憩いの場へようこそいらっしゃいませ
瀬戸俳厘は、異能と呼ばれる超能力を消せる能力を持っていた。しかしながら、生活の役には立たないことで、喫茶店の店主として生計を立てている。一人営業に限界を感じたことでバイトを雇うことになったが、年下のバイト男子学生である生魁檀へ恋をしたことで、今度はワンオペではなく自分の感情の行き場をなく苦しむことに。やがて俳厘は、「マッチングアプリ」「ホストクラブ」と、とにかく自分の恋情を昇華できないか模索するが──、
超能力も才能も不思議も、あったところで社会に適合できなければ不要である。
インタビューなら25歳・女性・自営業・カフェがつく私の持論だ。
結局のところ人間との交流に問題がなく、誰に紹介しても問題ない仕事に就いて、話の通じる家族がいることが一番だと思う。
だってこの世界は、超能力も才能も不思議もない人々のほうがずっと多い。
物語の中みたいに、分かりやすく人の役に立てる能力なんて存在しない。
たとえば、他人の心のうちを知ることが出来る能力。
心の声が聞こえるとか、感情の色が視覚化されて見えるとか色々あるけれど、社会は言葉でのコミュニケーションがベースだ。
ただでさえ「言った」「言わない」でトラブルが発生する中で、相手の発信していないことを正確に察することは「言わなかったのにどうして」と、トラブル増加に繋がる。
それに相手が何も言わない中、先回りして行動し続けても、ずっとケア役を強いられ精神が終わる。
無尽蔵に四方八方から他者の心の声が聞こえる人生なんて、人間不信確定だ。よほど善良で、能力者のことが好きな人間とでも巡り合わないかぎり、自殺の理由になる。
物理的能力の活用なんてもっとできない。
現代社会において、超能力が一般的なものだったらまだいい。
でも、なにげない街頭インタビューですら、受け答えによってはすぐさまネットの玩具だ。
空でも飛ぼうものならスマホで撮られて顔を晒され終わり。
こんな世界で、生まれ持った特別な力といえば聞こえはいいが、普通に生きられない異常な能力、異能を不要とする人間は多い。
幽霊が見える人が見えなくなりたいとか、嘘がわかる人がわからなくなりたいとか、結論からいえばみんな普通になりたいのだ。
気持ちはわかる。
だって異世界転生ものと一緒に異能和風シンデレラが流行るこの現代世界には、ひっそり、うっすら、物語になるような異能者が存在していて、よりにもよって私は他人の特殊能力を消す力を持っているからだ。
◇◇◇
自分が異能を持っていると気付くタイミングは、人によって様々だ。
幽霊が見える人間は、そもそも幽霊と生身の人間の識別ができず近親者が死んでから気付くことが多い。
心の声が聞こえるようなタイプは、物心ついてトラブルになり、悲しみとともに己を知る。
私は自分について、家族の異能を消して分かった。
母、父、祖母、祖父──自分以外の家族、一人残らず、その異能を消した。
私以外の家族は全員、人の心に作用する異能を持っていて、酷いことをしていた。
私はそれを止めたかった。
説得してみたけれど、言葉はずっと通じない。
四対一の口論が習慣化された果て取っ組み合いになり、一人の家族の異能が消えた。
混乱のなか、一人、また一人と家族の異能が消え、分かったのだ。
私は、触れた相手の異能を消せる。消そうと思えば。
結果どうなったか。ネット小説が好きな人間は想像しやすいと思う。
虐げられからの溺愛! そのための苦難! とかいうレベルじゃない。
圧倒的村八分である。地獄。
私の人生にハッピーエンドなんかない。
ここに至るまでが、私の中学時代。
その後、まことしやかに私が異能を消せることが異能者に広まり、その話を聞きつけた異能者の依頼を受けては、誰かの能力を消すことを生業としていた。
価格は一回五千円。
最初は一万円だったけど、夢を見せるアイドルのコンサートと同じ価格なのはどうなのか、人でなしの血筋のくせに私は一万円も取るのか、鬱々として半額にした。
納税もしてる。ただ「異能です」とは書けないから、サービス業として書いていた。
でも、そもそも異能者は少ないし、私の知名度もない、これだけでは食べていけない。
老後の不安を滅却する切り札「頃合いを見て死ぬ」を念頭に置きながら、今は駅から徒歩十分ながら、のんびりした街にたたずむ喫茶店、『喫茶パライソ』の雇われ代理主人として働いている。
本物の主人は現在、海外で活動中だ。ちなみに異能者ではない。珈琲好きのマダムである。
土地柄、接客あるあるに出てきそうな化け物……ではなく、ハラスメントモンスター……ではなく、カスタマーハラスメントに触れるようなお客様はいない。
材料に拘ったり、手間を惜しまずやると、少なからず人の役に立っている気がして、生きていていい気持ちになる。
でも、私一人で成り立つ仕事ではない。お客さんに必要とされなくなれば終わりだ。「今のうち」の決意は年々強くなっていく。お客さんがずっと来てくれる保証はないし、私自身、いつまで続けられるか、分からない。
それに地獄は新たに姿を変えて私を苦しめ始めた。
◇◇◇
「俳厘さん」
オープン前、店のカウンターキッチンでブロックベーコンを切っていると、横から声がかかった。
「ん?」
「今度、SNS投稿用に、スイーツ撮ろうと思ってるんですけどいいですか?」
はっきりとしていて、でも甘くて柔らかい声質。丸い瞳の童顔や、明るすぎず重すぎないカラーのブラウンマッシュヘア。食べ物で例えるならキャラメルがふさわしい彼は、生魁くんだ。
生魁くんは近くの大学に通いながら、バイトとしてホールスタッフを担っている。雰囲気もふわふわしていて、特に子供とお年寄りに好かれるものの、顔から下は骨ばってシュッとし、いかにも男子大学生といった見た目である。
店のそばの駅の開発改築が進み人の流れが変わったことで、私一人ではどうにも店がまわせなくなり求人募集したところ、ふらりと通り雨のように現れたのが生魁くんだった。
私は調理専門、彼はホール──お客さんにお冷を出したり、注文を受けたり、片づけをしたり、接客とお会計全般をしている。最近はそこにSNS投稿も加わった。
「何撮りたい?」
「プリン」
「プリン?」
「はい。俳厘さんのプリンじゃないと生きていけない人間はいますからね」
「いる? そんなプリンマニア」
「ここにいますよ。正確にはプリンマニアじゃなく俳厘さんのプリンマニアですけど」
生魁くんは平然と言う。私は視線を逸らした。
消えちまえばいいのに。
生魁くんにじゃなく、自分に思う。
黙っていると、生魁くんは「本当ですよ」と続けた。
「毎日毎食食べたいんですよ」
「プリン毎食は栄養的に……」
「はい。駄目だって分かってます。なにごとも偏りすぎは良くない。でも、断ち切ることもよくないと思うんです。逆にほら、わぁって欲しくなっちゃうし、だから食後のデザートとか、午後のおやつとか、今日は頑張ったとき、食べてます。俳厘さんも知ってるでしょ」
やや上がった語尾に、心臓が締め付けられる感覚に陥る。苦しい。本当に嫌だ。なんでこんな些細なことで心をかき乱されなければいけないんだ。
「まぁ、俳厘さんの作るもの、何でもおいしいですけどね、生姜焼きとか、ハヤシライス、ナポリタンとかも」
「どうも」
「まかないだけじゃなく、いつまででも食べたいです」
「レシピ教えるよ今度」
さっと返して、仕込みの最終段階に入る。
私を苛む、新たな地獄。
従業員であり四歳年下、しかも大学生である彼を好きになったこと。
◇◇◇◇
鬱々としながら私はオープンの時間を迎えた。
誰でも気兼ねなく入れるお店が、オーナーの意思だ。売り上げは……応えられているか分からない。でもその意向は受け継いでいる……と思う。
その証拠に、店内では、休日にいつも来る私服の女子高生が二人、近くの会社で働いている……休日出勤組、近所のおじいさんやおばあさんがそれぞれ飲み物を楽しんでいる。
「生魁さんと俳厘さん……とってもいい二人ですよね。四歳しか違わないんでしたっけ」
やめろ。
店員観察をするんじゃない。ましてや生身の人間同士の関係性を楽しもうとするな。
こちらを眺めるポニーテールの女子高生に心の中で注意する。
芸能人や同じグループのアイドル同士の交流を楽しむ人は一定数いる。タイプが違えば違うほど意外性もあるし、なんとなく、双方の新たな面を知ることが出来る気がする。
たとえば、霧垣陸と日野珱介とか。
霧垣陸は、ドラマのテーマソングを歌ったりするバンドのボーカルだ。銀髪でいかにもチャラそうだが、深夜ラジオのトークで学生時代のエピソードに触れられたり、リスナーが少しでも青春エピソードを披露すると殺しにかかるなど、奇妙な世界観で曲、人柄共に人気を博している。
一方、日野珱介はモデル出身ながら実力派の俳優で、バラエティをそつなくこなす王子様キャラ。二人は合うように思えないが、度々この喫茶店に来る。テレビや雑誌撮影の時間つぶしらしい。
ただ、テレビで二人が互いの存在について話すことはない。そもそも二人はプライベートについて触れない。
……お互い、彼女がいるからだろうけど。
実のところ、二人には彼女がいる。四人一同に介しグループカフェデートなんてすることはない。それぞれの合流場所に使っている。地下駐車場は露骨だろうし、丁度いいのだろう。
だから分かる。人が好きな人を見る視線や好きな人に向かって話す声音は、その人が他の人に向けるものとは明確に違う。
交際がバレることが致命的な芸能人、ましてや演技力に長けた俳優ですら隠せないのだ。私なんてもう、時間の問題だ。早めに死んでおきたい。
「他者の人間関係に口出しするのは下品よ」
ポニーテールの女子生徒に、黒髪ウェーブの女子生徒が反論した。
いいぞ。
心の中で応援する。
「すみません……あ、霧華様は年齢差……どのくらいまで気にされますか?」
注意を受けたポニーテールの女子生徒が問う。黒髪ウェーブの女子生徒はしばし考え込んだ。「年上すぎじゃない?」「同い年が一番」とか言ってほしい。他者の人間関係に口出しすることになるけど、その口出しは望んでいるから。
「……10歳くらいじゃないかしら」
駄目だった救いがない世界だった。
「そうなんですね……私は……その人が可愛いと思ったら、年齢なんて関係ないです」
「ふぅん」
女子高生たちの会話を盗み聞きしながら、私は抽出中のサイフォンを見つめる。
頃合いをはかりながら、いい加減にしてくれと思う。年の差、四歳差。
三歳差までなら、中学や高校換算で一年生と三年生もが付き合っている状態だし、よく聞く。
しかし四歳差となれば、高校一年生が大学生と付き合ってる状態だ。挙句、相手は従業員。こちらは管理者側。多種多様なハラスメントに該当する。
この店のオーナーや常連のお客さんの手前、やめるわけにはいかない。そもそも職を失う。
一方で生魁くんをやめさせれば不当解雇。
逃げ場も行き場もない。
◇◇◇◇
15時になり、世間で言えばおやつタイム、喫茶店で言えばティータイムの時間。お客さんの波がさっと引いた頃合いを見計らうように、喫茶店に警察がきた。
言語だけなら物騒に感じるかもしれない。でも、いわゆる捜査協力だ。
異能を抱え生きづらさを感じる人間もいるが、その一方、己の能力を利用し犯罪を侵す人間もいる。そうした人間を捕まえる組織が、内々に警察に存在しているのだ。
そしてうちの店は、消してもらいたい目的で異能者が来ることから情報提供をしたり、異能をろくなことに使わない犯罪者の異能を消したりしている。
異能者の存在は、公に出来ない。異能者がこの国の人間に限られた場合、無差別に攫われかねないし、分かってないことも多く色々危険だからだ。
裁判記録に残らない裁判をして、容疑者から受刑者に変わったタイミングで私は警察の指定した人間の異能を消す。
「先日はどうもありがとうございました」
公平性に欠けてしまうから、という理由で店のものを一切口にしない警察関係者が、儀礼的に頭を下げる。忙しい中、多くを話すのも迷惑になるので、私も「いえ」と短く返す。
「現在、異能者の間で、俳厘様の能力について、噂程度の取り扱いです。しかし、己の能力を消されてはと危険視する人間も出てくることは予想されますので、なにかお気づきの点がございましたら、お伝えした番号まで速やかにご連絡ください」
警察関係者たちは定型文を話す。
「はい」
しかし今日は新たな文言が追加された。
「最近、物体を消す異能の存在について、議論が行われています……いるかもしれない、という可能性の議論のみで、存在は確認できていませんが、俳厘様は物理的な異能に関して、抵抗性がない。そのことはどうか、知られないように」
私は、精神系の異能には耐性がある──というか、効かない。なんていうか、私自身や私の異能に作用するような異能は効かないのだ。たとえば未来予知とか、それこそ心をコントロールするようなもの。
逆に雷を落としたり火をつけるような異能はガンガンに効く。感電するし燃える。ナイフとか飛ばされたら死ぬ。
でも消す、というのは曖昧だ。存在を忘れさせる、認識させないようにする類なら効かなそうだ。物理的に泡にしたり、水にしたりするようなものなら、たぶん効く。このあたりの効く効かないは、実際にやってみるか生物学者に聞かないと分からないと思う。
身体の中には水があるので、私の身体の物質を全部水にします、だと効くけど、概念的にいなくさせるのは駄目、みたいな話を前に偉い人に聞いたものの、通じなかった。
「はい」
私は定型文で返事をした。警察関係者たちは去っていく。
異能は生きづらさを加速させるマイノリティ。だからか、異能者同士は惹かれ合う。ブラック企業あるある、業界あるあるみたいなものだ。
異能者あるある、犬好きは動物と話せる異能欲しがち、みたいな。
でもそのマイノリティに私は属せない。自分の異能を活用したい人間にとって邪魔な存在だ。自分の大切なものを消す存在なんて、許せるはずがない。自分の異能を消したい人間にとって、私は神様になる。
誰とも対等になれない。
警察は万が一のときのためにと、110番よりずっと早く警察が急行する異能者特別ダイヤルを私に伝え、なんならGPSでおおよその現在地を把握している。
「俳厘さん」
退店を悟ってか、生魁くんがカウンターの奥から出てきた。
「よければ休憩しませんか」
そう言って彼が運んできたのは、キャラメルラテだ。ふわふわのフォームミルクに、キャラメルソースがかかっている。ソースは手作り。甘い香りとその声に、無性に気が抜けて、ほっとして、好きだと実感し絶望的な気持ちになる。
「ありがとう」
こんなゆるやかで温かい絶望に苛まれることになったのは、生魁くんがこの喫茶店で働き始め、一年くらい経った頃。
世間で言えばおやつタイム。喫茶店で言えばティータイムの時間。
まさに今のような夕暮れ時だった。
◇◇◇
大切なものを奪われた人間に対して、人はどこまでも残酷になれる。
私の家族にとって、大切なものは異能で、その大切を奪ったのが私だった。
毎日毎日、否応なくそれが突きつけられる日々を過ごした。
もう、離れて暮らしているし会うこともない。お互い不干渉だ。
でも、なんとか家族のもとから離れた今もなお、記憶から排除しても、動画を逆再生するみたいに苦痛が蘇る。匂いでも景色でも連想する映像でも音でも。なにがトリガーになるか分からない。
それでもなんとか過ごしてきたけど、生魁くんが勤め始め一年が経った頃のこと、警察の要請で、私の家族と同じ能力を持つ人間の異能を消した。
年齢も世代も、一致するところはなかった。でも、もう何年も経っているのに鮮明に、まるで昨日見てきたみたいに、そして明日も続くみたいに、記憶が蘇った。
自分はどこにもいけない。
ずっとあの時代にいる。
未だなお家族の呪縛から逃れられない自分に対して嫌気がさした。
私の人生、ずっとこのまま。
ずっとずっと、もう会わない存在に苦しめられて生きていかなきゃいけない。
忘れることも前もむけず後ろを向いたまま。
お客さんがいないことをいいことに、鬱々としていた私に生魁くんはキャラメルラテを淹れてくれた。
それまで彼がラテを作れることもキャラメルソースを手作りできることも知らなかった。彼はただ、きちんと働いてくれる学生さんでしかなかったから。
驚く私に、生魁くんは言った。
「しんどい時は休んでいいんですよ」と。
「俳厘さんいつも頑張ってるから」
彼は優しい。誰にでも同じことを言う。ありふれた言葉だ。
なのに、そんな簡単な言葉一つで、私はこんな暗路を突き進む羽目になった、
ひとつ躓けば、あとはもう転がり落ちていくだけ。
日々の生魁くんの何気ない言葉、仕草、表情に一喜一憂して、心かき乱されて、どんどん、自分が自分の想定しているものとはかけ離れていく。
生魁くんと出会う前のなんてことない私に戻りたい。
それでいて、彼により少しだけ辛くなくなったこの世界で生きていける自信もない。
だから私には、逃げ場も行き場もないのだ。
◇◇◇
お店は、相変わらず。いいことだ。
私も、相変わらず。生魁くんに抱えた感情を捨てきれないでいる。
最悪でしかない。
思いあがらないように、この感情が知られないように、入念に自分を殺しながら、私はキッチンカウンターに立ち、オーブンでガトーショコラが焼けていく様を見つめていた。
隣には、スマホを構えた生魁くんがいる。SNS宣伝用の動画撮影だ。音は消し、BGMを入れるというので、喋っても大丈夫らしい。
「でも、ガトーショコラ焼けてるところ見て楽しいの……?」
私は生魁くんに問う。お店のスイーツは全て自家製だ。だから調理過程はいくらでも出せるけど、ガトーショコラは溶かしたチョコレート、薄力粉やバター、ココアを混ぜてオーブンで焼く。画面八割ずっと茶色だ。ハイライトといえば、生クリームを絞るところだろう。
「調理過程見るのは楽しいと思いますよ。ガトーショコラ、家で作る人って中々いないし、材料も作り方も知らない人、多いんじゃないですか?」
「混ぜて焼くだけじゃん」
「そんなこと言うの作り手だけですよ。生地の混ぜが不足してたり混ぜすぎたら駄目、温度が高くても低くても駄目、それにほら、うちには店内オーブンという強みもあるじゃないですか。チェーン店と違って、きちんと自家製のガトーショコラですよ」
「チェーン店はその分安くできてるよ」
コンビニで売っているのと比べると、お店で出すものは手が出しづらい価格になってしまう。一つ一つ、人間の手で作っているから。その分価格に反映せざるを得ない。
そんなような話を、ドキュメンタリー番組で、老舗和菓子屋の店主が言っていた。
コンビニの安さの理由は、大量に作って大量に売るからだ。大容量パックがお得なのと同じ。身体に悪いものを使っているとかはないし、食べてはいけないものが入っているなんてこともない。
チェーン店のカフェも同じだ。
ケーキは工場でたくさん焼いて、冷凍して、お店で解凍して出している場所が多く、どこのお店にいても安心して同じ味を楽しめる。
そんなコンビニと同じことをしようとすれば、私は死ぬ。
なぜなら、私はその場の美味しさを取りたいからだ。遠くへ持っていけるものは作れない。消費期限や輸送の壁に阻まれる。
たとえば、ガトーショコラ。
砂糖を多く入れ、水分量を減らせば日持ちする。でも、お菓子とはいえ甘さは適度に、しっとり仕上げたい。
喫茶店に来るお客さんは、飲み物と一緒にガトーショコラを食べるからだ。
甘いケーキをブラック珈琲と合わせる人もいるけど、皆がみんなそうじゃない。ガムシロップを入れたアイスティーを飲みながら、ゆっくりガトーショコラを味わいたい人もいる。
そしてガトーショコラには、チョコレートやココアのほろ苦さに合う生クリームが必要だと思う。
でも生クリームをつけたガトーショコラを崩さず店頭に並べることは難しい。
飲み物で言えば、クリームソーダ。
最後にバニラアイスを添える工程は、お店ならでは。
店頭に並べる為には、バニラアイスに温度環境を合わせるなら、ソーダを凍らせる必要が出てくる。
ソーダに合わせると、バニラアイスが溶ける。
だからコンビニで出すには店員さんが盛り付けなければいけない。
かといって、バニラアイスの盛り付けと、公共料金や品出しと並行するには、あまりに酷だ。
私のお店で出来ること、コンビニで出来ることがあるように、お互い出来ないこともある。どちらも自由で不自由だ。結局お客さんがいての商売だから、お客さんが好きなほうを選べばいい。
それに100円でガトーショコラが出せる店がぽんぽん出たらコンビニも敵が増えてしまうし、この街はオフィスが多い──いわばコンビニ乱立街。
コンビニが喫茶店路線を始めたら、私は本当に死ぬしかなくなるし、なんならこの店の傍の店員さんも来るけど、店内調理がさらに追加されればたぶん過労死する。
コンビニは手軽さや気兼ねなさ、時短を売っているし、喫茶店は落ち着きや癒し、時間を売っている。そしてそれらは反転するし、お互いできないこととできることがあり……多分どちらかが強くなりすぎると、どちらかが駄目になり、最後は、なにもなくなってしまうのだろう。
「これが終わったらプリンですからね」
生魁くんはスマホを片手に「このあたりの照明がいいかな」と、撮影スポットを探し始める。プリンは冷やす時間が必要だから、ガトーショコラの前にオーブンで焼いている。そして今は冷却中だ。
そのため、先にガトーショコラの撮影をすることになったけど……、
「でも、プリン、余計撮るところなくない? それに作ってるところ、撮ってないよね……? ひっくり返す瞬間とか、1秒もいかなくない」
プリン、調理過程を撮ってないのだ。一瞬忘れているのかと思い尋ねたけど、「大丈夫です」だけだった。
すると、生魁くんは私をとんでもないものを見るように表情を変えた。
「何言ってるんですか、動画はひっくり返した後ですよ」
「え、だ、だってそうしたら、動画ずっと黄色じゃない?」
「いいんですよ。固さが重要なんですよ今。固めか柔らかめか、注文前には分からないの、困るじゃないですか。でも動画なら、固さ柔らかさの具合がハッキリわかる」
そんなことを伝えて一体何になるのか。
「でも、喫茶店のプリンって固めのプリンのほうが多くない? というか柔らかいプリンってとろけるとかなめらかってついてるじゃん」
「ついてるからこそですよ」
「え」
「柔らかいプリンは、分かりやすいんですよ。とろける、なめらかって書いてある。あと、とろっと、とか、とろってついてるし、そもそも見た目で分かるじゃないですか、カップが透明だと、カラメルとの境界線が曖昧じゃないですか」
「まぁ……」
プリンの作り方は二種類ある。卵と牛乳、砂糖やバニラエッセンスを混ぜ、鍋で蒸すタイプのものと、オーブンで焼くタイプだ。どちらも底にカラメルを敷く。底にカラメルがあることで、容器にプリンがはりつかず、綺麗に盛り付けられる。
ただとろけるプリンの場合、もったりしたクリーム状でぎりぎり原型を留めていることが多く、ひっくり返せば崩れる。
だいたいのプリンは黄身も白身も使うし、ミルク量は卵の1.5倍程度だけど、「とろける」と二つ名がつくプリンは普通のプリンレシピの2倍のミルク量だ。
ものにより、生クリームが入るし、プリンを固めるキーパーソンの卵にいたっては卵黄のみ。卵白の行き場としては、マカロンやシフォンケーキが該当するけど、プリンのためのマカロン、プリンのためのシフォンケーキと、品数が増える。
ショーウインドーに所狭しと商品を並べるケーキ屋さんや、それこそコンビニの専売特許だ。とろけるプリンは。
「でも喫茶店プリンはギャンブルです。固すぎても柔らかすぎても喫茶店のプリンじゃない。食べてみないと分からない。レトロや純喫茶とうたったプリンに何度裏切られてきたか分からないんですよ。喫茶店プリン界隈は。だからこそこの店のプリンは希少価値が高い。完璧な固さ、完璧なカラメルのほろ苦さ加減。まさに喫茶店のプリン」
喫茶店プリン界隈。最近なんでも界隈とつく。雑誌でも目にすることが増えてきた。
界隈自体は昔からある言葉だけど、誰かが、自分は確かにここにいるよという存在証明の一つなのかもしれない。それか、ここに所属しています、という身分証明か。
界隈。
いいなと思う。
能力を消す──要するに異能者がいなければ異能者じゃないし、かといって普通でもない私は、どの界隈にも属せないから。
「まぁ俺は俳厘さん界隈でもありますからね」
隙間を埋めるように生魁くんがいう。そんなことはありえない。でも私が道から逸れようとすると、こういうことを言うのだ。
駄目だ自分はと切り捨てようとするたび、彼は私を掴む。
生魁くんはそんなことをしているつもりはないし、絶対そんな気もない。
「私は無所属」
「じゃあ二人でいましょう」
そんなことはありえないのに、生魁くんは馬鹿なことを言う。
だからもう、いい加減にしてほしい。全部。
◇◇◇
今、マッチングアプリからの結婚が増えているらしい。ってっきり、いかがわしい目的だけの用途だと思っていたけど、テレビで見る分には、普通にインターネットセルフお見合いみたいな感じだった。
最近、マッチングアプリか男性アイドルかメンズコンセプトカフェかホストクラブの世界に身を投じようか真剣に悩んでいる。
この生魁くんへの感情をどうにかするために。
マッチングアプリは運が良ければ結婚出来る。でも、将来について正直考えられないし、こんな思いで結婚相手を探している男の人の時間を無駄にしたくない。
男性アイドルは一番リスクが少ない。でも、好きだと思う相手が見つからない。
コンセプトカフェやホストクラブで、お金で男の人の時間を買うのが一番さっぱりしているのではないかと思ったけど、枕営業をしてない人間はいないだとか、ホストクラブにハマった人間は、ホストに貢ぐために夜の世界に足を踏み入れ戻ってこれなくなり、正気でいられなくなるとネット記事で見て、足踏みしている。
袋小路だった。
ここまでくると警察に言って、政略結婚を求めるしかない気がしてきた。能力を消す私が変な相手と結婚されるのは困るだろうし。
「警察って結婚の斡旋はしてないですよね」
「民事不介入ですので」
15時。警察関係者のパトロールおよび、異能消去の注文を受ける時間、きっぱりと断られた。
「でも警察的には困るんじゃないですか? 私が変な人と結婚したりしたら」
「犯罪ほう助を行えば逮捕します。暴力団対策法、暴力団排除条例に抵触すれば、しかるべき対応をとりますが、特定の相手との婚姻を推奨、強いることはございません。人権問題に関わりますので」
即答された。
「してくれと頼むのは……」
「頼むことが直接逮捕に直結することはありませんが、私がそれを受けた場合、懲戒免職になる可能性があります」
「申し訳ございません」
そこまで言われたら引き下がるしかない。沈黙を選んでいれば、呆れられたのかこんな人間に付き合っていられないと思われたのか、普通に忙しいのか「それではこれで」と警察関係者は店を出ようとする。
「……あ、事後報告で恐縮なのですが」
「なんでしょう」
「俳厘様の誘拐を企てていた異能者の身柄を拘束、逮捕しておりました。従来であれば能力消去要請対象ですが、彼らが狙っていたターゲットがほかならぬ俳厘様ですので協議を進め、俳厘様および異能に関する記憶を消去する対応をとりました」
「ああ……それは、どうも……ありがとうございます」
一般人が狙われていると言われても、怖いと思うだけだし、異能者相手に対策のしようがない。戸締りをしっかりする、一人にならないとしても、異能で突破されたら終わりだ。
正直、私はこうして警察に協力でもしてないかぎり、いつか誰かに殺されると思う。異能がなくても特殊詐欺だのなんだので毎日人は逮捕される。お金によってこの世界は回っている。異能なんて最もたるものだ。
異能があれば幸せになれる、大金を設けられると考える人間は多いし、実際そうだろう。
お金、そして異能関係なく、世界は回っていてほしい。
ダサい考えかもしれないけど、優しさとかで。
「結婚したいんですか」
警察関係者を見送ると、生魁くんが顔を出してきた。
生魁くんに異能はないが、異能については知っている。家族にいるらしい。私の家みたいに全員が全員異能者のパターンもあれば、家族のうち一人だけ、とか、半分異能者、みたいなパターンと、色々ある。
だから生魁くんが同席しても問題ないけど、彼は「自分には異能がないので」と席を外すことが多かった。
「店どうするんですか」
私が答えない間にも、生魁くんは問いかけてくる。
「いや、なんか、結婚とか考えたほうがいいのかなと思って。わからないけど」
なんでこんな言い訳がましく言ってるんだろう。まるで浮気を問い詰められているみたいだ。ただ生魁くんは、バイト先がなくなることが困るから、質問してきているだけだろうに。
なんか、前に言っていたし。バイト先、どこ行っても嫌だったみたいなこと。そしてここは楽しいとか。
記憶から消した。あんまり覚えていても、苦しくなるだけだから。
「あんまり急いでいいことないと思いますよ。50歳になっても60歳になんても、何歳でも結婚できるじゃないですか」
「……確かに、老人ホームでも結婚できるしね」
別に今焦って身を固める必要はない。
だとすると選択肢がマッチングアプリが除外され、コンセプトカフェ、ホストが躍り出てくる。
年下への感情を紛らわすために、ホストに走る。情けなさで死にたくなる。今日はもう、お酒飲んで寝ると決めた。
◇◇◇
お酒を飲むと言っても、ビールをガンガン開けたりとか、焼酎を飲んだりとか、そういう飲み方が出来ない。味が駄目で。
周りは、居酒屋やバーがたくさんある。でも、お酒を飲みもしないやつが座席を一つ潰すことになってしまい、なおかつ一人ということで、とんでもない玄人がいそうなカウンター席に通されることになる。だから、ファミレスか家で悩んで、どっちも嫌だなと公園にした。
公園のベンチで、コンビニで買った一番軽く甘いお酒の缶を開けながら、たいして見たくもないスマホの動画を眺める。袋入りの卵焼きを買ったけど、おはしを忘れた。仕方ないのでぺりぺりはがし、パンを食べるみたいに食べる。
たぶん、傍から見れば亡霊か何かに見えていると思う。妖怪卵焼きつまみ。
一応一生懸命生きてるから許してほしい。
「俳厘さん?」
やっぱり許さなくていいや。追放されたい。
顔を上げると、生魁くんがベンチの傍に立っていた。死にたい。妖怪卵焼きつまみ状態なのも嫌だし、公園でお酒の缶開けて死んだ目でいるところも見られたくないし、そういうのを見られたくない……幻滅されたくないと思ってる自分も嫌だ。全部嫌だ。
「花見酒ですか?」
なのに生魁くんは私のこのありさまを、人権に配慮した表現であらわした。
「はなみ……?」
「はい。金木犀。今年はずっと暑かったから、開花いまなんですね」
そう言いながら、生魁くんは私の隣に座った。ビニール袋のガサガサした音が耳をかすめたあと、缶の開く音がする。ビールの匂いだ。
「金木犀の花言葉ってご存じですか」
「いや……」
私は生魁くんから視線を逸らすように前を見る。小ぶりに咲いた金木犀が公園の灯りに照らされている。この金木犀のおかげで私の人権は保証されたらしい。
「真実とか、謙虚、初恋とかいい意味も多いらしいんですけど、魔除けにもなるらしいです」
「へぇ……」
我ながらつまんない返事をしていると思うが、恋情を向けている相手に初恋などというワードを出されている身にもなってほしい。
苦しい。本当に。
私はいつのまにか置いていたお酒を手に取り、飲んだ。
横に生魁くんがいる、
尚且つお店にいるときと違い距離が近いせいで味が分からない。今ならビールも飲めるかもしれない。
最近はアルコール度数の高いお酒のほうが安い謎トリックが発生しているし、グレープフルーツにしようかな、それともりんごにしようかな、なんて悩む必要なかった。泥水でも変わりないやこれ。いやあるわ。企業努力がある。申し訳ないこと言った。
好きな人との食事だから味が分からないとか店で言われたら普通に傷つく。人間だから。
「魔除けって、どっちなんでしょうね?」
「どっちって」
「神様的な抑止力なのか、凶悪で結果的に抑止力になっているのか、どっちなんだろうって」
難しい話だ。お酒を飲んでいるし生魁くんが横にいるしで理解力が普段の半分くらいになっているからより辛い。「きょうあく」と、復唱するだけの卵焼きつまみでしかいられない。
「たとえばクマとかが出る道があって、人は近づかないじゃないですか。でも実は、クマが出る前は強盗が人を襲っていて、結果的にクマの脅威で人は守られるけれど、クマはクマで人を食べてしまう。食べる機会を狙っている。魔そのものであるクマは、魔除けに該当するのかなって」
「するんじゃないかな」
お酒を飲みながら変な話をしてくる生魁くんも好きだ。このままでは変なことを言いかねない。でも立ち上がれないし喉が渇き、私はお酒を飲んだ。
「結婚したいんですか、俳厘さんは」
生魁くんが聞いてくる。
「いや、なんか、結婚じゃなく、マッチングアプリがしたかった」
「マッチングアプリ? どうしてまた」
「レンタル彼氏かコンセプトカフェかホストに行くのが嫌で」
「……え? どうして?」
「いや、コンセプトカフェとかホストクラブはあれでしょ、お客さんを最終的に昼の世界に生きられなくして地獄に落とすっていうから怖いしでもマッチグアプリはみんな結婚求めていて? レンタル彼氏はなんか……で、デートハードル高くない? っていう……」
「いやなんでそれらが嫌なのかじゃなく、貴女の人生の選択肢に入ったのか聞きたいんですけど」
生魁くんのことが好きだからに決まってるだろうが。
唐突に苛々してきた。お酒駄目だ。気分が上がらない。お酒を飲んでテンションが上がるとか楽しくなるとか気が大きくなるとかいうけど、ない。たぶん、致命的に私が飲むことに向いてない。
「生きていく理由づくり……?」
あまりにも情けない声が出てきて、最悪が増す。涙が出てきた。
「相手は誰でもいいってことですか」
生魁くんが冷ややかに問いかけてくる。なんでそんな責められるように聞かれなきゃいけないんだ。こっちはいっぱいいっぱいだっていうのに。
「生魁くんがいいに決まってるじゃないですか……学生相手に……なんで私は……いますぐ、消えたい」
支離滅裂な呂律で言う。いや、言ってないかもしれない。分からない。
私はお酒の缶を握る。飲もうとして、缶を生魁くんに取られた。ぶわりと風が吹き、金木犀の香りに包まれる。
ジャスミン茶の香りに似てる、気が、する。
頭痛が酷い。
目を開けると、薄暗かった。お店で寝ていたのか、と慣れ親しんだカウンターキッチンの、カウンター側の椅子から立ち上がろうとして、食べかけの卵焼きが視界にうつった。小皿に盛り付けられ、上からラップがかかっている。
ぞっとした。卵焼きが怖いんじゃなく自分の失態に。
生魁くんがここまで運んできてくれたのだろうか。そして帰った……?
どんな推理をしても最悪な結末にいきつき、帰る気力を失っていると、後ろでガチャン、と外カギが開く音が響く。生魁くんだ。
「お水買ってきて婚姻届出してきましたよ」
先ほども聞いたビニールのガサガサ音とともに、彼はカウンターにお水を置いた。
「ああ、ありがとう……ん、え? 何? 何出してきた?」
幻聴が聞こえた。ここまでの精神崩壊を起こしたのならもう私は駄目だ。
「届」
生魁くんは「カップの味噌汁買ってきたので……お湯沸かしますね」と平然と支度を始める。
「なんの」
「あおさです。好きですよね?」
「うん……」
頷きつつ、いや味噌汁の具の話じゃない、今のは聞き方が悪すぎたと私は再度尋ねる。
「なんの、届け出したんですか」
「僕と俳厘さんの婚姻届け」
「なんで……?」
「なんでって、別に消えたいならいいですよね? 結婚したって。だって消えるって、死ぬってことでしょ」
「いや、死にたい……わけではなく、存在そのもの、無かったことにしたいとか……」
「はぁ、でも、とりあえず今が嫌なんですよね? 今じゃなければいいみたいな」
生魁くんはどこか怪訝そうに私を見つめ問いかけてくる。
「ま、まぁ……い、いやでも生魁くんの大切な人生なんだよ?」
「俳厘さんの人生も大切ですけど」
「あ、あ、ありがとう……」
生魁くんは真剣に返してきた。中々否定しづらい。
「私ほら、年上だけど……こ、こんな年だし」
「その考え方は俳厘さんより年上の方を傷つけますけどいいんですか」
「そ、そうだね……」
今の生魁くんからは、普段の柔らかさ、穏やかさを感じない。どちらかといえば、冷ややかさや鋭さを感じる。
「なんで、結婚を……」
「俳厘さんと一緒に生きていきたいと思ったからです」
結婚のCМやドラマみたいに言われた。共感性羞恥より、普通に、こんなことがあるのかとただただ唖然とする。いや、異能とかもあるわけだし、異能と比べればこういうこともあるのだろう。あれ、あるのだろうか。
「と、突然だね……」
「突然でもないですけどね、ずっと好きだって言ってましたけど、信じてくれなかったし」
「え……?」
「俳厘界隈」
確かに、度々勘違いするようなことを彼は言っていた。あれはすべて本気だったのか。いや、彼はふざけてそういうことを言うタイプでもないけど、でも、あれを本気で受け取り、自分に好意があると思うのも違うのではないだろうか。
「ホストとかコンセプトカフェとか行くとか言うから遊び人が好きなのかと思えば、消えたいとか言うし、それなら結婚でいいなと思って。でもほら、じゃあ結婚しませんかって言っても信じないだろうから、先に婚姻届け出しました」
「付き合ってもないのに、いい、いいの?」
そう言うと、生魁くんは「前から言ってるじゃないですか」と、目を細めた。
「僕はあなたがいないと、生きていけないって」
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パライソは、19時に店を閉める。その為夜の予定は20時以降になるけど、時間なんて関係ない。僕の行先は、パライソ、家、大学のみ。人生の三分の二が俳厘さんに浸食されているし、卒業すれば大学は消え、俳厘さん一択になる。
ただ、俳厘さんと婚姻届けを提出して三日後の今日は違う。万が一がないよう、区を跨ぎ市を越えたウォーターフロントそばの中華街、裏通りの店にいた。
僕は俳厘さんに協力を要請している警察関係者が一人で食事を終えたのを見計らい、空席に座る。
「どうも」
「ああ……君は」
警察関係者は僕を見て驚いた顔をした。
「ちょっと通りかかったら顔が見えて……お聞きしたいことがあって来ちゃいました」
そう言って、無害そうに見える笑みを浮かべる。昔から顔で得することが多かった。相手の警戒心をときやすく、まさか悪意を持っているとは思われずに済む、そんな顔。
声も外見の印象とのギャップはない。異能を見せず、意識的に触れたものを灰と化す極めて攻撃的な能力を持つとは思われないだろう。
実際目の前の警察関係者も、数多の危険な異能を見てきたはずなのに、僕に警戒を抱くことはせず、ただただ「僕の聞きたいこと」を気にしているようだった。
「あの……お店でのお話、聞いちゃって……俳厘さんを狙ってた人たち、牢から出て襲ってくることってないですよね……? 死刑とかにならないんですかね」
僕は怯えたように話す。
「法の整備的に、難しく……ただ、身柄を置いている場所から、本人の任意で移動することは不可能であり、警備もそのような体制になっておりますので」
なんだ、と思う。
せっかく生かしたまま置いておいたのは、異能者が犯罪を犯したとき──いや、俳厘さんを危険な目に合わせた人間が、さっさと処分されるよう仕向けるためだ。現状異能を用いた犯罪者は俳厘さんが能力を消すけど、俳厘さんが被害者になった場合は、話が変わってくる。ようするに、被害者を加害者に会わせる必要が出てきてしまうのだ。いいわけがない。
だから法整備をすすめるために、殺さずにいておいたのに。
「大丈夫じゃないですよ、それ、安心できません……俳厘さんだってきっとそうですよ」
僕はもっともらしく訴えるけど、俳厘さんは警察を信頼しきっているので、正直犯人が生きていようが特に何も思ってない。それどころかあの人は自分に対する警戒心が薄い。だから、俳厘さんを殺そうとしていた僕を簡単にバイトとして雇ってしまったし、僕は僕でそんな俳厘さんの危うさにやきもきしながら、苦痛の初恋に苛まれていたのだ。すごくつらい。
「……実は、ここだけの話、もう長くないんです」
警察関係者が言う。知ってますよと心の中で答えた。声に出すとバレてしまうからだ。
僕がやったことだって。
「え……?」
「身体の中が損傷していて……食事の場では憚られるのと、守秘義務がありますので、これ以上は」
「病気ですか?」
「……」
警察関係者は答えない。内臓の一部が灰になることは、損傷と表現できるのか。なるほど、と僕は新たな知見を得ながら「安心できませんよ……異能って、特別な力なんですよね……? 死なないかもしれないじゃないですか」と、拳を握りしめた。
「死にます。異能者も人間なので」
複雑そうな声音だ。相手にとって僕はきっと、大切な人間が危険に晒され不安を抱えている、可哀そうな関係者に見えているのだろう。
俳厘さんにとって、物理異能を持つ僕が一番の脅威だ。
そして僕にとって、僕の異能を消す俳厘さんが一番の脅威だ。
だから、異能を消せる俳厘さんが邪魔で近づいた。僕の異能は、相手に強い意思を抱かないと機能しない。
でも僕は、他人に関心が持てなかった。そのぶん自分が異能者だと気付くまで時間がかかった。はっきり分かったのは、中学の頃だろうか。上の学年に目をつけられいじめられ、だんだん怒りがわいてきて、ある日、目の前の人間が灰になった。
そのあと高校の進路について父親と口論になり、父親が僕に手を上げ灰になった。そのあと、父親を灰にしたことを母親になじられ、意識的に母親に触れ、灰にした。
以降、異能は使ってない。意識的に発動するような状況も避けていたけど、誰かを灰に出来る、というアイデンティティは僕にとって大切だった。
どんな困難に見舞われようと、脅威が現れようと、相手を灰にしてしまえばいいのだ。不条理の多い人生の中で、たとえすぐに使えずとも、武器を持つことは必要だった。
でも、異能を消す異能を持つ俳厘さんの存在を知った。
怖い。理解できない。だから灰にする。自分以外の存在なんてどうだっていいから。生きていくのがやっとだから。他人のことなんて構っていられないから。
なのに、俳厘さんは調べれば調べるほど可哀そうで、いろんなものに傷ついていて、可愛かった。
挙句の果てに、僕の何気ない一言で救われたような顔をする。
僕がささやかな好意を伝えるたびに、困っていて。
安寧の為に消してしまいたかった存在は、ただ存在する以上に僕を苦しめる存在に変わったはずなのに、狂おしいほどにそれなしで生きていけなくなった。
それだけで死に至ることは難しいけれど、中毒性は高い。
毎日たくさん受け取ってしまえば、身体にはよくない。
それでいてご褒美で、単調で退屈な人生に彩りをくれる。
僕の絶対。
◇◇◇
「いらっしゃいませ」
僕は俳厘さんと並び、お客さんを迎える。退店のときは「ありがとうございました。またお越しくださいませ」だ。「いってらっしゃいませ」とは言わない。カフェはカフェでも、そういうお店じゃないから。
僕はお水の準備をしながら、俳厘さんを横目に見る。心の中で、「いらっしゃいませ」と彼女にだけ言う。
逃げ場も行き場もない僕のところへ。
いらっしゃいませ。