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うちの嫁は頭がおかしい




 うちの嫁は頭がおかしい。


 言葉通りの意味だ。頭がおかしい。


 とんでもない馬鹿で、どうしようもない。俺は元々結婚願望なんてなかったし、こいつは完全に俺がいないと駄目だろと思って結婚してやった。


「あの、さっきからお冷連発してますけど迷惑じゃないですか? そのお冷何杯目ですか」

「本当だよ。ラッシーある言ってるのにおかしいよこの人、絶対飲まない。水ばっかり。水もう自分で汲みに行ってほしい」


 仕事を終え、昼食を取るために入ったインドカレー屋の窓際席で、後輩の御上が怪訝な顔でこちらを見てきた。馴染みの店員もそれみたことかと言わんばかりだ。


「ほらぁ」


 御上は無邪気に「すいません先輩が」なんて店員に言うけど、この男は普段、人殺しみたいな目つきで仕事をしている。店員に対してだけだ。普通の人間みたいに振る舞うのは。気持ち悪い。


 全員に同じ態度でいろと言っても、「業務に必要ならまだしも死んだほうが良いゴミにかける愛想ない」と、聞く耳を持たない。


「店員さんならまだしもお前俺の後輩だろうが。それにおごってんだから文句言ってくんじゃねえよ」

「先輩の粗をフォローするのが後輩の約目ですよ」

「じゃあラッシーお前飲めや。一番大きいのよろ…」

 

 俺がそう言い切る前に、「ありがとございまーす」と店員が準備を始めていた。ミキサーの轟音が響きわたり、すぐ「できたて〜」と店員がジョッキに入ったラッシーを持ってくる。


「でも、なんであなた達、ずっといる? チーズナン食べてるからいいけど、あなたカレー食べてから水ずっと飲んでる」


 店員はジョッキラッシーを飲む御上を一瞥した。御上は手が空いたタイミングでナンを食べているが、俺は2時間前…ちょうど仕事の手が空いた15時頃にカレーを食べてから、ずっと居座っている。


 迷惑だろうが、そのために御上を連れてきた。ランチセットのおかわり無料対象になっていないチーズナンを頼み、こいつに食わせ続けることで俺はこの店の窓際の席に滞在する権利を得ている。


「だからナン頼んでんだろうが。っていうかこの店やばくねえか。さっきから俺らしかいねえぞ」

「配達多い。近くのビル3つ、会社と癒着ある」

「日本語勉強中だから物騒な単語使っちゃう設定で笑いとろうとしてんじゃねえよ。お前普通に俺よか国語の成績良かっただろうが」

「え」


 御上が驚いて俺と店員を見る。店員はいたずらっぽく「小学校一緒。私立受験でいないした」と自分を指した。


「騙された」

「お前身内にガバすぎるだろ。お前もうちょい判定緩めろ」

「どぶどぶどぶ」


  御上は都合が悪いとすぐ擬音で返事をする。どうかしてる。でも、


「で、奥さん普通に仕事してますけど……見当つけてんのは客ですか? 店長も本人もヘテロで店員もそうですし、不倫無理じゃないっすか」


 興信所に務める探偵だ。


 鋭い眼差しで窓の外──カレー屋の向かいに位置するコーヒー豆のセレクトショップを眺めながら、ナンを食べている。視線は一度も外していない。


「これ不倫無理って状況で、その無理覆してきたやつら無限に見てきただろ」

「確かに」


 依頼は大きく分けて3つ。人探し、素行調査、不倫調査だ。で、一番安牌かつ多いのが不倫調査。


 することといえば、裁判に勝つための証拠集めか、不貞行為をしているかしていないか判断するための証拠集め。どっちも同じだと思われがちだけど、前者と違い後者の依頼主は、暗い祈りを抱えている。 


 もしかしたら、相手は浮気なんてしてない、自分の気のせいじゃないか。


 最悪を想像して苦しむ人間にとどめを刺す。


 そんな仕事を俺たちはしている。自分で選んだ……というより、これしかないから。御上は職歴がゴミ、俺は性格がゴミ。両方才能がないのに夢を見て、今に落ち着いた。物語の探偵と、現実は違う。


 俺たちが依頼主の為に探して見つけだすのは真実じゃなく、延々と続く地獄への切符だ。


 その地獄を、俺は自分で見つけ、自分で手にする。


「でも、意外ですね」


 チーズナンにシナモンをかけながら、御上はつぶやく。


「なにがだよ」

「晏名さんが奥さんのスマホを見る想像出来なかったから」

「スマホ勝手に見る前提で話すんなよ」

「でも配偶者の不貞を疑った人間がすることランキングナンバーワンスマホ見るじゃないですか」

「じゃあお前すんのかよ」

「そもそも相手がいない」

「いたら」

「しない。して浮気されても好きなままだろうから、傷つきにいかない。それに、正気に戻ったんだなと思う」

「あ?」

「俺を好きになる人間なんてどこにもいない」


 御上は死んだような目で窓の外を監視し、ラッシーを飲んでいる。


 本人にも言っているけど、こいつは変なところが人間じみている。普段、倫理観もなければ人の心も感じないのに。


「で、スマホ見たりしたんすか」

「見ねえよキショいから。あいつのスマホクッソキショいんだよ」

「不衛生ってことですか」

「俺の盗撮、写真と動画でSDカードだけでも780GBくらいあんだよ。1Tなんかいらねえだろって言って、それでもお願いします……ってゴチャゴチャ言ってきて、このザマ。まじで普通に128GBにすりゃ良かった」


 それに、クラウドも登録して、パソコンのハードディスクにも入ってる。写真投稿するオシャレサイトにあるような、デートで行ったカフェのラテアートの写真とか、旅行で行った山の写真ならまだしも朝起きてすぐの俺とか、洗面所で顔洗ってるところとか、全部。心臓の音も欲しいなどと言って、録音していたし、本当に頭がおかしい。


「奥さん、写真だとだいぶ落ち着いている印象ですが」


 御上が言う。うちの事務所の方針として、それぞれの関係者に会わない、というものがある。謂わば家族や友人知人とは会わせない、職業を伝えないということだ。探偵ということを知られれば、調査がしづらくなる。


 それに他人から見れば調査とプライベートの区別がつかないのだ。俺を探偵だと知っている人間が、俺の近くに自分の知り合いがいたら、どう思うか──ようするに俺がただ歩いているだけでも、何か調べごとをしているんじゃないかと思われ、そばに知人でもいればそいつがあらぬ疑いをかけられる。


 探偵だと知られることは、百害あって一理なし。


 だから、嫁にも言ってないし、職場に結婚したことは言ったけど、嫁は見せてないし会わせない。嫁は友達がいなくて、俺は職場の人間が呼べないから、結婚式は家族だけでやった。


「落ち着いて見えるけどとんでもなく馬鹿なんだよ」

「暴言」

「俺の着た後の服欲しがってそれ口の中に入れようとするやつ、馬鹿以外になんて言えばいいんだよ」


 言い返すと、御上は珍しく黙った。一つ言えば二百で叩き返すくせに。黙っている間は良からぬことを考えているか、こちらが失敗するのを待って一気に殺しにかかるかの二択。


「なんで黙ってんだよ。訴えようってか」

「普通に言葉がでなくて」

「んなわけねえだろ」

「嘘じゃない。先輩には嘘つく理由ないっす……あの、話戻しますけど、そういうの結婚後? 出てきた感じですか」

「前から。ずっと前、ってかあいつ最初からおかしかったんだよ。いつも俺が朝メシ食ってる公園にいて、泣いてて……会社行きたくねえとかで、おにぎり食ってる間、うるせえからキレたら寄ってきた」

「あぁ……」


 御上はなにか察したような顔で俺を見る。気持ち悪い。


「晏名さん、叱ったでしょ」

「叱ってない。苛ついて色々言った」

「それ世間一般では叱ったって言うんですよ。苛ついてストレス解消に色々言ったことを叱った、注意したって言うパワハラクソ上司の逆パターン」

「あ?」

「元ヤン出さないで……それで、寄ってきて……押しかけられるがまま家に入れた?」

「なんで知ってんだよ。お前俺になんかやってんじゃねえだろうな」

「想像つく」


 御上は短く返す。


「で、浮気されてるなと思った原因はなんなんですか」

「熱意を感じない」

「熱意?」

「最近、自分のしてること、犯罪だったって言って、写真撮るのも、服食うのも……やめだしたんだよ」

「更生してる……? え、そういうのに更生ってあるんだ……」

「どこが更生だよ。やる気ねーなら帰れって気持ちになる」

「体育会系クソ部活みたいなこと言ってますけど更生ですよ。犯罪なので」

「でもおかしいだろ。あいつ俺がいねえと生きていけねえ、死ぬって言ってたのに」

「だから結婚したんだ」

「当たり前だろ、死なれちゃ困る」


 結婚の決め手はそれだった。この女、俺がいないと駄目だなと思った。今まで何人か付き合ってきたことはあったし、結婚するのかなと思ったこともあったけど、この女俺がいないと多分駄目だろうなと思ったのはその女だけ。


 でも興信所の仕事のこともあり、どうしたものかと考えていたら、結婚してくれないと死ぬって言ってきたから、今がタイミングかなと結婚した。でも、


「あいつああやってパートも始めたんだぞ」

「晏名さんの稼ぎが悪いからでしょ」

「あいつ、PMSひでぇわ片頭痛と気圧でぐちゃぐちゃになるわで外で仕事せず済むように俺がペンキ屋兼業してクソほど稼いでんだよ。なのにそれまでして働きだすのなんなんだよ。浮気だろ絶対」

「は」


 御上が鼻で笑う。普段クライアントの前では絶対しない、こいつの本当の笑い方だ。人を馬鹿にしている。


「本人に問い詰めればいいのに」

「別れろって言ってくるかもしれねえだろ」

「怖いんですか」

「当たり前だろ」

「どうして」


 御上が試すように見る。


「好きだからだよ。どうしようもないやつだけど」


 そこまで言うと、御上は口角を上げた。嫌な笑顔に、何か謀られたと察する。


「ということで、奥様よろしくお願いします。旦那さんの意向としては、こんな感じでーす」


 御上はテーブルにおいていたスマホの画面を上向きにした。通話中の表示になっている。未登録の電話番号は、嫁のものだ。御上はタップし、通話を切断した。


「素行調査の依頼です。晏名さんとはペンキ屋経由で近づいていった設定でいるので、うっかりご自身のお仕事について言わないように」

「お前……」

「同情で結婚してもらったし、こんな自分愛されるわけないしで不安だったらしいですよ。あと、晏名さん好きって言わないんでしょ。それで不安になっちゃったみたいで」

「不安って」

「死にゃあ好きなんて一生言えないんだから、言っておけばいいんすよ。あはは……じゃ、

お疲れ様でーす。チーズナン、ごちそうさまでした。あと……奥さんの不貞調査も」


 そう言って御上は手を合わせ、店員に「おいしかったです」と伝え去っていく。


 やられた。


 俺はすぐ窓の外へ目をむける。嫁がこちらを見た。


 周囲の目も憚らず、感動した様子で泣いている。


 やっぱりうちの嫁は頭がおかしい。



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