第44話:鎧に籠もる殺意
ふと、空を見上げる。
時節は冬季。何てことのない雪空。
白と灰とで、夜明けとはいえ暗い色合いの天井。
日差しを完全に閉ざす綿飴のような雲煙のその奥で、低い地鳴りのような雷がゴロゴロと音を立てた。粉雪を運ぶ風が一際強く走り抜けていき、進化を経て成長した鎧の節々の通り際に掠れた音を立てる。
『――風が……泣いているであろ……』
鎧の中で、シェルちゃんが物静かな感じで呟いた。
「は? 何言ってんの?」
僕は素で聞き返す。
いやまじで何言ってんだこのドラゴンは。子供がとある時期に陥ってしまう謎の病気を患っているわけじゃあるまいし、痛すぎるだろ何言ってんだよ。夜のテンションにしたってもう朝だ、おはようさんだ大丈夫?
『いやの……【風天】の娘の口癖なのじゃ……』
「朝っぱらからやめてよね。何、ついに戦争でもおっぱじまったの? 血と硝煙混じりの風でも吹いてるの? それを彼の超克種様は感じ取っちゃったの? 悲しいね」
「そうみたいじゃな」
「まったく。そんなことあるわけないんだから、そういう痛い発言は――え、まじで」
多少の皮肉を混ぜた苦言に素気なく返され、僕は無意識に足を止めてしまう。
軽く、本当に何でもないように告げられたそれ。一瞬の驚きから硬直してしまうが、なんとなく脳裏に褐色の少女の姿が浮かんですんと納得できた。
『あの馬鹿娘……とんでもない事態を引き起こしよってからに』
シェルちゃんの言う通り、全ての元凶は腹ぺこ迷子少女――オラージュ・ヴァーユだ。天然の馬鹿。それを自覚していないさらなる馬鹿。ただただ馬鹿な娘だ。それでも立場的に『魔王』の一柱、帰ってこなければ部下がキレるのも無理ない、本当に迷惑な話である。
「そっかぁついに戦争か。あの子ならやると思ったけどね。やっぱり迷ってたんだよ帰れなかったんだよ馬鹿なんだよ……相手は《風魔国テンペスト》。ヒースヴァルムも滅亡かなぁ」
「今のままだとヒースヴァルムに分があるじゃろうが……【風天】の小娘が面白半分で参戦すれば敗北は確実であろ。彼の【炎龍王】が出るのだとしても、な」
「…………それは不味いんだけどなぁ」
ぼいんぼいんぼいん、と。
雪を踏みしめて先を目指す僕の周りを脳天気に跳ね回る、黄金色のスライムを紫紺の双眸を細めながら見やってそう零す。誰を思っての言葉なのかは、言うまでもないだろう。
――国が滅んだら、きっと彼女は無事じゃいられない……
相手が魔の国だからなおさらだ。
敗者に便宜を図ってくれることなど期待してはいけない。無残に殺されるか、惨たらしい仕打ちを受けながら奴隷にされるか。どちらにせよ、そこに慈悲はない。
『む……其方、魔物であろ』
「……ルイめ、あんまり離れるなって言ったのに」
と、そこで脳内を一度リセット。
再び冬景色に染まる現実に目を向けること、二十メートル程度離れた先。
見目の可愛らしい虫でもいたのかそれとも花を愛でているのか、地面を覗き込んでいるルイが和んだ顔をして呆けていた。
その背後、極寒の中でなお茂る常緑樹の葉に身を隠し、静かに忍び寄るのは蛇型の魔物。ルイと大蛇の距離はすぐ間近で、今にも襲いかかりそうな雰囲気だ。
といったものの、その体躯は木々を数本跨げるほど長く、鋭い牙の並ぶ大顎は人をぺろっと丸呑みできるだろう巨体を誇る蛇だ。躙り寄るようにゆっくり動いているが、細やかな枝が折れる音や葉が擦れる音、冠雪が堕ちる音など、些か隠密行動を取っているつもりなのかは疑義を呈したい所ではある。うん、普通なら気づくね。誰でも気づくね。
しかし今回目をつけられたのはあのルイだ。彼女が早々に気づけるはずもなく、思慮に耽っていた僕も気づくのが遅れて、大口を開けた蛇型の魔物に今にも食べられそうだ。
だというのに、僕の心はやけに凪いでいた。
冷静なわけじゃない。ただ淡々と、直面した事態を処理しようと身体が動いていた。魔素を放つ手を向け、斜め上方向へと動かす。
「其の理を繋ぐ『共鳴』――スキル『硬化』」
「…………っっ!? (ぷるぷるぶよんっ!?)」
ルイに肩があるのなら、それは肩を跳ね上げたと表すのが正しい素振り。
その黄金の身体は僕のスキル『硬化』によって高質化し、不可思議な感触に身体を跳ねさせた彼女は、次の瞬間には重力に逆らって急上昇。
「其の理を繋ぐ『共鳴』――天翔る翼を授け、蒼穹の大空を割け『飛翔する魔力』……君なら飛べるぞ、いけぇルイ!!」
まるで見えざる手に弄ばれているかのように宙を舞ったルイはそのまま飛来し――大顎を開けていた蛇の右眼球に直撃した。血飛沫が舞う。
「キシャァァアアァァァアァァァァ――ッッ!?」
「~~~~~~~~っっ!?」
大蛇の悲鳴が上がる。
ルイの声にならない絶叫が、『共鳴』の効能によってこんなに離れている僕の所にまで伝わってきた。
『其方は相変わらず惨いことをするのじゃぁあ……可哀想なルイ』
シェルちゃんが同情を禁じ得ないとばかりに零すが、身勝手に振る舞い危機感の欠片もないルイには少しばかりお仕置きが必要だと僕は思うのだよ。レッツスパルタスパルタ。いぇい。
「『武具創造』――なぁに、情けとして僕の『硬化』をかけてあげたんだ。ビックリしただけでしょ、痛みなんかないよ……多分」
白金の鎧の籠手先、五指に別れた手を天に掲げる。
黄金色の魔素が飛び交い、集い、渦を巻く。魔力が抜け出る感覚、けれど底をつきそうな気は全然しない。空中に生成された一本の剣は次々に黄金色の結晶を纏い、肥大化していった。
「さて、これくらいかな」
頃合いを見て『武具創造』のスキルを止めた頃には、僕の頭上に浮かぶ煌びやかな黄金の意匠が施された巨大な剣が、黄金の結晶を纏ってその矛先を苦鳴をあげる蛇へと向けていた。
「悪いね、今の僕はすっごく気分が悪い……あとついでに、家族に手を出すようなヤツは死ね、今すぐに死ね、死んで消えて悉くいなくなれ――『絶金の結晶剣』」
「――――――――――――ッッ!?」
僕の上に浮かぶ巨剣を、まるで手に持って放るような動作。
連動した魔素に引っ張られた黄金の巨剣は重さを感じさせない挙動で真っ直ぐに宙を突き進み――大蛇の胴体に深々と突き刺さった。
「…………」
僕はなんとも言えない顔で、敵の死に様を静観する。
しばらくじたばたと藻掻いていた蛇の魔物だが、その図太い胴体を分断される程の巨大な剣で貫かれたのだ。眼を剥き、盛大に血を吐き、最後にはか細い声を残して絶命した。
『この魔物……其方が《金龍の迷宮》を出たばかりの頃にも戦った覚えがあるのじゃ』
「ん……あぁ、そうだっけ。あの時は種族等級の差で勝ち目なんかなくて、腹に潜ってちまちま剣で突くしか方法がなかったからね……いやはや、僕も強くなったなぁ」
言われてみれば。
随分と遠く感じるが、あの頃の僕の種族等級はE。この魔物はD程度だろうし、こんなに楽々と倒せてしまう自分が恐ろしいぜ。強くなったなぁと感慨深くなるよ。
『比較的レベルの低い魔物しか出現しない《巌の森》に、そんな上位個体が姿を見せるとは……やはり戦争の幕開けは間違いないであろ。こんな時期に森へと入る人間もおらぬとは思うがな』
なるほど、さっきからやけに強い魔物と遭遇すると思っていたわけだけど、そういうこと。
シェルちゃんと会話しながら大蛇の亡骸を『鎧の中は異次元』で収納し、ただ飯喰らいのスライムのための飯を確保。すると潰されていたのか、陥没した地面から黄金色の塊がぼいんぼいんと跳ねてこちらに向かってきた。
「ルイ、これに懲りたならあんまり勝手な行動するなよ。いつでも僕が助けられるってわけじゃないんだからな。ちゃんとわかった?」
「…………っっ(ぷるぷるぷるっっ)」
柄じゃないが、説教を垂れる。
ルイはわかったのかわかってないのか判然としない素振りのまま、慌てて僕の鎧に衝突。水面に垂れた雫のように、ポチャンと溶け入ってしまった。
『ルイもそれなりに被害者だと思うのじゃぁあ……其方が成長したのは外面とスキルだけであろ。中身はさらにひどくなってる気がするのじゃ』
「うるさいうるさい、ルイは無事だったし僕は楽しかった。それでいいじゃん。さっさと行くかー」
言うや否や、僕は茂みをかき分け歩き始める。
『しかし、今の其方の階級はA……あのカーバンクルと対等、といった所かの。炎属性が効かない分、其方の方が随分と有利ではあるじゃろうがな』
「そう? 僕はまだまだフラム先輩には勝てる気がしないなぁ……――個体情報提示」
フラム先輩はいろいろと得体が知れないからね。種族等級はBと言われる幸を呼ぶ幻獣だが、彼の潜在能力は低く見積もってもA⁻だ。そもそもその正体が死霊種だと言うのだから、本当に意味不明だ。
僕は自らの魂に刻まれた情報を、空虚な脳裏へと呼び起こす。
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個体名:レイリア
種族:白金の騎士(禍殃種)
Level:1
種族等級:C
階級:A
技能:『硬化』『金剛化』
『武具創造』『鎧の中は異次元』
『真龍ノ覇気』『六道』『己ガ世界ノ創造』
『吸収変換(火)』『吸収反射(火)』
『飛翔する魔力』『共鳴』『金焔』
『眷属召喚』『錬金術』
耐性:『全属性耐性(中)』『炎属性無効』
加護:《金龍の加護》
称号:《金龍の輩》
《種の極地へ至る者》《深淵を覗く者》
状態異常:■■■■■の呪縛
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これが今の僕のステータス。
豚鼻の怪物を打倒し得た莫大なる経験値を取り込み、大いなる進化を経た。
その結果、鎧の外見だけじゃなく、その内に秘めたる強さも変化した。
種族名は白金の騎士。
聞いたことがない全くの新種だけど、鎧に纏わる魔物に種族等級Dの騎士タイプがいたから、その系統に属してるのかなと思う。赤の騎士やら青の騎士やら貧相な種族名であり、そのくせ身長が二メートル近い騎士の模造品共に比べ、僕の背丈は五十センチほどしかないんだけどね。
それから、もちろん禍殃種だよ。
おかげさまで振られましたとも、ええはい。
新たに増えたスキルは『飛翔する魔力』『共鳴』『金焔』『眷属召喚』『錬金術』――そして『己ガ世界ノ創造』
『共鳴』は簡単に言うと、刻印を刻んだ者への共感覚だ。
今は僕の中で震えているルイの身体には、太陽とドラゴンの紋章が刻まれている。そこを通して魔素の同一化を図り、スキルの共感覚が行えるようになる。
『飛翔する魔力』』は対象に浮遊の魔力を授けるスキルだ。本来は自分自身か対象に触れなければ発動できないが、『共鳴』があればそれは不要となる。ちなみに、前者は僕が独自に発現したスキル、後者はシェルちゃん経由で発言したスキルだ。
それからレアスキル『武具生成』は『武具創造』に、派生として『錬金術』のスキルを得た。『全属性耐性』は(小)から(中)へ、称号は《エルウェ・スノードロップの眷属(仮)》が消失し、その代わりと言ってはなんだが《種の極地へ至る者》《深淵を覗く者》を獲得。
その他諸々のスキルの詳細は追々確認するとして、僕が一番感慨深いのは個体名の欄。
――レイリア。
それが僕の名前だ。
彼女がつけてくれた、僕だけの。
……嬉しいのに、胸が痛い。
こんな複雑な感情になるのも、随分と久しぶな気がするよ。
変化という変化はそんなところだ。
『それはどうしてじゃ?』
シェルちゃんが不思議そうな声音で問うてくる。
雪を踏み固めながら、記憶すら焼き尽くしてしまいそうな青炎とカーバンクルの悲しい顔に思いを馳せた。
「だってあの時の青の炎、熱かったんだよね。それに、何て言うか、こう……心を吸われてるような寒気が奔るんだ」
「ふむ、それが死霊種の使う不浄の青炎――炎属性のスキルとは根本的に違う、状態異常に近いものであろ。其方は我の加護のおかげで強い耐性が働くが、あの気色悪いグラトニーとやらはだいぶ答えたのではないかえ?」
言われ、なるほどと相槌を打つ。
あのダメージでも相当堪えたんだ。グラトニーにはぜひともくたばっていてもらいたいものだけど……それは叶わぬ願望に過ぎないかな。
「あー、そっか。やっぱフラム先輩にはかなわないな……それに、また知らず知らずのうちにシェルちゃんに助けられてたんだね……ま、ありがとうとだけ言っておくよ」
『全てにおいて耐性があるはずなのに、其方がこうも素直だと寒気が奔るのはどうしてじゃろうか』
せっかく素直になったというのにこれだ。
「ぶっ殺すぞ……まぁいいや。それから憎きグラトニーさんは絶対生きてる気がするけどね。あれは徹底的にやらないと死滅しない、死霊種よりもタチが悪い化け物だ」
「カーバンクルはいつの時代も珍しい。あの男の粘着性といい……小娘と其方は再び狙われるやもしれんなぁ……これから向かい遭遇したとして、其方に勝機があるのやら……」
僕は親指と人差し指を顎に当て、「むむむ……」と考え込む。
結論が出るのに、それほど時間はかからなかった。
「うんうん……どうしよ、勝てるビジョンがこれっぽっちも浮かんでこないんだけど」
そんな軽い返答に、シェルちゃんは鼻で笑う。
『それでも行くのであろ?』
だから僕もおちゃらけて笑って見せた。
「まぁね。男ってさ、そう言う生き物だから。カッコイイでしょ?」
『本当に、どこまでも馬鹿な生き物よの……無論、嫌いではないがの』
「知ってる知ってる。シェルちゃんは僕のことが大好きだもんね」
『その自信はどこから湧いて出るのか、心底不思議でならんのじゃぁあ……』
そうやっって語らいながら冬景色の中を進んだ。
その頃にはルイも落ち着きを取り戻したようで、人外の三人で笑い合った。
僕はエルウェにこっぴどく振られた。
禍殃種となった今、言い訳のしようもない。本来であれば殺されるところを、フラム先輩に生かされた。このまま去るのが一番良い選択だって、そんなの僕が一番わかってる。
でも、フラム先輩は悪性を持った死霊種だ。
種族本能である殺戮衝動を抑え込んでいる状態。だからもう一度会って、出来れば話をして、場合によっては――殺さなければならないかもしれない。
それから……ついと、空を見上げる。
やっぱり鈍色に染まった、寂しげな空。
鎧をピリピリと焦がす、妙な圧迫感。
降りしきる雪が増し、雷の鳴る音は嵐の前夜のような気分にさせられる。
「……例え歩む道が別れたとしても、君だけは守りたいって、そう思うから。もう二度と会えなくても良い。同じ道を歩めなくても良い。それでも、君の織り成す覇道への道を妨げる障害は、僕が必ず排除してみせる」
広げた掌に、一片の雪の結晶が舞い降りて。
溶けることもないそれを、僕は固く閉ざした掌で握りつぶした。
「【暴食】のグラトニー……お前だけは必ず、僕が殺そう」




