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今際の前提条件

 御上さんが代表に話をしろと言ってきた。


 御上さんは前任と揉めて俺が担当するようになったけど、その前任の制作を簡素なA4にまとめ、この制作が前任の記憶と齟齬がないか、齟齬が無い場合、その制作を見てもその後自分が自由に書いて問題ないと思うか代表に問え、というものだ。


 ややこしい。


 御上さんと前任──保流の制作は、まぁ……保流さんならそうなるよなぁ、というものだ。基本的に保流は次々ランキング上位の作品に打診し、フォロワー数が多く他社で活躍中のイラストレーターに打診し、次々新作企画を立ち上げる。


 社歴も長いし、明るく人懐っこい上司だ。ただ、かなり主人公的というか強引なところがあり、熱血主人公を地で行く雰囲気がある。


 編集部でMBTIがすごく流行っていて、ENFJ──主人公っぽいなと思っていたら、ENTJでびっくりしたけど、確かにリーダーって感じだもんなぁ、と思ったくらいだ。


 だから、御上さんとは死ぬほど相性が悪かったのだろうし、どちらも多分理想が強いタイプ。お互い濃すぎるがゆえに、ぶつかり合ってしまったような気がする。


 というのが、まぁ、一般論としての意見。


 でも、そこそこ引っかかるところはある。


 保流が御上さんに希望を聞きはするものの、御上さんが答えても、元々保流の用意していた希望を通そうとする感じが、露骨だったりとか。


 ビジネスのテクニックとして相手にヒアリングをしつつ自分の想定した方向に持っていくテクニックはあるけど、それが強引というか。


 そういうところが積もり積もってなのかな、と個人的には思った。あと、保流は色んな人に仕事を任せる。頼りにされるのは嬉しいし勉強になるけど、あれもこれもと渡される一方、保流は自分の好きなことをして結果を出して、俺って何してんだろって思うこともあったので、相性論で片づけづらいな、というのも正直、ないわけではない。


 でもそれはそれとして御上さんの目的が分からない。


 一応、確認するとは言ったけど目的が読めなかった。


 色々自我を殺せとか言ってしまったものの、6月からずっと、好きに書いたほうがいいとは言ってる。


 会社で問題になるなら、そもそも俺は好きに書いてなんて言えないし、保流が濃すぎただけで、御上さんの個性を会社で殺そうとかは思っていないし、御上さんもたぶん、心のどこかでは分かっているはずだ。


 だから……意味あるのかなぁと、とりあえず代表に通してみたものの、モヤモヤしている。


 御上さんは何が目的なんだろう。


 わざわざ聞くことではないだろうに。何の確認が欲しいのか。


 それに好きなものを好きに書くのが御上さんなんじゃないのか。何を言われても、自分の信念を貫く、みたいな。保流の時は、そうではなかったけれど……でも今の担当は、俺だし。


 一時は、確かに自我殺せとか、他の先生の名前出したけど、そういうのも全部分かってる風な小説も御上さんは投稿してたし、分かってるんじゃないのか?


 なのになんで確認?


 聞いてみたいけど、聞けない。聞いたときの答えが怖いし、理由を一切言わないのなら、質問されるのも嫌なのかなとかあれこれ考えて、下書きでメールを打ってはデリートしてを繰り返している。


 最終的に思考の置き場がなくなっていたら見事に電車を乗り過ごしてしまい、御上さんの職場の駅にまで来てしまった。


 御上さんは自分の家から職場まで歩いているらしい。内勤でも大体1.5万歩くらいにはなると言っていた。全然違うなと思う。自分と。


 休日は趣味以外で家から出ないし、それが苦じゃない。


 それに家出ゲームしたりとか料理したりとかは活動的インドア派、黙々と動画見たり配信を見たりネットサーフィンをしたりする受動的インドア派と、インドア派にも種類があるだろうけど、自分は後者だった。


 気まぐれに散歩することもあるけど、本当に気まぐれ。


 だからか、出かけると誰も見ないようなうっすらとした繋がりのSNSにアップしたりしていて、反応が来ても色々、どこまでが自分の何気ない日常で、どこまでが演出か分からなくなって、更新はすごく中途半端なものになる。


 たまに誰かのエンタメ……こういう企画したいとかのポジティブアクションを見て、手伝いが出来たらいいなと拡散に協力する。


 ただ、担当作をフォローしたりはしないし、仕事のことに触れたりするけど、編集論を話したりはしない。


 たまに編集者がイニシャルを使ったりしたアカウントを作ったりして、こういうことしなきゃいけないのかなーなんて悩むけど、どっと喉に詰まる感じがして、やめてる。生きてるだけで正直、せいいっぱいだ。


 御上さんの興信所の近くは観光地なので、景色は抜群にいい。


 出版社のある場所も都会っちゃ都会だけど、雰囲気が違う。実際、御上さんの興信所の近くは映画やドラマの撮影にも使われるし、動画を見て、なんか勝手に気まずくなったりするし。


「あれ、天上くん?」


 ホームのベンチでボンヤリしていると、呼びかけられハッとする。


 振り返ると鹿治さんだった。御上さんの興信所の所長だ。


「ああ、鹿治さん、お疲れ様です」


「どうしたの? 今日打ち合わせじゃなかったよね?」


「まぁ、はい、ですね」


 御上さんは打ち合わせの日、休みを取っているらしい。鹿治さんにそれを詫びたとき、「休むかどうかは御上くんの判断だし、御上くん休めって言っても休まないからちょうどいいよ」と言っていた。実際は堂か分からない。気を使っているのかどうか。ただ、本当に休んで良かったとしても、それに甘えてはいけない気もする。


「どうしたの? 御上くんのお婆さんについての話?」


 鹿治さんが目を細めた。


「え」


「御上くんが自分から話すだろうけど、聞きづらいなら話すよ? 御上くんから、もし天上さんが俺のことでなんか聞いてきたら全部答えていいって言われてるし」


 あはは、と鹿治さんは笑う。


 そんなことまで言ってたのか、あの人。


「驚く?」


 鹿治さんは問いかけてくる。


「な、何がですか」


「御上くんの先回り癖、あらゆる想定をして、動く」


 御上さんの、先回り。確かに先回りだなとおもう。たらればが多いし。ただ、色んなパターンを想定するのはいいけど、起きてもいないことを悩んであれこれ情緒を乱すのはちょっとどうかなと思わなくもない。


 あんまり言うと、それすら御上さんの不安の種になりそうで言えないけど。


 それに、正直身に覚えがありすぎるというか、起きてないことで悩むのは、自分自身あてはまることだから。御上さんを見ていると、自分が他人からこう見えてるのかなと思うことがあって、その夜猛烈に頭をかきむしりたくなったり、ワーって言いたくなる時がある。


「まぁ……色んな事想定している……とは思いますけど……そんなに失敗怖いのかなって、ちょっと身構えるところは、ありますよね」


 言いながら、自分の悪い癖が出たと瞬間的に後悔した。


 別に悪く言ってるつもりはないけど、ちょっと下げてしまうみたいな言い方。


 失敗……正直、許されたい。ただ御上さんがそんなに事前に動くと、失敗しても大丈夫なんだじゃなくて、失敗したら駄目だとプレッシャーが強い。


 そういう重荷は、自分の自意識過剰というか勝手に感じているものでもある。だからこその、逃げの言葉だ。我ながら狡い。


「安心しなよ、御上くんの先回りは失敗を恐れてじゃないから。そもそも彼の成功と失敗は普通の人とは別軸にあるし、その点で言えば御上くんは失敗しないし、誰にも負けない」


「負けない?」


「うん。御上くんは負けない」


 負けない、なんてあるのか?


 疑問が浮かぶけど鹿治さんは当然のように頷く。


「うん。だって戦いの土俵が違う。守るものが無い分、使える手札が倍違う。それに御上くんは負けてもいいしね」


「どういうことですか」


「勝っても負けても、目的が達成されるように組んでる。だから自分から負けを取りに行く。勝ち負けに価値が無いと思ってる人だから」


「自分のこと、道具に出来る人だから」


「でも、御上さんの自己犠牲についていけないというか、俺は、そこまで強くなれない」


「御上くんは天上くんの自己犠牲を望んでない。そこが、普通の人との違い」


 鹿治さんは不敵に微笑む。


「御上くんの自己犠牲はね、自殺の延長なんだよ。この世界に生きていたくない人だから。あと、誰かが嫌がったり悲しんだり辛い状況になるのが嫌い。普通の人は自分がするしかない、自分が犠牲にならなきゃって動きながら、どこかで救われたい、報われたいって思うだろうけど、御上くんは救われたいとも報われたいとも思ってない。楽に死にたいとしか思ってないし、死ぬときも、誰かひとりでいいから、邪魔じゃないよって思ってもらえたらな、で生きてる。だから天上くんが、返さなきゃって思ってるなら、御上くんはやめろとしか言わないよ。理解できない感覚だろうけど」


 理解できない感覚。


 まぁ、他人は他人だし理解できないの、当然だろうけど。それにしても御上さんは理解できない行動とか言動が多すぎる気もする。


「たとえばさ、天上さんが御上くんと並行して別の作家さんの担当をしていること、天上さんは御上くんに嫉妬されてるとか、独り占めしたいと思われてるとか、思うでしょ。あの言動だと」


「まぁ……」


 普通は、嫉妬とかそういうのあるだろうし。色々「あの人は経費でこういうことできるのに何で?」みたいな疑問は、他の作家さんから飛んでくる。御上さんから飛んできたことはない。


「御上くんは邪魔じゃないのかな、だよ。その一点しかない。どうせ自分のこといらないんでしょって拗ねたりいじけたりするんじゃなくて、無理してないかな、自分のこと断りたいのに無理しているんじゃないかなって、いずれシャッター閉じてそっと荷物を抱えて飛んでいくタイプだから安心していい」


「それもそれで安心は出来ないですけどね、制作の進行があるし、原稿あるじゃないですか」


「原稿頑張りたいよりも、邪魔かどうかが第一だから」


「でもやる気出る時ある」


「他人に対しての案件ならね。あと自分が役に立てるかもって思ってるとき、御上くんがどうでもいいって言う時は本当に、自分は邪魔にしかならないので黙ってますだから」


 難しい、ややこしい。


 この一年御上さんはややこしくなった。まぁ、他社とも色々あったようだし、仕方ないことだろうけど。


 元々、保流の件もあるし。


「……邪魔じゃないですよ。というか、邪魔じゃないって判断だから取引続いてるわけじゃないですか。逆に邪魔じゃないですよって言葉多めにして仕事減らしたり確認させないようにすることだって、こっちは出来るわけだし」


「ストーカー作法だからねぇ。それ。職業病というか、仕事だから、御上くんは表情と声で感情を読み取るのが抜群にうまいけどさ、御上くんは天上くんのことが好きだからこそ、自分のレンズを疑ってる。都合いいように見えてるんじゃないかって」


「……顔」


 前に御上さんに言われた。顔と声が違うと。色々、限界が来て御上さんに婚活したらいい、マッチングアプリで自我を殺せばいいと言ったときだ。その時、御上さんは「別にしてもいいけど本当にそう思ってる?」「顔と声は嫌そうで」と、言っていた。


 あの時御上さんは怪訝な顔をしていて、後々、それが多分傷ついた顔だったんだなと想像して、酷いこと言ったなと反省した。


 でも、あれはただ傷ついた顔なんじゃなくて、俺の言葉と顔や声の違和感を察知していたのでは。


 難しい。


 人と接するとかコミュニケーションとか難しいなとは思っていたけど御上さんと話をするたびに、よけい難しさを痛感する。


 作家さんはこういうものだから、と枠に当てはめてみるけど、枠に当てはめることでより難しくなっているような。


「御上さんと、どう接してるんですか?」


 御上さんは鹿治さんのことを信頼しているみたいだった。「部下庇えねえ上司なんざ死んじまえよ生きてる価値なんかねえんだからさ」と、激しい主張を持っている中で、有効的に接しているし。


 上手くやっているようだし聞きたかった。今まではラインを超えてしまう気がしてたけど、御上さんは変わったことをするし、仕事でのトラブルが大きくなる前に、そういう対処の面では聞いたほうがいい。


「どう接してるって? 困ってるよ? 君と同じで」


「じゃあ、自己卑下とかは」


「ああ」


 鹿治さんの声音が少し暗くなった。気のせいと思いたいけどこういう時の直感はひどいくらい当たるので、嫌な予感がしながらも訊ねる。


「興信所でもされますよね、御上さん、どうしてるんだろうなと思って」


「一切してないよ」


 鹿治さんは少しだけ冷ややかにこちらを見る。


「御上くんの自己卑下は、言い換えると……」


 鹿治さんは躊躇いがちにこちらを見た。待っていると、「お前はどうせ俺に価値なんか感じてないの分かってるよ。俺はお前を信じてない。どうせお前は俺を攻撃する。備えてます、という自己防衛だから」と御上くんの口調をまねた。


「──だから作品の上での自己卑下はこちらにしない。お前らが読んだところでたいして分からねえだろ、キャバクラ労働組合がで終わり」


 言いそうだった。特に後半の悪口が。


「御上くんは制作で辛いことがあるたびに、整合性を保つんだよ。整合性がとれないことが好きじゃないから。理由が無い辛いことが、どうしても受け入れられない。だから、ああ、こんなに苦しいのは自分の才能が無いから。価値が無いから、自分には夢を見る資格が無いから、だから仕方ないって」


「理不尽ってそういうものじゃないですか?」


「そうだよ。それが辛いから、耐えられないから割り切るために、自己評価を下げる。そして、これが正しいから仕方ないって受け入れる」


「それは……受け入れることになるのでしょうか」


「でもそうしないと、保流さんとは一緒に仕事して、生き残れない。御上くんだけでしょ? 保流さんと揉めても活動続けてるの。あとの作家さんたち皆、引退してるじゃない」


「……」


 その通りだった。普通、降板が発生すると、大抵の漫画家やイラストレーターは他社に移動する。今は小説家よりもずっと漫画家とイラストレーターが足りない。引く手あまただ。でも保流と問題が起きた作家は、皆、活動を休止した。


「御上くんは徹底的な合理的判断で、自分を道具にしてる。制作全体で評判が悪くなるなにかが起きたとき、自分のせいにする。楽だから。投資価値があるものには徹底的に投資する。駄目だった時は、自分の判断の誤りとして処理する。そうして、自分のせいにしたり自己犠牲にするリスクの再計算をするとき、もしかしたら周りに誰か傷つく人がいたら、自分を好きな人がいたらと考え、いや、自分には価値が無いからと、対論にする。そうして循環してる」


「それ、いいんですかね……」


「僕はいいことだと思わなかったから、興信所ではやめてって言った。御上くん嫌だ、やめてはすぐにやめるタイプだから。自己犠牲迷惑だよ。君の自殺願望に仕事を巻き込まないでって」


「結構ハッキリ言うんですね……」


「遠回しに言うと御上くんは考察始めるからね。というか探偵は裏を読むから」


「ああ」


 分かるなと思う。御上さんはひとつの言葉を延々と心の中で精査してる感じがある。そして、こうなんだろうなと推測して、勝手に動く。


「一回言い間違えるともう駄目な感じがありません」


「普通に違うよって言えば?」


 鹿治さんは当然のように返してきた。


「違うって」


「そういう意味じゃない。勘違いしてる。これはこういう意味だよって」


「でも、二転三転してるって思われそうな」


「御上くんがもう二転三転するタイプだからね。御上くんはひとつの目的のために手段を5つくらい持って、その手段に思い入れを持たないから1つだめなら次、次とどんどん手札量産して……柔軟性のある強行突破するタイプだから。この時はそういう気持ちなんだな、今はこうなんだなって再定義される。だからほら、昨日好きって言ってたけど今日はどうなんでしょうな、みたいな目で見てくるときない?」


「ある……かもしれないですね」


 言われてハッとした。


 褒めてとかどうなのか、色々求めてくるけど、あれは御上さんの中でどんどん積み上げて、ハードルを上げてきているのではなく、今日の調子はどうか、みたいなニュアンスだったのではないか。


「……御上さんのなかで信頼って、どんな感じなんですか」


「その日によって変わるものだと思う。彼。昨日友達で仲良くても今日相手がどう思ってるか分からない、みたいな。根本的に人に期待も理想も持ってないから、相手が自分を好きかもしれない、信頼しているかもしれない、心配しているかもしれないといった前提が0なんだよ」


「0……それは、ど、れくらいの相手なら、詰まれていくんですか」


「10年一緒でも無理なんじゃない?」


 鹿治さんは平気で言う。


「でもほら、人間、前提があるじゃないですか、これまで一緒に仕事してきたとか、楽しくやってきたからって」


「うん。普通はね。でも御上くんは、一生懸命仕事するのも楽しそうにするのも、相手は仕事だからとしか認識しない。自分に思い入れがあると期待することはもっとしない。好意がずっと続くとは思わない。始まった瞬間、終わりを見てる。終わりがあるからこその、全力投球だから」


 終わりがあるからこその、全力投球。


「でも未来があるから、未来を信じて頑張るんじゃ……未来に期待して」


「無いって。だから、原稿消したりしてるんでしょ。未来に期待してたらデータも全部残すよ。邪魔になるって分かったから、原稿もデータも設定資料も全部消した」


「消してくれなんて頼んでないですよ」


「残してくれとも言ってない。ああ、画像データ残してって言った分は、残すだろうけど、聞いてなかったっけ御上くん」


 データ、そうだ。御上さんから消したほうがいいか聞かれて、残してほしいと言った。いらないなら消す、みたいな思考なので、データを残すのほうが負担が無いと思ったからだ。


「天上くんにとっては期待をさせないほうが優しさだと思うんだろうけど、御上くんはその期待が出来ない人だ。天上くんが期待させないようにって御上くんに配慮してる、御上くんを傷つけないようにしてる行動かどうか、御上くんは認識できないよ。だから熱心に一緒に仕事してくれてた人が明日突然今までのことずっと嫌だったって言い出す可能性は常に見てるし、言葉しか信じないし、仕事や行動で信頼を示すみたいな体育会系の誠実さは、無視するし、御上くんが求めているのは、今貴方は不愉快じゃないですか、不愉快なら、自分は去るよ。貴方を守るよという、確認だから」


 ──じゃあ御上さんは誰にも期待してないのか。


 じゃあ自分って何のために担当してるんだ。


 今まで俺のしてきた仕事って、何?


 真面目にやっても意味が無かったってことか?


 何のための確認?


 自由に書いて問題が無いかとか、御上さんは何がしたいんだろう。


 御上さんはやめると言ったとき、「好きなことすればいい」と言った。「天上さんとの仕事がしたい」と言っていた。俺の書いたものを好きだというし、未完だったもののネタバレについて話をしたら、嬉しそうだった。あれは嘘じゃないはず。


 好きだけど期待してない。


 モヤモヤする。その好きに応えられはしないけど、好きだからこそ期待するものじゃないのか? ふつうは。推しとかそういうものだし。


 こっちは、見てるだけでいいけど。推し文化とか。


 認知はされたいけど認識はされたくないというか、あんまり出しゃばるのも嫌いだから。周りの、好きなあまりで行動をする人間を見るたび、ああはならないようにしないと、という自制とすごいな、ああはなれないなという、遠さを感じる。


 誰かの邪魔になりたくないので一線は越えたくないけど、中途半端じゃないから。


 というか御上さんは重いし開示してくるないようも重いのに。


「じゃあ、今までの気遣いは全部、無駄だったんですかね……」


 思わず、呟いてしまった。そんなこと言うつもりなかったのに、皮肉めいた響きまで滲ませてしまい反省する。


 そんなつもりなかった。


 いや、期待が重いなと感じていたし、応えられないと思っていたし、だから理想が高いと言っていたわけで。


 たぶんそれは弱音で、御上さんに言うたびに、御上さんは自己否定に走るから、弱音すら吐けないし、失敗できないじゃないかと、追い詰められて窮屈だった。


 でも、御上さんは──御上さんの前提の中では、そもそも俺が弱音を吐いていると認識していなかったのならば。


 俺の「御上さんが求めている俺」の想像が、違っていたとしたら前提は覆る。


 確認中の、代表の言葉を思い出した。御上さんは編集者の希望に、「男の編集者」と同時に「一緒に転んでくれるような人間がいい」と希望していたと言っていた。


 御上さんが他の漫画家とトラブルになったとき、最終的に御上さんは自分について、一緒に失敗したい、先がどうなるか分からないけどこの人となら挑戦したい、と思ってもらえる才能が自分には無かっただけと引いた。


 あれが本意だとしたら。


「ストーカーかよ」


 聞きなれた声に顔を上げる。


 御上さんだった。両肩を濡らしながら電車から降りてくる。


「御上くん相変わらず傘さすの下手だねえ」


 鹿治さんが苦笑する。御上さんは「カッパ着てこようか悩んだんですよ。でも2ミリって言うし風も無いからいけるかと思って」と、自分の肩を睨む。


「なにかあったんですか」


 御上さんのことだから、そこら辺のお婆さんを傘に入れたりとかしてそうだ。


「なにもないとこんな濡れちゃいけないんですか」


 鋭く返され、「すみません」と謝る。鹿治さんが「御上くん純粋に傘さすの下手なんだよ」と、すこしいじりながら笑う。


 御上さんは、傘をさすのが下手。意外だった。何でも出来そうなのに。


「あと顔洗うのも下手だよね。興信所の流しビシャビシャにしてるし」


「溺れる」


 御上さんは不貞腐れながら、「じゃあ」とその場を後にしようとする。こういうところも変わってると思う。御上さん重いなら「どうしたんですか」「これからお話ですか」と、長居しそうなのに。


 俺は、慌てて引き留めた。


「あの、ちょっとお話しできませんか?」


 御上さんが返事をする前に、鹿治さんが「大丈夫だよ」と御上さんに言う。


「いっておいで」


■■■




 御上さんの職場の最寄り駅は人の流れのムラが激しい。


 観光客が多かったりとか、シンポジウムやフォーラムの関係で、スーツ姿で紙袋を持った人間が集まっていたりとか、はたまた、外国人のエンジニアっぽい人間が日本人に案内されていたりとか。


 グローバル、って感じがする。都内より。


 でも御上さんは英語が話せない。弊社のプロジェクトについて、ずっとそちらの、と言ってくるから、外にでもいるからなのかなと思っていたら普通に読めなかったらしい。


 御上さんの読める単語は、ONとOFF、HOTとICE、MANとWOMAN、TOILET。


 会話はどうか確かめたくなったものの躊躇っていれば、自分を指さして笑って進行方向を指さすと、道を聞かれても大丈夫と付け足した。


 金曜日に野菜が安くなるからフライデーは知ってるらしい。


 英語って知ってる知らないみたいな、情報の取り扱いじゃないんだよな、と返しそうになったけど、言わなかった。


 そしてそこに、アンバランスさを感じる。法務的な文章を出すときもあるし、代表に食ってかかるのに、英語とかはザルな感じとか。


「あの、自由に書いていいかどうかの確認って、なんの目的があったんですか」


 最寄り駅そばのカフェで、御上さんに問う。


「目的伝えたら、何になるんですか」


 御上さんの言葉や行動を、理解できたためしがない。言い方は冷たいし、言葉選びは攻撃的、どうしたって和を乱すとしか判断できない。


 それでも、もしかしてと浮かぶ余白があった。


 けれど今回は違った。真っ正面から拒絶を叩きつけられていると空気で分かる。


「でもほら、出版社的には、ですよ、作家さんの自由に書いていただくのが一番いいという、前提があるわけで、一般常識として」


 それが、保流の制作ではバランスが崩れていた。保流がたまたま特殊なケースだということは御上さんも分かっているはずだ。なのになぜ、こんな確認を。


 前にもこんなことがあった。御上さんが代表と取り交わした契約だ。あらゆる事象について御上さんが関係者を攻撃しないというもの。契約で縛るのは違うし、そもそも攻撃すれば不利になるのは御上さんだ。会社としてはメリットがあるけど、正直、意味が分からない。


 ただ御上さんはその後、「俺がお前の担当作家攻撃するか不安なら、あの契約確認しろよ、あれが機能するから」と、平然と言ってきた。


 自分はそんなこと望んでない。御上さんの重さがちょっと気になるところはあったけど。あと、担当作探られてる感じとか。後々考え直すと、ただ御上さんはこのカバー好き、この話好きって言ってたのがただ自分の担当作だったってだけで、探ってるというよりピンポイントで当たってる──だけだったけど。


「部下を守らない上司が、心の底から嫌いだから」


 御上さんは沼の底のような眼差しでこちらを見返した。


「お前の会社の代表、保流の制作知らないまま、俺に制作に理解を、協力を、相談した以上のことは出来ないって言った。保流は事前に相談したことなんてないし、A、Bの二択があってどちらか選んでほしいって保流が言ったのに、俺がBを選んだらAですすめる人間だから。それ言ったら、そんなこと知らなかった、なんて言っていいか分からないって言い出した。保流は保流で、自分の部下が制作に慣れていなかったから、だけ。自分のせい、自分にも責任があるとは一度たりとも言わなかった。代表が出てやっとだよ。下らねえ会社。何のために上司のが高い給料貰ってんだよ気持ちわりい。アットホームな社内かもしれないけど、心の底から気持ちわりいんだよ。そういう、構造」


「でも、ほら、社会ってそういうものですしね、理不尽とか、ほら、パワハラとか」


「だから、目的言わなかった。っていうかお前にとっては保流が正義だろうし、聞いてて気持ちいいことじゃないでしょ。俺がしたかったのは、お前の為にじゃなくて、部下を守らない構造の否定。知らなかったじゃ済まされない、いざという時の責任所在のクリア化」


「じゃあ御上さんにとっては好きに書くための確認じゃなかったってことですか」


「うん」


 なら俺の今までしたことってなんだよ。


 代表に確認取って。保流と話をして。


「なんでそんな顔すんの? 自我殺せって言ってたのてめえだろうがよ」


 御上さんが眉間に皺を寄せた。


「そんな顔、とは」


「キレてんじゃん、明確に」


「いや別に怒ってないですけど。何のための確認か、意味わからないっていうか」


「上司が部下守らないのキモいじゃん。キモさの防止」


「なんか御上さんってそうですよね、いろいろもしものこと考えてる」


「そうしないと生きていけない制作だったからね」


 御上さんは言う。


「御上さんって、人の為って言いますけど、保流も作家さんの為とか色々言ってますよ。本当は気が合うんじゃないですか? 違うんですか?」


「お前それ本気で聞いてるならお前の関節全部外して球体関節人形みたいにしてやるからな」


 御上さんはさらに冷たく返す。御上さんはたびたび、ほしうみ園という養護施設でボランティアをしているけど、そこにいる子供たちへの態度とは明らかに違っていた。


「養護施設の子たちにもそんな態度なんですか」


「なんで突然子供の話になんの? っていうかなんで30超えた成人男性を子供みたいに取り扱わなきゃいけねえんだよ。そこまで求めてんならそういう店にでも行けよ」


「いやあ」


 こうして御上さんの厳しさに直面するたび、思う。


 この人本当に、俺のこと好きなのか?


 俺のこと作家として尊敬してるって言うけど、何?


 それは世辞か?


 でも世辞で言うならこの態度は何?


 俺が出来ない人間だから見下し始めたのか。そんな諦めにも似た複雑さが過るたび、この人はそんな人じゃないと記憶が否定する。


 だから苦しくなる。


「いいか、僕は98%の攻撃的な暴で出来てる。それを残りの2%で押さえてる。母親とか読者とかの優しくされた記憶で、かろうじて、理性的に振る舞ってる。その2%の中にてめえも紛れ込んでる。だから、ある程度、抑えてはいる。他の奴相手なら警告なんてしない。分かるか」


 こういうことを、御上さんは真っすぐ言う。真似できないし世界の違いを思い知る。分かり合えないなーとも。でも、死ぬような目に合ってるし、そういう人なのかなと片づけられるほど、簡単でもない。


 そうじゃなきゃ生きられない人。かといってこういうこと言うのも、御上さんの中では言う言わないの葛藤があるらしい。


 その葛藤の中、言ってしまうのだからそれはもう言うのが好きな人でしょ、と言いたいところだ。


 でも、御上さんから「じゃあお前は言わないのが好きな人なんだな」と返されれば何も言い返せない。


 違うと言いたいけど結局、否定する日なんで来ない気がするのでモヤモヤする。


「僕にとって天上さんは特別だけどバカみてえなこと言ったらちゃんと報復すっからな」


「……そういうのが、自我が強いって言ってるんですよ。そういうのが」


 御上さんの作風とかを否定したかったわけじゃない。なのになんか、自我が強いって言ったら、全部否定されましたみたいな言い方して、ずっと、言ってくる。


 それにあれから、自分の好きなようにしなくなったというか、こっちが好きなように書くのがいいって言っても、ずっとかわしてくる。自我が強いって言ったのは四か月間。言わなくなって好きに書いたらいいって言って、六か月になる。のに、御上さんは好きなように書くのはもういいと、売れ筋だけでいいと言う。


 そのほうが会社的に助かる、みたいなことも言ったし実際助かる面もあるけど、御上さんの感じは完全な切り捨てというかシャットダウンだから、困る。


「だからちゃんと自我死んでんじゃん。3月に漫画家さんにフラれて、自分の好きを突き詰めることは、もういいと思った。あれを繰り返したくない。自分の好きは人を苦しめる害悪でしかない。もう、そういうのは嫌だ」


「あれ、御上さんがそう思ってるだけでフラれたわけじゃないんじゃ……」


「いい、今までしてくれたことに感謝してる。僕が、付き合わせてしまった。なんかさ、多分期待してたんだよね、僕の為に、ジャンル練習してるとか言ってくれて、そういうの勝手に本気にしたのがいけない。だから僕はもう、僕のやりたいに人を巻き込まない。ピンポイントで二回だよ。どうしてもって、その人に。それで、他の人がいるって本人に言われた、気持ち。天上さんに12月に、報われないかもしれないけどって言って、勇気出した。駄目で。3月にそれ。3ヶ月以内の出来事。自我が死ぬには充分だ。まだまだ、その人とも天上さんとも、やりたいこともいっぱいあったけど、もう、変な夢は見ない」


「じゃあ、その漫画家さんがしたいって言ったらどうするんですか」


「するよ。でもそんな未来は起きない」


「漫画家さんが御上さんに言ってほしいと思っていたら、漫画家さんのほうが御上さんとやりたいことあったらどうするんですか、3月のこと後悔してて、もう自分から行けない、そんな資格ないと思ってたら」


「そんなこと、ない。俺は、求められる才能が無い。好きを突き詰めると邪魔になる人間だよ。だから、会社で正しい保流が俺を認識しなかった。だから正しい。俺以外全員、正しい。だから、俺からは絶対言わない。同じことの繰り返しにならないように、今後、俺が自発的に何かをしたいと希望することはない。誰に対してもそう。それが正しい。だから言ったじゃん。企画の打診はしないって天上さんにも」


 御上さんは続ける。


「俺は、皆を俺から守る義務がある。それに保流のときはさ、打診の仕方が最悪だっただけじゃん。何書いてるか聞いて来たりして。アレ結局、とにかく保流のなかで、作家さんのメリットにもなりますよが欲しかっただけでしょ。保流なりにフェアにしようとした。漫画家さんの場合は、俺としたくないっていうか、漫画家さんなりの計画があって、俺を傷つけないように配慮してたのを、俺が……変な誤解してただけ。俺と失敗したい、やりたいって人間は、いないというか……俺は、理想が高かった。失敗してもいいって、ただ、独下ケイだからでやってくれる人間なんて、どこにもいないのに」


 ──この話はやめよう、誰も幸せにならない。


 御上さんは閉じてしまった。


 理想は高いはそんなつもりで言ったんじゃない。


 自我を殺せだって。


 報われないけど頑張ろうと言ったとき、あの時、別の言葉を返していれば何か違った?


 いや、あの時はああ言うしかなかった。


「でも、ブラック企業やパワハラで自我殺せは、お前は言っちゃだめだと思う」


 御上さんは、フラットに微笑む。大人びた口調だった。


「お前はブラック企業で自我補正って言ってたけどさ、ブラック企業って言ったって複数パターンあるわけ。普通の人間が考えるブラック企業、ガチの中に入ってる人間のブラック企業と。で、ちょっと厳しいところで荒波に揉まれてみたら? っていう一般論が使える身分じゃねえわけよ。お前は、キャリア的に」


 いや。


 否定しようとして、悩む。実際、そんな風に話をしたこともあるし。


「ちなみに、俺も、興信所で黒い会社の調査はしてる。お前の前いたところより黒いか白いかは分からないけど、言わない。なぜなら、死ぬから」


「死ぬって」


「たとえばお前が、ある歌手を好きだったりする。仕事でミスした。何されると思う?」


「怒鳴られるとか、殴ったりとかですか」


「カラオケボックスに連れていかれて、一番奥に押し込められる。扉のそばには一番怖い上司。下だけ服を着せずに、その大好きな歌手の歌で90点狙えって言われる。取れなきゃ終わらない。動画撮影あり。嫌だって言ったらクビ。点取れたら、出世考えてやるって言われる。他の人間は、普通に仕事で評価されて、お前は、同じ結果出しても無視される中。外からは、親睦を深めるためにカラオケに行ったって見られる。ミスした部下を励ますためにカラオケに連れていくなんて優しいね──そういう会社もある。極端な例だと思うけど」


 御上さんは、アイスティーの中の氷を、ぐる、ぐると混ぜながら話す。


 中の渦は止まらない。


「お前はブラック企業で自我を殺されたって言う。同時に、相手はそんな目に合ってないって補正のフレームがあるのかもしれない。自分が極端な環境にいたって自覚があるから。普通の人はこう考えるはずっていう、フレームが。だから、他の作家には本当に気を付けたほうがいい。全員の作家に対してそうなのか、俺だけピンポイントでそうなのか、話す時間が長くて、実際はそんな感じなのか、どうか分からないけど」


 本当は、謝ったほうがいいの……だろうか。


 傷つけるつもりはなかった。


 でも謝った瞬間傷つけるつもりだったと認めるみたいで、そして今更訂正するのは責任逃れなきがして、黙る。


「あと、親に褒められたことないんですか──ってやつね。お前の家庭環境から出た指摘なのか、ふつうにお前が、俺のお前だけに褒められたいという感情から逃げて、もっともらしく論理的なラベリングをしたことで逃れたのか、分かんないけど、他の作家には、絶対しないほうがいい」


 ここまで話をされて、理解した。


 バーでの話を、御上さんはおそらく、無かったことにしている。いや、バーでの言葉をすべて前提として組み込まれても困るけど、御上さんの中では無かったことになっている。


 分かってくれたと、思ったのに。


 というか御上さん以外にそういう話、しないんだけどな。


 なんでそれが分かんないかな。御上さん以外にそういう話しないんですけど、と指摘すれば「俺のことどうでもいいですもんね」と全然違う反射が飛んできそうなので言わないけど。


「婚活しろもさ、天上さん散々言ってきたけど、俺、結婚って言うか、そういうのは、相手のペースに巻き込まれたいと思うか、相手を一人で野垂れ死んでほしくないと思えるかだと思うから。幸せになる制度っていうより」


「……」


 ああ……分かるなそれ、それはよく分かる。結婚。周囲はどんどん結婚して子供とかいて、いいなと思うけど、自分には遠いと思うし、よくある三高みたいな、高収入高身長高学歴みたいなものが結婚基準で標準化されているのを見ると、息苦しさを感じる。


 高収入なんて、社長になれってこと? 高身長はバスケの選手くらい? 高学歴は院もはいるのか?


 求められることが多すぎて、苦しい。


 御上さんのその考えはあんまり辛くなさそうでいい。


「まぁてめえ婚活しろ婚活しろ小うるさかったしキラキラハッピーウエディングの民だろぜひ白タキシードでハワイで港区女子と結婚してろバーカ」


 ガッシャーン! と目の前でシャッターを下ろされた幻覚を見た。


「別にそんなこと一言も言って無いじゃないですか」


「結婚とマッチングアプリすすめるってそういうことなんじゃないですか?」


「それは」


 っていうか御上さんは俺の考え方とか思考整理に使っていたSNSを突破してきた。その時マッチングアプリに対しての記述もあったのだから、この人本当は全部分かってて言ってるんじゃないだろうか。


 普通にマッチングアプリについてすすめたのは、御上さん外で野垂れ死にかけたし、色々悩む人だから傍に誰かいたほうがいいって一般論で、追い詰める気なんて全然なかったし、俺はそもそも、白タキシードハワイ挙式いいなというだけで実際やってくれなんて言われたら正直、人の目を気にして負担を感じるタイプだって。


 分かってて言ってるんじゃないだろうか。


 でも思えば12月御上さんが急激に落ち込んだのも、自社の不手際だった。でも自分が励ましたり何か言うと御上さんの依存が深まる気がして、御上さんに自分で持ち直してもらえるよう、距離を置いた。


 あれは正しいはずだった。一回御上さんが悩んだ時、電話かけたし。いやあれも、御上さんが俺のSNSを見てややこしい作家って書いたのを見てへこんでたわけで。


 俺の発言をそこまで重要視されても困る。会社員だし。


 それに保流の件があったのだから、あんまり編集者の言うこと聞かなくても。


 でも代表は御上さんに制作に理解を、編集者と二人三脚と、言っていたわけで。


 さらに御上さんは、昨日まで詰んだ信頼関係が今日0になるわけで。


 ややこしい。まって、じゃあ前に才能があるって言った言葉、あれ、御上さんの中ではあの時の俺は御上さんに才能を感じていたけど今の俺は御上さんに才能を全く感じてないのに仕事してる人、の認識なのか?


「御上さんって、自分のこと嫌われてるっておっしゃるじゃないですか」


「はい」


「あの、漫画家さんとか絵師さんとか、御上さんへの認識度とか信頼度ってどれくらいだと考えてますか」


「ゼロ。だって作品との繋がりじゃないじゃん。会社との契約でしょ」


「でも思い入れないと仕事出来ないですよ。やっぱり、作品を好きな方がいいと思います」


「だからだよ。俺に才能ないから制作に好かれないじゃん。あと、俺に協調性もないし。だから天上さん俺のこと好きじゃないでしょ。編集者としてのプライドで仕事してる。俺は他人の仕事の矜持を搾取する寄生虫だから」


 ぐ、と喉が詰まった。そんなことはない。前にも御上さんは同じことを言っていた。そう思われるような仕事のクオリティになってしまったのだろうかと自責して否定しなかったけど、もしかして鹿治さんの言う都度否定って、こういうことだった……とか?


「鹿治さんは」


「仕事においては70、私生活は4とかじゃない?」


「私生活4なんですか」


「だって職場のトイレの蓋閉めないと怒られる」


「なんかこう、いいコミカライズ原稿が上がったり、いいカバーとかデザインが出て自分の作品が好きだからとか、大事にしてくれてるんだなって思うことは」


 祈るように問う。あってほしかった。届いてほしい。


「ない。その作家さんの努力の結晶だから。なんで俺の為なの? 俺の為ですなんて言われてないし。ストーカーじゃんそんなの。仕事でしょ。言ってたじゃん。漫画家さんの編集者さんだって。生活が関わってる。収入が大事って。そりゃ、他のさ、天上さんが褒めてた作家さんは仕事したくない人なんていない才能がるだろうけど俺にはないでしょ」


「読者は」


「読者はいるんじゃない? でも商業では違うじゃん。っていうかお前の言ってた正義の保流がシカトするレベルの才能ってことなんだって」


「それは……」


 保流が悪い部分もありましたよ。


 言いそうになった。というか、誰も言わないけど、自由にしていいと許可が下りたと言うことは、普通は自由にすべきもので、保流との制作は少しおかしかった、ということで。


 保流を否定したいわけじゃないけど、御上さんのことも否定したくないんですよ。


 言おうか悩んで、止めた。だって自我を殺せとか言ってしまったし。


 今更と思われる。


「誰かを苦しめる創作はしたくないし、一人が辛い。でも作家は孤独で、俺は自我が強くて、理想が高い……だから、ちゃんと、望むようにしてる。なのに何でそんな、嫌な顔をするの」


「だって、もう言ってないじゃないですかそれ」


 指摘すると、御上さんは黙った。やはり自覚があるのだろう。


「昨日まで大丈夫でも、今日信頼度はゼロでスタートしてるんですよね。なら、昨日まで理想が高い、嫌だって思ってたことが、今日は違うって可能性も考えないと、フェアじゃないですよ」


「それは」


「好きに書いてほしいは、ずっと言ってます。俺は、御上さんに」


「読みたいに繋がらない話なのに?」


 御上さんの瞳が一層きつくなった。根幹はこれか、と分かった。ずっとこれが引っかかっていたのだろう。


「いいんじゃないですか、好き嫌いある、10人中1人がこれっていう話、狙っても書けない。それにほら、会社の商品ヒストリーであったじゃないですか。上層部は嫌だって言ってたけど、結果は違ったってやつ。今の映画だって、今更公開しても収益なんか取れないんじゃないかって言われてましたし」


「僕は結果出せない」


「売れなかったら売れなかったで御上さんのキライな会社に打撃与えたってことでいいでしょ」


 そう言うと、御上さんは俺を信じられないものを見るように見てきた。しばらく凝視した後、「こわ」とつぶやく。


「怖い? 何が怖いんですか?」


 本当に意味が分からなかった。何が怖いんだろう。


「いや……というか、ご自身は、成績とか」


 御上さんはおそるおそる問いかけてくる。代表に聞けとか言うわりにこういうところ何で気にするんだろう。


「別に、今、本売れない時代ですからね、保流と違って期待されてないんで、アハハ。あれっすよ。保流がヒット出してくれるおかげで、こっちは好き勝手出来るってことで」


「え……」


 御上さんが余計、眉間に皺を寄せた。保流のこと嫌いなはずなのに、なんでこんな顔するんだろう。


「まぁいいんじゃないですか? そういうもんですよ会社って」


「保流さんいいんですかそれで」


「会社好きな人だからいいんじゃないですか? そもそも保流が企画決めたりすることもありますからね、ハハハ」


「……はぁ」


「なんです?」


「いや……天上さん、たまにちょっと、グ、グロいところありますよね」


「え、どこかですか」


「いやなんか前に……俺が漫画家さんとSNS浮上タイミング被るから、相手に嫌な気持ちさせたら怖いんですよねって言ったら……天上さん通知入れてるって言ってたじゃないですか」


「あー」


 忘れてた。御上さんは探偵だけあって記憶力がいい。だからこそ、こっちの忘れもの気にしてそうで怖いところがある。というか普通にそんなの覚えてないよってところまで覚えてるし。


 まぁ、職業柄御上さんは自分でも「普通の人間の記憶力がどれくらいなのか分からないんですよね」とチート主人公みたいなこと言ってたから、アレだけど。


「あの時、俺が……天上さんにストーカーの発想みたいって言ったら天上さん笑ってたじゃないですか、や、やべぇと思って」


「心外だなぁあはは」


 御上さんのほうがストーカーっぽいというか、普通に考えてSNSの浮上タイミング被るとしたら通知入れてるだろうし。


「っていうか御上さん頻繁にツイ消しするじゃないですか。だからですよ」


「え」


「ほら、メール通知入れると、わざわざアカウントログインせずとも追えるんですよ。呟きメールボックスに入ってるのは消されないから」


「そうなんですか?」


 御上さんは驚いた顔をした。


「知らないんですか? 探偵だから知ってると思ってましたけど」


「俺、足使うから、ネットへたくそで。だからリモート通話できないし、ワードもなんか、よく分かんないから。だからこそ足使ってるのもあるんですけど」


 なるほど、傘も駄目でネットも駄目なのか。


 だから通知をストーカーの発想って言ったのか。


「まぁ、前提色々ありますからね。御上さんの中にもあるように、色んな人の前提が」


 少し笑うと、御上さんの表情は少し柔らかくなった。


「だから普通に書いてください。売れなかったら、申し訳ないですけど、読みますから。内容、忘れるかもですけど。忘れっぽいんで。責めないでください。私なんかとかも、しないでください。本当に編集、多忙ですから。保流のこともあるし」


 そう言うと、御上さんは「まぁ、そういうなら」と頷く。


 久しぶりに、手ごたえを感じた。



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