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第10話:初めての○○は生涯忘れられない味がした


「てっ、てめぇ何言ってんぶちゅぅあぁああぁあああぁ――ッッ!?」


 奇天烈な悲鳴の尾を引いて、坊主頭の男は地面と水平に吹っ飛んでいった。


 それはまさしくクリティカルの一撃だった。

 ミシミシミシィッ、と決定的な一打が入った感触がする。


「――――」


 凶器として用いた(あたま)に感じる激痛は計り知れず、視界に眩い火花が散った。

 ぐらり、とないはずの脳味噌が揺さぶられた感じがして、すぐ側のエルウェの輪郭が二重(ダブって)に見える。これはやばい……と本能が警鐘を鳴らしていた。


 数瞬の間を置き、左方で粉砕音。

 兜を同じ方向へ振り抜いていたため、偶然面甲(めんこう)の奥から捉えたのは――男が坊主頭から壁へと華麗に突っ込み、上半身が埋まる姿。ひどく間抜けだ。


 兜を振り抜いた格好の首なしの鎧――僕は、飛来した勢いの大部分を坊主頭の男に注ぎ込んだとはいえ、高所から低所への落下は止められず、無論そのままエルウェの隣のゴミ箱に積んであったゴミ袋の山に突っ込んだ。


「ッ!? 小さな騎士さん!?」


 舞い上がる白雪。目を引く血飛沫。四方へと飛散する大量のゴミ。

 路地裏に大きく反響する爆音のような衝撃と振動に、エルウェが悲鳴を上げた。


「な、なな、なななななななななんだぁてめぇいらぁっ!?」


「キャープテェーンッ!? んな馬鹿なっ、キャプテンが一撃でぇ……っ!?」


 キャプテン? 何かしらの頭であったらしい男の有様に、狼狽する仲間二人は未だ現実を認識できていないよう。ここが戦場であれば立て続けに殺されているぞ、冒険者失格だ。いや、女の子を強姦しようとしている時点で人間失格だ。僕も誘ってくれれば……混ざるとは言ってない。


 落下のダメージはそれほどでもなかったので、生じた隙にこの男達をぶちのめしても良かったのだけど――今の僕は諸事情により、微塵も動けなかった。


「――なァお前らァ、何か弁明はあるかァ」


 その代わりと言っては何だが、僕をぶん投げた張本人であるフラム先輩が子猫の体躯を轟々と燃え上がらせて路地裏に着地。今にも爆発寸前といった可愛い面持ち――フラム先輩は凶悪な面持ちのつもりだと思う――でトコトコ歩み、男達との距離を埋める。


「あぇ? なんだ、こ、子猫!? おい見てみろよ、子猫が燃えてんぞぉ! 誰かの召喚獣かぁ?」


 目まぐるしい状況の変化について行くことを諦めたのか、背の小さい方の男が歯を剥くフラム先輩を指さす。

 

「ほ、ほんとだな、血が上ってる頭が癒やされるくらい可愛い……っていや待て、待て待て待てっ! その額の紅い宝石……まさか、まさかカーバンクル……っ?」


 ひょろひょろと身長の長い方の男は、不思議そうな顔をしながらも同意を示した。が、すぐに気づく。眼前の存在が力を持たない一端の召喚獣ではなく、幸を呼ぶ幻の魔物であると。


「はぁ!? カーバンクルって、あの種族等級(レイスランク)Bの!? まさかっ、なんでこんな所にいんだよ? なんにしてもありがてぇ! こりゃ明日は良いことあるかもしれねぇな!」


「おまっ、確かにカーバンクルはレアだが、今の状況はまずいって! 俺は聞いたことがあるぞ、確か『テューミア支部』にカーバンクルを使役する少女がいるって……」


 そこでピンときたのか顔を見合わせた男二人は、仲良く同じ動作で振り返る。

 そんな彼らの濁った瞳には、服が破られ素肌と可愛い下着を晒した美少女が――それも、泣き腫らした目で睨みつけるエルウェの姿が映っていることだろう。


「おィ、それ以上その汚物のような眼球で主を見るなァ、こっちを向けェ」


「「ひっ!?」」


 フラム先輩の低重音が、その身に纏う焔の火力を一段と上げる。轟、という揺らめきに肩を跳ね上げる男二人は、すぐにエルウェから目を離した。

 ナイスだフラム先輩。エルウェの下着姿を拝んで良いのは僕だけなのだ。


「最後に一人ずつ、遺言を聞いてやるゥ。戦士として矜持(はな)のある言葉を残せよォ」


 と、小さい男の足元にまで近づき、歩みを止めてちょこんと座るフラム先輩。

 もうぶっ飛ばすことは決定事項のようで、せめてもの情けとして言葉を残すことを勧めた。


 ゴクリ、と生唾を呑み込む音。

 背が小さい男は足元で迸るその気迫に身震いしながらも、なんとか言葉を絞り出した。


「そ、その、えっと……く、くく黒のブラジャーって、すごい興奮するでっす」


「死ィぃいいいねェぇええええぇえええェ――ッッ!!」


「どひゃぇええ~~っっ!?」


 いや馬鹿かよ。そこで煽ってどうすんだよ。

 土壇場の状況を前にしてテンパっていたのか、それとも元々痛い頭をしているのか定かではないが、背丈の低い男は爆発した火炎に吹き飛ばされ、最初に僕が吹っ飛ばした坊主頭の隣に頭から突っ込んだ。


 ピクピク、と壁から生えたおしりが痙攣している男を一瞥し、フラム先輩はもう一人の男に向き直る。恐ろしい。なんて恐ろしい子猫だろうか。


「…………」


 次、お前の番だとでも言いたげな視線で残った一人を見るフラム先輩。言葉を発しなかったのは、一種の予感があったのかもしれない。


 そしてひょろ長の男は足元から迫り上がる無言の圧力に耐えきれなくなったのか、目をぐるぐると回し、汗を大量に流しながら叫んだ。


「ぇ……あの、そ……ぱ、ぱぱぱパンツも黒だったら、すごい嬉しいでっす」


「ぶゥッッ殺ォおおぉおおぉぉおおおおすゥ――ッッ!!」


「んぎゃぇえええ~~っっ!?」


 いや馬鹿かよ。やっぱり馬鹿かよ。逆に凄いよ君達。

 その状況でさらに煽っていけるとかどれだけ図太い根性してるんだよ天才かよ。


 再びの爆発。物凄い熱波が伝わってくる。

 背丈の長い男も他二人と同じく壁に埋まった。三人のケツが壁から生えてるなんていう、通りすがった人が見たら悲鳴を上げて通報するレベルの光景がそこにはある。まぁ自業自得だから放っておくけど。


 かくして、柄の悪い冒険者三人の討伐は成されたのだった――


 地面に背中をつけながらその一部始終を見届けた僕は、手元を操作して兜を上向きにする。面甲(ベンテール)を開き、紫紺の瞳で建物に狭められた夜空を見上げた。

 

 フラム先輩が無事を喜び、エルウェが遅いじゃないのと唇を尖らせながらも、互いに讃え合う仲よさげな声を聞きながら。


 僕は静かに、目を閉じた――




 ****** ****** 




 荒くれ者達に襲われた少女を格好良く救い出した鎧の王子様とその従者(こねこ)

 語呂だけ見れば完璧だ。めでたしめでたし――と爽快な気分で終われればどれだけよかったか。


「小さな騎士さん……小さな騎士さん、ど、どこか……痛むの?」


「…………」


  重い鎧を引きずるようにして上体を起こし、ひび割れた壁に背中をつく。

 魚の骨を面甲(ベンテール)の隙間から生やし、茶色く変色したバナナの皮を被った兜を、僕はよろよろとした手つきで首の上にのせた。


 動く度に響く金属の擦過音が、その場に漂う寂寥感に拍車をかけていた。


「…………ふぅ――」


 深く、深く息をつく。


 そうだね。今の僕の状態は……『燃え尽きた』とでも表現すれば良いだろうか。

 絵に表すとするならば、今の僕はさぞかし灰のような白黒で塗られているだろう。無彩色の世界にどっぷりと浸かり、顔には縦の線が幾本も奔っているだろう。


 露骨に深く俯き、消沈した佇まいを晒す僕の前では、何やら事態を深刻に受け止めているらしいエルウェが目尻に涙を溜めながら自分を責めていた。


「ごめんねっ、まだ契約もしてないのに、命がけで私を守ってくれて……ありがとう。でも、全部全部、わたっ、私のせいね、本当にっ、ごめんなさいぃ……ッ」


「…………」


 正直わからない。どうして『今にも息を引き取る寸前の眷属と嘆き悲しむ魔物使い』のような系図になっているのか、こんなに重たい空気が流れているのか、全く以て判然としない。え、なんかごめん。


 ああそうか。僕がギギギ……と効果音がつきそうな動きで壁にもたれかかり、厳かな面持ちで天を仰いでいるからだろうか? 知らぬ所ではあるけれど、鎧の魔物が死ぬ時ってそんな感じなのかな。


 ……少しだけ罪悪感はあるが、放っておこう。


 常の僕であれば感謝するエルウェに無理なお礼をせびって、あんなことやこんなことをするのだけれど。ていうかフラム先輩絶対わかってやってるだろ、今の状況を面白がってるだろ。真面目な顔してるけど髭がピクピク動いてるぞ。


 もちろん疲労や痛みがあるのは本当だ。

 出し抜けすぎてスキル『硬化』を使う暇がなかったため、いくら鋼鉄のような材質の鎧といえど人間の頭蓋と衝突すれば痛みは奔る。ビリビリと震える籠手が、今でもその威力と衝撃を物語っていた。


 だけど、今の僕はそれどころじゃない。

 そう、正真正銘『燃え尽きて』いるのだ。


 その理由は、今より少し前――キャプテンと呼ばれていた頬に入れ墨をした坊主頭をぶっ飛ばすシーンまで遡らなければならない。


 それは偶然だった。


 たまたま、腰に佩く短剣を抜く余裕がなかった。


 思いがけず、咄嗟に武器になりそうな物として閃いのが、僕の(あたま)だった。


 折好(おりよ)く、的の姿を捉えていなければ直撃させることができないからと、振り抜かれる僕の顔は正面をむいてた。


 折悪しく、フラム先輩の悪魔の如く咆哮に戦いた坊主頭の男は上を向いて硬直していた。


 そう。それら一連の流れの全ては、偶然だった。

 そして、僕と坊主頭の男はそのまま――


「…………」


「……小さな、騎士さん……?」


 心配げな表情で覗き込んでくるエルウェ。

 やっぱりべらぼうに可愛い少女だなぁ、と僕は内心微笑んだ。


 嗚呼――と、忘却の彼方へ消し去りたいその光景を、思い出す。



『てっ、てめぇ何言ってんぶちゅぅあぁああぁあああぁ――ッッ!?』



 ここで注目して欲しいのは『ぶちゅぅ』である。

 

 え、何の音? いやに生々しいこれは何の音? ぼく、わかんない。










「――僕のファーストキッスがぁぁああぁぁあぁああぁぁあああああぁぁぁあぁあぁぁぁぁぁああああああああぁぁあぁぁぁあああぁぁああッッ!?」


「ひゃっ!? ち、ちちち小さな騎士さん!? ファースト、何ですってっ? や、やっぱりどこか痛むのね!?」


 おもむろにジタバタと床を転げ回る僕。その姿は大きさも相俟って癇癪を起こした子供のようだ。ガシャンガシャンという音が耳障り、近所迷惑も甚だしいけど。


 しかしというか、やはりというか、とにかくエルウェの眼には藻掻き苦しむ眷属の姿に映ってしまったようでオロオロとしている。


「死にたい、切実に死にたいっ! もうやだぁ死にたいよぉぉおおぉおおお!?」


 僕はそんな少女の様子に構わず、接触したであろう面甲(ベンテール)を石畳に押しつけて削る削る削る。


 最悪だ。最悪すぎる。最悪なんて言葉で終わらせていいもんじゃない。

 そう、その音の正体は。ぶちゅうっと怖気が奔りそうな生々しい音の正体は。


 ――僕の面甲(ベンテール)と坊主頭の男の肉厚な唇が正面衝突した音だ。


 ええ、そうです。それは紛うことなき――接吻。


 人間という愛を育む種族が、親愛の印として交わす神聖なる儀式だ。

 なのに、それを、それを、それをそれをそれをぉぉおぉ……ッ!!


 もうだめ。ほんとにダメ。ショックすぎて生きていけない。

 死にたい。本心から死にたい。誰か僕を殺してくれ。男に穢された僕を今すぐ殺してくれ。例えその愛の接触の後、ベキバキッという悍ましい破壊音とともに顔面を粉砕したのだとしても、キスした事実は拭えない。


「ぁぁあぁああぁあああぁぁぁぁぁあっあっあっぁぁあっあ――」


「でもそれだけ動けるなら間に合うかも、急いでギルドに行けば――って小さな騎士さん!? 死んっ――!? フラム、急いでギルドまで運ぶわよ!」


「――あぁぁ……ぁ…………」


 哀れな鎧の暴れっぷりを見て若干希望が差し込んだような表情をしたエルウェだったが、次には完全に燃え尽きて機能停止した僕を見て慌て出す。


 初めてのキスはいちご味だとか、世界がバラ色に染まるだとか夢見てた。

 もうね、フラム先輩もエルウェも、何もかもが褪せて見えるよ。酷い口臭と煙草の臭いが面甲(くちびる)にこびりついて離れないよ。これ何味だよ、臭い味だよ。ああ、死にたい。


「こんなの、こんなのっ……一生忘れられるわけないよぉおぉ……ガクッ」


 あまりの運命の理不尽さに、完全に脱力して何も考えられない僕。

 尻尾がしゅるるっと胴体に巻き付く感覚に、「なに笑ってるの、早く!!」という眷属を急かす声が聞こえた気がした。


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