プロローグ
「ステラちゃん。けっこんしてくれ!」
ステラは突然の申し出に、手袋を編む手が止まった。
ぱちぱちと瞬きをしてから、目の前の少年を見つめ返す。
「なにを言ってるの?」
ステラはくすりと笑った。
ステラこと、ステラリア・クレインは10歳。
目の前の男の子に至っては、5歳になったばかりだ。濃青色の髪に赤い瞳。いまは顔の輪郭が丸いが、あと10年もすれば細くなり、端正な顔立ちになると想像がついた。
「わたしにはもったいないですよ。エル君が大きくなったら、もっと良い子と出会えますから」
むしろ、女性の方から寄ってくる。
自分なんか眼じゃないくらい、可愛らしく美人な令嬢たちが。
エル君こと、エルキュール・カヴァス君は侯爵家の長子だ。
しかも、カヴァス家は先々代の王弟が王位を継がずに、起こした家である。つまりは、王家の血を引いている名家中の超名家なのだ。
「エル君は剣だって、同年代では誰にも負けないでしょ?」
「もちろん。俺に勝てる奴はいない」
「それに、勉強の覚えも良いでしょう?」
「当然だ。領民たちを困らせるわけにはいかないからな」
「おまけに顔がいい」
「ステラちゃんだって、可愛いだろ」
エル君はにかっと笑った。
「暖かいお日様みたいだ!」
「ありがとう」
ステラは苦笑いをした。
彼は世辞で言ってくれるが、そこまで容姿端麗ではない。いまは社交を知らないので「可愛い」と言ってくれる
ちょっと前までは、ステラ自身、お父さんたちが「可愛い」と言ってくれるので、「あ、私は可愛いんだ!」と調子に乗っていたが、先日、初めて社交の場に顔を出したとき、その幻想は崩れた。
みんな、ステラより可愛い。きらきらしていて、お姫様っぽかった。
化粧なんかしなくても、眼はぱっちり二重だし、頬も薄い桃色に染まり、髪だって艶やかだ。
ステラは現実を思い知った。
灰色の髪は煌びやかな社交ではくすんでいるし、化粧をしないと眼や鼻が浮き立たない。
大人になったら胸が膨らんでくる……と願っているが、姉たちを見る限り望みは薄そうだ。
「結婚とか言ってないで、まずはそれに集中しなさい」
ステラはエルの手元を指さす。
エルは編み棒を握り、橙色の塊を弄っていた。
超名家かつ将来超有望な男の子が、ステラと和やかに話している理由はこれである。
ステラは容姿に関する自信は完膚なきまでに消え失せたが、手芸だけは胸を張って誇れる。
父の誕生日には、彼のためにマフラーを編んだ。父は大げさすぎるほど喜び、社交の場やら仕事やら、あちこちで自慢しまくったらしい。
それが、エルの耳に入ったそうで
『これって、どうやって作ったんだ!?』
と、おしかけてきたのだ。
以来、ステラはエルの手芸の師匠として、週に一回ほど会いに行っている。
「む、むむむ……これは、髪が邪魔なせいだ」
エルは悔しそうに唇を噛みながら、頬を赤らめる。
確かに少しばかり前髪伸びて、手元が陰っている。。もちろん、その程度で手芸ができなくなるほどではない。単なる言い訳だが、そこのところが可愛い。
この可愛さも大きくなったら変わっていくのだろうなー、なんて思いながら、ステラは中座する。
「ステラちゃん?」
「ちょっと髪を弄るけどいい?」
「別にいいけどさ……?」
ステラは付添いの侍女を呼び、予備の髪ゴムを受け取った。
「ほら、じっとしていてくださいね」
ステラはエルの髪を手に取る。
濃青の髪は上等な絹糸みたいに、さらっとしていた。前髪を丁寧に梳きながら一つに結わき上げた。
「ほら。これで言い訳ができませんよ」
ステラはくすりと笑った。
エルはぽかんとしていたが、近くの鏡に目を向けて「おー」と口を開けていた。嫌がられるかと思ったが、赤い瞳をきらきら輝かせている。
「うん、いいな! とっても見やすい!」
「それは良かったです」
「これ、くれるってことでいいんだよな?」
「え? ええ、まあ。いいですけど、地味では……?」
ただの髪ゴムだ。
予備なだけあり、地味で味気ない黒いゴムである。
「だって、これって、ステラちゃんからのプレゼントだろ?」
「いやいや、プレゼントってわけでは……まあ、喜んでくれてよかったです」
「ってことで、けっこんしてくれ!」
「なんで、そうなるんですか!?」
ステラがツッコむと、エルは楽しそうに笑った。
だが、次の瞬間、とても真剣な顔になるとステラをまっすぐ見据えてきた。彼の赤い瞳は美しい。まるで瞳の奥に炎を燃やしているようだな、なんて思っていると、彼の口が開いた。
「俺は本気だぜ。俺のこと嫌いか?」
「いや、嫌いではないですよ」
「ってことは、好きか?」
「まあ、好きですね」
ステラは素直にうなずく。彼といると、わんぱくな弟ができたみたいで楽しかった。
ステラにも血のつながった弟がいたが、あっちはツンっとしていて素っ気ない。だから、エルと接している時は、お姉さん気分を味わえるので好きな時間だった。
それに、ふてくされた表情とか悪戦苦闘しながらも真面目に取り組む様子とかは、見ていて微笑ましく、とても好感が持てる。
「それなら、けっこんしてもいいだろ?」
「わたしは、エル君のことを弟だと思ってますから」
「大きくなったら、弟みたいだなんて思わないぜ?」
「うーん、そういうわけではなくてですね」
ステラは困った。
他に良い女性が現れる、と言っても、堂々巡りになりそうだ。
彼は可愛い弟分だ。彼は幼くて、将来まで見据えることができていない。こんな幼い時期にステラと婚約をしてしまったばかりに、もっと素敵で最高な女性たちとであったとき
『あー、なんで婚約なんてしてしまったんだろう』
と、悲しませたくなった。
姉心、という奴である。
「ステラリアお嬢様。お時間です」
侍女の言葉に、ステラは胸をなでおろした。
時間、というのは大変すばらしい。
こうして逃げる手段になってくれる。ステラはエルの「結婚してくれ」攻撃から逃れるための言い訳に使っていた。
つまり、ザ・先延ばしだ。
「では、エル君。私は帰りま――っ?」
「まだ、こたえを聞いてない!」
エルがステラの手をつかんできた。
「いつもそうだ。なあ、なにが駄目なのか。そこだけでいいから、おしえてくれ!」
「ですから、他に素敵な人との出会いが――」
「それはない!」
「んー」
ステラは唸った。
ここで「断る」なんて言おうものなら、泣き出しそうな顔をしている。
ステラは少しだけ考えた後、長く息を吐いた。
「わたし、結婚とか考えられないんです。
せめて、結婚は大人になってからです!」
ステラは言いながら「我ながらに良い案では?」と感心する。
成人年齢は、18歳。
そこまで成長するまでに、エルは社交を通して、ステラより良い女性と知り合える。結局のところ「先延ばし」に過ぎないが、大人になる頃には、こんな約束を忘れているだろう。
この間だって、偶然、父が庭に埋めていた「タイムカプセル」が掘り起こされ
『え、なにこれ。大人になったらパン屋になりたいとか馬鹿なことを考えてたのか!? そっちの絵は何!?』
と、顔に湯気を断たせながら、掘り起こされたものすべてをかき集めると、くすくす笑う家族と使用人をしり目に焼却炉へ走っていた。
このように、幼い思い出もいつかは忘れていくのだ。
こんな約束、絶対に忘れる。だいたい、彼が18になるときに、ステラは23歳。貴族の結婚適齢期、ギリギリだ。心のないものからは「過ぎている」と言われる。
「つまり、俺が18歳になったら、けっこんしてくれるってことか!?」
「それまでに、絶対に良い人が見つかりますよ」
ステラは適当に流したが、エルは嬉しそうに目を細めていた。
「わかった! 約束だからな!」
「ええ、約束です」
エルが無邪気に笑う。
ステラも微笑み返した。彼の将来を想って。
そう、そんな軽い気持ち。
具体的には、エルキュール・シーゲルソン・カヴァス侯爵子息(5歳)の人生を縛らないための約束を結んだ
―――はずだった。