第27話:勝利の雄叫び
結局その日の迷宮内では、僕だけがひたすらに戦い続けた。
10階層を下回った辺りで僕と同等の種族等級を持つ魔物は出てこなくなった為、そこまでキツくはなかったかな。
とはいえ襲い来る魔物達を帰り討ちにした数は百に近い。
こんなに真面目に戦ったのは《金龍の迷宮》を出たばかりの頃と、先日遭遇した怪物の饗宴の時くらいだ。
それにしてもあの怪物の饗宴は一体全体何だったのだろうか。統率者だってついぞ姿を見せなかったし……今朝の宿の前で起きた事件についてもそうだ。
嵐の前の静けさのような、不穏な空気が漂っている感じがする。
僕の進化先に対する不安もあるけど、エルウェには禁句みたいだからもう考えるのはやめた。
早いところ強くなりたい――そう思っていた僕にとって、嬉しい誤算があった。
「まさかさっそくレベルが上がるなんてね。それも二つも。すごいわエロ騎士、やっぱりやれば出来る子だったのね!」
「種族等級Eとはいえ、それなりに異常な成長速度だと思うけどなァ。やはり新種、特異固体は何か持ってるのかもしれねェなァ」
僕の後を着いてきた一人と一匹が言うように、なんと《亜竜の巌窟》の出口に近づいた頃には僕のレベルは4になっていた。
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個体名:なし
種族:流浪の白鎧(変異種)
Level:4
種族等級:E
階級:D
技能:『硬化』『金剛化』
『武具生成』『鎧の中は異次元』
『真龍ノ覇気』『六道』
『吸収変換(火)』『吸収反射(火)』
耐性:『全属性耐性(小)』『炎属性無効』
加護:《金龍の加護》
称号:《金龍の輩》
《エルウェ・スノードロップの眷属(仮)》
状態異常:■■■■■の呪縛
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レベルアップによるステータス基礎値の上昇に準じて、僕の等級はDへと至っている。同等に負ける気はさらさらないので、今ならスケイル・ウォルフも瞬殺しちゃうぞ! つってね。
「でも進化は……してないみたいね? 種族等級Eの魔物はレベル2……遅くても3くらいで進化するって参考書にはのってたのに」
「くははッ、不良品説が出てきたな新入りィ。気をしっかり保てよォ」
エルウェは可愛らしく首を傾げ、彼女に抱かれているフラム先輩はいびるように笑ってくる。
くそぅ悔しい……けどそうなんだよね。レベルってのは普通、滅多に上がらないものなんだ。僕としてもこの短期間でのレベルアップには驚いてる。だからあんまり実感はないけど、レベル4なら進化してもおかしくないはずなんだけどなぁ……?
『それについては心配する必要はないであろ』
(えぇ、シェルちゃん何か知ってるの?)
むむむ、と唸っているとシェルちゃんが素っ気なく言った。
彼女はいじられるのが好きな(僕が勝手にそう思ってる)駄龍だが、彼の【金龍皇シエルリヒト】その人ならぬそのドラゴンでもある。その長きに渡って生き存えたことで蓄えた知識は侮れるものじゃない。
『魔物という生命は面白いものでの。中でも進化は千変万化の様相を呈するのじゃ。それで、むぅ……端的に説明するならば――進化前のレベルの限界値が高い程、進化先の種族は高位なものになる傾向がある、といったところかの』
(へぇ……なるほど理解した。進化という事象を『器の大きさを倍にする』って考えると、つまりは元となる魂の器が大きければ大きいほど、進化先での器は倍々に広がっていくわけだ)
『倍なんて次元ではないがの……概ねそんな感じであろ』
僕の理解力のよさには脱帽だね。できの良い眷属を使役できてエルウェも嬉しいだろうそうだろう。それに順調に超克種に近づいてる気がして喜ばしい。
(僕が高位の種になるのは……シェルちゃんに加護をもらってるからか、僕が元人間だからか……微妙なところだけど強い種になれるなら本望だよ。でも僕が急に成長した理由は?)
疑問なのはどうしてこのタイミングで、なのかだ。
『それは恐らく、先の大規模な怪物の饗宴で暴れ回って堆積していた莫大な経験値が、其方の意識改革に準じてレベルアップを齎したのじゃろうて』
(あー……そっかそっか。フラム先輩と一緒に狩りまくったもんなぁ)
あの時はフラム先輩の力を借りて何ランクも離れた格上すら灰燼にしてやったからなぁ。レベルの上がりやすい種族等級の低さも相俟って、そう考えると確かに妥当なラインかも。
「ふふふ、僕の果てしない進化を楽しみにしてるがいいさ……っと、大扉についたね――出口だ」
言いながら役目を終えたとばかりにエルウェの足をよじ登り、定位置である太股にしがみつく僕。人目があるし彼女が恥ずかしがるから、ローブの上からだけどね。あぁ柔い。良い匂い。徹夜明けの身体に染みるぜぃ。
「お疲れ様。頑張ったわね」
「お疲れィ」
エルウェは拒むでもなく、少しだけくすぐったそうに身体を捩ってから僕の頭を撫でてくれた。労ってくれるフラム先輩は相変わらずエルウェの胸に抱かれている。くそ羨ましい。
こうして、僕らの初めての迷宮探索は幕を閉じたのだった。
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「離せぇえぇえええ俺はエルウェを探しにここに来たんだぁああぁあッッ!?」
大扉を抜けた先。
古傷のある強面な顔を獣の如く怒らせた大柄の男が、数人のギルド職員らしき人達に抑え込まれていた。周りの冒険者達も一丸となって止めようとしているが、まるで暴れ馬のように人を撥ね除けてこちらに向かってくる。
「ねぇエルウェ。あれさ……」
「それ以上言わないでエロ騎士。私たちは何も見てない。いい? 何も見てないのよ」
笑顔じゃない笑顔でそう言うと、エルウェは男が迫る正面を避けるように脇道に逸れた。喧騒を見守る野次馬に紛れ、その前をズンズンと大股で進む男はそのまま――
「待ってろエルウェ、例え魔物が何匹集ろうが塵は塵だ俺が今すぐどこにいても助け出して――エルウェぇぇええぇぇええぇぇええッッ!?」
――素直に通り過ぎてはくれなかった。
「ぅぐっ……いっ、痛いわおじさん……」
ぐりんッ、と首がもげそうな勢いでこちらを向いた男――ヨキさんは、人混みを蹴散らしながらエルウェの元まで辿り着くと勢いそのまま強く抱きしめた。
ええええええなんでここにいるの!? っていうか今、絶対視界の中に入ってなかったよね? なんでエルウェに気づいたの気配とか匂いとかなんかですか!?
……いや僕もそれくらい朝飯前だったわ。
ヨキさんは本当に苦しそうに喘ぐエルウェの様子なんか見えていない。
「離して、おじさん……離してってば!」
「主が苦しそうだァ、あとオレも苦しい早く離れろヨキィ」
「お、おぉ、すまんエルウェ。少し俺としたことが取り乱していたみたいだ」
しばらくして視線と腕の圧力に耐えかねたのか、エルウェとフラム先輩が大声を上げてようやく平常を取り戻すヨキさん。
けほけほと軽く咳き込むエルウェの太股に張りついたまま周囲を確認すると、受付嬢が野次馬を捌けようと必死になって動いていた。振り回されて可哀想に。
ていうか何でギルドマスターが《亜竜の巌窟》にいるんだよ。
今の時間帯は夕暮れ間近だが、幌場馬車は予約済みだし今日中には帰れる。予定の日数をオーバーしているならまだしも、何用だこの義娘大好きオジサンは。
「な、何でヨキさんがここにいるの? ギルドの仕事は? やめちゃった?」
「そんなわけないだろ――と言いたいところだが、今さっきどうにか首の皮一枚で繋がったところだ。テューミア支部でブレイクルのクソ野郎の話を聞いてな、何でも怪物の饗宴が起きたらしいじゃねぇか?」
返答を聞くに、ヨキさんはブレイクル――あの【破斧】とかいう二つな持ちの髭もじゃドワーフのことだろう――に《亜竜の巌窟》の話を聞いて、いても立ってもいられなくなったってわけだ。
クソ野郎とか呼んでるあたり、僕たちを置いてきぼりにしたブレイクル先輩は成仏したかなこりゃ。南無阿弥陀仏。未練はあるだろうけど自業自得だ、ちゃんと成仏しなよ。
「それでおじさんはまた仕事を放り出してこんな所まできたのね? もう、心配性なんだから……」
「ああ、当たり前だ……無事、だよな? 本当によかった……俺は兄貴に頼まれたってのに、あの子を守れなかった……だからエルウェ、お前だけはこの命に代えて守ってやるって、俺はいつもそう思って……すまねぇ、つい熱くなり過ぎちまった」
ヨキさんの様子からは娘愛を拗らせただけじゃ説明が付かない程度に、深い後悔と決意が感じられる。両手を腰に当てて呆れたように嘆息するエルウェだが、そんな彼の事情は把握してるのか責めようとはしなかった。
『あの子』……おそらく、エルウェのお兄ちゃんのことだろうね。
ヨキさんの方がエルウェ父の弟だったなんて事実は衝撃的だけど、その手で育ててあげられなかったことを悔いてるんだ。だからそんなに、必死になって……
「ギルドマスターは私情でギルドを離れちゃいけねェンだろ、リオラがいつも口酸っぱく言ってるじゃねェか……どこが首の皮一枚で繋がってるだァ、その首ぶっ飛んでるじゃねェかよォ」
「おじさん……」「エルウェ……」と、どこか重い感じになってる空気を容赦なく切り裂くフラム先輩の毒舌。さすがだぜ。
「あ、ああ。フラム、エルウェを守ってくれて感謝する……その件についてだがな、こう言っちゃ悪いがちょうど殺人事件が起きたらしいじゃねぇか。例の通り魔事件に関与してるかもしれねぇ……その調査ってことで一応の体は保てたぜ」
そう言ってサムズアップするヨキさん、ちょっと行き当たりばったり過ぎやしませんかねぇ?
「ぁあぁあぁあ、リオらさんに後で謝らなきゃ……本当にいつもいつも迷惑かけてごめんなさい……」
ほらエルウェも申し訳なさそうにブツブツ独りごちり始めた。
ヨキさんのフォローをしなくちゃいけない副ギルドマスターは大変だね。
「とにかくお前らが無事で良かった……これでギルドマスターを辞めずにすむぜ。さて肩の荷も降りたことだし、真面目に働きますかぁ」
最後にエルウェの頭を乱暴に撫でたヨキさんは、後方で控えていたギルド職員達の元へ合流した。
「もう私は大人なんだから……いつまでも子供扱い、しないでよね」
エルウェはそう言って乱れた髪を整えながら歩き始める。
口では些か辛辣なことを言ってはいるが、その口端は微妙に上がっていた。
****** ******
そんなこんなで無事にヒースヴァルムまで帰ってきた。
でも僕には少し気になることがあったため、エルウェに許可をもらって夜の《荒魔の樹海》へと足を運んでいた。
鬱然たる森は闇に覆われ、立ち入る者を拒むような異様な雰囲気を発している――わけではなくて。
「前は生きるのに必死で余裕がなかったから、何も思わなかったけどさ……こういう顔の森もいいもんだね」
『そうじゃな……』
繁茂する若葉色の氷雪草の隙間で、仄かな燐光を発するのは凍晶花。
寒い季節に咲き乱れるこの花は、森の至る所に群生していて、蛍火のような青の魔素を放出する。今僕がいる《荒魔の樹海》の浅域では、一面が埋め尽くされて花畑のような様相を呈していた。
綺麗だなって、そんな陳腐な言葉しか出てこないけど、うん、綺麗だ。
月明かりの届かぬ森の中を照らしてくれるため、視界は良好。夜に森を探索する冒険者はいないとは思うけれど、この景色を見に来る人ならいるかもしれないね。
シェルちゃんとあーだこーだと気軽に話ながら、僕は森の深くまで進んでいった。
「っと、おーいいねいいね。ちょうど良い場所見つけた。ここにしよ」
ややあって、一本の巨木の前で立ち止まる。
ここらでは一番樹齢が高いのだろう、その幹の太さも背丈もファンタスティック。僕はうんうんと意味深に頷いてから、裏側に回り込む。
僕がこの木を選んだのは、何も巨大で立派だからってだけじゃない。
注目すべきは樹齢に比例して大きなその根。複雑にうねる根っこは地面を突き破って露出している所があり、特に根元の一部には大きな穴が空いていた。
僕はその地面と根の間に生じた隙間に、しゃがみながら入り身を隠す。
しばらくすると、遠くからなんともけしからん音が聞こえてくる。
――ボイン――ボイン――ボイン――
そのふくよかな双丘を想像させるリズミカルな音は、徐々に近づいてきて――巨木の周辺をうろちょろとし始めた。ボイン、ボイインと戸惑うように動き回るその様は、まるで道に迷ったような……はたまた何かを見失ってしまったかのような。
だからといって、僕は顔を出すわけではない。
今回の作戦はあくまでダーゲットの捕獲。接触を図るとかそんな生ぬるいことを言っているようでは、この先一生手にすることは出来ないと気づいたのだ。
まだだ。
我慢、我慢だ僕。
まだ。まだ。まだ。まだ。まだ――
『む……其方、近いのじゃ。この魔力は――魔熊族であろ』
――キタ。
シェルちゃんの報告に、僕はにんまりと厭らしい笑顔を作る。
もちろん僕の兜は何の反応も示していないけどね。
「我がこの不可思議な場所から探知できる範囲は限りなく狭い。魔熊族はもうすぐそこじゃろうて」
ボインボインと忙しなく跳ねる音が、僕の隠れる穴の前で――止まった。
「ああ、そしてあの子は根っからの臆病者。戦うなんて選択肢は絶対にとらないし、逃げるよりはその小さな身体を生かして狭い場所に身を隠すはず。だから先にお邪魔しておけば――」
そして。
ターゲットが罠にかかった。
よっぽど焦っていたのか躊躇なく飛び込んできた黄金の塊を、僕は力一杯抱きしめた。沈み込む腕の感触、それでいてしっかりとした弾力もある! これはまさしくOPPAI!!
「捕ったどぉぉおおぉおおぉおおぉおおぉお――ッッ!!」
「…………っっ!? (ぷるんぷるんぷるんっっ!?)」
勝利の咆哮が夜の森に木霊した。




