5話 おねがい
そうと決まれば、先手必勝だ。
ステラは素早く荷物をまとめると、父に頼み込みに行った。
「お父様、ルイーズ姉様に会いに行きたいの」
ぽっこり太った父は、眼をぱちくりさせた。
「お姉様は冬に体調を崩されたのでしょう? それのお見舞いに。
ジェーンお姉様は旦那様がいますし、アルフレッドは勉強があるでしょう? お父様は仕事がありますし、お母様は足が不自由ですし……自由に動けるのは、私だけだわ。ね、お願い!」
ステラは両掌を合わせると、父に擦り寄った。
父は娘たちに甘い。長旅をさせることに悩んだようだが、案外呆気なく陥落した。
「分かった。でも、くれぐれも気を付けるんだよ。しっかりとした護衛を用意しないと」
「ありがとうございます。
ちゃんと、我がクレイン家の騎士から選んでくださいね!!」
ステラは咄嗟に言葉を付け加える。
『気心を知れているから』とかいう理由で、エルが護衛に入ったら、計画も何も全て意味がなくなる。
「無論だとも! ステラに何かあってはいけないからね!」
「さすがお父様。私は信じてますわ!」
ステラは父に抱き着いた。
ふっくらとした身体に抱き着きながら、もし……この作戦が成功したら、父とも会えなくなることを思うと胸が締め付けられる。
「……お父様。ステラは、お父様のことが大好きです」
「ああ、私も大好きだよ」
父は頼りない。
だが、家族思いで優しかった。そして、娘たちには異常なほど激甘だ。
そんな父を騙すのは、心苦しい。
父だけではない。家族すべてを騙すのだ。
「ごめんね、エル君」
もう一人の弟も。
自分が彼の人生を縛ってしまったのかもしれない。
自分さえいなければ、彼はもっと素敵な出会いがあって、よい縁に恵まれたかもしれない。
モリーは「ステラを束縛してくる」と言っていた。束縛されるのも冷や汗が出るが、それ以上に、彼を結婚対象として見ることができないという理由の方が大きい。
ステラがいなくなれば、他の女の子に自然と目がいくだろう。
上手く姿を消せば、彼は追ってこないだろうし、幸せな一生を送れるはずだ。
「……私も婚活したいし」
トランクを閉じる前、橙色の手袋が目に飛び込んでくる。
「手袋」と言われなければ、いびつな形の袋としか見えないだろう。エルが最初に作った作品であり、記念にとくれたものだ。なんとなく愛着があって、捨てられなかった。
「これくらいなら、いいよね」
家族の思い出が詰まった袋の中に入れてから、ぱたんとトランクを閉じた。
出立までの数日は、家族との別れを惜しむことにした。
父に甘え、母と観劇を見に行き、もう一人の姉に会いに行った。
「あー、私もルイーズ姉様に会いに行きたかったわー」
姉のジェーンは残念そうに肩を落とした。
「私だって行きたいけど、西方が騒がしいでしょ? いまは夫が帰って来てるけど、またすぐに行っちゃうし。私まで長期の旅に出たら、ねぇ」
「義兄様は騎士団の副団長ですからね」
「でも、本当に平気かしら?」
ジェーンは頬に手を当てる。
「だって、ステラは抜けているところがあるから……。
逆に、ルイーズ姉様を心配させるような気がするわ」
「ちょっと酷いですよ、ジェーン姉様」
「事実じゃない。ほら、これを届けて。ルイーズ姉様が好きだったから」
ジェーンは侍女に目配せすると、大きな箱を渡してきた。
箱を手にしているだけで、ふんわり甘い香りが漂ってくる気がする。
「『金羊亭』の焼き菓子セットですね!」
「そうよ。間違っても、途中で食べないように!」
「子どもじゃないんですから」
ステラが言い返したとき、侍女が「失礼します」と近づいてきた。
「旦那様がお帰りになられました」
「分かりました」
「帰る前に、私もお義兄様に挨拶をしますわ」
ジェーンとステラは並んで玄関まで急いだ。
すると、エントランスでは背の高い二人組が執事と会話している。1人はジェーンの旦那だとすぐ分かったが、もう1人の姿を見た途端、心臓が止まりそうになった。
「お帰りなさいませ、旦那様」
「ジェーン、ただいま帰りました。ああ、ステラさんも来ていたんだね」
「れ、レイモンドお義兄さま、お久しぶりです。えっと……」
「ん? ステラが副団長様の家にいるんだ?」
エルが心底不思議そうに首を傾げている。
「エルキュール君、久しぶりね」
ステラが答える前に、ジェーンがエルに近づいて行った。
「ジェーン様も息災そうで何よりです」
それより、と、エルの視線はステラに向けられている。
ステラは咳払いをして、心を落ち着かせてから話し始めた。
「私はジェーン姉様に会いに。エル君はどうして?」
「私の部下だからね。夕食に招待したんだよ」
レイモンド副団長が答えてくれた。
「彼は凄いんだよ。編み棒で器用に『鎖かたびら』を編んで、部下に配っているんだ。
どこで覚えたんだ? って聞いたら、君から習ったって聞いてね。話が盛り上がって、夕食に誘ったという次第なんだ」
「チェインメイルなんて、教えた記憶ありませんが」
というか、編み棒で創り出せるのか?
「私が教えたのは、ごくごく普通の手芸です。チェインメイルとか無理です。
私ができるのは、マフラーとか手袋とか」
「ああ、知ってるよ。ジェーンが自慢してた。『ステラのマフラーほど暖かいものはない』ってね」
「だ、旦那様! それは、内緒にしてくださいませ!」
ジェーンが顔を真っ赤に茹で上がらせながら制したが、時すでに遅し。
ステラはしっかり聞いてしまった。
「姉様には『手作りよりブランドもの』としか言われなかったから、とっても嬉しいです」
「勘違いしないことね。他になかったから、たまたま使っていただけです」
「私の帰りが遅くなったときは、ステラの作ったウサギを抱きながら眠っているんだよ」
「旦那様!」
真っ赤になったジェーンと爽やか笑顔の義兄と会話に花を咲かせていると、エルは不満そうに唇を尖らせていた。
「ずるいぞ、ステラ。
俺には、ぬいぐるみを作ってもらってない!」
「いやいや、あなたは男の子でしょう」
「欲しい物は欲しい!」
「ステラ、大人げないわよ」
ジェーンは話題を逸らしたいとばかりに、こちらへ話を振って来た。
「どうせ、馬車の中で暇なんだから。作る時間がたんまりあるじゃない」
「姉様!」
「馬車?」
ステラが叫ぶのとエルが聞き返すのは、ほとんど同時だった。
「ステラはね、ルイーズ姉様のお見舞いに行くの。その道中、暇でしょ?」
「それは……そうですけど」
「なら、いいじゃない。はい、決定」
ジェーンはぱんっと手を叩いた。
「そうか、では、私からもルイーズ様によろしくとお伝えしてくれないか?」
「ルイーズ様のところへか」
相変わらず爽やかな副団長の隣で、エルが訝しむような目をしていた。
一瞬、バレたか!? と思ったが、瞬きをしたら、すぐにいつもの無邪気な目に戻っていた。
「ちょっと遠いな……ステラ! ちゃんと行って、帰って来いよ」
「行ってくるね。エル君もレイモンド義兄様の部下ということは、数日後に西方へ行くんでしょ? お義兄様もエル君も、お気をつけて」
ステラは、彼の言葉に応えるようで、応えなかった。
死なないで帰って欲しいと心の底から思っているが、帰りを待つ気はさらさらない。
ルイーズのところへ行くことがバレたのは痛かったが、遅かれ早かれ分かることだ。
帰るつもり皆無のことは、絶対に言わないけど。
「そうだ、ステラ。せっかくだから、一緒に遊ばないか?」
帰り際、エルが呼び止めてきた。
「いえ、私は……」
「駄目か? 戦地に行ったらしばらく帰ってこれねぇし」
頼む!っと両手を合わせて拝んでくる。
ステラは唸りながら目線を逸らした。
これまでの話の流れから考えるに「断る」というのが正解だ。
先日だって、結婚云々の話で頷きかけてしまったのだ。彼から逃げるためには、もう会わない方がいい。
それなのに、ジェーンたちが
「ステラ、聞いてあげなさいよ」
「カヴァス君は戦場に行くわけだからね」
と、エルを援護してくる。
せめて姉には事情を話しておくべきだったと後悔しながら、ステラは目を泳がせた。
「うぅ……」
もう一度、エルに視線を戻す。
まるで、忠犬のように行儀よく「待て」をしているみたいだった。これで断ったら、しゅんと尻尾を落とし、悲しそうな顔をするのが目に見えている。
ステラは、自分の決心がぐらぐらと揺らぐ音が聞こえた気がした。
「ステラだって、『ゆっくり編み物がしたい』って言ってたじゃないか!」
それは確かに言った。
子どもの頃の口約束ではなく、わずか数日前に口に出した言葉だ。ステラは色々と逃げ道を模索したが、結局、大きく肩を落とした。
「……いいよ」
ステラは陥落した。
ただ遊ぶだけだ。
どうせ、このまま逃げるわけだし、第二の弟の最後のお願いだと思って聞いてあげよう。
「よしっ、やったぜ!」
にかっと笑うと、エルはわずかに屈みこみ、ステラの耳元で囁いた。
「約束、だからな」
と。