7話 持つべきものは○○
「と、このような約束をして、ここまで来ました。
ルイーズ姉様、助けてください」
ステラは姉に向かって、洗いざらい事情を説明する。
ルイーズは頭を抱えると、大きく肩を落とした。
「大事な話があるって言うから、人払いをしたけど……まさか、ねえ」
ルイーズは部屋を見渡す。
側妃に与えられた部屋なだけあり、ベッドや衣装ダンス、テーブルから扉の取っ手に至るまで、すべてが今まで見た何よりも高級品だ。ステラが腰を掛けている椅子も良い具合に尻に合い、背もたれがふわっと柔らかい。
そんな素晴らしき絢爛豪華な部屋には、ステラとルイーズしかいなかった。
侍女は全員、部屋の外で待機してもらっている。
「……このことを知っているのは、私だけってことでいいのよね?」
「ルイーズ姉様の他には、レベッカとモリーに話してあります」
レベッカは親友だ。
彼女に話すと、目の前の姉みたいに頭を抱えながら
『ステラが逃げ切る未来が視えないけど、私にできる範囲で協力するわ』
と、約束を結ぶことができた。
レベッカだけに伝えようかとも思ったが、今回の最初の作戦の立案者にも経過を報告しておくべきだと考え、彼女にも全容を明かすことにした。彼女ならエルに問い詰められても口を割らないと思ったが、念のためである。
ステラがモリーにことの顚末を話したところ、彼女は唖然と口を開いた。石のように固まった彼女を心配したが、ステラが声をかける前に立ち直り、眼にもとまらぬ速さで手を握って来た。
『ステラさん、ぜひとも協力しますわ! ええ、絶対に逃げ切れるように、我がライオネット一族の全勢力と権力をもって!』
彼女は目をキラキラ宝石のように輝かせ、頬を紅潮させながら宣言してくれた。
それから二人で具体的な作戦を練り直し、今回の逃亡において最も大事な「切り札」を用意してもらうことに成功した。
やはり、持つべきものは友達である。
「レベッカとモリーね……つまり、お父さまたちには言ってない?」
「ええ。絶対に心配しますから。
もちろん、二年経過したら……顛末をお伝えしに行くつもりです。怒って会ってくれないかもしれませんが、それは覚悟の上です」
それに、ステラの父親は口が固くない。
余計なところで手を廻して、エルに居場所が露見してしまう恐れもある。だから、あの人だけには伝えることができない。
「ジェーンやアルフレッドには?」
「伝えていません。ジェーン姉様の旦那様はエル君の上司ですし、アルフレッドは……私のこと、嫌いですから」
「……つまり、知ってるのは、私だけね。
それはそうと、本当に上手くいくのかしら。
『伯爵家の令嬢が行方不明になった! 誘拐された危険性もあり! 情報提供を求む』みたいにされたら、もう終わりじゃない?」
「そうならないために、姉様にお願いに来たのです」
ステラはさらに一歩、姉に近づいた。
「私は、死のうと思います」
「狂言自殺ってこと?」
「はい。死体を発見できなかった、という形で。そうすれば、2年後に『実は生きていた』とすることも可能です」
「……でも、ステラ。貴方、恋愛結婚したいのでしょう? 2年経ってからだと、適齢期を過ぎちゃうわ」
ルイーズが心配そうに眉を寄せると、ステラは楽しそうに笑みを深めた。
「2年の間に、結婚相手を見つければ問題ありません」
「……その人、エルキュール君に殺されないかしら?」
「見つからなければ平気ですよ」
ステラは逃げ切る気満々である。
だいたい、彼の方は結婚相手が選び放題なので問題ないが、ステラは貴族の結婚適齢期ぎりっぎりなのだ。「実は生きていました」体で故国へ戻ったところで、そう上手い話が転がっているとは思えない。
「2年間、鬱屈と過ごすつもりはありません。ちゃんと、婚活しながら逃げます」
「でも、そうなると……平民でもいいの?」
「お金も大事ですが、愛も同じくらい大事ですよ」
もちろん、恋愛にかまけて、隠れることを疎かにするつもりはない。
そのことを伝えると、ルイーズは考え込むように目を閉じた。
「あなたって娘は……」
それから、やや時間が経った後、彼女は長い長い息を吐いた。
「分かったわ。妹の頼みだもの。
そりゃね、エルキュール君は私にとっても弟みたいな存在だし、ステラをとっても大切に想ってくれていることを知ってたわ。内々の話は進んでいたし、お父様も乗り気だったし、ゆくゆくは結婚するんだなーとか思っていたけど………。
ちゃんと協力してあげるから、後腐れないようにしなさい」
「さすが、ルイーズ姉様! ありがとうございます。この恩は一生忘れません!」
ステラはガッツポーズをした。
いろいろと聞き逃せない言葉はあったが、協力してくれるなら万々歳である。
「必ず、2年経ったら帰ってきなさい。
逃げ切ることはできたけど、死んでましたでは浮かばれないわ」
「……もちろんですよ、姉様」
実姉を利用するなんて、心が引き裂かれそうなくらい痛む。
けれど、相手はココに逃げることを知っている。まず探しに来るし、すでに下手したら手の者に張らせているに違いない。
それなら、しっかりと事情を説明し、協力してもらう。
姉の優しさに付け込んだ自分が、とっても卑しく思えてきた。
「ごめ――」
「謝罪はいらないわよ」
ルイーズはステラの言葉を遮った。
「私は家族だから助けるの。困った時はお互い様からね。気にしない」
「……姉様」
ステラは深い感情が胸の奥から込み上げてきた。
じんわりと視界が滲み始めたのが分かる。ステラはハンカチで目を拭うと、優しい姉を見上げた。
「あと、もう1つお願いがあって――」
それを口にすると、姉はますます呆れたように肩を落とした。
「ステラってば……本当、変なところで律儀よね。そういうところが、彼を惹きつけているのかもしれないわよ」
「そうですか?」
「悪い意味じゃないわ。良い意味で言ってるの。……その性分を大事にしなさい」
ルイーズは、とんとんとステラの肩を叩いた。
それから、三日後のことだった。
春の陽気の穏やかな午後、城からほど近い野原で悲鳴が上がった。
「きゃあーっ! 誰か、誰か!!」
国王の側妃、ルイーズの悲鳴だ。
それに重なるように、侍女たちの悲鳴が野原を貫いた。
「ルイーズ様!?」
少し離れた場所で待機していた騎士たちが、慌てて駆けつけてくると、侍女たちが必死にルイーズを抑えつけていた。ルイーズが完全に血の失せた悲痛の顔で、必死に川へと向かおうとしていたのだ。
「放して! 妹が、妹が!!」
「側妃様、落ち着いてくださいませ!」
「妹が、私の妹が、川に流されたんです!! ああ、だから、放して! ステラ、ステラ――ッ!」
ルイーズは川に向かって手を伸ばす。
白くか細い手を、川をつかむように懸命に伸ばしていた。
「側妃様。お気を確かに。我らが捜しに行って参ります!」
護衛の数人が持ち場を離れ、川下の方へと走り出した。
ルイーズは、ここでようやく腕を降ろす。力尽きた、というのが正しいのかもしれない。爽やかな草原に座り込むと、ぽたぽたと涙を流していた。
「何があったのだ?」
護衛の長は侍女から聞き取りをする。
今日はルイーズと実妹が一緒に野原で昼食を取っていた。
ルイーズは実妹との久方ぶりの再会を喜び、ここ数日は城下街へお忍びで降りたり、遠乗りに出かけたりと微笑ましく過ごす姿が多く視られた。
もちろん、護衛も付き添っていたのだが、今日はルイーズから、
「女同士で楽しみたいの。視界を遮るものがないから、少し離れても大丈夫よね?」
と命令されたので、護衛たちは後ろへ下がっていたのだ。
もちろん、彼女が川辺で和やかに談笑する様子は遠くから確認しており、ルイーズの妹が川に潜るところは視認した。その直後に、彼女たちが悲鳴を上げたのである。
「ルイーズ様が妹様に『川がきらきら光っているわね。宝石が落ちているようだわ』と言いました」
侍女が女主人の肩を抱きながら、護衛長に説明し始めた。
「そうしたら、妹様が『だったら、私が宝石を取ってきてあげる』と冗談っぽく笑うと、川に降りたのです。
ルイーズ様は『代わりの服はないわよ』と窘めたのですが、妹様は大丈夫と進む一方で、水が胸の位置まできたとき……するっと足を滑らせて、それで……ッ!」
侍女は微かに震えながら、話を続けた。
「『助けて、姉様――ッ』
この言葉を最後に、妹様の身体は川に流されてしまったのです」
「……ステラ、ごめんなさい。本当に、ごめんなさい」
ルイーズは両手で顔を覆い、すすり泣いていた。
「私には潜ったように見えたが……そんなことが……すぐに駆け付けることができず、申し訳ありませんでした」
「……いいえ、貴方が謝ることではありません」
ルイーズは顔から手を離しながら静かに答える。
白い指で涙をぬぐいながら、か細い声を震わした。
「私が……貴方たちを下がらせたことが悪いのです」
「……戻りましょう、側妃様。妹様は必ず我らが探し出します」
「……ありがとうございます。ですが、この川の先は滝があると聞きます。きっと、もう……」
ルイーズの顔が陰った。
護衛長は、暗い顔の彼女たちを馬車へと案内する。ルイーズは侍女に支えられるように歩きながら、最後に一度だけ、川を振り返った。
「……ステラ」
川は流れている。
きらきらと陽光を浴びて。
1人の娘を飲み込んだなんて噓のように、ゆっくりと爽やかに流れている。
その娘がどこへ流れつくのか、その後、どのような運気をつかみ、新たな流れに乗っていくのか。
ルイーズは、ただ祈ることしかできなかった。
1章、これにて完結です。
次回から逃亡&婚活編がスタートします。