限界だったその時は一緒に死んであげてもいいよ
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【悪役令嬢ですが攻略対象の様子が異常すぎる公式ツイッター】
10月2日 オーディオブック①巻 ボイスドラマCD コミックス⑤巻 紅茶缶
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【あらすじ】
ブラック企業に勤め忙殺の日々を送る岸里琴巴は、ヒモで住所不定名字不明の男、礼二と一緒に暮らしている。ヒモと住む自分を馬鹿だと考えながらも琴巴は礼二を家に住まわせ続けることがやめられず……。
終電一本前の電車で帰宅し、足を引きずりながら家賃五万の廃れ気味ワンルームの鍵を開けると、玄関には男が満面の笑みを浮かべ立っていた。
「おっかえりー! お風呂にする? ご飯にする? それとも、俺?」
どこか胡散臭い雰囲気を醸し出すこの男は、髪を根元まで金髪に染め上げ、どう見てもチャラチャラしたファッションの着こなしをするものだから、うさん臭さを濃縮還元しているように見える。
「礼二以外で」
この男の名前は知っているけど、苗字は知らない。
もっと言えば誕生日も年齢も知らない。何処に勤めているかも分からない。いや、多分無職。
豪快に酒を飲み安っぽい食事を豪快に食べ、労働漬けの死にかけボロボロ女でも抱ける女好きだ。
そんな限定的な情報しか分からないこの男は、私、岸里琴芭の彼氏でも、ましてや夫でもなんでもない。
要領のよくて可愛くて、もう結婚を決め孫の顔を親に見せるミッションを遂行した妹はいるけど、兄や弟はいない。
ならこの男は何かと聞かれれば、ヒモである。ヒモ。女に貢いでもらい生活を営み生きていく生物。
真っ黒としか言えない企業に勤め、両親に女は子供を産むのが仕事だと結婚をせっつかれ、初めて出来た彼氏に交際一週間目で身体を求められ、怖くなって拒否した結果、ぼろくそに罵倒された私は涙を堪えながら入ったことのないバーに一人で突撃した。
そしてバーでこのヒモ男と出会い丁寧に慰められ、酒を煽り当然の様に酔い、家に転がり込ませてしまったのだから、本当に不徳の致すところとしか言いようがない。
それ以来この男を三日に一度のペースで我が家に居座らせ、もう三ヶ月になる。本人は否定しているが、私と同じような馬鹿な女の元を転々としているに違いない。
私は馬鹿なのだ。
相手はヒモで、私を求めてはいない。寄生先として私を都合よく選んだだけのこと。
だというのに今現在私はこの男が来れば家に入れるし、食料品も一人分では無く二人分を購入してしまっている。通常ヒモという生き物は金をせびる生態を持つのが常らしいのに、この男は金を求めることは絶対にしない。変なヒモだし、そこが追い出しきれないポイントなんだと思う。
「さーって! お疲れの琴芭ちゃんを、癒しにきましたよーっと!」
礼二はおどけながら私の足元にしゃがみ込み、丁寧に靴を脱がせると、スリッパを出し、鞄を奪って行く。
「もうご飯も出来てるしお風呂も沸いてるから。先、飯だかんな〜。あんまり空腹で入ると身体に良くねーし。あ、手洗えよ?」
言われた通り洗面所へ行って手を洗ってくると、部屋いっぱいに美味しそうな匂いが広がっていた。机には小ぶりの丼ぶりに入った雑炊とれんげが置かれている。量は控えめで、疲れ切ってあまり食欲がないことを分かっている量だった。
「さ、座って。俺の愛情たっぷりのご飯食べてっ!」
「礼二のは?」
「俺昼食うの遅くてさ、作ってる間に味見してたら腹いっぱいだわ」
「そう。いただきます」
「どーぞどーぞ」
手を合わせて雑炊を一口食べる。ふわ、と口の中で野菜と出汁の味が広がって、するすると喉の奥に入っていった。
「……美味しい」
「愛情たっぷり入ってるからな」
「ん、それは分からないけど、ありがと」
礼二はこうして料理をしてくれたり、掃除をしてくれたりもする。だから中々追い出そうという気になれないと思うのは、やっぱりヒモを養う女の自分を正当化する言い訳なのかもしれない……。
隣で缶ビールを開け、ごくごく喉を鳴らして飲む礼二を横目に見ながら雑炊を食べていると、ふと礼二がビールから口を離した。
「そーいや、残業もう何日続いてんの? 何か一か月くらい続いてねえ?」
「……言わないで、時間感覚つけると死にたくなるから」
否定したかったけど、礼二の言うとおりだった。
というかここ最近休んだ日付すら思い出せないし、もっと言えば日付を跨がず帰って来た記憶もほとんどない。
親の「受験を失敗したのだからせめてまともな会社に入れ」という重圧を感じながら入社した一部上場企業だ。まだ三年も経ってないのに去るわけにはいかない。次の就職先が見つかるかもわからないし。
「いやいや自覚した方がいーんじゃね? どー考えても働き過ぎっしょ。もっと給料いいとこ転職すれば?」
「時間ないし、出来るか分かんないし」
「俺がその間養おっか?」
「他の女の人のお金で養われるとかクズすぎる」
「はあ? そんなんしねーって! 俺の金でだし!」
俺の金なんて言うけど、金がないなら家があるはずだ。多分、金、食事、住まい、と寄生先を分けていて、借りたお金は全部自分のお金認識なんだろう。
そして私は住まい部門の人間で、多分この雑炊の作り方を教えた人が食事部門の帰省先だ。ビールを煽る姿をじっと見つめると、私の視線に気づいた礼二が「なに? 食べさせてもらいたい?」とにやにや笑う。
私は溜息を吐いて、美味しい美味しい雑炊を食べたのだった。
◆
「ごちそうさまでした」
「おー。俺洗い物しとく。つかお風呂どうする? 朝がいいか?」
「うーん……」
「なんなら俺が背中流してやろうか? きちーんと抱っこして、お風呂丁寧に入れてやろうか。隅々まで」
礼二はにやけながら私の肩にそっと手をのせると、「スペシャルマッサージ付きで」と囁く。私は頷くことなくそのまま礼二の肩をはたいた。
「いってえ! 折れた! 骨折だ!」
礼二は大げさに痛がる。たいして力なんか入ってないのに馬鹿みたいだ。でも、疲れているのか、大げさな姿が酷く面白く見えてくる。普通ならくだらなすぎて無視するのに。
「お、笑ったじゃん、笑え琴芭、お前は笑った時が一番可愛い」
「調子に乗るな」
睨むと、「へーい」と軽い声が帰ってきた。本当に、疲れすぎてる。こんなくだらないやり取りが酷く心地いい。ぬるま湯みたいな雰囲気に浸っていると、不意にぼろりと涙が出てきた。礼二はそんな私の顔を見て驚くことはなく静かに私を見つめる。
「はは……なんだろ、気にしないで」
「今日は何があった?」
優しい、染み込んでいくような声にまた目から涙が落ちていく。礼二はゆっくりと私に近づいてきて、壊れ物を扱うかのように私の頭を撫で、おでこにキスをした。
栓を抜かれたように涙がこぼれて、礼二が私の顔を覗き込む。
「どうしたー?」
「きょう」
自分の口から、不安定な子供みたいな声が出てきたのがはっきりとわかる。こんなこと礼二に言っても意味なんてないのに。
「今日ね」
「うん、今日何かあったか?」
「先輩の失敗、被せられた……」
礼二の諭すような目に、今日のことを思い返す。本当なら今日はもっと早くに帰れるはずだった。礼二と映画とか見ようとか、買い物久しぶりに行きたいって考えてた。
なのに定時を過ぎた時間帯。私は後輩のミスをカバーしつつ自分の仕事をこなしていた途中で、上司に唐突に呼び出された。
けれどそこに上司はいなくて、いたのはいつも私を目の敵にしている先輩だった。先輩は私が関わってもいない仕事のミスを私に押し付け叱咤し、そのまま責任を取れと去っていったのだ。
本当なら後三時間早く帰れて眠れるはずだったのに。怒られてミス押し付けられて片付けて。
悲しくて悔しかった。
「それは酷いな、嫌な先輩だな」
「……ん」
「それで殺さなかったんだろ? 琴芭はえらい、世界一の社員じゃん?」
優しく頭を撫でられてさらに涙があふれてくる。礼二は私を抱きしめ、あやすように背中をぽんぽんと優しく触れる。
「うう、う」
「よーし、好きなだけ泣いていいぞ、悪いことじゃないからな、よしよし、しっかり泣けてえらいな」
「えらい?」
「そうだ、琴芭が今日も一日生きてたから俺はすげー嬉しい。生きててくれてありがとな。琴芭。ほら、背中とんとんしてやるから、ゆーくり深呼吸しろよ」
「ん……」
背中を規則的に撫でられる。どんどん瞼が重くなって礼二にぐったり身を預けると、ぎゅっと礼二は私を抱きしめる。
「よしよし、今日もよく頑張ったな……。えらいえらい、よくやったよ」
「……礼二……」
「ん?」
私の言葉に礼二が穏やかに返事をする。その一音さえ温かくて、胸が苦しい。
「だいすき」
「はは、俺は愛してるから」
「……うそつき」
瞼がどんどん重くなって、目を閉じていく。礼二はもっとと促すように私を抱きしめる力を強くした。
もう、瞼が開けない。
駄目なはずなのに、依存なんてしちゃいけないのに、私はただただ礼二の心音を聞いて、温もりの中に沈んで行った。
◇
「おやすみ」
眠る琴芭の身体と髪を拭いて、丁寧にケアをしてベッドに寝かせる。ぐっすり眠っている彼女の顔をしばらく見つめ、俺は琴芭のバッグに手を伸ばす。
落ち着いた色味の財布をどけると、分厚いファイルが出てきた。
「会社燃やしてやりてえなー」
そのままファイルの中の今日の朝までにまとめなきゃいけない資料に目を通す。それは明らかに一人分の仕事量を超えていた。
明らかに琴芭の勤めている所は彼女に頼りすぎている。
大変なところを表に出さず、責任感の強さ故に他者に搾取される弱者の典型みたいな性格をしているせいで、琴芭は完全にカモにされている。
あんな琴芭に、まだ仕事させようとしている。
俺は琴芭のノートパソコンを開き、琴芭の自称防犯セキュリティに気をつけているというパスワードを楽々突破した。
琴芭を苦しめるあの会社に貢献するのは癪だが、やらないと琴芭はゴミ共にとやかく言われるから資料を作成していく。
正直今すぐ琴芭を辞めさせたい。
でも、琴芭は責任感が強い。「三年は働いていないと」なんて誰が言ったかもわからない言葉を聞いて、毎日毎日耐えている。
あんなに張り詰めた精神状態で突然環境を変えれば、ただでさえ押しつぶされそうになっている琴芭がどうなるかは安易に想像が出来た。
「少しずつ、元気になってくれればいいけど……」
半年前、メーカーの展示会で、俺は琴芭を見つけた。
せせこましく働く琴芭を見て初めは死にかけがいると思った。上司に八つ当たりで怒られて、その後普通に他の会社の社員と協力して動いて全部終わった後堪えながら泣く琴芭を見て惚れた。
泣き終えてトイレで顔を冷やして自分の会社の人間の元へ向かう琴芭と一度挨拶を交わしたけど、琴芭は俺を覚えていないし、この姿じゃ一生思い出されないと思う。
琴芭と出会った頃を思い返しながら資料を作成していると、スマホが振動した。こんな夜中に電話をかけて来る人間は一人しかいない。兄の秘書だ。
俺は琴芭を起こさないようスマホを片手にベランダから出た。
「何」
『礼二様、夜分遅くに失礼いたします。桐明でございます。当主様が明日、九時にお会いできないかと仰っております』
電話の内容は案の定としか言えないものでうんざりした。その時間は、琴芭を会社に送り届けた後、ゴミ処理をする予定がしっかり入っている。
『この度礼二様には、アビスノットの重よ……』
「んなもん行かねえよ、つうかお前らは何なんだよ。兄貴の会社裏切ったかと思えば新しい会社作って俺に継がせたいとか気狂ってんじゃねえの?」
『しかし……、……今どちらにいらっしゃいますか、もし岸里琴芭さんの御自宅にいらっしゃるのなら今からお迎えに……』
「はは、琴芭さんじゃねえよ。家来たら家族ごと売り飛ばすからな。学校の先生目指してる娘二十一になったんだっけ? 親のせいで自分のこと売る仕事させたくねえだろ、なあ」
そう言うと、電話の向こうで息をのむ音が聞こえ、沈黙する。沈黙するくらいなら言わなければいいものを。
「じゃ、さみーから切るわ。琴芭に接触したらお前のこと盛大に燃やしてやるって言っておいて、よろしくー」
用件だけ伝えて、俺は通話を切った。しかし電話はまたかかってきた。苦々しい気持ちで画面を見れば兄貴の名前が表示されていた。
「んだよどいつもこいつも。なに? またバッティングさせたのかお前は」
半年前、兄は仕事をバッティングさせた。結果家を出てウェブデザイナーとしてよろしくやってる俺を呼び出し、兄の代打として会合に出席するよう要請したのだ。
特に断る理由もなく会場である展示会に向かえば琴芭と出会えたのだから、まぁまぁ感謝している。
『いや……最近、アビスノットのことでちょっとな』
アビスノットは、うちの会社で働いていた人間がクーデターを起こして出来た会社だ。能力の高い人間が軒並みそっちへ行ったせいで、兄貴は立て直しに必死になっている。
『お前、翼さんに会ったか?』
「母さんがクーデター起こしてからは会ってねえよ。連絡は来るけどな」
『……父さんがお前を指名していれば、こうはならなかったんだろうか……』
「俺は社長なんか興味ねえし、なりたいと思ったこともねえ。なっちまったもんは仕方がねえんだから頑張れよ」
『でも、能力はお前のほうが……』
「フォリアイアンには色々稼ぎ頭がいんだから、上手く使えば兄貴の代は持つだろ。もう切るわ。じゃあな」
『まて、礼二――』
俺は面倒になってスマホの電源ごと切った。
フォリアイアン……芸能や音楽事業などを手掛けるグループの社長だった俺の父親は、後継者に兄を指名して死んだ。俺らが大学生になってすぐだと思う。
でも、中にはそれがムカつくとか訳の分からないことを言うやつがいて、そいつらはクーデターを起こして別の会社を作った。その頃だ。俺が住所不定無職の俺を演じ始めたのは。
自分とは違う人間として街に出て、普段話さない奴と話す。
元々話し方も砕けたものが好きで、堅苦しいのは嫌い、馬鹿っぽい事が好きだったから、どちらかといえばこっちが素だろう。
そして三か月前のあの日、俺はちゃらんぽらんなレージの姿で、バーで死にそうになっている琴芭を見つけた。以降は琴芭を甘やかし、琴芭が見下せて、弱音を吐いても自尊心を保てるだらしない男を演じてる。
俺の食費を出すことで減った琴芭の財布に金を足し、琴芭の職場の人間を少しずつ入れ替えながら。
「実はヒモクズじゃないって分かったら、琴芭ちゃんはすぐ結婚してくれるかなー?」
窓越しに声をかける。琴芭の家の上下、左右の部屋は俺が全部買ってるから近所迷惑にはならない。でも、本人に聞かれたらいけないからそっと小声で。
琴芭は多分、真実を知れば世界が違うなんて言って離れようとするタイプだ。そうすると、もう選択肢なんて一つだけになる。俺の傍から離れないようにしなきゃいけなくなる。
となると、愛の力で改心して、働き始めたから結婚して、というパターンが一番幸せそうだ。
「俺の素性がバレても、愚兄脅して一芝居うってもらって、勘当されて絶縁状態ってことにしてもらえばいいか。うん、そうしよう。家出中の世間知らずの箱入り息子が、世間の荒波にもまれて無一文。ぎりぎりあり……? でもクズ男が琴芭ちゃんのタイプだったらどうしよー……俺一生フラフラしてるふりするのか……」
頭の中で、パターンを組み立てていく。そうなった場合、最適なのは琴芭をどろどろに甘やかして、クズ男より改心した男といた方がいいと、徐々に刷り込ませることだ。
「まあまずは、琴芭ちゃんの周りのゴミ潰すのが先か……」
でも、環境を一気に変えてはいけない。今は少しずつ琴芭の社内の人間を入れ替えてはいるけど、本命の上司や先輩が琴芭へのパワハラ以外は目立ったことをしないから難しい。
ため息を吐きながら顔を上げると、墨で染めきったような空が広がっている。
俺はそんな空に背を向け、温かな琴芭との空間に戻っていった。




