エピソード三つ目~1~
令和2年1月23日(木)
加筆修正を行いました。ストーリーそのものに変更はありません。
西日が射しこみ、夕暮れ色に染まり始めた廊下。
校庭から聞こえるのは、部活動に励む生徒の声。
そんな校庭を見下ろしている王子の横顔は憂いを帯び……。その影が、余計に彼の美しさを引き立てている。
普段は見せない彼の弱気な一面がさらけ出され、ヒロインとの心の距離がぐっと縮まる、エピソード三つ目。
なのに、なぜ王子の本音を聞いているのは私なのだろう。
どうしてこうなったの⁉
◇◇◇◇◇
祖母の遺品の本。見たことがない形式の不思議な本だった。
すぐそれに夢中になった私は、他の同著作物はないかと知の神殿に向かったのだが……。結果は残念なものだった。
発売当時ほとんど話題にならず、二冊目が刊行されることはなかった。
作者の女性はそれでも作品を描き続けたが、没後、原稿は遺族が全て処分。燃えて失われてしまった。
結果残っているのは、発行された作品だけ。
その女性が発行した本の形式とは、『マンガ』だ。
この世界を舞台にした、一冊で完結されている少女マンガ。
作中では点描、花の背景、キラキラとした拝啓が飛びまくりの、甘酸っぱいラブストーリー。前世を思い出した今なら分かる。これはどう見ても前世で馴染みある『マンガ』そのものだ。
作者は私と同じ転生者だったかもしれない。つくづく彼女が亡くなっていることが残念でならない。
先日知の神殿を後にし、歩きながら考えた。
前世も今世も、絵心ない私に自家発電は無理。やはり素直に所有者へマンガを読ませてくれと頼むのが一番だと。
しかしマンガを持っているのは生徒と同僚。言い換えれば王子の婚約者と、最近私への扱いがよろしくない後輩同僚。
それなら頼むのは、生徒であるメーテル一択? スターリンにお願いは、なんか嫌だし。
だって考えてみて下さいな。もしスターリンがマンガに偏見を持っていたら?
『へぇ。こんなのを読むなんて、やっぱり幼稚なんですね』
なんて言われるかもしれない! それ以前に、今のアイツに借りを作りたくない! おかしい。以前はこんな人ではなかったのに。
そもそもこんなことを考えること自体、幼稚だと分かっている。分かっているが、自ら傷つく選択を選びたくない心情に嘘はつけない。
さあ! そうと決めたらメーテルに頼まねば!
そうして放課後彼女を探していたら、なぜか廊下で王子に話しかけられた。
「先生、先日知の神殿に行かれましたよね? 水の女神が神殿に現れたと、城でも話題になりましたよ。やはり教師にしておくにはもったいないと、多くの大臣たちがぼやいていました」
そう笑顔で言われた。
「まあ、そんなに高く評価していただけるなんて……。光栄ですが、私などまだまだ未熟な面が多く……」
「謙遜することはありません。先生ほどの魔力の持ち主は世界が広いとは言え、そうはいませんから。……失礼ですが、なぜ教師になられたのですか? 先生なら他の道を選ぶこともできましたよね?」
教師という道を選んだ頃、国の偉い人が何人も訪れて来ては馬鹿にしたように、笑いながら『教師なんかになるとは』、『まだ道は正せる。遅くはない』などと言ってきた。そんなことを言う奴らの下で働くなんて、絶対に嫌だと思った記憶がよみがえる。
果たして王子の質問は純粋なものだろうか? それとも……。
まあいいわ、様子を見ながら会話を続けましょう。
「私は特待生としてこの学校へ入学し、魔法の楽しさを知りました。成長する自分も嬉しく、もっと高みを目指したいと思ったこともあります。でもある時同級生に魔法を教え感謝され、思ったのです。私も恩師のように、誰かの成長を助けられる人になりたいと。それで教師の道を選びました。今でも後悔はしていません」
「そうですか」
王子は窓辺へ近寄ると、眩しそうにオレンジ色の目を細める。
「私は先生が教師という道を選んでくれ、良かったと思います。優秀な魔法使いのもとで学べる機会なんて、学校くらいしかありませんし。しかも歴史に名を残すだろう、偉大な魔法使いのもとでの勉強。生徒だけじゃない。その親だって喜んでいることでしょう」
……えらく褒めてくるわね。
なんか逆に怖くなってきた。他意はないと信じたいが、違うのかしら。
「意外ですね。先生は褒められることに慣れているのかと」
こちらを見る王子の顔は口だけが笑い、目がちっとも笑っていない。それに気がつくと、ぞわり、寒気がした。しかも先の発言。まるで心の中を読まれているような……。これは危ない。警戒しなければ……!
「ああ、警戒しなくて大丈夫ですよ」
大丈夫に思えません! 心を見透かされ恐怖を覚えない人間はいません! まさか王子、読心術を使えるの⁉ そんなことマンガに描かれていなかったわよ⁉ 怖い、怖いわよ、王子! いや王子だから、そんなこと出来て当たり前なの⁉ ああ、もう分からない!
心中パニックになっている中、王子は言う。
「私はただ、先生なら理解してもらえるかと」
「なにをでしょう」
頑張って平静を装って答える。
「先生の力を欲していた者たちから、なにをやっても褒められませんでした?」
「そうですね……。その覚えはあります。失敗しても褒められ……」
「そういう毎日が続くと、どんな言葉も信じられなくなりませんでした?」
「そこまでは……。そういう褒め方をする人は限られていましたし……」
ここでようやく、あら? と気がついた。
これって、なにをやっても褒められるので、逆に王子が自分の実力を疑い自信をなくし始め、その弱気な一面をヒロインに見せる三つ目のエピソードではないかと。
「……もしや殿下は周りから褒められすぎて人の言葉が信じられなくなり、本当に自分に実力があるのか不安になられているのですか?」
返事はないが、校庭を見下ろすその横顔がそうだと語っているように憂いを帯びている。
やっぱりこれ、三つ目のエピソードじゃないですか!
なんで弱音を吐くというか、本心を見せる相手がメーテルでもコーネリアでもなくて、モブ教師おばさんの私なの⁉ 王子、いろいろ間違っていませんか⁉ どうしてこうなったの⁉
納得できないし分からないことだらけだけど、ここは教師として生徒の悩みを無下にすることはできない。向き合わなくては。逃げないと決める。
「なんでも平然とこなしているように見えていましたが、悩みを抱かれていたのですね。他の人はどうか知りませんが、私は殿下が努力していることを知っています」
ええ、それはよく知っています。言えないけれど、前世のマンガで読んでいたから。
「王子という立場から、何事も人並み以上に出来なくてはならない重圧に、あなたは負けていません。安心なさい。その努力は実を結んでおり、全て人並み以上に出来ています。むしろ苦手な物がないのではと、人に思わせるほどです。責務から逃げ出さず努力することは素晴らしく、誇れる生徒だと思います」
「誇りですか……? 弱音を吐く生徒が?」
自虐的に笑う王子に向かって、頷く。
「ええ、誰だって弱い部分を持っていますし、人間らしくていいではありませんか。でもこのような内容なら、私にではなく婚約者のメーテルに打ち明ければ……」
「ば、馬鹿なことを言うな! 彼女にこんな……っ。みっともない姿を見せろと⁉」
突然顔を赤らめうろたえる王子。
あらあら、これは……。にやりと笑いそうになるのを堪える。
「ええ、そうです。お見せなさい。案外そんな殿下の姿に、メーテルは惚れ直すかもしれませんよ」
少なくとも作中ヒロインや、読者はメロメロでした。と、こっそり心の中で付け加える。
「そんな情けない姿に惚れるわけ……」
「自分だけに見せてくれる意外な一面も、特別な気がしていいものです。これを良い機会にと、もっとメーテルと心を通わせてはいかがですか?」
ついでにがっちり仲良くなり、コーネリア王妃ルートをぶっ潰して下さいと願いを託す。
「う、うむ……。先生、やはり私はあなたが私の先生で良かった。そうだな、メーテルとはこれからずっと長い時を共に過ごす。綺麗ごとだけを見せ続けるのは無理だ。そう……。私の全てを知ってもらわないと……。そして私も、メーテルの全てを知らなくては……」
……あら? 一瞬、目に欲情が走ったような……?
殿下、肉体的な意味で全てをメーテルと共有するのはまだ早いですからね? あなたたち、まだ学生ですからね? そういう分別はつけて下さいね?
「……殿下、くれぐれも節度をお守りの上、彼女と交流なさるようにして下さい」
「分かっておる」
信じますよ? その言葉、信じますからね?
でも良かった。この感じだと王子はメーテルを気に入っているようで、コーネリアの出番はなさそう。私は安心した。
お読み下さりありがとうございます。