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第50話:再び相見えた黒と白と黄金と


 その日はエルウェの15の誕生日だった。

 一月前に成人の年を迎え、正式に冒険者の一員として『魔物使い』の職を得たばかり。幼さを残しつつも大人びた印象を感じさせる、美しい女の子になっていた。


 正直、『悲影』は驚いていた。


 二年前にあんなことがあったというのに、エルウェは逃げ出すという選択肢をとらなかった。ヨキに心配をかけたからか流石に行動には移さなかったが、その心根で燻る強さへの渇望を湛える篝火に、努力という闘志の薪をくべることを忘れなかった。


 結局、戸惑うことなく森に足を踏み入れた。

 反骨心が強いのか、単に無鉄砲なのか、それら全てを上回る強さへの渇望が彼女をつき動かしているのか……何にせよ、強い子だと改めて思った。


 いろんな意味で思い入れのある《荒魔の樹海(クルデ・ヴァルト)》に足を踏み入れ、順当に魔物を狩っていく。『悲影』はここでエルウェと出会い、今もなおその奥地で戦い続けている土地だ。


 そして、件の魔物に出会ったのは、仕事を切り上げ川沿いに帰還していた時のことだ。


「ん? ねぇフラム、あれって……?」


 特に目立った外傷もなく、疲労だけが滲んだ顔をして歩いていたエルウェが、ふと前を見ながら言う。肩に座っていた『悲影』も同様に見据え、川岸に白い物体が落ちているのが見えた。


「あァ、魔物か……? 倒れてるみたいだがァ、主ィ警戒を――」


「すごいっ!! よくわからないけどあの子、絶対レアな魔物よ! もしかしたら知性だってあるかもしれないわ! 契約を結べないかすぐにでも交渉しなくちゃ!!」


「あッ、おィ待てェ!?」


 《荒魔の樹海(クルデ・ヴァルト)》では見ない魔物だ。おそらくは何か事情を抱えているに違いない。そのせいか途端に興奮し始めたエルウェは、『悲影』の忠告を軽く一蹴して駆け寄った。

 

 ハッキリと見えてきたのは、黄金の意匠が施された白い全身鎧(フルプレートアーマー)

 その三十センチ程度の身体はまるで男子が小さい頃に遊ぶ人形のようで、誰の目にも脅威ではない種族等級の低い種類だと映る。しかし……何だ、これは。


 それこそ『悲影』と同じように、得体の知れない何かを腹の底に抱えているような気がしてならない。『悲影』は警戒レベルを跳ね上げた。格下の魔物とは言え、悍ましい部分(ナニカ)を秘めているのだと。


「きっとこれは運命なのねっ! こんな、滅多に会えないわっ! 頭部のない鎧の魔物――『暗黒騎士(デュラハン)』の幼体に出くわすなんて!!」


「――いやこっちだからぁッ!? 運命感じて欲しいのこっちだからねぇッ!?」

 

 少し離れた場所に頭部らしきものが落ちていて、そこから鋭い突っ込みが飛んできた。それが出会い。互いに気まずくなるような初対面、けれど『悲影』にとってはある大きな決断をなすきっかけとなった出会い。


 最初こそ頭部をなくした鎧の姿に、興奮したエルウェが暗黒騎士(デュラハン)と見間違いはしたが、その魔物は野良のくせに高度な知能を有し、すらすらと淀みなく人語を扱って見せた。


「うわぁ、本物……? 偽物じゃないよね? カ、カーバンクルって初めて会ったけど、可愛い見た目に反して以外と男らしい声してるんだね……」


「…………あァ。悪いかァ? オレみたいなのが幸せを呼び込む幻獣で」


 開口一番にそんなことを言うのだ。

 少しだけ虚を衝かれ、口を噤んでしまった。次に咄嗟に口をついて出たのは自虐的な言葉……自分で言って、気づいた――劣弱意識。『偽物』のカーバンクルを一番に『偽物』だと卑下しているのは自分なのだと。


 それが何よりも証拠(こたえ)だ。

 この二年間、エルウェにとって『本物』であろうと努めてきた。

 けれど、その結果は自分が一番わかっているんじゃないかと。


 ――『本物』に、なりたかったなァ……


「僕は幸せ者です。ええ、とっても、とっても幸せ者なんです……ふぁああ生きてて良かったぁぁああ……ッ」

 

 そんなことを言いながら号泣する鎧の魔物。

 『悲影』は呆れ、同時にクククと小さく笑いを零しながら、その思いを胸に誓った。


 ――オレはもゥ、主の側にいることも限界だァ……消える時が来たのかもしれねェなァ。


 夜の森でケルベロスと戦闘を行い、その身を蝕む衝動は大方発散されている。けれど、そうして誤魔化すことも限界が近づいてきていることを、密かに感じ取っていた。

 

 このままではエルウェを手にかけてしまう。

 本当は召喚獣の原石に眠るドラゴンに後釜を任せるつもりだった。だが、いつ孵るのかは見当がつかない。その点、この悪性に染まっていない魔物になら、エルウェのことを任せられる気がしたから。


 だから。

 いつまでたっても『本物』になれない自分は、去るべきだろうと。



「私の――眷属(かぞく)にならない?」


「――条件がある」


「ふぁっ?」


「一つ、僕の鎧を毎日磨くこと。毎日大切に愛でること」


「……ぇ、ま、まぁそれは魔物使いとして当然の責務だし」


「二つ、肥えた土地に根付き絢爛たる太陽を浴びてすくすくと……いやばいんばいんと成長したかのようなその果実(おっぱい)で、僕を挟んで寝ること」


「ひゃぇっ!?」


「三つ、僕の食事はあなたのおパンツです」


「ふぇぇぇあなた何言ってるのよぉっっ!?」


 そいつは、悪性には染まっていないが、煩悩に濡れていた魔物だった。

 すごいと思うところが、それらを決して冗談で言っていないところ。真っ正面から正々堂々と破廉恥な言葉をぶつけていくのだ。裏があり、何を考えているかわからない奴よりよっぽどいい。



「おッ前らァアあああああああァッ!! 主に触るんじゃねェそれ以上なにかしてみろォ人間の挽肉にし%&#$&#%&ッッ!? ぶッ殺ォォおおぉおぉおぉすゥッッ!!」


「えっ、ちょ、フラム先輩っ!! まさかっっ!?」


「いやなんでぇぇぇええええぇえぇええええ――っっ!?」


「小さ、な……騎士……さぁん……っっ」


「そのおっぱいは僕のですからぁああああぁああアァアッッ!?」

 

 エルウェが外道な冒険者共に浚われ、そいつ……『小さな騎士さん』と一緒に助けに入った。

 『小さな騎士さん』はまだ仮契約すら終えていない身でありながら、全力でエルウェを守ろうとしてくれた。いや、怒りのまま『悲影』が全力で投擲したのだ。全力で向かうしかなかったと言えばそれまでだけれど。


「……小さな、騎士さん……?」


「――僕のファーストキッスがぁぁああぁぁあぁああぁぁあああああぁぁぁあぁあぁぁぁぁぁああああああああぁぁあぁぁぁあああぁぁああッッ!?」


 理由はやはり煩悩にまみれていた気もするが、自分の決断は正しいと思えた。燃え尽きた灰のような色になって、駄々をこねる子供のように路地裏でのたうち回るそいつ。どうやらファーストキスが奪われたらしい、『悲影』は久しぶりに腹を抱えて笑った。



「――我、魔物使いエルウェ・スノードロップはここに誓う――」


「――汝を我が二番目の眷属とし、互助の概念に基づき未来永劫に添い遂げんことを――」


「――七色に輝く金剛石より強固な結束を違うは何よりも罪深き禁忌であり、血より濃い縁で刻まれた轍を塗り替えることを何よりも禁戒とす――」


「――ゆめゆわ忘れることなかれ。今ここに、紐帯の短剣の輝きを以て、我と汝の霊魂に、契約の楔を穿とう――」


「――汝は其の契約を、心から受諾せんとするか?」


「――我、主へのあくなき忠誠を、永劫なる魂の契約を、ここに誓わんことを」


 その日、仮契約の儀式が完了した。

 これで『エロ騎士さん』は紛うことなき『本物』の眷属。本物の『家族』……少しだけ、隙間風が吹きつけたように寂しく思った。


 けれど、これでいい。

 これで……いいんだと。



「通り魔……?」


「ああ。今日もまた被害が出た。それもうちの冒険者の多くが世話になってる、北門近くの肉屋の店主が襲われたらしい。酒場の方に肉を卸してくれていたのもそこの店だ」


「それで最近、みんなの血の気が多かったのね」


「……そうかァ? ここの奴らはいつもウザいくらいうるせェだろォ」


 ヒースヴァルムの首都――《皇都》で殺人が起きたらしい。

 その話を聞いた時、ドクン、と仮初めの心臓が脈打った気がした。顔には出ていなかったとは思うが、内心動揺の嵐が吹き荒んでいて。


 ……誰の仕業だ?


 かつての『連続殺人事件』を引き起こした犯人である『悲影』は、既に人殺しはやめていた。

 最近になって衝動を我慢するにも限界が近づいてきているが、この二年間人の命を殺めたことなど一回もないのだ。では誰が? 動悸が激しい、嫌な予感がした。



 奇しくも、その最悪の予感は的中することになる。


 殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ――――


「グゥ……ハァ、ハァ……まだ、まだだァ……オレはまだ、主の側にィ……」


 苦しい、痛い、やめろ……頭にがんがん響く殺戮の声。

 その時、向かい側の通路から人影が現れた。夜闇に紛れるような外套を纏ったその人物は、路地裏で喘ぎ苦しむカーバンクルを目にとめてしまう。


 同時、『悲影』もその人物を見澄まし、眼を大きく見開いた。



 ――神薙、教ゥ……ッッ!?



 自分にとってはどうでもいい奴らだと、そう思っていた。

 けれど、模倣(コピー)してしまっていたのだ。


 ――『本物』のカーバンクルの記憶と、神薙教に対する果ての無い『恨み』まで。


 過る。濁流のように、情景が過る。


 路地裏に現れた神薙教。二年前にエルウェを襲撃したのも、神薙教。それだけじゃない、それより数年前にもエルウェの街を襲撃している。そのせいでエルウェは父を失い、母も失い、兄すらも――兄? 違和感が、神薙教、そんな奴がいたか、彼女に兄弟なんて、神薙教、何かがおかしい、神薙教、これはカーバンクルの記憶? 神薙教、違う、これはオレの、俺自身の、神薙教、神薙教神薙教神薙教神薙教神薙教神薙教神薙教神薙教神薙教神薙教神薙教神薙教――――――コロス。


 カーバンクルの内部で蠢くナニカが、爆発した――



「夜中ならまだしも、エルウェに黙っていなくなるなんて……どこで何をしてたのさ?」


 初めての迷宮探索から帰還したその夜、『悲影』へと投げかけられた言葉。

 その重さ、その険のある鋭さ、その覚悟――あぁ、そうかと。何となく、悟った。悟ってしまった。


「……どうでもいいだろゥ。それより、明日からは本格的に迷宮探索を始めるンだろうがァ。主とくっついて寝ないと体力が回復しないって言ってたくせによォ、またさぼるのかァ?」


「……フラム先輩」


「あァそうだ、謝るのが遅れたァ。今日は悪かったなァ主を任せっきりにしてェ。詫びに明日はオレが働こゥ、お前はだらしなく主の太股に抱きついていればいィ」


「フラム先輩」


「でも最近のお前は真面目に強くなろうとしてるんだったかァ? 結果的に主を守れるし、最強の魔物使いになるっていう目標にも近づくゥ。それなら――」


「――フラム先輩ッ!!」


 やはり、『エロ騎士』は気づいたようだ。

 それが確証のあるものなのか、まだ半信半疑のものなのかは判然としない。だが、疑いをかけられるような節はいくらでも思い当たる。盲目的に信じてくれるエルウェとは違って、この眷属は良い意味でも悪い意味でも、誰に対しても真っ直ぐにぶつかるから。


 それでも、家族に対して咎めるようなことを言うことに忌避感があるのか、『エロ騎士』は複雑そうな感情を鎧の内に漂わせていた。


 ――オレは『偽物』の家族だァ。

 ――主のためなンだろうがァ、そのためにお前がそんなに苦しむ必要はねェってのにィ。


「…………言えないなら、せめて僕の質問に答えて」


「答えるかどうかは別だが……言ってみろォ」


「フラム先輩はさ、罪のない人間を――殺したことがある?」


「……さァな」


 どれだけの命を殺めてきたか、数えることもやめてしまった。


「……それも、何人も……何十人も。その綺麗な炎で、それこそ身元がわからなくなるまで黒焦げにしたことは、無上なまでに焼き殺したことは……ある?」


「……さぁなァ」


 カーバンクルの橙色の炎で焼いたことはないが、『悲影』の青の炎でなら焼き殺したことがある。ちょうど昨日、今日だって――混乱を招こうとする神薙教(、、、)を。


「っ……フラム、先輩はッ……明日も、明後日もっ、人を殺すのか……っ? いつか、いつかエルウェすらも――殺すのか……ッ!?」


「…………オレは主を守りたィ。夢を叶えてもらいたィ。それだけだァ」


 痛いくらい、本心だった。

 それなのに、『悲影』の中に眠る黒い影は、どこまでも殺戮を求めている。その対象はエルウェすら例外でなくて。『エロ騎士』に自分の正体が、行いが、露見したのならばそれはそれでいいだろうと。


 ――頃合い、かァ……



 そう、腹をくくった矢先だった。


「……ねぇ、エルウェ」


「まだ、まだね、エルウェに伝えなきゃいけないことが――」


「あれれぇえ? そこにいるのってぇ……カーバンクルぅ? にんまり」


「まさかこんなに早く会いに来てくれるなんてぇえ! あちし感激ぃ。あれれぇ、それにぃ破壊神様とぉ繋がりのある例の新種ちゃんもぉ? もしかして君ぃ、皆が言ってた強い魔物使いかなぁ!? うわぁ! 初めましてぇ! あちしも魔物使いだから仲良くして欲しいなぁ。どきどき」


「あちしは神薙教がぁ枢要の七罪源――【道徳なき暴食グラトニー・ウィザウ・モラリティ】。気軽にぃグラト二ーちゃんって呼んでねぇ? にこにこ」


 紫髪の狂人――グラトニーが姿を現したのは。


 記憶が疼く。二年前の襲撃、それより前の故郷の崩壊。家族の別離――やはりちらつく、ひとりの『男』の違和感、そして――改造されてケルベロスへと取り込まれた、カーバンクルの姿。


 一瞬で本能が沸騰した。

 怒りと恨みと殺戮衝動を昇華して、業火の炎をこの身に纏う――叫べ。



「――――ぶッ殺すゥッ!!」



 どうして、こうなったのか。


「――――――――――――ぇ?」


 少女の小刻みに震える唇から、消え入りそうな声が溢れた。


 グラトニーの連れていた改造されし眷属――混沌の豚(オルタ)との死闘。『エロ騎士』が致命傷を受けそうになって、『悲影』は咄嗟に本来の力(、、、、)を解放した。種族等級(レイスランク)Bのカーバンクルに模倣する前、種族等級(レイスランク)Sの幻想の殺影(ドッペルゲンガー)の力を。


 迸る青の炎。

 焔に対する耐性があれど、死霊種の炎はまた違った種類の攻撃だ。果敢に攻め、豚鼻の怪物を谷底へと落とすことに成功する。代償は――眼を剥き驚きを示す『エロ騎士』への身バレ。


「――見たなァ?」


 辺りに散る青の炎を鎮火しながら歩み寄る。

 どうやら去る時が来たようだ。しかし、互いが何かを言う直前に訪れたのは、ホームラへと連れ帰れと言い伝えていたはずの少女――エルウェ。


 彼女の前で、莫大な経験値ときっかけを経た『エロ騎士』の進化が始まった。


 そして。


「――――なん、で……僕なんだよ……?」


「どうして僕が……禍殃種(、、、)なんだよぉ……ッ」


 ――ま、さかァ。


 目を瞠る。言葉を失った。完全に、虚を衝かれた。

 これより後のことを全て任せようとしていた『エロ騎士』が進化したのは――『禍殃種(かおうしゅ)』……彼の地獄の番犬(ケルベロス)と同じ、いずれ原戒種(ディモリア)へと至る、最高位にして最悪の種族。


 エルウェの最も忌み嫌う存在であり、カーバンクルの記憶と薄い感情を引き継ぐ『悲影』にとっても、心根から湧き上がる嫌悪感と敵愾心を抑えきれない、世界そのものを敵に回した、正真正銘の『悪』だ。


 気づけば、『悲影』は呟くように零していた。



「――殺そゥ、主ィ」


 

 『悲影』は生まれながらに自分を持たない『偽物』だった。

 本能のまま模倣(コピー)するしか能のない、命の輝きを潰えることでしか喜びを得られない、醜い悪に染まった悲しい影だった。


 惜別の情に駆られて、『悲影』は最後に聞いた。


「……なぁ新入りィ。お前はよォ……偽物(、、)の気持ちがわかるかァ?」


「偽物……一度、死んだからって、こと……?」


「オレに死ンだ記憶はねェよォ……だが、気がついたらオレは死霊種(オレ)だったァ。そして本能の囁くままに命を殺めてきたンだァ……二年前のあの日(、、、、、、、)までは、なァ」


「……? 二年前って、そうか……グラトニーに遭遇して死にかけたっていう、その時に……って、え? 違う。それ以前から、フラム先輩は死霊種アンデットだった、みたいな言い方……どういう、こと?」


 わかってもらえるとは思っていなかった。

 けれど、当時の『悲影』の胸中は荒んでいた。ずっと側にいたい、だけど離れなくてはいけない苦しみ。当てにしていた眷属(とも)の裏切り。大切な命の輝きを、この手で殺めなくてはいけない葛藤。


 青の炎を全身に纏って、『悲影』は吠えた。


「それでも忘れられねェ。毎晩のように殺人衝動が溢れて、その度に手にかけてきた死者が脳裏で囁くんだァ――お前は『偽物』だってなァ! その苦しみが、お前にわかるかァ!? オレだってなれるなら『本物』になりてェよォ!! だけどなァ、オレはどこまで行っても紛い物ォ……時々何よりも大切な主でさえ殺してしまいたくなるゥ、そんな醜い化け物なんだよォ!! わかるかァ、お前にオレの気持ちがよォッ――!?」


「――――」


「ハァッ、ハァ、ハァッ……クソッ。少し、喋りすぎたかァ……」


 ただの八つ当たりだ。思い通りに行かないこの世の不条理に対しての。

 しかし、こうやって想いの丈を誰かに叫ぶことで、かえって冷静な思考が回り始めた。


「……本当はなァ。オレがいなくなった後、お前に主のことを任せるつもりだったンだァ。だがそれもォ、お前が禍殃種となった今、全てが帳消しだァ……失せろォ。二度とオレの前に、主の前に姿を見せるなァ」


「――僕を、殺さない、の……?」


 禍殃種へと昇華した魔物は、早期に芽を摘まなくてはならない。

 それは世界共通の鉄則であり、常識。だから、『レイリア』を生かす……この選択をとったのは、ただの気まぐれ。


「……オレは偽物ォ、悲しき憤懣に溺れた影だァ」


「いつかきっと、同じ深淵に堕ちたお前ならァ。オレが主に出会った意味を、偽物として生きた意味を……本物のオレ(、、、、、)を。ふとした拍子に呆気なく、見つけ出してくれるかもしれねェ……そう思ったまでだァ」


「クハハッ! なぁ、死霊種(アンデット)のオレが言うのもおかしな話だがよォ」


 涙を流す、かつて家族だった鎧の魔物に向かって。

 『悲影』は不器用に笑った。


「死ぬなよォ――レイリア」


 生者の道を外れた死霊種が。

 殺すことしかできなかった『悲影』が。


 誰かに生きていて欲しいと思ったのは、少女以外では初めてのことだった。

 それはきっと、ともに過ごした日々の中で、『悲影』と『レイリア』は『本物』に近い家族になれた……そういうことなのかもしれない。



 その後、エルウェは癇癪を起こした子供のように泣いた。

 泣いて泣いて泣いて、泣き疲れて死んだように眠った。彼女の身体を優しく抱いて、『悲影』は今後の舵取りをどうするべきか悩んだ。


 ――主ィ。主は……どうするべきだって言うンだろうなァ?


 半ば確信を持って、ヒースヴァルムへの帰路についた。


 こうして。

 思いがけず、『レイリア』との離別の日が訪れたのだった。



 目を覚ましたエルウェは、しばらく寝台から出ようとしなかった。

 まるで現実を拒むように、顔まで布団を被って蹲り、かといって眠っているわけでもなく、眠れたとしても悪夢にうなされるように喘いで、まともな食事すら喉を通らなかった。


 数日経って、エルウェは寝台から出た。

 『レイリア』がいた頃と同じように、顔を洗い、朝食をとって、歯を磨き、身支度を済ませた。彼女の瞳には、失って今はもう決して戻らない日々を映していて……記憶をなぞるように、家を出た。


 ヨキの話を聞き、グラトニーが生きていることを知った。


「ねぇ、一応聞くけど。フラムは……私を、とめるつもり?」


「やはり、かァ……行く気なンだなァ?」


「ええ」


「恐らくあの怪物は餌、……相対するのは、きっと二年前のあいつ、、、……だァ」


「ええ!」


禍殃種(、、、)の地獄の番犬ケルベロス――さらに言えば、今のヤツは二年目とは桁違いの力を持ってるゥ。そこにあの餌を喰らうんだァ……自ら死の淵に立つようなものォ――それでもォ、行くのかァ?」


「ええ、ええ、ええ! そうよ、そうじゃないと、何のために……何のためにあの子を、レイリアを失ったのかわからないもの……それに、今回の戦いで、奪われるだけのこの惨たらしい人生に――終止符を打ちたい。きっとレイリアも……そう望んでる気がするの」


「そうかァ……」


 禍殃種になってしまった自らの眷属を殺めた意味を探していた。

 かつて敗北した相手とはいえ、同じ禍殃種なのだ。このまま引き下がってしまえば、『レイリア』を失った意味がわからないのだと。それに、今ここで戦わないのなら、彼女は強くなれないのだと。


「ねぇ、フラム……ごめんね。あなたの主、いずれ世界最強の魔物使いになるこの私、エルウェ・スノードロップの名において命令するわ――力を貸して。私の大事な大事な幸を呼ぶ幻獣(カーバンクル)


「……仰せのままにィ、我が主よォ」


「ありがと。本当に大好きよ――フラム」


 全てはエルウェの思うままに。

 彼女が『世界一の魔物使い』になるその覇道、せめて花を添えて散ることができたなら。この仮初めの命を賭して、(キミ)に全てを捧げよう。



 ****** ******



 殺した。

 死神の鎌で引き裂いて。


 殺した。

 怨念の鉄槌を振り下ろして。


 殺した。

 その深淵の身から生じる際限ない殺戮本能に促されるまま、数多くの命を殺めた。


 敵は神薙教が七罪源――グラトニー。

 獅子を温存するために宛がわれた、数多くの魔物達の命を――殺した。


「ハァッ、ハッ、ハッ、ハァッ……グォァアァ……ッ」


 もう、どれだけの命を刈り取ったのかさえわからない。

 恍惚とした息を吐いていられたのは最初だけ。次第に苦しみが増し、全身に痛みが奔るようになった。殺めて殺めて殺めて、どうにかなってしまいそうだった。


「グォァオァオァァァァァァアアァァァァアア――ッッ!?」


 意志は歪み、感情は黒に染まり。

 温もりをもらったはずの心はぐちゃぐちゃになって。


 そして、ついに。

 恐れていた事態が訪れる。


「はぁ、はぁッ、フラ――――ぇ」


 衝動に呑まれた『悲影』の矛先が。

 彼にとって、誰よりも、何よりも、大事な少女(エルウェ)へと向いて――――



















「――――それだけはダメだよ……フラム先輩」




 獣の如き叫び。小さな悲鳴。金属が擦れる硬質な音――聞き慣れた『声』


 瞠った白水晶(ミルキークォーツ)から溢れる水滴には、様々な色彩が反射していた。


 盛る青の炎、橙色の火花、黒の燐光、そして揺蕩う――黄金色の魔素(マナ)


 我を忘れて襲いかかった『悲影』とエルウェの間には、水晶に彩られた黄金色の大剣が突き刺さっていて。長い柄の部分に立つ小さな影を見て、戦慄いた少女の唇から漏れた、その存在の名は。



「な、んで――――――レイリア」


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