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第48話:全ての始まりは


 数年にわたり抑え込んできた力の解放。

 それは内なる衝動に身を、心を任せることと同義だった。


 一人の少女に寄り添うためのカーバンクルの姿を捨て、その冷酷な本性を晒したフラムだった者(、、、、、、、)――幻想の殺影(ドッペルゲンガー)は、本能が求めるままに咆哮を上げた。


「ゥァァアガァアアァァァアアァァァアアアァアア――ッッ!!」


 人を模した影が膨大な闇の魔力を纏う。

 周囲の地盤が捲れ上がり、数段に渡ってクレーターが生じる。蝶を象ったどす黒い魔素(マナ)が吹き荒び、天を衝く勢いで螺旋を描きながら高く高く舞った。


 ドッペルゲンガー。真の名を『青白の灯魂ウィル・オー・ウィスプ

 この存在は種族等級(レイスランク)Sという魔の者の高みに至った紛う事なき化け物だ。


 その魂は殺戮に染まっており、気性は極めて荒い。

 単純な膂力はそれ程でもないが、高い種族等級がつけられた所以はその莫大な魔力と模倣(コピー)能力。中でも後者の能力は滅法害悪なそれで、彼の存在を知る少数からは非情に怖れられて来た。


 触れた物体を完全に模倣(コピー)する。


 それは外見だけに止まらず、その性格、仕草、口調、個体情報(ステータス)、所持するスキルに至るまで全てを完璧に、だ。自身より高位の存在には変幻できない、変幻した個人と同等の力しか持てない、などといった制限も課せられてはいるが、中々に凶悪な権能であることは間違いない。


 勿論のこと、変幻した姿では青白の灯魂ウィル・オー・ウィスプの力は使えない。しかしこのままでは、階級はさらに高いとは言え種族等級(レイスランク)Bのカーバンクルの肉体では勝機が皆無。グラトニーにぐちゃぐちゃにされて終わってしまう、そうなるくらいならばと。


 故に、身バレと絶縁を承知の上で本当の姿をさらしたフラムだった訳だが――


「いひひひぃひいひぃっ!? まさかぁ、まさかまさかまさか君ぃ!! 幸を呼ぶ幻獣(カーバンクル)に化けた幻想の殺影(ドッペルゲンガー)だったなんてねぇ? 『偽物』だったなんてねぇえぇえ!? にたにた」


「うるせェエェエ――ッッ!!」


 グラトニーが黒の触手で固定し騎乗する歪な百頭の獅子には、それでも勝ることが出来ない。


 余裕に嘲笑を浮かべた表情で、こちらを貶めるグラトニー。

 しかし言っていることは図星も図星。長年フラムが気にしていた『偽者』への執着、最も忌み嫌う凶人に触れられ、湧き上がる怒りのまま力の限り吠えた。


「――ゥアガアァァアアァアァアァッッ!!」


 暴走気味の黒い魔力が迸る。


 激雨を横に打ち付けたような弾丸の嵐、小さな飛虫すら切り裂くような編み目状の斬撃は空間を裂く。森を形造っていた木々はズタボロに穴を開けられ、細かくスライスされ、根元から粉砕して宙を舞っては無残に地に積もっていく。


 まさに圧巻の一言。

 大地を砕き、山を貫き、森を焦土と化す。上位存在同士の戦いは、天変地異でも引き起こすのかと言わんばかりの規模で続いた。


 しかし――


「いいねぇっ、いいねいいねぇっ!? ドッペルゲンガーなんてぇカーバンクルとぉ同じくらい珍しい上にぃ、こぉんなに強いんだからぁ!! 欲しいぃ、あちしのコレクションにぃ絶対ほしぃよぉおお~っっ!? でれでれ」


「……クソがァッ、余裕ぶっこいてンじゃねェぞォッ!!」


 余裕綽々な様子で恍惚と涎を垂らすグラトニー、噴煙から尾を引いて悠々と姿を見せるのは歪な獅子。その身体に多少の傷はあれど、目に見えてダメージは与えられていない。


 一方で、フラムの影の身体はボロボロだった。

 種族柄血こそ出ていないが、右腕は人の輪郭を失って闇の残滓がほろほろと崩れ落ち、頭の左半分は吹き飛ばされて修復中だ。残った血色の瞳で恨みがましく仇敵を睨みつける。


「えぇ~? だってぇうちのサーベラスちゃんはぁ最強ですものぉ? もう何年も前にぃうざぃ魔物使いに殺されちゃったぁ巨人の子がいたけどぉ、その子よりもずっとずっとぉ――強いんだからぁ!! めきめき」


「――ッ!?」


 グラトニーの感情の高ぶりに併せて、獅子が持つ十本の竜の尻尾が襲い来る。

 飛来した先端が蠢くと竜の顎に変形、曲解な軌道を描いてフラムを襲った。


 躱し、掠って魔素(マナ)が散り、轟と打ち落とし、血色の瞳が線を引く。

 同時に三方向から迫った黒線を、鋭利な剣に変えた腕を閃かせて切断し――その奥、グラトニーの背中から生えた幾十本の触手が視界を覆い尽くす。


 直ぐに退避態勢をとったフラムは――ハッと背後の存在に気がつき身体が硬直、その直後に猛烈な矛が影に覆われた腹を穿った。


「ぐぁああぁあァァアアァアッッ!?」


「フラム……フラムっっ!?」


 背後に控えていた少女に、血のような闇の粒子が吹きかかる。

 衝撃を受けて呆けていたエルウェは、眼前で起きた光景に我に返った。自らの眷属の致命的ともいえる損傷を見て、痛ましい悲鳴を上げる。


「ッッ――ウォラァアアッ!?」


 奔る悪寒。触手から何か大事なモノを吸われる感覚。

 咄嗟に篭められた黒の魔力が爆発し、フラムはグラトニーを後退させることに成功する。


「あはぁ、ねぇねぇ今のぉ……致命傷だねぇ? いひ、いひひっ、このままぁ戦ってもぉ面白いけどぉ、サーベラスはぁ【炎龍王】のためのぉ切り札なのぉ。温存温存……いけぇ、餌どもぉ!! ごーごー」


 満面の笑みを浮かべて声を荒げるグラトニーに、背中に寒いものを感じてエルウェは顔を引きつらせた。


 気づけば眷属の姿が異形に変わり果て、本当は命を持たぬ死者であったと知った。目の前にいるのはフラムで、だけれどエルウェの知るフラムじゃなくて。よくわからないけれど串刺しにされて。全然、何だ、何が何だか、今はまだ、頭が状況に追いついていない。


 だが、そんなことを言ってられる暇はないのだ。


 サーベラスを待機させたグラトニーは、その代わりに他の眷属を数十匹向かわせる。

 しかし雑魚と侮ることなかれ、それぞれがグラトニーの手で改造され、歪な強さを誇っている。常のフラムであれば直ぐにやられてしまう程の怪物達が、怒濤の勢いで押し寄せた。


「クソがァ……殺すゥ、殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺すコロスコロスコロスコロスゥ――ガァァアアァァアアァッッ!!」


 ぶつぶつと狂言を吐きながらふらふらとした足取りで立っていたフラムは、意志の光を失った血色の瞳を吊り上げる。のこぎり歯のような口を大きく開け、痛みに耐えるように、命を燃やすように猛々しく吠えて集団に吶喊した。


 見ろ。見ろ。見ろ。

 その仮初めの命を引きずりながら、自分を守るために眷属が戦っている。だからせめて、事の顛末を見届けようと。どんな結果になろうとも、それを受け入れようと。


 涙が浮かんでいた目をゴシゴシと乱暴に拭うと、エルウェは立ち上がってフラムに両手を向けた。


「――『回復の鈴音(ベル・ヒール)』……『祝福の鈴音(ベル・ブレス)』っ!」


 身体の内部からごっそりと魔力が抜け落ちる感覚。

 手元から放たれた魔物使いのスキルは、人を模した影を暖かく包み込む。闇に呑まれかけていたフラムは、すんでの所で我に返った。


「――――ッ……主ィ。すまねェ、恩にきるゥ……ッッ」


 あのままでは、完全に種の本能に呑まれてしまうところだった。

 種族本能とも呼べる殺戮衝動はいつまでも我慢できるようなものではない。二年という月日、度々森に訪れては発散していたフラムだが、それでも近頃限界は来ていたのだ。


 毎晩のように、もう一人の自分が殺せ殺せと囁く。

 主を襲わないように、ただその一心でフラムは耐えてきた。


「――ばれ。頑張れッ、フラム――ッッ!!」


「――あァ、オレに任ろォ」


 敵を一匹穿ち、さらにもう一匹を細切りにする。

 無我夢中で舞う中、フラムの脳裏にはこれまでの軌跡が走馬灯のように過っていた。こんな時に思い出してしまうのはきっと、身体を包んでくれたこの暖かい魔力のせい。


 そうだ。

 全ての始まりは、殺戮に苦痛を感じ始めたあの日。

 偶然目にした少女に感じた、暖かい感情から始まったのだった。


 それは空っぽだったフラムに注がれた初めての温もり。

 そして、胸中を満たして急かすような、強い郷愁だった――



 ****** ******



 泣きたいくらいに寒い。涙が凍り付くほどに冷たい。

 我が身が氷点下に達するかと思うほどに、温もりの残滓が欠如していた。


 いつの間にか、あるいは最初からか。

 実態を持たぬこの常闇の身体は凍えて、心が脈打つのをやめてしまった。


 そんな『悲影』に初めての温もりを齎したのは、一人の少女の存在だった。


『……気づかれてないみたいね。ふふ、上手くいったわ』


 してやったり、という年相応の子供心に溢れた表情をする彼女。

 薄赤の毛と額にザクロ石を持つ子猫が、少女の頬に頭を擦り付けていた。その存在は知っている。幸せを運びこむと言われる稀少な魔物、もしくは召喚獣――カーバンクルだ。


 自分とは正反対な奴だな、と『悲影』は思いながら木々の影に潜んで彼女達の様子を伺った。常日頃から乾くことのない殺意はなりを潜め、今はただ謎の郷愁だけが胸中を占めていたのだ。


「あの、子はいったィ……? オレはどうしてェ、こんな気持ちにィ……」


 慎重に森を進み、エンカウントする種族等級(レイスランク)の低い魔物達を屠っていく魔物使いとその眷属。正直、彼女達の存在そのものが不思議でならなかった。

 

 実体のない胸に手を当てる。

 やはり、冷え切っていた心が脈打ち始めたような気がする。

 どうしてこんなに懐かしい? どうしてこんなに暖かい気持ちになる?


 答えはでないまま時は過ぎ、少女と眷属が帰ろうと思案していた時だ――その不気味な男が現れたのは。


『あれぇ? あれぇえ!? まさかぁ、まさかまさかぁその魔物ってカーバンクルぅ!? うっそぉ~こんな所で会えるなんてぇうそうそうそぉすっごぃ~っ!! きらきら』


『っ……だ、誰?』


 黒ずくめの格好。外したフードからこぼれ落ちる長い紫髪。彫りの深い顔。


 ――ドクン、と。


「――ッ!? ぐぁ、がぁあ……ッ!?」


 瞬時に湧き上がるのは、これまで感じた中で一番の殺戮本能。

 その男を見た瞬間に、我を忘れてしまいそうなほど強烈な衝動が迸った。だが、今は状況が状況だ。落ち着け、耐えろ、耐えろ。無様に蹲り、必死に耐え忍ぶ。


「ぁの、男はァ……ぐッ、落ち着けェ、今はァ、落ち着けオレェ……」


『よくもっ、よくもお父さんをッ!? 大好きだった、私の家族を――ッッ!!』


 怒りに染まりきった声が散る。


 ――オ、トウサン……? 

 ――カゾ、ク……?


 ……わからない。『悲影(オレ)』にはわからない。


 『悲影』が喘ぎ苦しんでいる間に、二人は紫髪の男が連れていた獅子のような眷属と戦火を交えていた。生まれながらにして種族等級(レイスランク)Sを誇る彼の目から見ても、獅子とカーバンクルの織り成すそれは激しい戦いだった。


 しかし、方や種族等級(レイスランク)Aの地獄の番犬(ケルベロス)

 方や種族等級(レイスランク)Bのカーバンクルだ。


 各々の階級(レート)はさらに上を行くと見えるが、その角突き合いの情勢は目に見えてカーバンクルが不利だった。


 このまま少女が敗北を喫する――そう思うと、いても立ってもいられなくなってそわそわした。自分がどうしたいのかもわからないが、恐らくこれは――少女を助けたい、という感情。


 しかし、事の成り行きは『悲影』の予想を裏切った。


 瞬間的に高まる魔力。

 赤の魔素(マナ)が渦を巻き、次々に森を焦土を化していく。その中心に立つは種族等級(レイスランク)Bでは本来有り得ないレベルの力を発するカーバンクルだった。


 まるで太陽。惑星の衝突。尋常でない熱波が炸裂した。


 ――あァ、命を。


 直ぐにわかった。

 それは命を昇華させて発動できる類いのスキルだと。そうでなければ、これほどまでの一時的なレベルアップは有り得ない。自分を犠牲にしてまで、カーバンクルは少女を守ると決意したのだろう。


 その矮躯から発せられる気概は果てしなく、『悲影』ですらぶるりと身体が震えた。


 そして、ついぞ『悲影』の参戦する機会は訪れなかった。

 その結末は――カーバンクルの勝利だ。


 正確には、山火事でも起きたのかという悲惨な状況となった森の消失跡に、少女が一人だけ取り残されていた。紫髪の男とその眷属は致命的な損傷を受けて撤退、その際に燃え尽きたカーバンクルは連れて行かれた。


 少女は気を失っているのか、朦朧としているのかは定かではないが、苦しげに呻いて何か悪い夢でも見ているようで。


 『悲影』は何を思うでもなく木陰から姿を見せると、そろりそろりと躙り寄るように少女に近寄る。うっ、と一際大きな呻き声が聞こえて、半ば無意識にドッペルゲンガーのスキル『模倣(コピー)』を発動していた。


「…………ぁれ? ふらむ、あいつは、グラトニーは……ぅっ」


 『悲影』が完璧なまでに模倣したのは、艶やかな紅い毛色に額の紅宝石(ルビー)が昏く輝く子猫――まさしく、先ほど少女を命に代えて守り抜いたカーバンクルの姿になっていた。


 ――なぜェ? オレの模倣(コピー)は一度触れたものにしか発動しないはずなのにィ?


 『悲影』は様子を伺っていただけで、確かに眷属のカーバンクルには触れたことはない。

 だのに、主であるエルウェがカーバンクル本人であると信じ込んでしまう程完璧に、模倣は成功していた。自分自身、不思議で仕方がない。ただ、なんとなくだけれど出来る気がしたのだ。


「…………」


 何もかもが判然としない中、『悲影』は何も言わずに、この影の身体に温もりの残滓を見いだしてくれた少女に寄り添うことにした。それは自然な動作で、彼自身以前にも同じような行為をしていたような気がしてならない。でも――わからない。


 重度の怪我を負っていたエルウェは、そこでもう一度意識を失った。

 無傷であることが不自然かもと思ったが、カーバンクルには回復出来るスキルがあるらしく、それなら大丈夫とエルウェの傷も直しておいた。これで彼女は一命を取り留めた。


 『本物』の幸を呼ぶ幻獣(カーバンクル)は、もうこの場にはいないけれど。


 そうして『悲影』と少女――エルウェの歪な生活が始まったのだった。


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