第46話:蟷螂の斧
「くそッ、どれだけ湧き出てくれば気が済むンだァ!?」
少女を守るように、休む暇もなく動き回るカーバンクルはそう毒づく。
幾度となく燃やし尽くそうが、叩き潰そうが、切り裂こうが、神薙教が教徒は影より出現する。黒外套に身を包んだ彼らは死を怖れない。一人一人の戦闘力はそうでもなくとも、数の暴力というものは侮れるものではないのだ。
狙いは寸分違わずエルウェ。
その身には赤と橙色の魔素が纏わり付いていて、何らかの補助スキルが使用されていることは明白だが、念には念を。フラムは位置取りを気にしつつ戦わなければならない。
少し前までは鎧の眷属が担っていた役割まで一手に引き受けなければならないのだ。その矮躯にのしかかる負担は計りしれないだろう。
「フラム、後ろよッ!!」
「ッ――しゃらくせェ、『豪焔の弾丸』ッ!!」
その身に纏う炎から射出された炎塊が、烈火のごとく無数に飛来する。
大爆発。背部に迫っていた集団を一網打尽に吹き飛ばし、丘陵の右半分と共に瓦礫が煙の尾を引いて舞う。その威力を物語る黒煙が、もうもうと立ちこめた。
「――――」
荒い息を吐きながら、主の方へと振り返った瞬間――フラムは眼を剥く。
エルウェの背後、一度倒れたかに見えた教徒の一人が、片腕を失ってなおエルウェの首をかッ切らんと細長い腕を伸ばし――しかし、その腕は瞬時に迸った焔によって弾け飛んだ。
「チッ、ヒヤヒヤさせやがってェ……『纏う地雷の羽衣』――消耗が激しいスキルだァ、あンまり使いたくねェッてのにィ」
これでエルウェに危害が及びかけたのは六度目だ。
『纏う地雷の羽衣』は三度までの物理的魔法的接触を妨害する防衛用のスキル。三度目の詠唱、輝きを失った彼女の周囲に再び魔素の奔流が渦を巻く。
「ハァ、ハァ……ありがとう、フラム。回復は自分でできるわね? ――『魔力回復の鈴音』、ステータス向上の補助スキルも――『祝福の鈴音』」
フラムの動きに合わせてある程度足を動かし、同時に多大な魔力を発散しているエルウェの疲労の色も濃い。魔物使いのスキルは自身へと影響を及ぼすものが少ないため、鍛えてるとはいえ並の人間と同程度の運動能力しか発揮できない分、フラムが授かれる恩恵は大きい。
「あァ、助かるゥ――『癒やしの篝火』」
「もう……これくらい、なんともないわ」
尻尾の炎の質が柔らかい物へと変化し、血液の流れ出る部位に絞り傷を修復。
続けざまにエルウェの頬を撫でるように当て、先の襲来で負っていた頬の裂傷を治した。
気を利かせたフラムの行動に呆れたように溜息を零すエルウェだが、その実嬉しそうな顔をしているのは誰が見てもわかるだろう。女子の顔に傷跡が残るのはいただけない。
「しかしこのままじゃ埒があかねェなァ。早いところグラトニーのヤツをとっ捕まえてェ、灰になるまで何度も何度も燃やしてやりてェってのによォ」
フラムは恨み辛みからぎりぎりと歯ぎしりした。
想像では何千、何万回と火だるまにしてやったであろうグラトニーの醜悪な顔を思い浮かべ、凄惨な言葉と共に唾棄する。
常ならば「酷い言葉遣いは控えるの、ダメよフラム?」と叱りつけるエルウェだが、今回に限り強く同意を示す。エルウェだって憎いのだ、家族を離ればなれにした元凶が。
「少し惨い気もするけれど……賛成ね。あの男だけは、絶対に許さない。このまま烏合の衆を相手にしていても決着はつかないわ。数で負けてるのだから消耗戦は避けたいし……多少無理してでもグラトニーの首を取りに行くしかない」
底が知れない。
グラトニーの素性や能力もそうだが、神薙教が内包する戦力は本当にうかがい知ることの出来ない領域だ。たたらを踏んでいては最悪な事態を招く可能性が高くなる。
「あァ、改造された眷属がどれだけ強かろうがァ、魔物使いであるヤツを殺せば契約から解き放たれて制御を失ゥ……あとは逃げるなりすればいィ」
「そうね。いずれ世界的な討伐隊が組まれて、害のある魔物として駆除されるわ」
「…………」
「……? どうかした、フラム?」
エルウェの何気なく放った『駆除』という温度のない言葉に、フラムは少しだけ悲しげな顔をする。
訝しむエルウェが問うも、カーバンクルは力なく首を振ると顔を上げた。
「いやァ、何でもねェ。地獄の番犬……ヤツはオレ達の宿敵。できればこの手で葬ってやりたいと、そう思っただけだァ」
その時、エルウェの脳裏を過った情景は何だったか。
それはきっと、二年前の悲劇。自分を助けるために燃やした命の輝きを発する大火。
不安そうな顔で、けれど優しげな顔で。
「……無茶だけはしないでね、フラム。私は、あなたまで失ってしまったら……だから、ね?」
言い、丁寧な手つきで小さくて触り心地の良い頭を撫でた。
成されるがままにして、フラムはふぅと息を吐く。
「この世にまともな神がいるのならァ……オレ達に武運をォ」
ザッ、と。
何度目になるか判別できない程繰り返した、黒ずくめの集団の登場。彼らは影より出でし無限の剣。猩々と眷属を囲み、ジワジワと追い詰めて――否、総じて一瞬のうちに、全ての教徒が影に溶け入るように消えた。
突然訪れた静謐な空気。
何事かと瞬き、不穏に思う間もなく、重圧な遠吠えが辺りを轟かせる。
「だからやっちゃおぅ。出番だよぉ――『不死百頭の冥犬』」
グラトニーの声。重量を感じさせる足音。枝が折れ、葉が擦れる音。
フラムの極大スキルによって焼失し、大地が剥き出しになった円形、その外部の森より。高い木々を押しのけて一匹の怪物が姿を表した。
「――――」
息を呑む。それは、巨大な獅子だった。
けれど、それは無理を何十と重ねて例えたものであって、姿そのものはひたすらに歪でしかない。
肥大化した三つの頭。
眼球が飛び出し、涎を垂れ流し、どうにか犬の頭部だと理解できる。
しかし、頭部はそれだけではない。
三つの大きな頭の根元から顔面にかけて、至る所に顔顔顔顔。種類も大きさも千差万別の頭部が、とってつけられたようにこちらを見ていた。
そこには餌にされたであろう、まどろんだ目をした豚鼻の怪物の頭部も混じっていて。もはや胞子のような頭部の量に、エルウェが「ひっ」と短い悲鳴を漏らした。
頭部のやかましさとは一転、胴体はしなやかで尻尾に竜の尾を持ち、蛇のたてがみを寒風に靡かせる。四足から伸びる強靱な爪は長く、一歩踏み出すだけで地面を穿った。
怪物の名は『不死百頭の冥犬』。
種族等級Aの地獄の番犬を【暴食】の権能でぐちゃぐちゃに魔改造した結果産まれた、深淵を覗く階級SSの化け物だ。
その他にも、グラトニーの手によって醜く改造されたであろう魔物達がうようよと姿を見せた。一体一体の階級は平均してBというところか、数体ならまだしもその数は百に上る。
どう見ても、幸を呼ぶ幻獣だけで立ち向かうには無理がある。
「…………ごめンなァ」
躙り寄る圧倒的な暴力を前にして。
震え、けれど懸命に立ち向かわんとするエルウェの隣で。眷属のカーバンクルは小さな、それは小さな声で謝罪の言葉を述べた。
それは、果たして誰に向けたものだったのか。
判然としないまま、吠えた両者は――衝突した。
****** ******
「ルイのやつ……なんであんなに学習能力がないんだ?」
僕はこめかみをぴくぴくと痙攣させるような思いで呟いた。
だって、ねぇ? 別に先を急ぐわけじゃないんだけど、細めた僕の紫紺の双眸の先、楕円を描く黄金色の流動体が自身より大きな雪の塊を転がしているのだ。
色は違うが横倒しになった雪だるまみたいな様相を呈している。
その姿は実に可愛らしいが、頭上に音符記号でも表示されそうなくらいご機嫌なルイは、つい先ほど魔物に襲われたことすら忘れているように見える。危機意識などさらさら皆無。さらに言えば記憶力もゼロに近いんじゃないだろうか。ちょっと心配になるレベルだ。
『種族等級の弊害であろ……多分』
「多分て……ねぇ馬鹿でもさ、いくら馬鹿でも強くなればちゃんと人化できるよね? ね? ね?」
『必死じゃな其方……』
るんるんるん♪ とでも言いたげな柔らかい表情で雪を転がすルイ。雪塊は地面の雪を吸収していってるからどんどん大きくなってるわけだけど、絶対そろそろルイの力じゃ押せなくなるよね。わかってるのかな?
「…………♪ (ぷるぷるぷる♪)」
わかってなさそうだな。
まぁいい。脳天気なルイは放っておいて僕は進むだけだ。
ていうかショックのあまりどれだけ遠くまで歩いて来ちゃったんだろうか。呆然としてても足だけは放浪の鎧時代の名残みたいにてくてく動いてたからなぁ。戻るのも一苦労だよ。
「――――」
ふと、視界の端に過ったものを見て、足を止めた。
「…………それにしてもさ。フラム先輩の正体って、何だろうね?」
喉に刺さった魚の骨みたいに気がかりだった疑義を漏らす。
随分前からだ、心のどこかに引っかかっていた違和感のこと。
『ふむ……青き不浄の炎を使用するのじゃ。死霊種であろ?』
「それは、今でも信じられないけどわかってる。謎なのはそこじゃない……僕は二年前の『連続殺人事件』と最近巷で噂になってた『通り魔事件』の犯人がフラム先輩だと思ってるんだ。いや、思ってたんだ。種族本能に逆らえないのは、自分で経験してみて痛いほどわかってるから……あれは無理だよ、ほんとに」
言いながら、僕は進路方向とは脇道に逸れた方向に歩く。
そう、僕は今でこそ自分の意志で歩けるが、それはシェルちゃんが齎してくれた強制的な進化のおかげだ。シェルちゃんに出会わなかったら、きっと僕は今もあの洞窟で彷徨っていたに違いない。種族本能のままに、ね。
『思ってた、とな? 我もその線が濃厚であると思うのじゃ。死霊種の魂に刻まれているのは、一律して傷つけ破壊し暴虐の限りを尽くすことに充足感を覚える――いわゆる殺戮衝動というやつじゃからの』
辿り着いた先、考え込むように膝を曲げてしゃがむ。
僕の見下ろす真下には、大量の雪を被って萎れている一輪の花があった。青の燐光を放つ氷雪花とは一風違った、儚げな紫色の花だ。なんだかいたたまれなくなって、上に被さった雪をどけてやる。
「……そう、だよね。犯行動機はそれだけで十分納得がいくもん。種族本能が理由だからって、そりゃ許されることじゃないけど。……でも、さ」
『でも? まだ何か引っかかる部分があるのかえ?』
シェルちゃんが首を傾げた気配、同時に思考が揺れた。
いや……揺れているのは地面だ。
紫色の花が唐突に上を向いた。
にゅっと、先の様子が嘘のように元気よく。するとすぐに下端部が、というより僕がしゃがみこんでる地面までもが急に隆起し、すごい勢いで高く持ち上がった。
僕はその衝撃で後ろへと転がり落ち、積もった雪に落下した体勢のまま見上げた先には――頭の天辺に小さな花を咲かせた、カバのような魔物が大口を開けていて。
「フラム先輩の中にいるのは――誰なんだろう?」
驚いた。けれど、慌てることはない。
沈着と、若干寂しげに。小さく言った側から、大顎がメイデンのように閉じられ、ばくり――と食べられた僕。
『――――それ、は……魂に眠る本質の誰何? 死霊種になる前、つまり生前は何者だったのか、ということを問うているのかえ?』
そのまま昇華され魔物の栄養分と化すのかと思われた矢先、しかしカバ型の魔物は喘ぎ苦しみ始める。地面に倒れ伏し、巨躯を無様に振り回してジタバタと藻掻きながら苦鳴を漏らす。
そして――ぼう、と。
金色の炎がでっぷり太った魔物の口や鼻、耳、穴という穴から放出され、やがて肉体全てが焼き尽くされる。天辺の花も燃え上がり、最後の花弁の一片は散りながら燃え尽きた。
――スキル『金焔』
「まぁ……うん。そんな感じ」
さらさらと。黒灰が寒風に舞う。
燃えかすからのそりと起き上がった僕は、まるで何事もなかったかのように歩いた。雪を踏みしめられるようになり、振り返った先には既に。黒焦げになった残骸しか残っていなくて。
自分が容赦の欠片もなく駆逐した結果だけれど、何だか僕らの未来を示唆しているような気がして。少しだけ眺めてから、そっと目をそらすと再び歩き始める。
僕が危なげなく魔物の脅威を退ける中、シェルちゃんはどこまでも正論を言う。
『それは幸を呼ぶ幻獣であろ? 小娘の話だと二年前にも【暴食】とやらに襲撃され、あのカーバンクルが死にかけたということじゃった。普通に考えれば、その時に死霊種に堕ちた――家族を失って来た小娘を一人にするのが忍びなかった、大方死霊種になった理由はそんな感じであろ』
ルイが心配してくれているのか、ばったばたと周囲を跳ね回る。
いや、今の熱でここら一帯の雪が溶け始めている。雪塊も例外でなく、もはやどろどろで原型を留めていない。むしろそれがショックなだけかもしれないけれど。
シェルちゃんの言うことは至極最もなんだけど、一カ所だけ矛盾点があるんだ。
「それは、僕も同じように思ってるよ。でも『連続殺人事件』は二年前に始まったんじゃない。何年も前に始まっていて、ちょうど二年前に終わったんだ」
二年前に発生した……いや、忽然と終息した『連続殺人事件』は、エルウェ達が【暴食】に遭遇する数年前から発生していた。二年前に死霊種となったカーバンクルが凶行を犯すのは、時を遡れでもしない限り不可能だ。
「そうなると犯人はフラム先輩じゃないことになる。召喚獣が死霊種になる前から殺人を犯すはずがないし、だとしたらもっと前に死霊種に……って考えても、種族本能を二年耐えただけでもすごいのに、それ以上は流石に無理があるよって話で……」
だとすれば、だ。
真相が闇に溺れたままの『連続殺人事件』は、犯人が別にいることになる。当てつけの神薙教が本当に犯人なのか、はたまた他の誰かの仕業なのかは全く見当がつかない。
そもそも、フラム先輩は本当にどちらかの事件に関わっているのか?
僕が疑いを確信に変えたのは、夜の街に消えては血と焦げた匂いを湛えて帰ってくる彼の行動の怪しさと、周囲で頻繁に発生すること、そして尻尾が揺れて嘘をついてることが発覚したことからだ。
彼が死霊種だと発覚しその信憑性は高まった一方で、さらなる矛盾が生じている現状。何が本当で、何が嘘なのか。どんどんわからなくなってくる……フラム先輩、君はいったい……?
『ふむ、言われてみれば確かに……それで、其方の最初の疑問になるわけじゃな』
僕と同じ違和感を感じ取ったシェルちゃんが話を冒頭へと戻す。
これまでずっと感じていた違和感を纏めて、僕はハッキリと呟いた。
「フラム先輩は……本当に幸を呼ぶ幻獣が朽ちて堕ちた死霊種なのか?」
そうだ。どうしても違和感が拭えない。
彼がカーバンクルの皮を被ったナニカの気がしてならないのだ。単に善良なフラム先輩を信じたい気持ちが邪魔しているだけの気もするけど、くそ、だめだ。思い出せ、今までの行動、言動、会話、ともに過ごした全ての日々を思い出せ。
何かヒントがあるはずだ。
何か、何か、何か何か何か何か――――
「…………っっ!? (ぷるるんっっ!?)」
先の魔物が引き起こした揺れの数倍はある振動が奔る。
森全域が揺さぶられているような衝撃に、森の動物たちが騒ぎ立て一目散に逃げ出した。飛び上がったルイはとてつもない速度で僕に衝突、ぽちゃんと雫が落ちるような音を立てて鎧と同化する。
そして。遙か前方。
雲を貫かんと高く高く突き立った炎の塔――あの見覚えのあるスキルは。
「あれは――フラム先輩のっ!?」
ざわざわ、ざわざわ、と。
森が騒ぎ立てるように、僕の胸中でも得体の知れない何かがざわめいていた。




