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その7

誤字を修正しました。

 乗りこんだ馬車は、クーペと呼ばれる、二人乗りの箱馬車。

 御者は箱の外、前側に座っており、スターリンから合図を受けると、操った馬をゆっくり走らせ始めた。お高い馬車だからか、揺れをそんなに感じない。

 流石は公爵家。小さめな馬車でも、名に恥じない品を使っているに違いない。


 それにしても、二人乗りで助かった。四人乗りだったら、座る位置を向かいにするか隣にするかで、絶対に悩んだもの。その点二人乗りは、隣同士しか選択肢がない。悩みがないのは、ありがたいけれど……。

 揺れは基本、ほとんどない。時おり、なにかの拍子に大きく揺れた場合、彼と体のどこかが触れ合う。逃げられない事故のようなものとはいえ、そのうち無礼者と言われ、怒られるのでは……。


 ああ、ダメだ。慣れない。無理。逃げたい。でもマンガ……。そう、マンガ……。恋焦がれるマンガに、やっと会えるのだから……。ゴールまで耐えるのよ、頑張るのよ、マジェス!

 心の中で気を静めようと、『マンガ』という呪文を繰り返し唱えていると、スターリンに話しかけられる。


「最近、よく殿下と会話を交わされていますよね。それによる困りごととか、ありませんか?」


 呪文を唱えることを中断し、しばし考えて答える。


「いえ、思い当たることは……」

「おかしな話をされたことは?」


 腕を組んで考える。心当たりは……。ないな。しいて言うなら、目の前でメーテルとイチャイチャすることを、控えてほしい。でもそれをスターリンに言っても、彼も困ることだろう。となれば、答えは一つ。


「そういう覚えも、ありませんね」

「そうですか」


 どこか安心したような声だった。

 ……もしかして。殿下から、自分の恥ずかしい話を聞いていないか気になり、探りを入れてきたとか? 従兄弟だもの、人に知られたくない失敗談を互いに知っていて、おかしくない。

 大丈夫よ、スターリン。そんな話は殿下としていないから。むしろその質問は、私よりメーテルにすべきだと思うわ。


「そういえば……。祭で殿下、スターリン先生を『兄上』と呼んでいらっしゃいましたね。今も先生は殿下を心配され……。仲がよろしいのですね」

「殿下には、実の兄や姉がおられないからか、私たちイトコをそのように呼ばれることがあり……。少し人を信用しすぎるきらいもあるので、そこが心配で……」

「でも……。意外としたたかな方ですし、杞憂ではありませんか?」

「へえ……」


 自分の腿の上で肘をつき、こちらを微笑みながら見ているスターリンを中心に、寒気が流れ込んでくるような……。思わず、ぶるり、大きく震える。


「まるで、殿下をよく理解されているような口ぶりですね」

「メーテルからよく、殿下の話を聞かされますし……」


 たまに二人の思い出を、日記替わりにマンガへ描くメーテル。しかもそれを、私に貸す。帰宅し、読んでいる途中で、二人のエピソードだと気がついた時の、私の気まずさよ。

 身分を考えれば、おいそれと話せないことは理解できる。だが、マンガなら問題なしというは、違うのではないかね。それに、人にマンガで実体験を伝えるのは、恥ずかしくないのかね。そこは理解できない。

 ……あ。もしかして、エッセイのつもりとか?


「そういえば先日、二人揃って教員室を訪れたと思ったら、ジュエルスターを使ってブローチを作るから、どの図案がいいか相談にのってくれなど……。話す機会が増えれば、その人を知る機会も増えますから」

「それだけですか?」


 質問の意図が分からない。

 そういえば王子からも、母親になりたいのかと、急におかしな質問をされたことがある。そういう血筋なんだろうな、きっと。


「はい」


 よく分からなかったが、とりあえず頷いた。

 途端に、車内に充満していた寒気が消えた。

 車内に冷暖房でもついているのかしら。そうだとしたら、さすが公爵家ね。やっぱりお高い馬車は、一般人の知らない機能も豊富なのね。


◇◇◇◇◇


 私のような平民モブが、理由もなく立入ることがない、多くの貴族が暮らす街。そこでスターリンは暮らしている。

 街に一歩でも踏み入れば、見渡す限り、豪邸ばかり!


 と言いたいが、意外と窓から見える景色に、屋敷はほんど見当たらない。はて? それなりの家がこの辺りに集合しているはずなのに、いつになったら、豪邸たちは姿を現すのかしら?

 それにしても、やけに柵に囲まれた公園が多いわね。これでは住宅街というより、公園街じゃない? なんの需要があって、こんなに公園があるのやら……。金持ちの考えることは、よく分からない。公園だらけだと、土地の無駄遣いではないかしら。


 やがて馬車はある門を通り、公園の中へ。

 鮮やかな緑の芝生は、よく手入れされている。高さも揃えられ、枯れている場所がない。所々植えられている木や花壇も、バランスよく配置されている。

 非常に美しい公園だが、遊具が一つも見当たらない。幾つかベンチを見つけることはできたが、それだけ。殺風景な公園だなあ。これだけ広いのだし、遊具を設置すればいいのに。


「スターリン先生。この公園を抜けたら、ご自宅ですか?」

「ここはもう、我が家ですよ。公園ではなく、庭です」


 スターリンが苦笑いを浮かべ、答えてくれた。

 それを聞き、私は飛び上がりそうなほど驚いた。


 ここが公園じゃなく、庭⁉


 慌てて自分に近い、左側の窓の外を見る。振り返り、やはり窓から外を見る。

 どう見ても、だだっ広い芝生の公園。これが、庭⁉

 じゃあ、ここに来るまで、私が公園と思っていたのも全て、誰かのお宅の庭だったってこと⁉

 そうだよ、公園だらけなんて、おかしい話だもの。それにしても、庭しか見えず家が見えないなんて、どれだけ広いの? 庭でゴルフでもプレイしているの?


 ……やっぱり帰りたくなってきた。気のせいか、胃が痛いような……。本当、今すぐ馬車から飛び降り、逃げ出したい。だけど、マンガ……。そうよ、ここまで耐えたじゃない。ゴールはもうすぐ! ゴールを迎えたら、マンガが待っているのよ。それまで頑張れ、マジェス!


 馬車が進む。やがて背の高い木が多くなる。

 そして木々が開け、姿を現したのは、一軒の全体的に四角い、三階建てはある大きな館だった。


「まあ……」


 四角というと単純に聞こえるが、まずその大きさ! 町で見る建物と比べ物にならないほど、とにかくデカい! 窓の数が数え切れないほど。



「さすが公爵家のお屋敷、大きいですねえ」


 その大きさに感心していると、またも苦笑いを浮かべながら、スターリンが訂正してきた。


「ここが僕の暮らす別邸で、本邸は奥にあります」


 なぬ⁉

 これが別邸⁉ この大豪邸に、一人暮らし⁉


 自分の暮らす、安い独身用のアパートを思い出す。小さい中に、台所、トイレ、風呂場はしっかり完備されている。しかも別の場所に移動するのに、数秒あれば十分。狭いけれど、大切な私のお城。

 ところが、この豪邸ではどうだ。絶対、一階と三階の行き来に何分もかかるのは必至!

 これが貧富の差か……。軽い眩暈を覚える。


 館に階段の前で馬車を下り、スターリンと並んで扉の前に立つ。瞬間、計ったように、タイミング良く扉が開いた。魔法が使われた気配はない。つまり館で働いている誰かが、主人であるスターリンを待たせることなく、扉を開けられるよう、どこからか庭の様子を見ていたに違いない。


「お帰りなさいませ」


 何人もの人の声が重なって挨拶される。広いエントランスはシックな色合いの絨毯に、お揃いの色をした壁紙で統一されている。太い柱には、なぜか直接像が彫られていたり、甲冑が飾られていたり……。なにより使用人たちが左右に並び、道を作っているような光景に、度肝を抜く。

 まさかリアルでこんな光景を見られる日がくるとは……。


「町で偶然会った、同僚のマジェス・イサーラ先生だ」

「さようでございますか」


 え? え? 私は一体、どうすれば? あ、そうか。挨拶だ。うん、挨拶は基本だものね。挨拶をしなきゃ。


「マジェス・イサーラです。突然の訪問で、申し訳ございません」


 貴族の礼は分からないので、無理せず頭だけを下げる。

 一番年配の方が返事をしてくれる。


「使用人頭のセンヴェルと申します。イサーラ様、ようこそ当館へお越し下さいました。エクサム様のご友人は、いつでも大歓迎でございます。なにかご不便などございましたら、遠慮なく私どもをお呼びください」


 いや、私は友人ではなく、ただの同僚で……。

 にこにこと笑っているセンヴェルさんと、センヴェルさんの言葉に頷く、他の使用人さんたちの暖かい眼差しを前にすると、そんなこと言える訳がなく……。


「……ありがとうございます」


 そう答えるだけで、精一杯だった。

 でも良かった。この貧乏人が! 公爵家に足を入れるなんて、百年早いんだよ! と、なじられるかもと思っていたのに、この歓迎していますな、優しい雰囲気! さすが公爵家! 王族に次ぐ高貴な家系! しっかり使用人教育もされていて、素晴らしいです!


「後ほど、お部屋にお茶をお運びしましょう」

「いや、茶は書斎へ」


 瞬間、何人かがっかりした顔になり、周りの使用人が慌てて無言で小突いている。

 ……うん?


「イサーラ先生は本がお好きでね。それで書斎にある、珍しい本をお見せしようと思って」

「かしこまりました。それではご案内を……」

「いや、いい。自分で案内する。先生、こちらですよ」


 どうやらスターリンは、帰宅したことで貴族モードに入ったらしい。

 自然に背中に手を添えられ、並んで歩き出す。

 こ、これはエスコート! いわゆるエスコートというヤツですよね⁉ よく本などで読んでいたから分かるけれど……。



 結論から言わせてもらおう。


 ぶっちゃけ、歩きにくい。



 なんかピッタリくっつかれて歩くのに慣れていないので、歩きにくいったらない。それに、なんだろう……。全身がむずがゆいような……。落ちつかないような……。根っからの一般人である私には、エスコートは体に合わないようです……。

 センヴェルさんの案内で良かったのに……。それに、妙に大勢の視線を感じるような……。

 ひょっとして、一般人ごときが、我が家のご子息にエスコートされるなんて……。厚かましい女め! と、怒りの眼差しを向けられているのでは……。

 怖くて確認できぬまま、私は書斎へ入る。


 スターリンの手も離れ、視線からも解放され、ホッとする。同時に疲労感にも襲われる。正直エントランスからここに来るまで、ほとんど覚えていない。

 やっと落ちついてきた。そして部屋を見回すと、私は両手を組んで喜んだ。


「まあああああ!」


 ちょっとしたお店以上の本が、棚一杯に並んでいる!


「この奥にも、本棚はあります」

「まあ、すごいわ! こんなに沢山の本が! 種類も豊富なのね!」


 大衆向けの小説、ノンフィクション。歴史書もある。

 本棚は左右に設けられており、その間に、人が三人くらい並んで歩けるほどの通路がある感じ。

 左右の本棚も背を合わせ置かれており、左右どちらかの列に入れば、二つの本棚が正面を向けて私を待っている。この列が数えたら、なんと十列もある!

 ここは天国か? ここでなら私、一日中過ごせると思う。


「それで、どうしますか? そろそろお茶も運ばれてくる頃かと……」

「あ、あの……。外国の本を、ぜひ……。変わった本とやらを、読みたく……」


 悪いな、シャジャーコ。お前も懐かしくて興味はあるが、マンガに比べたら、ね……。勝負にもならないのだよ。今度機会があれば購入するので、だから、呪わないでね。


 私の返事を聞いたスターリンの笑顔が、一瞬固まる。なぜだ? 自分から誘っておきながら。


「その本なら、こちらです」


 にこりと笑顔を取り戻すと、部屋の奥に案内される。

 最後の列の本棚の奥は、壁。パッと見た目、その本棚に外国語の書籍は見当たらない。

 そんな本棚の前で、スターリンは急に何冊もの本を抜いては戻し、抜いては戻しと繰り返し始めた。


 ……まさか! マンガの置き場所、忘れたのではないでしょうね⁉


 そう突っ込む前に、ごごごごご。という地鳴りが響くと、本棚がまるで門のように、左右に開き出す。


「隠し扉です。ある決まった流れで本を出し入れすると、開く仕掛けなんです。貴重な本は、全てこの先の部屋に置いています」


 なんと、こんな仕掛けが。どういう絡繰りなのだろう、不思議だ。というか、隠し扉って……。ますますお金持ちで、特別な家って感じだなあ。


 本棚の向こうは下り階段が待っていた。スターリンに続き階段を下りると、行き当たりには、扉。そこに鍵はかかっておらず、ただスターリンがノブを回しただけで、簡単に扉は開いた。

 暗かった部屋に、明かりが灯される。

 室内は書斎より狭く、本棚の数も少ない。それでも一般人から見れば、十分の量です。この部屋だけでも楽しめそう。


「あの辺りに、例の本たちを揃えています」


 ある一角を教えられ、逸る気持ちを抑えながら向かう。

 そこには厚みもサイズもバラバラの本が、何十冊と並んでいた。上の段から順に、背表紙のタイトルを心の中で読み上げる。



 ……あ。これ、好きなマンガ。



 そう言いそうになり、私は慌てて口を閉じる。



 待って……? なにこれ……。



 改めてその一角を確認すると、それらの本の背表紙は、日本語で書かれていると理解する。ええ、もちろん読めますとも。前世で使用していた言語ですからね。

 それから目に飛びこんできたのは、マンガ界のレジェンドが描いた、顔に傷がある、無免許ながら名医が主人公のマンガ。文庫版だ。その一冊を手に取り、振り向く。


「こ、こ、ここ、これ……? これが?」

「はい。僕も字は読めませんが、絵を眺めるだけでも楽しいですよ」


 この一角にある本は、前世のマンガたちだった。


 なぜ?

 どうして異世界のマンガが、ここに⁉ どういうことなの⁉

お読みいただき、ありがとうございます。


本当、多くの方に訪問いただけ、感謝しております。


村岡みのり

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