一緒に幸せになりたいな
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【悪役令嬢ですが攻略対象の様子が異常すぎる公式ツイッター】
10月2日 オーディオブック①巻 ボイスドラマCD コミックス⑤巻 紅茶缶
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この街の治安は悪い。
急行、快速、特急のすべてが停車、日に二百以上の発着があるバスターミナルを保有する駅を持ち、それに伴い大きな芸能事務所やオフィスが乱立している東区――の反対に位置するここ西区は、バーやクラブがひしめき合い、未成年者に見せられない広告が大々的に出ていたりする街だ。
自販機は落書きされていて当然だし、学校もあるけど端的に言えば不良高校。その高校の入試は名前さえかければ合格、という恐ろしい逸話が伝わっている。
「さっさと酒出せや!」
月曜日の夕方、お弁当の廃棄チェックをしていると、不良高校の制服を着た学生がカウンターに小銭を叩き付けてきた。
治安の悪い西区の中でも不良高校の裏手にあり、後ろ暗い消費者金融の隣に建つこのコンビニでは、日常と化した光景だ。
「すみません。未成年者への酒類販売は法で禁じられてますので」
「知るかよ! 女だからって舐めてると容赦しねえぞ!」
少年がレジカウンターを蹴り飛ばした。カウンターは床とぴったりくっついているから、びくともしないけど、視覚的な恐怖は十分だ。
これまで「怒鳴られ脅され殴られ」の三重苦によりバイトは何人も辞めている。強盗に遭いやすいからと女の子のバイトは雇えないけど、男の場合、不良校の生徒たちは「男同士ならいいか」と手を出すからみんな殴られて辞める。
でも、新卒で入社し二年目である私は、バイトではなく社員でそんなこと関係ない。異動願いも何十枚と書いているけど「会社辞めるわけじゃないでしょ?」と却下され続けている。退職の手段に過労死が入ってくるレベルだ。
「すみません。身分証をご提示いただかないとお売りすることはできないんです」
いっそ殴られれば異動できるか……? なんて考えるけど転職先も中々見つけられない中、店回りの治安が悪いことを理由に辞めるのは難しい。一方、学生はどんどんヒートアップして、カウンターを叩きだした。
「村波さーん。どないしましたぁ?」
辟易していると、先ほど出勤しバックヤードで着替えていた加狸くんがやってきた。彼はまだ働き始めて二か月も経っていないけど、バイトが三日で姿をくらますこのコンビニにおいて、連続勤続記録を達成し続けている期待の新人だ。
「いや、だいじょ……」
「なんだてめぇ、まぁ丁度いいから酒売れや」
学生の子が加狸くんに身体を向けたその瞬間、加狸くんがさっとレジカウンターを飛び越え、学生の子を飛び蹴りした。先程まで語気を荒げていた彼はがっくりと項垂れ、膝をついた。
「お客さん、ちょっと静かにしてもらえますー?」
「ぐ……っうっ、うぇ」
「俺なぁ、今日はとっても優しいデーやねん。帰り道もちゃあんと教えといたるわ。さっさと帰り」
興味なさげに学生の子を踏みつけてから、加狸くんはその子を店の外へ放り投げ、清々しい顔で戻ってきた。
「静かなりましたわ」
「うん……ありがとう」
彼は、こんなでも期待の新人だ。中学の頃は本人曰く「結構バッチバチ」だったらしい。初めの頃「出身が関西だから言葉が荒く感じるかもしれない」と丁寧な断りを入れてきたけど、どう見ても荒さはそこではないと思う。
それに、別のバイトの子には「自分は暑い地方の出身」とか言ってたし。一昨日は「雪国育ちやから雪が恋しいんすわ」と大福を見ていた。
でも常に人材不足なこの店にとって、彼は救世主第二号なのだ。気に入らないお客さんを暴行することさえなければ、貴重な人材だ。
「あぁ、そろそろあの人店来る頃やないですか、店長はよ弥本先輩と変わらんと危ないんちゃいます?」
「……そうだね。じゃあちょっとレジ見てて」
「はあいー」
時計を見ると、ちょうど十七時だった。なんだか酷く胃が重くなる。バックヤードにいる弥本くんと交代してもらう為踵を返すと、嫌な声が背中にかかった。
「こんにちは」
仕立てのいいスーツに身を包み、知的な印象を受ける不審者様が入店音とともに現れた。
眉目秀麗と表現するに相応しい顔でスタイルはモデルのようだけど、本来お客様に迅速に対応できるよう流れる軽快なメロディが、有事の際の警報に聞こえる。
「いらっしゃいませー」
私は店舗のマニュアル通り笑みを浮かべ、バックヤードに向かおうとした。しかし「村波さん、行かないでください」とスーツの男は私を指す。
「ご注文は俺が受けますよ。タバコですか? それとも唐揚げですか?」
「君に用はない。ねえ村波さん、唐揚げと、ポテトと、焼き鳥……今、ホット商品として並んでいるすべてを頂けますか?」
「……かしこまりました」
死んだ気持ちで手を除菌し、レジの隣においてある唐揚げやポテト、焼き鳥を袋詰めしていく。お客様に商品を見せて購買意欲を高めるショーウインドウから、びしびしと男の視線を感じた。
「今日もいい天気ですね」
「そうですね」
「村波さん、今日は何時までですか? 丁度このお店から見えるあのホテルで、本日から星空にちなんだビュッフェが始まるのですが、良ければ一緒に行きませんか?」
「申し訳ございません。仕事なので」
「僕のこと、一晩中、たっぷりと独り占めできますよ?」
「申し訳ございません。お客様とのコミュニケーションは店内のみと定められておりますので」
「でも店内なら、僕と貴女は客と店員という関係になってしまうでしょう?」
涼やかな瞳で狂ったことを言い出す男に「どこでも客と店員ですけど?」と言い返したくなる。けれど相手は客だ。必死に堪えて、私はポテトにつけるケチャップの小袋を棚から出した。
「規則ですので」
「でも村波さんは僕が来店するたびに名札を取っていますよね。それは規則上ありなのでしょうか?」
「携帯を定められているだけで場合によっては外すことも可能となっております」
「レシートには苗字しかのっていませんし……いっそ、僕の名前と交換はいかがでしょうか?」
「すみません。そういったサービスは行っておりませんので」
「僕、結構このお店を利用しているように思うのですが?」
「申し訳ございません」
「謝らないでください。困らせたいわけではないのですよ。ああ、今日の差し入れです」」
そう言って男は自分の手持ちカバンから、明らかに高級ブランドコスメのショップバックと、ラップに包まれたおにぎり、ドリンク剤を出してきた。
他人の、手作り。げんなりしていると「今日は七輪で焼いた鮭ですよ。心を込めて、ひとつひとつ素手で握っています」と明るい声がかかる。
「そうですか」
「ええ。こんな末端チェーン店のコンビニエンスストアの、コストカットを繰り返し続けた工場の機械的なおにぎりより数倍美味しく、人のぬくもりを感じることが出来ると思います」
「工場の機械も人の手で作ったものですよ」
「おや、工場勤務の男性が好みですか? 困りましたね。僕、汗をかく仕事は大嫌いなのですが……あっ貴女となら汗をかいてもいいですよ?」
「申し訳ございません。私も汗をかく作業全般大嫌いなので」
「……今日もまた冷たいですね……ねぇ、せめてアドレスは教えていただけませんか?」
カウンター越しに手を握られ、私は仕方なくアドレスをメモした紙を渡す。男は「ありがとうございます」とウインクをして去っていった。
「ええんですかぁ、アドレスなんて渡してしまって」
「この店のメルマガだから、定期的にセール情報が勝手に送られてくるだけだよ」
「めっちゃおもろい対処法ですやん。えー今度やろ。あ、駄目や俺ホストのストーカーおらんわ」
ケタケタと加狸くんは笑う。でも、全然笑い事じゃない。ホストのストーカーこと、先程の客はこのコンビニから七百メートル先に建ち、国で一番とも呼ばれているクラブシアダークのホストの二番手で、一夜にして億を稼ぐらしい。
しかしその華々しい来歴とは裏腹に、およそ半年前からこの店に通い始め、クソとしか表現しようのない言動でこの店を混沌に陥れている。
「栄養のやつとおにぎりどないします?」
「捨てておいて」
「え〜じゃあいただきます〜。食費浮いて助かりますわぁ」
「やめな、そんな怖いもの食べるの」
「なんも怖いことないですよ〜。あん人がいけない薬持ってるんやったら、店長今頃拉致られてますもん。自分鼻効くんで他のやってもわかりますし。お、鮭ちょっと炭火の匂いする」
「バイト中食べない」
あんな人の手作りおにぎりを食べて、おかしなことにならないのか。彼に何かあれば店長が殴られて辞め、繰り上がりで店長となった私の責任になってしまう。しかし加狸くんは喜々としておにぎりを頬張り、私は不安な気持ちでその日の仕事を終えたのだった。
◇
早朝、夜とは打って変わって静まり返った歓楽街を歩きながら、ため息を吐く。
あの、よく分からないストーカーホストと出会ったのも、こんな雰囲気の朝だった。分かりやすく挙動不審な様子で入店してきて、万引きかと疑ったら「お疲れ様です」と労われ、拍子抜けしたことを覚えている。
それから徐々に口数が増え、あのようなありさまになった。
最近では高級なブランド品のほかに、おにぎりやドリンク剤も追加されてきて非常に不愉快だ。「ブランド品は売ればいい」なんて加狸くんは言うけれど、強い拒絶をして返せと言われた時が困る。
だから捨てるわけにもいかず、部屋はあの人からのプレゼントで溢れ返り、私が生活できる領域はベッドの上だけになった。最近では台所で食事を済ます程、あの人に生活を侵食されている。
ため息を吐きながら歩いていると、曲がり角で誰かに追われているような妙な感覚がした。振り返ると、にやにやしたあのストーカーホストが立っていた。
ここは店内じゃない。気付かないふりをして足を速めれば「無視しないでください」と駆け足でこちらに近付いてくる。
「村波さん。おはようございます。今日は五時から九時、そして十八時から明日二時の勤務ですよね?」
「……なぜシフトを」
「シフトを把握しているわけではありませんよ。でも毎週水曜日は、夢だけではなく朝も会えますからね」
こちらは最高速度の早歩きをしているはずなのに、この男は優雅に並走してくる。電柱にでもぶつかってしまえと思うけど、巧みに躱していくからより腹が立つ。
「僕がどんな夢を見ていたか教えて差し上げましょうか」
「大丈夫です」
「ふふふ。何にも怖い夢じゃないですよ。夢で村波さんがね、言うんです。白澄……暑い……って、貴女はお酒に酔って、僕の家にいる夢だったんですけど、きちんと僕がお着替えさせて上げたんですよ」
「はあ」
「で、どうなんです? 実際の貴女はお酒に酔ってしまうとどんな風になるんですか?」
「そこまで酔いません。元々体質的にザルなので」
「おやおや、なら今度僕と飲み比べてみましょう? 負けた方が勝った方の言うことを何でも聞く……は芸がないので、勝った方が相手の名字を頂けるということにしましょうか」
勝っても負けても最悪だ。そんな勝負、絶対引き受けない。
「御用ならお店で承りますので」
「ええ。きちんとお店にも顔を出しますよ。今日はあなたのボディーガードをしているだけですので、安心してくださいませ」
何を安心しろなのか。信じられない顔で男を見ると、奴は「怒った顔も可愛らしいですね。手懐けて差し上げたくなります」とほほ笑んだ。
「自分が貢いでいたホストが、こんな女捕まえてそんなこと言ってたらお客さんが泣きますよ」
「これが僕の本気です。誠心誠意気持ちを伝える。ぐっときませんか?」
「ぞっとしますね」
「それは、恋では?」
「絶対違うと思います」
「ふふ。こんなの恋じゃないと思った瞬間が、愛の始まりなんですよ……ああ。お店についてしまいましたね。では、お気をつけて」
ストーカーホストは店の中に入ってくることはしないらしい。入口の前で立ち止まると、甘い笑みを浮かべた。この笑顔に毎夜いくらのお金が注ぎ込まれているんだろう。
自分には想像もつかないなと思いながら、私はさっさと店に入ったのだった。
◇
「元気出る話しましょか?」
早番を終え、また家に戻り遅番のためにまた出勤するのは体力的に疲れる。しかも朝ストーカーに出会えば尚更だ。
溜息を吐いていると、加狸くんがバイト日誌をぺらぺらめくりながら振り向いた。首を横に振ると、「ええ、聞いてくださいよー」と食い下がってくる。
「俺のダチもストーカーやったんですよ」
「地雷踏み抜いたよ。ストーカーとか今一番聞きたくない話だよ。ピンポイントにそこ。次点ホストね」
「ずぅっと俺とダチでトップやってたんすよ。同じ高校行くー!ってなってたんですけど裏切られましてね、あっち女の子ケツ追っかけて黒染めして、びっくりするくらいちゃんとした高校行き始めたんすわ」
あれ、なんでいつの間にか私は怖い話をされているんだろう。それにあの頭おかしいホストが髪の毛を金に染め、バイトを受けてきたらと思うと怖くなってきた。
「すごい行動力だね……」
「しかも進学校っすよ? あいつ怒ったらマジで手がつけられへんくて、感情全部殴るで出来てんのに。普通の高校生に擬態してるんですよ。こわないすか?」
「加狸くんは裏切られたかもしれないけど、面白い話するとか言い出しておいて、私を今まさに裏切ってることに気付いてほしい。っていうかとうとう怖い話したって認めたね」
「それであいつが追っかけまわした結果、女の子しんどくなってしまって〜」
「無視か」
「付き合うっちゅうことになったんですわ。でも今は結構幸せそうにしてるんで、ワンチャン店長もあのストーカーホストと付き合うたらどーですか?」
「え、なに裏切るだけじゃなくて私を売ろうとしてるの?」
加狸くんの発言に絶句する。しかし彼はにへら、と笑って私の肩を叩いた。
「金だけ毟り取ってどうにもならへんようにしてから、ぽーいって捨てれば、ねぇ? 相手ホストやし。俺も協力しますよ? 店潰れてしまいそうで、俺の給料も貰えへん感じなんですー言うて。結婚詐欺で弁護士相談できんくらい搾り取ればええでしょ」
あまりの言い分に愕然とした。売るどころか売り飛ばす気だ。
というか彼はこの間まで「バイト先で自分の名前出すと全部クビなるからここで働けて嬉しい」「店長は恩人っすわ」とか言っておきながら、なんてことを言うんだ。
「何してるんですか?」
眼鏡のブリッジに手をやりながら、バイトの弥本くんがバックヤードから出てきた。彼は高校三年生で元々他の店舗で働いていたけど、人材不足で毎週ヘルプに来てもらっている。物覚えもいいし素晴らしいバイトだ。救世主第一号でもある。
「弥本先輩、くじの整理終わったんですか? めっちゃ早いですやん」
「どうも。あの、加狸さんちょっと質問いいですか?」
「ええよ。なんでも聞いたって」
「パンツで公園彷徨いてたって本当ですか」
でも、弥本は無言でいるか、割と歯に衣着せない言動をするかの二択だから、困った部分がないわけじゃない。
「ちゃいますー! 何ですかその言い方は! きちんと靴下はいてました!」
「露出趣味があるんですね」
「いや、実は彼女に貰った服着てそこら歩いてたら、喧嘩ふっかけられましてね、汚したないんで脱いだんです!」
「へー」
加狸くんの言葉に弥本くんが興味なさげに返事をする。もうこの空間にまともな人間なんていないことが分かったし、帰りたい気持ちが百倍くらい膨れ上がった。止めるのも面倒で、店内には客もいないし私は二人の会話を聞かないよう、納品書の整理を始める。
「えーもっと興味持ってくださいよ? コイバナしましょうよ! ねぇ弥本先輩はぁ、彼女いるんすか?」
「いますよ」
「まじっすか! えー年上? 年下? どうやって知り合ったんすか?」
「幼馴染」
「うっわ! エッモ! めちゃくちゃエモエモの関係やないすか! 甘酸っぱいわぁ! 付き合って何年ですか」
「一年くらいじゃないですかね」
「やっば! エッロ! エモエロじゃないですか! いいな爽やかぁ! 羨ましいわぁ……俺と大違い!」
「はぁ」
「興味持ってくださいよ! えぇ加狸くんどないな恋愛してんの? とか聞いたってくださいよ」
「加狸くんはドロドロの廃れた恋愛してるんですね」
「もう! 興味ないの丸出しですやん! あ、いらっしゃいませぇ!」
「せー」
高校生同士の恋愛事情を聞かされていると、入店音が鳴る。私はまた働くかと納品書から顔をあげ、通算何回目かわからぬ「いらっしゃいませ」をしたのだった。
◇
「出たなストーカーホスト」
「ふふ、村波さんって一対一だとちょっと素を出してお話ししてくれますよね」
深夜帯。ほかの従業員がトイレ掃除をはじめ、一人でレジに立っていると犯罪者がやってきた。
相変わらず華のある雰囲気を持ち上品なスーツに身を包む彼は、きょろきょろとあたりを見渡していく。
「あれ、いつも貴女の隣にいる害虫のような彼らは?」
「高校生なので今の時間は働けません。あとうちの大切なバイトを害虫呼ばわりしないでください」
「じゃあ他の方は? まさかワンオペなんてことはありませんよね」
「……今トイレの清掃をしています。先週からシフトが色々変わって、この時間になったので」
「へぇ。では明日は貴女がトイレ掃除を?」
「……」
「なるほど……あっ安心してください。僕は貴女に対して誠実でありたい。節度を持って、きちんと順番を守って関係を進めていきたいと思っています。きちんとデート、キス、そしてそれらを繰り返して仲を深めていきたい。最終的には僕に屈服して頂いて、僕を求められずにはいられなくなる身体にして差し上げましょう」
「何一つ安心できないです。それで、本日は何をお求めですか?」
「今日は……そうだ。アイスでも買っていきましょうかね。村波さんは何がお好きですか?」
「何も好きじゃないです」
「えっでも一昨日最中アイスは神、一日の癒しなんて写真アップしてましたよね? 4いいねしかついていませんでしたが」
その言葉にぞっとした。私のアカウントは許可した人しか見えない鍵アカウントにしている。このホストに出会う前から鍵をかけていて、このホストと出会った時もそれ以降も、誰からもフォロー認証を許可していない。
「え……鍵アカのはずでは」
「ふふふふ。僕はどこにいるでしょう?」
怖すぎる。帰ったらストーカーホストが誰か特定しないと、おちおち写真もアップできない。
「じゃあ僕はアイス見てきますから」
ストーカーホストは軽やかな足取りで冷凍品コーナーへ向かった。切実にあの客を相手にすることが辛い。
トイレで清掃しているバイトの子が戻ってきたら、交代してもらおう。早く戻ってきてくれないかと祈っていると、新たなお客さんを知らせるチャイムが鳴った。
「おい」
入ってきたのは少年だ。顔を痣だらけにして、カウンターに蹴りを入れてくる。
「加狸の連絡先出せ」
「はい?」
「加狸出せって言ってんだよ! お前が酒売らなかったせいで島川さんに殴られてなぁ、挙句の果てに加狸の首持って来いって言われてんじゃ!! はよ出せ!」
加狸くんを雇ったことを、本気で後悔した。「島川さん」なんて知らないけど、こういう不良っぽい子たちの上の方の子だというのは察しが付く。明らかに実力差があった加狸くんは呼び捨てで、「島川」はさん付けだし。
かといって、加狸くんの連絡先を渡すわけにもいかない。この間も言葉の通じない感じはしていたし、防犯会社の人間を呼んだほうがいいだろう。でも、あれは呼んだ理由をきちんと本社に説明しなきゃいけないし、中学生相手に呼んだとなると下手したら罰金、始末書を書かなきゃいけなくなる。
「おや、君は彼女のストーカーじゃないか」
げんなりしていると、ストーカーホストが靴音を響かせながら近づいてきた。ストーカーは自分だろう。視線を向けると「違うのですよ」と笑う。
「彼は酒を買えなかったことで、彼の大将に怒られた挙句、あなたに逆恨みをして付け狙っていたのです。怖いですよね。女性を狙うなんて。それにあなたと帰宅する僕を見つけては、電柱の陰でこそこそハンカチを噛んでいたんですよ」
「んなもん噛んでねぇよ!」
「ほら、貴女に付きまとっていたことは否定しないでしょう?」
もしかして、このストーカーホストは私を守るために家まで送り届けていたのだろうか。しかし、彼に私が酒を売らなかったのは先週のこと。ストーカーホストが家の前まで来るようになったのは、三か月前からだ。明らかに年季が違う。
「くそが! 島川さんはなぁ、まじで短気なんだよ! 酒一本持ってこれなかっただけで俺にチームから抜けろって……だから全部お前のせいなんだよ!」
「違うでしょう。コンビニで女を怒鳴った部分に君の大将は怒ってましたからね、元々貴方は役立たずだっただけのことですよ」
「なんでそんなことまで知ってるんですか?」
ストーカーホストに問いかけると、「僕は貴方に関わった男を調べ上げるのが趣味ですので」と笑った。裁かれてほしい。さらに、ホストの言葉が癪に障ったのか、少年はレジを乗り越えこちらに来ようとした。
「本当にどこまでも単細胞ですね。さすが、グループの末端だ。絶対にトップにはなれませんね」
しかし、ストーカーホストがすぐさま取り押さえる。あまりの鮮やかな手捌きに呆然としてしまうと、彼は「警察を」と普段とは異なる淡々とした声で指示をしてきて、私は慌ててスマホを手にしたのだった。
◇
あれから、少年は警察に引き渡した。ただ、少年の最後の悪あがきにより、店の横に停めてあった私の自転車は蹴り飛ばされパンクした。そして私は元のシフト時間のまま、きちんと職務を全うし自転車を押しながら帰っている。
「今夜もあなたの騎士を務めさせていただきますよ」
「結構ですお帰りください」
煌々とした歓楽街の電柱からひっそりと顔を出し、ストーカーホストはそのまま私の後ろについてくる。「通報しますよ」と警告しても「恩人を通報するんですか?」とにやにやしている。
「……今日は、ありがとうございました」
いっそ自転車で轢いてしまおうかと思ったけど、やめた。頭を下げるとストーカーホストは、にたぁ……と笑って私を見下ろす。
「今日も、ですよね? あの少年は女性を逆恨みして付け狙うような人間です。夜道に一対一で相対してしまえば、腹を蹴られ顔を殴られ、刃物で脅す……なんてこと、平然とやってのけたのでは?」
「そ、その件に関しても、ありがとうございます……」
ただ、限りなくこのホストのしてきたことは犯罪だ。というか変な人がいたなら通報してほしいけど、かといって治安の悪いこの街では、警察の人も目撃情報だけじゃ動くことは厳しい。
「警察はあてになりませんしねぇ、それに僕は、貴女の為ならこの命を捨ててあげても構いませんよ」
「……それは、犯罪者側からの意見ですか?」
「ふふ。一般論としての意見ですよ。というか、僕の命については無視なんですねぇ」
「私は別にあなたに命を捧げてほしいとは思っていませんので」
「僕は貴女に人生を捧げて頂きたいと思っていますけどね」
「そのうち今日みたいに通報しますよ」
「どうぞ?」
ストーカーホストはゆったりと笑った。真意がわからず見返すと、「おや、いやらしい目つきですね」と微笑まれ、地面を睨む。
「僕は貴方のことは世界で一番可憐で美しいと思いますが、世間的な評価は十人並みでしょう? 一方、僕はクラブシアダークの二番星、一方貴女は一部上場企業といえど傘下末端チェーン店の繰り上がり店長。本社からすれば、替えはいくらでも用意できる存在です」
「喧嘩売ってます?」
「事実を述べているだけですよ」
「なら、こうして送り迎えをする必要はないのでは?」
「いえ? 痴漢や強姦をするような人間は、襲えれば誰でもいいのです。顔は二の次、反抗せず、黙ったまま、下手すれば通報すら不可能そうな人間を狙います。服装すら関係ありません。むしろ今日の貴女のようなパンツスタイルのほうが、中途半端に下ろせば逃げられないよう出来ますからねぇ。僕がきちんと家まで送り届けなければ」
「なんでそんな詳しいんですか」
「貴女のことが心配で、防犯について調べ、講習も受けているのですよ」
「はぁ」
私は今、完全に次はそうしてやるからなと脅迫をされている気持ちだった。
「話はそれましたが、警察はなぜ私が貴女を追うのか、理解できるとは思いません。むしろ貴女が僕のストーカーというほうが、よほど納得いくと思います」
「……最低ですね。ストーカーが趣味で捕まらない相手選んでは追いかけまわしてるんですか?」
「いえ? 僕がこんな激情を抱え行動するのは、貴女に対してだけですよ……」
ふふふ。なんて含みを持たせた笑い方をしながら、男は私の持っていた荷物を奪い取った。
「一生懸命、毎日働く貴女の懸命な姿を見て、初めて美しいと思ったんです。いわゆる、一目惚れですね。懸命な、といっても貴女が働きに働いて、疲れ切ったうえで廃棄のお弁当を食べ、公園の公衆トイレで扉を閉めることもできず吐いている姿に……僕は恋に落ちたんです」
ストーカーホストはうっとりとした顔つきで、星を眺めながら語りかけてくる。でも全く同意できないし、より一層この男に恐怖を感じた。
「生命の息吹を感じました。いつもお店で笑い、一生懸命働く貴女の苦しむ姿を見て、初めて誰かに加虐的な気持ちが湧いたのです。屈服させ、支配して、私を求める姿を見てみたいと……!」
「……今日まで本当にありがとうございました。明日からもう二度と近づかないでください。店にも来ないでください」
もう、このストーカーホストと中途半端にかかわるのはやめよう。何やかんやでこの男が来るとホットスナック商品が全部売り切れて廃棄が大幅に減るとか、単純に儲かるからと上から言われていたけど、もう、やめよう。
「いいんですか? 売り上げが減ってしまいますよ?」
「大丈夫です。貴方はあの店に飽きたことにしますので」
「むー……」
ストーカーホストを振り切ろうと足を速めるけど、彼は私を追いかけてくる。自転車を押しているせいでうまく進めない。やがて男は私の自転車のハンドルをつかんだ。
「結婚してください! お金払ってあげますから」
「いやです」
「僕と結婚できるんですよ? 何の取り柄も無い、外見もぱっとしない貴女の伴侶になってあげると、この僕が言っているのですよ?」
「結構です」
「何一つ、不自由はさせません。甘い言葉だって何度でも囁いて差し上げます。貴女のお願いなら何でも叶えて差し上げますよ?」
「いりません」
何てこと言うんだこのホストは。というかこの上から目線は何なんだ。ストーカーのくせに。そうして私が何か言い返そうとした次の瞬間――、
「しぃちゃん俺お漏らしマンのりくだよ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!! 幼稚園一緒だったでしょ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!! 工作の時間の前に漏らした、りく!!!!!!!!!!!!!!!!!!!! 思い出して!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」
突如、地鳴りと錯覚するかのような絶叫が辺り一帯に響き渡った。あまりの絶叫に自転車を倒しかけ、横にいたホストが私の自転車にぶつかり、派手に転んだ。完全に打ち所が悪かったらしく、鈍い音が響いた。
「すっすみません、大丈夫ですか」
慌てて倒れこんだホストに声をかける。しかし男はじっと自分の手首を見つめていた。
「折れました。動きません。一切動かそうとしても、びくともしません」
「えっでもそこはぶつけてな……」
「痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い!!」
「じゃあ、えっと、救急車呼びましょう」
突然叫びだしたストーカーホストに、私はパニックになった。震える手でスマホを操作していると、彼は怪我をしていないほうの手で制止してきた。
「いえ、命に関わることではありません。今まさに子供が生まれる妊婦さんと僕であるなら、優先順位は妊婦さんであるべきです。夜間診療に向かうのが正しい選択でしょう」
「でも」
「貴女は見たことのない母子の命を危険に晒すんですか?」
「えっ、えっと、ならタクシーを呼びますね」
私は通話アプリを消して、別のアプリを開いた。横ではホストが私の耳に顔を近づけ、ささやいてくる。
「……この怪我、治るまで洗濯と食事、どうしよう……」
「え」
「っていうか、治るのかな……」
「治りますよ。大丈夫です」
「医者じゃないのに診断ですか。お医者さんは貴女の卒業した大学よりずっと偏差値の高い大学に合格して、さらに長い年月学んでから実習をして、試験を受けて医者になるのですけれど」
「すみません」
「いいですよ。責任さえ取っていただけるのでしたら」
氷のように冷たい声色に、ひゅっと喉が詰まった感覚がした。
「一夜で億を稼ぐ男を傷つけた責任、取ってくださいますよね?」
おそるおそる顔を上げると、男は私を昏い瞳で私をじっと見据えていた。