狂追偏愛
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【悪役令嬢ですが攻略対象の様子が異常すぎる公式ツイッター】
10月2日 オーディオブック①巻 ボイスドラマCD コミックス⑤巻 紅茶缶
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湖月という作詞作曲家がいる。およそ今から二年前の夏にネット界に現れ徐々に再生数を伸ばしていき、今では映画やドラマの主題歌に起用される次世代のアーティストだ。
顔出しは絶対NGでプロフィールも未公開だけれど、妄想の余地があるからか陰のあるイケメンのイメージが定着している。
「ねぇ、昨日の湖月の曲聞いた? 最高じゃない? 私早速買っちゃったんだけど」
「まじ? 私りおくんの歌ってみた待ちしてるんだけど」
そうしたプロフィールのためか、学校でその名前を聞かない日はない。今だって放課後の廊下では楽しそうに女子生徒が湖月の話をしている。私は彼女たちの横を通り過ぎ、立てつけの悪い図書室の扉を開いた。
今は放課後の真っ只中。少しくらい本を読んだりする生徒がいてもいいはずだけど、ただ埃っぽい空気が流れているだけだ。
というのもこの図書室は、品揃えが良くない。
広さのわりに小説はかなり古めの歴史小説で占められ、挙句クラスメイトの歴史好きな子からは「好きな人はもう持ってるから借りに来ないと思うよ」と言われるようなラインナップだった。
だからここに本を借りに来る人間は殆ど来ず、来たとしても訳アリの人間が訪れる。よって私――降森伊織…そして湖月の絶好の作業場となっている。
事情があって家で作詞作曲が出来ないけど、人に作業風景を見られることがアウトな私には最高の場所だ。
「すみません降森先輩っ助けてくださいっ」
がらっと大きな音を立てて図書室の扉が開かれた。カウンターの中でノートに向かっていた私は慌ててそれを鞄にしまい込み、顔を上げる。
扉の近くには後輩の常浦くんがいて、こちらに駆け寄るとカウンターの中に入り身を縮めた。その動きはさながら防災訓練のようだと思ったのも束の間、学年の異なる女子生徒たちがわらわらとこちらに駆けてきた。
「先輩、叶多くん見ませんでしたか? こっちのほう来るの見たんですけど……」
「そこの窓を通っていきました」
私は図書室の奥にある窓を示す。幸いこの場所は一階だから窓から出たところで何もできない。けれど彼女たちは人を追い回しても常識はあるのか、「靴履き替えてこなきゃ!」とぱたぱた走り去ってしまった。
「……図書室は、セーフハウスではないんですけど」
足音が小さくなっていくのを待ってからぼそっとつぶやく。すると常浦くんが「ははは」と苦笑しながらカウンターの下から這い出てきた。動き自体はホラーだけど、色素の薄い髪に浮世離れした美丈夫だからかそれすら瞬間を切り取った写真か何かに見えてしまう。
「なんか、本当やばいですよね俺。漫画みたいな追われ方してる」
「他人事のように言ってますけど、心からそう感じているなら精神の病で似たような症状があるのでカウンセリングをお勧めしますが」
「まー図書室がなくなったら病みますけど、今は大丈夫ですっ」
けらけら笑う常浦くんと出会ったのは今から三か月前。彼がこの高校に入学してすぐのこと。今日のように「助けてください」と追われているのを匿ったのがきっかけだ。
常浦くんは大層モテて追われる。芸能人ではないのに抜群に整った顔立ちをしていて、手が届きそうに感じることでより周囲の対応は酷いものだ。声はあるアーティストに、瞳は某アイドルに似ていて血縁関係があるんじゃないかとか、かなり好き勝手言われている。
一方私は彼に興味がない。そんな私が図書委員としてここで貸し出しの仕事をしていること、委員のみんなはサボりがちで来ないこと、結果的に私が毎日貸し出しの係を自発的にしていること、色んな要因が重なって彼はここに逃げ込んできている。そして、だいたい女の子たちが帰っていくまでの三十分ほど他愛もない話をするのが恒例行事だ。
「整った顔立ち、というのも大変ですね。凡人には理解できない悩みだと最初は思っていましたが、今のあなたを見ているとつくづく大変だと思います」
「先輩も綺麗な顔してますよ」
そう言って常浦くんが私のかけている眼鏡を外して来ようとする。「次にやったら本当に刺します」とシャーペンを握ると、すぐに手を止めてくれた。
「先輩絶対眼鏡外したとこ見せてくれないですよね。プールとかどうしてるんですか?」
「夏になればわかると思いますが、この高校で水泳の授業は選択制です。水泳をしたくない生徒は卓球が選べるんですよ」
「なるほど。女子は生理とか全部重なったら成績つけられなくなっちゃいますもんね」
あまりに直球な物言いに戸惑った。常浦くんはきょとんとしている。もしかして私が気にしすぎとか? 姉とか妹がいればぱっとその単語が出てもおかしくない……のかも。
「だから私はずっと卓球で――」
「利堂理生(きくどうりお)だ」
カウンターの内側の机に無造作に置いてあったスマホを指され、私の心臓の動きが激しくなった。
「先輩、利堂理生好きなんですか?」
「まぁ、そんなところです」
「最近テレビ出てますもんね! この間は湖月とコラボしてドラマ出てましたし」
利堂理生は湖月と同じ顔出しNGのアーティストだ。
といっても自分で曲や詩を作ることはなく歌専門。ネットで歌ってみたをアップしていて有名になり、今では有名な作曲家や作詞家から楽曲提供を受けアルバムを出し、週間ランキング一位の連続記録を出している。
「湖月とのペア、最強ですよね。もういっそ組んじゃえばいいのに」
さらに言えば利堂理生はアマチュアとしてネットで活躍していた際、湖月の曲しか歌わないことで有名だった。彼がメジャーデビューして二曲目からは他のアーティストの提供曲も歌うようになったけど、今でも湖月が曲をネットにあげるともれなく歌ってみたをアップしている。
私個人の感情は、ファンでいてくれて嬉しいと思う。でも私の曲は別に利堂理生を見て書いてるわけじゃないし複雑な気持ちだ。何故なら私の曲は――、
『サードアルバム……軋轢が、滲む』
スマホから聞こえてきた声に視線が釘付けになる。常浦くんの「あ」と無機質な声にはっとして、「失礼しました」と電源を落とした。
「ごめんなさい。マナーモードいつの間にか解除していたみたいで」
「珍しいですね。先輩がミスるなんて」
「まぁ、そんなこともありますよ。常浦くんの前でよかったです。先生の前なら怒られてましたからね」
「俺、ちくっちゃうかもよ」
「そうしたら次ここに逃げ込んできたとき、匿わずあなたを売ろうと思います」
「嘘だって先輩! 冗談ですからそれだけはやめてくださいって。先輩ミスるの珍しかったからほら、無邪気な心出ちゃったっていうか」
常浦くんは大げさに謝ってきて、私も「冗談ですよ」と返す。でも彼の申し訳なさそうな瞳を見て、私は落ち着かない気持ちになった。
「……常浦くん、よく言われてますよね。声は利堂理生に、目は墨寄蝶華に似てるって」
「あー言われますねぇ。声は俺も似てるなーって思いますよ。たまに顔隠してフェス出てるときとか見るとあれ俺ですって言ってもみんな信じそうだなって思います」
「詐欺じゃないですか」
「でも本当だったら告白でしょ?」
彼は私の隣に座って、手を握ってきた。言葉の意図も分からず、手を握られていることにも困り私は手を引っ込めた。
「まぁそうなるでしょうけど」
「先輩さぁ、俺が利堂理生で墨寄蝶華の弟だったら俺と付き合ってくれる?」
「は?」
突拍子もない言葉に頭が真っ白になった。仮に彼がそうだったとしても私と付き合う理由なんてない。こんな図書室でぼーっとしている地味な女を捕まえて何になると言うのか。
「あれですか、顔のいい俺に靡かない女は初めてだぜ。面白え女。俺のものになれよ。みたいな感じですか」
「先輩ちょくちょく俺の顔褒めてくれるよね。っていうか何それちょっと古くない?」
「図書室の利用率が少ないので、司書さんに若い子に好かれる本を教えてほしいと言われ……」
「思いつかないからネットで調べたんだね。先輩、図書委員の割に本読んでるとこあんまり見ないもんね。大恥かく前にわかって良かったですね、で、返事は?」
常浦くんはさっきとは打って変わって、やや高圧的な態度でこちらの顔を覗き込んでくる。
「そもそも出会って三か月、放課後しか顔を合わさない相手と付き合うなんて無理があるのでは」
「無邪気で、先輩先輩〜って駆け寄ってくる姿に、なんにも惹かれてくれなかったんですか?」
「それ犬嫌いが犬を拾うような、感動映画の冒頭のナレーションにありそうですね」
というか、彼は重大なポイントを見逃している。彼女に弟なんていない。一歳下の弟ならば絶対に。
「墨寄蝶華は一人娘のはずでしょう?」
「別に親は一人しか子供作れないって法律はないでしょ?」
「名誉棄損にあたりますよ」
「でも、本当だったら棄損にあたらない。そうですよね先輩?」
「さっきから何が言いたいんですか?」
「復讐してあげるから、俺と付き合ってって話」
常浦くんはへらりと笑って、懐からスマホを取り出した。そこには私が図書室で作曲する姿が映っていた。でもその構図は天井に隠しカメラを設置しなければ写せない位置で、直感的に盗撮されていたのだと分かった。
「……先輩が湖月で、ずーっと墨寄蝶華のことを想って曲作ってるって知ってるよ。三年前にあいつが先輩の曲盗んで、勝手にデビューするまで仲良しだったことも、利堂理生が湖月とペア扱いされること、先輩が良く思ってないことも」
確かに、私は墨寄蝶華と交流があった。けれど今は、住む世界が違うことは十分知っている。いや、もともと彼女とは住む世界が違っていた。だから彼女は私を切り捨てる必要があった。
「……墨寄蝶華に何かしら恨みがあるから手伝え、でなければ素性をばらすという脅迫のご相談ですか」
「違う違う。先輩の復讐を手伝ってあげたいの俺は。それで復讐終わったご褒美として俺と付き合ってほしい」
「復讐する気なんてありません。そもそもする理由がありませんし」
「じゃあ先輩が湖月ってばらすよ。ネットで。とうとう会えましたって利堂理生のアカウントで先輩の顔がっつり出して」
「は……?」
顔を上げると常浦くんはほら、と私にスマホを見せる。そこは確かに動画投稿のページで、利堂理生本人じゃないと入れないログインページだった。
「俺も利堂理生も、先輩の為に存在してるんだよ? 名前入れ替えるとほら、湖月伊織になるんだよ」
彼が筆記具を取り出して、私の手に書き始めた。「水性だから安心して」とローマ字を書いていく。そこは確かにアナグラムで私を示すものでぞっとした。
「……墨寄蝶華に復讐させて、いったい何になるんですか?」
「俺はなんもないよ」
「ならどうして――」
「ただ、先輩の心にいつまでも居座ってるのがむかつくんだよ。それだけ」
そう言って常浦くんは笑う。その笑顔は今まで見たどの彼の姿よりも昏く、とても楽しそうだった。




