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第54話:全ての因縁に


『諦めるもんかぁあぁぁぁあああぁぁあ――っっ!!』


「ウォァァァアアアァァァァアアァァア――ッッ!!」


 喉が裂けんばかりに叫ぶ。

 不思議と、知った少女の声が重なって聞こえた。


 砕けた大地が岩塊となって宙を舞う。

 それらが無重力下にあるように見えるほどの速度で、落下する石塊を蹴り伝って駆けるカーバンクルは、まるで彗星のような青い尾を引いて巨大な物体に直撃した。


 その身に宿すは命と魂を昇華する終の炎。

 幾重にも過重した果てしない衝撃波が彼の後方へと散った。


「レイリアァアァアアアァァアア――ッッ!!」


 開かれた口から迸る、熱い想い。

 暴走気味に光の水流を流していた兜に、紫紺の輝きが瞬いた。


「お前はこんな所で終わるような奴じゃないだろうがァ!! 外で主が待ってるゥ、助けるんだろォ!? そのためにお前は命を賭してここまで来たンだろうがァ!? だから早く目を覚ませェ、レイリアァ――ッッ!!」


 青と橙と黒の炎は、理性を失っていた巨大な鎧を包み込む。

 瞬いて、瞬いて、瞬いて……次には、紫紺の輝きに濡れた数滴の雫が零れた。


 ――僕、は……何を、して……?


 夜闇に溶けいるようなあいつの声。

 不可思議な現象に、『悲影』は光明を見る。


 鎧の怪物の背後、何もない空間についと何かが突き立った(、、、、、、、、)


 その細い光り輝く刀身のようなものを中心に、異世界の空間がひび割れ、ボロボロと硝子片のように崩れ落ちて。この、光は。この、溢れ出る魔力の温もりは。


 知っている。


『戻ってきなさいよっ!? レイリアッ、フラムぅぅううぅ――っっ!?』


 今度こそ確かに響く、彼女の想い。

 鎧の腹部へと衝突していたフラムは目を瞠り、次の瞬間にはキッと覚悟を固めたように吊り上げた。まだ、足りない。もっと、もっと力が必要だ。


「っ――、もっとだッ、もっと命を燃やせェッ! オレの最後の願いを叶えろォッ! お前の力を貸してくれェ、カーバンクルッッ!!」


『――いけ いけ もう一人の 僕 主を 頼んだ よ……』


 強く、強く燃え上がる命の炎。

 ただでさえ横に流れる隕石の如き迫力を呈していた勢いが増す。


 耳朶を打つのは背中を押すようなカーバンクルの声。足をつき踏ん張っていた巨大な鎧の怪物はその勢いに負け、徐々に後退し始めた。


 大地を削りながら、押される勢いはそのまま上がっていき、


「オレはッ、絶対にッ、助けるンだァァアァアアァアァアッッ!!」


 ついには寂寞の大地から足が離れ、巨大な鎧の怪物は彗星に押されるまま宙を切った。その行く先は、光り輝く短剣が突き刺さりひび割れた空間。


 衝突と同時、硝子が粉々に砕ける音がした。


 飢えと忘我の世界が漂白される。視界が白に染まり、思考が空っぽに。何もかもが無へと還る――それすらも全て、その全てを燃やし尽くす勢いで『悲影』は命の炎を燃やした。


 そして――――



 ****** ****** 


 

 眩い極光。

 咄嗟に目元を腕で隠し、熱さえ感じられるその輝きを遮断した。


 その隙に少女が駆け寄り、グラトニーの背後に控えていた歪な四肢の首元……陵辱されたカーバンクルに深々と突き刺したそれは――『短剣』?


 少女が甲高い声で叫ぶ。

 呼びかけるような相手は、もういないというのに。


 グラトニーは一瞬何事かと怪訝に思った、しかしそれだけだ。

 同じ魔物使いのグラトニーだからこそ、その短剣が齎す効果を知っている。


「くぅっ、やってくれるねぇ~っ!? それはぁ――『契約の短剣』? もしかしてぇサーベラスを乗っ取ろうとしてるのかなぁ? ざぁんねん。既にぃ契約済みの眷属にはぁ、何の効果もないってぇ知らないのかなぁ? いら、い、ら……、」


 刀身がサーベラスを突き刺し、発せられる光が弱まる。

 視覚を確保し、言いながら歩み寄って少女の腕を掴もうとしたところで――驚愕のあまり目を見開いた。


「――っ!?」


「ギィィ、グォオ、ギイイォオオアァアァァアア――ッッ!?」


 不死百頭の冥犬(サーベラス)が喘ぎ苦しみ始めたのだ。


「どうし、たのぉ……って、これはぁっ!?」


 グラトニーは滅多に見せないであろう狼狽した様子でサーベラスに触れ、その手が焼け爛れて黒炭と化してさらに驚愕を重ねた。続けざまに三色の炎がサーベラスの肉体を包み込み、喉が引き裂かれんばかりの絶叫が荒野に轟いた。


「――フラム」


 少女がその炎を行使している存在の名を呼んだ瞬間、重声を上げて藻掻いていたサーベラスの首元、カーバンクルの頭部に刺さった『契約の短剣』が役目を終えたとばかりに抜け落ち、小さな傷口からすぐさま大量の炎が噴出した。


 同時に飛び出してくる二つの影。

 空気が震えるほどの魔力を放つ小さな子猫と、同じ炎に包まれている白金の鎧だ。


 グラトニーもエルウェも、その莫大な魔力量に目を瞠る。

 それぞれ炎に纏る魔物を知る中、こんな力はありえないと一瞬で理解できた。ましてや種族等級(レイスランク)Bのカーバンクルには絶対に為し得ないほどの。


「なん、だぁこれぇ……【炎龍王】なんかぁ軽く超えちゃってるよぉ? おろおろ」


「フラム、レイリアっ、ふらむふらむっ、レイリアぁぁあぁ……ッッ」


 驚きのあまり棒立ちとなるグラトニーを視界と思考の外へと追いやったエルウェは、今し方帰還したカーバンクルと白金の鎧に覚束ない足取りで走りより、ぎゅっと抱きついた。


 その正体が『偽物』であるとしても、その存在が怨念の対象たる種であるとしても……今は。今だけは。


「ぁぁあっ、ぁぁあああぁあぁぁああぁぁああああ――ッッ!?」


 安堵からか、まだ何も終わっていないというのに涙が溢れ出た。


 声帯を絞られたような酷い声が出る。不思議と、尋常でない規模で燃え盛る炎はエルウェに危害を加えないと知れた。優しく包み込み、温もりを届けてくれた。


「……うっ、ここは……あれ、この柔らかい感触、と昇天しそうな匂いは――エル、ウェ? 何でここに、僕は、そうだ、僕は何を……?」


 体長五十センチほどの白金の鎧の面甲(ベンテール)に紫紺の光が瞬いた。

 そこには朧気な飢えと渇きと暴虐の残滓と、ハッキリとした意志が感じられる。


 もう、大丈夫だ。


「正気を取り戻したかァ。そうだァ、お前はレイリア。せっかく主が授けた名だァ、もう手放すンじゃねェぞォ……この大馬鹿野郎がァ」


「フラム先輩……そっか、助けてくれたのはフラム先輩だったんだね。声、聞こえてたよ……ありがとう。本当に助かった」


「クハハッ、うるせェうるせェ、礼なら主に言うンだなァ」


 そうは言うものの、きつく抱きしめられてその顔は窺えない。

 けれどそれでいいと白金の鎧は思った。自分はまだ、真っ直ぐに彼女の顔を見られないから。


 それに、喜ぶのはまだ早計だ。


「くそが、くそがッ、くそくそくそくそくそくそくそがぁぁあッ!? どうして『道徳ナキ世界二空腹ヲ(ハングリー・ワールド)』から出てこれたぁ!? 一体何がぁ、くそぉ何をしたんだ女ぁ!? 基にしようと思ったけどぉもぅいらなぃ、今すぐ殺してやるぅ!!」


 三者に影が落ちる。


「――『混沌招来(カオス・カオス)』ぅ!!」


 頭を抱え、狂ったように吠えたグラトニーの背後。

 空を覆いつくす勢いで黒の触手が広がったのだ。触手は今も尚三色の炎に焼かれ絶叫するサーベラスの身体からも出ており、回避などと言う言葉が浮かばないほどの規模で――、



「燃え尽きろォ」



 閃く光線。

 再び視界に広がる鈍色の世界。

 はらはらと降りる雪に混じって、黒の灰が舞う。


 触手の全てが、灰燼と帰した。


「フラム先輩……」


「フラム、あなた、その力……」


 抱擁を解き、悲しげな口調で問う少女と白金の鎧。


 神にも近しいその力。何の代償もなしには叶えられないのだと、自身の命を燃やし、その終わりの時間は刻一刻と迫ってきているのだと……見る者にはわかった。


「これで、最後だァ」


 味方を守り、敵を灰燼に帰す。


 そんな橙と青と黒の猛々しい炎を纏うカーバンクル――『悲影』は二人の前に立つと、それだけ言って敵を見据えた。既にサーベラスの炎は消えて、グラトニーは触手を用いて一体化するように騎乗している。


「……そっか。僕も一緒に戦うよ。そのために、戻ってきたんだ」


 白金の鎧は立ち上がり、『悲影』の横に並んだ。


 炎に包まれてはいるが、ちっとも熱くなんかない。これは敵と見なした物だけを焼く炎。衝動に負けて大切な物を傷つけずにはいられなかった『悲影』は、もうそこにはいない。


 これで最後。本当に、最後の戦いだ。


 その悲しい覚悟に研ぎ澄まされた戦意を見て、エルウェは両手で顔を覆った。

 今すぐに噎び泣きたい。最後の瞬間まで一時だって離れたくない。


 けれど、今はその時じゃないとわかるから。


「……『祝福の鈴音(ベル・ブレス)』」


 最後の魔力を振り絞って、前に立つ二者に補助魔法をかけた。

 怖気が走る。魔力残量が尽きて、旅立とうとする家族の背中を押して、空っぽになる身体。


 白水晶を縁取る熱い涙と、その胸に宿る意志の温もりが強く感じられた。


 ――今こそ、全ての因縁に。


「さァ、決着(ケリ)をつけよゥ――【道徳なき暴食グラトニー・ウィザウ・モラリティ】」



 ****** ******



 それは恐ろしい、本当に恐ろしい世界だった。

 本当の自分を見失い、突き動かされるまま貪れば貪るほど飢えと渇きの苦しみが増す、そんな最悪の。


 けれど、僕は脱出することが出来たみたいだ。

 詳細や経緯はよく覚えていないけれど、ずっと心のどこかでフラム先輩の声は聞こえていたし、彼の言い分からエルウェが脱出の鍵を差し込んでくれたのだと知った。


 そして今。

 僕たちは最後の戦いの狼煙を上げた。


「それがなぁにぃ! あちしのぉ攻撃を凌げるからってぇ調子にのらないでねぇええ!? むかむか」


 歪な四肢に騎乗したグラトニーは怒りに濡れた双眸をキツく吊り上げる。


 ただ憤怒しているわけではない、どこか薄い焦燥感を感じさせるような初めて見る表情だ。とはいえ今まで『餌』としか捉えていなかった相手が『敵』となったに過ぎないのだろう。油断大敵、覚悟を決めろ。


 下半身は埋まってしまい、隆起した背中に突き立つ上半身を仰け反らせ――激しく頭を振る動作に併せて血走った目を見開きながら、グラトニーはこちらに手を翳した。


「サーベラスぅッ――『虚無の咆哮』ッッ!!」


 その瞬間、先に受けた傷が完全に修復されていたサーベラスが吠える。

 百に近い頭部の全てとは言わないが、恐らく咆哮や息吹といった口腔から発せられるスキルを使用できる『植え付けられた顔』で、胡乱な目つきのまま大きく口が開かれる。


「フラム先輩、僕のは初動が遅いんだ――お願い」


「あァ、任せろォ」


 放たれた色彩豊かなスキルが世界を覆う中、悠々とした足取りで数歩前に出たフラム先輩がこちらを見ることなく言う。その口調は落ち着いていて、僕は安心して自分のことに集中できる。


 まるで一対何十のような物量の差をものともしない炎塊が迎え撃った。


「ふぅ……連続して異なるスキルを使うにはかなりの集中力がいるからね。でもこんな状況、失敗なんてしてられない……『武具創造』、を重ねがけして、浮遊させる……天翔る翼を授け、蒼穹の大空を割け――『飛翔する魔力(リェタ・マギ)』」


 個々のスキルは無意識のうちに扱えても、それを続けざまに、ましてや複合させて使用するのは極限の集中力が求められる。その数が増えれば増えるほど難易度は増し、魔力を多く消耗すると同時に神経を削るような所業といっても過言ではない。


 『武具創造』で産みだした二本の細剣を握りしめ、さらに継続して生成した大小様々な剣を『飛翔する魔力(リェタ・マギ)』で僕の背後に宙に浮かせた。


 それだけならまだ簡単な方。

 だが、特殊な金属とはいえただの武具でサーベラスにダメージを与えられるとは思っていない。だから、まだ重ねる(、、、、、)。加えて、三つのスキルを並行して詠唱した。


「……その理を繋ぐ『共鳴(レゾナンス)』――『硬化』『金焔』」


 質の変化が目に取れるほど強硬になった剣の、その周囲を象る水晶の内側から滲むように、金色の炎が噴出された。炎は猛狂うように蜷局を巻くと、僕の集中して行った繊細な操作によって武具の表面を覆う。穂先に重点的に量と鋭さを持たせ、リーチと貫通力を上昇させた。


 そう、貫通力。

 【炎龍王】を想定し炎耐性を限りなくあげている奴に炎の属性攻撃はいまいち効果がない。だからこそ、僕は『金焔』を直接放つのではなく剣に纏わせて殺傷能力を底上げしたのだ。


「――いけ」


 柄頭で爆発じみた発破を行い、数重もの武装がやたらめったらに錯綜して宙を切った。

 サーベラスの発したスキルに打ち落とされる物もあるが、それはフラム先輩が相対しているため少数な方。圧倒的な物量には圧倒的な物量を。


 僕の手を離れた幾千の刃はサーベラスに容赦なく襲いかかった。


「――――――――ッッ!?」


 余裕のない、断末魔のような絶叫が散る。

 再生なんかそう簡単にさせるかよ。そのためにフラム先輩に時間を稼いでもらって敢えて初動が遅れるほどの準備をしたんだ。


 ぞくぞくと魔力が抜け落ちる感覚。

 それでも僕は手を翳し、強い思いを乗せてスキルを発動し続けた。


 ……でも。


「…………ッ」


 スキルの五つ同時使用、直線的にならないような軌道の操作、間近で接近戦を試みるフラム先輩に当たらないようにするための軌道修正、その後も継続的にスキルを使用し同じ金色の焔を纏った武装を生成しては、完成次第にぶっ放す脳筋プレイ……ごりごり削られるのは、魔力のことよりも精神的な物が大きい。


 体中が沸騰したように熱い。

 思考が摩擦で溶けそうだ。


 僕が人間だったら間違いなく鼻血を……って、面甲(ベンテール)の隙間から血らしき物が出てる。これは流石に、僕に血は通ってないから、僕のじゃない……よな? え、じゃあ誰の、面甲(ベンテール)から出る、繋がってるって……もしかして『鎧の中は異次元(ストレージ・アーマー)』?


「――――」


 こんなことを考えている場合じゃないのに、思い至ってハッとした。


 そういえば目が覚めてからシェルちゃんの声を聞いていない。

 いつもなら真っ先に僕のことを心配して言葉を届けてくるというのに。まだ一度だって、その声を聞いていない。


「シェル、ちゃん。シェルちゃん、返事してよ、シェ――」


 意識しないようにしても、やっぱり内心では不穏な何かが渦巻いて。

 猛烈なまでに嫌な予感がする。故にそれは、必然だったのかも知れない――極限の集中力にズレが生じる感覚があった。


 均衡が、崩れる。


「調子に乗るなぁぁぁあああッ! サーベラスッ、『海竜の鳴音(アクア・ハウリング)』ッッ!!」


 正面に面していた豚鼻の怪物の顔面が大きく引き裂かれる。

 脈打つように収斂し、そのたびに大きくなっていった青の魔力が奴の前方、計り知れない規模を放射状に覆い尽くす。


 それはフラム先輩の炎も僕の飛来する金剣も例外でなく、破壊の旋律は悉くを呑み込みながら眼前に迫った。咄嗟にエルウェを庇う位置に動くフラム先輩、僕はシェルちゃんの事で意識を裂かれていて――、


「ぁ――――」


 そこで、僕の意識は暗転した。



 ****** ******



「――くッ」


 不可思議な膜に覆われた物体がふよふよと浮遊する灰色の世界。

 原理などは解明されていないスキルによる亜空間のような場所で、天変地異もかくやの激戦が繰り広げられていた。錯綜する金と白の魔力。交わる人と龍。


 その戦いは五分(、、)だった。


 一際大きな爆発、中空と表する場所に広範囲に広がる噴煙。

 ぼふっと尾を引いて墜落し、地面の様な場所に衝突する寸前にどうにか翼を広げて体勢を立て直し、苦鳴を漏らした巨躯を誇る金龍――【金龍皇シエルリヒト】。


 彼の伝承に纏わるドラゴンを追随するように落ちてきた――否、見えない階段でも下るように降りてきた、膨大な白の魔素(マナ)に覆われ姿が射通せない人物……その詳細はシエルリヒトにも不明だ。


 だが――、


「この我と同等にやり合えるとは……其方、本当に何者じゃ?」


「…………」


 この人物は紛うことなき『強者』だった。

 それこそ、世界中に散る十二の『覇者』に匹敵するほどの。


 朱の指す白牙、焦げ付いた翼、血の滴る肉体……金龍の身体は傷だらけだ。戦いこそは五分であっても、その人物の底は依然として見えていない。


 問うも、相変わらず返答はなかった。

 久しく味わっていなかった屈辱に、シエルリヒトは歯噛みする。


「そうかえ、だんまりかえ……まぁよい。そもそもの話、どうやってこの世界に入りこんだのか不思議でならぬのじゃが……いや、入り込んだではなく、元々(、、)居座っていた? それこそ、我よりも先に――」


 束の間の休戦、しかし思考を巡らせるシエルリヒトだったが――


「…………っ」


 ピクリ、と眼前の人物の肩が震えた。

 相も変わらず厚く纏った白の魔素(マナ)のおかげでその表情は見通せないが、確かにその人物は天を仰ぎ見た。


「……? なんじゃ、っておい――!?」


 つられて仰ぎ見たシエルリヒト。


 しかしそこには何もなく、変わらぬ天井なき灰色の世界が広がっているだけで……首を傾げた所で、少女の輪郭がふやけた。まるで水につけた砂糖菓子のように、肉体そのものが白の魔素(マナ)に変換されて溶けていく。


 言葉をかける暇もなく、その人物は跡形もなく消失した。


「……まったく、最後まで不可思議な奴よ。なんだったのじゃ……いや、今はあの少女よりあやつの、レイリアの身辺の方に注力を……あっ」


 シエルリヒトをしても余裕がない激戦だった。

 ここに来てようやくスキルの主に意識を割くと、どうやらグラトニーの手によって創り出された不可思議な世界からは脱出できている模様。


 だが、暗い。

 暗いのは中身だ。シエルリヒトはレイリアの瞳を通して外界を覗けるが、見える限りでは灰色の空と三色の炎に色彩豊かな魔素(マナ)、黒の触手、そして――レイリアを抱えて何かを叫ぶ少女(、、)


 これは恐らく、意識を失っている。

 それも、つい今しがたのようだ。少女の叫びがスキルの空間にすら届き、木霊する。


 ――リア、レイリア、レイリア、レイリア! レイリア!!


 それはその少女が白金の鎧に授けた名だ。

 シエルリヒトは少しだけ寂しそうに微笑んだ。


「……レイリア、か。本当に、いい名じゃよ……」


 ついと消えた謎の人物のことを思って、胸中がざわめいた。

 この狙ったかのようなタイミング。偶然であればいいのだが、と…… 


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