打算まみれの恋
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【悪役令嬢ですが攻略対象の様子が異常すぎる公式ツイッター】
10月2日 オーディオブック①巻 ボイスドラマCD コミックス⑤巻 紅茶缶
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【あらすじ】
大学生、松戸緋奈は、美しい姉、円により、幼い頃から自分に姉を紹介をしろと頼む男たちに辟易し、いつしか嫌うようになっていた。しかしある日大学の先輩に、女を苦手とする滝永という男の話相手になって欲しいと頼まれ……。
週の折り返しである水曜日の十一時。鏡を見ておかしなところがないか確認する。パステルカラーのコートに身を包み、柔らかな素材のスカートを履く私はなんだか昨日の自分と違って見えた。
「どこかへ出かけるの?」
洗面台に長居していたからか、姉がじっと私を見つめてきた。長く艶やかな黒髪に切れ長の瞳は鏡の中の私の顔とまったく似ていない。
「ちょっと、お昼ご飯を知り合いに誘われてて……」
「送っていこうか?」
「だ、駄目だよ。街がパニックになっちゃうから」
私の四歳年上である姉は幼少期からモデルとして活躍していて、お伽噺に出てくる氷の女王さまのように成長した。現在は女優とモデルを兼業し、海外に飛ぶこともある。
「エドが嫌なら捨ててくるし、喧しい男がいたら埋めるけど」
姉は基本、暴力で問題を解決する。楽しむドラマも物語も基本的に格闘技や不良の高校生たちがトップを目指すようなもので、恋愛に関わるシーンは早送りをしている。
コレクションしている映画の棚だってすべて肉体派アクションだ。そこから復讐モノなどに分類されていく。ここまでくると恋愛に興味がないのか暴力を好みすぎるのか分からないけれど、姉は暴力、家族、友人、同性以外に対する関心がほぼない。
「ううん。それに今日、前に話した女の人が苦手な人と会うから」
「それならなおさら私が行かなくていいの? もし変な男なら対処しておかないと」
「大丈夫だって、じゃあ、行ってくるね」
私はついていこうとする姉を制止して家を出る。待ち合わせは十二時に駅前だ。住宅街を抜け大通りに出ると人々の行きかう街並みが広がった。中には当然男の人もいて、その姿が視界に入った瞬間苦々しい気持ちが胸を占め始める。
私は男が嫌いだ。男は皆姉を好きになって、姉を傷つけるから。
挙句なんとか姉に近づこうと私に仲介を求める人間も後を絶たなかった。
靴箱に姉宛ての手紙がみっちりと詰まって上履きが取り出せないことなんてしょっちゅうあったし、断れば僻みだと糾弾された。
「姉は美人でも妹は普通だし僻んでるんじゃない?」
「ブスのくせに性格まで悪いとか最悪」
「あいつだけどっかから拾ってきたんじゃない?」
悪口のレパートリーは、この三種類。この三種類に個々のアレンジを加えて私に言い放たれていく。
一方で私を助けて信頼関係を築き、あわよくば姉と接点が持てないかと近づく男もいた。代表的なのが、私の中学二年生の時の担任だ。
担任は女子生徒からも男子生徒からも人気の高い先生だった。生徒の悩み相談に号泣したりする裏表のない性格……私はそう認識していたし、他の皆も同様の認識だった。
私の靴箱が手紙でみっちり詰まっているのを見かけたときは一緒に整理してくれたし、私が責められているところを見つけたらすぐに駆けつけて助けてくれたこともあった。だから私は先生をヒーローのように思っていたし、信頼していた。
でも、それからすぐ私は先生に頼まれた。
「俺、お前の姉が好きなんだ。どうにか取り持ってくれないか」
先生はふざけているように見えなかった。必死に「もうすぐお前の担任じゃなくなる」「家庭訪問でお前の姉を見た時から忘れられなかった」「お前にしか頼めない」と私に縋り付いてきた。その姿が恐ろしくて怯えていれば、先生は私を睨んだ。
「ずっと優しくしてやっただろ?どうして先生のお願いは聞けないんだ?」
その言葉で私は悟ったのだ。今まで先生が私に優しくしてくれたのは教師だからではなく、姉のためであったと。
以降私は男を憎み続けていたけど、最近は「関わってこなければいい」くらいに落ち着いてきている。
きっかけは、私と正反対の存在を知ったからだ。
◇
半年前、私は大学でお世話になっている晴先輩にあるお願いをされた。内容は彼女の彼氏……の親戚に滝永漱史さんという女の人がとても苦手な人がいて、自他ともに認める男嫌いである私と文通をしてほしいというもの。
その親戚はとてもかっこいい弟がいたことで数々の女難に遭った結果、女性を恐怖するようになったらしい。
店員が女だと物を買えないほどの重傷で日常生活に支障をきたしていた。だから、なんとか克服したいと考え、まずは少しでも女に慣れる為に文通をする相手を探していて、結果的に私に白羽の矢が立ったのだった。
私自身、社会に出たら嫌でも男と関わらなければいけなくなる。いつか男という生き物に全方位向けてしまう殺意を隠せるようにしなければと思っていたし、滝永さんの境遇に同情もした。
だから要するに、滝永さんとの文通はお互いがお互いをカウンセリングするような形で始まった。
◇
晴先輩に文通を了承する旨を伝えて一週間。滝永さんからの手紙はすぐにポストに入ってきた。隣の区から送られてきた儚げな向日葵の絵はがきは綺麗で、手に取ったときほっと息が漏れたことをよく覚えている。
【松戸緋奈様】
はじめまして。この度は顔も知らない僕の不躾な申し出を受け入れてくださりありがとうございます。洋服などのデザインをして働いている、滝永漱史と申します。読み方はせいじです。二十五歳です。趣味はガーデニングとデッサンです。
お願いをしておいてこんなことを言うのは失礼だと思いますが、双山晴さんから僕の親戚を通して文通をしてもいいと報告を受けたとき、僕はとても嬉しかったです。
僕はデザイナーなので、女性に対する苦手意識をなくして、もっとみんなが喜ぶ洋服のデザインがしたいと思っています。今後ともよろしくお願いしたします。
達筆な字で綴られていたけど震えて書いたらしき箇所もあり、女の人に対する苦手意識が伝わってきた。だから私は女っぽい要素がない簡素なはがきを選んで、自己紹介を書いて翌日返事を出した。
それから、大体四日に一度滝永さんから絵葉書が届くようになった。
【松戸緋奈様】
ひぐらしの声が聞こえ始め、夏の終わりを感じさせる昨今。いかがお過ごしでしょうか。僕は今、来年の春に向けてのデザインの調整をしています。残暑を感じながら春をイメージすることは難しいですが、週末にはなんとか形になりそうです。
ここ最近はデザインのために桜について調べていたのですが、緋奈さんはアーコレードという桜はご存知ですか? 英国で交配された桜で、日本の気候だと秋に咲くものもあるそうです。紅葉の鮮やかな赤に可憐な桃色が映えそうですよね。フリルドレスにしたら可愛いかなと思いました。
そうして桜を調べていたらちょうど可愛い栞を見つけてしまい、季節外れになってはしまいますがブックマーカーを送ります。(アーコレードは秋に咲くということで……!)実はこの間……
いくつか葉書のやり取りをしていると徐々に文章が長くなってきて、葉書ではなく手紙のやり取りをするようになった。季節柄の便箋には手鞠や文様、折り鶴の封蝋がされてたり、文香が挟んでいたりと趣があって、読むだけじゃなく見ていても楽しいものだった。
そして滝永さんとやり取りをして、ひと月が経った頃だ。いつも通りポストを確認すると、少し分厚い封筒がそこにあった。
【松戸緋奈さんへ】
秋になり少しずつ月の時間が増えてきましたね。昼間と夜に寒暖差が出ることで体調を崩す人も増えたと聞きます。緋奈さんはお変わりないですか?
こちらは……というか、今回はこちらが変わったお手紙を出してしまいましたね。封筒の厚みで分かる通り、少し込み入った話を書きました。まとまりきらなくなって、初めにお知らせしたほうがいいかとここまでは一度全部書いてから、書き直しという形をとっています。緋奈さんには僕がなぜ女性を苦手なのかを、知っていただきたくて。
緋奈さんの先輩で、僕の親戚の恋人である双山晴さんから僕の話は聞いていても、僕の弟の話は聞いていなかったと思います。実は僕には弟がいます。俗に言うイケメンで、サッカーをやっていて一般的に言うモテることが好きです。なのでもうそれはそれは酷いモテ方をします。漫画のモテモテなキャラクターみたいです。
一方僕も実は派手顔で、遊んでいるような顔です。
でも、僕は暗い人間です。手紙をやり取りしている緋奈さんは知っていると思いますが、お酒も飲めないしギラギラした明るいことが苦手です。うぇーいみたいなことを言う人とは恐ろしくて近づけません。休みの日はずっと電気を消した部屋で絵を描いています。オタクです。
でも弟の周りの女子は、弟に相手にされないとみんな僕のほうへ向かってきました。妥協するんです。弟の代替え品として僕のところへ来ます。
俺は今までずっと弟の代わりでした。
弟のことは好きですが、そういうこともあって大嫌いになるときがあります。そしてその瞬間がたまらなく僕は嫌です。家族は何にも悪くないのにと辛くなります。
だからいつか自分を見てくれる人が現れて、この劣等感から解放されることを僕は願っていました。 でも結局、僕が好きになったり僕を応援するといってくれた人は、みんな弟を好きになります。
それから徐々に女の人が怖くなりました。打算で近づいてきて、人を人だと思っていない獣に見えて、姿を認識しただけで吐いてしまうようになりました。正直、女の人は男の顔しか見ていないと呪った日も少なくありません。
しかし、僕はデザイナーの仕事これからも続けていきたいし、みんなに僕のデザインを届けたいという夢を持っています。みんなの中には当然女の子たちもいます。
だから、これからも緋奈さんとやりとりさせていただければと思っております。(実は先日弟と出くわしまして、嫌なことを思い出し話さずにはいられなくなってしまいました。長文ごめんなさい……)
赤裸々に綴られた文章を見て同情心より先に共感を抱いた。滝永さんは容姿が優れているようだからそこは違うけど、でも自分には打算的な人間しか近付いてこない、まともな人間関係を築くことができない苦しみは伝わってきたし、十分思い当たることだった。
私は今まで彼に返事をするばかりで自分の話を書いたことは少ない。だからその返事を書くとき初めて自分について書いた。
【滝永漱史様】
こちらは特に変わりなく過ごせております。紅葉がそろそろ見ごろだそうですが、確かに夜になると大きく気温が下がったりしますよね。滝永さんもご自愛くださいませ。
そして先日はお手紙をいただきありがとうございました。嫌な思い出について書くとき、思い出して辛くなってしまったのではないかと心配です。けれど、そう心配になる一方で自分は今一人じゃないと思ってしまいました。
実は私は、一般的に男性受けがすると言われている服が大好きです。淡い色合いやスカートも好きです。でも中学の頃、修学旅行で私の私服を見た女の子に「男嫌いのわりに男受けする服着てるじゃん」と言われてから、そういった服は着ていません。その子の好きな男子が私の姉を慕っていたので、八つ当たりの意味合いもあったかと思いますが、どうしてもそれから駄目になりました。
なので、ぼんやりとですが、好きなものと嫌いなものへの感情が一緒になってどうしていいか分からない気持ちはわかります。そして、いまだに私はそのことに対して答えが出せていません。正直自分がどうしていいか何も思いつかないまま今までを過ごしているので、私は夢に向かって頑張りたいという滝永さんをとても尊敬します。
差支えなければ、どうして滝永さんはデザイナーになったのか教えてほしいです。
【松戸緋奈様】
せっかく緋奈さんが僕に質問をしてくださったのに、この三週間まったくお返事が出来なくてごめんさい。理由は色々ありますが、まず何故僕がデザイナーになったのかをお話させてください。
僕は小さい頃から童話を読むのが好きで、中でもシンデレラが好きでした。男なら誰しも王子に憧れるものですが、どろどろだった灰かぶりの女の子を王子が見初めるほど美しくさせた魔法使いが特に好きで、魔法使いになりたさにデザインの道を小さい頃から意識しました。
でも、デザイナーとして働く上でその思いは少しずつ変わっていきました。なぜならみんなが皆舞踏会に行くために服を着るわけではないからです。なんでもない日に服を買って着る。王子なんかいらないと、ただ自分が好きだから服を着る、皆が皆変身を望んでいるわけではないことを僕は知りました。
それから僕は、変身させることができる服ではなく、着た人のほんの少しの幸せの一部になれたら、と言う思いで服をデザインしています。
そして話は変わりますが、僕の関わっているブランドで大学生くらいの女の子をターゲットにしたブランドがあります。コンセプトは自分の好きな自分です。緋奈さんの考え方と合致するんじゃないかなと思っています。そこで、お洋服をお贈りしたいと思っています。
突然お洋服を贈りたいと言って困らせてしまうかもしれません。でも僕は緋奈さんの話を聞いて、どうしても贈りたい服のデザインが頭の中に浮かび、これまでの人生の最高傑作のデザインが思い浮かびました。なのでその第一号である服を緋奈さんに見てもらい、実際に着ていただいた姿を見たいです。
本当に突然こんなお願いをしてごめんなさい。よろしくおねがいします。
書き綴られていた手紙は、普段の彼の手紙とは異なり字も震えていた。そしてしばらくして、私の元へと大きなプレゼントボックスと共に一通の手紙が届いたのだ。
箱の中身は私好みの洋服だった。淡い色合いのニット、柔らかなフレアスカート、コート、そして靴までもが入っていた。今まで着たいと思っても着ることがなかった服たち。そのどれよりも、滝永さんのデザインが好きだと思った。
今まで人に何か物をもらったとき、私は警戒してどうやって断るかを考えていた。どうせ姉への下心によるもので、受け取れば最後姉の紹介を頼まれるからだ。
姉の個人情報を聞き出そうとしてきたり、恩を返せと言ってくる。でも滝永さんから贈り物をされたとき、その不快感は一切感じなかった。彼と会うという緊張だけが私の胸を支配していた。
◆
「もしかして、緋奈さん……?」
待ち合わせの駅でじっと床を見つめていると、聞き覚えのある声がかかった。顔を上げると、二十代半ばくらいの男の人が私の前に立っていた。すらりとした佇まいに髪を左右にさらりと流した人好きをする笑みに、とっさに身構える。
「あ、ぼく滝永……です」
「ああ、た、滝永さん……」
確かに目の前に立つ人から発せられる声は、ここに来る前電話で聞いた滝永さんの声だ。服装も黒のコートを着流すように羽織っていて、頭の上からつま先まで洗練された装いだ。姉と同じ、美しい人種の人だ。確かに女性関係で苦労するのも瞬時に理解した。
「えっと、松戸です、よろしくお願いします……」
目の前に、男の人がいる。滝永さん相手ですら憎しみが漏れ出そうで、気持ちを奮い立たせ頭を下げる。彼は「こっ、こちらこそ!」と聞きなじみのある声を発しなら私と揃えるみたいに頭を下げた。
「あっ、洋服のお金……! これ……!」
懐から封筒を取り出して滝永さんに渡す。ブランド名が分からず大体の相場を調べて揃えたお金だ。しかし彼は首をぶんぶん振って受け取りを拒否してきた。
「駄目です!電話までしてもらっていましたし……お礼です!受け取ってください!」
「いえ、でも……」
「絶対受け取りません……! 本当に緋奈さんには感謝してるんです。なので、その感謝の気持ちです……全然足りないくらいですけど……あっ今日の分お金払いましょうか。今回付き合っていただいた分と、それと今までの分を……!」
滝永さんは自分の鞄から財布を取り出そうとする。服をもらっておいてそのうえお金を取るなんて絶対やっちゃいけない。差し出した封筒を引っ込めると、彼も自分の鞄から手を引っ込めた。
「今日の、服ありがとうございます」
「いえ、とてもよく似合っています……こちらこそ僕の服を着てくださって、ありがとうございます」
「こちらこそ……それで今日は…?」「えっと……僕の親戚が店長を務めているレストランがあって……店員は親戚だけなんです。そこで話をしてもらいたいんですけど、大丈夫……ですか?」
「はい。大丈夫ですよ」
「じゃあ、立ち話もなんですし行きましょうか」
滝永さんが歩き出す。後をついていくと、彼の背中がびくりと震えた。謝って離れると彼は「すみません……」と謝る。
少しだけ離れて滝永さんの後ろを歩けば、今まで彼がどういう状況に置かれていたのかはっきりとわかった。
行きかう女の人がみんな、滝永さんを見る。中には明らかに声をかけようとする女の人もいて、彼が大げさに避けると女の人は残念そうに去っていく。しかも、知り合いのような雰囲気はない。姉が男に近寄られるのと全く同じだ。そう考えて、ふとあることに気づく。
滝永さんって、もしかして姉と練習をすればよかったのでは……?
彼んは年代的におそらく姉と同世代だろうし、姉は恋愛に興味がない。美しい人間の苦しみも、平凡でどうしようもない私より百倍理解できるだろう。なんてったって当事者だ。
でも、姉は了承しない。仮に了承したとしても何かしら気に入らないポイントを三つ見つけて、最悪殴り掛かる可能性もある。そう思い直した私は、歩きながら彼の背中を眺めていた。
◇
「いらっしゃいませ。お待ちしておりました」
滝永さんの親戚が営んでいるというお店に着くと、そこはいかにも高級そうなレストランだった。身構えた私に何かを察したのか、彼は「価格帯は普通だから大丈夫ですし、お会計は僕がお支払いしますから安心してください……!」と首をぎりぎり揺らしながらこちらを見る。
「中へどうぞ」
滝永さんには、洋服をもらってしまっている。その分のお金もあるし、自分の分は払うことを伝えようとするとお店の人は店の中へと入るよう促してきた。流されるようについていくと、私たちを個室へ案内しメニューを置いて去っていく。
「あの人が僕の親戚なんだ……」
「そうなんですか……」
滝永さんの親戚の人は独特な雰囲気があるように見えた。髪色は明るく爽やかな笑顔は誰にでも好かれそうで、でも底が見えない。だからこそ苦手なタイプではあるし、朗らかで柔らかい雰囲気のある晴先輩とはやや不釣り合いに見えた。テーブルに置かれたメニューを眺め、滝永さんと何を話すか考えていると、「あっあの!」と彼は意を決するような声を発した。
「ちょっと僕、挨拶とトイレに行ってきますね……」
さっきから、何度も何度も自分の額をハンカチで拭っていると思っていたけど、今はパニック寸前といった様子で大分苦しそうだ。「どうぞ、ごゆっくり」とトイレへと促すと彼は足早に席を立つ。
その後姿を見つめてから「ごゆっくり」は必要なかったな、なんて考えていると、私もトイレに行きたくなってきた。
ここは個室だけど、開けた場所ではある。滝永さんの鞄はきっとここに残されたままだし、私がいなくなるのは危ない。でも彼の座席を確認してもそこには鞄が無かった。どうやらトイレに持って行ったらしい。
なら、ここにいる理由もないかと、お財布とスマホだけ持って席を立つ。
通路に出て天井に吊られている指示通りトイレへ進めば、個室から二つほどあいた部屋に滝永さんの姿が見えた。親戚の人と何やら話をしていて、気弱そうなそぶりもなく堂々と……それにくだけた会話をしている。
「なあ、今日決めるんだろ?何その汗。今からそんなんでどうすんの?」
「うるさいな……こっちは今お取り込み中なんだよ」
「つうか、お前絶対この店のトイレ使うなよ。汚いから。ここ出て1キロくらいのところに公衆トイレあるからそこ行って」
「この店のトイレ汚いの?」
「違え。お前が汚いからだよ。絶対ゴソゴソすんじゃん」
「貸してくれよ。今日いちばん大事な日だぞ。今までこつこつこつこつ築き上げてきた信頼関係が崩れたら嫌じゃん。えっこのタイミング⁉︎とか思われたらどうすんの? 死ぬしかなくない? お前の店事故物件にしてやろうか?」
どくりと、心臓が嫌な音を立てる。ここにいてはいけないことくらいはっきり分かっているのに、足が縫い付けられたように動かない。そのまま息を殺し中の様子を窺っていると滝永さんは項垂れた。
「これで実は彼氏いるとか言われたらキツすぎじゃない? 無理でしょ絶対無理だわ死ぬわマジで考えただけで気持ち悪くなってきたしもう無理だわ腹痛い。下半身すべてが痛い」
「片腹?」
「いや違うし愉快なほうじゃねえよバカ本当バカ。マジで今までどんな思いでお手紙交換やってきたと思ってんの?」
「確かにお前とは真逆の人格を演じてるよな。笑える。女とっかえひっかえして、最終的に顔さえ悪くなければ金払ってくる女と遊び倒してたお前が、そんな頑張り見せてくると思わなかったわ。賭けで負けたからテレビ局紹介しないと」
「なに……なんの話?つうか他人事だと思ってさっきから何なのお前」
「だって他人事だし。っていうかここまでお膳立てしたんだからもう俺と晴ちゃんに関わって来るなよ」
滝永さんは、別に女の人が、苦手じゃない……?
「まぁ、今回上手くいったらな。っていうか本当に、松戸円の妹だなんて思わなかった……。あんな近くに運命ってあるんだよな……なんか震えてきたわ」
滝永さんの話を聞いて、ずっと心に降り積もっていたものがぱっと散っていく。それと同時に、心の奥底から、「やっぱり」とあざ笑う声がした。
女に慣れていないふりをして何故私に近づいてきたのか。
理由は簡単だ。姉に近づくためだ。
その作戦は私がこの場にいなければ成功していただろう。確かに私は一瞬、滝永さんを姉に会わせようと考えた。
きっと滝永さんは難攻不落の姉を落とすために、ここまで回りくどい方法を使ったのだ。自分の親戚やその彼女を使って確実に姉を手に入れるために。
ぎりぎりと、胸が痛む。最初から分かっていたことのはずだ。予防できなかった私が悪い。疑うべきだったのに、警戒しているべきだったのに完全に見誤ってしまった。
誰も私なんかと、好き好んで一緒にいようとするわけがないのに。
この場にいたくない。馬鹿らしい。くだらない。私はやりきれない気持ちで踵を返そうとするけど、場所が良くなかったのか音を立てて机とぶつかった。その音を聞いて咄嗟に二人がこちらを見る。滝永さんはただただ驚き私を見ていた。
「緋奈さん!?」
机を戻すことすら出来ず鞄を掴むと店の出口にめがけて走っていく。後ろから滝永さんが大きな声を出して私の名前を呼んだ。必死な声色に笑いそうになる。半年以上の時間をかけて準備した計画が水の泡になったのだから当然だろう。
会いたいはずの姉に会えるまで、もう少しだったのに。残念でした。
いっそのことそう言ってしまいたいのに、正面に見えてきた扉が歪んでいく。
正しい長方形であるはずのそれがぐにゃりと曲がってよく見えない。目頭が熱くなって、呼吸が苦しい。ぶつかるように扉に向かってドアノブを手にとる。中学の時、担任にお願いされた時もこんな風に逃げていた。
でも足はあの時よりずっと重くて速く走れない。私は人ごみの中に逃げ込むように、ただただ走って逃げていった。
◇
飛び乗る様に電車に乗った私は、地元の駅で降りた。人気のない住宅街を選んでとぼとぼと歩き、水道で目を冷やすため公園を目指す。
このまま家に帰り私の目が腫れているのを見たら、姉は報復しに行く。誰にされたか言わなければ女子供関係なく私の知人を一人一人殴っていけばいつか犯人に辿り着くという理論で人を襲うだろう。
公園に辿り着くと、私以外誰もいない状況だった。奥には公衆トイレも見える。目を冷やしに来たはずなのに、へたりこむようにベンチに座ってしまった。空には黒々とした鈍色の雲が広がっている。まだお昼過ぎくらいなのにこんなに人がいないのは、きっと天気が悪いからだろう。
「あれ」
声のする方向に目を向けると、中学の同級生の顔があった。サークルか何かの帰りなのかジャージで大きなスポーツバッグを下げている。
「松戸先輩の妹さんだよね?」
同じクラスの人間だったはずなのに、口から出てくるのは「松戸さんの妹」だ。笑える。自分の価値なんてはっきりと分かっている。家族以外、全員私は「松戸さんの妹」なのだ。
「うわ、久しぶりじゃん。元気だった?」
男は馴れ馴れしく話しかけ隣に座ってくる。私の靴箱に姉宛てのプレゼントをぎちぎちに詰めておいて、プレゼントを受け取ってもらえなかったのは箱がぐしゃぐしゃになったからだと私を糾弾したことなんて、すっかり忘れているのだろう。
「そういえばお姉さん元気? 今度医者の映画やるんだよね。実は俺の知り合いに医者がいてさ、役に立てないかなって思ってて」
いつも通り私に話かける、いつも通りの、まるで機械にプログラミングされたかのような単語を発した。いつもだ。いつもこうだ。
「そういうのはちゃんと監修の人がいるから必要ないよ。それに、もうお姉ちゃんに関わらないでって言われてるのに今更何?」
吐き捨てるようにそう言って、へらへら笑う男を睨みつける。すると男は「……はあ?」と眉を吊り上げた。
「感じ悪っ、何調子乗ってんのお前?お前の姉ちゃんは綺麗だけど、お前はブスだからな?偉くもなんともねえから。身の程ちゃんとわきまえてんの?」
勝ち誇ったような声に吐き気がした。そんなこと、もう何年も前から十分理解している。
「別に調子になんて乗ってないけど。っていうか身の程わきまえろって言葉、そのまま返すよ。自分でプレゼントも渡せない。人のこと使って繋がり作ろうとする人にはお姉ちゃんは釣り合わない」
「……死ねよ、ブス」
憎悪のこもった声を発して、クラスメイトの男は去っていった。私はもう何もかもが嫌になって顔を隠すみたいに俯いた。
もう、疲れた。お姉ちゃん絡みで嫌な想いをするのは。私はお姉ちゃんを好きでいたいのに、どうして男はその邪魔をするんだろう。
苦しい。姉のように綺麗に産まれていたら良かったんだろうか。何がいけないんだろう。小さい頃、お姉ちゃんの仕事の邪魔にならないよう愛想よく過ごしていたら、「お前は姉になれない」と
言われたし、もう生きていること自体駄目なのかもしれない。
「緋奈さん!!」
怒声かと間違うほどの大きな声が公園の入口から響いた。咄嗟に振り向くと滝永さんが息も絶え絶えでふらつきながらこちらに向かってきている。
「緋奈さぁん!」
逃げようにも、トイレも公園の出入り口も滝永さんの後ろにある。私がベンチから立ち上がり一歩後ずさると同時に彼は転倒し、そのまま這いずってきた。
「お、俺……、ごめんなさい、嫌だ、嫌わないでください。何でもします。何にでもなります。俺頑張りますから、捨てないで……!」
「……、もう、全部話聞いてたんで、そういう話の仕方じゃなくていいですよ」
この期に及んで、まだ取り繕おうとしているのか。そう感じると心の奥底から急激に冷えていく。滝永さんは手を震わせ、握りしめることを繰り返しながら私の前に到達した。
「もう、私に近づかないでください。顔も見たくないです」
そう言って、私は這いつくばる滝永さんを横切ろうとした。その瞬間、彼は顔を真っ青にして「いやだ、やだ」と小刻みに震え私の足元に縋りついてきて、私は転びそうになり立ち止まる。
「やだ。やだやだやだ。嫌わないで、嫌わないでください。やだ。ごめんなさい。嘘ついてごめんなさい。俺もう嘘つかない。やだ、ごめんなさい」
滝永さんはみっともなく泣き出した。そんなに姉が好きなのなら正しく姉にアタックしていけば良かったのだ。私なんか構わずに。でも、中学の時あれだけひどい目に合ったのに、こんな人に騙される私も私だ。なんて情けない。惨めだ。振り払おうとすると「やだっ」と絶叫された。
「あっやだ、やだ、ごめんなさい。嘘ついて緋奈さんに近づいてごめんなさい。女慣れしてるのにしてないって言ってごめんなさい。本当は数え切れないくらい抱いてます! 担任とか養護実習生とか、歯医者さんとか受付の子とか顔が好みだったら賭けて落として寝てました! コンビニの可愛い子も全員持ち帰ってました! あと和泉の話も全部嘘です! 寝取り合いして遊んでました! あとあと、緋奈さんと出会うまで寝るだけの友達なら二十人くらいいました! 七股かけて曜日ごとに彼女変えたり、高校の時彼女いたけど浮気しなかったことないくらい慣れてる! 本当にごめんなさい。手紙貰えると嬉しくて一回ズボンの中入れてごめんなさい。人混み苦手って言ったけどクラブ何百回と出入りしてました。あっ緋奈さんと出会う前ね! あとあとあと、電話させてごめんなさい。やだやだ。嫌わないで。全部、もうしない。もうしないから、電話してる時にズボン脱いでごめんなさい。今緋奈さんズボン脱いでる俺と何事もなく電話しててうけるとか思ってごめんなさい。緋奈さんに貰った鉛筆削りの置物舐めてごめんなさい。それと緋奈さんの最寄駅覚えててごめんなさい。緋奈さんの住んでる場所、俺全く土地勘なかったから、手紙の住所検索して見てました。ごめんなさい。緋奈さんの電話の声録音して、寝る前聞いててごめんなさい。あと実は大学の学食行って緋奈さんいないか待ってたりしてごめんなさい。親戚のふりして教授に話しも聞いたけどそれも怒ってる? もうしないから。もうしないよ。やだ、嫌わないで。行かないで。俺のこと嫌いになっちゃやだぁ」
……は?
滝永さんの言葉に絶句する。女慣れしてるのにしていないって嘘をついたことは分かった。でも私は、手紙のやり取りはしたけど、手紙の中で彼にこの公園の場所について語ったことはない。
にもかかわらず滝永さんがここに来たということは、住所を検索しここのあたりに土地勘を持ったということの証明なのだろう。
「俺緋奈さんに嫌われるとか無理だよ生きていけない。もう嘘つかないから許してやだやだやだやだ捨てないでちゃんと、今度からちゃんとするから、電話で緋奈さんが言った言葉メモとって全文記録したりしないし緋奈さんに近づく男ともちゃんと仲良くする! 牽制したり調べ上げたりしない。弱み握ろうとしないよ! ねえお願い!」
また、意味がわからない。言葉を聞いているうちに、抵抗する力は徐々に失せていった。滝永さんはそんな私を見て、懇願する目を向け始める。
「あ、償う。償う償う償う! 慰謝料! 慰謝料払う。お詫び、お詫びも買う。いつでも緋奈さんの欲しいもの何でも買う。何でもあげる。お金払う。毎月お金払う。お願いします。お話でも彼女料でもなんでもいくらでも払う。触れなくてもいい。なんでもいい。俺の住んでる家もあげる。だから嫌わないで。何でもしてあげる。ご飯も食べたいのちゃんと用意する。あっ、俺何でもする。サンドバックになったっていい。イライラしたら殴ってストレス解消して? 首絞めても包丁で刺してもいい。あとなんだろ、思いつかない。どうしよう。やだやだやだやだ嫌われたくない。離れたくないぃ……。あと何があるかな、何かないかな……何か……どうしようやだ。やだやだやだやだ俺緋奈さんに嫌われないなら、離れてかないならそれ以外は全部我慢するから、他に好きな人いるならその代わりでもいい。道具扱いされても我慢する。絶対文句なんか言わない。ちゃんとするから、嫌わないで。身体……そうだ俺の身体! 好きに使っていい! 好きに使っていい! 俺の体見て! 結構評判いいから! いつでも! 呼ばれたらすぐ来るし帰ってほしかったらすぐ帰る! お願い。痛いのも何でも緋奈さんの好きにしていい。太ってるのが好きならいくらでも太るし、がりがり痩せてるのが好きならいくらでも痩せる。どこにでもピアス開ける。切っても! 緋奈さんの望む身体にする。性格、性格も、好きな性格言って! そうするし 髪型だって好きにしていいから、何色にでも染めるから! 着る服も全部緋奈さんの好きでいい。顔だって変える! 整形するから! 緋奈さんが望むならおっぱいだってつける! 緋奈さんの望み全部叶える……! 子供出来たら俺がちゃんと育てる! 認知してとか言わない! だから俺の傍にいてっ……! 離れないで……!」
言葉の羅列に頭痛がしてじっと滝永さんを見下ろしていると、彼は視線を彷徨わせ、胸ポケットから手帳を取り出し、私に見せつける。
「これも、これもちゃんと捨てる! 緋奈さん手帳!」
そう言って開かれた手帳の中には、どうやら私と思わしき人物のデッサンや、仕草のメモが手帳一面をびっしりと埋め尽くすようにして記されていた。滝永さんの手からそれを手に取ると、ほかのページもポージングや表情は違えど同じように私が、様々な服を着て描かれている。
滝永さんの言葉もこの手帳もおかしい。まるでそれじゃあ姉ではなく、私を好きみたいじゃないか。
「なんで私なんか描いてるんですか」
「えっ、好きだから……? この時まだ知り合ってないころで、写真勝手に撮ったら駄目だし、追いかけたら怖がらせると思って、それで、初めて会った時の緋奈さん思い出して、どんな表情するのかなとか、想像しながら描いてて、また会えてからは、緋奈さんの仕草とか、癖とか、メモしてて、そうすると緋奈さんが集まってくるみたいで、嬉しくて…… へへ」
「知り合った頃っていつのこと言ってるんですか?」
「去年の、ファッションショーの時……控室で、じっと黙ってるところ見てて、何となく気になって見てて、そうしたら、緋奈さんのお母さんとかお父さんとか、お姉さんが緋奈さんの周りにきたら、ぱっと笑ってて、その笑顔見て、うわ好きだなあって思って」
昨年の、ファッションショー。私は姉の晴れ舞台を見るために両親と共に会場へ行った。すると姉が控室にいて、色々私に案内をしてくれて、私は邪魔にならないよう黙っていた。でも私は、滝永さんに出会った記憶もないし、話を聞くに接触もしていなかっただろう。
「それまで、心なんてないみたいにぐって黙って、俺に対しても敵意むき出しって感じだったのに、家族に対して、すごく柔らかく笑ってて、どうしても笑顔が見たくて、好きで、好きでって思って、でも調べたら緋奈さん男嫌いって聞いて、だからどうしようか考えて……、嘘つきました。ごめんなさい。この手帳も、ちゃんと捨てる……。緋奈さんが気持ち悪いって思うなら、ちゃんと捨てるから、だから嫌わないで。いくらでも罰は受けるからぁあ」
この人が好きなのは、私なのか。
私を騙して、姉に近づこうとする最悪な人種だと誤解してしまったけれど、そういう考えは、持っていないようだ。いやでも、いい人でもないような……。人を騙して人には近づいているし、というかむしろ、かなり危ない人のような……。
「あ、あ、俺の言葉、信じられないか! あ! い、今あそこの車に飛び込んで、ちゃんと罰を受ける気があること証明してくる!」
「待ってください、それは駄目です」
「え、ええ……じゃあどうしよう、どうすれば……あっ、靴舐めようか? 靴! ちゃんと靴の底舐める!」
「それも結構です……。というか私は、滝永さんがてっきり姉目当てで、私に近づいたのだとばかり……」
「へっ?」
滝永さんは、目に見えて狼狽えた。そして青かった顔色を、さらに青く……もはや白くなるほどに変えていく。
「あれ、じゃあ俺の気持ちわかったって、俺が、お姉さん目当てで近づいてきたって、思っての言葉……?」
「はい」
「え、え! 本当!? 俺が、女慣れしてないふりして緋奈さんにプロポーズ申し込むとか、緋奈さんの両親にさりげなく会って外堀埋めて見合い出来るようにするとか、そういうこと聞いてなかったの!?」
「今聞きました……」
「えええええ」
滝永さんは、絶望したような表情をして項垂れる。というかプロポーズって何。両親にさりげなく会うとか何? 今まで打算にまみれて私に近づく人間を沢山見てきたけど、ここまで打算打算で動く人間は初めてだ。完全に発想が人間としてのそれと次元が違う。
「ば、ばれちゃったなら、言っちゃうけど……お、俺、俺、緋奈さん好きなんだ……結婚して……」
「いやその前に付き合ってないですよね」
「じゃあ付き合って!」
「それは……まだ、出会ったばかりなので……」
滝永さんを宥めるように言ってから、自分の言葉の意味に気づく。まだ、出会ったばかり。さっきまで私はこの人を最悪な人間だと考えていたけれど、もう今私は許そうと、してる……?
「俺のこと一生許さなくてもいいから結婚してほしい……今好きな人いないなら結婚してほしい。付き合ってほしい……嫌わないでほしい」
「いや……」
ずるずると、鼻水をすすりながら、滝永さんは私の足に縋りついて頬ずりをする。物腰のわりに腕はしっかりと足に絡みついていて、離れそうもない。
「と、とりあえず、お友達からで……」
「それは体のってこと……? 心の……?」
何だろうこの人、根本から常識が違うのだろうか。そういえばこの人は、かなり女の人と遊んでいたような話をしていた。そこから常識のズレが来ている……とか?
「心だけので……」
「その友達って、将来的に結婚できる……恋人にしてもらえる友達……? うっかり体の友達になって疎遠になったりしない……?」
「はい。あの、電話したり、予定が合えばご飯を食べる、みたいな、健全な方で……」
「それって、プラトニックな恋人同士と、違わないんじゃないかな……ねえお付き合いは駄目……? 俺緋奈さんが誰かとお付き合いする可能性残ってるのやだ……やだよ……ねえお願い……お願い付き合って……付き合ってってば……俺の事緋奈さんの彼氏にしてよお…… お願い……」
どうしよう。話が通じる気がしない。この人は女遊びのし過ぎで狂っているのか、元からなのか判断できない。姉は周囲の目が自分に集中した結果、暴力に狂ったけど、もしかしたらアクション映画が姉に無かったら、姉はこういう風になっていた……?
「あの、知り合ったばっかりですし、お付き合いはちょっと……」
「知り合ったばっかじゃない……手紙何回も交換したじゃん……平安時代ならもう結婚じゃん……どうすれば知り合いになれる……? 俺分かんない……付き合ってもいい知り合いっていつになったらなれるの……分かんないぃ……」
哲学を、問われている気さえしてくる。確かに付き合う知り合いって何だろう。自分でもどうしていいか分からなくなってきた。でもとりあえず今日ではない。うん。今日ではない。
「何で今日じゃ駄目?俺何かすると思われてる?緋奈さんが嫌なら触らないしなんならこれ切り落とすから!」
そう言って、滝永さんは自分の下半身を指し示す。……良かった。この場に人がいなくて。危うく大惨事が起きるところだった。しかし私が沈黙しているのを滝永さんは了承と捉えたらしい。「はさみ……」とぶつぶつ言いながら鋏を鞄から取り出す。
発想が新人類すぎてついていけない。姉が暴力への衝動に感情を全振りしているだけで、顔のいい人間は皆こんな感じなのか……?
私は鋏を取り上げながら滝永さんの前に立つ。そして混乱する頭に少し眩暈を覚えていると、彼は畳みかけるように私に懇願する。
「ねえ、お願い! お願い付き合って!」
……あれ? さっきまでの要求は、嫌わないでだった。要求が秒単位でエスカレートしていっているような……?
「いや付き合うのはちょっと……」
「お願い、お願いお願いお願い、何でも、何でもするから」
「じゃあ……しばらく待っていただければ……」
「しばらくっていつ!? 待ってれば本命にしてくれる!?」
「えっとあの、ご縁があれば……」
「それって彼氏ってことでいいの? いいよね!?」
何だろう、いま、振り込め詐欺で言いくるめられることを体感している気がする。
「それは……ちょっと……違くないですか」
「違くない、違くない! 違くないって! 嬉しい! 夢みたい! 俺緋奈さんの彼氏だ!」
「いや……」
「彼氏だって! だって緋奈さんがしばらく待ってって言ったんだから俺は緋奈さんの彼氏になれるんだ! 嬉しい! すごく嬉しい。これからずっと一緒だね。大学も迎えに行く! 朝も大学まで送っていく! あっ両親にご挨拶させて! 嬉しいなあ。俺の部屋、緋奈さんスペース作るからいつでも泊りに来てね! 俺緋奈さんに何されてもいいから、何頼まれても嬉しいから何でも頼んで! でもほかの男との仲を取り持つのは無理……だって俺が緋奈さんの彼氏だし……ねえ、俺緋奈さんの彼氏になれたってことは、いずれ結婚もしてくれるってことでしょ? 俺のこと緋奈さんのお婿さんにしてくれるんでしょ? そうだよね? そうに違いないよね? 嬉しいなあ。仕事休みの日は一日中くっついていてもいい? 朝は緋奈さんの声を聴いて、一日ずーっと一緒に居られるなんて、ああ早く結婚したいなあ! ねえ、ねえ! ねえっ! お墓もだ! 死んだらお墓の中でも一緒だ! すごい! お墓も一緒だ! そうだ今度デート行こうよ! 墓地の散策しよ! 緋奈さん希望ある? やっぱり景色がいいところがいい? それとも落ち着いたところがいいのかなあ? 海が見えるところとかもいいよね? なんなら海外でもいいよね? 緋奈さんの好きな場所決めていいよ! 緋奈さんの終わる場所が俺の終わる場所だから! 嬉しいなあ嬉しいなあ! 俺今日から緋奈さんの未来の旦那さんだ!」
そう言って、滝永さんは目を爛々と輝かせる。しかしその目の奥はびっくりするくらいに深い沼のように見えた。
なんだろう。私は、男が嫌いだ。憎んでいる。そしてそれは滝永さんのおかげで変わってきていると感じていた。でもそれは、違くて、実際は滝永さんという新人類と交流をしていただけなのかもしれない……。
とりあえず一歩後ずさると滝永さんは私を掴む腕の力を強めた。その拍子に彼の手帳が地面に落ちてしまう。
「これ落ちまし……」
慌てて拾おうとして、絶句した。服のデザインが描かれていたページのそのまた次のページには、さっき見たページと同じように私が描かれている。
でも、服を着ていない。
「結婚しよう!結婚!」
私は言葉の羅列と膨大な情報量に頭がくらくらしながら、ぎこちなく首を傾けた。
◇◇◇◇
「えー、滝永さん、彼女いないのー?」
「いないいない、生まれてから一度もいないよ」
アップテンポの曲が流れる中で照明が落とされたフロア内、皆躍ったり良さそうな奴を口説いてみては、好き勝手に騒いでいる。
それらを横目に今日の女の子と適当に会話を交わしていれば、今日の主催者が俺の肩を組んできた。
「駄目だよタキの言う彼女いないって、本命がいないってことだから! そーいうお友達なら途切れてないっしょ」
「あっ、ちょっと今本気になりそうな子とお話してるんだからやめてくださいよー!」
げらげらと大げさな身振りで笑う。遊ぶのは好きだ。金も巡るし女も巡る。遊んでまた取り替えてと飽きることがない。俺の性に合ってるんだと思う。
世間では恋だの愛だのが美化されてるけど、結局自分の欲求を綺麗に言いやすくしているだけだ。彼女とか結婚とか怠いだけ。ハッピーエンドのその先なんていらない。
相手を決めずともこんなに自由に生きていけるのに、自分から縛られに行くなんて狂ってると思う。
「ねーあっちのほうで飲もうよ。もっとちゃんとした話したい」
囁やけば女は「……うん」と俺の服の裾を掴んだ。本当にちょろい。
もう少し落としがいあるほうが面白いけど、顔も身体も好みだし最近は「男遊びもう飽きてきたかな?」みたいな年上ばっかり相手してたから、まぁまぁ新鮮だ。
俺は名前も知らない、そしてこれから先会うことない女の腰を抱きフロアの外れへと向かっていった。
◇
「お前だけはは変わらず絶好調だなあ!」
やることやって、少し飽きた気持ちでフロアへと戻ると、主催者が呆れ顔でこちらを見てきた。酒の入ったグラスを受け取り一気に飲み干せば、火照った身体に冷たい酒が流れていって気持ちがいい。さらに一杯注文していると主催者は俺の隣に立ちフロアを見渡した。
「本当にもうお前が命綱だよ、見てみろよ」
主催者に言われ周りを見る。前はひしめき合って互いの顔すら見づらいくらいゴッタ返していたけど、今は所々間が空いている。
「和泉と砥庭狙いの女が消えた今、本当お前狙いの客で持ってるようなモンだよ、るなも彩もいねぇから男も少ねえし」
親戚の和泉は、社長とか開業医とかスペック高い女十人くらいを選抜して、キープしていた男だった。
でもある日突然全員切って、自分より六歳年下の女子大生に入れ込み始めた。その彼女と同棲を始め結婚の予定を立てている。今まで年下なんて眼中になく、女から結婚を匂わされるたびに切ってきた男だったのに。
その次に美容師をしている砥庭に彼女が出来た。とりあえず寝てから相手と話をするか決めたり、彼女が出来たら出来たでその友達、姉妹とも遊ぶような男も結婚を考える相手が出来たらしい。
しかもこっちも女子大生だ。今まで三人で楽しく女で遊んでたのに、二人共価値観が完全に変わり話をしていてもつまらなくなった。
「お前彼女作るなら言えよ? 売り上げに関わるから」
「一生ないですよ。俺何でも楽しみたい派なんで」
「本当かよ。砥庭も同じこと言ってたぞ」
「いや実際、どんなに美味しくても同じもの食べるのキツくないですか? ずーっと同じもの食べ続けるなんてもう修行じゃないですか?」
正直な話、和泉も砥庭も終わってると思う。
彼女なんか作ったら飽きるし、浮気したら責められるとかマジで無理。結婚したら不倫とか名前が変わって、今度は金とられるとか恐ろしい法律まであるし。浮気なんて当たり前のことなのに。
「俺どんないい身体でいい顔でも三日続けたら飽きる自信ありますよ」
「それが飽きないんだよ。好きな女だの男だのが出来たら。って言ってたぞ二人とも」
「そんなん都市伝説ですよ? 同じものずっと好きでいるとか無理! あー、でも一日単位で顔変えてくれたらギリ女も飽きないかも……? おっぱいはデカければデカいほどいいから、顔変えるならおっぱいもやってほしいな」
「お前本当クズだな」
「ええ?、賢いって言ってくださいよ」
「賢い奴は自分のこと賢いって言えなんて頼まねえよ」
「はは確かに」
またグラスを飲み干し、カウンターに置く。中央で踊っている女たちを値踏みしていると、そのうちの一人と目が合った。
軽く首を傾げ合図をすると女はゆっくりとこちらに向かって歩いてくる。
「言ってるそばからお前は」
「ほら、俺って、据え膳まるっと頂いちゃうタイプなんで」
へらりと主催者と軽口を交わして、ダンスホールへと向かっていく。この女はどんなふうに俺を楽しませてくれるのだろうか。
会場内に流れる曲とともにテンションが上がるのを感じながら、俺は万人に好まれる笑みを浮かべた。
◆◇◇◇
「この通り!この通りだから紹介して!和泉の彼女の友達!」
「晴ちゃんの友達はどうでもいいけど、友達経由で晴ちゃんに滝永病うつりそうだから無理」
「何でも!! 何でもするからこの通りだから! どうかこのとーりぃっ!」
開店前のレストランで、店の主人でもある親戚の和泉に土下座する。何故なら俺はファッションショーで運命の女に出会ったからだ。
冷たそうな地味顔で「男嫌いです」「イケメン嫌いです」「恋愛なんて興味ないです」なんていかにもつまんなそうな女だったのに、その子が家族と楽しそうに会話をし笑顔を浮かべた瞬間、俺は直感したのだ。
この子が俺のお嫁さんになる人だと。
その子の姉はモデルあがりの女優、松戸円。芸名を使用していないことで有名だったから、妹だって松戸だ。
しかしここで問題が発生した。松戸円は人と群れることを絶対にしない。事務所はわりとゆるいはずなのに口説こうとする人間は消える。さらに本人も人を拒絶したような性格をしているし、ロボみたいな感じだ。姉経由で俺の運命の女の子と接触することは不可能だった。
だから俺は、興信所を使って俺の運命の女の子について調べてもらうことにした。正直相手は運命の女の子なのだから、素性くらい脳内にびっと伝達してほしい。
でも相手は芸能人を家族に持つ家で調査は難航した。そんな時だ。
親戚の集まりに顔を出すと、和泉が自分の彼女をおじさんおばさん連中に自慢していた。その時、和泉の彼女と俺の将来のお嫁さんが一緒に写っている写真を見つけたのだ。
「もう本当に綺麗だから! 調べたから! 体の隅々まで病院で!」
「家の中の菌は増殖してる」
「いやだからもう女用の部屋は解約したから!!!!」
俺の言葉に、和泉は胡散臭いものを見る目をこちらに向ける。もういい。手段なんて選んでられるか。脅迫だ。脅迫するしかない。
「……晴ちゃんって子に和泉が遊んでた頃の話バラしちゃおうかな?」
「その前にお前をバラすよ」
「頼むってマジで! 俺の運命だから俺が幸せにしなきゃなんだって」
「お前の幸せは、晴ちゃんに関係ない」
「じゃあ俺がその晴ちゃんに頼みに行こうかな」
「その前にお前を晴ちゃんに会いに行けなくさせるから」
和泉は肉叩きを握りしめ、静かにこちらを見据える。しかし俺も自分の運命がかかっている。黙って見返すと奴はしばらくしてため息を吐いた。
「晴ちゃんに友達連れて店に来てもらうから、うっかりそこで二人にさせるとかでいいか」
「いやそれは困る」
「は? 殺すぞ」
俺の言葉に和泉は眉間にしわを寄せた。彼女とはもちろん会いたい。でもこの店で会うのは少し良くない。調べたところによると俺の運命の女の子は男を本気で嫌っているらしい。過去の男がいないことは嬉しかったけれど、このまま近づいても警戒されてしまうだろう。
「俺は、すっげー女苦手っていう感じで行くから、女慣れに協力してほしいっていう感じで紹介してほしいんだけど」
「面倒くさまわりくど死ねよ」
ぼそっと和泉は悪態をつくと、「じゃあ早めにくっつくよう善処して、死ぬ気で行けよ。そして晴ちゃんには関わるな」とこちらを睨み付けて仕込みを再開する。
そうして俺は和泉の協力をとりつけ、清々しい気持ちで店を後にしたのだった。
◆
「今日入籍したいんだけどどうすればいい?」
緋奈さんと女慣れしてない滝永として出会い、とうとう対面することになったけれどその破壊力は凄まじいものだった。
もう結婚したい気持ちが溢れて止まらない。俺がデザインをした服に身を包んでいるところも胸を締め付けるポイントだ。もう緋奈さんの顔しか見たくない。今すぐ結婚したい。だから俺は彼女と和泉の店に向かうと、俺はすぐに席を立ち結婚したての奴に問いかけたのだ。
「いきなり何? 死ねよ」
答えは無情なものだ。しかし俺はへこたれることなく質問を続ける。
「っていうか付き合うってどうやってすんの? 付き合って〜いいよ〜でちゃんと付き合うわけ? 寝ないで?」
「そう」
「だって口約束でしょ、安心できなくない? 女慣れしてないふりしてお付き合いすっとばしてプロポーズしたら結婚してもらえる?」
和泉は、面倒くさいのだろうか。俺の答えに対し鼻で笑う。
「その前に親とさりげなく会えばいいだろ」
「なにそれ」
「親にいい印象持ってもらって悪いことないし。結婚したら家族になるし、今のうちから仲良くしたら。おいおいお見合いとかセッティングしてもらう布石にすれば」
「仲良くってどうすんの? 金払えばいい?」
緋奈さんの親と、仲良く……したいけどどうすればいいか分からない。どうすれば人は仲良くできるんだろう。貢ぐとか……? 今まで俺に近づく女は皆そうやって気を引いてきた。俺は軽く話をするとか飲みに行くとかそれくらい。
でも緋奈さんは酒飲めなそうだし、俺も飲めないキャラでいっちゃったし……考え込んでいると和泉は大げさにため息を吐いた。
「お前テンパりすぎだろ。童貞じゃん完全に、そもそも今日告白をするんだろ? すっとばしてプロポーズとか何がしたいわけ? 不審者だろ」
だって緋奈さんが可愛い。あの子の顔を見ているとどんな話をしていいか分からなくなって頭が真っ白になる。
演じていたはずの女慣れしてない滝永が、本物の滝永……俺になりつつある。あの子を前にすると言葉が本当に出なくなる。その割に汗ばかり吹き出す。
「今日決めるんだろ?何その汗。今からそんなんでどうすんの?」
「うるさいな……こっちは今お取り込み中なんだよ」
「ならお前絶対この店のトイレ使うなよ。汚いから。ここ出て1キロくらいのところに公衆トイレあるからそこ行って」
「この店のトイレ汚いの?」
「違え。お前が汚いからだよ。絶対ゴソゴソすんじゃん」
「貸してくれよ。今日いちばん大事な日だぞ。今までこつこつこつこつ築き上げてきた信頼関係が崩れたら嫌じゃん。えっこのタイミング⁉︎とか思われたらどうすんの? 死ぬしかなくない? お前の店事故物件にしてやろうか?」
本当にどうしよう。今まで電話をしている限り、俺に対して嫌な印象を持ってはいないはずだ。でも今日好きですなんて言って、そんなつもりじゃなかったと思われて嫌われたら終わる。本当に生きていけない。駄目だ死にたくなってきた。
「これで実は彼氏いるとか言われたらキツすぎじゃない? 無理でしょ絶対無理だわ死ぬわマジで考えただけで気持ち悪くなってきたしもう無理だわ腹痛い。下半身すべてが痛い」
「片腹?」
「いや違うし愉快なほうじゃねえよバカ本当バカ。マジで今までどんな思いでお手紙交換やってきたと思ってんの?」
「確かにお前とは真逆の人格を演じてるよな。笑える。女とっかえひっかえして、最終的に顔さえ悪くなければ金払ってくる女と遊び倒したお前がそんな頑張り見せてくると思わなかったわ。賭けで負けたからテレビ局紹介しないと」
和泉は意味のわからないことを言う。テレビ局って一体何のことだ?
「なに……なんの話? つうか他人事だと思ってさっきから何なのお前」
「だって他人事だし。っていうかここまでお膳立てしたんだからもう俺と晴ちゃんに関わって来るなよ」
「まぁ、今回上手くいったらな。っていうか本当に、松戸円の妹だなんて思わなかった……。あんな近くに運命ってあるんだよな……なんか震えてきたわ」
緊張で頭がおかしくなりそうだ。貸し切りが出来るとはいえ和泉の店に食事をする場所を選んだのはミスだったかもしれない。緊張で吐きそう。
頭を押さえていると、がたんと物音がした。
目を向ければ部屋の入り口付近に緋奈さんが呆然と立っている。その表情はやがて嫌悪に染まり彼女は一瞬にして踵を返した。
「緋奈さん!?」
去りゆく緋奈さんを慌てて追いかける。
今、彼女は俺を嫌悪した目で見てきた。嫌われた。話を聞かれた。どこまで聞かれた? いや、どこまで聞かれたかなんて関係ない。俺の前から去ろうとしていることがすべてを物語っている。
猛烈に頭が痛くなって死にたくなった。頭の中がぐちゃぐちゃになって耳鳴りがするのに、他の音は世界から消えている。
嫌だ。緋奈さんを失いたくない。誰にも奪われたくない。俺だけを見ていてほしい。手に入れたい。
今までずっと、ずっとずっと手紙だけで我慢してきたのに。やっと会えたのに。
なんであの子は俺の元を去るんだ? 運命のはずなのに理解できない。理解したくない。俺は、どこで間違えた? 俺は嫌われた。どうすれば挽回できる? どうすれば元に戻る? どうすれば好きになって貰える? どうすれば俺と同じ想いをあの子は俺にも向けてくれる? どうすれば。
何をすれば。
身体からどろどろとしたものが溢れていくのを感じる。この感情は何だろう。とにかく緋奈さんの元へ行かないと。
俺は去っていく小さな背中を追い、ただただ夕焼けの中を疾走した。