side裏話~その3~
裏と言うか、外伝っぽい内容です。
夏季休暇明け初日、コーネリアは朝早く登校した。
休暇前の彼女は、遅刻寸前で教室に飛びこんでくることが多かったので、すでに着席している姿に、登校したクラスメイトは驚いた。
誰かを待っているのか、誰かが教室に入ってくるたび、コーネリアはそちらに視線を送る。やっとその人物が登校したのか、慌てて席を立つと、ドアの辺りへ向かった。
「メ、メーテル……さんっ。話があるのっ」
またいつかの昼時のよう、メーテルに突っかかるつもりかと、周りの友人は構える。
「おはようございます、コーネリアさん。私にどんなお話かしら」
「えっと……」
両手の指をもじもじと合わせていたが、やがて決心をつけ両指を離すと、勢いよく頭を下げる。
「休暇前、私がぶつかったのに、悪いのはメーテル……さんと言って、ごめんなさい!」
これにはメーテルを含め、事を窺っていたクラスメイト全員も驚いた。
「ずっと気にしていらしたの?」
メーテルは、頭を下げたまま震えているコーネリアの手を優しく取る。
「じゃあ、仲直り。これからもよろしくね、コーネリアさん」
ふわりと優しい花の香りが漂う。メーテルの声も、香りと同じよう優しい。握られた手は柔らかく、温かい。まさに彼女こそ、王子のヒロインに適任だとコーネリアは思った。
「ありがとう……。それとね、相談があるの。お昼、一緒にしてもいい?」
「ええ、私でよければ。二人きりがいいかしら?」
「できれば、皆も……」
またもメーテルを取り巻く友人たちは驚いた。なぜ自分たちまで?
「皆さんも、よろしいかしら?」
メーテルにそんなことを言われ、断る者はいない。戸惑いながらも、友人たちは承諾する。
「じゃ、じゃあ! お昼にね! 絶対ね! 約束だからね!」
そう言うと顔を赤くしたコーネリアは、教室を飛び出ると、ばたばたと足音を立てながら、どこかへ行ってしまった。
「メーテル様、本当によろしいのですか?」
メーテルの友人の一人である、筆頭侯爵家の娘、キティア・コンツァが尋ねる。一応謝罪をしてきたとはいえ、休暇前のコーネリアを思えば、簡単に信用できない。それ故、メーテルを心配しての確認だった。
「もちろん。コーネリアさんが私に相談なんて、よほどのことでしょう。見捨てられないわ」
「メーテル様は、お優しすぎます」
少し呆れた様子のキティアに、メーテルはただ微笑みを返すだけだった。
メーテルはいつも昼食を、キティアと侯爵息女、サンティー・ターピンス、伯爵息女、アリス・エンティアの三人ととっている。
四人とも貴族界で一目置かれる家の令嬢。特にメーテルは、次代の王妃となる人物でもあり、校内の誰もに知られている。
校内の上位に位置する人物たちと、一緒に昼食をとっている庶民のコーネリアは、いくら特待生とはいえ異質な存在で、食堂中の視線を集めた。
食べている最中、四人は、休暇をどう過ごしたのかを報告し合いつつ、会話を楽しむ。ただコーネリアだけが黙々と食べ、たまに相槌を打つものの、相談ごとに心を割いているのか、ほとんど話を聞いていない様子だった。
「それで? 相談とは一体、どんな内容なのですか?」
食事を終え、優雅にお茶を飲むだけとなった時、三人の中で一番身分の高いキティアが尋ねる。
「……ここだけの話で、誰にも内緒にしてほしいの」
四人が他言しないことを誓うと、コーネリアは安心したのか、少し緊張を解した。
「大きな声で言えないから、ちょっと顔を寄せて」
はしたないと思いつつ、内緒話が嫌いではない四人は、少し身を乗り出すと顔を寄せる。
「あのね。皆、イサーラ先生とスターリン先生の噂、知っている?」
なんだ、そんなことか。一番に興味を失ったのは、サンティーだった。聞くに値しないと判断し、すっと身を離すと、カップに口をつける。
「長年の片思いと、イサーラ先生に言い寄れば、スターリン先生が抹殺しに来るという噂なら」
特にこういう話を好むアリスは、興味を失わず答える。
「私ね……。あの、スターリン先生が、イサーラ先生を長年思っているとしか、聞いたことがなくて……」
これまで男子生徒とばかり交流を持っていたので、仕方ないかとキティアは考える。なにしろこういう話は、男子生徒より女子生徒の方が、詳しい。もちろん噂話に詳しい男子生徒もいるが、いくら親しいとはいえ、異性相手。そこまで深く話せないのだろう。
「スターリン先生の片思いなんでしょ? 本当にイサーラ先生、気がついていないの……?」
なぜか泣きそうな顔で尋ねられ、不思議に思いながらもアリスは頷く。
「ええ。私が調べたところ、何度かスターリン先生もデートに誘ったようですが、どれも空振り。全く伝わっていないようです。もっともスターリン先生の誘い方もスマートではなく、遠回りだから仕方がないようですけど」
アリスがどこから情報を入手しているのか、あいかわらず謎だと、メーテルたちは思う。
アリスの生家、エンティア家は情報収集に長けており、その能力は王家でさえ一目を置いている。
伯爵家でありながら地位を確立し、本来身分が上位である、公爵や侯爵家と対等に話せるのも、彼らがエンティア家を恐れているからだ。一体どんな情報を握られており、それを利用され、没落してしまうか分からない恐怖。
しかし恐れながらも、大抵の家が情報を入手したい時、エンティア家を頼る。
しかもエンティア家は、尋ねればなんでも話す、そんな口の軽い者ではない。口外しないと約束した情報は、絶対に、他人に漏らさない。
そうやって、信用さえ得ている家の一員であるアリスが言うのだ。デートに誘ったという話も、事実に違いない。
「じゃあ……。本当に知らなかったの……?」
いつもほんのりピンク色に染まっている、愛らしいコーネリアの顔が、青ざめる。
「どうしました? 顔色が悪いですわよ?」
心配したキティアが尋ねる。
「どうしよう私……。イサーラ先生に、言っちゃったの……」
興味を失っていたサンティーの目が開かれ、ぐい! と再び顔を近づけてきた。
「なにを言われましたの?」
「スターリン先生のような、長年一途に思ってくれている人がいて、羨ましいって。私もそんな彼氏が欲しいって……」
「ええ⁉」
全員の口から大きな声が出るが、すぐに周りの視線に気がつき、小声で会話を再開する。
「どういうことですの? 最初から詳しくお話になって!」
情報収集に長けているエンティア家でも、さすがに把握していない情報に、アリスは興奮する。
「夏季休暇の時……」
コーネリアは王子とメーテルを覗き見していたことは伏せ、偶然町でマジェスと会い、魔力を暴走させ助けてもらい、家まで送ってもらっている最中、先生が羨ましいと言った。という話を、皆に聞かせた。
「それでね……。こういう場合って、スターリン先生に謝るべき?」
「謝るって……。勝手にあなたの気持ちを、イサーラ先生に伝えました、すみませんでした。って?」
サンティーの言葉に、コーネリアは頷く。
「お止しになられるべきでは?」
「でも自分の知らない所で、気持ちを伝えられたと知る権利は、あるのでは?」
五人の少女は悩んだ。全員、どの答えが良いのか分からない。
「スターリン先生については、一旦置いておきましょう。それより、それを聞いたイサーラ先生、どんなご様子でしたの? 驚かれたとか! 喜ばれたとか! 嫌がられたとか! なにかあるでしょう⁉」
鼻息荒い様子のアリスの質問に、コーネリアは落ちこんだように答える。
「……思いもしていなかったみたい。まるで魂が抜けたみたいになって、なにを言っても、はあ。うん。へえ。くらいしか答えなくなって……。どうしよう。余計なこと言っちゃった……」
「気にすることありません。むしろ今まで、イサーラ先生が知らなかったことの方が、奇跡ですもの」
キティアが励ますように言うが、コーネリアは落ちこんだままだ。こんな姿を見ることになるとは……。キティアはうろたえる。
メーテルはずいぶん前に砂糖を入れ、すっかり溶けきっているというのに、ずっとスプーンで紅茶をかき混ぜている。まさか自分の知らない場所で、思いもよらぬ援護射撃が炸裂していとは……。
いや、援護と呼べるのか? とにかく、マジェスに恋愛を意識させることに、成功していたとは。
「皆、スターリン家を敵に回したくないから、イサーラ先生に、伝えようとしませんでしたしね」
「え⁉ じゃあ私、スターリン先生に殺されちゃうの⁉」
震えるコーネリアに、アリスは安心するよう伝える。
「それはあり得ませんわ。そもそも、その噂……。ほら、三年生と四年生が、毎年合同で合宿を行うでしょう?
何年も前のことですが、その合宿で、イサーラ先生を手籠めにしようと企んだ生徒がいましたの。それを事前に知ったスターリン先生が、その生徒たちの実家に圧力をかけ、没落させようとしたのが、噂のもとですし」
「手籠め⁉ そんなこと、この学校で起きているの⁉」
校内の噂にとんと疎いコーネリアは、驚く。
「安心なさって、未遂です。それに、その時だけです。そんな異常な状態だったのは」
キティアの言葉に、他の三人もそうだと強く頷く。
「その時、中心になっていた男子生徒は、ひどい男尊女卑思考の持ち主で……。前世からの影響で、そういう思考だったそうです。
その前世は、この世界とは違う世界で、そこではとかく、女性の身分が低かったそうです。それで女性……。しかも、貴族ではない身分の低いイサーラ先生が気に食わず、痛い目に合せようと企んだのです」
「前世……」
キティアの説明に、コーネリアは静かに耳を寄せていた。そしてキティアの後を続けるよう、メーテルも語る。
「ええ。たまに現れるのです。前世の記憶を思い出す方が。その方たちの前世は、なぜかこの世界とは違う世界ばかり。私たちは前世を取り戻した方を、前世持ちと呼んでいます。この国が発展したのは、前世持ちの方から知識を拝借してのことなので、前世持ちが一概に悪とは言えませんが……」
「あの件で前世持ちは、この世界の考え方などと大きな差があり、結婚しても上手くいかないと言われるようになりましたね」
サンティーの言葉に、メーテルは頷く。
「イサーラ先生を襲おうとした前世持ちの生徒は、今は幽閉されています。学校を卒業してから、多くの女性に乱暴を働いた罪で……。一生幽閉が解かれることはないでしょう」
同じ前世持ちでも、その男は自分の世界と違う世界が前世なのだろうと、コーネリアは思った。
男尊女卑という言葉は存在していたが、そんな極端なまでの差別意識はなかった。外国によっては、あったかもしれないけれど……。仮に同じ世界だとしても、その男が日本人ではないのは確かだろう。
とりあえず前世持ちは、結婚に影響があるようなので、自分もだということは黙っていることに決める。
だって私の夢は、マンガのような恋をして、素敵な彼氏と結婚することだもの。コーネリアは心の中で、そう独り言ちる。
「ところで皆さん。今日のイサーラ先生、どうだったかしら」
サンティーの言葉に、朝礼や授業中のマジェスの姿を、思い思いに浮かべる。
「……休暇前と、なんら変わりがなかったような……」
「コーネリアさんからのお話がなければ、スターリン先生の気持ちを知ったと、気づきませんでしたわね」
「イサーラ先生、スターリン先生のお気持ちに、お応えするのかしら」
メーテルの問いかけるような呟きに、ごくり。四人は喉を鳴らす。
全員、恋の話は大好物である。
「断る理由がありません。身分もあり、性格にも問題ないと聞いています。女性の誘いを断ることでも有名で、まさに品行方正。公爵家の跡継ぎを辞退したとはいえ、優良物件だと、今も結婚を希望する女性が、後を絶たないほどの方ですから」
キティアは自信たっぷりに答える。
「私は先生のことですから、明後日の方向に着地したと思います。先輩教師や魔法使いとして慕われていると、勘違いされたのでは? だから、なんらお変わりないと思います」
アリスはこれまでの情報を元に、そう推測する。この答えが一番真実に近いのだが、この場の誰も、それを知らない。
「先生が応えるとしたら、教師をお辞めになるのでしょう? イサーラ先生は、教師を生涯続けたいと考えているようですし。そういう理由から、お断りするかもしれませんわね」
サンティーはあんな優良物件、逃すのはもったいないので、受け入れればいいのにと思いつつ、マジェスが教師を辞める道を選ぶことは考えにくいと思う。
「スターリン先生が、イサーラ先生を幸せにするなら、応えていいと思う……」
意外にもコーネリアの答えは、マジェスが幸せかどうかに重点を当てていた。
一体休暇中に、なにが彼女に起きたのか。まさか彼女の口から、こんな発言が飛び出てくるとは。いや、これまでコーネリア・ヴァーロングというのは、こういう人物だと、勝手に決めつけていたのかもしれない。キティアは反省する。
ただ可愛いというだけでなく、こういう一面もあるから、男子生徒が好いているのだろうと、サンティーは思う。
「そうね。私もイサーラ先生には、幸せになれる選択をしてもらいたいわ」
メーテルの言葉に、三人も頷く。
「それで? 結局スターリン先生には、謝った方がいいの?」
これには四人揃って沈黙する。
「……とりあえず、この話は他言できませんわね。アリス様、ご家族にも伏せて下さいね」
「承知しております、メーテル様。こんな面白い……。いえ、デリケートな話。そう簡単に家族とはいえ、渡すなんてもったいな……。いえ、話せませんから」
所々気になる本音が漏れていたが、全員聞かなかったことにする。
「やはり謝られてはいかがでしょう。そうすればコーネリアさんの憂い、晴れるのでは?」
サンティーの提案に、アリスも同意するよう、頷く。
「そうですわ! 私もご一緒しますから、謝りましょう!」
「アリス……。あなた、そうやって今度はスターリン先生の反応という、新たな情報を得ようとしていません?」
キティアの言葉にぎくりとアリスは身を固まらせるが、素知らぬ顔で否定する。
「いいえ。コーネリアさんの憂いを晴らすためです。サンティーの言う通り、謝罪が一番ですわ!」
「……そういうことにしておきましょう。ならば善は急げ! 放課後、皆でスターリン先生のもとへ行きますわよ!」
「あ、ありがとう! 皆、ありがとう!」
スプーンを回し続けながら、メーテルは思う。
これは援護と呼べるのかしら……。それとも、足を引っ張っているのかしら……。
とにかく人の恋愛に首を突っ込むのは、間違っている気がしてきた。フォルデングにもそう伝えよう。でも……。
素直に助言を得られたと喜んでいるコーネリアには、なにも言えない。
◇◇◇◇◇
放課後、結局メーテルも一緒に、全員でエクサムのもとを訪れる。
「す、すすす、すたっ、せせっ。はっ、話がっ」
「スターリン先生、お話したいことがあるので、お時間よろしいですか。と、コーネリアさんは言っています」
緊張なのか恐怖なのか、上手く言葉を発せられないコーネリアに代わり、キティアが訳す。
どういう組み合わせだと、エクサムは訝しむ。
メーテルと友人たちは分かるが、なぜそこにコーネリアが加わっている。しかもキティアが通訳とは、一体……。
唯一思い当たるのは……。
「コーネリア・ヴァーロング。宿題が終わらなかったので、提出日を伸ばして欲しいというお願い事なら、無理だぞ」
「ち、違います! 宿題はちゃんと頑張って、全部終わらせました!」
違うのか。では一体、なんだ? エクサムは首を傾げる。
結局、コーネリアの要点を得ない説明と、それを補う四人からの説明により、用件は分かった。分かったのだが、どういう羞恥プレイだと、逃げ出したくなる。
「分かった。話はそれだけか? なら気にするな」
公爵家で生まれ育った杵柄は伊達ではない。心の中は乱れまくっているが、冷静にそう答えると、話を打ち切った。
◇◇◇◇◇
「淡白な反応でしたわね」
教育室からの帰り、最初に物足りなさそうに呟いたのは、アリスだった。
「妙な感じですわよね。休暇中、お二人の間に、なにかがあったのでは⁉」
「それだ!」
サンティーに同意するよう、びし! と両手の人差し指を向けるコーネリア。
「実はもう二人、恋人同士になったとか!」
「まあ、コーネリアさん。そんな確証のないことを、そんな大声で……」
諭すように言いながらも、キティアも楽しそうだった。
メーテルもこういう話は、嫌いではない。だが将来の王妃として、噂話に興じるのはよくないと分かっている。
だけど……。きゃあきゃあ盛り上がる皆を見ていると、つい我慢できず、会話へ参加してしまう。
「交際を始められているとしたら、スターリン先生を兄のように慕う殿下も、お喜びになりますわ!」
「お二人の結婚式のドレスは、何色かしら⁉」
「きっとブーケも素敵でしょうねぇ」
「羨ましいですわねぇ」
「絶対ウェディングケーキも豪華だよねぇ」
勝手に結婚まで想像する五人は、うっとりとした顔を浮かべるのだった。
お読み下さり、ありがとうございます。




