大丈夫だよここなちゃん
暴力
虐待に関する表現があります。
投稿→完結済みの「トワのキッチン」のすばるくんと同一人物+すばる視点です。(あちらは童話タグなので未描写です)
僕の名前は朝日昴。
名前の由来はプレアデス星団と呼ばれる星の名前、そして枕草子の記述から。
そういう説明をすると、お母さんとお父さんが一生懸命考えてくれた名前なんだねと愛され感が出るものの実際は少し違う。
名前をつけたのは父方の祖父母だった。父方の祖父母は教育熱心で息子を厳しく教育した。激しい暴力を伴いながら。
表向き優秀で評判もいい息子に育ったが、両親にすべて管理されたうえで出来上がった完成品。自我はなく暴力と教育と愛情は同じものだと誤認した結果、時代錯誤な見合い結婚の果てに僕が生まれ、自分にされたことと同じことを、正しい子育てとして模倣した。
母親は僕を連れ逃げようとしたところ、父親は浮気を疑い興信所に監視を依頼した。しかし、ここで運命の巡りが訪れた。興信所の探偵は父親が暴力を振るう男と見抜き、父親を裏切り僕と母親を逃がしたのだ。
だから、僕は中学生になることができた。それまではテストで悪い点を取ると冬場、ベランダの外に出されていたり、夏場は甘えだと水分なしで勉強をさせられていたので、たぶんあのまま父親と一緒に過ごしていたら死んでいたのだと思う。
お母さんもだ。お母さんはお父さんに何度もぶたれて蹴られていた。僕がベランダの外にいる間、お母さんはずっと殴られてる、みたいな。そういうのが「いつも」だ。
ベランダの窓を叩いたり外の人に助けを呼ぶと、「お前殺すしかないよな、警察来たら父さん悪者にされるもんな。だからもう母さん殺すしかないよな、な、お前のせいだからな、お前が悪いんだからな、お前が出来ないからな」とお父さんが包丁を握るので、何も出来ない。
だから多分、僕には普通に持っているものを持ってなくて、持っていたらいけないものを持っている。父親から逃れるため、探偵さんの協力で転校した後、あんまり話さないほうがいいなと思って黙っていた。
「すばるくんスタパルって知ってる?」
学校で読書をしていると、隣の席の女の子が話しかけてくれた。名前は真昼ここなちゃん。アイドルが好きな女の子で、鞄にはスタパルと呼ばれるアイドルのキーホルダーがついている。スタパルは5人組のアイドルグループで真昼ここなちゃんが好きなのは星森トワという一番人気のアイドルだ。
「知らない」
僕は首を横に振った。真昼ここなちゃんの「知ってる」と僕の「知ってる」が同じか分からない。
「興味ある?」
「ない」
興味ある……と答えて、じゃあすたぱるのこれもいいよ、あれもいいよと紹介されても、好きになれる気がしなかった。
だってアイドルは可愛いから好きになるものだと思うし、スタパルのアイドルはアイドルだから可愛いのだろうけど、僕が一番可愛いと思うのはここなちゃんだから。おすすめされてもあんまり、好きになれない気がする。多分ここなちゃんが求めているのは僕がスタパルファンになることだろうし。
「すばるくんお話するのすきじゃない?」
「普通」
と答えるけど、本当はすごく苦手だ。相手が望まないことを言ってしまったらと思うと怖いし、ここなちゃんは僕が変なことを言ってもぶったり蹴ったりしないと分かってるのに、ぶったり蹴ったりしたくなるくらい嫌な気持ちにさせるのかな、とよぎると、途端に喉の奥が絞られて唇が重くなる。
お話しするより、ここなちゃんがスタパルのどこが好きかを、ただラジオみたいに聞くのがいいな。
そう言えたらいい。言えるわけない。でも僕はここなちゃんの隣の席。読書をしているとここなちゃんがスタパルの話を誰かとしているのが聞けるので、楽しい。
席替え、一生無くなればいいのに。
◇◇◇◆
放課後のこと、僕は席替えのくじ引き箱を壊した。
悪気はない。掃除の時間に、黒板消しクリーナーを掃除していたら、その横にある席替えのくじ引き箱に落としてしまったのだ。そばにいた先生とここなちゃんは僕が怪我をしてないか心配して、先生もここなちゃんも僕の服についたチョークの粉をはらって、ぽんぽんしてくれた。
これより重いレンガみたいなので頭ゴンされたこともあるので大丈夫です、という成功体験を語ろうか悩んだけど、やめた。レンガで頭ゴンされて死ぬこともあるので。
ここなちゃんと先生に、ゴンされても大丈夫と思ってほしくない。僕はずっとそういう扱いだったけど、ここなちゃんと先生は違う。そもそもぶたれてほしくない。
心配なんかいらないけど、心配してくれて嬉しかった。父親は心配してくれたことがなかった。母親は心配してたけど助けてくれなかった。どっちがいいんだろう。
先生は「くじ引き箱は大丈夫、資源削減だし、今度から黒板に書くよ」と言った。僕が壊したものだけど、いいのかなと思う。資源削減って、これから減らすってことでもうあるもの無くすことじゃない気がするし。でもやめた。壊した僕に言う権利ないし、先生は僕のフォローをしてくれてるから。
『カレー大好き‼ 小学校の頃、給食がカレーの日は、四時間目からソワソワしてた‼ 余ってたらおかわりもしてたよ‼ みんなはどう?』
その日の夜、ここなちゃんの好きなスタパルのトワが、ネットでカレーの話をしていた。
コメント欄はファンの応援と、皆が見たら悲しむ、スタパルのトワが大嫌いな人間でも、それはやめなよと思うような画像が意味もなく貼られていた。
僕は匿名アカウントを5つ使って通報した。1時間後、確認するとそのコメントは消えていた。ここなちゃんが見ていませんように、と祈る。
◇◇◇◆
カレーの翌朝、ここなちゃんが挨拶してくれた。会釈で返した。今日も可愛いなと、視界に入れないようにしていたら最悪が起きた。教科書を忘れたのだ。
「この問題は、昨日やった問題の応用なので、教科書を見てもいいですよ」
授業中、先生は言うけど、見れない。そもそも苦手な授業だったのでなすすべもない。シャーペンすら持つ気力がわかなかった。テストの点が悪いと、いつも怒られた。夜、ずっと。眠れなくて学校でつい寝てしまいそれが続けば、先生から家に連絡があってお母さんと僕が怒鳴られる。
「すばるくん」
ここなちゃんに声をかけられた。すごく喉が苦しくなって、お腹がぐるぐるしてきて気持ち悪い。出来ないのを知られたくない。僕が役立たずってバレたくない。どうしようもないやつだって嫌われたくない。
「……」
「教科書忘れちゃった?」
「いや、別に」
答えるとここなちゃんは不思議そうにする。もう僕を一秒だって見ていてほしくない。授業が終わると、すぐに教室を出てトイレで吐いた。
◇◇◇
もう二度とここなちゃんと話せないかもしれない。というか話したくないかもしれない。ここなちゃんは悪くないのに。そう思って翌日登校すると、ここなちゃんに声をかけられた。
「あ、すばるくん、おはよ」
「……ども」
ちゃんと言葉を返せてホッとする。よかった。ちゃんと僕はここなちゃんに挨拶が出来た。
「ちょっとお話があるんだけど、いいかな?」
なんだろう。ついて行ったほうがいいんだろうな。僕はここなちゃんについていく。しばらくして暗い場所に連れていかれた。少し安心する。明るい場所より、こういう場所のほうが、なんか、僕らしい感じがする。
いつも閉じ込められてたし。そういうことされた人間は、嫌な記憶がある場所に拒否反応を覚える相手と、逆に近づく人間がいるらしい。僕は圧倒的に後者だ。
「ね、すばるくん。昨日のことなんだけどね」
「うん」
「教科書さ、すばるくんに見るって聞いたの? やだった?」
一番、嫌なことを聞かれた。頭のてっぺんのあたりが、ぐっと何かが突き刺さったみたいに痛んで、身体からふわっと全部抜けていくような錯覚に陥る。怖い。苦しい。もう嫌だ。逃げたい。何にも見られたくない。
「いや……別に、なにも……」
「私、すばるくんの嫌がること、したくなくて。その、き、嫌われちゃったのかなって、思ってたんだけど……」
「え」
僕が、ここなちゃんを嫌い?
そんなわけないのに。僕を嫌うのはここなちゃんのほうで。
「あのね、教科書見せてもらうの、苦手な人もいるって聞いたんだ。相手に悪いよーって、自分のこと、責めちゃうって。昨日のすばるくんって、そうだったりした……?」
「……っ」
なんで分かったんだろう。責めるというか、僕が悪いことなのに。
「ま、まぁ、だって、忘れた俺が悪いし、自己責任だし……もう小学生じゃないのに、良くないし」
「うーん。でも、教科書見ないと、困らない?」
「うん。だから、ちゃんと困って、次、忘れないようにしないとだし、真昼さんは、忘れてないんだから、巻きこんじゃ駄目だし」
「私は、一緒に見たいな。それに私も忘れちゃうことあるし、そうしたら……すばるくんに借りたいもん」
ここなちゃんは、僕の目を真っすぐ見つめてきた。慌てて逸らす。普通に、ここなちゃんが教科書忘れたら貸すけど……。
「私は、教科書ナシにしちゃうと、テスト本当に駄目になっちゃうし。だから、すばるくん今度教科書忘れたら、一緒に見よ」
「わ、分かった……」
確かに、ここなちゃんが教科書ナシは、だめだ。僕は慌てて頷く。
「良かった! ありがとうすばるくん」
「べ、べつに、俺何にもしてないし」
「でも、お話しできて嬉しかったから」
「な、なんで?」
「だって嫌われてたかもって思ったし、すばるくんあんまり喋んないし」
「そ、それは普通に……喋るの苦手って言うか、む、無口だから」
それは、ここなちゃんの楽しい話とか、出来ないからだ。ここなちゃんの話を聞いているのが好きなんだ。家の会話とか気になるし。家でどういう話してるんだろうなとか、気になる。塾とか行ってるならそこではどんな話なんだろうなとか。透明人間になれたら、多分僕はずっとここなちゃんのそばにいる。それ以外に気になることないし。
「ごめん、話しかけちゃったの、きつい……?」
「そ、そういうのはない。お、俺面白い話、出来ないよってこと。普通に、なんか、ガッカリさせるって言うか、じ、時間を無駄にするというか」
「そんなことないよー! それにおしゃべりは、誰かを楽しませるものじゃなくて、相手のことを知るツールって、トワも言ってたし」
「トワって……あ、スタパル?」
「うん、知ってるの?」
ここなちゃんは目をキラキラさせた。知ってる。ここなちゃんが話をしたから。でも、ここなちゃんの期待には沿えない。ここなちゃんの一番はスタパルのトワで、多分僕にもそれを求めているんだろうけど、僕は違うから。
「テレビ出てるなーと思って。あと、教室の人たちも話してるし」
「うん。そのスタパルのトワって子……ピンクの衣装着てる子が言ってたんだ」
「へぇ、そ、その子が好きなの」
「うん! 私トワ推しなんだ!」
「推し……推しって何? 最近よく聞くけど……好きとどう違うの」
ここなちゃんは結婚したいのだろうか。スタパルのトワと。推しと好きの違いがよく分からない。
「うーん……好きな人を推しって言う人もいるけど」
「真昼さんは違う?」
「うん……なんか言いづらい、かも」
「そっか、じゃあ、分かったら教えて」
そう言うと、ここなちゃんは「わかったー」と明るく返事をした。ここなちゃんとお話しできて良かった。最初はどうなることかと思ったけど、良かった。
ここなちゃんがもしトワと結婚したかったら。
頑張ってトワの家を調べて、ここなちゃんに教えてあげたい。僕はここなちゃんを幸せにできないけど、トワは完璧アイドルって言うし、何とかできそうだから。
そうしたら、ここなちゃんに恩返しできるよね。
僕は去っていくここなちゃんの後姿を見つめていた。




