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第52話:ハングリー・ワールド


 そこは、満月の夜のように薄暗くて、とにかく寂しい世界だった。


 何も見えない……わけじゃない。

 でこぼこに歪んだ視界には、乾ききった寂寞の大地が見える。

 覚束ない足取りで彷徨うのは、異形に異形を重ねたような醜い化け物達。


 を、何故か見下ろしている。

 おかしい。今までは見上げてばかりだったのに。まるで自分が大きくなったような錯覚に陥って、目の前の異形を、無我のまま軽く踏み潰した。


 足裏に感じる生暖かい感触。

 しゃがんで覗き込めば、ぐちゃぐちゃに壊れた肉塊から溢れる血と内臓、白い骨が妙に食欲を駆り立てる。おいし、そう? まさか、こんなもの食べれな、あれ?


 気がつけば、無我夢中で血を啜り肉を囓っていた。

 齧り付いて、咀嚼して、嚥下して。亡骸がなくなってからも、地べたにこびりついた血を舐めて。まるで飢えた獣だ。空腹によって死の淵に立たされた獣が、ようやくありつけた獲物を余すところなく平らげるような。


 けれど、何も感じない。

 何も感じないどころか、食べれば食べる程空腹になっていく。燃えそうだ。腹部と背部がくっつきそうだ。焼き焦がれた頭がぐるぐると回転している。ああ、何も考えられない。ああ、ああ、ああ、何だ、これは? 欲しい、次の獲物が欲しい。欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい――


 だから歩いた。ひたむきに歩いた。次の餌を求めて。

 ドシン、ドシンと、大地が揺れる音がする。これは、足音? 誰の、足音だ?


『――――そ、――――ち――――』


 ふと、思う。

 どうして自分は、ここにいるのだろう? わからない。

 

 まてよ、と。

 そもそも、自分はどこの、誰なんだろう? わからない。


『――――そち――其方、思い、出せ――』


 いつから自分はここにいる? 腹が減った。どこから来た? 何でこんな場所にいる? 腹が減った。ここはどこだ? 気味の悪い怪物達は何だ? どうしてそんなに小さい? いや、自分が……でかい? 腹が減って死にそうだ。だから、自分は誰だ? 人間か? 悪魔か? 空腹で何も考えられない。何のために生まれた? 何のために戦った? 腹が減って。自分? 自分って何だ? 何だよ、何だよ。腹が。何だ、この、存在は、最初から、何も、のでも、なかった、なかった、なか、な、な、なななななな――――


『思い出せ――其方の名を』


 わから、ない。


 わ、から、ない。


 わ、わ、わから、ない、い、いい、いぃ、ぃ、ぃ――――



 ****** *******



「ぁ……ぁあ、ぁ…………」


 呆然と。

 ただ呆然とするしかなかった。


 ひりひりと棘を呑んだように痛む喉に片手を添える。

 それはつい今し方、変わり果てた眷属と既に失ったと思っていた元眷属に迫る脅威を見て、思わず叫んだことが原因だ。喉を代償にした結果、得られたモノは何もなかったわけなのだが。


 ぽっかりと口を開けたエルウェの虚ろな瞳が見つめる先、歪な獅子が上半身を埋めていた地面から頭を抜いていた。砂と瓦礫が払い落とされ、その歪な怪物の姿が明瞭になる。


 ――百の頭を持つ獅子、『不死百頭の冥犬(サーベラス)


 目を引く三つ首、その間隙で蠢く百近い頭部、瞬きすらしない胡乱な瞳がその倍の数、こちらをじっと見る。その一つ一つと目が合うだけで心臓が凍り付きそうになって、全身を巡る血液が滞ったように怖気が奔り回る。


 乾ききった思考、焼き付いた空白。

 一つ、瞬きをする。涙が滲んでいることに気がつく。


 ここに来て齎された怒濤の展開は、エルウェを放心させるに値するものだった。


 改造され歪な姿に変貌を遂げたかつての仇敵(ケルベロス)

 追い詰められ、死霊種(アンデット)特有の青炎を吹いた眷属(フラム)

 暴かれたその本性は『人を模した黒い影』……それでも自分のために命を賭して戦ってくれる彼を信じ、どうにか死闘を織り成していた所で――衝動に呑まれ我を失った人を模した黒い影(フラムだった者)に殺されかけた。 


 次いで二つ、瞬きをする。

 あまりの出来事に開きっぱなしだった瞳が染みて、溢れる涙はその量を増した。

 明瞭になっていく脳内、現実が無上に叩きつけられる。


 まさに死神の一撃。

 そう表することが正しいように、純粋な殺気に濡れた鎌で命が刈り取られるその瞬間……死んだはずの眷属が現れた。彼は離別の日と全く同じ見た目で、けれどその中身から発せられる覚悟は痛いほど研ぎ澄まされていて。


 生きていてくれて嬉しいのか、悲しいのか。

 もう一度再開できて嬉しいのか、悲しいのか。

 助けてもらって嬉しいのか、悲しいのか。


 もう、何が何だかわからなくて、三つ……ゴシゴシと目を擦って、再度ハッキリと目にした眼前の光景に、ゆるりと瞠目した。


「フラ、ム……レイリア?」


 いない。

 子猫と全身鎧の姿が、どこにも見当たらない。


 忽然と現れたレイリアは命がけでフラムを止めた。

 他の事なんて考えられないくらい、全力で。フラムだってそう、衝動に呑まれて、それでもどうにか帰ってきた――その瞬間に、後方で温存していたグラトニーが奇襲をかけてきたのだ。


 エルウェから見えたのは、真上から迫る不死百頭の冥犬(サーベラス)

 骨が外れ皮が引き裂かれ肉が立たれる音を立てて開かれた大口、遅ればせながら真上を仰いだ二人はあっという間に食べられた(、、、、、)


 そう、食べられたのだ。

 後に残ったのは、穿たれた地面と不死百頭の冥犬(サーベラス)自身の血だまりだけ。


 思考が急速に熱を持ち始めた。


「そん、な……何を、したの……? フラムとレイリアにっ、何をしたのッ!?」


 少し前、話を聞いたことがあった。


 それは出会ったばかりの頃。当時はどこから出てきたのか、出自を知らなかったから軽く流してしまったけれど。レイリアは一人、森を抜けるため格上の魔物達と戦っていたのだとか。その際にとった戦闘方法が防御力と耐性をいかして丸呑みされた後に、体内から剣を伸ばして腹を割くというもの。


「えへぇ~? 何ってぇ、君も見てたでしょぉ? 神よりぃ与えられしぃ【暴食】の権能でぇ、食べちゃったんだよぉ? げふげふ」


 獅子の肉体に浸蝕されるようにくっついているグラトニーは、満足そうに腹をさすってげふ、と息を吐く。その態度が今は、エルウェの癪に触って。


「~~~~~ッ!! そういうことじゃないわよ! 答えなさいっ、何をしたの(、、、、、)!? 【暴食】のグラトニーッ!!」


 フラムはともかく、レイリアにとっては前科のある仕打ち。

 だけれど、エルウェは先の攻撃に妙な怖気を感じて今もまだ鳥肌が収まらないのだ。あれはただ捕食しただけではない、少なくとも不死百頭の冥犬(サーベラス)の体内に収まってはいないだろうと。


「もぉ~うるさいなぁ? あちしがぁ創り出した世界にぃ飛んでもらっただけだよぉ。自我を忘却してぇ、飢えの苦しみをぉ永遠に味わぅ……そんな世界にねぇ? ぷんぷん」


 グラトニーは退屈そうに伸びをしてから、腰に手を当てて偉そうに言う。


「あなたの創り出した……世界? そんな、壮大なスキルがあるわけ……ッ」


「――『己ガ世界ノ創造クリエイト・ダンジョン』、ってぇ知ってるぅ? にたにた」


「っ……まさか、」


 息を呑む。

 それは禍殃種に進化した魔物が得られるという超越技能(アルティメットスキル)。摩訶不思議な物質である迷宮核(ダンジョン・コア)を元に一つの世界を創造する。まさに神の為す御技もかくやのこの力の習得は、世界中に悪食迷宮が発生する原因の一つだ。


 そして今、エルウェの目の前にいる魔物は災禍をもたらす禍殃種。

 そこに【七つの罪源】が一つ、【暴食】の権能の力があわさったのなら……


「そのまさかなんだなぁこれがぁ? コレクションの中でもお気に入りのぉこの子のぉ『己ガ世界ノ創造クリエイト・ダンジョン』とぉ、あちしのぉ【暴食】の権能が掛け合わされたぁ、別次元の世界だよぉ。それがぁ『道徳ナキ世界二空腹ヲ(ハングリー・ワールド)』……入り口こそぉこの子の中にあるんだけどねぇ? 脱出はぁ――不可能。にんまり」


「そん、な……」


 やはり、一瞬だが口内に見えた漆黒の渦はその力の片鱗。


 脱出不可能……その言葉を受けて、エルウェは肩を落として絶望した。全身から力が抜けて、座り込んだ体勢のまま立ち上がれない。どうにか両腕をついて倒れないようにするのがやっとだ。


 もう立ち上がる力は残っていない。

 眷属も失った。丸腰の魔物使いに出来ることなど、もう何も……


「う~ん。さてさてぇ。人間はぁあんまりぃ興味ないんだけどぉ、いい餌にはなるんだよねぇ? ヒースヴァルムではぁいっぱい殺しちゃったけどぉ、戦争を引き起こすためにぃ餌には出来なかったからなぁ。ちょうどいいねぇ、君ぃ美形っぽいしぃ? いひひひっ、たまにはぁ人間を『基』にしてぇ魔人でも作っちゃおうかなぁ? わくわく」


「そう……『通り魔事件』の犯人は、やっぱり神薙教だったの……」


 物色するように、不死百頭の冥犬(サーベラス)がエルウェの周囲を回った。

 じろじろとぶつけられる不躾な視線に耐えられなくて深く俯いていたエルウェだったが、



『――ごめんね、主』



 ふと、誰かに呼ばれた気がして。

 淀みない動作で顔を上げた、その先に――


「……どう、して、あなたがそこに、いるの」


 不死百頭の冥犬(サーベラス)に植え付けられた百近い頭部の中。

 産まれた時から一緒で、この十五年間ずっと側に寄り添って生きてきた最愛なる家族の顔が、唖然とするエルウェを虚ろな紅瞳で見つめていた。



「……フラム――」



 ****** ******



 闇夜の帳が降りた世界を切り裂く、褪せた青の閃光があった。


 襲い来る異形の怪物共を時には回避し、時には貫き、時には青炎で燃やし尽くして進む。いつか見た流星のように、黒の蠢く大地を青の軌跡が穿った。


 彼の紅い瞳は、遠方の方で破壊の限りを尽くす巨大なナニカを映していた。


「あの馬鹿、こんな所にいやがったかァ……」


 青い焔を纏い流星の如く地を蹴るカーバンクル、の姿をしたドッペルゲンガーである『悲影(フラム)』だ。彼は元眷属である鎧の魔物に窮地を救われた所で、共に不死百頭の冥犬(サーベラス)に捕食されたのだった。


 地震もかくやの揺れが大地を襲う。


 その元凶は、前方で我を忘れて暴れている巨大な鎧(、、、、)の怪物だ。振り下ろした片腕、それだけで土塊混じりの煙が薄闇の世界に巨大な柱を立てる。


「恐らくここはグラトニーの創り出した世界ィ。飢えと渇きが酷いがァ、こんなのオレにとっては日常茶飯事だァ……チッ、易々と呑まれやがってェ。本当に世話のかかる奴だァ」


 喰われる瞬間、喉の奥に渦巻く闇を見た。

 ここは恐らく【暴食】の権能でつくられた世界、別次元へと飛ばされているのだと『悲影』は理解していた。


 喉が渇く、空腹が思考を止める、視界が明滅して混乱し、この世界の怪物を喰らえば喰らうほど自我を忘却してしまう。決して腹は満たされず、飢えと渇きが絶望的なまでに高まって、いつしかこの世界の住人と化してしまう……まさに今暴れている巨大な鎧が、そうであるように。


 その点、その衝動は自身がこの二年間耐えてきたものに酷似していた。

 故に正気を保っていられる『悲影』は、元々ないも当然の自分がさらに薄れていくのを自覚しながら、歯を食いしばって前を向く。


 足に一際大きな青炎の塊を灯すと、空を蹴って宙を駆けた。


「お前はオレを命がけで救ってくれたァ。今度は――オレの番だァ」


 褪せた世界で、美しい青の彗星が走った。

 彗星は真っ直ぐに巨大な鎧へと向かうと、そのまま衝突――超新星爆発のような大花火を炸裂させた。


「飢えに呑まれるなァッ、自分を保てェッ! 戻ってこィ、レイリア(、、、、)ァ!!」


 炎をぶつけながら、鎧の中で僅かに燻る魂に向けて叫ぶ。


 言語ではない、獣の呻きでもない、まさしく凶者の嘆きのような咆哮が上がり、巨大な両腕が高速で薙がれて『悲影』は弾丸のように吹っ飛んだ。噴煙が上がり、間髪入れずに煙の尾を引いて再び空を駆ける。


 なんという膂力。

 身体が引き裂かれそうだ。魂が軋む。それでも諦めてなるものかと――、


「――――」


 しかし、思わず足を止めて目を見開いた。


 こちらへと矛先を向ける、水晶を纏った黄金の剣――その数、もはや数えるのも億劫な程。言うなれば夜空に浮かぶ星のような光景に唖然とした。


 亡霊の発する叫びのような重低音。

 巨体から黒の魔素(マナ)と黄金色の魔素(マナ)が迸った。

 併せて、金の剣が隕石のような勢いで一斉に飛来する。


「ッ……この力、その姿……まさか【金龍皇シエルリヒト】にまつわる力が暴走してるのかァ?」


 まるで流星群を相手にしているような。

 躱し、炎で迎撃し、どうにか対処しながら、どこにともなく憶測を飛ばす。

 

 我を忘れて暴走する巨大な鎧――レイリアは、エルウェに逆さに持って揺さぶられて、その際に金銀財宝を吐き出したことがあった。

 怪訝に思ったエルウェに責められ、白状したのが――『裏切りのドラゴン』が創造した《金龍の迷宮(オロ・アウルム)》から出てきたとのこと。


 驚いたが、同時に納得もした。

 確かにレイリアが姿を見せたのは、迷宮が忽然と崩壊して間もなくのことだった。ヨキが言うには上から依頼された調査の結果、原因は何一つわからないとのことだった。


「そうだったなァ、お前は新種ゥ。前から得体の知れない所があったァ。種族等級(レイスランク)に反して異常なまでに高い階級(レート)や強力なスキル、禍殃種に進化したのだってそう……お前は腹の中に、いったい何を飼ってるンだよォ?」


 初めて会ったときに感じた底知れないナニカ。


 もしかしたら金龍の力を授かった、もしくはその不思議な異能の力で金龍を中に秘めている? ……流石に荒唐無稽な話だ。何を考えても推測に過ぎないが、何にせよ――それが今、自我を失ったレイリアの枷から放たれ、暴走しているのだろう。


「――――――――ッッ!!」


 それを証左するように、歪に肥大化したレイリアは怒号に併せて膨大な魔力を吹く。滅多に見ない金の魔力、魔物特有の黒の魔力、それと、何だ? まだ何か、違った質の魔力(、、、、、、、)が――、


 空間すら揺さぶるような衝撃が思考を打ち破る。


「ッ……クソォ! 何にせよこのままじゃヤバイなァ。不死百頭の冥犬(サーベラス)なんか目じゃねェ、それこそ【十二天】の上位者に匹敵するような……何もかもが中途半端なオレに太刀打ちできるような相手じゃ、ねェ――」


 爆発の焔を引き裂いて飛来した金剣を打ち砕き、爆風で軌道を逸らし、すんでの所でどうにか回避して――体勢を崩した。節々が裂かれ、力が入らず戻せないこれは、完全に死に体。


 その直後、真上から押し寄せる超巨大な物量を誇る金剣を見て、小さく悪態をついた『悲影』は思う。


 ――あァ。これは……無理だァ。


 炸裂。


 まるで小虫がドデカい金属製の棍棒で叩き落とされたかのような。


 空白が脳みそを染める。骨が、粉々に砕ける音がした。『偽物』のカーバンクルの身体は完膚なきまでに壊され、真っ直ぐに落ちて落ちて落ちて――盛大に大地を割った。


 もわもわと、土煙が舞い上がる。


 巨大な鎧は青の炎が潰えたのを見届け、僅かに紫紺の瞳を明滅させる。それはどこか、泣いているような……しかし次には、足元で濁声を発する怪物に目をやって理不尽なまでの暴虐を再開した。


 壊して、喰らって、また壊して。

 そこに知性の欠片は存在しない。


 巨大なクレーター跡には、ピクリとも動かない子猫の亡骸が埋まっていた。

 『悲影』の完全敗北だ。圧倒的な力量差を前にして、為す術なく力尽きた。


 傷だらけの身体、亀裂に沿って広がる血だまり。

 四肢は折れ曲がり、右前脚と左後脚は千切れ飛んだ。

 砕け散った額の紅宝石(ルビー)は、虚しい音を立てて転がる。

 千切れかけている尻尾の先端には、僅かな命の輝きすら灯っていない。


 閉じられた双眸に、再び見開く気配はなかった。


「――――――――――――」


 飢えと渇きに満ちた忘我の世界で、鎧の巨人が発した悲しい咆哮だけが響いた。



 ****** ******



「其方は……何者じゃ?」


 草が、鉱石が、道具が、不可思議な膜に覆われてふよふよと漂う灰色の世界。

 四脚を集めて座った姿勢の黄金のドラゴン――【金龍皇シエルリヒト】は、地面なき灰色の空間に立つ人物に向かって問う。


 いつからか、どこからか現れたその人物は、全てを漂白するような白色の魔素(マナ)を纏っていた。


 ――ありえない。


 ここはシエルリヒトが認めた友である鎧の魔物のスキルの中だ。


 確か異次元にモノを収納し、任意で引き出せるという、魔導収納袋(アイテムポーチ)のような効能を持ったスキル。非情に高値で取引されているが、道具としても同じ効果のものは存在しているため特段珍しくはない。


 ――とはいえ、何故この世界に『人族』が?

 ――あやつがスキルで収納した? まさか、あやつは今【暴食】の権能に囚われて異世界を彷徨っているのじゃ。呼びかけてはいるが、一向に答えてはくれない。


 そしてまた、沈黙を貫いているのは目の前の人物も同じだった。


 白の魔力は魔物と相反する人族特有の魔力だ。既に破門されたとはいえ魔物使いに仕えていたレイリア。人との関わりは多くあったとは思うが……彼と視界や感覚を共有しているシエルリヒトにも、眼前で佇む人物には覚えがない。


「……何故、この場所に人族が……それにこの異質な魔力、どこかで……ふむ。我が言葉でのやりとりを望む内に応えるであろ。其方は、いったい――」


 再度問いかける中、白い魔素(マナ)に包まれた人物はゆるりとした動作でこちらに手を翳した。


 その瞬間、


「――――」


 黄金のドラゴンが後方へと吹き飛ぶ。


 視界がぶれる。頭の中身が振動し、切るような息が漏れた。

 猛烈な物理エネルギーが巨躯を追いやる。地面なき灰色の世界で無様に転がっては跳ね上がり、バッと翼を広げて体勢を整えると爪を引っかけるようにして勢いを殺す。


 今、何をされた?


 ――攻撃、されたのだ。


 誰が?


 ――この、我が。


「っ……やってくれるであろ。喧嘩を売られたのは何百年ぶりかの……我を【金龍皇シエルリヒト】と知っての振る舞いかえ? 其方が力での会話を望むというのなら、それは本望というもの。我も三百年引きこもって追ったから、そろそろ暴れたいと思っておった――とことんやり合うのじゃ」


 シエルリヒトは驚愕する。

 しかしその顔は獰猛な笑みに彩られていた。


 何年、何十年、何百年ぶりだろうか。

 こうして問答無用に喧嘩を売られるなど、もしかしたら初めての経験かも知れない。


 瞬時に昂ぶった。


「塵と消えよ――『真龍ノ息吹』」


 がぱりと開かれた顎から、前方の景観を埋め尽くすほど大規模な破壊光線が放たれる。それはまさしくして『真龍』へと至った者が使用できる、初歩にして最強のスキル。


 扇形状に広がった計り知れないエネルギー、猛烈な熱波。それは惑星すら砕いてしまいそうな一撃だった……後に残ったのは不可思議な膜に守られている物品と――先と同じ場所に悠々と立つ、白い人物。


 シエルリヒトの笑みが濃くなる。


「面白い」


 最強の生物たるドラゴンとしての誇りが、三百年もの間退屈な日々を送っていたその反動が――自身に近しい、もしかしたら同等の力を持つやもしれぬ『強者』を前にした、戦士としての本能が。


 この身を奮い立たせるのだ。


 人型をもした白の魔素(マナ)が吹き荒れる。

 垣間見えた透き通った肌。美しい造形の桜色の唇。にいっと、白い歯が覗く。同じように笑みを浮かべた謎の人物を前にして、シエルリヒトはその大翼を広げた。


「我は世界の覇者たる【十二天】が一柱にして【日天】の名を司る真龍(ドラゴン)――シエルリヒト・スーリヤ・サン・ミーティア」


 久方ぶりに真名を挙げて、縦に長いドラゴンの瞳孔を細めた。

 金色の炎が轟々と燃え上がる。


「我が真名にかけて、全身全霊で戦おう――名も知らぬ少女よ」

 

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