2話 猫を被る
※サブタイトル変更しました(10月17日)
思い返せば、兆しはあった。
毎年、彼が誕生日を迎えるたびに
「ステラちゃん、あと10年だな」
「ステラ、あと9年だな」
と、カウントダウンをしていたのだ。
ステラは「いつの間にか、呼び捨てになったなー」と受け流していたが、もしも、本気だとしたら……そう考えると、ぞわりと爪先から背中にかけて蛇が這うような寒気を感じた。
本気だと分かったら、気軽に笑い飛ばせない。
「エル君と、け、け、結婚なんて!?」
「夜会を二分する人気物件だよ?
器量よし、頭もよし、戦歴もあって、地位もある。わたしが結婚したいくらい。
……まあ、束縛強そうだけどね」
「エル君の人生を縛らないように言ったことなのに、なんで私が縛られてるの!?
私、恋愛結婚する気だったのに!」
そういえば、いい感じの雰囲気になったのに、次に出会ったときは目を逸らされたことが幾度となくあった。
他にも、良いムードになっていたのに、エルが「あっちに行こうぜ!」と外に連れ出されたり、彼と踊ったりと、そんな調子で何回も「邪魔」をされた。
最近では、男性と踊ることさえ阻止してくる。というか、会話が盛り上がりかけたところで割り込んでくる。
「諦めるしかないわよね。カヴァス君はステラのことを『婚約者』って認識してるはずだもの。
大丈夫、結婚しても親友だし、相談にも乗るよ」
「うー……恋がしたかった」
「ほらほら、落ち込まない。とりあえず、明日の夜会では残された2年の独身生活を謳歌しよう」
「2年か……」
長いような、短いような。
ステラは、がっくりと頭を落とした。
ありえない。
弟として扱っていた子と結婚、だなんて。
これは、しっかりと引導を渡すべきか? 「弟としか思えないから諦めて欲しい」と。「エル君が山より高く、海よりも深く想ってくれても気持ちは変わらない」と、しっかり宣言するのだ。
そうすれば万事丸く収まる、と願いたい。
そうこう悩んでいる間にも時は進み、参加が決まっていた夜会へ向かう。
ほとんど結婚が決まったようなものだと断言されたが、まだ一縷の望みがある。すべて、自分とレベッカの勘違いかもしれない。
「……姉さん、今日は気合入ってないね」
クレイン伯爵家の馬車の中、本当に血の繋がっている方の弟が不審そうな視線を向けてきた。
「あら、いつも通りよ」
「いつも通りなら、目を野獣みたいに輝かせてるじゃん。まあ、乗り込んだ狩場では猫被ってるけど」
「アルフレッド、失礼よ」
「僕が言わないと、誰が真実を言うの?」
アルフレッドはじとっと湿った眼を向けてくる。
否定はできない。
ステラが苦い思いで黙り込んでいると、アルフレッドは言葉を続けた。
「結婚適齢期、そろそろ過ぎちゃうんだから。さっさと身を固めた方がいいよ」
「それを言うなら、貴方の友だちを紹介しなさい」
「えー、姉さんに紹介したくないな。可哀そうだから」
ないない、とアルフレッドは手を振った。
むむむ、と姉は奥歯を噛みしめた。
アルフレッド・クレイン。
伯爵家の次男坊なので、爵位を継ぐことはできない。いまは医学の道に進んでいる。なかなか才能があるらしく、世辞なしに「未来の宮廷医師」と噂されていた。
そんな彼は、ステラとは違い、母親譲りの美貌の持ち主だ。
灰色の髪はさらりと透き通り、青い瞳と物腰穏やかな言動と合わさり、「雪の使者」なんて二つ名がつくほどだ。
……まあ、その実態は毒舌男のわけだが。
ステラとは別の意味で猫を被っている少年である。
「そろそろ、姉さんをエスコートしたくないなー。恥ずかしいよ」
「他に頼める人がいないじゃない」
「それに結婚相手もさ、選り好みしない方が良いって。
というか、姉さんは婚約してるも同然じゃん。だいたい、エルキュールさんとの距離感は――」
「彼は絶対にダメ!」
反射的に否定する。
がたんと席を勢いよく立って即答したものだから、アルフレッドは目が点になっていた。
「ね、姉さん、どうしたの?」
「……はっ、ごめんあそばせ。そろそろ着くみたい」
「姉さん、本気で大丈夫? そっちは専門じゃないけど、診察してあげようか?」
ステラは弟に向かって、ぴしゃりと扇子で頭を軽く叩いた。
かなり失礼な実弟である。
自分は、年下の災でもあるのだろうか。個人的には包容力のある年上の男性の方が好みだ。
ステラは実弟から、これまでにないくらい不審な視線を向けられながら、馬車から降りる。
今日は、ライオネット侯爵家の夜会だ。
兄の幼馴染であり、昔から懇意の仲の名家である。ステラは実弟と一緒にライオネット侯爵ご夫妻に挨拶をし、主催者たちから離れた瞬間だった。
「アルフレッド様、お久しぶりでございますわ」
「一足早く、雪の使者が舞い降りたかと思いましたの」
「私と踊ってくれませんか?」
わらわらわらと着飾った御令嬢たちが、アルフレッドの周囲に集まってくる。
アルフレッドは「まったく、もう春ですよ。雪の使者は北国へ帰らないと」なんて言いながら、嬉しそうに口元を緩めている。
うっとりと頬を赤らめている令嬢たちに、先ほどまでの会話を聞かせたいくらいだ。
「……姉さん?」
じとじととした視線を令嬢たちに向けていると、アルフレッドが首を傾げた。
「まだいるの?」
「え、ええ。今日は実弟と過ごしたいと」
「姉さん、嬉しいよ。でもね、僕はこの可愛らしいお嬢さん方との会話を楽しみたい。姉さんとは家で話せるけど、彼女たちとは、ね。いいでしょ?」
やや上目遣いで頼み込んでくる。
なんと、しらじらしい言い訳だ。
しかしながら、「可愛らしい」と称されたお嬢さん方は惚れ惚れとしたように息を零すと、邪魔な姉上にちりちりと火花が散るような視線を向けてくる。
「……分かりました。皆様、アルフレッドをよろしく頼みますね」
「清楚なステラ様像」を壊すわけにはいかない。
今日は一人になりたくなかったから、一緒にいたのに……と内心、歯軋りをしながら退散する。
すぐさま親友の姿を探したが、こちらも若い男性衆に取り囲まれていた。レベッカは妖精のように儚げに微笑んでいる。
さすがに、あの中へ割り込む勇気はない。
普段なら男性陣の輪にそれとなく入り、会話に花を咲かせたり、ダンスの誘いを受けたりするのだが、どうもそのような気分になれない。
いや、そうするべきだし、結婚相手を探すべきなのだが、あまり気分が乗らなかった。
「……恋がしたいのになー」
何気なく男性陣を眺めながら壁に歩き始めると、アルフレッドとは違う方向にもう一つ、年頃の華やかな令嬢の塊を見つけた。
その中心には、エルがいた。夜会用の上品な黒を基調とした服を纏い、口元に静かな笑みを張り付けている。
普段は別に気にも留めず、婚活に明け暮れていたが、こうしてよく見ると、どきりとする程、大人っぽい。姿勢や歩き方など立ち振る舞いは仕草ひとつとっても綺麗で魅入られるほどだった。
「……ん、おっ、ステラー!」
しかし、唐突に終わりを告げる。
赤い瞳と目が合った瞬間、彼はそれまでの印象を全て一掃させ、いつもの笑顔と共に近づいてきた。周りの令嬢たちは不服そうにしているが、まったく気に留める様子もない。
「やっと見つけたぜ!」
彼は無邪気な笑みを携えながら近づいてきた。
自分の知っている姿に、ステラはほっと一息ついた。
「エル君、彼女たちはいいの?」
ステラが令嬢たちに視線を向けると、エルは不機嫌そうに口を尖らせた。
「別に興味ねぇよ。
こーいう場では『女性を敬い、紳士に振る舞う』ってもんだって、ステラが教えてくれたんじゃないか」
「……そうだっけ?」
「社交は仕事みたいなもんだ。ってことで、安心してくれ! 俺はステラ一筋だからな!」
「いや、それはありがたいんだけど……」
ステラは顔が強張るのを感じた。
いつも軽く流せる言葉なのだが、今日は重く受け止めてしまう。ステラは自分の気持ちを切り替えようと目を泳がせていると、エルの胸元で目が留まった。
「エル君、その勲章……?」
「ああ、これか。この間の戦で功をあげたからな。ステラにも見せただろ?」
そういえば、数か月前に見せてもらった気がする。
「お祝いに欲しいものはあるか?」と聞いたら「一緒に手芸したい」ということなので、ゆっくり仲良くあみあみしたものだ。
「なあ、ステラ。この国で俺より強い剣の達人は、そうそういないんだぜ?
俺にして欲しいことがあったら、なんでも言ってくれよ」
「して欲しいこと、ねぇ」
ステラは少し悩んだ末、ゆっくりと口を開いた。