番外編~あの時と、その後のメーテル~
今回はメーテルに焦点を当てました。
「嘘……」
顔を包む手は冷え、震えている。
メーテル・リヴィーリオは鏡に映る己を見て、今にも倒れそうなほど顔色を悪くした。
目覚めた時から、奇妙な感覚があった。見慣れた私室のはずなのに、私の部屋ではない。そんな違和感がつきまとっていた。
ふと鏡に映った自分を見て、急激に情報が脳内に流れ込んできた。
その情報とは、前世だった。
前世は魔法のない世界で生涯を終えた。その世界では夢キラ子というペンネームで、ネットにマンガを投稿していた。
問題なのは、前世を思い出したことではない。
今世の自分の顔、名前、状況が全て、前世で描いた自作に登場するキャラと同じだったからだ。
幸いそこまで読者に嫌われてはいなかったが、ヒロインのライバル役。慕う婚約者の第一王子をヒロインに取られる女。それがメーテル・リヴィーリオ。
「……私、殿下がコーネリアに惹かれる姿を見ながら、学校生活を送るの……?」
そんなこと、耐えられる訳がない。
前世で溢れていた創作物のように、頑張れば未来を変えられるかもしれない。だけど変えられなかったら? なにしろ予言のように今世の世界を描いたのは、他ならぬ自分自身だから。
マンガ通りになれば、愛しい人と婚約関係が解消され、彼がヒロインと結ばれることを祝福することになる。
学校生活が始まるのは、約一か月後。調べれば特待生として、ヒロインであるコーネリア・ヴァーロングが入学することが決まっていた。
やはりマンガ通りに進んでいる。なぜ? なぜよりにもよって、自分が描いた作品に転生してしまった?
「メーテル、どうかしたのか? 最近、元気がないようだが」
定期的に婚約者であるフォルデングと会うことが義務付けられており、今日もその日だった。
今は心配してくれているが、いつか彼はコーネリアに焦がれるようになるのかと思うと、悲しく辛かった。
やはり耐えられそうにない。
好きな人が……。それも結ばれるはずの相手の気持ちが離れる……。平気でいられるはずがない。
だからメーテルはふさぎこみながらも考え、心が張り裂けそうになりながら決断した。今からその時を迎え入れられるよう、フォルデングと距離を開けることを。
「殿下、もし……。もしもですよ? 恋焦がれる方と出会ったら、正直に仰って下さい。私はいつだって殿下の幸せを願っております。だから……」
ぽろり。
泣くまいと決めていたのに唇は震え、堪えきれず涙を流す。
発言もだが、なぜ急に泣き出したのか、フォルデングには思い当たることがなく戸惑った。
「……申し訳ございません。今日はもう帰らせて頂きます!」
口元に手を当て、走り去るメーテルを突然のことでフォルデングは追いかけられなかった。
そんな中庭での東屋のやり取りを、偶然見かけた者がいた。そう、フェアーラ・アヴァルである。
この国ではイトコ同士の結婚は認められており、より良い条件の男を手に入れたいフェアーラにとって、フォルデングは従弟でありながら、男としても見ていた。
なにがメーテルの中で起きたのかは分からないが、身を引く考えが生まれたらしい。フォルデング以上の極上な男など、この国には存在しない。今この時を利用しない手はない。フェアーラは無意識に、舌なめずりをした。
「フォルデング、メーテル様を放っていても良いの?」
東屋に残ったままの従弟に声をかける。
この機会を逃してなるものか。
以来フェアーラはなにかと理由をつけては城を訪れ、フォルデングに絡んだ。
「メーテル様、お耳に入れたいことが……」
ある日、神妙な様子のアリスがメーテルのもとを訪問した。
「最近フォルデング殿下に、フェアーラ様がつきまとっているようです。殿下も従姉だからか、強く拒んでおらず……。フェアーラ様のお噂はメーテル様もご存知でしょう? このままでよろしいのですか?」
「フェアーラ様ですって⁉」
自作では登場しない、けれどこの世界では有名な貴族令嬢。国王の姪という立場を利用し、男をとっかえひっかえ、良い噂を聞かない人物だ。
フォルデングがコーネリアに惹かれるから、心の準備のため彼との距離を開けている間に、あの女……!
隙を狙っていたに違いない。そういう女だ、許せるものか……!
すぐさまメーテルは城へ向かった。
いつも穏やかなメーテルが目を吊り上げ、怒りを隠すことなく、王子の居場所を大臣に尋ねる。
「ふぉ、フォルデング殿下は、現在、中庭でフェアーラ嬢と……」
その答えを聞き、扇子を持つ手が震える。大臣は仕事があると言うなり、逃げるように走り去った。
やはり他の女性にフォルデングを渡すなど、無理だ。自分がこれほど嫉妬深く、独占欲が強かったとは。こうなるまで知らなかった。
中庭にかけつければ長椅子に二人で並んで座り、やけにべたべたとフェアーラがフォルデングに触れていた。自分の腕を彼の腕に絡め、さらに彼の肩の上に頭を乗せている。そう、恋人同士のように。
幸いフォルデングは嫌そうに顔をしかめているが……。
その光景を見て、メーテルは扇子を真っ二つに折り、ぶち切れた。
「なにをしていらっしゃるの⁉ 殿下は私の婚約者! 私の夫となられる御方よ! 今すぐその腕を離しなさい! その頭もよ!」
突然現れたメーテルの剣幕に驚いた二人だったが、フォルデングは腕を振り払うと、すぐメーテルのもとへ向かう。そして彼女の肩を強く抱き寄せ、叫んだ。
「いくら従姉とはいえ、私も我慢の限界だ! 私が愛しているのは、メーテルだ! 人に誤解を与える行為は慎め、フェアーラ! これ以上私に付きまとうようなら、お前など金輪際、従姉として扱わん!」
「殿下……」
『私が愛しているのは、メーテルだ!』その言葉が、何度も頭の中で繰り返される。
フェアーラはこの時ばかりは深追いせず、去った。
なにしろ般若の形相で扇子を折ったメーテルを見てしまい、恐怖を覚えたからだ。さすがに虎の尾を踏む行為は避けるべきだと、この時は判断できた。
「殿下、先ほどのお言葉……」
「私の本心だ、メーテル。先日お前に東屋であのようなことを言われ、そこで自分の気持ちに気がついた愚か者だがな。お前が隣に居てくれることが当たり前で、離れるようなことを言われるとは思いもしなかった。そして隣にお前がいないと想像した時、虚無を覚えた。私はお前がいないと、ダメなのだ」
ぎゅっ、と全身を抱きしめられる。
「それで分かった。私はお前と一緒だから、なにごとも頑張れるのだと」
「殿下……。私……。不安になりましたの……。学校で、あなたにどのような出会いがあるのかと思うと……。私より、魅力ある方に出会われるのかと……」
また涙を流すメーテルの背中を、フォルデングは優しく撫でる。
「だから、だから、殿下が幸せになれるのなら、自分が身を引けばと……。そう思って……」
「身を引かれては困る」
真剣な声で言われ、しゃくり上げつつ顔を上げると、フォルデングと目が合う。
「言っただろう? 私が愛しているのは、メーテル。お前だ」
初めての口づけは、涙の味がしたが、二人とも甘いと感じた。
◇◇◇◇◇
入学式の日、メーテルはそれを思い出しつつ、唇に手を当てる。
あの時の口づけを思い出せば、不安は払拭される。
「おおー」
自作のヒロイン、コーネリアは額に手を横向きに当て、校内をキョロキョロ見渡している。
「思った以上に広いんだぁ」
落ちつきがなく、メーテルは首を傾げた。
こんなに落ちつきがないキャラではなかったはず。この場面は緊張した面持ちで……。
「……あら?」
いざ学校生活が始まれば、女子生徒より男子生徒と仲良くしてばかり。挙句には授業をサボる。
「…………あらら?」
どう考えても自分が描いたコーネリアではない。見た目だけが同じで、中身が全く違う。というか、別人だ。
水龍を暴走させた時には、担任のマジェス・イサーラが解決させ、そんな展開も自作にはなかった。
自作自演に思われたこの件で、コーネリアも前世持ちではないかと、メーテルは疑いを抱いた。
「この世界って……。私の描いたマンガのパラレルワールドなのかしら……?」
自分の推測が正解かは分からないが、フォルデングはコーネリアに興味を示さず、マジェスの魔法に感動した。
「噂には聞いていたが、あれほどの実力者とは! あのような方に教示頂けるとは、なんと私は運がいい!」
マジェスに関しては、従兄のエクサム・スターリンの片思いの相手という意味から興味を持っているようだが、恋愛対象外と分かるので不安はない。
すっかり安心していた頃、コーネリアがわざとぶつかって来て、スカートに紅茶をこぼした時は、まさか無理やり実力行使に出るとはと驚いた。
同時にやはりコーネリアも前世持ちで、前世で自分の作品を読んでいたのだと確信する。
だがまたマジェスが問題を解決させ、やはり自分が描いたマンガの世界とは違うのだと合点する。
それならば、ずっとフォルデングに愛されるように。彼の隣にいられるように、ふさわしいように。ますます頑張らなくてはならない。
彼の隣で共に歩むのは、並大抵の覚悟では通用しない。
それでも息抜きや気分転換は必要なので、前世を思い出した頃より、こっそりマンガを描く趣味を作り、楽しむ時間を設けた。
◇◇◇◇◇
「マジェスがスターリン先生と結婚されて良かったわ。公爵家の一員となったから、会うのに不審がられることがないもの」
結婚後もこっそりマンガを描いては、愛読者のマジェスに新作を渡している。
「それにしても大丈夫? 公務で忙しいのに、無理をして描かなくてもいいのよ? この点描だってトーンがないから、自分で描いているのでしょう?」
「ええ。上手になったでしょう?」
「そうね、どんどん上手になっているわね。ああ、そうだわ。これ」
辺りを確認し、マジェスが何かが入った袋を渡す。
「例の天才外科医のマンガが二冊。エクサムにも了承を得ているから。返すのはいつでもいいから、ゆっくり楽しんでちょうだい」
「まあ……。久しぶりの、あっちょんぷりけね」
今すぐ読みたいが、我慢する。もうすぐフォルデングも茶会に同席するため、ここへ来る予定なのだから。
まだフォルデングには、自分が前世持ちだと伝えていない。
いつかは伝えるべきだが、前世持ちとはいえ、自分が持っている知識が政治の役にたてるとは思えない。伝えられるのは、マンガを描く技術だけ。そんなことに意味があるとは思えないのだ。
「前作、エクサム邸の使用人にも評判が良かったわよ。特にエインという人が夢中になって、もっと読みたいって言っているわ」
「あら、そう言ってもらえると嬉しいわ。それなら、これまでの預けているマンガも、全部読んでもらっても構わないわ」
メーテルがこの世界で描いたマンガは現在、全てマジェスが預かっている。
「反応を見る限り、この世界でもマンガを受け入れられる人が増えてきていると思うのよね。いつかこの世界にも、マンガ家という職業が生まれるかもしれないわ」
「そうね、そうなってくれたら嬉しいわ」
二人が笑い合っていると、フォルデングがエクサムを連れ部屋に入って来た。
「楽しそうだな、なにを話しているのだ?」
「ふふっ、女同士の秘密ですわ」
四人で茶会を楽しみ、別れ……。
トイレに駆け込むと、魔法で小さくしていたマンガを元の大きさに戻す。
王城で一人になれる場所は限られている。
幸い一話完結マンガなのでトイレに行くたび、一話読める時間くらい作れるはず。
「……堂々とマンガが読める時代、早く来ないかしら……」
洋式便器に腰かけ、メーテルは呟くのだった。
お読み下さり、ありがとうございます。
さらりと書きましたが、本編最終回を考えた頃から、マジェスとエクサムは結婚すると決めていましたが、本編は結婚式エンドではなく、あの形となりました。
結婚するまで、前世から恋愛経験が乏しいマジェスが相手だと、まあいろいろ大変だろうなと。
二人で一緒に初めて朝を迎えるのは、特に大騒ぎになりそうですが、この辺りはR18になりそうなので、描きません。
やはり様々な年齢の読者様がいらっしゃいますので、片や読め、片や読めないというのは、作品を応援して下さる皆様が平等にならないと思いますので……。
読んで下さる皆様がいると思うと、書くことが頑張れます。そんなありがたい存在の読者様を選別するようなことは、この作品ではやりたくないのです。
ただ他の方面から、結婚までの二人は、そのうち描こうと思います。
本編でフェアーラがメーテルに帰れと言われても帰らなかったのは、般若姿ではないし、敵はマジェスやコーネリアだし、メーテルは無関係じゃない。
という、フェアーラの謎理屈からです。




