっぱいいるのに。


 だから余計、自意識が暴れる。殺しても殺しても死んでくれない自意識が。

 

◇◇◇

 

 金桂花はたいてい、朝の8時に家を出て、だいたい19時~23時の間に帰宅と、優良なホワイト企業に勤めているような一日の流れで暮らしている。


 リモートワークのときは9時から書斎に入り、12時に出てきて、1時間ほど昼食休憩をとった後、だいたい19時くらいまで働いているから、おそらく普段も似たようなスケジュールなのだろう。


 休日らしき日は朝5時に起きジムでトレーニングをして、晴れの日はマンションそばのパン屋さん、雨の日は少し離れたショッピングモールのフルーツパーラーで朝食をとり、そのあとは早朝営業のある書店もしくはその上のミニシアターで映画を見たり美術館に行くなどして、ゆっくりと過ごす。


 午後は買い物をしたりまちまちだ。


 深夜の過ごし方だけ一貫している。私が眠りにつくとき、いつも寂しそうだ。だから起きていようと思うけど中々思い通りにいかない。


 ペットとして飼われることについて、契約書をかわしたこともなければ何か決まりを作ったわけでもない。なのに、もう私の身体は金桂花のほうが詳しい。


 愛されていると錯覚しそうになる。


 そんなはずないのに。


 一方私の過ごし方は掃除だ。掃除といっても普通のほう。反社的な意味ではない。


 本当は料理のほうが得意だけど、別の意味の掃除をしてそうな金桂花の家の刃物を触るのは、役に立つより迷惑になりそうな気がして、問題がなさそうな水回りの排水管や空調設備の掃除をしている。


 食事は好きに頼んでいいと言われているものの、「人のお金で……?」と何も頼まずにいたら昼食は宅配が届くようになった。


 バインミーと呼ばれる異国のサンドイッチだったり、焼き魚のお弁当と、届くものはさまざま。


 なんとなく嫌な予感がして袋に記された名前を検索したら、配送元はそばのホテルに入っている料亭や、政治家が会談に使ったとされるレストランだった。


 マンションのそばにはコンビニが乱立している。そちらで買ってくると伝えれば「なぜ?」と、契約を切る取引先と同じ声音を聞いたため、再試行しなかった。


 ということで今日の宅配は「常龍」という中国料理店の麻婆豆腐だった。「常龍」は観光客で犇く中華街の裏通りに位置している、同業向けのお店だ。


 今日の昼食を済ませた私は、食後の散歩に向かう前にスマートフォンで天気を確認していた。


 金桂花に渡されているスマートフォンだ。もう持っていると伝えれば、「なら元のスマートフォンは解約しますね」と、委任状を渡され解約になった。


 電話番号も新しくなっている。


 新しいスマートフォンはGPSアプリがついていて、「怖いかもしれませんが貴女の安全のために」と金桂花は申し訳なさそうにしていたけど、マンションとその周辺という共有の意味なんてないGPSアプリより、中華マフィアの用意した電話番号というのが少し怖い。


 海に沈んでる人の電話番号がSDGSされてるかもしれないし。


 そして解約されたのは私のスマホだけじゃない。借りていた部屋も解約になっている。保険証や住民票の変更の手続きは「勝手に私がしてしまうのもよくないと思うので」と、金桂花と一緒にすることになった。


 反社ゆえに普段から金桂花はいろんな人の戸籍をこねくりまわしているのだろう。彼は公共的なあれこれの手配にすごく慣れていて、私は「ご本人様ですか?」「はい」のやり取りをするのみ、ほぼいるだけ、そして金桂花は後ろ暗いことがあるから怪しまれないようにしているのか、役所の職員さんに対してもスマートだった。


 むしろ一般市民のお爺さんやお婆さんが「いつまで待たせるんだ!」「マイナンバーカード作ってやるって言ってんだぞ!」と暴れ、特にお爺さんは役所の職員さんに掴みかかるなどし、反社が「落ち着いて」と、仲介に入っていた。


 お爺さんの寿命が縮められるかもしれない。


 でも役所の職員さんに掴みかかるような人。


 色々複雑だった。


 過去を思い出しながら天気アプリを眺めていると、スマートフォンが鳴った。相手は金桂花。というか電話帳にある人間の連絡先は金桂花しかない。


 ほかは「ワンコールでかけられるようにしましょうか」と金桂花が入れた110番と119番の2件だ。でも反社ジョークか新手の脅しか病的な心配性が判断がつかない。


『あの、突然で申し訳ないのですが、迎えを用意するので、パーティーに出席していただけませんか? 日本人の通訳の手配のミスもあって、私の通訳をしてほしいんです。通訳と言っても、私が分からなくなった時だけ、その意味の正誤を教えていただくというもので……相手と話さなくていいのですが……』


 金桂花がためらいがちに話をしている。


 通訳の粛清があったのかもしれない。お弁当屋さんもろとも……。


「わ、分かりました」

「イブニングドレスはクローゼットにあります。貴女のために用意したものです。すみません。以前もお伝えした通りなるべく家の中に他人を入れたくないので、メイクを用意していません。ドレスに着替えたらそのまま迎えの車に乗ってください。ホテル内のサロンを手配しているので、メイクアップはそこで」


 メイクを用意してないというのは化粧品を用意していないのではなく、人間のことだろう。


 先日、彼は隣の部屋の引っ越しに伴いその部屋を購入、「貴女にすべて似合いそうだったので」と、コスメカウンターごと購入、メイク室みたいなものを用意した。


 そして今の電話と同じように『メイクに関して誰かの手が欲しい場合、場所を用意しますのでお申し付けくださいませ』と、メイクさんがいないことを申し訳なさそうに話していた。


 最後に「メイクは個人の自由ですけどね」と、心が軽くなる一言を添えて。


 せっかくの、化粧部屋。


 たまに入って、似合わないかもと思いながら挑戦した色に、金桂花はすぐに気付いて「それも似合いますね」と微笑む。


 今までメイクに対して抱いていた「私のような人間が化粧に手をかけて調子に乗っていると思われないか」という自意識が少しずつ和らいだ瞬間だった。


 金桂花と出会って、なんだか自分がとても、大丈夫なんじゃないかと思うことが増えた。


 反社だけど。


 暴対法もちらつくし、このままだと私はどこまでも落ちていくだろう。


 それに今回通訳だ。


 反社への協力。犯罪ほう助。


「私でお役に立てることならば、なんでもします」


 命が惜しいから、はない。


 もう半分死んでるような気持ちだし。


 彼が私を不要とするその日まで、その手を取って堕ちていきたい。いらなくなったら、そのまま一人で堕ちていけばいいから。


▽▽▽


 金桂花は誰かといるとき、決して私を名前で呼ばない。危険があるからだろう。


 着替えた後、反社組員らしき女性たちに連れられ、美容院に向かった。


 化粧とヘアメイクを施され、車に乗り込むこと約50分。


 到着したのはとある会社の役員就任パーティーだった。それもちゃんとした製薬会社だ。というかめちゃくちゃ見覚えがある。最近、漢方薬の研究開発に莫大な資産を投入すると報道発表を行った会社だ。


 いわゆる業界最大手。ここまでの規模だと新聞やテレビでよく見る政治家もごろごろいる。


 肉じゃがのじゃがいもくらいごろごろしてる。同じくらい政治家を守るSPもいる。当然反社が入り込むことなんてあってはならないはずで、万が一入り込んでいたとしたら、取り押さえなくてはいけないのに、金桂花は会場入りした私をにこやかに迎えた。


「宝贝」


 金桂花は外で私を名前で呼ばない。


 そして自分については「老公」と呼んでほしいと言った。


 だから私は、発音を一生懸命学んだ。何度も何度も練習して、彼を呼んだ。


 だから「老公」だけは完璧に覚えているが、音でしか覚えておらず、それでも拙いのかスマートフォンの翻訳が機能しないので、どんな意味かは分からない。


 たぶんだけど「社長」とか「リーダー」とか「ボス」の三択のうちどれか、もしくは全部だろう。


「老公、お待たせしました。すみません」

「いえ、ドレスもなにもかも、貴女にとても良く似合っていますよ」


 金桂花は私の腰に手を添えた。すると、そばにいた男性が金桂花に声をかけた。


「那是不是你的妻子?」

「是的」


 なにか問いかけられているらしい金桂花は頷く。


「我们计划明年举行婚礼」

「祝你们百年好合」

「谢谢你」


 彼が笑みを浮かべると、声をかけていた男の人も微笑み返し去っていく。


「あの方は取引先なんです」


 じゃあ反社だ。穏やかそうと思ったけど、穏やかな表情で人とか海に沈めるタイプの人だったということだ。


「なんの話をしていたか分かりましたか?」

 

 去っていく男の人の背中を眺めていれば、金桂花が問う。


「いえ」

「来年、パーティーを開こうと思って、その話をしていたんです。貴女も参加してくれませんか? 特等席で」


 来年も一緒にいてくれる、ということだろうか。いつ飽きられるのだろう。今年中には捨てられる。いや、今年どころか明日かもしれない。そんな風に思っているから、ちょっとだけ希望を感じる。


「嬉しそうですね」

「まぁ……先の予定がはっきりするほうが、ありがたいので」

「成程。ならば私がすべて取り計らってしまってもいいということでしょうか?」

「まぁ……はい」

「なら、60年後の未来まで決めても異論はありませんね?」


 周囲に人々がいるからか微笑みがいつもより控えめだけど、反社仲間の男の人と話をしていたときよりずっと話の仕方が柔らかだ。


 60年後も誰かが一緒にいてくれる未来なんて、そんなにいいことない。


「貴方が望むならば」

「そんなに簡単に決めてしまって良いのですか」

「はい」


 私は頷く。


 金桂花が贅沢をさせてくれるからではない。


 少し前、金桂花に話をした。服薬についてだ。


 中華マフィアに薬の服用について話をしたところで、鼻で笑われて終わりだ。だってもっと違法な薬物とかの売買をしているだろうから。


 でも、話したくなった。分かってもらえるんじゃないかと期待した。


 薬剤師はただ薬を出すだけじゃなくて、患者さんが危険な飲み方をしないよう気を付けたり、飲むうえで生まれる苦痛を和らげるために存在していること。


 医療の決まりを破ることが良くないのは、悪いからだけじゃなく、患者さんの身に影響が起きてしまうから。どんな薬も毒になりかねない。


 金桂花は話を聞いてくれた。私は嬉しかった。同時に、金桂花に理解を求めることは、私が元院長にされたみたいに、醜いことなんじゃないかと恐ろしくなった。


 そんな私に、言ってくれたのだ。


『誰だって、理解してもらいたいものです』

『関心を寄せる人間には、尚の事』

『貴女は大丈夫ですよ』

 

 そして、おとぎ話をしてくれた。


 あるところに息子を育てる女がいた。女は息子を食べさせるため、薬屋として懸命に働いていたけど、ある薬屋が儲けの為に毒を精製し売り始めた。


 やがて毒により人々は大きく傷つき、薬屋すべてを西洋の魔女裁判のように責め立てた。女も例に漏れず責められた。


 女は懸命に人々の治療のための薬を売っていたにも関わらず、誰にも信じてもらえなかったこと、自分が死ななければ息子に憎悪が集まると怯え、死を選んだ。


 息子は当初、毒を精製した薬屋を憎もうとしたが、それでは人を救おうとする医術に反する。


 代わりに毒を憎み、人々が安心して薬を飲み、平らな世になるよう闇の道に身を置きながらも薬師として成り上がった息子は、やがて皆が恐れる「男」に変わったが、同時に誰にも明かせぬ孤独を抱えることとなった。


 自分のしていることは本当に正しいのか。ただの復讐ではないのか。自分のしていることはなんなのか。苦悩する息子は、ある時、医術の道──薬は人を治すものと諦めない女を見つけた。


 女からの理解は求めないが、ただそこにいて欲しい。そんな存在を見つけた男の孤独は、ゆるやかに癒えていった。


『だから、貴女は大丈夫ですよ』


 そう言われ、この世界で生きることへの抵抗が薄れた。俯く私に手を差し伸べてくれた彼の手を取って生きられるなら、彼が何者であるかなんてどうでもいい。今までしてきたことも、これからすることも全部。


 状況的にどうやったって経済状況も考慮されてしまうから、理由は言わないけど。


「……」


 しばらく黙って私を見つめていた金桂花は「こういう質問はもっと暗い場所ですべきでしたね」と声を潜め、上唇を舐め悪戯っぽく私を見た。


「鐘木代表」


 しかし、ふいにかかった呼びかけに、すぐ淡々とした表情へ切り替えた。彼の視線の先には、老齢の男性──獅子井総合病院の院長先生が立っていた。


「獅子井病院長。ご無沙汰しております」

「とんでもない。頭なんて下げないでください。国の問題にかかわってしまう」

「郷に入っては郷に従え、年功序列の精神としても、結果としても貴方に上げる頭はありませんよ」


 獅子井総合病院は、大学病院を除き国内で最も大きな総合病院だ。政治家はおろか国家公務員のかかりつけ病院としての側面もある。インフルエンザの予防接種の時期には、明らかに「警察官です」「消防職員です」みたいな人たちが院内で列をなす。


 反社なんて絶対、許さない。


「しかし漢方薬品メーカー代表の貴方と、病院長の私ではつり合いがとれない」


 え、漢方……?


 薬品メーカー?


「漢方といっても最近はインフルエンサーの便利なキラーワードとして濫用されすぎて苦境に立たされていますからね。痩せるためと謳って国内で未承認の輸入品の販売が行われ、結果的に治療目的で使うものまで懐疑的な目を向けられたりとか」

「しかしながら、少しずつ摘発は進んでいるから、国としても対策には乗り出すだろう……ああ、この間事件もあったし」

「事件?」

「ああ。個人開業の診療所で院長やその関係者が行方不明になったんだ。元居た薬剤師を辞めさせ、新しい薬剤師をわざわざ招き、めちゃくちゃな処方をして診療報酬を得ていたんだよ。警察は患者と揉めた線も洗っているらしいが……」


 獅子井病院長は眉間にしわを寄せた。怖い話だ。


「恐ろしいですね」

「うん。高校生の息子が……医者を目指していて、自分の病院に研修させるのは親バカだなと予定はなかったが、こういうことがあるともう自分の病院でなんとかさせた方がいいと思ってる。それか、天世急性期医療センターか」

天世(あませ)……どんな病気も、生存率が極めて低くあろうと、受け入れる病院ですね」

「ああ。複雑だ」


 二人が話をしている間にも、ほかの来賓が獅子井病院長には「病院長」と挨拶をし、金桂花には「鐘木代表」と声をかけている。


 反社と、会社代表の、二足の草鞋……?


 いったい彼は、なんなんだ。


 私は金桂花が元院長の頭を中華テーブルに押し付けたとき以上の戸惑いを覚えながら、皆の注目を集める彼を眺めていた。


▽▽▽


 隠れた名店、素行不良でガイドブックに載れない店、どちらも観光客に消極的な接客をするという共通項があるが、見分け方としては外国語が飛び交い、ぱっと見、内装も雰囲気も中華料理ではなく街の食堂のような店が、常連客を多く抱えている可能性が高い。


 そして、金桂花がよく私を連れていくお店──『常龍』が「隠れた名店」として該当していた。席には地元住民らしき男性客の二人組や、一人で黙々と食事をしている若い男の人など、男性客が多い。


「あなた……私を黒社会の人間と考えながらも、ペットでいたんですか」

「はい……」


 金桂花が何者であってもいいと思っていたけれど、いわゆる製薬会社勤務となると話は異なってくる。人身売買は犯罪だけど、中華マフィアは人を飼ってもそれ以上の悪行で濁されているフシがある。


「私の祖国は、厳しいですからね。黒社会なんて存在できませんよ。別の国ならまだしも」

「申し訳ございません」


 私は頭を下げる。


 そして彼が中華マフィアでないならないで、大きな問題が生まれる。


 漢方薬品メーカー、いわゆる製薬会社なんて身綺麗でなければいけない塊だ。人を飼っているなんて知られればスキャンダルになり、薬の効能に関係なく、そのメーカーから出ているだけでマイナスな印象を受ける。


「検索で私の名前を調べなかったのですか」


 金桂花は怪訝な顔で訊ねてくるけど、前科が出たらと思うと怖かった。


「はい……」

「私に興味がない?」

「いえ……しゅ、出所歴とか、出たら……」

「成程」


 最悪のタイミングで成程が出た。絶対相槌じゃない。


「あの、大丈夫なのでしょうか……わ、私なんかをおうちにいれてしまって……」

「どういった点に不安を?」

「ペット……というか、こう、人身売買的な……知られたら、スキャンダルに……」

「そうでしょうか? 今の私と貴女の状態は、離職に伴い精神を静養している貴女と、貴女と同居している彼氏、夫、あと内縁夫との違い、なんて見方も可能です。愛のない自分の欲求を満たすためだけの関係だと思われる場合もあるでしょうが、男女が同じ場所で暮らし、時に裸で共に寝ているのであれば、お互いに好意があると考えて問題ないと思います」


 彼はまるで取引先と契約を行うように毅然とした態度で説明をする。確かに、男女二人がいて、ペットとご主人様だと思うほうが不健全だ。


「初めて会った時、どうしてあの装いを……?」

「祖国からプライベートジェットでそのまま直行していたので」

「ああ……」


 というかプライベートジェット持ってるんだ……。前は反社だからと思っていたけど、製薬会社代表となると、普通に役員報酬ですね、と納得できる。


「少々質問があるのですがよろしいですか」

「どうぞ」

「貴女は私が反社会的な人間だと考えたうえで通訳になろうとした、と考えてもいいのですか」


 完全に軽蔑された。反社を疑った結果反社の思想になっていたのだから。犯罪の肯定。許されるはずがない。


「は、はい……法律を……そうですね。申し訳ございません」

「なら、スキャンダルの懸念をなくすために、入籍をしてしまってもよろしいでしょうか」

「はい……え?」


 入籍?


「なにか不満が?」

「いや不満はないのですが……わ、私でいいのかなと……思い……」

「薬剤師と製薬メーカー代表、問題ないでしょう?」

「ぺ、ペットをお探しでは?」

「だって、突然好きだ、付き合ってください、結婚してくださいと言われても困るでしょう?」


 ペットも相当では……?


「黒社会でもいいなら私と結婚してください」

「……は、はい」


 強いまなざしで見つめられ、私は頷く。すると彼は、「今日も私の一日がよいものになりましたね」と甘やかに笑った。


◆◆◆


 目を覚ますと、眼前に反社──ではなく金桂花の顔があった。


「相変わらず、可愛いですね。夢のようです。貴女がここにいるなんて」


 彼は私がただ起きただけで、大輪の蓮が花開くような笑みを浮かべ、私に深く口づけようとした。しかし、電話が鳴る。金桂花は惜しそうな表情で眉間にしわを寄せた後、電話に出た。


「杀」


 多分、部下だろう。表情で分かる。


「处理了两个人吗? ……対」


 金桂花は電話を切ると、ベッドにスマートフォンを放り投げ、私の額に口づける。


「なんの電話をしていたか分かりますか」

「いえ……あの、今度あなたの国の言葉を、教えてください」


 未来について考えられないから、覚えまいとしていた彼の言語。でも、彼とこの世界を歩むなら、きちんと覚えていたい。彼を、理解したい。


「私の国の言葉は、ずっと覚えないでいいですよ。私がいますから」


 金桂花は薄く微笑む。その瞳はどこか蠱惑的で、視線が逸らせない。そしていつも通り、キスをした。


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