激重お兄ちゃんから妹へラブレターが発奏されました
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【悪役令嬢ですが攻略対象の様子が異常すぎる公式ツイッター】
10月2日 オーディオブック①巻 ボイスドラマCD コミックス⑤巻 紅茶缶
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高校に入学すると同時に兄が出来た。少女漫画とかドラマとかでよく見るけど、正直同世代の兄というのは中々気まずい。ホームステイとかならまだしも、素知らぬ他人とこれから自分が一人暮らしをするまで同居なんて、中々厳しいものがある。どう接していいか分からない……というのが第一印象だった。
「お兄ちゃん、おはよう」
朝のリビングで食事をとろうとしていると、既に制服に着替えた兄が無愛想な顔立ちで私の隣りに座った。挨拶を返そうという気持ちはあるみたいで、会釈はしてくれたものの、すぐにコーヒーを飲み始めた。
コーヒーはいつも砂糖なしのブラックで、他にはバターすらつけていないトーストをかじり、気まぐれにサラダと目玉焼きに手をのばす。毎日一緒に食べているからなんとなくルーティーンは分かるけど、一緒に生活して一年。兄との距離は、初期段階から何一つ変わっていない。
どうせ兄妹になったのだから、もう少し話はしてみたい。でも、私と兄は共通点もほとんどなくて、一緒なのは帰る場所と行く場所が同じというだけだ。だから、家族どころか人としての交流さえままならない。無理に話しかけて嫌われたら辛いなと様子を見ていたら、一年も経ってしまった。
「そういえばピアノのコンクールがあるでしょう? その日はお父さんも休みだし、帰りは四人でご飯でも食べてから帰らない?」
お母さんの問いかけに兄は「どちらでも」頷いた。兄は音楽の――クラシックの才能があるらしく、リビングには優勝という字とともに、兄の名前が刻まれたトロフィーがいくつもある。音大志望だけど、海外からのスカウトも来ていて、雑誌で特集されたりと、音楽が好きな人にとっては有名な人らしい。
私はクラシックに興味がないどころか、音符すら読めない。流石に申し訳ないから勉強はしてるけど、たぶん、音楽教室に通っている5歳位の子の方が、音楽を知っていると思う。
「ごちそうさま」
ぼそっと兄が呟いて、席を立った。私は同じ高校に通っているのに、つい「いってらっしゃい」と声をかけ、カフェオレのコップに口をつけたのだった。
◆◆◆
「ねぇ、律先輩今日はどうだった」
「おはようって言って、うんって言われただけだよ」
高校は、各停列車で四駅先にある。そこから枝垂れ桜の並ぶ坂を上がって登校するわけだけど、私が教室に入るとまっさきに聞かれるのは、兄のことだ。初めて話す子が目をきらきらさせて私に兄について問いかけてきたり、代わりに渡して欲しいと頼んでくるなんて日常茶飯事で、中々大変だ。
「沙梛ちゃんおはよ〜」
今日も質問攻めに遭い、私の答えに落胆する皆の背中を見送ってから自分の席につく。隣の席の沙梛ちゃんは、長い黒髪を耳にかけ、手元の文庫本から視線だけをこちらに移した。
「お疲れ様」
「ありがと〜」
彼女は、中学生の頃からプロのヴァイオリニストとして活躍していたらしいけど、なぜかこの普通科にいる。向かい側に建っている校舎には音楽科があって、プロの指揮者とかピアニストとか、それこそ兄みたいな人がいっぱいいるけど、彼女曰く「音楽については習うことは無い」らしい。
「ねぇ、音楽好きな人ってさ、やっぱり音楽の話してもらえたら嬉しい?」
「気分による。別に今は音楽の話をされてもいいけど、一年の頃に突然コン・フォーコなんて言われてたら、驚いて徒木の椅子をここから放り投げるかもしれない」
「沙梛ちゃんがそんなにアグレッシブになるの……」
私はスマホでこんふぉーこについて調べていく。どうやら、情熱的にという意味合いらしい。
「ねぇ、情熱的にって何? どういうふうにするの?」
「そのまま情熱的に弾けってこと。曲作った人間がこういうふうに弾けって指示が楽譜にあるの」
「へぇ……」
「そういう言葉が色々あるように、本当に人それぞれだから、徒木がわざわざ義兄のために楽譜の勉強することはないと思うけど」
沙梛ちゃんは私が手に持っていた小学生用の音楽教本を見やる。彼女と音楽の話をすることは今まで無かったけど、兄と暮らし始めて全くと言っていいほど打ち解けない状況に危機感を覚えた私は、音楽の勉強を始め彼女に色々質問するようになった。
今日も気になったところを尋ねようとしていると、わっと階下で黄色い声が響く。
窓から校庭を見下ろすと、人だかりが出来ていた。漫画みたいな女子高生の集団だけど、囲まれているのは私の兄である。兄は私よりいつも早く出ているけど、どこかで個人練習かなにかをしているらしく、学校に来るのはいつも遅い。そしていつも女子生徒たちに囲まれ、特に会話もせず記者に追われているテレビの人みたいに会釈を繰り返し、校舎内へと入っていくのだ。
「私、あんなふうにされたら、次の日ダンプカーで登校するかも」
「人が近づいてこないように?」
「轢いてく。ひとり残らず」
そう言う沙梛ちゃんは、しばらくして華室先生に呼び出され、さっと教室を後にしていった。
◆◆◆
学校で、兄の家庭内での一挙一動を聞かれることは多々ある。だけど、同じ学校に通っている皆と私の徒木律知識量は、あまり変わらないように思う。兄は誰に対しても一定の態度だし、学校で見かけたときも「律先輩好きです!」との告白に「申し訳ない」と簡素に済まし駆け足で去っていた。
プロのピアニストとして崇められているけど、人を見下した雰囲気はないし、ある日突然妹として現れた私に対して、攻撃的に振る舞うわけでも避けるわけでもない。仲良く出来たらいいなと思うけど、この一年、関係の改善は見られない。
どうしようかな……と今日も悩みながら家へと帰ると、早々にお母さんが慌てた様子で駆けてきた。
「おかえりなさい! ねぇ大変なの! 律くん喉潰したんだって! 声全然出なくなっちゃったの!」
兄が、喉を潰した?
お母さんの慌てぶりに、リビングでぼーっとプリントを眺める兄へ視線を向ける。体調が悪いようには見えない。というか、いつもどおりだ。
「結構前から乾燥で痛かったらしいんだけど、今日授業中に突然出なくなって早退して、今病院行ってきたら二週間くらい声でないって……」
「え」
「お母さん、とりあえず加湿器買ってこなきゃいけないから、留守番頼んだわよ。ピンポン鳴ったり電話きたら、ひまりが出てあげて?」
「はーい……」
お母さんはぱたぱたと上着の袖に腕を通しながら、出ていってしまった。兄はじっとプリントを見つめている。どうやら、もらった薬の説明書らしい。なんとなく気まずさを覚え、「何かあったら呼んでね……」と声をかけてリビングを後にしようとすると、兄が立ち上がり、私に封筒を差し出してきた。どうやら読んでほしいらしい。私は留められていた真っ赤なシールを剥がし、中を確認した。
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お母さんとお父さんが俺の名前を呼ぶので知ってるかもしれませんが、律です。
君のお母さんと再婚したほうの僕の父が、音階の意味を持ち、さらに規則正しい人間であれるようにと律という名前です。名前負けしています。あなたのお兄ちゃんです。ごめんなさい。
さて、今日こうして俺がスケッチブックに文字を書いているのは、少し君にお願いしなくてはならないことがあるからです。お願いと聞くと、とても難しいことと思わせてしまうかもしれないけど、お願いというよりお詫びです。
俺は今日、喉を潰しました。実は結構前から加湿器を壊していて、喉が痛いなと思いつつ別に指のことではないし、死にはしないだろうと生活していたら、今日の数学で大きなくしゃみをして完全に喉が壊れました。自分のあまりの軟弱さにびっくりです。来年は老人ホームにいるかもしれません。
以降、声が出ません。
隙間風程度の音しか口から出なくなりました。素行態度が悪の吹き溜まり、文化部の敵、飢えた狼の集う女性泣かせの恐ろしい鬼畜集団、魔の男子テニス部がラケットで素振りをしている時、ヒュンッって音がすると思いますがあれより小さいです。
そして俺は早退をして、耳鼻科に行き内視鏡を入れられました。痛かったので、君も耳鼻科に行くときは気をつけてください。お医者さんいわく、俺が花粉のアレルギーで沢山咳き込んでいたのもよくなかったそうです。虫の息です。
しばらくの間こうして筆談で話しをしたりして、君に手間を取らせてしまうことが増えると思います。ごめんなさい。俺は話をするのが苦手ということは薄々勘付いているかもしれませんが、その通りです。
こんな俺を受け入れてくれた徒木家の大事な娘さんであり、俺の妹になってくれた君に、もう少しお兄ちゃんらしく頼りがいのあるところを見せたい……とは常々思っているのですが、中々厳しい状況です。登下校のときは危なくないよう後ろから見守ってはいますが、今日は早退してしまい……。
なのでこうしてお手紙を出してもあんまり不便なことは起きないかもしれません。起きるかもしれません。いや、やっぱり起きないかもしれません。
そこで俺が伝えたいことは、どうか君は気楽にしていてくださいということです。家の中に突然カンペを出してくる男が、今日から大体二週間家の中にいます。食事のときや、冷蔵庫に飲み物を取る時、視界に入ります。気味が悪い思いをさせてしまうし迷惑をかけてしまうと思います。ごめんなさい。なるべく可愛くて綺麗なメモやスケッチブックで工夫したり、BGMで工夫します。
では本題です。君の好きな曲と色を教えて下さい。
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厚みのある便箋の束に、何か病院でもらった注意事項が書かれているとばかり思ったら、状況説明だった。「兄は人付き合いが得意ではなかったのかな」という漠然とした思いが、確信へと変わっていく。っていうか、登下校危なくないように……というのは、不器用すぎて意図せずストーキングみたいになっているし……。
「えっと」
兄はじぃ……と私を見下ろしている。おしゃれ七三分け……なんて言われていたさらさらの黒髪の間から、萎縮するくらい大きな眼がこちらを凝視している。
もしかしたら兄は、視線で怖がられて人見知りになってしまったとか、そんな感じの人なのかもしれない。私は「オレンジで……曲は……」と、何かクラシックの曲名を出そうとして、かといって思い当たる曲もなく止まってしまった。
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何でもいいですよ。何でも弾けるので。
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記された言葉はこちらを安心させるものだけど、申し訳無さを感じた。おそるおそる今流行っているネットの曲を答えて、「敬語じゃなくて大丈夫」と付け足す。
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おっけい。
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急に距離が縮んだ。今まで声に出して交わした会話よりずっと、紙に留められた言葉のほうが多い。
ここまで筆まめな人なら人嫌いと言うことはないだろうし、「会話が苦手」の究極体なのだろう。「これからよろしく」と声をかけると、兄はさっと手に何かを書いて、こちらに突き出した。
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ᐢ ᵕ ᐢ よろしく。
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◆◆◆
「律先輩! 声が出なくなったって本当?」
兄が喉を潰したニュースは、瞬く間に学校内を駆け巡っていったらしい。朝いつもどおり学校に来ると、廊下で女の子たちに囲まれてしまった。
「みたい……喉痛めてて、話をするのはしばらく筆談でだって……」
「えー大変じゃん! 何かあった時とか超困るよね。じゃあ家にいる時は徒木さんがサポートしてあげるの?」
「うん、お母さんとかと一緒にね」
「いーなー!」
きゃっきゃと、同じクラスの女の子や、音楽科の校舎からやってきた子たちがはしゃいでいる。兄は喉を潰したわけだし……でも、音楽に興味もなく、兄に詳しくない私が言えることでもない。言葉を選ぶうちに、「私だったら、完璧にサポート出来るのに」と冷たい声がかかった。
「え……」
振り返ると、知らない女の子が立っていた。彼女は「律先輩の義妹になったらしいけど、調子に乗らないでくれる?」と、私を睨む。訳も分からず言葉を失っていると、女の子はぱっと踵を返して行ってしまった。
「あの子、音楽科の山本さんだよ」
彼女の背中から視線を逸らせないでいると、同じクラスの子が鬱陶しそうに話す。音楽科の子か。兄と仲がいいのだろうか。
「お父さんが有名な指揮者でお母さんが作曲家らしいんだけど、桜羽沙梛にずっと負けてて……準優勝続きだったんだけど、桜羽沙梛って去年の冬のコンクール全部蹴ったでしょ? それで山本さんはやっと優勝できたら、二年になって桜羽沙梛が復活してまた準優勝で……なんていうの? 因縁の相手なんだよね」
「そうそう、だから桜羽さんと仲のいい徒木さんのことも、仇くらいに思ってるんじゃないかな」
つまり、ライバル……。確かに沙梛ちゃんは去年の冬休み、行方知れずとなった。冬休みの間のことで、本人曰く「自分探しの旅」と言っていたけど、コンクールを蹴ったというのはそういうことだと思う。そのコンクールに、山本さんは出ていたのか……。
「朝から邪魔。行こう、徒木」
丁度廊下を歩いてきた沙梛ちゃんが、気怠げに耳のイヤホンを取りながら私の手を取った。彼女はそのまま私を押すように教室へと入ったのだった。
◆◆◆
普通科のほかに、音楽科、芸術家、体育科のあるこの高校では部活も盛んで、部活動の表彰が渋滞し朝会がどんどん伸びていく……なんてことも多々ある。
だからか、放課後になると部活のない生徒は、邪魔にならないよう速やかに校舎から去るのが暗黙の了解で、放課後になった私はすぐに鞄に荷物を詰めた。
沙梛ちゃんともたまに帰ったりするけど、彼女は気まぐれに早退することが多い。今日も四時間目になってさっと帰ってしまったから、今日は一人で帰宅だ。鞄を背負っていつも通り教室を出ようとすると、廊下のあたりで「わぁっ」と声が上がった。
「律先輩! どうしたんですか!?」
「お疲れ様ですっ先輩! この間の演奏会見ました!」
聞こえてきた声に、思わず振り返る。そこには完全に「無」の表情をした、感情が読めない兄が立っていた。兄は私を見つけるとさっと近付いてきて、オレンジのメモを差し出す。
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´;д;` 一緒に帰ってくんろじ。
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私がすぐに頷くと、兄はまた報道陣を躱す芸能人みたいな仕草で、会釈を繰り返し人の輪を抜けていく。尻込みしていると兄は私の腕を掴み、歩き出した。
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っ・x・`* 腕を掴んで悪かった。痛かった?
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「大丈夫。私こそありがとう。あとそれと……もしかして朝、大変だった?」
「?」
「声出ないことで、何か……」
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特に何も不便ない。知らない人に話しかけられても、元から答えることもない。元々俺は、クラスメイトと話をしないほうがいい。
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ささっと書き込まれた単語帳を横目に、私は兄と一緒に昇降口で靴を履き替える。ユニフォームを着た運動部が校庭へと出ようとしているけれど、みんな兄に見惚れていた。こんなにも慕われているのに、話さなくていいなんてどういうことだろう。不思議に思う間に兄はさっと靴を履いてしまっていて、私は慌てて後を追う。
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誰かと一緒に帰るの、何年ぶりか分からないけど久しぶりだ。足踏んだらごめん。・ε・
あと、今まで話が出来なかったから、お手紙書いた。読んでけろ。
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けろ? けろの隣には、カエルの絵がある。最初に音楽を流してメモを渡す……なんてことを言っていたから、その派生なのだろう。兄は鞄から出した三枚のルーズリーフを私に渡してきた。
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昨日、文字にすると自分の言葉の見直しが出来ること、長い文章を書いても引かれなかったことに味をしめて手紙を書きました。でも、敬語じゃなくて大丈夫と言われたものの、長い文章を書くにあたってタメ口は良くないだろうと敬語にしてます。長く書くぶん馴れ馴れしいと思われるのも怖かったので、許してください。
さて、俺と君は今までほとんど会話をすることがありませんでした。それは偏に、俺の口数の重さが原因です。元々俺は人との会話を不要とすら思っていて、全部ジェスチャーにしてくれと思っています。
英検一級を持っており日常会話も問題ありませんが、同じ理由で英語が嫌いです。国外に出てたまるかと思っています。数学も好きではないですね。微分積分を先人が編み出したばかりに、現代の自分が何故苦しめられているのか、恨みます。
兄が点Pの地点に弟を置き去りにしたせいで、何故時間を計測しなければならないのでしょうか。殺人のアリバイを作るため、前もって帰宅時間を計測する手伝いをされているようです。
話がそれてしまいましたね。
ともかく、皆は俺のピアノを好きだと言いますが、俺が会話をしてしまえば最後、俺のピアノすら嫌われていくことは自明で、インタビューをされる度にやめてくれと思いましたし、賞が取れた感想を聞かれる度に殺してくれと思っていました。
ここまで話しをしてしまうと、俺がとんでもない人嫌いで、まるで人間全員を憎んでいるかのように思われるかも知れませんが、違います。俺は妹である君にとても興味があります。君は僕の妹で、一生それが覆らないぶん、苦手な会話をせず、俺はピアノが上手なお兄ちゃんという綺麗な部分だけで君の記憶に構成されたかったから、必要最低限の会話に押さえていました。
本当はとても君に興味があります。
おはようと言ってくれて嬉しかったし、同じ学校に通ってくれるのに「いってらっしゃい」と声をかけてくれるのも、やったぁと思っていました。君はふわふわしていて可愛いし、人柄も素敵です。皆君が好きですし、これから先、君が出会う人達は皆君を好きになるでしょう。
なぜなら君は俺がピアノをするからと音楽の勉強を始めてくれていたり健気で、悲しいニュースを目にしては心を痛めていたり、とても優しいです。君みたいな人は中々いません。特別です。皆に大切にされるべきです。俺は君が妹になってくれて、毎日ふわふわした気持ちで生きています。
なので、喉を潰したことは始めこそ不便だなぁと思ったものの、今は最高です。「話せるようになったら話しをして」という紙一枚で、混沌とした人間関係から解放され、こうして妹の君とお話が出来ます。まるで二人きりの世界に閉じ込められているみたいです。いい気持ちです。また治ってきたら、軽音楽部の生徒にやってはいけない素人デスヴォイスの出し方を聞いて、積極的に潰していこうと思います。
追伸
今朝方、君の教室の前の廊下で君が誹りを受けたと聞きました。音楽科のヤマモト(15)自称プロヴァイオリニストが容疑者として名前が上がっていますが、大丈夫でしたか?
他にも、もし嫌なことがあったらいつでも気軽に何でも絶対に言ってください。俺は君のお兄ちゃんなので、きちんと君を守りたいです。
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「だ、大丈夫だよ! 誹りとかじゃないし……」
前半の言葉に和んだり喜んだ分、追伸にびっくりした。私に関することの情報の出回りが早すぎる。山本さんはお兄ちゃんをサポートしたいみたいだよ、と付け足すと、兄は『やだ』としょぼんとした顔文字つきのメモを追加で見せてきたのだった。
◆◆◆
兄は「会話が苦手な人」の究極体なのかもしれない。仮定とはいえそれが分かったことで、食事の時間の謎の気まずさから解放され、兄と話しをしてみることにした。でも、食べている途中で話しかけてしまうと邪魔になってしまうから、夕食終わりの時間を狙った。
「お兄ちゃん」
くるりと綺麗に振り返った兄は、きょとんとした顔をしている。今まで、話しかけてこなかったぶん、警戒されたらどうしようかとも思ったけど、大丈夫らしい。
「お話してもいいかな? 文字書かせちゃうから、大変かもしれないけど……」
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๓´˘`๓ おいでおいで。お部屋に行こう。
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ちょこん、とうさぎのメモを差し出され、なんとも言えない、小動物を前にしたような奇妙な感覚に襲われた。つい可愛いと思ってしまったけど、相手は自分より一歳年上で、身長だってものすごく高い。私はそのまま二人で兄の部屋へと向かっていく。
兄がこの家に引っ越してくる時、ダンボール運びを手伝って以降入るのは初めてだ。ピアノが入っていて、防音処理をされたことは知っているけど、どんな部屋なんだろう。緊張しながら部屋に入ると、奇妙な感覚がした。
「私の部屋と……物の配置が同じだ」
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大あたり。
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「だよね、こっち側の部屋西日すごいもんね……」
私の部屋は、本当に西日が強く入ってくる。だから午後に「いられる場所」と「眩しすぎていられない場所」がある。毎日のことなのにカーテンを閉じて照明をつけてたら、電気が勿体ないと放置していた結果、夏場西日に当たり続けたパソコンが壊れてしまった。
以降、家具の配置は消去法で決まり、西日が最も強く当たる位置にはベッドを、常に影になっているところに机が置いてある。兄の部屋も同じだ。音楽の雑誌や楽譜などが入る本棚は、日陰側に置いてあった。
「お兄ちゃんはいつもご飯を食べ終わった時、何して過ごしてるの?」
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耳を澄ましてる。
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感覚を研ぎ澄ます……みたいなことなのかな? やけにおそるおそるな手つきに、もしかしたら責めるような口調だったのかも、と反省した。私はなるべく圧にならないよう意識して、「お兄ちゃんはどんな曲を聞いてるの?」と、柔らかく声かけた。
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曲は練習の時以外聴かない、ピアノでも弾こうか。好きだって言ってた曲を弾く。
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「いいの?」
「……」
兄はこっくりと頷いて、ピアノの前の椅子に座った。黒塗りのカバーを上にあげて、ゆっくりと息を吐きながら手の甲を握ったり離したりする。背もたれの位置を直すと、鍵盤へと指を置いた。ぽん、ぽんと兄が指を動かすうちに、断続的に聞こえていた音が、やがて聞き慣れた曲へと変わっていく。あっと声が出そうになり、演奏の邪魔にならないよう口元を手で押さえた。
知ってる曲だ。
ネットで聞いていた曲は、ギターとかドラムの音とか素人でも違う楽器をいくつも使っていることは分かったけど、兄はピアノひとつで全部の音を弾いている。それに、所々元の曲にはない雰囲気が出ていて、なのにきちんと繋がっていて、すごいことをしているというのが何となく分かった。
お兄ちゃんの演奏をもっと聞きたい。そう思っている間に兄は指をどんどん早く動かして、演奏はふっと空気を止めるように終わった。それと同時に、兄はぐるりとこちらを振り向く。
「す、すごいよお兄ちゃん! 弾いてくれてありがとう! かっこよかったし、すごかった」
本当に、今私だけで聞いているのが勿体ない。確かに家の中にいるはずなのに、コンサートの会場にいるみたいだった。拍手をすると兄は満足気に頬を緩めた。こんな表情もするのかと呆気に取られていると、兄はうさぎのメモにそろそろと文字を綴り始める。
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´・ω・`こんな兄で申し訳ない。いつでも弾く。
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お兄ちゃんは無表情だけど、心なしかしょんぼりして見える。私は慌てて首を横に振った。
「ううん! 私はお兄ちゃんのこと、こんななんて思ってないよ! 私も兄弟とか姉妹とかいたらいいなって思ってたから、いてくれてすごく嬉しいよ」
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本当に?
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頷くと、お兄ちゃんはまた嬉しそうな顔文字の絵を描いて、こちらに突き出してきた。今まで話しかけちゃいけないかな……と思っていたのが嘘みたいだ。もう少し早く話しをしていれば良かったと思いながら、二人で過ごしたのだった。
◆◆◆
ピアノを弾いてもらって以降、私とお兄ちゃんとの会話はぐっと増えた。二人で一緒に通学するようになって、お昼ごはんも兄のサポートをするために一緒にとっている。皆は「律先輩情報が増えるわぁ」と、最初はかなり激しく私を囲んでいたけど、最近は減少傾向だ。
たぶん、今まで私がお兄ちゃんと話さない分、「ミステリアス! もっと知りたい! きっといつかすごい会話をするはず!」と白熱したところがあったのだ。でも私とお兄ちゃんが話すようになり、わりと普通の会話をしているのを知って、沈静化したのだろう。
もう、お兄ちゃんが喉を潰して二週間経つ。そろそろ回復してくるだろうから、サポートは減るだろうけどこれからも話をしていきたい、と廊下を歩きながら思っていると、ぐいっと空き教室から手が伸びてきて、中へと引っ張り込まれてしまった。
びっくりして声も発せず見上げれば、山本さんが私を睨んでいる。
「えっと、山本さん……? どうしたの?」
「律先輩に、私のこと言ったでしょ。しかもすごい脚色して」
「脚色?」
「クラス皆の前で、一方的に罵ったとかって……そっちさぁ、ぽや〜ってしてますみたいな感じだけど、全部計算なんでしょ? 媚びててめっちゃキモいんだけど」
お兄ちゃんが、山本さんに何か言ったようだけど、誤解はきちんと無くしたはずだ。でも、彼女は罵ったと注意を受けたわけだし……。噂が独り歩きしてしまったのかもしれない。
「ごめん山本さん、たぶん、色々誤解があるんだと思う。ちょっとお兄ちゃんに話をしてみるね」
「今度は空き教室に連れ込まれて叩かれたって?」
「え?」
投げかけられた言葉が信じられず、思わず私はばっちりと山本さんを見てしまった。彼女はそれも気に食わなかったらしい。がっと私の肩を掴んできた。
「本当にむかつく。死んじゃえばいいのに、あんたも、桜羽も!」
「何をしてる」
冷ややかな声がすぐ後ろから聞こえてきて、息をのんだ。振り返るとお兄ちゃんが私を見て安心させるように頷いた後、こちらに歩いてきて山本さんを睨む。彼女は怯えた様子で首を横に振った。
「り、律せんぱ……ち、違うんです……」
「行くぞ、ひまり」
淡々とした声でお兄ちゃんは私の腕を取り、そのまま空き教室を抜けて廊下を歩いていった。お兄ちゃんの声は喉を潰す前から聞いていたけど、名前を呼ばれるのも初めてだから新鮮に感じる。周りの生徒は皆私達を見て驚いた顔をしていて、しばらくそのまま足を動かしていると、辿り着いたのは音楽室だった。
「入れ」
扉を開いて促され、言うとおりにする。お兄ちゃんは後ろ手に扉を締めてすぐ、頭を下げた。
「悪かった」
「え、えっと……なんでお兄ちゃん謝ってるの……?」
――あとそれと、声治ったの? そう付け足すと、お兄ちゃんは「全く声出さなかった分治りも早くて、ここ最近は出る」と呟いた。
「お、おめでとう……」
「ああ。でも、俺にとって声は出てるほうが不便なものだ。それに、実際話をしたことでひまりは山本に呼び出された。悪い。もうこんなこと、二度と起きないようにする」
「山本さん、何か誤解してたみたいだよ、たぶん、噂が独り歩きしちゃってるんじゃないかな。一方的に罵ったことでお兄ちゃんに注意されたって言っていたけど、私はこの間話をしたとおり、山本さんに何もされてないよ」
「それは分かってる。俺も、山本とは普通に話をしただけだ」
「うーん。何か誤解があるってことかな……」
山本さんはかなり怒っていたみたいだし、誤解をして頭に血が登って……という話もなくはない。「ちょっと誤解解いてくるね」と部屋を出ようとすると、お兄ちゃんに腕を掴まれた。
「駄目だ。興奮してる相手に対して、当事者が行くのは危ない。俺が後で話をしに行く」
「でも……」
「お兄ちゃんの言うことを聞きなさい。俺が山本と話をしておく。ひまりは……そうだ、これを読んでくれ」
ぐい、と兄は私に一冊のノートを差し出してきた。おもむろに手に取ると、「頼む」と、兄が私をまっすぐ見つめる。
私はひとまず兄の言う通りにしようと、おもむろにページを開いた。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――
ひまりへ
喉が治りました。ようするに、ひまりとお兄ちゃんは言葉で会話が出来るようになったということです。
正直に言えば、俺はあんまり嬉しくないです。ひまりの声は聞いていたいけど、ひまりに自分の声を届けるのはちょっぴり嫌なのです。なぜなら、俺の言葉は化け物の言葉だからです。
というのも俺は、俺を産んだ母親からお前は鬼だ。人でなしだと言われてきました。畜生らしいです。俺の話す言葉は化け物そのもので、心がないのです。なので、俺の醜い部分を優しくて心の綺麗な君に知られることが怖いです。
君はどう考えても俺に対して好意的です。君は俺のことが好きです。君は俺のことが好きですよね? 知らなかったかも知れませんが、君は俺のことが好きなんですよ。なので人間を相手にするように接してくれました。俺の本性を知られ君に嫌われるのだけは絶対嫌ですが、こうして手紙を送り続け、面倒だな、と思われるのも辛いです。
(あ、ひまりからのお手紙はいつでも大歓迎ですヨ)
なので、最近俺は柔らかい言葉を使えるように、君にもっと好きになってもらえる言葉を話せるように色々考えていたのですが、ふと気付いたんですね。俺は君にだけはちゃんと優しく出来るということに。こうして手紙を書いたりしても、君に対してだけは俺はちゃんと人の心を獲得しているように思えます。でも、俺の言葉に傷ついたという時は、いつでも言ってくださいね。
話がそれてしまいそうなので戻しますが、これからは少しずつ、君と文通だけではなく、きちんとした会話がしたいです。後ろから眺めているだけじゃなく、メモをかわすだけじゃなく、聞き耳をたてるだけじゃなく、君のクラスメイトに君の動向を尋ねるのではなく、他ならぬ君と季節の花を一緒に楽しんだり、一緒に手を繋いで演奏会に行ったり、美術館の展示を見たり、ゲームをしたいです。君を膝の上にのせてテレビを見るなんて団らんにも憧れます。温泉も家族だけではなく、二人で行ってみたいですね。君と一緒に、色んな所に出かけたいです。君の欲しい洋服とか、食べたいものをいっぱい買ってあげたいです。君に沢山喜んでもらいたいです。笑顔がみたいです。
俺は今までお兄ちゃんらしいこと、全然出来ていなかったので。
俺は君にふりかかる怖いことからは全部守ってあげたいし、君が寂しい時とか、泣いている時ははぎゅってしたいです。ずっと一緒に住みたいです。二人でご飯を作って洗濯して、掃除したりして老後を過ごしたいです。俺は君のお兄ちゃんなので。
それに、君にはずっと迷惑をかけてきましたし。君が俺を大切にしてくれたように、俺も君が大切です。とても大事です。ずっとずっと死ぬまで仲良くしましょう。
そこで本題です。君が欲しいと言っていた巨大トリケラトプスのぬいぐるみを買いましたが、ぺちゃんこで届き、どうやって戻していいか分からず半年くらい経っています。サプライズを企画しておいて申し訳ないのですが、ぺちゃんこのまま渡してもいいですか。 ΦωΦ
――――――――――――――――――――――――――――――――――――
「袋を切ると空気を吸って戻っていくやつだよ……! ありがとうね……!」
それはお母さんにねだったぬいぐるみだ。購入した人の動画を見て可愛くてほしくなったやつ。というか、お兄ちゃんは私とかなり前からずっと仲良くしたいと思ってくれていたみたいだ。それに、私の家の離婚は自然に……といった感じだったけど、兄はそんな扱いを受けていたんだ……。
「それに……お兄ちゃんは人でなしなんかじゃないよ! 不器用だけど誰より優しくて、人の心を分かろうとする温かいお兄ちゃんだよ!」
恐る恐るな対応をしてしまったことに、申し訳無さを感じた。寂しい思いもかなりさせてたっぽいし……当たり障りないように……としていた行動が、逆に疎外感を与えてしまっていたのだろう。したいこととか、いっぱい書いてあるし。これ全部、小さい頃から出来なかったことなのかもしれない。
「お兄ちゃん、これから先お兄ちゃんのしたいこと、全部やろうね!」
「全部?」
「うん! 全部! 私に出来ないことでも、なるべく頑張るよ!」
「ひまりにしか全部できない」
お兄ちゃんはそう言って、くすりと笑った。その笑顔があまりに優しくて、私は相手がお兄ちゃんなのに、心臓がぎゅっと跳ねたのだった。
◆◆◆
「君は哀れだ」
その日、プロヴァイオリニスト山本しずかが、同校の先輩である徒木律に呼び出され、始めにかけられた言葉は氷のように冷たく鋭い言葉だった。
午前は音楽科一年の演奏研究の授業に、午後は二年生の合奏練習に使われる第二音楽室は静まり返っており、二人の呼吸音が微かに聞こえるほど。突然焦がれた先輩から突き放されたことで戸惑う山本は、怯えた目で徒木を見た。
「先輩、誤解してます。私は先輩の妹さんを罵倒なんてしていません」
「調子に乗るなと妹に言っただろう。十分罵倒じゃないか。睨んでもいたらしいな、絶対許さない」
徒木は愛想がない。その点をクールだと称されていることは山本も重々承知していた。しかし今の徒木からは、おおよそ冷たさではなく敵意しか感じられず、彼女は手のひらを握りしめることしか出来ない。
「でっ、でも、実際彼女は囲まれたりして、へらへらして……」
「それ以上生産性の無いことを言うのはやめろ、二度と妹にも俺にも近づくな」
山本は愕然とした。足が震え、視界が歪んできた彼女はそのまま第二音楽室を飛び出していく。意図せず取り残された形となった徒木は、大きく溜息を吐いた。
「やっぱり、ひまり以外に優しい言葉を使うのは、難しいな」