その9
誤字、脱字を修正しました。
さて。詫びの品に、なにを贈ろうか。
三連休二日目の午後、ようやく気を取り直した私は、スターリンへの詫びの品を求め、町へ出た。
今朝は目覚めるなり、使用人さんたちの制止を振り切ると、スターリンに挨拶もせず自宅へ飛んで帰った。
あんなに迷惑をかけておきながら、謝りもせず逃げるなんて、とんだダメ人間行為。まさか自分がこんなに阿呆だったとは……。だけど混乱していたの、どうか許してほしい。
というわけで、謝罪するのに手ぶらもなんだと、買い物に来たけれど……。
なにを買えばいいのかしら。
相手は公爵家よ? 私の持ち金で買える品で大丈夫? 私にとっては高価でも、彼にとっては安物かもしれない。それって、無礼になるような気がする。
住む世界が違いすぎる人に、なにを渡せばいいのか分からない。
私は一体、どうしたら……。なにを買えばいいの⁉
「イサーラ先生、どうしました?」
お菓子屋さんの前で悩んでいた私に声をかけてきたのは、家族連れのオストール先生だった。
「頭を抱え、ぶんぶん振り回して……。かなり怪しいですよ?」
え? 私、そんな行動をとっていたの?
無自覚で、不審な行動をとっていたらしい。ああっ、恥ずかしいっ。
◇◇◇◇◇
「ははあ、なるほど。迷惑をかけたから、お詫びの品を贈りたいと。それなら無難に、お菓子でいいと思いますけど?」
「でも、高貴な方なのです」
「じゃあ、値段の高いお菓子で」
優しいオストール先生。話を聞いてくれたのは嬉しいけれど、その答えはかなり雑。本当に優しいのか、疑問を抱いてしまう。
「自分から相談にのると言いながら、なあに、その投げやりな答えは」
横からオストール先生の奥様、キュニーが呆れたように口を挟んできた。
「ねえ、イサーラ。その相手って、男性?」
「え、ええ」
「え?」
ひどく驚くオストール先生。私に浮いた噂がないとはいえ、驚きすぎじゃない?
「あなた、子どもの面倒を見てちょうだい。こういうのは、女同士で話す方がいいのよ」
彼女の腕の中ですやすや眠っている小さな子を、オストール先生にそっと渡し、道端で石を蹴って遊んでいる上の子どもに、パパから離れないよう告げる。それから私の腕を取って、少し離れた場所へ移動する。
ちなみに彼女とは学生時代、学年が同じだったので、見知った仲だ。
「その男性って、特別な相手でしょ?」
「特別?」
顔を寄せられ、小声で尋ねられる。
どこか期待しているようなキュニーの目を見て、彼女がなにか勘違いしていると、すぐに気がつく。
「残念だけど、あなたの期待するような相手じゃないわ。だって、同僚なんだから」
「だけど、あなたが人通りある場所で、あんな不審な行動をとるなんておかしいわよ。ねえ。迷惑をかけたって、具体的になにが起きたの?」
同僚の家に行き、本を読んでいたら眠ってしまい、目を覚まし誤って同僚の部屋を無断で開け、おパンツをはいていたけど彼の裸を見ました。
なんて言えるわけ、ないじゃない!
せっかく忘れていたのに、蘇るおパンツ姿。
……ダメだ。思い出しただけで、顔が熱を持つ。
髪の毛が濡れていたのも悪いのよ。なによ、あれ。あんなの色気を上げる要素じゃない。一人で部屋にいるのに、色気を振りまくなよ。
「……顔、赤いわよ?」
「そ、それくらい、恥ずかしいってことよ! ああ、思い出すだけで本当、恥ずかしいったらないわ! とても人には言えないわ!」
わざとらしい言い方だが、事実を伝えるわけにはいかない。
「まあ、いいわ。困っているなら、このキュニー様が助けてもいいわよ?」
「どういうこと?」
「つ、ま、り。この料理上手な私が、お菓子作りを伝授してあげるってことよ。手作りお菓子で謝れば、きっと相手も喜んで許してくれるわよ」
「手作り……」
その発想はなかった。
でも相手は公爵家……。そんな安っぽいもので……?
……いや、まてよ? 逆に金で買えないものだから、有りかもしれない。心を込めて作りました。って言えば、私の謝罪が伝わるかも。
私はキュニーの両手を握る。
「お願いします、キュニー先生」
「任せて! じゃあ明日、さっそく家に来ない?」
「もちろんお願いします、キュニー先生」
「いや。ちょっと待て、キュニー。なんで手作り? イサーラ先生が、男へ手作りのお菓子を贈る? それは止めた方が……」
いつから聞いていたのか、近づいてきていたオストール先生が止めてくる。
そんなに私、料理が苦手に見えるのかしら? これでも一人暮らしは長いし、人並みに料理くらいできますよ!
◇◇◇◇◇
連休三日目の夜。
キュニーから習ったクッキーを、自宅でも作っていた。
なんせ相手は公爵家。別邸とはいえ、使用人の数も多い。スターリンだけでなく、彼らにも迷惑をかけたのだから、全員に配らなくては。
それも一人一個ではなく、二個以上! それくらいでないと、私の気が治まらない!
「それにしても……。オストール先生、料理が苦手だったのね。知らなかったわ」
キュニーからお菓子作りを習っていると、やたら周りをうろちょろしては、砂糖が必要なのに塩を渡してきたり、とにかく邪魔だった。砂糖と塩を間違えるくらいなのだから、相当料理が苦手に違いない。
キュニーがお菓子だけでなく、料理も得意だから、作る必要がないので仕方ないかもしれないけれど……。オストール先生、万が一キュニーになにかあれば、どうするのかしら。
結局オストール先生は台所を追い出された。次になぜか、それまで大人しかった子どもが、急に風魔法を台所に向けて撃ったり、暴れ出した。
聞けば、パパにやれと言われた。なんて話すので、怒ったキュニーが先生に、子どもと一緒に公園で遊んで来い! と怒鳴り、家から追い出した。
「いや! その菓子は、成功したらまずい! 殺される!」
そんな訳の分からない叫びが聞こえてきたが、私たちは無視をした。
成功してなにがまずいんだか。人に渡すお菓子なのだから、成功しない方がまずいに決まっている。
「それに殺されるって、誰によ。お菓子なんかで、殺人が起きるわけ、ないじゃない」
クッキーを焼いている時間は、買ってきたお酒を飲みながら、塩辛いおつまみを食べる。
いやね。ずっと甘い香りに包まれているので、どうにもしょっぱいものが食べたくなって。ほら、甘いものとしょっぱいものを、交互に食べたくなる、アレですよ。
全て焼き終えると、用意した白い箱へ、ぎっちぎちにお菓子を詰め、無理やり蓋をする。
……あら。なんか膨らんでいるわね。四角い箱なのに、膨張したように丸くなって……。詰めこみすぎたかしら。
「まあいいか。溢れんばかりの謝罪の気持ちってことだし、使用人さんが何人いるのか知らないし。多くて困ることはないわよね」
最後に青いリボンで、箱を飾る。
「……よしっ。あとはこれを渡して、謝るだけね」
◇◇◇◇◇
そして連休明け。
やたら大きな箱を持って少し早目に登校すると、オストール先生が飛んで姿を現した。
「イサーラ先生、おはようございます。って、その箱は……?」
「おはようございます、オストール先生。先生の奥様のおかげで、ほら! 立派に完成しました」
得意気に膨らんでいる箱を見せると、ひくり。先生の顔が引きつる。
「えっと……。ちょっと、多くないですか? 箱が膨らんでいますよ?」
「お詫びの気持ちを込めているので、これでも足りないくらいですが……」
「いやいや、今にも破裂しそうですし。もっと量を減らしては? それで余ったものを、その……。校内の先生方に配るとか!」
急になにを言い出す。
「それはちょっと……。お詫びの品なので、他の方に配るのは……」
「理由はどうでもいいと思います」
なんだ、それ? というか、私が嫌だ。ある人たちを思って作ったものなのに、他の人に渡したくない。
「早く謝りたいので、私、行きますね」
他の荷物を置き、箱を抱えて教員室を出ようとすると、悲鳴を上げるように叫ぶオストール先生。
「まさか⁉ うちの学校の関係者なんですか⁉」
まったく、一体なんだと……。なんかオストール先生、この間から、言動がおかしいわよ?
「迷惑の内容は聞きません! せめて、命知らずのそいつの名を教えて下さい!」
どういう意味? 奥様直伝の、私の作ったお菓子を食べたら、その人が腹でも下すと言いたいの?
少しむっとしながら、私は答える。
「スターリン先生ですけれど?」
瞬間、なぜかオストール先生は晴れやかな顔になると、笑いだした。
「いやあ、そうでしたか。はっはっはっ。それならその量も、仕方ありませんよね。いいですよね、手作りお菓子って」
え? 使用人の皆さんにも配ると分かったの?
ああ。スターリンが自宅の敷地内で暮らしている話は、有名だものね。使用人さんの存在に気がついても、別に不思議でもないか。
「じゃあ、行ってきます」
「はい、行ってらっしゃい」
今は笑顔だけど、やっぱりオストール先生の言動……。なにか引っかかるわね……。
もやもやした気持ちのまま、私は社会科の教員室へ向かった。
◇◇◇◇◇
途中会ったメーテルは、驚いた顔で箱を見る。
「……先生。爆弾でも入っているんですか? それ、破裂しそうですよ?」
「そう? ちょっと詰め込みすぎたかしら」
「一体、なにが入っているのですか?」
「クッキーよ」
その後すれ違った王子にも、今にも破裂しそうだと言われた。
立て続けに同じことを言われ、不安になる。
でも今さら中身を減らすのはなあ……。教員室についちゃったし。
まあいいか。とにかく、はやく謝ろう。私はドアを開ける。
「おはようございます。スターリン先生、いらっしゃいますか?」
「おはようございます、イサーラ先生。なにか用事ですか?」
幸いスターリンは登校していた。
だけど、なぜかしら。笑顔なのに、こう……。怒りというか……。怖いというか……。ひんやりとした雰囲気というか……。
……うん。怒っていらっしゃる。
ヤバい。やはりお菓子の数が少なくても、昨日のうちに、直接家まで謝りにうかがうべきだったかもしれない。
「あの、お話が……。今よろしいですか?」
とりあえず呼び出すことに、成功する。
この時間は使用していない教室へ向かい、本当に誰もいないか廊下を見て確認し、扉を閉める。万が一会話を聞かれたら、私の恥が露見されてしまう。それは避けたい。
「あの、先日は大変ご迷惑をおかけしまして……。本当に申し訳ありませんでした」
「………………」
返事がない……。やはり、相当怒っていらっしゃるようだ。
腕組みし、私を見下ろす目がイラついているような気がする。
「その、本当に覗く気はなくて……」
覗くの一言で、またもおパンツ姿が脳裏によみがえり、顔が真っ赤になる。
いかん! 本人を前に、なんつう記憶が! 消えろ、記憶! どっか行け! 目の前のスターリンが、おパンツ姿に見える前に、幻よ消えろ!
頭の上、なにかを振り払うように手をあおぐ。
またも不審な行動をとってしまったが、スターリンからの突っ込みはなかった。
……突っ込んでも、良かったのよ?
「あ、あの。それで朝もまだ混乱しておりまして、それでなにも言わず帰ってしまいまして。本当にすみませんでした。それで、これ……。お詫びでして……。どうぞ皆さんで召し上がってください!」
さあ、私の溢れんばかりの謝罪を受け取ってくれ!
「……甘い香りがしますね」
あっさりと箱を受け取ってくれ、ホッとする。
「クッキーです。お菓子作りが得意な友人に習いました。お口に合うといいのですが」
「習った? 手作りということですか?」
「ええ」
あら、あらあら? 見る見るスターリンの眉間のシワが消えていく。
「そうですか、手作り。……なんかこの箱、膨らんでいますね」
「はい、使用人の皆さまにもご迷惑をおかけしたので……。どうぞ皆さまと一緒にお食べ下さい。使用人さんが何人いらっしゃるか存知ませんでしたので、多く作ってみました」
「……ああ、なるほど」
スターリンをまとう温度が下がった気がする。
情緒不安定なの? どうした、スターリン。なんか、へんだよ?
「さっそくいただいても?」
「え⁉ 今ですか⁉」
さすがに私の前で食べるのは、ちょっと勘弁して下さい。どんな羞恥プレイですか。
止める間もなく、やけに嬉しそうな顔でリボンを解く。そして蓋が開いた瞬間、詰め込みすぎたクッキーが溢れ、何枚も勢いよく机の上に散らばった。
「ひいっ」
「………………」
「す、すみません! 本当に重ね重ね! こういうの初めてで、どれくらい詰め込んでも大丈夫なのか分からなくて!」
まさか本当に爆発しようとは! なんたる失態! お詫びの品を贈るはずが、またもとんだ迷惑行為を! こんなはずじゃあ……。穴があれば入りたい……っ。
慌てて拾い始めると、スターリンも散らばったクッキーに手を伸ばす。
「大丈夫ですよ。さすがに飛び出してきたのは、驚きましたが」
そう言うと、拾ったクッキーを食べ始めた。
「先生⁉ 落ちたものを食べなくても……!」
「机の上だし、大丈夫ですよ。うん、美味しい。ありがとうございます」
本当に嬉しそうに言われ……。
あらあら? また顔が赤くなってきた。情緒不安定なのは、私も?
それからスターリンは箱を閉め、私の手からひょいと、クッキーを取る。
え? それも食べてくれるの? そんなにクッキーが好物だったの? 知らなかった……。
だけど、なんだろう。
自分の作ったものを美味しそうに食べてくれるのって、私まで嬉しくなって、幸せな気分になれるのね。知らなかった……。
「それで? 次はいつにされますか?」
「次?」
「お忘れですか?」
忘れた? とは、一体?
「全部を一日で読み終えられないだろうから、また後日来られて読まれるかと尋ねたら、はい。と答えたのは、先生ですよ?」
……すみません。そのやり取り、ちっとも覚えていません。
今世の私は本に夢中になると、なにを話しかけられても、内容を聞かず、『うん』や『はい』とだけ無意識に返事をする。そんな変わった悪癖がある。その習性を妹に利用され、昔はよく皿洗いなど押しつけられたものだ。
「それで? いつにされます?」
にっこりとスターリンが笑い、なんだか私は……。
あら? あらあら?
なにかしら?
一瞬、自分の気持ちがよく分からくなった。
お読みいただき、ありがとうございます。




