劇場型結納
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【悪役令嬢ですが攻略対象の様子が異常すぎる公式ツイッター】
10月2日 オーディオブック①巻 ボイスドラマCD コミックス⑤巻 紅茶缶
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幽霊には、足がついている。
小さい頃から死んだ人間が見えているから、根拠なしに言っているわけではない。幽霊は足もちゃんとついているし、血なんて流れてなくて、身綺麗だ。
小学校の頃、駅のホームで痴漢されかけた私を助けくれたサラリーマンのお兄さんは、「俺はここでゴム風船みたいに弾け飛んじゃったんだ。君も頑張り過ぎは良くないよ」と言っていたけど、そのスーツにはシワひとつ無かった。
後ろから法定速度オーバーの車に追突をされ、ガードレールに突っ込んだバイクのお姉さんも目が潰れたらしいけど、今朝も横断歩道で旗を振る保護者の隣で、小学生の登校の見守りをしていた。
皆よく見たら身体全体がうっすら透けて見えてたり、霧がかかったりしている程度で、遠目から判断するのはかなり厳しい。気配は人のものと全く異なり、居場所もなんとなく分かるけど、霊のそばに人がいたりすると目を凝らす必要が出てくる。
多分、足がない……と広まったのは、何かしら幽霊コンテンツを作る時、差別化が必要だったからだろう。百人に見せて、全員がそれを幽霊だと認識させるため、頭から血を流しておこうとか、身体の一部を透けさせたに違いない。
でも、見える人と見えない人では、見えない人が圧倒的に多いから指摘されることも少なく、その存在すら疑われてきた。
そして、私、浮月一迦は見える側の人間だった。
臨死体験をした人間は第六感を得やすいと言うけど、私は生まれつきである。生きてる人間と死人がはっきり分かった四歳くらいまで、見えないものに話しかけることが多かった。親は気味悪がるよりも、私の成長に問題があると見ていて、色々病院でテストを受ける日々を送った。
それから二十年。幽霊が見えることを利用して霊媒師になった私は、霊媒師として働く中で出会った人と、今日結婚する。
「どうしたの? 一迦ちゃん。マリッジブルー?」
「ううん、何だか自分が結婚するなんて、未だに実感が湧かなくて……」
「今日結婚式だよ? 俺そんなこと言われたら泣いちゃいそうなんだけど」
「ご、ごめんなさい要さん。何ていうか……私達始まりがこう……強制的な感じだったから、その、私の力不足ってのもあって……」
「本当にぃ……? 俺との結婚が嫌になっちゃったとかじゃない?」
私の結婚相手である要さんは、酷く肩を落として俯いた。彼は旅館を経営している跡取り息子と呼ばれる人間で、今日の式も伝統ある神社にて執り行われる。
結婚する時、霊媒師を辞めて女将さんにならなければ……と思ったけれど、あくまで彼がするのは経営で、旅館そのものに顔を出して働くことはしないらしい。良く分からないけれど、旅館がいい方向へ向くように、他の会社と話し合いをしたり何かを協力して出資するのが仕事だから、霊媒師は続けて欲しいとすら言われた。
そのほうが、いざという時の備えになるからと
「まぁ、始めは確かにお互いの命を救うために決まったことだったけど、俺は一迦ちゃんと出会えて幸せだよ? 一迦ちゃんは違う? 結婚、やめたいとか言わないよね」
すっと、線を引くみたいに要さんの視線が冷えた。しゅんとした仕草に罪悪感が一気に湧いて、私は首を横に振る。
「やめたいなんて思ってないって! 要さん引く手数多でいっぱいいい人いるはずなのに、私なんかでいいのかな……とか、私のどこがいいんだろうっていうのは、いっつも考えるっていうか」
「だって、幽霊の為に自転車走らせる人なんて中々見ないし。頑張ってる姿を応援したいって気持ちが、好きなんじゃない?」
「皆頑張ってるよ」
「そうかもしれないけど……でも、俺が初めて強く欲しいって思ったの、一迦ちゃんだけだし……一迦ちゃんがお見合い受けてなくて本当によかったって、すっごく思ってるよ」
要くんは、「結婚なんてされてたら、略奪になるわけだしね」なんて付け足す。
「式当日にそういうワードは出しちゃ駄目です」
「そうだね。でも、もう今更一迦ちゃんを奪われたら、旅館に憑いていた幽霊よりも気が狂っちゃうからさ」
その言葉で、浮ついた気持ちに少しだけ不安が混ざる。私は式場に繋がる扉を見つめ、要さんと出会った頃を思い返した。
◆◆◆
私の夫となる人、要さん――中十路さんと初めて出会ったのは、バスターミナルにあるカフェだった。
今から出張に行こうとキャリーケースを引いている会社員が通りを行き交い、店内では皆、新聞やキーボード片手にせわしなくバゲットを食べている。
天井近くに設置された大型モニターには、バスのアナウンスの他に『俺の言うことを聞けないなら出ていけ! この世から消す!』と、壮絶な書体で昨今話題のパワハラ事件を取り扱ったニュースが流れていた。
「えっと……ご依頼というのは旅館の除霊ということで……?」
「はい、実は……ここ最近、奇妙なことが立て続けに起こっていまして……」
私の前に座っている依頼者――中十路要さんが、困ったように首を傾げる。外ハネ気味の江戸鼠色マッシュヘアがさらりと揺れ、少しだけツリ目がちの瞳の下にはうっすら隈が見えた。体質ではなく、ここ最近怪異に悩まされている……ということだろう。
「……始めはメールフォームにも書いたとおり、お客様からの、小さな女の子が見えた……とか、その程度のことだったんです。でも、だんだん旅館全体で、足を掴まれたとか、気付いたら後ろに女が立っていたとか……、腕を掴んで引きずられてしまった……とか、どんどん増えてきて……」
彼は三日前、私が依頼を受けるために開設しているサイトに、自分の経営している旅館の除霊依頼を送ってきた。
霊媒師は、簡単に言ってしまえば自営業である。住職や神主さんなどは、法人カテゴリーで商売ではない。法人だ。じゃあお守りやくじ引きのお金はなんだといえば、あれは寄付扱いである。
私は、久しぶりに主菜副菜汁物が揃ったご飯を食べられると少し浮かれていたけど、中々大変な依頼だ。
「あの、中十路さんの経営されている旅館を調べましたが、創業からかなりの年数が経っているとお聞きしました。失礼ですが、中十路さんの代以前に、不思議なことや気になることは起きなかったのでしょうか?」
旅館は、この世に未練が無かったものの、「別に成仏もしたくないしこの世に留まっていたい……」と願う幽霊がよく向かうスポットだ。「病弱だったから旅行に行けなかった……」「予約してたけど過労死した」など、死後観光が盛んである。
同じような理由で、病や体質を理由に生前通学が困難だった子供が学校に行ったり、教師になれなかった大人、子供を守りたいと願う正義感の強い者たちが学校に留まる場合も少なくない。
そして、「死んで尚、子供を付け狙う変態を見つけたからなんとかしてくれ」と、彼らは私の枕もとに訪ねてきて、夜中自転車で急行、無賃除霊をさせられることが週に二回ある。
もっといえば声優オタクの霊が、声優の部屋にストーカーの霊が出たと助けを求めてきて、外から除霊を試みた結果、私が職務質問をされた末に病院を勧められるなんてこともあった。
だからこそ、自分のお気に入り、もしくは思い出のある旅館でおかしなことをする霊がいたら、他の霊が黙っていない。つまり旅館では他の霊たちが支配下に置かれている――強力な霊が憑いているということになる。
「代々僕の家系で経営はしていますが……そういった話を聞くのはここ最近でして……ただ……」
「何か、気になることが?」
「僕が小さい頃、神主さんがよく旅館近くの祠に連れて行ってくれたんです。最初は……四歳の頃かな。次に八歳、十二歳、十六歳、二十歳……と続いていたんですけど、二十四歳……昨年なんですけど、昨年はちょっと忙しいと断ってしまって……それから徐々におかしなことが増えてしまって……」
「中十路さんの住んでいる地域の方は、四の倍数の日に祠へ向かうのでしょうか?」
「いえ、僕だけです」
その言葉に、肝が冷えた。神主や寺の人間が定期的に祠に訪れるのなら、それは言ってしまえば挨拶と礼儀である。掃除をしないと汚れるし、定期的に挨拶をしないと失礼になってしまう。祠もお地蔵さんも、神秘的なものが宿っているとは言えど物質は石材や木材。手入れをしなければいけない。
だから本質は違うとしても、地域の清掃活動と表面上は変わらない。でも中十路さんのそれは、いずれ来るその時の為に、虎視眈々とその霊が彼を喰らうのを待っているようだ。
人間を喰らったり引き入れようとするのは、悪霊と言われる類だけど、他の幽霊が手出し出来ないのなら、もっと上位の存在かもしれない。
「それで、早速ですが一度、祠や旅館を確認していただきたいのですが」
「お任せください。除霊道具も揃えてきておりますので」
私は覚悟を決めながら、中十路さんと共に旅館へと向かうことにした。
◆◆◆
「えっと……こちらになります」
バスターミナルから送迎バスに乗り辿り着いたのは、ひと目見ただけで歴史の重みがのしかかるような、それはそれは荘厳な旅館だった。
木造りの分厚い門の左右には立派な灯籠が並び、塀は道なりに何処までも続いている。池では錦鯉が悠々と泳いでいて、左右にかかる真っ赤な橋からは、子供たちが餌やりをしていた。
「この裏に、祠が?」
「はい。旅館の裏に母屋があって、そこの中庭にあるのです」
何人もの観光客とすれ違い、堂々と佇む旅館の裏手に回って竹林を抜けると、それはそれはうら寂しい家屋が佇んでいた。旅館の周囲は口紅水仙が咲き乱れていたのに、このあたりは木の枝や土が不思議に湿り、じめっとした空気が漂っている。
「母屋は普段……何をされている場所なんですか?」
「曽祖父の代まではここに住んでいたそうです。でも、その……買い物には不便だということで、祖父の代からは駅の近くのマンションに住んだり、家を買ったり……と、この家に住むことはなくなって、ほら、地震も怖いですし。かといって家を崩すとお金が余計にかかってしまうから、残していたと聞きました」
「なるほど……」
「それで、旅館のお客さんの行方が分からなくなって探すと、この近くに立っていたとか、そういうことが増えて……」
中十路さんが屋敷の扉を開いた。普段から鍵をかけてはいないのかもしれない。中に入ると、身体全体が凍えるような、急激な寒さに包まれた。
「浮月さん?」
「いえ……何でもありません」
幽霊がいるから寒い、なんてことはない。どちらかと言えば、幽霊は自分の声が他人に聞こえないと思ってるから、「うわー」「へー」「うんうん」みたいな相づちが死ぬほど多い。小学生レベルの下ネタを交差点で叫ぶ霊だって何度も見てきた。でも、こんな寒さを覚えるなんて初めてだ。警戒していると、背後に人の気配を感じた。
「え――?」
ドン! と爆発音とともに、扉が閉まった。慌てて扉を開こうとするけれど、びくともしない。何かを金槌で打ったり、バンバン手で叩くような音が響き渡った。中十路さんは無理やり身体をぶつけて押し開こうとするけど、何らかの力で思い切り後ろに吹き飛ばされていった。
「中十路さん!?」
私が慌てて駆け寄ると、中十路さんは苦しげに立ち上がった。彼は辺りを見渡し、腰をさする。
「なんだか……閉じ込められたみたいですね……。浮月さん、お怪我は?」
「私はありません……」
本当に、ここはおかしい。
普段ならどこでも見るはずの幽霊が、一人だっていない。家屋の奥に進む度に、違和感も恐怖も色濃いものになっていき、ぎし……ぎし…と床板の軋む音すら歪に思えてくる。すっと奥まで伸びる廊下の先はどこまでも暗く、進むことに躊躇いさえ覚えた。
「浮月さんって……こういうお仕事いつからされてるんですか?」
「え?」
この状況でそんな質問を?
抱いた疑問が顔に出てしまっていたらしい。中十路さんは「怖くて……気が紛れることがしたくて」と肩を落とす。私は慌てて謝った。
「だいたい、大学の頃からですね……」
「その頃に幽霊が見えるように?」
「見えるのは、生まれつきです。心霊の現象でお困りの方に言うべきではないかもしれませんが、まともな霊もいまして、色々頼み事とかされるうちに、人の役に立つ仕事がしたいなーと」
「生まれつき? だとすると、ご両親は浮月さんの能力をご存知なんですか?」
「いや……ハハ、知ってるというか、知ってしまったというか……なのでもうさっさと結婚しろってうるさくって……見合いの話も出てきちゃって……」
両親は、私が幽霊が見えることを心の病気――幻覚だと思っている。仏教学部に進学することは許されたまでも、「お前なんかどうせ就職できないんだからさっさと結婚しろ」と、勝手に見合いの話を持ってきた。
さらに実家の辺りは、小学校の同級生と見合いするのが盛んなくらい閉鎖的な町で、送られてきたのは、よりによって小学生時代私を気持ち悪いと罵った男の写真だった。
「なら、浮月さんはご結婚されるんですか?」
「断っちゃいました。ただ親は納得してないので、下手したら勝手に婚姻届出されてるかもって思う時あって」
「怖いですね。聞いたことがありますよ。自分が知らない間に、知らない人と結婚してたって……」
「はい……それに、見合い相手は小学校の頃、幽霊見えるなんて嘘つきだーって私のこと田んぼに落としてきた人なので、絶対嫌で……」
「へぇ。嫌な人ですね。その人今頃、用水路にでも落とされているんじゃないですか?」
中十路さんが、急に声を落とした。田んぼに何か嫌な思い出でもあったのだろうか。それとも経験者……とか?
歩みすら止めてしまった彼は、ハッとして私を見た。
「すみません。田んぼに落とされるなんて単語が出てくるとは思わず……びっくりしまして」
「こ、こちらこそすみません、驚かせてしまって……」
気まずい。田んぼとか言うべきじゃなかった。正直なところ幽霊関連の話とか、相手が死んでいるならまだしも生身の人間と会話するのは得意じゃない。冷や汗をかきながら襖を開き、古い人形や錆びたり欠けのある調度品が並ぶ部屋を進んでいくと、さっと部屋の奥を着物の女性が通り過ぎていった。
「あれは……」
「お客さんでは……無いと思います。僕は彼女をよく見るので」
「よく見る?」
「ええ。僕が祠に向かうと、よく遠くに立っていた女性です。家族は彼女を見ることは出来ませんが……」
一切気配を感じることが出来なかった。まるで暗い森に一人きりに、でも周囲に得体のしれないものがいることだけは分かっているような不安感に、背筋が冷えた。でも、中十路さんの取り巻く環境の方が哀れだろう。私は何か手がかりはないかと、辺りを見回した。
「あの、残っている資料とか、読んでも大丈夫でしょうか?」
「はい。確か儀式についての資料が、この奥の部屋にあると思いますので……」
「きゃっきゃっきゃっ」
中十路さんが私の前に立った。それと同時に幼い子供の不明瞭な声が部屋に響く。彼は身体をびくりと震わせ、私を見た。幽霊の気配がない。なのに、人の声はする。
ドッキリかなにかで、生きている人間が悪戯で声を流しているならまだしも、彼はそんなことをする理由もなく、さらにいえば先払いでもうお金を振り込んでいる。よって幽霊の仕業しか考えられないのに、その存在を感知できない。こちらへ存在を小出しにしながら誘うようで、不気味だ。
「中十路さんのことはきちんとお守りします」
「よろしくお願いします……」
彼はスッと私の服の裾を掴んだ。「手は、嫌ですよね?」と震える様子に、「大丈夫ですよ」と手を繋ぐ。生きてる人間と手を繋ぐなんて、十五……下手したら二十年ぶりくらいかもしれない。熱暴走でも起こしているのかと錯覚する手はがっしりとしていて、中十路さんには儚げな印象をもっていたから、驚いてしまった。
◆◆◆
「すみません、中々つかなくて……自分で言うのはアレですけど、ここ、無駄に広くて……」
「いえ……」
中十路さんは、申し訳無さそうに俯く。私は曖昧に頷きながらも、延々と背中に冷や汗をかく。あれから、歩きつつ彼の話を聞いたことで、私は目眩に襲われていた。
祠の儀式は、まず身体を清めた中十路さんが白い着物を着て、代々伝わる赤い櫛を持ち祠へ向かい、手のひらを
切りつけ皿に血を流すらしい。その皿を祠に奉納しながら唄による「捧げの儀」を行うそうだ。
完全に呪術である。降霊術と呪術のミックス。中十路さんは生贄にされかけていた。
儀式は彼の祖母が取り仕切っていたらしいけど、彼の両親は気付かないまでもスピリチュアルじみたことに忌避感は持っていたようで、祖母の死後儀式はしなくなったと彼は笑ったけど、正直頭が痛くなってきた。冷や汗も止まらない。
降霊呪術代表ひとりかくれんぼなら、ぎりぎりなんとか出来たかもしれない。でも、中十路さんがされていたのは、土地神と呼ばれるその土地の神様を無理やり祠に留めて、血を与えこの世界に染め、無理やりその地を栄えさせるという恐ろしいものである。代償は彼の魂だ。
要するに神様を、祝いの席と偽り呼び出して攫って納戸に押し込め、無理やり縛って、「優しくしてくれたら美味しいご飯食べさせてあげる! ほら! ここまで出来たよ! 美味しいよ!」と調理過程の料理を見せているのと同義だ。
始めの内は神様も「納戸から出たいし……料理が食べられるなら……」と低姿勢だが、徐々に自分が人間に閉じ込められたことを認識し、怒りによって知性を失い、料理を――生贄の魂を喰らうことしか考えられず、呪いと怨嗟の集合体と化してしまう。さらに人間の血によって意図的に穢され、神には戻れない。ここにいた幽霊たちは、「中十路さんを食べたいかつて神だった異物」に取り込まれていったのだろう。
その事実を、伝えるべきか、伝えないべきか。
私と違って中十路さんは代々旅館を継ぐ家系に生きる人だ。そんな人に「跡取りとしてだけではなく、生贄としても育てられてきたようですね」なんて言えるはずもない。どうしたものかと頭を抱えていると、彼はぐいっと私の手を引いた。
「あそこに書棚があるのですが、見ますか?」
「はい。ぜひ……!」
彼に促されるままに、私は両開きの重たそうな扉に手をかけた。その瞬間ぱちっと、静電気よりずっと強い痛みが指先を襲い、まじまじと扉を見る。
「浮月さん、どうされましたか?」
「何でもありません。行きましょう」
私は動揺を悟られないように、扉を開いてすぐ見つけた棚の前に立つ。
旅館の先代は儀式について隠す気は無かったのか、それとも自分の命が失われていくことで罪悪感が出たのか、儀式の書物はすぐに見つかった。中身を確かめていくと、そこには屋敷内の見取り図と共に、この辺り一帯の歴史が記されていた。
「この辺り……神社潰して旅館が建ったって本当ですか……?」
「ああ、たしかに鳥居もありますし、それの名残なんですかね?」
中十路さんのけろっとした顔に天をあおいだ。
いま、彼が生きているのが不思議なくらいだ。神社を潰しても、尚この地に留まっていた神様を攫って閉じ込めて、無理やり言うことを聞かせるなんて、もう、県内の悪霊をすべて引き寄せていてもおかしくない。
私は書物を置くと、祠に向かうことにした。ひとまず話しをして、封じ込められている神様を開放して、あとはもう――謝り倒すしか無い。今死人が出ていないことが奇跡だ。私の命を差し出して許されるなら、もうこんな幸せなことはない。それくらい中十路さんの家の人達は、恐ろしいことをしている。
今まで悪霊と呼ばれるものはきちんと祓ってきたけど、いわば警察官が不審者をいなすようなものだった。でも、今回はそれこそ爆弾処理に近い。中十路さんが差し出してきた手を握るとすぐに霊の気配を感じた。
「ええ、元尋くぅん、どうしよう! ここどこか分かんないよ!」
「バカ桔梗、どう見ても人んちだろ。一旦出るぞ、なんかの撮影してるみてえだし」
振り返ると、廊下で高校生の男女が並んでいた。うっすら透けていることから、この世のものではないことがすぐに分かったけど、こんな危険な場所にこんなにも平和的な霊がいるとは思わず、つい見入ってしまった。
「えっも、元尋くん、私達見られてるっぽいんだけど! あの人見える人なのかな? お話してみようか!」
「……」
「浮月さん?」
足を止めていた私を不思議に思ったのか、後ろから中十路さんが顔を出した。その瞬間、元尋くんと呼ばれた男子高校生の霊が、かなり険しいものに変わった。
「いくぞ桔梗」
「えっ元尋くん? え? 何で引っ張るの? どこ行くの?」
「勝手に死んでったくせに行き先教えてもらえると思ったら大間違いなんだよ。ほら、祓われたくねえだろ」
ぶすっとした口調で男子高校生は女子高生の腕を引き、壁をすり抜け去っていく。呆気にとられていると、中十路さんが「どうかされました?」と恐る恐る聞いてきた。
「なんだか、あまりにも普通の霊がいて」
「普通の?」
「はい……どうしてか、分からないですけど……」
この屋敷には、違和感が多すぎる。そう思ったのも束の間、カタカタカタ……と物が小刻みに動き出し、強い耳鳴りに襲われた。何かが這ってくる音が近づき、断続的に鈴の音も響いている。
「祠に! 祠に向かいましょう!」
私は中十路さんを引っ張り、屋敷の中庭へと向かった。そこは秋のはずなのにしんしんと雪が降り、鳥居に四方を囲まれた古い祠があった。全て欠けや朽ちた部分が目立ち、苔が生えているのも見える。外に出たはずなのに、屋内にいる時より一層張り詰めた空気を感じた。空は赤々としていて、本物ではない、不気味な色をしている。
そして真ん中には先程見た赤い着物の女が一人、長い長い黒髪を垂らしながら、表情なく佇んでいた。幽霊ではない。けれど、生身の人間とも思えない彼女は、私の後ろにいる中十路さんを見てうっそりと笑った。
「やっと来てくれた。わたしの花婿」
「花婿……?」
生贄ではなく? 振り返ると、中十路さんも戸惑いの表情を浮かべている。
私は懐にしまっていた数珠を取り出そうとして、彼に腕を取られていることに気付いた。解こうとしても、彼は私の手をがっちりと掴んでしまって動かせない。私は開いているほうの手で取り出そうとして、数珠を滑り落としてしまった。
「数珠、か。わたしを祓おうとでも言うの?」
「いえ……私は貴女をここの呪縛から解き、自由になって頂きたいと考えております」
「ふふふ。今更そんなこと、意味をなさない。わたしはその男を連れていく……」
女はゆっくりと瘴気を漂わせながら近付いてくる。しかし、私と中十路さんの繋ぐ手を見つめ、動きを止めた。
「あなた……わたしの花婿を啄んだの」
「え」
「その手……縁は結ばれた? 契ったの? 穢れた実はもう結べない……穢れていないのならその花婿を連れて行く……」
ごくり、と私の背後の中十路さんが息をのんだ。その手は震えていて、目の前の存在に恐怖していることがひしひしと伝わってくる。
今後の旅館のことを考えるなら、このまま彼を差し出すのが最善の手だ。
でも、彼は私の依頼主だ。
私は、自分を助けてくれたたくさんの幽霊たちに、きちんとこの人間を助けてよかったと、そう思ってもらえる人間でありたい。だから、霊媒師になった。
「契った。私はこの人と、縁を結びました。この人は私の婚約者です。貴女には渡しません。代わりに、私の命を持っていってください」
しんと身体は冷えて、耳鳴りも地鳴りも響いている。目の前の女から発される瘴気はより深いものとなり、否応でも殺気が伝わってきた。重苦しい呼吸を何度か繰り返していくうちに、すっと雪がやんだ。
「――もう、よい」
「え……?」
「わたしも、疲れた。人を喰らおうと待つことにも、この地に留まることにも。お前たちが本当に契っているのならば、わたしは身を引こう。この地からも、手を引く。どうでもいい。勝手にすればいい……」
シャン……シャン……と、神楽鈴が鳴り響く。ふわりと風が吹いて、一気に瘴気が濃くなった。辺り一帯が白に包まれ、私はぎゅっと中十路さんの手を握る。ふいに全ての瘴気を吹き飛ばすような強風が通り抜け、ハッとすると女は消えていた。
「終わった……んですかね?」
「たぶん……さっきまで、肩のあたりというか全身が重だるい感じがしていたんですけど……今はこころなしか、肩も軽いです」
なら、終わったのだろうか。相手は土地神の筈なのに、こんなにもすんなり許されてしまうなんて、まさしく奇跡だ。ほっと安堵して振り返ると、中十路さんも安心したのか感極まった様子で泣いていた。
「ごめんなさい……ずっと緊張してて……肩の力抜けちゃって……すみません」
「大丈夫です。よくあることですよ」
「それにすみません……俺にかけられた呪いのせいで……結婚だなんて……」
その言葉に、私は彼の涙を拭おうとした手を止めてしまった。結婚のこともだけど、彼が自らにされたことを「呪い」と称したことに、息が止まりそうになる。もしかして、彼は気付いていた――?
「中十路さん、もしかして自分が参加していた儀式を……」
「なんとなく、貴女の顔やさっきの着物の女性を見ていたら分かりますよ。俺は、家族に生贄にされていたんでしょう?」
切なげな声色に、かける言葉を選べなかった。口を結んだまま、手を握る力をこめる。こんな時、何を言えば人の気持ちを軽くすることが出来るのだろうか。視線を地面に落としていく内に、彼は苦笑した。
「家族に生贄にされた男ですけど、よろしくお願いします。今後とも」
「う、受け入れるの、早いですね……」
「なんだか、貴女が俺を庇う姿を見て、これも運命の形なのかなって思ったんです。それよりいいんですか? 俺なんかと結婚して。お金は沢山ありますけど、面白味なんて何一つないですよ」
中十路さんの穏やかな瞳からは、なぜだか試すような視線を感じた。
「いやいや……というか、私もすみません。勝手に婚約者だなんて言ったせいで」
「気にしないでください。俺は元々相手もいませんし、結婚願望も無かったくらいですから。頑張りやさんで、自分の家族よりずっと優しいお嫁さんが来てくれて、嬉しいなって思ってるくらいですよ」
確かに、彼は家族に生贄にされたと思っていてもおかしくない。こんな風に素早く、素知らぬ女との結婚に順応してみせたのも、心に根深いものが巣食っている現れだろう。私は、解呪ではなく荒療治によって逆に彼を縛った責任を感じながら、中庭を後にしたのだった。
◆◆◆
「一迦ちゃん」
ぽん、と肩を叩かれハッとすると、純白のタキシード姿に身を包んだ中十路さんが私の顔を覗き込んでいた。彼とのことを思い出して、ぼーっとしていたらしい。彼は私を見て不安げに首を傾げている。
「ごめん、ちょっと出会った時の頃を思い出してて……」
あれから二年。一応交際の期間はあったほうがいいよね、と私と彼は二年の交際期間を経て結婚式をすることになった。入籍自体はあの後すぐにしたけれど、やはり出会ってすぐ結婚は……とお互い住まいは別にしていて、去年同棲を始めた。
私が「ちょっと小学校に変態出たから除霊してくる」と言って外に出ようとするとついてきてくれて、一緒に自転車を漕いでくれたり、車を出してくれる優しい旦那さんである。
そして私の家族からは怒りの電話が来ると思っていたけど、結婚の連絡を期に完全に絶縁されたらしく、返事が来ない。正直人格否定の電話が定期的にかかってくることは厳しいし、ちょうど良かったなんて、つい思ってしまった。
「結婚するの嫌になっちゃったとか言わないよね? そんなことされたら、俺死んで怨霊になっちゃうよ」
「縁起でもないこと言わないの、将来を誓い合うのに」
「だって、ぼーっと考え事してるから……プロポーズとか普通すぎて気に入らなかったのかな〜とか、新婚旅行がハワイなのはベタすぎたかな〜って……病みそう」
「普通が一番だよ。」
「ほんとに? 壮大なフラッシュモブとか、大きめのドッキリとか加えたプロポーズのほうが良かったりしてない? 今そういう動画流行ってるんでしょ?」
「みんな動画で見るのが好きなんだよ。それに、指輪もらえて嬉しかったし、普通が一番だよ」
「なら、一生つけててね」
ぎゅっと、要さんに抱きしめられる。私は「勿論です」と頷いて、二人で笑いあったのだった。




