第43話:戦争の開幕、エルウェの決断
ヨキとサエさんの関係を息子と母に修正。
夜も明けきらない、薄闇の世界。
至る所で魔導ランプや松明の明かりが灯り、いつもとは違う騒々しさが漂うヒースヴァルム。
《皇都》、大結晶に彩られた天を衝く巨塔の下。
屈強な武器を携え、各々の生業の姿へと武装した荒くれ者達や、統制された銀色の鎧を身に纏う騎士団が一同に集っている。常ならば犬猿の仲とも言える程仲の悪い双方だが、今は誰一人として口を開かず、ただ塔の中部に設置された露台へと目を向けていた。
現在ヒースヴァルムが陥っている事態から鑑みれば、それも当然か。
――人族と相反した思想を掲げる、魔の者達との戦争。
火種は【風天】の異名を持つ覚醒魔王の行方不明。その真相を知る者は一人の少女とその眷属、そしてかつて眷属だった鎧の魔物以外、誰一人としておらず、ヒースヴァルムは強国とは言え、激しい戦火になるだろうことが予想された。
皆死地へ向かう顔つきで、我らがヒースヴァルムの王の登場を待つ。
冒険者代表として取り仕切るのは、ヒースヴァルムの冒険者組合の中でも随一の規模を誇るテューミア支部のギルドマスター。静寂を破るように怒声を轟かせるヨキ・テューミアだ。
「いいかお前らぁッ! 国から要請が来たとはいえ、これから起こるのは他人事じゃねぇ! くれぐれも騎士団の連中と喧嘩なんかするんじゃねぇぞ!! これはヒースヴァルムの未来と俺たちの存亡がかかってるんだ! 余計な真似したやつはギルドレートを最下位のGまで下げるからなぁッ! 心してかかれよッ!!」
「「「ぉ、ぉおお~……!!」」」
冒険者たちから返る声は、普段の姦しい彼らとは思えない弱気な声量。
「ちっ、どいつもこいつも肝っ玉が小せぇな。普段はあれだけ騒がしいってのに、こんな時だけびびりやがって……死ぬんじゃねぇぞ、野郎共が」
ヨキは毒づき、けれど気持ちは理解できるからこそ彼らを小心者だと馬鹿になどしない。慮るように特徴的な三白眼を細めた。
《風魔国テンペスト》は彼の【風天】が率いる実力主義国家だ。特に名の知れた参謀の二人は種族等級階級含め高位の猛者。【風天】を探しているようだからトップは不在とみて良いが、果たして太刀打ちできるかどうか……
「ヨキさん、珍しいですね。緊張されてるんですか?」
と、背後から声がかけられる。
腕を組み、憮然とした面持ちでいたヨキが振り返った先には、黒縁眼鏡にお下げという清楚な印象を感じさせる亜麻色の髪の女性が立っていた。
「……リオラか」
「ええ、私ですよ。あなたの補佐、美人副ギルドマスターの顔を忘れちゃったんですか? なんて、ふふ。テントの方で最後の作戦会議を執り行うそうです。急ぎ出席を」
「悪い、少し気がかりがあってな……わかった直ぐに行こう」
普段の受付嬢が着るような華やかな服装とは違い、ヨキ同様その身に頑強な軽鎧を纏った完全武装のリオラ・エレガントだ。
言葉尻、彼女が真面目に言うや否や、ヨキはリオラを伴って後方の天幕に向かう。今回の防衛戦は難易度が高い。冒険者騎士団共々協力し合わなければ滅亡待ったなしだ。ゆえに細かいところまで詳細を詰める必要がある。
人混みを避けるように迂回し、斜め後ろからついてきたリオラが控えめな口調で問うてきた。
「気がかり、ですか……それはエルウェちゃんのことで?」
「あぁ……お前には何でも見透かされてるな」
「もう、今のヨキさんを見れば誰だってわかりますよ」
言われ、自分の顔を触ってみる。
剃り忘れた髭が指に引っかかる、少しだけ痩せこけているだろうか? どうやらリオラの言うとおり、自分は相当ひどい顔をしていたらしい。
ヨキは「すまんな……」と一言添えてから、胸の内を語った。
「正直、気が気じゃねぇな。ついぞ【道徳なき暴食】の亡骸は見つからなかった……目撃されていた怪物の姿もだ。だからこそ、この戦争に紛れて神薙教が大々的に動く気がしてならねぇ。俺が戦線に出てる間に、エルウェに何かあったらと思うとな……」
何も直面している最悪な事態は、魔の国との戦争だけではないのだ。
数日前にも騒動を引き起こした神薙教――奴らの行動は予想の範疇を軽く超えてくる。《荒魔の樹海》側に防衛戦を張り防衛戦を展開するヒースヴァルム、手薄になった他方から何か仕掛けてくる可能性は捨てきれない。
「神薙教ですか……例の死霊種が関わっているという『通り魔事件』も……?」
「その件に関しての進捗もよくねぇな。如何せん焼死体の熱傷がひどい。死体の転がっていた周囲の環境からも何か得られねぇかって必死こいて調査してるが……魔王の一派の仕業とも考えられるし、それに扮した神薙教の仕業ともとれる……油断は出来ねぇな」
「そうですか……どうにも、不穏な空気が晴れませんね」
リオラは世を憂うように曇り空を見上げた。暗い話題ばかりが続く中、どうにか皆の力を合わせて乗り超えていかなければならない。
その直後のことだった。
近づいた天幕の側で一人の少女が視界に入り、ヨキはピタリと足を止めた。
「おじさん、その話……本当なの?」
少女は俯いてその表情は窺えないが、暗い感情が発せられているのはわかった。
ヨキは軽く目を瞠りつつ、彼女の名を呼び疑義を呈する。
「エルウェ、どうしてここに……」
「ねぇ――本当なの!?」
「あ、ああ。鎧の眷属の件は、残念だが……本当だ。【暴食】は恐らく生きている。そうであれば奴らがこの機会を逃すはずがねぇからな」
ずい、と迫るその迫力に一歩後退るヨキ。
少女に気圧される大男という絵図は些か不自然だが、その相手が義理の娘であるエルウェ・スノードロップであれば、見る者が見ればそういうことかと納得するだろう。
それよりもヨキは、肉体、精神ともに彼女の状態が気がかりだ。
「も、もう起きて大丈夫なのか……エルウェ?」
エルウェは数日前に【暴食】の襲撃を受け、眷属の一人を失っている。詳細は語ろうとしないが、彼女の精神的消耗は計り知れない。ヨキの宅の自室で塞ぎ込んでいるとばかり思っていたが、何故こんな所に?
「そう、そうなのね……私? 私は平気よ、もともと怪我なんて大したことなかったもの」
「っ……そんなわけあるか! 頭の怪我だってまだ治っちゃいねぇだろ。いいかエルウェ、お前は大人しくしててくれ。サエと一緒に中央広場へ避難するんだ」
逆に上から抑え込むようにして彼女の両肩を掴んだヨキ。
けれど、その筋肉質な腕は、少女の華奢な手に払い除けられる。
「…………私は、私の出来ることをするわ」
「待て、エルウェッ!?」
拒絶し、俯いたまま、即座に踵を返して走り出したエルウェ。
ヨキは追おうとするも、天幕から自身を呼ぶ声が届いて踏みとどまる。
「くそっ、馬鹿なことをしでかさなきゃいいんだが……フラム! エルウェのことを頼む。あの子を止めてくれ、守ってやってくれ……ッ!!」
「…………あァ。オレに任せておけェ」
そう残してエルウェの後を追っていった眷属のカーバンクル。
風もないのにボボ、と尻尾の篝火が明滅して。
「……本当に、頼むぞ……フラム」
何か、気味の悪い胸騒ぎがした。
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ヒースヴァルムの《皇都》は、中央広場へと避難を進める住人であふれかえっていた。はぐれた子供が泣く声、ちょっとしたことから諍いを始める男達、歩みを進める人々の表情は不安に塗られている。
そんな人混みをかき分けながら、流れとは反対側へと駆ける少女がいた。薄緑に白のヴェールがかかったような髪を靡かせて、エルウェは必死に走る、走る、走る。
「はぁ、はぁ、はぁっ――ぁぐっ!?」
と、陥没していた石畳に躓いて盛大に転び、雪の積もる地面へとその身体を滑らせる。万全ではない体調、軋む節々、擦った肘からは血が流れ始め、それでも手をつき上体を持ち上げ――しかし。
直ぐに起き上がるかと思いきや、うつ伏せに倒れた姿勢のまま俯き、地面についた手を雪ごと強く握りしめる。手を伝う焼けるような冷たさも、爪が割れて血が滲む痛みも、今は気にならない。
血に乗って全身を巡るのは、どこまでも強い渇望だ。
胸を突き破って産声を上げんとするのは、何よりも苛烈な激情だ。
「ぅ、ぅぁあ、ぁぁああぁあぁ……強く、なりたい……強くなりたい、強くなりたい強くなりたい強くなりたいっ!! もっと早くッ! もっと強くッ! 誰にも負けないくらい、強い魔物使いに……ッ!! なり、たいよぉ……ッッ!?」
――強くなりたい。
大好きだった母が願った、優しい魔物使いに憧れた。
でも、この世界は残酷過ぎて。優しいだけじゃ、搾取されるだけの存在にしかなれない。いつ訪れるやも知れぬ災害に怯えていることしか出来ない。
だから、強くなりたいと叫んだ。
お父さんのような強い魔物使いになれば、大切なものをいつまでも胸に抱えて生きていけると、そう思っていたから。もう泣かないですむと、そう思っていたから。
『……いい、名前だね……へへ、気に入ったよ……僕……』
『さようなら――私の可愛い、レイリア』
でも、こうしてまた一人の存在を失った。
わかってた。わかっていたはずだったのに。この世界は残酷で、自分が強くなるのを待っていてなんてくれないことを。一個人のために時間を止めることも、巻き戻してくれることもないことを。
「『癒やしの篝火』――あんまり怪我ばかりして傷が残るとォ、嫁にもらえなくなるぞォ主ィ」
ついと、身体を優しく包み込む温かい魔素の光。聞き慣れた声。
血が止まり皮膚が再生してゆく。痛みも引き、赤みを増した肌は健康的な色合いに。最悪だった体調もと気分も幾らかましになった。
だが今は、こうして簡単に治ってしまう外面の傷が憎たらしくて、ぎりりと唇を噛みしめた。
まばらな人混みがエルウェを避けるように流れていって。中心部から離れている場所まで来ていたせいか、いつの間にか周囲には人っ子一人の影もなくなっていた。
今し方回復スキルをかけてくれた眷属に、問う。
「ねぇフラム……弱くて馬鹿な私は、どうすればいいのかな……?」
「…………主ィ」
同時にそれは、自分自身に問うているような響きで。
エルウェにはわからない。本当に、わからないんだ。
逃げてばかりでは強くなどなれない。
勇敢に立ち向かえば、大切なものがひび割れ、崩れ去ってしまう。
それは、自己犠牲の叶わない魔物使いだからこその葛藤だった。
「どうすればいいのよッ!? 大事な家族のために強くなりたいのに、大事な家族を失うのが怖いの!! 魔物使いの私には何の力もないから、眷属に頼って戦ってもらうことしかできないの!! そんなの、嫌よッ……傷つくのは私でいいのにッ! 私だけでいいのに……ッッ!?」
魔物使いは眷属を使役して戦う職業だ。
主として行えるのはあくまで補助。魔物や召喚獣との強い繋がりを生成し、日常生活から世話を焼くことが役目とは言え、直接的な戦闘は眷属に頼るしかない。
それがエルウェには、我慢ならなかったのだ。
「……主ィ、それは違うぞォ」
踏まれ泥の混じった雪の上で、蹲るように膝を抱いたエルウェに、眷属のカーバンクルは否定的な言葉を零す。感情的になっているエルウェは、静寂に包まれる街中で八つ当たり気味に怒鳴った。
「何が違うって言うのよ!? 後ろで見てることしか出来ない、守ってもらうことしか出来ない私が! 強くなりたいだなんて喚いて、そのくせ眷属を危険にさらしてるのよ!! 最低よ、最悪よっ、そんなの……そんなのッ!!」
それでもカーバンクルは、首を振る。
「違ゥ」
「違わないわ!! 実際に、あなたとレイリアは傷ついたじゃない!? あの子は私を助けようって、柄にもなく自分を犠牲にして……あなたは、フラムは情けない私のお願いを聞いてくれて、本当は逃げられるのに、あんなに必死になって戦って……ッ!!」
「違ゥ」
「違わないッ!! レイリアが禍殃種になったのだって、きっと私のせいなのよっ! 私がちゃんと正しい道に導いてあげられなかったから! 戦えないくせに、そんなこともできないで眷属を殺して……私は、魔物使い失格だわ……ッ」
「違ゥ」
「――何よ、何よ何よ何よッッ!! 違わないったらぁっ!!?」
何度も、何度も、何度だって。
カーバンクルは、エルウェを否定する。
外面など気にする余地もなく滂沱の涙を流し、えんえんと泣き喚くエルウェ。
カーバンクルのフラムはしばし静観し、少女が大泣きする声が、嗚咽と鼻を啜る音になる頃にようやく口を開いた。
「いいか主ィ、それは違ゥ。主は強くなってオレ達を守りたいって、これまでずっと言ってきたァ。それは痛いほどわかってるつもりだァ。……でもなァ、それはオレ達だって一緒なんだァ」
「…………」
「誰よりもォ、何よりもォ、例え眷属の一人を犠牲にしたとしてもォ、今すぐに自分の命が燃え尽きようとしていてもォ……ただただ、主が大切なんだァ。主が、心の底から……大好きなんだァ。それが眷属。それが魔物使いに仕える、忠実な騎士の絶対の役目。……だからあいつもォ、最後まで笑っていただろォがァ」
「――――」
息を呑む。
脳裏に過るのは、鎧の眷属との別離を味わった日の記憶だ。
確かに、彼は最後まで笑っていた。ありがとうと、大好きだと……そう言っていた。
「だから言うなァ。自分が傷つくべきだったとか、そんな悲しいことを言うなァ。オレ達はなァ、主に傷一つだってつけたくないんだァ、元気でいて欲しいィ、笑っていて欲しいィ、そうやって、涙を流さないで欲しいィ……」
「……フラム」
「そして怖れるなァ。オレ達は主の武器だァ。武器が刃こぼれするのは当然。それを鋭く研ぎ澄ましィ、時には涙を呑んで取り替え、いずれ遙かなる高みに……【偉大なる一杯】に登りつめるゥ。それができるは魔物使い……主だけだろうがァ」
「――そ、う……そう、ね……この悲しみと葛藤すら呑み込まなきゃ、高みになんか近づけない……そしてそれが出来るのは、魔物使いの私だけ……」
寝返りを打つように仰向けになり、鈍色の空を見上げた。
手を伸ばす。父が近づこうとした頂上まで。母が願った存在まで。たどり着けるようにと、鎧の眷属が固く積み上げてくれた梯子を幻視する。
……もちろん、今はまだ、届きそうにないけれど。
「それにィ、主が何の力もなィ……? ハッ、笑わせるなァ」
「……?」
泣き止み、言葉を噛みしめるように瞳を閉じていたエルウェ。
先に叫んだ彼女の言葉を、フラムは一笑に付す。そんなに馬鹿にする要素があったかと、赤く腫れた銀眼を瞬かせた。
「言っただろォ? オレ達の存在理由は、全てにおいて主に準じてるンだァ。主が笑ってくれるからこそォ、死地でなお戦えるゥ。主が褒めてくれるからこそォ、遙か高みを目指せるゥ。主が生きていてくれるからこそォ、オレ達は強くなれるゥ――主は側にいてくれるだけでいィ。それが、オレ達眷属の力になるンだァ」
「…………ほんとに、もう。あなた達は……」
震える声でぼそりと言いながら、エルウェは立ち上がった。
今日も今日とて雪が降る。極寒の冬、湿った服は乾かした方が良い。万全の準備だってしなくてはいけない。
「ねぇ、一応聞くけど。フラムは……私を、とめるつもり?」
小さく微笑んで、小さな声音で問いかけた。
フラムのことだ。母親の代からずっと一緒だった。母に託されてからは、常にエルウェの身を一番に考え、戦い、癒やし、成長を見守ってくれた。そんな彼が、いまから死地へと向かう自分を止めないはずがない。
「やはり、かァ……行く気なンだなァ?」
「ええ」
「恐らくあの怪物は餌……相対するのは、きっと二年前のあいつ……だァ」
「ええ!」
「禍殃種の地獄の番犬――さらに言えば、今のヤツは二年目とは桁違いの力を持ってるゥ。そこにあの餌を喰らうんだァ……自ら死の淵に立つようなものォ――それでもォ、行くのかァ?」
「ええ、ええ、ええ! そうよ、そうじゃないと、何のために……何のためにあの子を、レイリアを失ったのかわからないもの……それに、今回の戦いで、奪われるだけのこの惨たらしい人生に――終止符を打ちたい。きっとレイリアも……そう望んでる気がするの」
「そうかァ……」
だからこそ。
卑怯な手を使うことを許して欲しい。
「ねぇ、フラム……ごめんね。あなたの主、いずれ世界最強の魔物使いになるこの私、エルウェ・スノードロップの名において命令するわ――力を貸して。私の大事な大事な幸を呼ぶ幻獣」
フラムは一度空を仰ぐと、溜息を吐くように言った。
「……仰せのままにィ、我が主よォ」
「ありがと。本当に大好きよ――フラム」
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それから数時間が経過した頃。夜明け。
――人と魔の戦争、その火蓋が切って落とされた。




