隣人フェイク
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【悪役令嬢ですが攻略対象の様子が異常すぎる公式ツイッター】
10月2日 オーディオブック①巻 ボイスドラマCD コミックス⑤巻 紅茶缶
〜情報公開中〜
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昼休憩の鐘が鳴り教室へ出ると、廊下の端で私についてのヒソヒソ話が聞こえてきた。
「年近い義理姉ってなんかきつくない? 本当に無理なんだけど」
「お前の場合例外でしょ、だって朧木っていかにも勉強しか興味ないです! って感じじゃん」
「いや、俺ももう朧木だから。つうか家にいるのキツいんだよね。あっち、塾から帰ってもずっと部屋篭って勉強してるみたいだからさぁ……」
けらけらと、隣のクラスの派手なグループが話をする様子を横目に見る。
勉強好きそう。小学校の時から言われ続けてきた単語だ。そして今まさに家にいるのがキツいと廊下で騒ぎ立てているのは、朧木契太。ゲーム配信をして、高校二年生でありながら、チャンネル登録者数が百万人いる大人気動画配信者だ。オプションとしてクラスの人気者。だるがり。
そして先週から私の義弟になった男だ。
◆◆◆
塾を終え、遅くに家に帰った私はそのままお風呂に入り、夕食のカップ麺片手に自室へ戻った。内鍵をしっかりと閉め、パソコンのモニターを点けると、すぐに今ハマっているFPSゲームのログイン画面が映る。
行儀が悪いと理解しながらも、箸を咥えつつローディングを始めてラーメンをすする。画面が切り替わるとすぐに武器を選び、現在の世界ランキングを確認してまた箸を動かした。
私——朧木八重は、勉強なんて別にまったく好きじゃない。ただのゲーマーだ。
物心ついた時からゲーム……特にガンアクションが好きで、寝食を犠牲にしてゲームに打ち込んできた。
ただ私は真面目そうな、というか吊り目がちで気の強い印象を与えつつ地味な人間だから「生真面目そう」と思われやすい。また、下落し続ける成績の対策としていくつもの予備校に通わされている為、周囲からは勉強一筋と誤解を受けて生きている。
でも、私は自分の誤解を受けやすい印象について、何とも思っていない。
他人の印象よりゲームが大事だ。他のことに時間を割くのは惜しい。それに不真面目そうに見られて損をすることはあっても、真面目そうに見られて損をすることはない。
ただ、それは先週までの話だった。
◆◆◆
しばらくランダムマッチで感覚を学校からゲームへ戻していると、オンライン通話アプリの着信が鳴った。私はボイスチェンジャーを起動してから、『ふわせ』という文字の下にある通話ボタンをクリックする。
「助けて」
開口一番聞こえてきた声に、吹き出しそうになった。
「なに?」
「全然ジェットコースターの建設終わらないんだけど。今日完成させるって昨日の配信で言ったのに終わりが見えない」
「今ランダムマッチしてるから待ってて」
「早く終わらせて。死んじゃう。今度こそ炎上だよ。嘘つきやろうってトレンドになっちゃうんだけど」
私はラーメンをすすっていることがバレないよう、マイクをミュートにしてカップ麺を空にし、慌てて通話をつなげた。
「終わった」
「さんきゅ。まじ助かる。今度素材集め死ぬほど手伝う」
「うん。そうして」
「俺abbさんのそーいうとこ好きだわ」
「何が?」
「お礼言われて謙遜しないとこ」
「遠回しに注意してる?」
返事をしながら、壁一枚で隔てられた隣の部屋へと目を向ける。私は、彼が義弟となり、顔を合わせる前から、ふわせとして知り合っていた。ただし、ゲーマーのabb2000として。
「つうかさ、聞いてよ。今日あいつに悪口聞かれたかも」
「あいつって、お姉さん?」
大好きなFPSを終え、ふわせの招待コードを入力し、彼の作ったゲームの中の大陸へと渡る。ブロック調の景色は先ほどの実写型の画面とは異なり、少しだけ目に優しい。ふわせは苛立つように、がしがしと草のブロックを削っている。
「そー! 友達と話してたらさぁ、スーって通って行ったの。何か言われるかと思ったら何も言ってこなくてさぁ。怒ってんのかな?」
「あっちに何かされたの?」
「何もされてないけどさぁ……何考えてるんだろう。もう、どう接していいかわからないんだけど」
その、何を考えているか分からず、取り扱いが分からない不気味な相手とゲームしている気持ちはどう?
なんて、いっそのこと聞いてやりたい。でもそんな度胸があったなら、こうして同じ屋根の下に暮らしながらこそこそゲームなんてしてないわけで。
「つうか俺お兄ちゃんとかが良かったんだよね。abbさんみたいなお兄ちゃん欲しかった。ゲーム強いしさ……そしたら兄弟配信とか絶対できたのに。義理姉としたら炎上するし」
「今ふわせがしてるの、平和なゲームじゃん。これに強さとか関係なくない?」
義弟——ふわせと出会ったのは二年前のことだ。私がソロでゲームをしているところ、ランダムで同じチームに割り振られたのが彼だった。彼は圧倒的に弱くて、ボイスチャットで色々教えてくれませんか? なんて誘いが来て、少しくらいならいいかとチームプレイをするようになった。
ゲームをしていて女だとバレればろくなことがないからと、変声アプリで声を変えている私をふわせは男だと信じてこんでいて、女配信者と絡むことは気にする彼だったけど、私を呟きサイトでフォローし九十万人のファンに向けて名前を出している。
一方、私もふわせのファンからはabbニキなんて呼ばれていて、ただのゲームの感想を呟くアカウントなのに、おこぼれフォロワーが二万人ほどいた。
「来月にはホラゲの実況もしようと思うんだよね。abbさんおすすめない?」
「……あー、それならおすすめのがあるよ。ただPCじゃなくて結構古いやつだから、本体がパソコンと繋がるか微妙だけど」
「まじ? でもレトロゲーだと皆やってないから狙い目かも。教えて〜」
ふわせは素直で可愛い。彼と交流している中で、再婚し義弟が出来ると母親から聞いた時は彼みたいな感じの子だったらいいなと思っていた。
でも実際に会った義弟はぶすっとしていて、何一つ可愛くなかった。
どうしたものかと様子を見ていれば、いつの間にかどんどん距離は広がっていた。もうあの義弟と話すことなんて、ひとつも無い。
◇
「ねぇ、これそっちの?」
もう話すことはないだろう、なんてフラグを立てたのがいけなかったのか。
日曜日の昼下がり、ぼーっとリビングでアイスを食べていると、起きたばっかりの義弟がテレビの棚の横を指さした。
気怠げな視線は明らかにこちらに向けられていて、「そっち」が私を示しているだとかろうじて分かる。そして「これ」は、昨日abbがふわせに勧め、「本体が古いからパソコンと繋がるか不安」なゲームの本体だ。
直射日光にあたらないよう丁寧に箱にしまわれているそれは、私がたまに動作点検もかねて遊んでいるから、動かないことはないだろう。
「そうですけど」
「借りていい?」
「どうぞご自由に」
ゲーム実況者、ゲーム大好き。ってプロフィールに書いているわりに、本体持ってなかったのかよ。
言えない言葉の代わりに、無言でしゃくしゃくとアイスを齧る。
「……昨日、学校で俺らの話聞いてた?」
「はい?」
「じゃあ、いい」
ふいっと義弟は踵を返し、自分の部屋へと戻っていく。聞いてたと答えたら、謝罪でもするつもりだったのだろうか。別に謝られても翌日にはクラスで私を馬鹿にするのだろうし、そもそも許さないけど。
私は急に味気なくなったアイスをかじりながら、窓の外の景色を眺めていた。
◇
一年前、高校に入学して一か月が経った頃のこと。再婚する、と父から聞いたとき、なんとなく自分の居場所が消えていく感覚がした。
父に恋人ができたとか、再婚の兆候がいっさい見られなかったから、というのもあるかもしれない。
父はそのあたり徹底していて、男であることを私に見せなかった。でも、その用意周到さによって心の準備がままならなかったのも事実で、父は義母になる人を選び、また義母になる人も父を選んだわけだけど、私は選ばれてないのにな、と思ったものだ。
だからこそ、向こうにも子供がいて、義弟ができると聞いた時は、少し安心した。再婚について不安を感じたのは、ふわせに義理姉が出来ると聞いたときかもしれない。
「俺さぁ、今度ねーちゃん出来るんだよね」
「へーなに系?」
「地味系みたいな」
「ずっと教室で本読んでてさ、すごい暗め。闇系かも」
「何で知ってるの?」
「義理姉、同級生だから」
その言葉に漠然とした不安を覚えた。そして翌日の昼休み彼が友人を伴い、他のクラスであった私の教室の前に立ちこちらを指してきたことで不安は確信へと変わった。
「最悪でしょ、よりによって」
あの声を聞くまで私は、姿さえ見ぬ義弟を自分と同じ存在だと信じて疑わなかった。家に居辛くなる同士、お互い選ばれたわけでも、選んだわけでもない家のくくりに入るもの同士だから、お互いそれとなく上手くやっていけるだろうと。
でもそんなものは幻想で、私は中途半端な独りぼっちだった。
「なんか今日ぼーっとしてない? どしたの?」
ふわせに声をかけられてはっとした。目の前は装備を選択する画面で止まっていて、一緒に狩りをするふわせのキャラクターは『準備完了』と明るい書体に足元を照らされている。
一方、こちらの手元は西日に照らされていて、私はカーテンを閉めてからパソコンのモニターに向き直った。
「ごめん」
「珍しいね。っつうか聞いてよ。昨日勧めてもらったゲームあるじゃん。あれ本体無くてさぁ、中古すげえ値段しててどうしようかと思ってたら家にあったんだけど」
「家で無くしてたの?」
「ううん。義理姉が持ってた。それでさぁ、父さんに良く借りれたね〜って言われた。なんかあのひと昔はゲーム良くしてたみたい」
——なんか好感度上がったかも。軽い口調に嫌気がさして、私は「そうなんだ」と興味なさげに、ゲーム以外興味のない、abbらしい返事をする。
ふわせは好きだ。明るくて、素直。でもちょっと我儘で口が悪い。寝起きはぼけっとしてるから、たまに変なメッセージが来るし、ホラーが苦手なのに再生数目当てで挑戦する。そんなところが好きだと思う。
「今度さぁ、義理姉に話しかけてみようかな」
でも、お前は嫌い。
◆◆◆
話しかけてみようかな。そんな言葉は冗談ではなかったらしい。翌日、「本体ありがとう」と義弟は私に声をかけてきた。
昨晩のふわせは懐かしいと呼ばれるホラーゲームをしていたことで、配信が急上昇ランキング一位にのぼり、機嫌が良かったのもあるかもしれない。
とてもいいことだと思う。
ふわせは人気になって、好きなゲームをいっぱい紹介したいと言っていた。有名人になってインフルエンサーと呼ばれるくらいのアカウントになれば、きっと自分が勧めただけで、日の目を見なかったゲームに注目が集まると彼は意気込んでいた。
そうして、不人気と呼ばれてしまうゲームがこの世から無くなることをふわせは望んでいて、その夢は、輝いていてとても素敵だと思う。
でも、私は朝から義弟に話しかけられたことで気分は最悪で、早々に家を出た。
「なんで配信者ってコラボするの?」
昼休み、スマホを開けばふわせからDMが来ていた。内容は、『配信大成功だった! 今度俺の放送出てゲームの話してよ』なんてスタンプ付きの誘いだ。私は返事をすることなくスタンプで応答しながら、友達の絃李に問いかけた。
「それは楽しいからでしょー!」
私の前の席に座る彼女は、ペットボトルの炭酸を飲みながら答える。教室にまだ男子が来ていないからか、「暑いよねえ」なんて言いながらスカートをあおぐ姿はどこまでも自由でキラキラして、自分とは別世界の人間に思える。
でも、はっきりと物を言う姿はいつだって眩しい。
「それだけ?」
「だってさぁ、友達と遊ぶのって楽しいじゃん。ファンっていうかこっち側もコラボとか特別感あっていいしさぁ、好きな人と好きな人がわちゃわちゃしてるの見るの楽しくない?」
「わちゃわちゃ……」
「まぁ、アイドル界隈ではビジネス仲良しってのもあるけど」
「なにそれ」
「仲良しのふりして、セット売りみたいな? むいむいとめあもえがしてるやつ」
「後半の呪文なに?」
「むいむいとめあもえは現役女子大生を売りにしたアイドルだよ」
絃李は、アイドルオタクだ。他の女子たちと違って男のアイドルではなく女の子のアイドルを追っている。でも、彼女の好きなアイドルはテレビに出ていなくて、ライブは地下で行われるらしい。
「今は地下にいるけどそのうち地上波で見ることになるからよろしく。あっ、ちなみに三人組のアイドルだからね」
「一人はぶられてるじゃん」
「まぁ、むいむいとめあもえは最初二人組のアイドルだったんだけど、不仲すぎて解散して、でもみゃうみゅんを入れて三人組として活動してるからね、はぶられてるとかじゃないよ。緩衝材」
「なんか根深いね……なにみゃうみゅんカウンセリングでもしてるの? 二人の」
「いや、みゃうみゅんはもう事務所がゴリゴリに推してるから、そろそろソロなんじゃないかなぁ」
「えぇ……」
なんだか、闇の深い世界を見てしまった。気晴らしに外へ目を向けると、丁度義弟が人に囲まれながら校舎へと向かってくる姿が見えた。
色んな人を惹きつけて、磁石みたいだ。義弟はもはや、アイドル的人気を持って、アンチにも叩かれる存在となっている。
私は、ふわせは人気が出てほしい。もっともっと、認められて努力が実ればいいと思う。
けれど義弟の背中を見て、ぱっと人が離れていけと、ただ思った。
◆◆◆
「なんで逃げてくんの?」
通り魔のように義弟が現れたのは、ゲーム機を貸して三日後のことだった。ふわせから「義理姉ときちんと話がしたいのに会えない」と愚痴られ、私はそれを利用した。このまま会う気なんてなかったのに、とうとう強硬手段に出たらしい。
女子トイレを出ると、義弟は目の前にいた。
「何のことですか?」
「明らかに俺のこと避けてるでしょ」
「同じ家に住んでいるのに、避けるなんて不可能では?」
「そっち、ずっと引きこもってるし」
「学校にはちゃんと通っているつもりですけど」
言い返すと、とうとう義弟は言うことが無くなったらしい。「ずっと思ってたけど、何で同い年なのに敬語? わざと距離作ってんの?」と、新たな燃料を投下して、冷ややかな目を向けてきた。
「そうなんじゃないんですか」
「は? そっちの気持ちでしょ? なにそれ」
「あれ? 何やってんのー?」
ぱたぱた音を立てて、いつも義弟の周りにいる奴らが駆けてきた。彼らは私を見てぎょっとした後、半笑いの、嫌な笑みでこちらを見てくる。
「あれ? おねーさんじゃん。なに契太姉弟ケンカしてんの?」
「違う」
「つうかここ女子トイレの前じゃん! 何で?」
やがて、義弟を囲む女子たちもわらわらとやってくる。自分がいつも仲良くしてる人達なんだから相手をすればいいのに「うるさい……」と奴は顔を背けた。
「えー! だってこの組み合わせ超珍しいじゃん!」
そのせいでなのか、義弟のクラスメイトたちは好奇心の矛先を私に移した。
「あ、お前義理姉最悪とか言ってたのバレたんだろ? すげぇ当たり強かったもんな。ちょっと同情したもん」
「うっそ、そんな酷いこと言ったの? うける。勉強とか教えてもらえばいいのにぃ〜」
女子たちは、「酷い〜」なんて言いながら口角は上がっていた。とても同情しているようには見えない。おかしくて仕方ないけど、大笑いをしてしまえば性格が悪く見えてしまう。そんなところだ。きっとこのまま笑われて、からかわれる。くだらない。面倒くさい。
「元から知ってますよ。あなた達、声が大きいので」
そう言って、踵を返しその場から去る。
後ろから「うっざ!」と悪意を隠さない声が聞こえた。どっちがだ。少なくとも「酷いい〜」と言っていた女子たちは、先週「あんな地味なのが姉とか可哀想。もっとお洒落で綺麗な人ならよかったのに」としっかり酷い言葉を発していた。
「待って」
早足で歩いていると、ぱっと後ろから腕をとられた。義弟が私の腕を握っていて、目を見開く。彼の後ろにいる集団も驚いた顔をしていて、呆然と動きを止めていた。
「ごめん」
「何が?」
「この間のこととか、あいつらのこととか、色々」
「……別に、どうでもいいです。貴方にどう思われようと、私には関係ないので」
ぱっと腕を払い、そのまま去っていく。
突然通り魔みたいに現れたり、挑発した後に謝ってきたり、不愉快だ。苛々しながら私はスマホを開いて、ふわせのチャンネルページを開いた。
義弟のことは大嫌いだけど、ふわせには無性に会いたかった。
◇
あれから私は、放課後ハンバーガーショップで時間をつぶした後、読みもしないのに本屋へ行って、二十二時に帰宅した。両親は仕事で遅い日だったから、私が帰ってきた後すぐ帰ってきて、「リビングで寝てた」と言い訳した。
そして部屋でパソコンをいじり、ふわせが呟きサイトにいるところを見て、「ゲームしよ」とDMを送った。
「人生きつい」
「俺もゲロキツい」
ふわせと一緒に狩りをしながら呟くと、驚いたことに同調するような言葉が返ってきた。
ふわせの声色はかなり落ち込んでいて、声もいつもよりずっと低い。
こんな感じの彼は、昨年あたり実況プレイしていたゲームに問題——差別表現を含むセリフがあったことが後から発覚して、その時そのゲームを実況し、尚且つ一番有名なのが彼だったからと半ばもらい事故で炎上したとき以来かもしれない。
「どした?」
溶けて消えそうな声色に不安を覚え、私は優しく声をかける。彼はしばらく沈黙してから口を開いた。
「義理姉に完全に嫌われたかも」
「なんだ。炎上じゃないんだ」
「なんだってなに。深刻な悩みなんだけど。こっちは」
「義理姉に嫌われたくらい別によくない? 嫌いだったんでしょ。お互い関わらず生活していけばいいじゃん。どうせ高校出たら一人暮らしするだろうし」
一人暮らしは、義弟が出来て意識し始めた。バイトしながら大学に行くのはゲームの時間なくなりそうだし、大学を卒業するまではここで……と思ったけど、全部義弟のせいでめちゃくちゃになった。
「無理」
「何が無理なの」
「一人暮らし」
「お金ならあるじゃん」
「出さない」
我が儘だな。私も人のこと言えないけど。
「……まぁ、ふわせがしなくても義理姉さんはするんじゃない?」
「え」
「同い年の男が家にいるのって厳しいだろうし。ほら、彼氏とか家に呼び辛いじゃん?」
彼氏なんて、いない。義弟もそれは分かってるだろうけど、可能性の一つとして言うと彼は短く呟いた。
「そんな奴いたら、埋めるし」
呪詛を交えた声に、素で「は?」と聞き返してしまった。「そこまで義理姉さん恨んでるの? 何されたわけ?」と問いかければ、長い沈黙が訪れる。
「……逆」
「え」
「義理姉のこと、好きだもん」
ぶすっと、不貞腐れた声に時間が止まったような感覚がした。そんなわけないだろうと言い返したくなるのを押さえて、「まじか」と短く答える。
「このまま冷たくされ続けたら、もう……ね、諦めるしかないかなって」
「いいんじゃない?」
「うん。もう、来世に期待する」
ふわせの声色は、とても冗談に思えない。配信の企画で「abbニキにドッキリ仕掛けてみた」だったら、もうそれがいい。企画じゃなきゃ困る。でも、彼は配信では絶対しない大きなため息を吐いた。
「あ、ごめん耳ボワッとさせちゃった」
「いや……別に……」
「……そういえば、abbさんは何でキツいの?」
重い雰囲気が伝わってくるのが、マイクを通してなのか、隣からなのか分からない。私は「彼女に振られて」と声を絞り出した。
「ごめん。俺振られたことないから、中途半端なことしか言えない。ごめん」
「いや、いいよ。あははは。なんか物凄いモテ発言聞いて逆に元気出たわ」
「まぁ今日、義理姉に決定的に嫌われたっぽいし、振られてるのかもしんないけどね……はぁ、謝ってこようかな……」
「時間置けば? 無かったことになるんじゃない?」
私の言葉にふわせは沈黙して、「やっぱ無理」と呟いた。
「ちょっと謝ってくるわ。待ってて……」
「え」
「骨は拾ってね」
「……分かった。俺もトイレ行ってくるわ」
ふわせは、こちらに来る気なのだろうか。私は行きもしないトイレに行くと言って通話画面を切り替え、さらにパソコンの照明を落とした。イヤホンだけつけていると、スピーカーからガタンッと椅子から飛び降りる音が響いた。
彼はいつも、大きめのゲーミングチェアに体育座りのような形で配信をしていると言っていた。すぐに来るだろうと覚悟していると、何故か階段を駆け下りる音がして、しばらくしてから控えめに私の扉をノックする音が聞こえた。
「なに」
「ちょっといい」
ぶすっとした義弟の声に、「よくない」と言い返しそうになる。私はカモフラージュ用の勉強道具を出してから「どうぞ」と返事をした。義弟は部屋に入ると、そのまま不自然に片手を隠しながら私の前に立つ。ゲーム機はまだ返してもらってないから、その返却もついでにするかと思えば、彼の背後にある姿見を見て私はぞっとした。
「今日、ごめん」
そう言いながらも私から視線を逸らし、おおよそ人に謝る態度ではない義弟の後ろ手には、包丁が握られている。こんな強制的に許しを請うスタイル見たことない。パステルカラーのだぶだぶパーカーを着ているからか、余計に手元の包丁が間違いに見える。
「あいつら。言っておくから。ごめん」
「別にいいよ。気にしてないし」
「それは、俺に何言われても、どうでもいいってこと?」
本当に、彼は謝罪に来ているのか?
でも、後ろ手には包丁を持っている。そして義弟がどうなろうと知ったこっちゃないけど、刺されたくない。
「いや、よくあることだから、ああいうの」
「よくあるの」
「まぁ」
「誰にされるの」
「そっちのこと囲んでる人たち。でも、何もしなくていいから」
「なんで」
「チクったって結局責められるの目に見えてるし、今のままのがマシだから。関わってこないで、放っておいて」
かなりの食いつきに押され気味に答えると、彼は「分かった」とだけ言って包丁を隠しながら部屋を出ていく。やがてパタンと音を立てて扉が閉じたとき、私は止めていた呼吸を一気に吐き出して盛大にむせた。すぐに呼吸を整えパソコンの通話画面を開くと、イヤホンのスピーカーからガタガタと椅子に座りなおす音がした。
「お、謝罪終わった?」
「まだ」
「どういうこと?」
「なんか、義理姉いじめられてるっぽい」
「え?」
そんなこと、私一言も言ってないけど?
しかしふわせは「義理姉が機嫌悪いの、俺の周りの奴らのせいなんだと思う」と確固たる証拠があるかのように話す。
「な、なんで」
「今日もさ、義理姉俺が話しかけると機嫌悪かったけど、周りに人来たらもっと酷くなったんだよね。だから、明日選別してみようと思う。そのあと謝んないと、無責任だし」
ふわせはそう言って、ガチャンと音を立てた。通話中だったら何かを落としたんだろうなと思うけど、私はさっきそれを見てしまったからよくわかる。
この音は、包丁の音だ。
◇◇◇◇
選別してみようと思う。
その宣言の通り、翌日から義弟の周りに集う人々が減った。何をしたか分からないし知りたくもないけど、とりあえず殺したりはしてないらしい。わざわざ各教室を確認していったけど、人が死んだようなクラスは何処にもなかった。
私としては、わざわざ突っかかってくる人間が減って、その点だけは生活は快適になった。でも、
「何食べてんの」
友達である絃李が風邪をひいてしまい、一人中庭でもそもそスナックパンを食べていると、義弟がやってきた。ちらりと周りを確認しても人はいないし、彼も後ろ手に刃物を持ったりなんていう凶行はない。
「パン」
「お昼?」
関係ある? 何しに来たの? そんな言葉を吐いて、刺されたくない。私は「うん」となるべく柔らかく聞こえるように頷いた。義弟は「ふぅん」と私の隣に立った。
「……今まで。ごめん。俺と、俺の周りのことも、全部」
「別に」
なんだか、小学生みたいなやりとりだ。まるで生産性がない。
「……いる?」
「いいの?」
「ん」
多分、他にも世界で六万回くらいされてるやり取りをして、私は義弟に一本スナックパンを差し出した。
「ありがと」
そして彼はといえば、パンを受け取ってもそもそ食べ始める。一口が小さいからリスみたいだ。
「おいしい。いつも食べてんの?」
「まぁ」
「どこのコンビニ?」
「家に一番近いとこ」
「あぁ」
義弟はただまっすぐ前を見て、何をするでもなく一本を齧っている。結局そのまま彼は居ついていて、私も刺されたくなさに昼休みが終わるまでその場に留まっていたのだった。
◇◇◇◇
「パンもらった。脈ありかもしれない」
その日の夜。私はスナックパンをあげたことを、戦場を映すパソコンモニターの前で激しく後悔した。私はふわせの後ろにいる敵を撃ちながら、「何で?」と問いかける。
「今までクッキー食べてたりポテチ食べてても絶対くれなかったのに、スナックパンくれた。絶対に好感度上がった」
「え、その絶対的な自信どこから来るの?」
「だってクッキーとポテチは群衆じゃん。一枚消えようが分からないじゃん。スナックパンは六本入りだよ? 一本いなくなったら五本になるんだよ? それをくれるってもう、だいぶ好感度高くない?」
それはふわせが卑しいだけでは?
でも、好感度が低いと刺されてしまう。私は「確かに……」とあたかも納得しているように答えた。
「やっぱabbさんの言う通り謝って良かった。そのおかげで、義理姉と仲良くなれそうだし」
「うん」
「どうせ仲良くなれないし、もう目の前で死んでやろう、一生消えない思い出になってやろうと思ってたけど、こんな真っ当に仲良くなれるんだね。何かごめんね。abbさん振られたばっかなのに」
「本当だよ。人の恋路屍にしていってさ。殺意殺意」
いや殺意どころじゃないし。何? 目の前で死んでやろうって。思い出になろうって何? 怖い。絶対内鍵取り付けたい。私は震える手でショッピングサイトを検索し、コンビニ受け取り代引きお急ぎ便で後から取り付けられるタイプの鍵を買った。本当に何? 何で家でホラーVRしなきゃいけないわけ?
「っていうか、ふわせってそんなキャラだっけ?」
「まぁ、俺も誰かを好きになったことなかったから、恋ってこんな感じだったんだなってびっくりしてる」
ふわせに恋をしているファンだったら、キュンとする台詞になるのかもしれない。でも、彼の恋心には包丁がちらついている。恐ろしいし、背筋がぞっとする。
「……明日も、話せるといいな」
でも、ふわせが嬉しそうにしてるのは、嬉しい。義弟は嫌いだけど、ふわせの恋は叶ってほしい。義弟とは、付き合いたくないけど。
そして、刺されたくもない。
私は「出来るよ」と答えて、ゲームでも彼の援護に回っていたのだった。
◇◇◇◇
義弟には沢山傷ついて欲しい。でも、ふわせは笑っていて欲しい。
同一人物だけど私にとって二人は別々の人間で、義弟は嫌いだけどふわせは好きだ。
でも、包丁片手に会いに来る彼は、私にとって義弟とふわせ、どちらにカテゴライズしているだろう。
自分でもよくわからない。それが義弟の扱い辛さに拍車をかけていて、家でも学校でも、態度が緩和されたとしても会いたくないのが本心だった。
「あげる」
だからか、絃李が風邪を引き三日が経過した昼休み、子供用スナックパンを差し出された私は、即座に返事が出来なかった。
目の前には、子供の好むキャラクターが描かれたスナックパンがある。スーパーやパンを扱ってる薬局に置いてあるそれは、コンビニではあまり見かけず、食べる機会がないものだった。
「……いいの?」
「うん。この間、貰ったから」
「……ありがとう」
受け取ると、即座に「食べないの?」と聞かれる。刃物をあてられているような視線に、私はおそるおそる「いただきますけど……」と袋を開いた。
バナナ味、とパッケージに大きく書いているだけあって、ふわりとバナナの甘い香りが広がる。パン自体も黄色くて、小さい子が食べやすいように短めだ。
でも、なんでわざわざ子供用を?
「なに?」
伸ばした手を止めた私に、義弟が怪訝な顔をした。まさか「この中におかしなもの入れてないよね?」とは聞けず、口ごもることしかできない。
「……食べたくないの?」
「いや、いるのかなと、思って、そちらは……」
顔色を窺うと、「俺にくれるの?」と驚いていた。そっちがくれたやつなのに……。
「よ、良ければ」
「ありがと」
義弟がスナックパンを一本取り出し、もそもそ食べ始める。私も話さなくて済むからと、スナックパンをかじる。
「好きなの? それ」
嫌いと言ったら、刺されるのだろうか。それとも目の前で、死なれるのだろうか。とりあえず頷くと「また今度買ってきてあげるよ」などと呆れたように私を見る。とりあえず、これで私の日常は平穏へと戻っていくはずだ。
私はまた昼休み、そうして義弟と過ごしていたのだった。
◇◇◇◇
「おれ、だめかも。話きいて」
スナックパン片手に起きた襲撃から、一週間。家でゲームをしていると、ふわせが呟きサイトからDMを送ってきた。てっきり配信とかゲームに行き詰まったとばかり思っていたら、彼が次に発した言葉に思考が停止した。
「義理姉に嫌われたかも」
「な、なんで!?」
イヤホンから聞こえてくる声は明らかに気落ちしていて、事の重大さがうかがえる。でも、私と彼とは何一つ重大事件など起きていない。スナックパンを持ってきてからというもの、特に会うこともなかった。むしろ良好な仲だと誤解されてもおかしくないはずだ。
「一緒にご飯食べてくれない」
そんなこと言われても、両親は共働きでそれぞれ帰ってくる時間が読めない職種だから、夕食もお金を渡されて各々勝手にとる状態だ。
だから私はスーパーでカップ麺を貯め買いして、残ったお金を着服するという手段でゲーム代を増やしている。今に始まったことじゃない。
「夕飯の席で、避けられるってこと?」
さりげなく、貴方とはもともと約束してないですよ。と指摘する。しかし、ふわせから返ってきたのは長い沈黙だった。
「……」
「こいつと一緒に食べたくない! とか言われた、とか?」
「言われてない……」
「え、じゃあ何で避けられてると思うの?」
「スナックパン食べてくれたのに。夕飯は食べてくれない……」
「え、何!? 原因はスナックパンなの!?」
うっかり、素で返してしまった。でもふわせは「うん」と私の変化には気づかない。
「なんか、もっとさ、あると思ってたんだよね」
「何が?」
「一緒にご飯食べたり、あとばったり会って一緒にお風呂入ったり、夕食の買い物したりとか洗濯物とかさ、一緒に取り込んで……みたいな。そういうの、全然ないし。避けられてる。嫌われてるんだ……」
お風呂とかは論外だけど、雰囲気的に一緒にご飯食べたりというのを切望されてるのは、ひしひしと伝わってくる。
「もう、ぶすってやっちゃったほうが、楽なのかな……苦しいよ……」
でも、普通に怖い。昼休みならまだしも、家で二人で食事するのは怖い。
「よ、様子見てみれば?」
「なんで?」
「だってほら、ここ最近暑かったし、食欲ないかもしれないでしょ? ふわせ、義理姉さんと一緒に生活するようになったのいつから?」
「七月三日」
「ならほら、夏が得意じゃないかもしれないし。ちょうど来週から寒波来るらしいから待っててみなよ」
「うーん……確かにそうかも。もともと顔色いい感じしないし、不健康そうな人だから。暗いし」
畳み掛けるようにディスるな。
でも、これでとりあえず刺されずに済むわけだけど、来週あたりに夕食を食べなければいけないわけで……。
来週、お父さんかお母さん、急に休みになったりしないかな。
私は祈るようにカレンダーを見るけど、今月両親の休みは終わったばかり、私はため息を吐きながら天井を仰いだのだった。
◇◇◇◇
それから一週間後、天気予報の通り寒波がやってきた。冷たく乾燥した空気によって、長袖の上に何かを羽織る人が増え、半袖の人は全く見かけなくなった。暑くて夏バテしているから一緒に食事をとることができないという私の言い訳も、通用しなくなった。
だから私は今日、わざわざスーパーに買い物に行って三食入りのうどんと葱、天かすに、わかめまで買ってきた。合計五百円の買い物である。うどんを食べていて葱なんて気にしたこともなかったけど、「勝手に葱抜かれてた……嫌われてるかも刺す」なんて思われたら嫌だから、高かったけど譲歩した。
トン、トン、トン、と間違っても「雑に切られたから刺す」と思われないよう葱を切っていく。細めの葱と、白い部分のある太めの葱とどちらにするか迷って、細めのほうを選んだ。
葱を細かく刻むたびにふわっと青っぽい独特な匂いが香ってくる。すでにうどんは茹でていて、二玉のうどんがぐるぐると深めの大なべの中を舞っていた。わかめはパッケージ曰くつゆが出来てからでいいらしい。私は冷蔵庫からめんつゆを取り出して、計量しながらうどんを茹でている鍋の中に加えた。
「なに、してるの」
真後ろからかかった声に、うっかりめんつゆを瓶ごと落としそうになる。私を驚かせた張本人の義弟は、ひょっこり横から顔を出し「うどんかぁ」と否定とも肯定とも取れない所見を述べた。
「食べる? 二玉茹でてるけど」
「いいの?」
その、窺う様な「いいの?」ってやつ、ひやっとするからやめてほしい。でもそんなことを言えるならこんな風に義弟との関係は悪化してなかったわけで、私は「うん」といつも通り頷いた。
「めんつゆ戻さなきゃなぁ」
義弟に横に並ばれているのが嫌で、めんつゆを戻しがてら冷蔵庫へと避難する。中身を見るふりをして、かまぼこの存在を発見した。
「かまぼこ入れる?」
「いいの?」
「うん」
私はかまぼこを手に、まな板の前へと戻った。うどんはもう余熱でいいかと火を止めると、義弟が「盛り付けたほうがいい?」と聞いてくる。
「よろしく。終わったらわかめ入れておいて。ただ、五倍になるから」
「ん……」
正直横に立たれた状態で包丁を持っていたくない。義弟は腕まくりをすると、食器棚からどんぶりを出し始めた。私は強めのピンクを纏ったかまぼこを分厚めに切っていく。
「何味?」
「めんつゆの言う通りにした味」
「なにそれ」
「裏に書いてあるから、うどんは三倍に薄めろとか、炊き込みご飯は九倍とかって」
「へぇ」
かまぼこを切り終えるころには盛り付けが終わったらしい。ダイニングテーブルにどんぶりが並べられてい、私は黄金色のつゆにさっとかまぼこを並べ、上からぱらぱらと天かすをふりかける。私の精神疲労を犠牲にした、姉弟平穏祈願うどんの完成だ。
「俺、ここで食べていいの?」
「ん」
「そっか」
義弟はダイニングチェアに座った。私も向かいに座って、手を合わせる。箸を出してと頼み忘れていたけど、箸置きまでしっかりと用意されていた。
「いただきます」
「いただきます」
なんとなくお互い気まずい沈黙を経て私たちは箸に手を伸ばした。義弟は毒見役でもしないようなほど、うどんを凝視してからすすり始める。私はもうこれで自分の身は保障されたと、安堵しながらうどんを食べたのだった。
◇◇◇◇
「abbさん、本当に申し訳ないけど俺そのうち結婚するかもしれない」
義弟と一階のダイニングでうどんをすすった後、私は二階でふわせと通話を始めた。
「誰と」
義弟と一緒にいるのは疲れるけど、ふわせと話すことは気を遣わないし、楽しい。でも、次に放たれた言葉に、私の中のふわせと義弟の境目は一気に曖昧になった。
「義理姉」
「無理でしょ」
「え? abbさん知らないの? 血が繋がってなければ結婚できるんだよ?」
「いや、そうだけど、近親者きつくない? 仮にも家族だよ?」
「でも血は繋がってないし」
「あっちに結婚しようとか言われた?」
「うどん一緒に食べた」
この間は、一緒に食べなきゃ刺すとか言ってなかった? なんで? どっちに転がっても私は刺されるのか?
愕然としながら「それだけで?」と返すと、「十分でしょ」と即座に言葉が返ってくる。
「だ、だってうどん食べたくらいで結婚になるなら、うどん屋さんとか結婚スポットじゃん。調理実習でうどんとか作ったことない?」
「普通の人はね? 義理姉、普通じゃないし」
素直なふわせの言葉に、ぐさりと胸を刺された。さらに彼は傷口に丹念に塩を塗り込んでくる。
「義理姉、ふ、普通じゃないの?」
「普通じゃないよ」
「た、例えばどのあたりが……?」
「だって、家帰ってくるとずっと部屋にいるんだよ。学校では友達かろうじているみたいだけど……なんていうか、ずっと塞ぎ込んでる感じだし。俺みたいに配信してるとかネットやってるなら分かるけど、家帰ってきて勉強してカップ麺すすってって寝て学校行く囚人生活続けてて、勉強も楽しそうにしてるわけじゃないし、人生を楽しむっていうより、毎日命を消耗して死に向かってる人みたいな……生きること、全く楽しくなさそうっていうか」
楽しいよ。ゲームあるから。
「本当にずっと部屋にいるから……しかも音とか全然しないの。瞑想でもしてるのかな……今ちょっと聞き耳たててみるね」
確かに、無音だろうと思う。動かしてるのはコントローラーだし、ヘッドホンをしてない時、カチャカチャした音が耳障りだからと音のしないコントローラーに、さらにスプレーを吹きかけている。もっといえば、やすりでちょっと削った。ヘッドホンだってしているし、私の部屋から出る生活音なんて、殆どない。
しばらくすると「やっぱり無音だわ。全然音しない。いっつも何してんだろ。寝てるのかな」と不思議がっていた。
「勉強じゃない?」
「でも、そんな勉強できなくない? あの人塾がない日は十七時くらいに帰ってきて、そのあと二十時にお風呂入る以外はずっと部屋で勉強だよ? 親に夜更かしするなって言われてたから、寝てるの深夜帯みたいだし……受験なんか再来年なのに」
「いい大学目指してるんじゃない?」
「それとなく親に聞いたんだけど、ここだけの話、大学すごい普通のとこ行こうとしてるっぽい。何かさぁ、最近不安なんだよね……あんまり音しないからさぁ、倒れてんじゃないかなって思う時あって……飛び込もうかなと思うときあるんだよね。部屋に」
どうしよう。今度ふわせと通話してないとき、部屋で奇声でもあげて踊りださなきゃいけないかもしれない。とりあえず、前に彼が実況していたフィットネス系のゲームを購入しながら、「案外どっか行ってるんじゃない? ベランダから外出てさ」と、絶対ありえない可能性を指摘しておく。
「ええ、運動神経なんもないよあの人。そんなことしたら一発で死んじゃうよ。っていうか、ベランダの手すりに足掛けただけで死にそうだし、骨とか折れそう。ヒョロヒョロだよ」
「隠してるんじゃない? 運動部とかスカウトされないように。だから案外毎晩ベランダから配管伝って外出てどっか出かけてるよ」
「じゃあちょっと、ノックしないで行ってみる」
駄目だしくじった。私は慌ててパソコンにロックをかけて、窓を開きクローゼットに隠れた。するとすぐさまふわせが部屋に入ってきて、クローゼットの扉の隙間からうかがうと、彼は開け放たれた窓を見て「ガチじゃん……」と愕然としている。そして私のパソコンに目を向けると、中を見ようとしているのかキーボードをいじりはじめた。
「俺の誕生日……っと、え、嘘、駄目じゃん……は?」
そんな、自分の誕生日とか家族の誕生日をパスワードにするなんて恐ろしいこと、絶対しない。四桁数字のパスワードなんて、適当に入力し続けたら当たってしまうし。
というかふわせのパスワード、誕生日だったりするのだろうか。え、それまずくない? すぐ乗っ取られるのでは? しかし、彼はただただ私のパソコンの前で「俺の誕生日じゃない……なんで……」とショックを受けている。
「浮気……?」
は?
「いや、ちゃんと防犯意識あるだけかも。俺もパスワードはめっちゃ考えるし、誕生日にはしないし……」
やがて彼は、「今度聞けばいいか」と恐ろしいことを呟いて、部屋を後にした。
私は念のため部屋につっかい棒をしてから、パソコンに戻りまた通話を再開する。すぐにふわせと繋がり、彼はどこか安堵した様子で「大丈夫だった〜」と笑っている。本当に良かった。これで——、
「でも、なんでabbさんがそんなに義理姉のこと詳しいの?」
冷え切った、まるで人から発されたとは思えない声色に、背筋が冷えた。
「え?」
「この間も夏は食欲が無いとか言ってたし、今日のこととかもさ、なんでabbさん義理姉のことそんな詳しいの? 何かおかしくない?」
「そんな詳しいってほどじゃ……」
「俺の義理姉のこと、知りすぎてない? もしかして知り合い? っていうか義理姉の彼氏とかじゃないよね?」
「な、なに言ってんの? っていうかこっち、彼女と別れたばっかだし。付き合ってたのだって年上だから」
「あ……そっか。ごめん。……あれ、もしかして義理姉と付き合って別れたってこと?」
「だから付き合って別れたの年上だって。義理姉さんはふわせと同い年でしょ? 女子高生と付き合ったら一発で逮捕もんでしょ」
「そっか……ごめん」
ふわせはしゅんとした声を発した。なんだかとても可哀想で、私はすぐに「いいよ」と返す。
「なんかもう、こうやって人のこと疑ったり、義理姉に対して疑心暗鬼に陥るの、やだな。すげぇやな奴みたい」
ぼそり、とふわせが呟いた。「苦しい」と続ける声になんとかしてあげたい気持ちになるけど、いい言葉も思い当たらない。私はしばらく考えて、何も声をかけないよりかはいいかと、ヘッドセットマイクを少しだけ手で押さえた。
「ふわせは、いい人だと思うよ」
「……え?」
「動画作りにも、配信にも真摯だし、ゲームとかもちゃんと製作者のインタビューとか読んでからプレイしたりさ」
「すごい褒めてくれるじゃん」
「ゲームが好きって言うの、伝わってくるよ。ゲームのこと成り上がるためのアイテムじゃなくて、ゲームを楽しもうっていうの、分かるから」
「……」
「刺すとか、目の前で死んでやるっていうのは、まぁ正直どうかしてるし、気持ち悪いと思うよ? 相手の気持ち、考えろと思う。でも、好きだから疑ったりっていうのは、誰にでもあることなんじゃないかな」
「……そうかな」
「うん。ふわせはいい人だよ。包丁の一点は本当にアレだけど、他全部の人柄は尊敬できるし、応援してる」
本当に、その一点さえなければ、ふわせはすごくいい人で頑張り屋だと言える。誰にでも「いい人だよ!」と紹介できるし、動画のおすすめもできる。
「……なんかちょっと元気出てきたかも」
「本当?」
「ん。明日頑張ってプロポーズ出来そう」
「……ん?」
「断られても、またプロポーズすればいいんだよね。それに俺と義理姉まだ結婚できないし、さすがに十八で結婚! も、この状況じゃきついかなって。俺は全然いいけど、義理姉は人嫌いの化身みたいな感じだから、マンボウみたいに死んじゃいそう。結婚死、みたいな」
「マンボウ?」
「知らないの? マンボウって繊細なんだよ。義理姉すっごい閉じこもりがちだしさ、休み時間机に伏せてたりするし、友達もいるけどさ、少しタイプが違うから義理姉が友達って思ってても、相手は友達って思ってないことだってあるしね」
怖いこと言わないで。それめちゃくちゃ傷つくやつだし、義弟の中で私の印象は一体どうなっているんだ。というかもう、ふわせと義弟の境がめちゃくちゃになってきた。なんだか、頭が痛い。今私が話をしているのは、一体誰だ——?
「だから、大自然で置き去りにされて、そこから奇跡的に森の中で育った子供くらい丁重に扱わなきゃ」
「じゃあ……プロポーズしたら危ないんじゃない……?」
「でも、俺が敵じゃないことを示さないと。俺たちは、家族になるんだよって」
「元から家族でしょ」
「じゃあ、新しい家族の形を作ろうね、とか?」
「いや、それは……」
言いかけたとたん、けたたましい火災報知機のサイレンが鳴り響いた。ヘッドホン越しに聞こえるそれは結構な音量で、隣の家からだと即座に分かった。カーテンに向かい確認すると、隣の家の住民がバルコニーに出て、「ごめんなさい! 火災報知機の点検スイッチ押しちゃって!」とサイレンの合間に大きな声で説明をしていた。
なんだ、火事じゃなくて良かった。サイレンの音はこの部屋を通じて隣の部屋にもいってるかもしれないけど、耳がおかしくなるほどの大きさだから、案外誤魔化せるかもしれない。そう安堵して振り返ると同時に、私の部屋の扉が爆発のような音を立てて破られた。
「は?」
扉のそばには、足をあげた義弟がいる。思えば小学生のころ空手をやっていたとか、言っていたっけ。ぼんやりと考えてから、ハッとした。
パソコン、ふわせと通話中だ!!!
とっさにパソコンに向かうけど、義弟のほうが速かった。彼はすさまじい勢いで私のパソコンの前に立ち、画面を確認して、「義理姉がabb……?」と呟く。
ダメだ。殺されるかもしれない。今までよくも騙したな、とか、刺されるれるかもしれな——、
「義理姉って、策士だったんだ」
「え」
「俺、駆け引きされてたんだ?」
義弟はパソコンから私に顔を向け、こちらを見た。
「は?」
「男のふりしてabbになって俺に近づいて、アドバイスして今度は自分と近づけて……夕食とか一緒に食べるよう仕向けちゃってさ。おまけにabbとしてさりげなく告白してくるとか……すごいな。さすがひきこもって勉強してるだけあるよ」
「いや、え、なに告白って」
「正直その執念には引くけどさぁ、まぁ俺も好きになっちゃったわけだし? 今度は壁越しじゃなくて、同じ部屋でゲームしようよ。あ、俺の部屋との間の壁さぁ、穴開けちゃわない?」
「穴?」
「そう。普段は鏡とかでカモフラージュしてさ、いつでもお互いの部屋行ったり来たりできるの、素敵じゃない?」
「いやいやいやいや」
「俺の部屋を荷物置き場にして、寝るのは同じにしない? 今日は俺の部屋、明日は八重の部屋って」
え、なんでそんな話になってるの? っていうかなんで名前呼び捨てにしてくるの?
「俺にしてきたことほぼほぼ犯罪だけど……いいよ。俺も好きだから、許してあげる」
そう言って、義弟だかふわせだかよくわからない目の前の男は、私にキスをしてきたのだった。
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