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第47話:幻想の殺影


 静寂が。

 ただただ、痛ましい静寂が、焼け爛れた戦場跡を支配していた。


 抉れた地面、焦げた木片、斃れる屍は多種多様だ。

 黒焦げになって絶命している者もいれば、手や足の部位しか残らなかった死骸もある。それでも、その数は百に達していない。それの意味するところが――


「あれぇ? あれあれあれぇ?」


 ついと寂然たる空気を破るのは、醜い嘲笑。

 激しい戦闘があったと見る者に想起させる荒野と化した森に響く、響く。


「あれあれあれぇあれあれあれぇ~~~っっ!? ただのぉカーバンクルじゃないってぇすっごい楽しみにしてたのにぃ! そんなものなのぉ!? 準備運動にもぉなんなぁいよぉ~~~っっ!? にたにた」


 荒んだ紫髪をぐちゃぐちゃに掻きむしって叫ぶはグラトニーだ。

 だが今の彼は、歪で巨大な獅子の背中に跨がっていて、身体から伸びる黒色の触手で固定し一体化しているような様相だ。そこに人間らしさは欠片もなく、嘲りの言葉も今は届かない。



 ――倒れ伏す、少女と眷属には……届かない。

 


 あまりに、かけ離れていた。

 戦闘力の差が、存在としての格が、その身に宿す憎悪すら――全てにおいて、この百頭の怪物には劣っていた。


 ぴくり、と少女の傷だらけの指先が動く。

 次には悔しさを滲ませるように、五指を曲げ、地面の土に食い込ませる。腕を身体の下に寄せ、どうにか頭を持ち上げて見やった先に――自分と同じく倒れたカーバンクルの姿が。


 紅い毛に包まれた小さな身体は傷だらけで、致命傷と思わしき夥しい血が流れ出ていて、今もなお濃い血だまりを拡大し続けている。尻尾の先に灯る炎は今にも消え入ってしまいそうなほど小さく、ゆらゆらと儚げに揺れて……それが少女の心を、ずたずたに引き裂く。


 足が痛い。腕が痛い。頭が痛い。身体が痛い。心が痛い。

 叶わなかった悔しさからか、それともこれから訪れる惨劇を思ってか、血が滲むほど下唇を噛んだエルウェは咳き込むように言葉を零した。


「ご、めんね、ごめんねっ……私の我が儘で、こんなことになっちゃって……でも、最後まで一緒だよ。私の最後の家族、大好きな、大好きな……フラム……ッ」


 手を伸ばす。最後の瞬間まで側に寄り添っていたいと。

 顔の状態に意識を裂く余裕すらなくて、自分が馬鹿みたいにぼろぼろと泣いていると気がついたのは、視界が滲み愛しい最後の眷属(かぞく)の姿が見えなくなってから。


 それが今は、少しだけうっとうしい。


「これがっ、最後なのぉ……ッ! だから、邪魔しないでよぉっ、私に、フラムの姿を、見させてよぉ……ッ!! 泣き止め、泣き止んでよ! 馬鹿ぁぁああぁあ……ッッ!?」

 

 もうあなたに、近寄る力すら残っていないけれど。

 最後の最後まで、あなたを見ていたいと思うから。泣き止め。涙で滲んだ瞳では、綺麗なあなたを映すことが出来ないから。泣き止め、泣き止め、泣き止め。


 半分、覚悟していたことなのに。

 どうしてこんなに涙が溢れるのだろうか。溢れて溢れて止まらないのだろうか。


「私は、やっぱり、弱いままだぁああッ!? 全部、全部全部失って、泣き喚くことしか出来なくてッ、もう、私は……ッ、あぁあ、ぁぁあぁああ、ぁぁああぁぁぁああっっ!!」


 一度決壊した涙腺は、まるで放流されたダムの如く。

 泣き止めと強く自分に訴えるほど、流れ出る涙は量を増していった。


 そして。

 ふやふやにぼやけた視界、カーバンクルの命を反映した尻尾の篝火が――今。


 完全に、消失した。


「ぁあぁぁぁぁぁぁぁああぁぁああぁぁああぁぁああぁぁあああぁぁああぁああぁぁあぁあぁぁああぁぁぁぁあああぁあぁああぁ――ッッ!?」


 叫ぶ。叫ぶ。

 声が枯れるまで。魂の限り。

 私は生きた。精一杯生きた。

 強くなりたかった。お父さんみたいに、強く。

 優しい魔物使いになりたかった。皆で笑っていたかった。

 もう、家族を離したくなかった。お別れなんて、こりごりだった。

 でも、だめだ。このまま私は、死ぬ。無念、だけれど、頑張った。

 私、死ぬ気で頑張ったんだよ……ッ!!

 見てた? お父さん、お母さん、お兄ちゃん、レイリア、フラム。

 私は、強く、なれたかなぁ……? 

 わかんないや。でも、せめて。

 せめて最後に、届け。届け! 届け!!

 私の声が、最後の最後まで足掻いたっていう証明が! 

 先に逝った家族に胸を張って誇れるように! 

 遙かなる空のその先へと――届けっ、届けぇッッ!!







「――――死なせねェ」







 既に事切れたと思っていた命の声が、何故かエルウェの耳朶を打った。



「――ぇ?」



 赤く腫れた白結晶(ミルキークォーツ)の瞳を瞠る。

 蚊の鳴くような声が、潰れかけていた喉から啜り出た。


 ――幻聴だと、最初はそう思った。


 エルウェの弱い部分が、死を待つだけの自分に錯覚を見せているのだと。

 けれど、確かにエルウェは見た。それを見た。その澄んだ目で見た。



「主は絶対に死なせねェッて言ったンだよォッ!!」



 ぼう、と最初に目を引くのは小さな揺らめき。

 それは見慣れぬ異彩を放っていた。

 異端の炎は油を注いだかのように瞬く間に燃え上がり、尻尾の先端に常のものより大きな篝火を灯す。


 すると一度は確かに命を終えたはずの眷属がよろよろと起き上がり、同時に尻尾のみに灯っていた異彩の炎――青色の炎(、、、、)が子猫の身体を覆い尽くす。


 驚愕のあまり引っ込んだ涙のおかげで視界がクリアになったエルウェは、また違う意味で泣きそうになりながらも、眷属(かぞく)に……眷属(かぞく)だとそう思って疑わなかったカーバンクルに問う。


「――フラ、ム……フラム、その、炎は……何で、どうしてぇ……ッ!?」


 声が裏返り、震えた。だってその青炎は死霊種(アンデット)の。

 立ち上がり青の焔を湛えたカーバンクルは、頭だけで振り返る。


「生きてくれェ、お願いだから生きてくれぇ。主だけは、死ンだらだめだァ……! 例えこの先、主の側にいられなくなるのだとしてもォ、オレが今ここで道を切り開くゥ!」


「…………ッッ」


「……どのみちィ、こんな姿見せちまったら元通りの関係になンか戻れねェ。だからァ……悪いなァ主ィ。オレ達はァ、ここでお別れみたいだァ」


 エルウェは何も言えない。

 だって、死霊種の炎を使用しただけでも驚きでひっくり返りそうなのに、さらには彼の顔を見てしまったから――フラムが泣きそうになっている顔を、産まれて初めて目にしたから。


「今まで世話になったァ。よくわかンねェけどォ、すげェ楽しかったァ。オレに向けられた愛じゃねェと知ってもォ、幸せだったァ。でもよォ、嘘ついててごめンなァ。騙しててごめンなァ。こんな偽物のオレがァ、ずっとずっと主の側に寄り添っててェ、本当にィ――ごめンなぁあァ?」


 フラムでさえ無意識のうちに滂沱の涙を流していて、涙と鼻水と怪我や汚れとで、カーバンクルの愛らしい顔はぐちゃぐちゃだった。


「ぁ――ふら――…………ッッ、……ッ……!!」


 容赦なく込み上げる嗚咽を漏らしそうになり、エルウェは口を手で覆う。

 ダメだ、今何か言ってしまえば、口を開いてしまえば、きっとまた涙が溢れて何も見えなくなる――しかし、驚きはそこで終わらなかった。


 青炎に覆われたカーバンクルの身体の輪郭がふやけた。

 繊細な紅い毛も昏い輝きを灯す額の紅宝石(ルビー)も、全ての境界があやふやになって、不定形の『闇』が蠢き始める。


 小さかった子猫の身体は数倍に膨れ上がり、闇はまず最初に足を形取り、次に下半身、胴体、腕、首、そして最後に頭を創り出す。青い炎に包まれた闇は、明瞭な二本足でエルウェの前に立った。



 それは、言うなれば――人の形を模した影(、、、、、、、、)



「~~~~~~~~~~ッッ!?」


 何か言葉を発すれば、いろいろと我慢しているものが決壊する。

 そんな予兆があって、だから耐えた。

 必死に、必死に、泣き虫な自分を叱咤して、強い視線でフラムを見続けた。

 

 そんなエルウェに、人の身体を模した影は。

 能面と思われた顔に二つの線が走り、開かれた血色の瞳から悲しい雫を零す。拭うこともなく流し続けた涙で濡れた歪な影は、少しだけ名残惜しそうに振り返ってから、静かに前を見据えた。


 そして、どこまでも玲瓏な声で告げた。



「主を救ゥ、それがカーバンクルの望ンだ最後の願いだァ」



 ****** ******



「――くそっ、間に合え……ッ」


 《巌の森》は緩急の激しい山のような場所だ。

 木々を伝い、草木をかき分け、谷底のような場所を駆け上がる。


 あれだけ激しく森を揺らしていた戦闘音が聞こえなくなって、数分が経つ。

 僕は今、大いに焦っていた。先に見たあの天を穿つような炎の塔は、間違いなくフラム先輩のスキルだ。見た瞬間から全速力で走り出した所まではいいものの、しばらく続いていた爆発音が今は全く聞こえなくなったのだ。


 まずい。これはまずい。

 なんでグラトニーと遭遇したこの森にいるのかわからないけど、戦闘の規模からして相当強い敵と戦っているみたいだった。そこにエルウェもいるのならさらにまずい。でも何で、まさか、またグラトニーと……?


 胸中を過る不穏な気配に急かされ、僕はひた走る。


 そして視界が開けた場所に辿り着いた。

 目の前には曇り空、眼下には森、切り立った崖の上らしい。見下ろした先に見えるのは炎に焼かれて禿げた森、その中心――斃れるエルウェとフラム先輩を見て本当に卒倒しかけた。


「…………っ、グラトニー……ッッ!!」


 ピクリとも動かない彼らの先には、予想していた通り紫髪の男。

 周囲には数十体の魔物とグラトニーの騎乗する一匹の巨大な獅子……のような、ひたすらにヤバイと感じる怪物。近づきたくない、あれは間違いなく強い。それこそドラゴンでも前にしているような圧迫感、そんな悍ましい畏怖を感じる。


 それでもすぐさま助けようと、たとえ手遅れだとしてもグラトニーにもてあそばれることだけは避けたいと、必死の覚悟で向かおうとしたところで――異彩を放つ青の炎が迸った。


「――――」


 思わず足を止めた。


 最初に思ったのは、エルウェの前なのにいいのか? という的外れな疑問。

 だが普通に考えれば、圧倒的な怪物を前にして隠し通すなど無理だろう。それが力の上限を引き上げるために必要ならばどうこう言っている場合ではない。それよりも息がある、エルウェも少しだけ動いているようだし、と安堵したのも束の間。


 ――フラム先輩が、どこまでも深い『闇』に覆われた。


 輪郭が溶ける。黒く。

 骨格すら変わる。黒く染まる。

 存在そのものが変幻してゆく。深淵より出でる漆黒を抱いて。


 そして現れたのは――『影』


 フラム先輩が変貌した姿は、人の形を模した『黒い塊』だった。


「――――」


 絶句した。


 咄嗟に何も言えない。口は音を発することを拒絶し、肺は酸素を取り込むことすら忘れてしまったように。……口も肺も僕にはないんだっけ、と思い出してようやくまともな思考が回り始めた。


「何、あれ……」


 眼をこらして観察する。

 青い炎。もやもやと蠢く影。端々から散る黒の燐光。


 僕の知識にはない、その不可思議な様相。


『あぁ……思い出したのじゃ』


「……ぇ? シェルちゃん、何か知ってるの?」


 助けに出ることも忘れ首を傾げていると、シェルちゃんが腑に落ちたように言う。

 彼女はこれまで思い出せそうで思い出せないといった、曖昧な呟きを零していたわけだが、どうやらここに至りてようやく閃いたみたいだ。


『うむ……あの器を持たぬ身体、種族離れした莫大な魔力、完璧なまでの変幻能力、そして死霊種(アンデット)特有の青の炎……これだけ揃えば、間違いないのじゃ』


 僕は恐る恐る問う。


「――――フラム先輩は、何者なの……?」 


 誰もが知らぬ、矛盾だらけな彼の正体は。

 見通せない闇のヴェールに覆われたカーバンクルの、真の正体は。



『あれは――『幻想の殺影(ドッペルゲンガー)』……種族等級(レイスランク)Sの死霊種(アンデット)であろ』



 ****** ******



 《龍皇国ヒースヴァルム》全域を囲う城塞上。


「――戦況は?」


 鋭い三白眼が睨めつけた先、人差し指で黒縁の眼鏡を押し上げた女性は整然とした面持ちで答えた。


「中央は騎士団の皆さんが威信を以て食い止めています。私たち冒険者組合に任された右翼、左翼は共に好況と言えるでしょう。後方支援も淀みなく行えていますし、住民達の避難先である大広間内での暴動も起きていません」


「そうか。このまま順調に事が運べばいいんだが……そうはいかないよな」


 常の受付嬢の制服ではなく、いつでも戦線に出られるよう武装を整えた彼女――リオラ・エレガントは、風に揺れる亜麻色の髪を撫でつけた。ギルドマスター兼右陣左陣で敵を迎え撃つ冒険者軍の指揮官であるヨキと共に見下ろす先、異形の者共との混戦が繰り広げられていた。


 魔族の襲来が喫緊の事態であったため、現在展開しているのは防衛戦。一カ所でも突破されればダイレクトに国へと被害が及ぶ、慎重な足運びが肝要になるだろう。


「それは……そうですね。予想されている神薙教の動きはまだありません。ですが戦争は始まったばかり。長期的に身を潜め我々が消耗した頃に、などが有力でしょうか。それから、憂慮しなければいけないのは神薙教だけではありません」 


「確かにな。油断してると一瞬で瓦解しかねない……問題になるのは行方不明の【風天】の参戦と幹部の二人、か……いつしかけてくる?」


 顎に手を当て、推し量るように敵軍の最奥を見据えるヨキ。

 そんな彼の澄ました横顔に一瞬だけ見入ってしまっていたリオラは、ハッと気づき何をこんな時にとぶんぶん首を振る。


 何が起きても対応できるようにあらかじめ予想を立てて対策を準備しなければならない。その中でもどうしようもない最悪のケースといえば、


「彼の【風天】が参戦するのなら、こちらも【炎龍王】様に出て頂かなければ太刀打ちのしようがないですね……それでも勝機があるかどうか」


 世界の覇者たる【十二天】に名を連ねる者達は、皆常識を逸した強者だ。

 その中でも【風天】のオラージュ・ヴァーユは誰もが知る古株……仮に戦闘となれば、人族側が凱歌を挙げられる可能性は薄いと見て間違いないだろう。


「その辺は信じるしかねぇよ。その代わり、幹部の奴らを止めるのは俺らの仕事だからな、いつでも出られるようにしとけ……あぁそうだ、ちょうど俺たちの知る仲に幸運を運ぶ猫がいるじゃねぇか。性格は穏やかとは言えねぇし、幸運をもたらすなんて迷信かもしれねぇがな……今は祈ろうじゃねぇか」


 無宗教の彼としては柄にもなく粋なことを言う。

 そんな姿が少しだけおかしくて、「ふふ、そうですね」と言ってくすっと笑みを漏らしたリオラは、憂いの表情で振り返った。その美しい瞳の見据える先はヒースヴァルムの中心に聳える結晶塔。想起するは、「やるべきことをやる」と告げて飛び出した少女のことだ。


「エルウェちゃん……ちゃんと避難してくれていますかね?」


「……エルウェは俺の兄貴の子だ。そして俺の兄貴だったら、こういう時……」


 その時だ。


「ギルドマスター、あんたに面会したいって奴が来てるぜ」


 テューミア支部の顔なじみ冒険者の一人がヨキの下にやって来た。

 定期連絡かと思いきや、事情を説明する冒険者を押しのけてその背後から見覚えのある老人が勢いよく飛び出してくる。


「なんでも任せられた焼死体の件がどうたら――っておい!?」


「テューミア殿、テューミア殿! 聞いて下さいですじゃ!!」


「あんたは……死霊魔術師(ネクロマンサー)のオウル」


 暗い色合いの外套に、細やかな骨をあしらった衣装。

ヨキが『通り魔事件』に関する焼死体についての調査を依頼した学者のオウルが、深い皺の刻まれた顔を焦燥に染めて喚き立てた。


「これは、ご無沙汰しておりますオウル様! もしかして、何か掴めたのですか?」


 のけ者にされて顔をしかめている冒険者にお礼を言ってから、すぐにピンときたリオラは問いただす。声が若干うわずったのは、今の現状不安要素が少しでも減ることに期待してしまったからだ。


 オウルは相変わらず跳ねた調子で語る。


「ええですじゃ! わっちは焼死体にとある手がかりを得たんですじゃ! それは微妙な火傷の跡だったんですじゃ……それで亡骸が斃れていた路地裏周辺をくまなく調べたところ、このような代物が……!!」


「これは――まさか!!」


 手渡されたそれは――十字架を象った貴金属。


 ヨキとリオラは同時に眼を瞠る。

 誰だって覚えがある。それは世界的な脅威とされる、とある組織のシンボルなのだから。


 二人の反応を噛みしめるように頷いたオウルは言う。


「ええ、ええ、ええですじゃ! これは紛うことなき『神薙教』のシンボル!! 神々の黄昏(ラグナロク)の惨劇を示す装飾品ですじゃ!!」


 あまりの大声に、近くにいた全員の視線が集まった。

 本来であれば極秘にしなくてはいけない情報なのだろうが、ヨキもリオラも衝撃の強さに今は頭が回らない。


「まて、ということは、だ……どうなるんだ?」


「仲間割れ――じゃないですよね?」


 ヨキがこめかみを抑えて思案する。

 『通り魔事件』の犯人を捕らえるため、執念を感じさせる焼死体に手がかりがあると見た。そして得られた手がかりは、その焼死体が神薙教だったというわけだ。一瞬リオラの言う事が脳裏を過ったが……待てよ、と。


「他の亡骸は一貫しして罪なき一般市民ですじゃ。そこに共通点は見られないですじゃから、『通り魔』を引き起こしたのは魔王の手の者……? そうでないとしても、焼死体に限り別者の手がかかっている可能性がありますじゃ!!」


「焼死体の素性は、神薙教……凶器は炎、炭になるほどの徹底的な攻撃性……となると、動機は神薙教に対する強い恨み――まさか」


 犯人はやはり、判然としないままだけれど。

 焼死体が神薙教だと言うのならば、それに限り――辿り着いた。


「そ、うか……お前がやったのか……」


 ヨキは冬の雪空を仰ぎ。

 今はもう、すっかりと隠れてしまった陽の光を探した。



「――――フラム」



 ****** ******



『ゥァアガァァアァアッァァァアアアアアアァア――ッッ!!』


 空気をビリビリと震わせる咆哮を号砲に、再び修羅の火蓋が切って落とされる。


 巻き上がる噴煙、天地を穿つ青い炎、吹き荒ぶ闇の風。


 崖上から見下ろした天変地異のような光景を前にして、僕はごくりと唾を呑んだ。そしてもう一度、その聞き覚えのない単語を口元で反芻する。


「――『幻想の殺影(ドッペルゲンガー)』……?」


 それは眼下、フラム先輩だったモノ(、、、、、、、、、、)と歪な獅子の怪物の激しい戦火があげた狼煙を見て、シェルちゃんが思い出したように呟いた言葉。


 言われ、あぁと納得できるほどに理解のある名称じゃない。


 ドッペルゲンガー。

 娯楽物としての造語の類いだと思っていたけれど、確か自分とそっくりの姿をした分身を自分で見る幻覚のようなもの。もしくは同じ人物がいちどきに別の場所に姿を現す現象のことを指すはずだ。


 それが現に存在していることには驚きを隠せない。

 だって、カーバンクルが幸せを運ぶ存在であることに対し、諸説あるドッペルゲンガーの齎すものは、


「それって、あの『見たら死ぬ』っていう……もう一人の自分のこと、だよね?」


 ――『死の前兆』


 ぞくり、と鎧の背筋を鋭い悪寒が走った。

 シェルちゃんは重々しく頷く。


『人の世の文化には疎い故あまり詳しいことは知らぬが、大方間違ってはいないであろ。ドッペルゲンガーは触れた人間そっくりに擬態し、容姿は言わずがもな性格や仕草、口調、力、スキルに至るまで、全てを完璧に模倣(コピー)する……そして本人やその親しい人間に近づき――殺す』


 それが、彼の抱えた闇。

 『連続殺人事件』と『通り魔事件』を引き起こした動機。


「殺戮することでしか自分を満たせない……じゃあ、やっぱりフラム先輩は……」


『残念ながら、諸々の事件に関わっている可能性は高いであろ……』


「……そっか」


 僕は白金の兜を下方へと傾かせて、ぽつりと零した。

 何だか違和感が繋がったような、けれど辿り着いた結論が複雑でどうすればいいかわからないみたいな。行き場のないこの胸中の思い、果たして晴れることがあるのだろうか。


「『偽物』って、そういうこと……」


 フラム先輩が何度か僕に向けて放った言葉――『偽物』

 その言葉の意味が、ここに至りてようやく理解できた。ドッペルゲンガーは模倣してターゲットに近づき、殺生を働く。それが生き様、種族として定められた本能。


 言い換えれば、本当の自分を持たないということだから――


『しかし、まだ一つだけ疑問が残ってるのじゃ』


「……? それは?」


 シェルちゃんが謎めかして言い、消沈していた僕は問う。


『ドッペルゲンガーはその種の生き様を称してつけられた渾名に過ぎぬのじゃ。(まこと)の名は『青白の灯魂ウィル・オー・ウィスプ』……大概の死霊種(アンデット)はその地に集った怨念や邪気が魔力を吸って形を成すのに対し、青白の灯魂ウィル・オー・ウィスプは強い思いを抱えた死者の魂が魔に転じることによって極稀に生じるのじゃ――わかるであろ? つまりじゃな、』


 フラム先輩の正体は――『青白の灯魂ウィル・オー・ウィスプ


 僕でも知ってる。それは『人魂』とも呼ばれている魔物達の中でも、飛び抜けて高位の死霊種(アンデット)だ。そして『人魂』とは『人の身体から抜けた魂』とも言われるという。


「――そうか。フラム先輩は……誰かの魂を抱えている。多分、おそらく、それは本人も知らない、彼の生前の記憶が眠る魂――どこの誰が死霊種(アンデット)になった成れの果てが、フラム先輩なんだ……?」



 ――フラム先輩、君は誰だ?



 結局、一周回ってその疑問へと帰ってきた。

 大丈夫。謎のヴェールはすぐそこまで捲れかかっているはずだ。

 これまで共に過ごす中で、度々違和感を感じてきた。思い出せ、何かがおかしかったはずだ、何かが食い違っていたはずだ――――


「――――」


 僕の思考を打ち破るように、とてつもない爆砕音が鳴りはためいた。

 丘陵を揺らす。青炎が猛り、闇が幾重にも錯綜して。豹変したフラム先輩の戦いっぷりは、種族等級(レイスランク)Sの名に恥じないものだった。


「――――何で、押されてる……くそッ、化け物め……ッッ!!」


 それでも、グラトニーの騎乗する歪な獅子には遠く及ばない。


 僕は一度考えることを放棄し、すかさず一歩を踏み出した。丘陵から鎧の身を投げ、宙を舞う。その間、シェルちゃんが最後の忠告とばかりに声をかけてきたけど、


『一度助太刀すれば、もう後戻りはできんぞ……どうする、其方?』


「そんなの、決まってる――」


 僕は決めたんだ。


 例えもう、エルウェの側にいられないのだとしても。

 彼女にもらった愛は本物だった。僕が思い描くような男と女の『愛』ではなかったけれど、そこには『人外』と『魔物使い』の織り成した愛が、ちゃんとあったんだ。


 僕はこの先、彼女のことを一生忘れられないだろう。


 だからこそ、中途半端に逃げ出してはダメだ。追われたからといって事もなく去ってはだめだ。けじめをつける。彼女にとって脅威となる障害を排除する。喪失ばかりだった苦しい人生を、この鎧の手で切り開いてあげるんだって。



 誓ったから。



「必ず、助ける」


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