即効性タイムカプセル
師走はどこも忙しい。年末年始の休暇に入るため、あらゆる仲介役として存在している出版社は、各取引先の動向を見越して先立ってものごとをすすめる必要がある。毎月、本を出して、企画を通して、新しい作家を見つけて、すべて並行しながらだ。
「雛川さん! 古宿先生の大賞受賞作、すーごい売れてるらしいですよね、おめでとうございます!」
デスクワークの休憩時間、自販機の前でスマホをかざしていると、同期が駆けてきた。返事を遮るように、決済完了音とともに、ガタン、と缶の落下音が響く。
「ありがとうございます」
私は自販機からカフェラテを取り出しながら、無難な返事を選ぶ。編集者として働いている以上、言葉を扱うのが仕事とはいえ、答え方が良く分からない。
古宿左月──いかにもペンネーム感たっぷりの名前で、恋愛小説家を紡ぎだす、売れっ子作家。実家は西の武家の時代から歴史を持つ和菓子屋の次男。
作家業と並行しながら自分の家の和菓子屋の広告塔を担っており、動画投稿等SNS発信に余念がなく、和菓子屋、作家、インフルエンサー三つの顔を持っている。端正な顔立ちから、和菓子王子なんて呼ばれ、テレビに出ることも多い。
そして半年ほど前、他社で受賞した作品が今月刊行され、発売後、二日で重版というヒットを飛ばしている。今月の発売というのに、今は四刷目だ。。
とはいえ、私の担当作ではない。担当作家とはいえ、「古宿左月がうちで出している作品の担当」だから、おめでとうと言われてありがとうと言うのも違う気がする。
古宿左月の作品の数だけ、古宿左月の担当編集者がいる。
それに、担当編集とはいえ最近は一人ではない場合も多い。文章のチェックのみ、イラストは別──サブの編集者を交える等、色々ある。
私は当初、一人で古宿左月の担当をしていた。
でも、担当作が増え、キャパシティの面で段々と満足いく仕事が出来なくなってきて、二年ちょっと前から、サブを入れた。
当時入社一年目の若手女性社員だが、元々古宿左月のファンで、話が早いと思った。
実際、一年前の今頃、地方住まいの古宿左月が物産展でこちらに来るということで、対面での打ち合わせを行ったが、彼女は大喜びしていた。私は他の作家との打ち合わせもあったため、途中で離席したが、翌日彼女は「一生左月先生のために頑張ります!」と感動していた。
そして古宿左月との相性も良く、私たちは三人で順調に刊行を重ねていた。
しかし今月、彼女は突然、代行業者を通じて退職の申し入れをしてきた。
編集者は多忙を極める職業で、白か黒かで言えば真っ黒だ。
休日という概念が無いし、出社しなくて構わないときは、家で寝て起きて仕事して寝て、と、仕事とプライベートが極めて曖昧な状態になる。
気晴らしに映画を見たって、仕事がちらつく。肉体的にも精神的にも、不健康に突き進む。
それでもこの仕事を続けているのは、物語が好きだからだ。本を読むことも、漫画に触れることも。肉体的にはきついとしか言いようがないし、拘束時間に見合う収入かどうか問われれば、黙る以外に無い。けれど、続けていたい。
だからこそ、突然辞めた彼女を責められない。辞める兆候に気付けなかった自分に原因があるし、事前に気付いていても、引き止める権利は私にない。彼女に対して冷たいかもしれないけど、問題は今とこの先だ。
サブが抜けた。当然増員は欲しいが、この時期、そう簡単に人は見つからない。古宿左月にも説明しなくてはいけない。それも突然の退職だから、上手く説明しなくては。
もうずっと前から凝っている肩を回しながら、カフェラテの缶を開ける。ぶしゅ、と鈍い音がして、乳白色の液が吹き出てきた。最悪だ。私は急いでカフェラテを飲んで缶を捨てると、汚れた服をウエットティッシュで拭う。全然汚れが落ちない。しばらくしてスマホが振動をはじめ、ノールックで出る。
「もしもし、菓匠古宿の古宿左月と申します。お世話になっております。今お時間大丈夫でしょうか」
「古宿さんお疲れ様です。雛川です。どうされましたか」
「物産展の搬入でこっちのほう来とりまして、なんか書類とかあったらそっち寄らせてもらお思うて連絡したんですけど~」
滑らかな訛り言葉が耳をかすめる。テレビで女子アナウンサーがかっこいいとはしゃいでいた。音声映えするなと思う。インフルエンサ―として他と差別化できているのも、こうした要素が所以だろう。音が美しい。
「あの、突然で……申し訳ないのですが……もしよろしければ、こちらにご滞在の間に対面でのお打ち合わせを……お願いしたく……」
「ああ、ぜひ、お願いします~いつにします~? 僕は今日でもええですけど、兄にふられてしもうて、あはは」
「私も、今日でも」
運がいい。古宿左月は地方住まいで、対面の打ち合わせは中々出来ない。こういうことは電話か対面で説明したほうが齟齬が少ない。メールでのやり取りを重視する編集者もいるが、顔が見えなければ、どうとでも隠せる。相手は言葉のプロだ。
「あ、じゃあ、店、そのまま断るのもあれなんで来てもらいたいんですけど、問題ないですか?」
「ありがとうございます。助かります」
「あはは、そんなかしこまらんといてくださいよ、丁度良かったです。僕二人分食わな思うてたんで~後でメールで店のサイト送らせて貰いますわ」
──では失礼します~と、古宿左月は電話を切る。
しばらく待つと、URLが送られてきた。全国でチェーン展開をしている居酒屋の、個室。
歴史ある場所で、伝統の和菓子屋を営んでいる家の、次男という肩書は、血筋こそ格式を感じるが、本人や本人の趣向は気さくで親しみやすい。
彼の書く物語も同じだ。余命もの、感動小説と呼ばれるジャンルで活躍する彼は、重い設定を扱いながらも読後感は爽やかで、涙を流しながらも前を向ける物語を紡ぐ。
中高生を中心に、若者に支持される作家だ。
だからこそ、意外だった。今月発売された彼の新作に、官能的な表現が含まれていたことが。
待ち合わせ時間から二十分前のこと。指定された場所に向かうと、既に古宿左月が待っていた。普段、動画でも店でも物産展でも和装の彼だが、今日はスーツだ。
「すみません」
遅れてきたことを詫びると、彼は「謝らんといてくださいよ、こっちが電車読み違えただけなんで」とはにかむ。
「快速とか特急とか、単語はこっちと変わらんのに、どこどうとまるか分からんから、お恥ずかしい限りですわ」
「いえ……」
「じゃあ、店、入りますか、ちょっと早いですけど、まぁ、ええでしょ」
古宿左月は笑みを浮かべる。私は彼に誘われるように、その後を追った。
「いやぁ、それにしてもこの辺り、半年見ないだけで景色まるっきり変わってしまって、びっくりしますわ」
あはは、と古宿左月はお手拭きで手を拭う。あれから問題なく個室に通され、メニューとお冷が配られ、今に至る。
「なんかお酒飲まれます? 僕ビールいこう思うとるんですけど」
「あ、じゃあ私も」
「はーい、なら枝豆と、お、しそ天もええな……でもなんか久しぶりですね、雛川さんと飲み、直近は……一年前でしたっけ、あの、三人で顔合わせなった時の」
古宿左月はメニュー越しにこちらへ視線を向ける。
確かに、対面で会うのは一年ぶりくらいかもしれない。
それこそ物産展ぶりだ。菓匠古宿はその地の物産展が開かれれば、その商品をチラシ広告に一番大きく映される。地方の旅行誌の名店欄には必ず名前がのる。でも、「出し惜しみせんと、定番みたいになるのはねぇ、価値が下がってしまうんで」と、ブランディングを行っているようだった。だからか、監修やコラボ等はせず、あくまで自分の店で作ることにこだわっている。
「あん時、途中で帰ってはりましたけど、今日も忙しいんですか?」
「いえ、今日はこのまま直帰です」
「そうですか、なら沢山飲んでべろんべろんになってもタクシー乗せて貰えますね、ありがたいわぁ。泊ってるホテルの名前言うとこうかな」
「お任せください」
酒には強いほうだ。問題は無い。
「それで……あの彼女のことなんですけど」
「ああ、どうされました? なんかあったんですか?」
「実はその……退職が決まりまして」
「へぇ、大変ですねぇ、なんか暗い感じですけど、身内とかお身体になんかあったとかですか」
古宿左月は特に動じることなく水を飲む。
「いえ……」
「他の作家と揉め事起こしたとか?」
「理由が分からなくて……本当に突然、それで新しくサブの編集者を入れようと思うんですけど、古宿さんのご希望をお伺いしたく」
「希望って?」
「男性がいいとか、女性がいいとかがあれば……」
以前のサブ編集決定は、特に相談もなく行った。問題は無かったが、こうして突然辞めた、ということもあるし、念のため希望は聞いておきたい。
「なんもないですねぇ、サブの編集者さんが誰に決まっても、僕は書くだけなんで」
古宿左月は真っ直ぐ私を射抜く。プロ意識が強い。和菓子屋では接客もしているし、経営にも関わっていることから交渉等で慣れているのもあるだろう。
「では、私のほうで決めてもいいですか」
「どうぞどうぞ、お好きなようにお願いします。お手数おかけして申し訳ないですけど……」
「いえ、こちらこそすみません、ご迷惑おかけしてしまって……」
突然の退社で、少し神経質になっていたのかもしれない。古宿左月は、どんな編集者ともコンスタントに仕事の出来る作家だ。肩に力を入れすぎていたのだろう。安堵していれば、店員がやってきた。古宿左月が注文をはじめ、私もそれに倣う。
あとは、今後の刊行作の打ち合わせをするだけだ。私はほっと安堵しながら、注文を受けた店員を見送った。
「事実は小説よりも奇なり言うやないですか、あれ、どう思います?」
注文した料理の皿が半分ほど減り、空のジョッキが二つずつ並んだ頃、古宿左月はあくびをしながら聞いてきた。
「どう思う、とは」
「実際のところ、小説と現実どっちが勝つんかなって」
「物語でしょう。ファンタジーがある限りは」
「恋愛は?」
「恋愛は……どうなんでしょうね」
恋愛小説を担当することもあるし、当然、企画を立ち上げることもある。どんな時代も恋愛小説は売れるし、どんなジャンルでも恋愛要素はあったほうが売れやすい。恋愛に至らずとも強い繋がりは好まれる。でも、個人としての意見は良く分からない。大学時代に恋人はいたし、社会人になって数年間は、別れて、新しい人と付き合って、と自分の人生にそれは在った。
でもここ数年、仕事仕事で他に関わる気力が無い。膨大に溜まった動画配信サービスのウォッチリストを全て消化する未来と同じくらい、想像が出来ない。
「僕も小説と現実やったら、ファンタジーがある限り小説やろ思うんやけど、我斎の爺さん見てると、恋愛においては小説も現実も大して変わらんような気するんですわ」
我斎の爺さん──我斎重国先生のことだろう。先日、作家活動五十周年を迎えた、御年七十歳の大御所作家だ。担当作家に我斎先生を我斎の爺さんなどと呼ばせたら編集長から大目玉を喰らう。うちの会社のみならず、どの会社でもだ。
でも、古宿左月はそれを許され、見過ごす私も許される。
何故なら古宿左月は、我斎重国先生の親戚だからだ。いわば身内。デビュー当時は血筋に一切触れず、売れてからスクープされ公表に至ったことで、より一層、古宿左月のブランドに箔が付いた。
「我斎先生?」
「あの爺さん、ずーっと婆さんのこと想って、誰も相手にせんで、一日一回、婆さんの部屋で一時間くらいぶつぶつ話しよるんですわ。それも、老いやのうて、正気のまんま。死んだ前提で色々言うて……お前は死んだから分からんやろうけど、今はスマホ出て……こんな便利な時代なって……とかって、そんなん仏壇でしたらええのに、部屋で」
──重たいんですわ、重国だけに。
なんて、色んな意味で笑えない軽口を言う。
「それにうちの血筋、怖い刀とか変な逸話に事欠かんで、それも色恋絡みばっか、どろどろの、だから話は爽やか~なもんがよう見えるんです」
「もしかして、それで……青春小説を?」
古宿左月のデビュー作は、青春小説だった。
余命というタイムリミットを抱えた高校生男女の物語で、刊行してすぐ、動画で話題になった。そして彼は次の新作をどこの出版社も通さずウェブに投稿し、私は駄目元で書籍化の打診をして、出版にこぎ着けた。
「なんやろ、書きたいもん書いて、一番それっぽく売れそうな気したんがそのジャンルやったんですわ。まぁ、和菓子屋やらんで本屋やるんやったら、同じくらい稼がんとなぁ……許されへんし、で、世間様は余命もの好きやし。自分に関係ない思うとるから。安全なとこで、実際おんなじ目に合うわけやない状態で、それっぽく悲しんで退屈紛らわす性癖抱えとるからなぁ」
古宿左月は攻撃的な雰囲気を纏った。普段、こんな風に吐き捨てるように話す姿は見たことが無い。酔いが回っているのだろうか。
「なるほど」
「まぁ、そう思っとったけど……雛川さんと仕事して、気変わったんです」
「え」
「他にも理由あってん。余命もん書いた理由、なんやと思う?」
「……好きな作家が書いてた、とか?」
「正解は、自分がそうやった。まぁ、今は健康そのものやけど」
わはは、と軽い声音に、どう返事をしていいか分からない。私は黙って彼の話を聞く。
「リアリティある言われてたけど、当たり前なんよ。知っとるから。感情も状況も何もかんも。で、売れて、編集者から仕事の依頼ぼんぼん入ってくるようなってなあ……感想みたいなんと合わせて送るやろ? お仕事ご依頼メール……まぁつまらんつまらんで。ああ、読者はええんよ。拙かろうが、泣けましたの一言やろうが、読み手やし。でも、編集は書く、伝えるが仕事やろ? 言葉で書くこと伝えること仕事にしよる人間がこーんなつまらん感想持つんやなぁって、冷めてもうて、段々、こんな感想書かれよる僕が悪いんかって、全部面倒なった時やってんな、君から、おかしな感想と一緒に、打診メール来たんわ」
「おかしい?」
おかしな依頼はしていないはずだ。私は彼への打診メールを思い返す。本当はスマホやパソコンではっきり確かめたいが、流石に今出すわけにはいかない。
「えっと……」
「言っとくけど文法とかは綺麗やったで、そういうおかしさは微塵もない」
「では」
「文字数」
「文字数?」
「おん、もう辞書やであんなん。調べたら五万字や、文庫半分。怖なったわ。僕これ無視したら刺されんとちゃうか、この編集危ないん違うかて、いっぺんおうて勘弁して貰わな、でもこれ絶対おうたらあかん奴か、あほほど迷ってん」
五万字。文庫半分だ。作家にページ数削減について言えない文字量だ。
「でも、高みの見物しよらんと、等身大の感想やった。だから、すごい、気ぃ楽なったんよ。ああ僕、書いてよかったわぁって、ちゃんと思えるもんやった」
「古宿さん……」
「でもおうてみたら君、随分こざっぱりしとって、なんや思うて、びっくりしてたらあれよあれよという間に話出すことなって、書いてみて改稿なったらまぁ……厳しいこと厳しいこと、どっかしら探せば訴えて勝てるんちゃうかってずっと思ってたわ。これ、あの感想送ったやつと同じなんか、なんかゴーストライターでも立てとんのんかって」
笑い交じりに話すが、古宿左月は目が笑っていなかった。
確かに、厳しくしてしまっているかもしれない。誤用に脱字、古宿左月が書きたいものを事前に聞き、そこから少しでもずれていると感じたら容赦なく指摘した。
限られた時間の中、作家が読んで後から「こう書きたかった、こうすれば良かった、もっと自分の色を出せば良かった」という後悔を少しでも無くしたい。
「でもまぁ、今が楽しいからなんでもええけど。ドМに調教されたんかな、僕普通なんやけど」
「調教だなんてとんでもない」
「無自覚調教師なんか、末恐ろしいわ、次回作のネタにでもしようかな、この間の新刊から、エロいもん欲しいてオーダー来よるし」
「ああ、そういえば、新作読みました。新鮮でした。面白かったです」
「そう? 出てくる女、わりとそこらにいるタイプで、雛川さんからしたら、おもんないかと思うてたけど……」
「そんなことないですよ。共感性の高い等身大のヒロインが好きな相手の為に積極的になるところは、可愛いと思いました」
「なるほどなぁ、せやから君辞めたサブのこと気に入ってたんか」
──そうかそうか、納得いったわ。そういう性癖か。
古宿左月はのんびりした調子で納得すると、練り物をつまむ。
「え、ど、どうして、ヒロインが、彼女と関係が……?」
「え、だってモデルやし、気付かんかったん? ピンク好き言うてたやろ? サブ、それでヒロインの濡れ場のとこ、ピンクの下着やって書いてあったやん」
「……は?」
「前々からピンク好き言うて、筆入れもパソコンもピンクやったけど、ブラもピンクやってんなぁ、思わず吹き出しそうなってもうたわ、女児の好きなアニメの揃え方やん」
くすくすと古宿左月は子供が手品の種明かしをするように笑っている。
「……ど、どういうことですか」
「一年前、物産展の後次巻の打ち合わせや言うて集まったの覚えないん?」
「いや、覚えてますけど……」
「君、おらんくなったやん。別の作家と打ち合わせある言うて。その後なぁ、バー行って話ししとったらもう相手その気やで、ああ、ちゃんと合意の上、動画あるけど見る? 向こうが撮ったやつやからな? ちなみに。僕そういう趣味ないし、動画あんの? って聞いたら、向こうが送って来てん、トーク画面の証拠あるよ、見る? ほら」
見せつけられたスマホのディスプレイには、全ての証拠が揃っていた。彼女が彼を誘ったこと。あの夜起きたこと。その全てが。
そして、悟った。突然彼女が辞めた理由。
「か、彼女と交際していたんですか」
「いーや? 一晩だけやで。向こうはどう思うてたんか知らんけど」
「か、彼女は、貴方に憧れて……」
「だから?」
それが一体なんだと言うのかと、古宿左月は笹かまをつまんでいる。
「僕のこと好きなんやろ、でも僕は別にあの女のこと好きなやないねん。それとも好きや言うたら好きにならなあかんのんか? それになぁ、僕に文句言わんといてや、君んとこの後輩か、採用担当の問題やろ、それか君の指導不足。それに万一、僕に非があんねやったとしたら、サブなんかつけへんほうがええってだけの話や」
「サブ編集が入ったことが、気に入らなかった……?」
「気に入るか気に入らんかで言うたら気に入らんよなぁ、でも君の意思やろ? キャパシティ問題もあるしなぁ、僕にはどうにもでけへんし、だから僕の口出すもんでもないから」
──ただ、僕も僕で自由にさせてもらいますけど。
くすくす、くすくすと古宿左月は笑っている。
彼女と関係を持ち、それを、小説にした。
「まさか、やめさせるために、コンテストに応募を?」
「おん。流石、僕のやりたいこと指摘するの得意なだけあるわ」
「なんでそんなことを……」
「だから言うたやろ、君はサブつけたい。僕は、それが気に入らん。君には事情がある。僕にも事情がある。なら、戦いや、君はサブつける。僕は、サブが女やったら、誘って抱く。男やったら……まぁ、舞妓でもあてるか、女には困ってないからな、男好きな男やったら、まぁ、辞めたサブみたいにすればええだけやし、だーれも好きじゃない、君みたいなタイプやったら、どうないしよ、どうやって……やめさそ」
そう言って、古宿左月は笑う。どこまでもどこまでも深い、沼の底のような瞳で。
SIDE SATSUKI
小説を書くということは嘘をつくことと変わらない。だってこの世界に魔法なんてないし、大逆転のハッピーエンドもない。悪い奴は大抵悪いまま反省することなく幸せになるし、努力しても報われない
。
ただ、報われて欲しいと思った。あの人には。
「嫉妬してくれたんか思ったんやけど、なあんも変わらへんかったわ」
雛川さんを残して店を出て、自分を待っていた人物──御上くんに声をかける。彼はさして興味もなさそうな眼差しで、「はぁ」と気だるそうな返事をしたあと続ける。
「いいんですか、エロいことしたと思われて、童貞なのに」
「童貞ちゃうわあほんだら。童貞は君やろが」
「侮辱罪ですね、録音します。次は法廷で会いましょう」
「おう勝手にせえ、絶対勝ったるから」
御上くんは作家仲間だ。ミステリーを執筆している。兼業作家で、もう一方の仕事はカフェだったりスーパーだったり、日によって返事が異なる。ようするに、フリーターらしい。
「でも青春時代まともに過ごしてないですよね、古宿さん、そんな感じしますよ」
「親族でいっちゃん青春しとるで」
「古宿家の面汚し、伝統文化の恥さらしってネットで叩かれてましたけど」
「そんなもんいくらでも叩かせとけばええねん。店汚いとか、髪の毛入ってたとか、あることないこと書くあほよか、ちゃんと感想しとるやろ」
「でもその感想許さなかったじゃないですか」
御上くんが即答する。
「言えばいいじゃないですか、サブ編集者、雛川さんのことネットで袋叩きにしてたから、潰したって」
「言うたら傷つくやろうが」
サブの女は、ネットで雛川さんについて書いていた。
元々エゴサはよくする。どんな意見も飲み込んで、噛み砕いて、味わって、栄養にして創作をする。古宿の菓子はずっとそうやって作られてきた。だから僕の話も同じだ。でも、サブの女がついてから、変なレビューが増えた。編集者は仕事をしているのか。何を考えているのか。雛川さんを責めるものだ。
そして掲示板には、レビューを引き合いに出しながら、古宿左月の担当編集者について探るような動きをする人間のほか、雛川さんを特定しようとするような動きが見られた。
雛川さんに近しい人間しか分からない彼女の情報が、「業界の人間から聞いたんだけど」「関係者いわく」という胡散臭い前置きと共に、流れるようになっていった。
書き込んでいた人間は、必然的に古宿左月について触れ、僕の名前を出さなくてはいけない。「古宿左月の編集者は~」などなどだ。
つまり、僕だけで裁判を起こし、相手を特定できる。長い時間をかけて知った書き込みの犯人こそ──サブで入った女編集者だった。示談の条件として、退職しろと伝えた。
「担当作家が後輩と寝たも、いい線行くと思いますけどね。雛川さん、正気っぽいし」
「なんや、御上くん編集者嫌いやんけ、全員死ね言うてたやろ、どないしたん。雛川さん好きなん? 喧嘩か?」
「正気だろうが正気じゃなかろうが、編集者に対しては嫌い以外の感情が持てないのでご安心ください。嫌ってる上で、正気か正気でないかの判断があるだけでーす」
「雛川さん嫌うなんてとことんセンスないなぁ」
そう言うと、御上君は解せないといった顔をして、返事をしなかった。
「でも君が好き思うタイプっておんの? なんか色々、執着心とかなさそうやけど」
「それ三年単位で付き合いある人間全員に言われるんですよね、恋愛友情仕事仲間趣味仲間取引先に求める条件みたいなの。この間、職場で書かされて、賭けの具になりましたよ」
「なに賭けの具って」
「俺の出す条件をクリアした人間が現れるかどうか。ちなみに現れないに賭けた人間は、現れるに賭けた人間全員の望む家電製品を購入しなければいけない決まりです」
「条件て何」
「俺が叩いても壊れない石橋」
「無理やな。現れへんわ。良かったなぁ、現れへんほうに賭けよったやつ、買わんで済むやん」
御上くんは神経質だ。念には念を入れての究極系。
「まぁ俺自身も思いますよ。そんな人間いるんだったら見てみたい」
「どっかにおるんやないの」
「そう思うなら連れてきてくださいよ」
「そら無理やわ、時間もないしな、、今からこっちで働いとる親戚と傷心慰めパーティーやから」
「はぁ」
「暇やったら御上くんも来る? ええ感じのイタリアンなんやけど、ほら、あの雑誌によう出とる、和泉シェフの店」
和泉シェフ。そう聞いた途端、御上くんの表情が曇った。
「遠慮します」
「なんで? キラキラしたん嫌い?」
「好きなように見えます?」
「でも僕の親戚、ゲーム作っとるお話屋さんやから、話も合うんやない?」
「俺、運ぶものあるので」
「なに運ぶもんて」
「嫌がらせ」
御上くんは無表情で呟く。「即効性タイムカプセル?」と聞き返すと、彼は返事をすることなく、人混みに紛れていった。
「徹頭徹尾キショいなお前、その髪だってわざわざ毎朝鏡の前でコテでチマチマ伸ばしてたんだろ、キッショ、ヒーロー気取り、どうせあれだろ、その雛川って女に惚れてるんだろ、そんで自棄になってたときに丁度いいカモ見つけて自分ごと捨てたんだろ、キッショ、キーッショ」
傷心を少しは癒してもらおうと思った僕が馬鹿だったらしい。久しぶりに会った親戚──廻田直は、身に潜める毒を完全に凝縮した状態で現われた。
「お前本当に学生の頃、作文コンテストで賞取りまくって知事の前で世界平和についてスピーチした廻田直か? 偽もんとちゃうか。ちゅうかなんやその標準語、完全にこっちもん気取りやないか」
廻田直は二歳下の親戚だ。
盆暮れ正月には必ず顔を合わせていたが、それも高校の頃までだった。廻田直は身内にちょっとした問題が発生し、地元を出ることになり、そこからだから──顔を合わせるのは八年ぶりくらい。とはいえ、ネットや電話で話をしていたし、会わないのもお互い、対面で話す為のスケジュールが合わなかったに尽きる。
「当たり前だろ、こっち暮らして何年になると思ってるんだよ」
「高校生の時やろ、生まれて育ったわけでもないんに、加狸なんかちゃあんとこっちでも染まらんでやっとるやないけ」
「あいつはもっとちゃんとすべきところあるだろ」
廻田直は眉間に皺を寄せる。加狸というのは、僕と廻田直の遠縁にあたる高校生だ。素行態度が極めて悪く、和菓子をちまちま作るのが好きなうちの長男や、ゲーム作りにいそしむ廻田直、そして小説を書く僕と異なり、暴力の世界に生きている。
「風の噂で聞いたんやけど、年上の女のケツ追っかけて麻酔科医なる言うて今勉強しとるらしいで」
「闇医者か」
「わからん、コンビニでバイトも初めたて母さん言うとったわ」
「あいつ、高校生から金巻き上げてるからバイトの必要ないって小学生の時から言ってただろ。コンビニって名前の半グレのあれじゃ……」
「違う、一応見に行ったんやけどちゃんと働いとったわ。客はホストの兄ちゃんに水商売の姉ちゃんしかおらんとこやけど」
「しっかり終わってる場所だろ」
「せやな」
俺はワインを飲みながら、料理を食べすすめる。
「そろそろ親戚の集まり顔出さへん?」
「なんで」
「大爺ほっといたらそのうち死ぬやろ、そしたら出禁終わるんとちゃう?」
廻田直は、親戚の集まりの参加を──禁止されている。理由は、廻田直の母親が人を殺したからだ。犯罪者の家族として、廻田直への風当たりが強い。その一方で、彼は被害者家族としての側面も持つから、ややこしい。
「どうでもいい。家に興味ない」
「いっちゃん取り分多い我斎の爺さんもそんな感じやから俺がお前に声かけてんねん。爺さんいらん言うたら、お前のおとんが総取りやんか、大爺の金も土地も変な掛け軸も刀も壺も、生きとったらの話やけど」
そして廻田直は、事件さえなければ大爺──もう死にかけの一族当主の遺産を享受できる立ち位置にいた。廻田直の父親が、当主が最も目をかけた存在だったからだ。
しかしその父親は、廻田直の母親に刺され、死んだ。
ゆえに廻田直は遺産争いから一抜けした形だが、廻田直の父親が死に廻田直自身が相続から脱落となると、次に誰が受け取るのかと争いが生まれる。親戚が多すぎるからだ。
こちらとしては、ミステリー小説よろしく相続争いによる殺人事件が起きても困る。和菓子屋の評判にも関わるし、僕の小説の評判にも影響するだろう。一度お騒がせなんてレッテルが貼られれば、一生、嘲笑や偏見が付き纏う。
「いらない、なにも」
「欲しいもんないん? 買えんもんない額やで」
「ならお前の雛川も買えるのか」
廻田直は僕を睨む。人でも殺しそうな目つきだった。
「俺の欲しいものは、もう手に入ってる。くだらない遺産争いに巻き込まれて迷惑かけたくない」
「羨ましいわ。ぶっ壊したろうかな。僕今守るもんないし」
「殺すぞ」
洒落にならなかった。ふざけて言ってるとも思えない。来歴がどうこうという問題ではなく、声も目つきも、完全に本気だ。
「お前が手に入れたら、ぶっ壊し返したっていいんだからな」
「こーわ、でも一生手に入らへんからええよ。今日で決定的に駄目んなったから」
馬鹿みたいだなと思う。でも傷ついて欲しくなかった。物語を扱う仕事は心をすり減らす。心を壊せば、もう、取り返しがつかない。悪くなった心を切り取って治るのを待つなんて出来ないから。
「それになぁ、どっちか分からへんからなぁ」
雛川さんに傷ついて欲しくなかったからか、ただ単に、サブの女が邪魔だったからか。
どちらを理由に潰しにいったか、自分でも良く分からない。
「まぁ、どのみちもう壊れとるから」
ふはは、と僕は笑う。本当に、こうして廻田直を前にして冷静になって考えてみても分からない。守る為にそうしたのか、壊すために、そうしたのか。
「俺、全部放棄するから、必要そうなら内容証明付きで書類送るから、揉めそうだったら声かけて」
料理を食べ、酒を飲み、最近個人的にきている漫画の話をして──ラストオーダー目前で、廻田直と店を出た。二人とも、車の運転は滅多にしない。事故でも起こせば面倒だし、持ってれば何かと金がかかり、挙句の果てにはメンテナンスも必要だ。それならば必要な時に借りて乗ったほうが早い。欲しいと思うこともあれど、欲しいなと思っているうちが花だ。
雛川さんについても、きっとそうだろう。自分を納得させるように夜道を歩いていると、「古宿先生」と幻聴が響いた。酔いすぎた。僕はため息を吐いて、振り向かず進む。
「古宿さん」
今度は御上くんの声だ。これは多分幻聴じゃない。今度は納得して振り返り、息をのむ。御上くんは立っている。でもその横には、雛川さんもいた。
「許可、取ったんで」
御上くんはスマホを片手に言う。
「は……?」
「録音していいか、了承とりました。なので法的に問題ないんで」
その言葉に、御上くんとのやり取りを思い出す。確かに、彼は録音すると言った。
でも、それを、まさか。
「あの、古宿さん」
雛川さんが意を決した様子でこちらに進んでくる。
即効性のタイムカプセルが開くまで、もう少し。




