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第39話:水泡に帰すは奈落の底


 錆だらけの架け橋は軋み、すぐ側には深淵の如く闇が覗ける。

 こちらを喰らわんと口を開ける殺伐とした谷底が、嘆きの亡霊のような叫声を響かせていた。


 異彩な青い焔が森の木々を灰燼に帰す。それでも燃やしたりないと、大地すら青い揺らめきに包み込んで全てを蹂躙するなか、一匹のカーバンクルが孤独に天を仰いでいた。


 僕の目には。

 ()さぬ仲であるそんな彼が、泣いているようにも見えて。


「フラム先輩が……どうしてッ、どうして死霊種(アンデット)の炎を……ッ!?」


 火属性のスキルと言っても、この世には千差万別の色彩がある。

 凡庸的な赤色や橙色、高火力となれば黄色や白色の色素が薄い炎となり、他にも毒性を持った緑色の炎や闇属性を特徴する紫色の炎などもある。火属性のスキルによって発生する炎とは、ある程度使用者の特質を反映するものなのだ。


 そんな中で、唯一青色の炎だけは触れてはいけない禁忌にして罪業の炎とされていた。

 死霊種――つまりはアンデットのみが使用する、不浄な魂の燃焼が引き起こす特異的な炎なのだ。


 ちらちらと揺らめく様はいっそ神秘的ですらある青炎だが、今の僕は感慨深くだなんてなっていられない。

 だって死霊種だ。アンデットだ。つまりフラム先輩は――生者じゃない(、、、、、、)んだ。


 でも何で? 理解不能だ。意味不明だ。どういうことなんだ? だってフラム先輩は幸を呼ぶ幻獣で、あのエルウェの眷属で、母親の代から側に寄り添ってきた古株で――ダメだ、空転した思考が纏まらない。


「ぁぎゃぁぁぁあああぁぁぁああっぁぁっっ!?」


 豚鼻の怪物の重低音に併せて、壮絶極まりない火力で焼かれるグラトニーの絶叫も散った。

 僕の朦朧とした視界の先で、青炎を放つカーバンクルが単独で果敢に攻めて立てる。豚鼻の怪物は初めて苦悶を表情に表しながら、焼け爛れ喘ぐグラトニーを片手にフラム先輩の猛攻を凌ぐ。


「――――ブゥオァアッ!?」


 しかしついに、ぐらり――と。


 フラム先輩の身体が謎の黒い靄でぼやけたと思ったその瞬間、豚鼻の怪物の計六つあった異形の脚のうち、炭化していなかった四本が切断されていた。そのまま崖の淵で体勢を崩した怪物は、グラトニーもろとも峡谷の闇へと落ちて消えた。


 ……かつてない最大最悪の脅威は、存外に呆気なく去った。


 奈落の底に、虚しい叫びが木霊する。

 僕は怪物(ヤツ)の最後を見届けてから、どうにか上体を起こして俯いた。そこにあるのは、円形のクレーター上に点々と灯る青の焔の一つ。


 ゆらゆらと儚げに揺れて。

 ボボボ、と最後に少しだけ存在を主張してから焼失した。


 辺りにはパチパチと青炎が燃え揺る音と、溶けた雪が雫となって地面を打つ音だけが響く。妙な静けさは自身の心音すら耳に届けてくるような。

 

 そして前から迫る規則的なこれは……足音。


「――…………おィ」


「っ……」


 気づけばいつの間にか、例の小柄なカーバンクルは僕の眼前にいた。

 険の混じる低い声。力なく座り込んでいた僕は、驚きと畏怖から肩をビクリと跳ね上げた。その紅眼を今は……見返すことが出来ない。


「――見たな?」


 咎めるような言葉と同時。彼の背後で、最後の青の揺らめきが消失した。

 辺りの色彩が元通りになり、フラム先輩の纏う炎も常の橙色のものへと変わって。ふいと顔を上げると、彼の寂しそうな、それでいて達観したような表情が僕を見つめていた。


 何だか急に恐ろしくなって、脚で地面を押すように後退る。


 これは見てはだめなやつだった。

 僕は、僕だからこそ、知ってはいけないやつだった。


 この実体のない紫紺の瞳でしかと目撃してしまったからには、まず間違いなく――消される。


 フラム先輩の子猫の顔に影が落ちる。

 額の紅宝石(ルビー)が昏く輝いた。


 後退って、後退って、後退って――背中に軽く柔らかい衝撃、バッと仰ぎ見た先には。


「――――よかった」


 銀眼に溢れんばかりの涙を溜めたエルウェが立っていて。

 咄嗟に喉が詰まった。言葉が出てこなかった。安堵したような、よりによってこの場面に立ち会って欲しくなかったような、不可思議な感情が渦を巻く。


 僕は面甲(くち)をパクパクとさせ何か言葉を発しようとするも、しかし彼女は剣呑な雰囲気をぶち破るように勢いよく飛びついてきた。むぎゅっと苦しいくらいに抱きしめられる。


「よかったっ、よかったッ! 無事で良かった、本当に、二人とも無事で……よかったよぉお……ッ」


 彼女は苦しげに肩で息をしながら、これでもかと言わんばかりに強い抱擁をくれる。きっと硬い鎧の僕じゃなきゃぺちゃんこだ。


「く、苦しいよエルウェ――、ぁぐっ!?」


 状況を忘れ温かい感情に包まれたのも束の間、直ぐに視界が端の方から黒ずんでいく。体内の魔力がぐつぐつと煮え滾るように熱を持ち始めた。


 一瞬フラム先輩に何かされたのかと勘ぐったが、この感覚には身に覚えがある。



 ――『進化』だ。



 僕の異常な様子に、エルウェが慌てた素振りを見せる。


「エロ騎士!? どこか怪我を――って、その感じ……そうだわ、きっと進化ね? そうよ、当然よね、あんな凶悪な怪物に二人だけで勝っちゃうんだから、経験値もそうだけれど、レベルアップに必須な『きっかけ』も十分すぎるくらい得られたはずだわ」


 最初こそ強い憂慮を滲ませたものの、直ぐに眷属の状況を察したエルウェは抱きしめていた僕を地面に降ろす。僕はその場で膝をついて蹲り、籠手先で硬い胸を掴んだ。掠れた擦過音が怖気を奔らせる。


 魔物特有の黒と僕の中に巣くう【金龍皇シエルリヒト】の黄金の魔素(マナ)が吹き荒び、象った神の使いである蝶が僕の周囲を球状に取り囲んだ。


(ぁ、ぅあ、がぁあああああぁああああぁあ――ッ!?)


 鎧が溶炉に投げ入れられた金属のように融解し、赤橙の灼熱光を発する。あまりの熱に鎧内を満たしていた液状の物体(、、、、、)が沸騰し、ぐちゃぐちゃになって鎧と混ざる感覚。全身鎧(フルプレートアーマー)の継ぎ接ぎ部分から水蒸気のような白煙が一気盛んに勃発した。


「それに、今のエロ騎士のレベルは――7っ!? そ、それって、下位系統の魔物の極限値じゃない!? もしかして本当に、あなたは――」


 目を閉じて僕の個体情報(ステータス)を確認しているエルウェが呆然と呟く。


 器の大きさには僕自身驚きを隠せない。確かに自信はあったけれどそこまでとは。一度に上昇したレベルは豚鼻の怪物をフラム先輩と共に打倒したことによるものだろう。


 あぁ、熱い。苦しい。蒸発して消えてしまいそうな意識を気合いで耐える。

 とにかくこれで二回目の進化だ。一度目の時はシェルちゃんに強制的な変異をさせられて、地面をのたうち回ったんだっけ。今の僕は蹲るだけですんでるから慣れたと言っても良いのかな。


「ふふ……いよいよね! 出会った頃からずっと考えてた名前もつけてあげたいし、そろそろ本契約も執り行わなきゃな時期だし、フラムとエロ騎士が側にいてくれれば、私はお父さんみたいな最強の魔物使いに大きく近づけるわ――」


 エルウェは恍惚とした顔で未来を語った。

 そうなればいいと、僕も強く願った。


 ――ブツン。


 たまゆらに、そこで僕の聴覚は失われた。

 それどころか五感全てが断絶したような錯覚を覚える。


 同時に、まばらに黒ずんでいた闇が視界の全てを覆う。今の僕の前には、ただただ漆黒の世界が広がっていた。鎧の魔物としての意識が失われたのかは、ちょっとわからない。


 その世界で僕は、人型だった。

 顔はない。色もない。能面とでも言うべきか、輪郭だけはハッキリとした白色の影。


 鎧の魔物ではなく、身長は平均くらいありそうな、人型の()になっていた。

 手を掲げてみても、腕の先で五指に別れた無機質な白い手が見えるだけだ。端から見たならきっと、黒ぬれの世界に浮かぶ人型の白い染み、そんな風に。


『ここは……精神世界とか、そんな場所? 前に進化した時はこんなのなかったし……多分、超克種になる前に起こる現象なのかな? まぁ、原戒種って可能性もあるんだけど……』


 暗闇の世界で立ち尽くしていた僕は、ふと誰かに呼ばれた気がして振り返った。

 紫紺の双眸を瞬かせる。その先には――絶世の美女が立っていたのだから。


『――――』


 エルウェとは違った方向で美しい、どちらかといえば可愛いタイプの女の子。

 背丈は平凡、けれどその容姿は天女と言われても否定できない完璧なもので、長いストロベリーブロンドの髪が風が吹くように揺蕩っていた。薄桜色の瞳は、思っていた通りの白い人型の影を映している。


 なんとなく、わかった。

 彼女は……《金龍の迷宮(オロ・アウルム)》でルイに殺されかけた時に見た、記憶の断片に出てきたあの少女だって。


『…………ねぇ、君は――』


 手を伸ばす。

 脚は自然と彼女のいる方へと向かっていた。

 

 歩く。

 歩いて、歩いて、歩いて。


 少女の前にまで辿り着いたその時。

 蝋燭の火が消えるように、少女の姿も溶けて消えた。まるで最初から存在しなかったかのように、名残の欠片もなく。ただその場所に残ったのは、一振りの剣。


 何もない暗闇に突き刺さった先端は見えないが、刀身に薄紫のラインが奔っていたり、柄には禍々しい宝石が埋まっていたり、どこか不穏な気配を感じる一振りだ。


 普通は抜かない。見た感じから呪われてるってわかるもん。


 でも、少女が僕をここへ呼んだ気がしたんだ。抜けって言ってる気がするんだ。ていうか見渡してみても、ただ闇が広がってるだけで何もない。最後には抜かなくては事態は進展しないだろうから。


 色のない手で柄を掴む。

 力を篭めるまでもなく、その呪われし剣は簡単に抜き放たれた。



 眩い光が、差し込んで――



 はらはらと舞い降りる雪。

 先の激戦で小さな丸い穴の開いた雲から、優しい日差しが差し込む青空が見えた。 


 どれくらい経っただろうか。

 徐々にクリアになっていく眼中で、期待の眼差しを向けてくるエルウェが映ることから、それほどの時は経過していないのだろう。


 僕を包んでいた小さな蝶の群れが役目を終えたとばかりに霧散する。熱の籠もった身体を吹きつけた寒風が冷やしてくれる。


 まず最初に感じたのは、体中に滾る純粋な力。

 上体を起こすと鎧の軽さに驚き、少しだけ背丈が高くなった気がする。


 全体的な色合いは白と金のままに、紋様の複雑さが増しただろうか。頭部から生える紐の量も増し、透き通るような銀色が陽の光を反射して煌めいた。手を当てた胸に刻まれているドラゴンと太陽の紋章に、高い熱を感じる。


 すごい。これが進化。これが至高の種族。これなら。

 この全能感溢れる力があれば、きっとこれから先もエルウェを守ることが出来る。フラム先輩だってどうにか出来るかもしれない! それほどの力を手にしたんだ、できたんだ!


 僕はゆるりと立ち上がり、相変わらずな紫紺の瞳を陽気に思い人へと向け――彼女の表情を見て、絶句した。



 呆けたように開きっぱなしの口。


 言葉に詰まったように、わなわなと震える薄紅色の唇。


 幽霊でも目にしたのかと言わんばかりの、血の気の引いた病的なまでの肌。


 いっそ狂気すら滲み出る、極限まで見開かれた銀眼。

 


 ごくり、と。

 僕は生唾を呑み下して。


 ひどく掠れた、蚊の鳴くような声で呟いた。



「…………個体情報提示(エクセ・ステータス)――――」














































――――――――――――――――――――――――――

 個体名:なし

  種族:白金の騎士プラチナ・シュヴァリエ(禍殃種)

  Level(レベル):1

種族等級(レイスランク):C

  階級(レート):A

  技能(スキル):『硬化』『金剛化』

     『武具創造』『鎧の中は異次元(ストレージ・アーマー)

     『真龍ノ覇気』『六道』『己ガ世界ノ創造クリエイト・ダンジョン

     『吸収変換アブソープション・ファイア(火)』『吸収反射リフレクション・ファイア(火)』

     『飛翔する魔力(リェタ・マギ)』『共鳴(レゾナンス)』『金焔』

     『眷属召喚(フレリア・コール)』『錬金術(アルキミア)

  耐性:『全属性耐性(中)』『炎属性無効』

  加護:《金龍の加護》

  称号:《金龍の(ともがら)

     《エルウェ・スノードロップの眷属(仮)》

     《種の極地へ至る者》《深淵を覗く者》

状態異常:■■■■■の呪縛

――――――――――――――――――――――――――


















「――――――――――――ぇ?」



















 エルウェの口から、吐息のような声が漏れる。

 

 心底呆気にとられたような、目の前の現実が受け入れられないような。

 今にも、泣き出してしまいそうな。


 幾重にも重なった激しい感情が、ぎゅっと濃縮された悲しい音が落ちた。


「――――なん、で……僕なんだよ……?」


 いや……違う。それは、単に僕が受け入れられないだけで。


 それはまさしく、どこまでも哀愁漂う明瞭な音。

 突き放すような、拒絶(、、)の響き。


「どうして僕が……禍殃種(、、、)なんだよぉ……ッ」


 ――彼女(エルウェ)が僕に、『絶望』した音だった。







 『禍殃種(かおうしゅ)

 

 それは原戒種(ディモリア)へと至る、最高位にして最悪の種族。

 そして――エルウェが最も忌み嫌う(、、、、)存在なのである。


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