呪詞と祝詞はかみ一重
怪異とか幽霊とかホラーに触れるたびに思う。
自殺が多くて、その理由にいじめとかパワハラがあって、いわゆる無敵の人みたいな何も失うものが無い人が誰かを巻き添えにする犯罪があって。
なのにいじめっ子とかパワハラとかの加害者が怪異に襲われてえげつなく死ぬ事件が無いのは何でだろうって。
それは死んだ人間がこの世界に干渉することが出来ない証明じゃないかって。
そういうことを思う。
「荒破さんは幽霊とか信じますか」
会社の会議終わり、席を立とうとすると隣に座っていた天上尊に話しかけられ、私は「場合による」と答えた。天上尊は「場合による?」と聞き返してくる。
「作家が聞くなら信じるって言う。編集者が聞いてくるなら、分からないって言う」
私は編集者として働いている。だから、作家が幽霊を信じて書きたいなら信じるし、否定したいなら否定する。
ただ、論理的に精査するならこの国のパワハラ件数とパワハラしたような人間が普通に生きて報道や法の裁きを受けているのはおかしいなと思う。
ホラー映画の幽霊みたいな存在がこの世界にいたら、パワハラする人間なんか惨殺されてるから。
だって駅で倒れてる人間がいたら、声をかけたり救急車が呼ぶ。
確かに通り過ぎていく人間もいるけど、大丈夫かなと心配そうにしたり、自分じゃムリそうで助けられないと目をそらしたりする人がいる。その時点で関心は持ってる。一方踏み出す勇気が必要だけど、生きてるからこそその一歩が重い。
でも死んでるなら色々関係ないんだから、パワハラして部下に死ねなんて言う人間を眺めたりはしないだろう。少なくとも花瓶を落としたりくらいはするだろうし。
しかしそういうことは起きず、パワハラ社会問題になっている昨今、幽霊はいないという証明になっている。
という論理は、幽霊が怖い、否定したい人間しか救わない。使いどころが限られる思想だ。だから私は作家相手には場合による。作家は助けたいけど編集者はどうでもいいというか、同業はどうでもいいから。
「なんでそんなこと聞くの?」
「いや、荒破さん次ホラーやるって聞いたんで。なんかお祓いとか行ったりするんですか」
「お祓いは行かないけど、お札とお神酒は」
幽霊は信じない。いないから信じようがない。
でも信じる作家はいるし、いた場合のリスクがあるので対策は立てる。
ホラー小説を書いて祟られて作家に死なれてもイヤだし。
私の身を、犠牲にしてでも。
三枚のお札という昔話がある。一行で説明すると、和尚さんから貰った札で婆を撃退。これだ。ということで私は、ホラー系を取り扱う時は、ある寺に札を買いに行く。
基本的に天才と呼ばれる人種は、どの業界でも、見た目は普通、振る舞いも普通だけど中身は社会不適合者、編集者とのコミュニケーションも問題なく作家同士の交流が盛んでも社会不適合者、分かりやすく社会不適合者、見た目は明らかに社会不適合者寄りだけど中身は地味とパターンがある。
最後が一番まともだけど一番少ない。
「ああ、荒破さん。私は、あなたに欲は抱いてない。それを仏に証明するために私はあなたと繋がりたいと思っているのですよ」
「同文言話ししたら訴える」
高速バスを乗り継ぎ向かったのは、遥か昔、国の総力を上げて建築した寺院だ。
それはそれは大きな仏像を前に、愚かなことを言うのはこの寺の住職である切寺多門である。軽く見渡すだけで国宝と重要文化財が視界に入るこの寺を司る人間だが、御覧の通りの有様だった。
「あなたを心から慈しんでいる。肉欲などという感情からではない。私の雄性を切り落とすことは一見欲を断つように見えますがそれは逃げ。貴女と添い遂げ、この熱く滾る想いがあさましい欲ではないと仏に証明することこそ、諸行無常の極致です。東の都からはるばるお越しくださった。これはまさに仏の導、さ、始めましょう」
「黙れ犯罪者、札出せ」
目の前の男──切寺和尚は、私より3歳下の29歳。
本来住職は煩悩は駄目なものだけど、今の時代、結婚を完全アウトにすると寺の跡継ぎ問題が発生し、地域が困る面も出てきて、結婚もセーフになっている。
でもこいつは完全に存在がアウトだった。
「世は不浄、女人の乳を性の象徴とする男のなんと多いことか。母が子に母乳を分け与えることは欲泣き無償の愛。無我の境地です。私が万物の女人のお乳が性の象徴などではなく欲を向けられるべきではないことを体現いたします」
「病気だよお前は」
どこまでもバカみたいなことを真面目に話す切寺をにらみつける。
こいつとの付き合いは私が編集者になってすぐ。
作家がホラーを書きたいけど幽霊が怖いと言うので、国で一番効きそうな仏閣から札を貰いに行こうとしたら、ヒトコワ総本山みたいなこいつと遭遇した。
それからもうこれだ。訴えてやりたいが、札は効くらしいので訴えられない。作家に札を渡せなくなるから。
「結婚をなさりたくないとおっしゃるから、こうした機会にお話をさせていただいているのですが」
「私に問題があるかのようにいうな。札出せ」
「札を出せとおっしゃるということは、危うきものへ歩んでいくということでしょう」
「だってホラー書くとヤバいってお前が言ったじゃん」
「煩悩は性のみにあらず、欲のまま彼岸の果てに触れるならば、相応の業は覚悟しなければなりません。しかしながら荒破様、貴女は異なる。彼岸にも此岸にも染まらない。狭間のお人。生者と死者に繋がりの可能性を持つお人。ゆえに、厄介なものに好まれる」
「お前みたいな」
私の返事に切寺和尚は慈しみの笑みを浮かべた。最悪な気持ちになる。
「お札はいかほど」
「20くらい出せない?」
「承知しました。強力なものをご用意して、後にお送りします」
「ありがとうございます」
「それでは寝室へ参りましょうか」
「訴えるから。次言ったら」
そう言うと、再度切寺和尚は口角を上げる。「今日は霊園は空いているのでゆっくり話せますからね」と付け足した。
「うん、ありがとう」
「いいえ。きっと、喜ばれることでしょう。大切な貴女がたえずいらっしゃることを」
和尚の苦手なところは色々あるけど、こういうところが一番苦手だ。
寺に行った後は、神社に向かった。こちらもこちらで、歴史に名を残す由緒正しき神社であり、万を超える参拝客が年間訪れる。
適当に歩いているだけで重要文化財と国宝が目に入るような、「ちゃんとしたところ」だが、こちらもこちらで、狂ってる。
「荒破‼ 俺がお前の子を産む! 安心して嫁いでこい!」
そう叫ぶのは、牙宮神主だ。私より3歳上の……バケモン。
バケモンとしか言いようがない。こういうことしか言わないから。
霊感があるタイプの作家に会わせたことがあるけど、霊力みたいな力は凄まじいらしい。神がかっている神主で、この神社辺り一帯、悪霊みたいなものは絶対に近づけないらしいが、人としても近づきたくない。
「ジェンダー的にあれですけど現在、男性は出産が出来ないんですよ。そもそも女性でも難しいことなんで」
「ああ。俺は漢だ! さんずいに草かんむりチョロロと書いて漢! 漢としてお前の子を産むと言っているんだ!」
「それは無理です」
「いずれ医学がそれを可能とする‼ だから安心して嫁いで来い」
牙宮神主は声が大きい。どちらかといえば切寺和尚はダウナー系だが、牙宮神主はラグビー部とか体育会系の元気な感じで、こんなことを言うので若干悪質性が増す気がする。
「煩悩にまみれたお方だ。哀れ。心頭滅却とはほど遠い」
それを分かってか、牙宮神主のもとへ行くと言うと大抵切寺和尚がついてくる。ということで和尚は今日もついてきた。
「お前も乳どうこう言って来たけどな」
私は牙宮神主に呆れる切寺和尚を横目に見る。すると牙宮神主が「は?」と目を見開いた。
「荒破は太ももだろ!! 乳離れできてねえガキ! 気持ち悪いな!」
馬鹿なんだよなこの二人。
私は呆れつつも「お神酒お願いします」と、この神社に来た目的を果たす。
「お、新作か?」
「はい」
「そうかそうか‼ あぶないもんじゃないだろうな?」
「まぁ……そこそこ、因習村系ですかね。村を探索する感じで、どっちかといえばミステリー寄りかもしれないですけど」
「危ないな‼ 結婚しようか?」
お前と結婚するほうが危ないんじゃ。
つっこみたいけどやめた。一応、牙宮神主は三歳上だから。
「大丈夫か? 一緒に行こうか」
「いいです。お神酒は出版社に届けてください。今日はこのまま帰るんで」
「分かった。新幹線の席、俺のぶんもとらないとな」
牙宮神主はそう言って普通に装束を脱ごうとした。ついてこようとしてくる。ここで切寺和尚の出番だ。
「なりませぬ。貴方は煩悩にまみれている。荒破様と二人になんてしておけません」
切寺和尚が牙宮神主に立ちはだかる。
これで私は一人で帰れる。いつものことだ。札とお神酒が欲しくなれば、片方の場所に行ってから、そいつをつれてもう片方の場所に行く。
そうすると、小競り合いが発生するので、私は一人で帰る。
こうしないとついてくるのだ。何かの妖怪への対策みたいだなといつも思う。
特定の手順を踏まないとついてくるタイプの怪異。幽霊はいないけど人間はこうした脅威となるので、正直、勘弁してほしい。
幽霊なんか、いないのだから。
休日、頭のおかしい和尚のいる寺と頭のおかしい神主のいる神社でお札とお神酒の手配をした私は、翌朝出社した。
出版社はリモートがベースだけど、会社に行かなきゃ駄目な日は発生する。上司のバカみたいなノリが理由の時もあれば、普通に、作業に必要なときもある。
今日は、作業に必要な日。
休憩がてらレーベル刊行の本が並ぶ書庫に向かうと、先客がいた。
亡霊みたいな顔色で天上尊が立っていた。
「おつかれさまでーす」
声をかけると、「あ、おつかれさまです」と天上は軽く会釈した。すぐに立ち去ろうとするので「なんでそんな死にかけ自殺前みたいな顔してんの」と結論から問いかけていく。
天上は「いや……」と話を濁そうとするが、「犯罪者みたいだった」と続けると「そんなっすか?」とはぐらかした。
「裁判に負けたやつみたいな顔してたから」
「荒破さん前職リーガルでしたっけ。コンサル……」
「コンサル、リーガル、編集者」
「なんか……すごいっすね、なんで編集者になったんですか。あ、これききましたっけ?」
「いや聞かれてない」
「じゃあえっと、どうして編集者に」
「正しさで人は救われないって分かったから」
コンサルは、普通に自分に適性があったから。
でも、クライアントを満足させても意味が無かった。クライアントの得の裏には多くの人間の損があるから。
鬱々としてリーガルに入った。適性はあった。
でもやっぱり、正しさで救われる人間と救われない人間の差が浮き彫りになって、やめた。
正しいものは、正しい以外にないから。
「正しさ? ヒットとかですか」
「安直だね。キモ」
天上の問いかけに即答する。天上はびっくりした顔をした。「いや、だってエンタメってそういうものじゃないですか」と焦り顔をする。
「ほら、流保さんとかすごいじゃないですか。全部ヒットだし」
「だってあいつ作家二人断筆させてんじゃん。一人はメディアミックス無理くりやって、自分は現場で地蔵して、調整じゃなくてただのフラフープして最後部下に丸投げして逃げて、その後も学ばずで。それで、挽回します‼ って言って頑張ってるけど、二人殺してるの意味ないからね。法律だったら無期懲役でしょ。ヒット作があるから見逃されてるだけで、編集者としてはゴミじゃん。独下先生だって死にかけたんだから」
天上は独下という作家を担当しているけど、元は流保というヒットメーカーが担当で、トラブルになり天上が担当になった。
天上はどんな編集者かといえば、地道にモノづくりをしている、爆発的ヒットを飛ばすタイプではない。普通に5年くらいの長期スパンでじわじわ伸びていく、多数連載をしている週刊漫画雑誌で例えると、初動こそ弱いが3~5番目くらいの位置をキープするタイプの作品をつくるタイプの編集者なので、編集部に必須のタイプだが、本人はそれを理解してない。流保は3年スパンでピーク迎えるものを連続させ続ける、本当のヒットメーカー。
天上は、10年続くロングランを打つ。
それを本人は理解してない。情動タイプで論理思考が控えめで、自己肯定感が低く自己分析においては自意識過剰が悪さをするから。
「でも、打ち切り少ないですよ」
「殺した数トップじゃん」
「作家にとっては、こうアニメ化とか、そういうほうがいいでしょ。だって」
天上は拗ねるみたいに言う。
「じゃあお前はアニメ化にならなかったもの担当してイヤだったっておもうの?」
「そんなことないですけど、作家さんに申し訳ないって言うか。みんな流保さんに担当されれば違うのかなって」
「……自分の著作を本棚に入れていって、これが、好きですって言えるんだったら、どんなに売り上げが悪かろうが、数字がクソだろうが、レビューつかなかろうが、胸張っていいし、逆にそれ自分はカスなんて言ってたら、お前のこと買ってる奴に失礼」
私は、本棚を指す。
「比べるのは向上心の為に必要だけど、失礼だよ。お前がいいと思ってる編集者が心の中にいたとしても、そいつはお前がいいって思ってる作家が一人でもいるのなら、お前が別の奴がいいんだろうなって思ってる思考が害で邪魔で、お前のことを好きなやつを大きく傷つけてる」
そう言って、私は天上を見据えた。目が合わない。
「荒破さんは……強いですね」
「そうだよ。バケモン相手にしてるからね。自然とつよくなるのかも」
「え、それってホラー担当して、なんか祟られたとか?」
「そんなとこ。こういうのあるから」
私は天上にスマホを見せる。
編集者として、不安じゃない日は、ない。普通に。
でもそういう時、少しだけ気晴らしになる。
キャラクターみたいなほど濃くて、バカっぽい二人に。
切寺:荒破さんなら絶対大丈夫ですよ
牙宮:何かあったらいつでも言え
ただその末尾に、恐ろしい後付けが、ついてはいるけど。
切寺:旦那として支えます。
牙宮:夫だからな。