4話 勝利の美酒
「いいですこと、ステラさん」
モリーはステラを自室に招き入れると、薄暗い部屋に灯りをつける。
そして、小さなテーブルにグラスを置くと、エメラルドグリーンの瞳でステラを見据えた。
「もう一度言いますわ。貴方は国外へ逃げるべきなのです!」
「うーん……さすがに、それは無理ですよ」
ステラは乾いた笑いを浮かべながら、彼女の隣にグラスを置いた。
「伯爵家の令嬢ですから。そう簡単に国外へ行けませんし、ましては脱出するなんて……」
むしろ、国外へ逃げたら、追いかけて来そうな気がする。
その旨を伝えると、モリーはチッチと舌を鳴らした。
「簡単に諦めてしまうことが、相手の思うつぼなのです!」
「では、どうしろと?」
「いいですか。まずは、『ルイーズ様に会いに行く』という名目で国外へ脱出するのです」
「いやいや、それだと行き場所が露見しますって」
ステラはすぐにツッコミを入れる。
ルイーズとは、隣国の側妃となった姉のことだ。
心優しい姉なら匿ってくれるかもしれないが、長々と実妹を置いておくのは、かなり心象を悪くするだろう。それに、しっかりと懇切丁寧に説明し、ちゃんと理解を得られないと、「エルキュール君が、迎えに来てくれたわよー。早く仲直りしなさいな」とか言いそうな気がする。
「それは序の口。実際にはですね、そのあとに――」
こそこそと耳打ちをしてくる。
ステラはモリーの作戦を聞きながら、だんだんと表情を渋くさせた。
「……それを実行した場合、エル君から逃げることはできるかもしれませんが、私は死ぬ気がするんですけど?」
「上手くやれば問題ありませんわ。我がライオネット家も後押しするので、ご安心を。
というか、それしか道はありませんわ!」
モリーはステラに詰め寄ると、こちらの両手を握ってきた。
エメラルドグリーンの眼できっと睨んでくる。
「エルキュール様と結婚した姿を想像してください。
一生奥の部屋に閉じ込められ、逃げられないように足の健を切られ、籠の鳥にされてしまいますわ。下手したら『他の者と話すのが気に食わない』とかで、舌まで切られてしまうかもしれません。
それこそ、流星のように、命短く終わってしまいますわ!」
「いや、さすがに、そこまでしないと――」
「ステラさん。貴方が殿方と話している時点で阻止してくるのでしょう?」
モリーは真剣な表情で言葉を重ねた。
「11年もですよ? 熱烈なまでに恋焦がれた先にあるのは、絶望ですわ。いまは軽い調子かもしれませんが、だんだんと束縛が強くなり、最終的には、自分のためだけに啼く羽を捥がれた愛玩用の鳥にされるのです!
私の愛読書には、そのような事例が書いてありましたわ」
「どんな本を読んでるの!?
私としては、エル君より、貴方の趣味の方が怖いんですけど!?」
「と・も・か・く! 逃げる方法は、これしかありません!」
モリーは握る手に力を込めてきた。
「一生、籠の鳥は嫌でしょう?」
「もちろん。でも、エル君がそんなことするとは――」
「なら、この方法しかありませんわ!」
ステラは唸った。
エルが慕ってくれるのは嬉しい。けれど、やっぱり弟にしか思えないのだ。
ステラは自身を納得させるように頷いたが、脳裏に自分の知らなかった男の一面がチラついた。なんとも言えない表情で口の端を上げる姿に、ステラの身体が痺れるような熱のこもった赤い瞳……
「わ、私は、エル君が弟にしか見えない!」
ステラは想起した記憶を打ち消すように、ぶんぶんと首を横に振った。
「エル君には他に相応しい人がいるし、私は恋愛結婚がしたいし、だから婚活しているわけだし!」
「その意気ですわ!」
モリーが後押しするように声高らかに言った。
「ステラさんもエルキュール様も幸せになる道は一つ! まずは、ステラさんが国外へ出て、身を隠すことですわ!」
「そうね、その通りよ! ありがとう、モリー! 貴方がそこまで考えてくれるなんて、私は思ってなかったわ」
モリーとは幼少期からの付き合いだが、仲の悪かった時期があった。
モリーはステラと張り合い、お茶会の時は、わざと茶をかけてくることもあったのだ。今思い返せば、熱いお茶ではなく、そこそこ冷さめたお茶だったあたり、気を使いながら意地悪をしていたと分かる。
それでも、年を重ねるごとにだんだんと親交を深め、このような話を相談できるような仲になった。
そのことを想うと、じんわり目尻に涙が浮かんでくる気がした。
「当たり前です。私たち、幼馴染なのですから」
ステラは彼女の言葉を聞くと、大きく頷いた。
「私、やってみますね。後悔はしたくありませんから」
「全力で頑張ってください! 私、応援してますわ! 無事に逃げ切って、平穏を手に入れた暁には、一緒に勝利の美酒を飲みましょうね!」
「はい、約束ですよ!」
ステラはモリーに手を振ると、ライオネット侯爵家を後にした。
「……ふふふ、ちょろい。ちょろいわね、ステラリア」
ステラが去った部屋で、モリーはにんまりと口に弧を描く。
「ステラリア・ヘイスティア・クレイン……今度こそ、私が勝ちましてよ」
モリーは喉の奥を鳴らすように笑った。
ライオネット侯爵家とクレイン伯爵家は、昔から懇意の仲だった。
特に両家の兄同士が親友だったこともあり、年齢差3歳の娘も幼馴染として遊んでいた。最初期はそれなりに仲が良かった、と思う。
ところが、その関係はあっけなく終わりを告げた。
モリーがエルキュール・カヴァスを見初めてから変化したのだ。
濃青の髪に理知的な赤い瞳。やや筋肉の付き始めた身体からは想像できないほど物腰穏やかで、趣味を聞いたら、これまた『手芸』という見た目に合わず可愛らしい。
モリーは、考えるより先に、エルキュールの手を握っていた。
『エルキュール・カヴァス様! 私と結婚してくださいませ!』
モリーは、容姿に自信があった。
少なくとも、幼馴染の娘より器量良しである。社交の場においても、同年代で五本指に入るくらい神に愛された容姿だと自負していたし、実際そうだった。
爵位も釣り合っているし、年齢も良い感じだ。きっと、すぐに了承されると思っていた。
エルキュールは開放的な笑顔を浮かべると、さして考えることもなく口を開いた。
『すまない。俺はステラと結婚するから』
モリーは、完膚なきまでに玉砕した。
父に確認してみれば、結婚どころか婚約もしていない。『おそらく、口約束だろう』と言っていたが、自分より各段にパッとしない娘と結婚したいなんて、絶対に認めたくない。それが起因して、ステラに意地悪をしたことがあった。
だが、モリーは少し成長したときに気付いた。
エルキュールはステラを想っている。その想い人を傷つけた相手を、エルキュールが好きになってくれるはずがない、と。
そこからは、ステラに謝り、仲良くしようと心がけた。
実際、過去の遺恨を思い出さなければ、彼女を本当に友だちだと思っている。
ステラは少し能天気だが明るい心根の性格で、何事も前向きにとらえていた。
彼女は恋愛結婚を目指すあまり、夜会でこそ猫を被っているが、友人同士の付き合いでは裏表のない性格で好感が持てる。彼女と話していると落ち着くし、自身の手芸作品を見せびらかしても世辞は言わない。……ときにカチンとくるが、良い所は良いと心から褒めてくれるので憎めない。
一緒にいると心が落ち着き、会話も弾む。
モリーの一番の友だち、といっても過言ではなかった。
もっとも、前向きな反面、自分に都合の悪いこと先延ばしする癖があり、そのツケが今回の事態になるわけである。
「ごめんなさいね、ステラ。
エルキュール様が11年も想い続けているってことには驚いたけど、遠くにいる女よりも近くにいる女。遠距離恋愛は失敗する法則よ!」
モリーはテーブルに置かれたグラスを取ると、一気に飲み干した。
喉の奥がしゅわしゅわと軽く刺すような痛みを心地よく感じながら、口元に弧を描く。
「私がエルキュール様と結婚して、幸せにしてみせますわ!」
モリーは華々しく勝利した姿を思い描くと、高らかに笑うのであった。