その11
今年も、どうぞよろしくお願いいたします!
ああ、恋愛は面倒だ。恋人のいる男性に言い寄り、責められるのなら、非があるので納得できる。でも勝手に勘違いされ、責められるのは……。あれほど不条理で納得できず、嫌な思いをすることがあるだろうか。あんなこと、二度とごめんだ。
……二度と?
それを体験したのは、前世の私。今世の私が経験したことではない。
だって私はマジェス・イサーラで、鈴木海音ではない。
それなのに私は、鈴木海音として捕らわれている。
いや、今はそれを理由に、楽な方へ逃げているだけ?
理由をつけて恋愛を拒めば、傷つかずにすむ。だから自分なんかに、思いを寄せる人なんているはずがないと、思いこんでいる?
私なんか。自分なんか。
そうやって、どれだけ卑下すれば気がすむのだろう。
ああ……。また私の心の中に、どこからともなく、なにかが入りこんでくる。
私はいつまでそれに、気がつかないでいられる? それを無視して、本当に後悔しない?
なんで私は、前世を思い出したの?
◇◇◇◇◇
今日も前回と同じ、二人乗りのクーペと呼ばれる箱馬車の中、並んで座る。
「すみませんでした、おかしなことに巻きこんで」
車輪の音に紛れそうなほど、小さな声で謝ってこられた。
「フェアーラのことですか?」
「ええ……。今年の春ごろ、彼女が急に僕を標的にし、ずい分と迷惑をかけられ……。家同士の話し合いにまで発展し、二度とスターリン家に迷惑をかけないという念書も書かせたのですが……。どうもこちらの認識と、彼女の認識がかけ離れているようで……」
この国では、イトコ同士の婚姻も認められている。だからお互い思い合っていたりすれば、なんら問題はない。だけど、迷惑だと思われる行為を繰り返すのは、イトコ同士云々の前に、問題有りだ。
「どうもスターリン家に嫁ぎたいらしく……。弟も結婚前は、頭を悩ませていました」
はあ……。と、大きくため息をつくスターリン。
「まあ、そうでしたか……」
彼の弟も生徒だったので、よく覚えている。スターリンと似ている外見だったが、身長は兄に比べ低く、魔法使いとしても劣っていた。全体的な学力は、弟の方が出来は良かったけど。
フェアーラが兄弟を狙っていたなんて……。どれだけスターリン家に嫁ぎたいの? 肉食系なんて言葉が、可愛らしく聞こえてくるわ。
「ひょっとして、私をデート相手にすれば、諦めてくれると考えたのですか?」
「はあ、まあ……」
いや、フェアーラは狙った男の恋人の有無にかかわらず、行動する人じゃないですか。そんな私が知っているようなことを、あなたが知らない訳ないでしょう? 面倒なことに、巻きこまないでください。
文句の一つも言いたくなるが、疲れているスターリンの顔を見ると、口にすることができなかった。
「ですから、もしフェアーラが先生になにか迷惑をかけたら、すぐに教えて下さい。あいつのことなので、一度狙った相手は、落とすまで諦めないでしょうし」
じゃあ一度落とされたように見せかけ、振れば? とも言いたいけれど、見せかけだけでも嫌なんだろうな。だってスターリン、女性の誘いは全て断っていると、有名だもの。
「あんなに自由奔放に生きて、その……。貴族社会のことはよく分かりませんが、困ったことになりませんか?」
「なりますね。いえ、すでに困った事態になっています。叔母がよく愚痴っています、結婚の申し込みがないと……」
「ああ……」
恋愛至上主義な人が多い世界でも、性に奔放な女性は、結婚相手として避けられる傾向にある。だって、生まれてくる子どもの父親が、誰だか分からないと困るから。特に血統を重んじる貴族社会では、その傾向が強い。
国王の姪で、由緒ある侯爵家の令嬢でもあるのだから、普通に生活していたら、結婚の申し込みは困るほどあっただろうに。
「本人は、問題に気がついていないのですか?」
「残念ながら」
私は眉間にしわを寄せる。
「アヴァル侯爵や侯爵夫人は、そういうことに注意をされないのですか?」
「叔母は多少、注意をしているようですが……。いざとなれば、国王の姪という立場を利用し、結婚できると甘く考えているようで……。叔父は遅くにできた末っ子が、可愛いらしく……。現実から目を背けています」
いいのか、それで⁉ じゃあアヴァル侯爵は、娘の奔放さを、ただの噂だと思いこんでいるの? それはマズいんじゃない? 夫婦そろって、ひどいわね。フェアーラが、なぜあんなに自由奔放に生きているのか、なんとなく分かった気がする。
◇◇◇◇◇
「いらっしゃいませ、イサーラ様」
今日も盛大に並んだ使用人さんたちの出迎えがあった。
……これって、帰宅のたびに行われているのかしら。慣れない光景に、一瞬意識が飛びそうになる。
あ、そうだわ。お土産を渡さないと。そう思い、パウンドケーキの入った袋を渡そうとした時……。
「まあ、いらっしゃい」
ひょっこりと、タルトケーキの乗ったお盆を手に、品の良い年配の女性が、奥の部屋から姿を現した。はて? どこか見覚えがあるような……。
茶色い髪の毛を一つに結い、にこにこと笑っている女性に向け、スターリンが呻くような声を出す。
「母上……」
そうだ、思い出した。スターリン公爵夫人だ。スターリン兄弟が学生として在籍していた頃、何度か学校で見かけたことがある。
「お帰りなさい、エクサム。美味しそうなケーキを頂いたから、お裾分けに来たのよ。お客様? ちょうど良かったわ。これでもてなして差し上げたらどう?」
思わずパウンドケーキの入った袋を、慌てて背後に隠す。
公爵家がどなたかに頂いたケーキに比べたら、私のケーキなんて……。なんの値打もないモブどころか、空気のような存在! いや、むしろ空気の方が、人間の生命に関わるから重要! つまり空気以下!
とにかくあんなタルトを前に、こんな手作りケーキなど、どうして出せよう。無理だ。絶対無理!
「なぜ母上が居るのですか?」
「だから、ケーキのお裾分けに来たの」
「ホール単位で?」
「ホール単位で頂いたから、その一つを持って来たの」
え? ホール単位でケーキを頂けるの? 貴族社会、すごいわね……。確かに、使用人さんたちにも分けると思えば、ワンホールでは足りないか。
それにしても、見事な苺タルトだわ。苺がほら、あんなに一粒一粒、大きい。それに甘いカスタードの香りもして……。透明なナパージュもキラキラ光って、見た目も美しい。
「イサーラ先生、でしたわよね。息子たちが学生の頃、お世話になりました。今もエクサムがお世話になっております」
「こちらこそお世話になっております、マジェス・イサーラです」
慌てて頭を下げる。
「学校ではエクサム、どうかしら。ちゃんと教師としてやっているかしら」
「母上! ケーキを譲りに来ただけなら、受け取りましたので、帰って下さい!」
私が答えるより早く、ひょいとケーキの乗ったお盆を取り上げると、叫ぶスターリン。
そりゃあ、そうよね。幾つになっても、親の前で自分を評価される話なんて、聞きたくないわよね。私だって嫌だ。
さて、私は一体どうしたらいいのかしら……。答えるべき? それとも、答えない?
「センヴェル! 母上のお見送りを!」
「承知いたしました」
私が悩んでいる間に、どうやら強硬手段で母親を追い出すことに決めたらしい。
「待ちなさい、エクサム! まだ彼女と話を……」
「奥様、御用はお済みになられたでしょう。あまりご無理を言わず……」
「センヴェル! 私は!」
「先生、今のうちに」
「さあさあ、イサーラ様。どうぞこちらに」
「え? いや、あの……」
使用人さんたちにも背中を押され、歩き出す。公爵夫人、放っていいの?
振り返れば大勢いた使用人は、センヴェルさんと一緒に、なにやら公爵夫人を説得する派と、私たちを追いかけて来る派に分かれた。
そんな中、私の背中を押す使用人さんの顔を見て、声を上げる。
「あ、あなた! あの時の使用人の方……!」
「その節は大変失礼いたしました」
彼女はスターリンの裸を見て叫んだ時、真っ先に部屋に入って来た使用人の一人だった。そう、彼女はこう言った。
「だから止めたじゃない! これまでの我慢が解き放たれると!」
あの時、使用人さんたちがなにを言っているのか、分からなかったけど……。もしもよ? もし、コーネリアの語る噂が真実なら……?
あの時の彼女たちのセリフは……。
「とにかく落ちついて下さい、イサーラ様。その……。エクサム様も悪気はないかと……」
「ええ、もちろん同意がなければ重罪です。ですが、その……。ね?」
「え、ええ。エクサム様も、その……。長年我慢も募り……。普段は理性のある方で、素晴らしいお方ですが、やはりその……。ね?」
「ね?」
……思い返せば、やたら語尾に『ね?』が多いわね。じゃなくて! 長年の我慢? 我慢が解き放たれる? 噂のことを考えると、分からなかった意味が見えてきた気がする。
でも本当にそうだとしたら? 私、どうするの?
これまでのように、知らぬふりをするの? そんなことは絶対にありえないと言い張って、気がつかないようにするの?
なにも言われなければ、それも可能だろう。だけどもし、言葉にされたら?
フェアーラや、熱を上げている生徒たちは、私のようなおばさん相手なら、勝てると思っているはず。そんな彼女たちが、前世で南沢くんの時のように、絡んできたら?
それが嫌だという理由だけで、本気で向き合うことなく断るの?
分からない。なにもかも分からない。そもそも己惚れるな、という話だけど……。
ねえスターリン。噂は本当なの? あなたは一体、どう思っているの?
少し前を歩くスターリンの横顔を覗き見る。
なにも分からなかった。
◇◇◇◇◇
「本当にすみませんでした。今度は、母がお騒がせして……」
また前回のように隠し部屋に案内され、頭を下げられる。
「いえ、幾つになっても子を案ずるのが、親心でしょうし。気にしないで下さい」
以前の私なら、こう答えていたはず。それを演じられる私は、結局自分を変える気なんて、ないのかもしれない。それだけ身に付いた『私』を作る殻は、あまりに厚くて頑丈でもある。
「そう言っていただけると、助かります」
愛想笑いを浮かべながら、私はパウンドケーキの入っている袋を、そっと隠すように、本の入った袋の後ろに置く。
とにかくコレはダメだ。こいつの出番は、今日はなし! これは逃げではない。恥をかかないためである!
「じゃあ、あの……。どうぞ、お好きに読んで下さい」
「ありがとうございます。では早速……」
「僕はちょっと、上の様子を見てきますので」
一人になり、マンガを取りに行く。
前回読んだのは、この巻までだったはず。このまま名医の続きを読むべきか、他のマンガを読むべきか……。悩む。
結局続きを読むことに決めた。一話完結なので、中断しても続きが気になり眠れない! ということにもならないしね。
とりあえず一話読み、思わず漏らす。
「……血を飲めば、不老不死になる鳥が出てくるマンガも、読みたくなったわね……。鼻の大きなおじさんが、どの編にも登場すると思ったら、ああいうことだったのよね」
前世で読んだ作品を思い出し、懐かしくなる。
残念なことに、ここの本棚には、マンガの神様のライフワーク作品は置かれていない。ないと余計に読みたくなってくる。
ああ、でも同じ作者なら、妖怪に体を奪われた少年が主人公のマンガもいいわね。あの作品は、まさかあのキャラが女の子だなんて、騙されたわ。ご両親とひもじい思いをしている時のあの場面、強烈に頭に残っているし……。
「あー、ダメだ。他のマンガも読みたくなってきた。あれだけいろんな作品を描いていたのに、どうしてこの棚には名医の本しかないわけ? 不老不死の鳥とか、体を取り戻すため妖怪を倒すとか、白いライオンとか、三つ目がある男の子とか、男装したリボンの似合う女性騎士とか、十万馬力のロボットとか、他にもいろいろあるじゃない!」
両手を伸ばし叫ぶと、ちょうどスターリンがお茶とタルトの乗った盆を持って戻って来た。
……ヤバい。今の叫び、聞かれた……?
「イサーラ先生、せっかくなのでタルトケーキをどうぞ」
さっと腕を下ろす。
いや、叫びを聞かれたところで、意味が分からない内容に違いない。この本を『マンガ』と呼ぶことすら知らないのだから、大丈夫! でも意味不明なことを叫ぶ怪しい人間と思われても困る。やっぱりヤバい、どうしよう。
とりあえず落ち着こうと、ティーカップに手を伸ばし、ごくごく飲む。さっぱりしていて、あいかわらず美味しい。少し気分も落ちつく。
「ところで先生。鳥というのは、ライフワーク作品の鳥ですか?」
「へ?」
「不老不死の鳥ですよね?」
にっこりスターリンは微笑むが、こちらはだらだらと汗が流れる。
え? 私、心の声が出ていました? それとも、読心術が使えるのですか?
「様子がおかしいとは思っていました。先生、マンガが読めるんですね?」
じっと正面から見つめられ、バレている! そんな悲鳴を上げそうになる。
「ただ読めるだけでなく、その作者の他の作品を知っているということは……。前世は、マンガが存在していた世界ではありませんか?」
当たっていらっしゃる。正解です。
なんで? なんで分かったの? だけどここで頷いて、頭がおかしな女だと思われないかしら。
答えられずにいたら、スターリンがさらりと、ある事実を告げてきた。
「安心して下さい。僕もそうですから」
「へ?」
「そのマンガがあった世界が、僕の前世ですから。ちなみに生まれた県は……」
もちろん、四十七都道府県の一つを挙げられた。
嘘でしょう⁉ メーテルとコーネリアだけじゃなく、スターリンも⁉ ちょっと神様、前世が同じ世界の人、多すぎ! 転生者が多すぎだって!
「……私も同じ県です」
「奇遇ですね。どの市ですか?」
答えると、なんとそれも同じだった。さらに詳しく地名を挙げていけば、出身小・中学校まで同じだったと分かる。政令指定都市よ? 人口百万人以上よ? それなのに一致するなんて……。なんとまあ。
「あの、生まれた年は?」
さすがにここまで一致しないと思うけど、なんだか気になって来た。もしかしたら、小学校に通っていた時が、何年か重なっていたかも。
彼からの返事は、驚いたことに前世の私と同じだった。つまり私たちは、同級生ということで……。
あ、嫌な予感。
まさかコイツが前世の初恋の君だなんて展開、ないでしょうね。マンガとかだと、そういうパターンよね。それだけは勘弁してください。お願い、神様!
「山田ですが、覚えていますか?」
「……鈴木です」
よくある苗字だが、学年にその苗字は互いに一人だけだった。
山田くん、か……。ええ、ええ、覚えていますとも。初恋の彼と仲の良かった奴じゃない!
本人じゃないだけマシだけど、なんでお前なんだ!
「鈴木さんか……。覚えているよ。佐藤の……」
ぎゅっと、カップを持つ手に力が入る。
佐藤くん。私の初恋の人……。
「鈴木さんに教えてほしいことがあるんだけど……。ずいぶん前だから、覚えていないだろうけれど、ずっと気になっていて……。どうして急に、佐藤を無視するようになったんだ?」
「は?」
お前もあの時、教室にいただろうが! それこそ覚えていらっしゃらないのかしら⁉
私は怒りやら悔しいやら、ぐちゃぐちゃな気持ちのまま、ぶっきらぼうに答える。
「……聞いたんですよ。放課後、クラスの女子から私のことを、ブスだと思うか質問されていた所を」
そうだ。あの時山田くんは、『お前ら、ひでぇな』って嫌悪感を出していた。
「ああ、あれ……。つまりその……。恥ずかしくなって?」
「恥ずかしい? 悔しいし、ショックだったわ。あんな風に、陰で人のことを嘲笑っていながら、平気そうに話しかけてくる神経。人として疑ったわ」
「……もしかして、途中までしか聞いていない?」
「え?」
「あの時、佐藤がブスだと言ったのは、その質問をしてきた子たちに向けてだよ。そういう話をして笑っているお前らこそ、ブスだって言って揉めて……。騒ぎになって駆けつけた先生にも怒られて……」
「う、ウソ……! だって、うん。ブスだねって、あの時、佐藤くん……」
私の記憶は、それから下駄箱に飛んでいる。佐藤くんがあの後、どう言ったのかは、確かに聞いた覚えがない。
「あの後、返事を聞いた女の子たちが笑って……。それで佐藤が、お前らがブスだって言いだして……」
「う、ウソよ……」
それなら私、ずっと誤解して、二度と恋なんてするものかと、思っていたの……?
周りの友だちも、そんなこと言っていなかったわ。
でも、友だちも途中までしか聞いていなかったら? その出来事が起きる前に、皆、下駄箱に向かっていたら?
「本当だよ。あの頃、佐藤は鈴木さんのことが好きで……」
「止めて! 聞きたくない! 今さらそんな話をして、どうなるのよ!」
耳を塞いで、頭を振る。
嘘だ。佐藤くんが私のことを……? 全て誤解だった……? それなのに私は、何年間も……。佐藤くんをひどい人と決めつけ……。生まれ変わっても、ずっと……。
「うん、今さらだったね、ごめん……」
……止めてよ。素直に謝られたら、なにも言えないじゃない……。
「私こそごめんなさい……。山田くんが悪いわけでもないのに……」
私は耳から手を離すと、立ち上がる。
「これ、お土産。渡すのが遅くなってごめんなさい。いろいろ考えたいから、今日はもう帰ります」
パウンドケーキが入った袋を押し付けるように渡し、私はふらふらとスターリン邸を後にした。
私は一体、なにに捕らわれていたの……?
これまで自分を作っていた根底が覆り、『私』が崩れ、倒れそうだった。
お読み下さり、ありがとうございました。
教室でのシーンは、実はこういうことでした。
周りの友人たちが、これ以上聞いたらダメだと、気を使って無理やり下駄箱まで連れて行ったので、その後の話を知らなかったのです。
山田くんの一言についても、前回詳しく描写しなかったのは、ここで明かそうと決めていたので、控えていました。
次回はsideの予定です。
よろしくお願いいたします。




