第37話:事はいつだって忽然と
「焼死体の素性はまだ掴めねぇのか?」
《龍皇国ヒースヴァルム》冒険者組合テューミア支部にて。
執務室内で腕を組んで腰を据えているのは、ギルドマスターでありS級冒険者の資格を持つヨキ・テューミアだ。その威厳ある顔つきは見せかけではない。
「はい、残念ながら。学者の方が言うには『見たことのない焼かれ方だ』ということなので……しらみつぶしに専門分野の異なった学者を招いては確認させていますが、芳しい結果はまだ出ていません」
ヨキの前で姿勢正しく直立している女性はリオラ・エレガント。
副ギルドマスターとして例の『通り魔事件』の解決に努めており、素性不明の焼死体から何か情報を得られないかと躍起になっている所だ。
きっと執拗に焼かれた『焼死体』が解決の糸口になってくれるはず。
誰もが確信している一方で、確証のある結果はなかなか出てくれない。
何でも、その肌の爛れ方が普通の火傷とは異なっているらしいのだ。
ヨキやリオラもどこかで見たことがあるような気がしなくもないが、言われたとおり変な爛れ方をしていた。そもそも黒焦げの焼死体をじろじろと好んで観察する人間は少ない。事は難色を示していた。
「そうか……くそッ、この忙しい時に。てっきり『通り魔事件』の犯行は神薙教のものかと思っていたが、今は正直深域の『魔王』が怪しい……いや、こう思わせられてることすら、連中の掌で踊らされてるだけなのか……?」
近頃《荒魔の樹海》の深域の動きも怪しいと報告が入り、ヒースヴァルムでは厳重警戒態勢がとられている。戦力を整え、いつ戦争が勃発しても対処できるようにと。
「彼の【十二天】が一人、【風天】の座につく『魔王オラージュ・ヴァーユ』が数百年前に建国した国――《風魔国テンペスト》ですね。不戦の協約は結んでいるはずなのに……いったい何が起きているんでしょうか」
「……そんなに不安がる必要はない。この国にはS級冒険者が数人常住してるし、あのババアだってまだまだ現役だ……それに、俺もいる。お前やギルドの連中は、俺が命に代えても守ってやるからよ……格好良く助け出せば、お前も俺に惚れるかもしれねぇしな?」
雲行きの怪しい情勢に顔を俯かせたリオラ。
ヨキは片眉を上げて不安そうにする彼女を見やると、気を楽にさせようと声をかけた。軽い冗談も交ぜつつ、暗い雰囲気を塗り替えるような飄々とした態度で。
それが本当に冗談なのかは本人しか知らぬ所ではあるが、顔を上げたリオラは数度瞬きをすると、口元に手を当てて上品に微笑んだ。黒縁眼鏡をくいくいっと二回押し上げる仕草は、彼女が照れたときのものだ。
「ヨキさん……ふふ、それは嬉しいですね。でも私はこれでA級冒険者なので、そんな機会はないかもしれませんよ……強い女はお嫌いですか?」
「カハハッ、それもそうか! 嫌いじゃねぇが、お前はこっち側だったな。逆に俺が守られちまうかもなぁ、その時は頼むぜ?」
「もう、ほっぽいていいって訳じゃないんですからね? 私はできるだけヨキさんの背中を守りますけれど、もちろんヨキさんも私を守って下さい……エルウェちゃんの次、くらいの立場でいいですから」
微笑みを添えて言うリオラ。
少しだけ気恥ずかしくなってヨキは顔を逸らした。話題の転換を図る。
「あぁ……そうだな。そういえばあの子は、エルウェは順調に迷宮を攻略してるだろうか? 新種の眷属はよくわからんが、フラムのヤツが側についてるとはいえ、心配で夜も眠れない……」
「ふふふ、ヨキさんのそういう所、私は好きですけど。もういい年なんですから、いい加減子離れしませんと」
「お前なぁ、好きって……親になってみなけりゃこのそわそわする気持ちは――」
書類仕事を一時手を止め、雑談し始める二人。
少し甘ったるい匂いがしてきた辺りで――執務室の扉が勢いよく開いた。
「リオラさん! マスターッ! 大変だ、大変なんだ聞いてくれッ!? あれ? な、何だこのピンク色の空気はすごい羨ましいなあ!?」
肩で息をしながら、喚くように告げるのはドワーフの男【破斧】のブレイクルだ。
突然突入してきて余計な事を姦しく言う彼に、ヨキはうっすらと青筋を立てる。
その二つ名の代名詞であり、冒険者の命である武器を携えていないのは、先日ヨキが「義娘を置いてのこのこ帰ってくるとは死にたいらしいな」と怒り狂って叩き折ったからなのだが、その話は脇にそっと置いておこう。
ヨキとリオラが何事かと見やる先で、彼は慌ただしく言った。
「ハァッ、ハァッ……と、特にマスター、落ち着いて聞いてくれよ、いや聞いて下さい……? これは知り合いから聞いた確かな情報なんだが――《亜竜の巌窟》で神薙教の【暴食】が出たらしい」
「「――――」」
捲し立てるような言葉を一言一句聞き逃さずに受け止め、ただただ絶句した。
にのくちが告げれるようになる前に、ブレイクルは唾を飛ばしながら続ける。
「【暴食】のヤツが造ったとんでもない怪物が《ラズマリータの街》を壊滅させたって話だ……それからもう一つ! リオラさんに頼まれてた焼死体の件、わかる学者がやっと来たんだ!!」
事はいつだって忽然と。
波瀾に揉まれ始めたヒースヴァルムは、慌ただしく動き始める。
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雪降る極寒の季節。
端々で薄い氷すら張る川に落ちてしまえば、凍死するのは時間の問題だ。
すぐさま眷属によって引き上げられ、ちらちらと燃ゆる篝火に諸手の掌を向けているエルウェはどうにか無事でいられたが、同じ幌馬車に乗っていた多くの乗客は……恐らく。
「…………私は……」
《ラズマリータの街》を早々に逃げ出したことといい、若く無垢な心を苛む良心の呵責によって、エルウェはぎり、と唇を噛んで俯いた。
「…………エルウェちゃん、心配なのか?」
それに、向かい側で自分と同じように身体を震わせながら火を囲む金髪の男が言うように、今はそちらの心掛かりもある。
「…………」
「大丈夫だ安心してくれッ! 君の眷属と約束したように、この俺【炎槍】のホームラが側にいる限り! 何人たりとも君に触れさせることなど――ぶぇっくしょいッ!? ぅう……さ、寒い、ズズズ……」
どこか見当違いなことを言っている男はホームラ・イディオータ。
フラムがエルウェを守るように言いつけた偽物の騎士だ。彼は体裁良く見せようと振る舞うも、大きなくしゃみに併せて鼻水を吹き出していてどうにもいたたまれない。
常ならば愛想笑いを返すエルウェだが、俯いたままの顔には影が縁取ったままだ。
不規則に揺らめく焚火の音を聞いていると、遠方で大爆発、凄まじい衝撃が森に木霊する。もう何度目になるかわからないが、振動で近場の木から冠雪がばさりと落ち、ホームラがビクリと肩を跳ね上げた。
今もなお、戦っているのだ。
こちらから姿は見えなくとも、その余波だけで戦闘の凄絶さが計り知れるというもの。自身の眷属が必死になって格上の怪物と角突き合いを繰り広げているのだ――全ては主人であるエルウェを逃がすために。
エルウェは轟音の轟く鈍色の空を見上げ、眷属が残した言葉を思い出す。
『主は気づいているのか……? オレが…………偽物だって――』
敵を引きつけるために飛び出した鎧の眷属を助けたい一心で、今まで黙っていた尻尾の揺らめきの件を口に出してしまった。すると母から授かったカーバンクルは、意図の掴めない台詞を零したのだ。
『……偽物? 何の話よ?』
『っ……いや、何でもなィ。どうかしてたァ、やっぱり忘れてくれェ。だが尻尾が……そうかァ、それで新入りはあの時ィ……』
どこか一人納得したような素振りを見せるフラム。
それどころではないエルウェは祈るような気持ちで彼の名を呼んだ。
『お願いよフラム……ッ』
『……だがなァ、魔物が出現するかもしれねェ森の中で主を一人にするわけにはいかねェ。一緒に連れて行くなンて以ての外だしィ、火はなンとかなるがこればっかりはなァ――』
理由は知るところではないが、フラムの紅い猫目に宿る光の色が変わった。
しかし現状ではエルウェの側を離れることが叶わない。
そんな時だ、金髪の男がやってきたのは。
『おや、おやおや! エルウェちゃんも無事だったんだな!! そしてどうやらお困りのようだね!? この俺、ホームラ・イディブフオェっくしょいッ!? ……すまん。俺も温めさせてくれ』
このような流れでフラムはもう一人の眷属の元に行き、鼻水を啜っているホームラとエルウェが焚火を挟んで向かい合っているという今の状況になったわけだ。
「……偽物、かぁ」
耳に残る、その言葉を小声で反芻する。
(――フラムのあんな悲しそうな顔、初めて見た……)
硬い表情のまま、どこか哀切な響きを乗せてエルウェは呟いた。
言葉の意味は理解はできていても、フラムが偽物だという意味がわからない。気にするなとはいっていたが、妙に引っかかる言い方だった。
「そっ、そろそろ服も乾いてきたし、俺達は《皇都》に向かうとするか!! な、エルウェちゃん? も、もちろん逃げるわけじゃないぜ!? えっと、そうだ! 応援を呼びにだな――」
ホームラが立ち上がって言い訳がましく言う。
服の湿り具合を確認したエルウェも、無言のままゆるりと腰を上げた。
『――エルウェをよろしく、フラム先輩』
覚悟を決めたような、いつになく真剣な顔で死地へと向かった眷属がいる。
常におちゃらけた雰囲気を纏う自由気ままな性格で、その上煩わしくなるくらい甘えん坊で。そんなあの子が自分からエルウェの側を離れて、命を天秤にかけて戦っている。
「エ、エルウェちゃん……? 変なこと考えてねぇよな? あれは正真正銘の化け物だ。第二級冒険者やA級冒険者でも勝ち目がない、そんな怪物だ! 早く一緒に逃げようっ? 誰よりもそれを君の眷属が望んでるし、俺はカーバンクルに君のことを託されてるんだ! エルウェちゃんに何かあったら殺されちまう!」
側に寄って身振り手振りで説得を試みるホームラ。
エルウェはやはり顔を上げず、一度大きく息を吐くと彼に背中を向けた。
その方向は、戦闘の激しさを象徴するような轟音が絶えず轟いて来る方で。
『いいか主ィ、身体が乾いたらさっさと逃げろォ……なに、オレ達もすぐに追いつくさァ』
不器用な笑みを残して、不条理な願いを聞き届けてくれた眷属がいる。
生まれた頃から一緒だった子だ。父と母、兄が雲の上の世界に旅立ってからも寄り添ってくれた。あんな顔をされたのは二回目だ。一度生死を彷徨ってからは、もう二度とそんな顔はさせないと、そう思っていたのに。
「おいっ、エルウェちゃんッ!?」
エルウェはかじかんだ拳を強く、握りしめた。
ホームラの弱気でこちらの顔色を伺うような視線を振り払う。
「……あなたは逃げて。もし私が生きて帰ってこれなかったら、その時は……おじさんとおばさんにありがとうって伝えて下さい。それと――ごめんなさいも」
それだけ言い残して、エルウェは矢も盾も堪らない様子で走り出した。




