第8話:さぁ、序章を始めよう
「なァっはっはっはっはっはっはっはっはァ――ッ!!」
少女の高笑いが路地裏に響く。
日はすっかり暮れ切ってしまい、薄赤の結晶中で揺らめく炎だけが唯一の光源。発せられる仄明かりは蝋燭より小さくとも、路地裏の地面と壁を埋め尽くす程の量の結晶が集まれば補って余りある。
「はっはっはっはァ――ぁむっ、むしゃがぶっあむあむあむあむ……ゴクンッ! ――なァっはっはっはっはっはっはァ――ッ!!」
赤く照らされてなお艶やかな褐色肌の少女は、両手に持った骨付き肉と羊の腸に肉を詰めた棒を挟んだパンを貪る。交互にかぶり付きハムスターの如く頬を膨らませながらその全てを口に含めると、リスが木の実を囓るように高速で咀嚼を開始。
そしてゴクンと呑み込めば謎の高笑いを再開し、その間に彼女の周囲を埋め尽くす食料の中から新しい食べ物――今度は細く刻んだジャガイモを揚げたものと、よくわからない大きな虫を炒めたもの――を手に取り、またまた勢いよくしゃぶりつく。
虫はちょっとした出来心で混ぜてみたのに……。
食べ終わればやはり高笑いだ。心の底から意味不明な少女である。
「……なんだこの娘はァ……」
「我慢、突っ込むのはまだ我慢だよフラム先輩。今はこの子を見守ろうじゃないか……」
ここしばらくはその繰り返しで、僕とフラム先輩は呆れた表情で見守っていた。フラム先輩はエルウェの元へ急ぎたい気持ちもあるのか、額に青筋を浮かべているけど、へい、ステイステイ、落ち着いて。
まぁね、こうなったのには理由がある。
全てはそう、倒れていた少女がぼそぼそっと発した言葉が発端で。
『ぉ、ぉ、ぉおおお腹がすいたぁ……死ぬぅ、死んじゃうのだぁ……』
なんて言うものだから、素直に食料を買ってきてやったのだ。
おかげさまで財布の中身は空っぽだよ、こんちくしょうめ。まぁフラム先輩の金だから実際は全然気にしてないんだけどね。僕からしたら眷属が金持ってること自体不思議なんだけどね。エルウェは優しいなぁ。
ここで明言しておきたいのは、胸を揉んでいた事実を誤魔化そうとして餌付けしている訳じゃないって事。あれは触診、異常を察知するために必要不可欠な触診だったのだ。はい、健康そうで何よりですね。
『……相変わらずよの、こやつは……』
(やっぱり何か知ってるんじゃん。教えてよ、シェルちゃん)
『嫌じゃ。確かに知っておるが、我はこやつが嫌いなのじゃ。助けられたのじゃから、じきに名乗るであろ』
(そこを何とかさぁ~)
僕がシェルちゃんと不毛な言い争いをしていると、一際大きな「ゴクンッ!」が聞こえたため、視線を少女へ戻す。すると褐色の少女は満腹になったのか腹を擦りながら立ち上がり、そのダイアの形をした瞳孔で体育座りする僕と毛繕いするフラム先輩を映した。
そして彼女はバッと腰に手を置き、足を開き、仁王立ちのような格好で言う。
「す――っごい助かったのだ! 持たされたお金は落とすし、道に迷うし、目的は達せないし、挙げ句お腹が空きすぎて死ぬところだったのだ! もういや帰る!! でもその前に、礼を言うのだ! 助かったのだありがとぅーっ!!」
「み、耳がいてェ……なんちゅー大声出すんだこの小娘ェ……」
「うんうん、元気だね。すごく元気だね」
フラム先輩は顔をしかめて耳を塞ぎ、僕は塞ぐ耳もないので穏やかに頷いておいた。うるさいね。すごくうるさいね。耳はないけど、耳らしき場所がキーンってするよ。
続いて少女は僕とフラム先輩を観察し、軽く目を瞠る。
「む、むむむ……恩人の顔を覚えようと思ったのだが、これまた珍らかな種族! こんな所で何をしているのだ? 悪事もほどほどにするのだぞ!!」
「っ…………」
あ、わかっちゃう? わかっちゃうかぁ、はは、参ったなぁ。
よしいいだろう、珍しい種族なのは認めようじゃないか。僕はこれで放浪の鎧の新種だのだ。皆驚くよね、そうだよね。僕も鼻が高いぜ。ばれたら有名人ってやつ? 新種万歳。
でも、悪事? と首を傾げた所で、僕はハッと息を呑む。
――まさか。
(おっぱいを揉んだことがばれているだとぉぉぉお!? いやバレバレだったのは認めるけど、あれだけ餌付けしたのに指摘してくるなんてぇ! そこは水に流そうよぉ!? ごめんなさい悪気はなかったんですほんとすみません通報しないで)
内心吹き荒ぶ半狂乱の思考とは裏腹に、ス、と自然な――精錬されたとも言う――流れで土下座のポーズをとる僕。通報されたら一巻の終わりだ。契約さえしていないただの魔物に情状酌量の余地などないのだから。
まぁ釈明の場を与えられたところで、「ぼ、ぼぼ僕っ、むね、む、むむむ胸なんか揉んでませんよぉっ!?」としか言えず即刻死刑だとは思うけどね。
大体濡れ衣を着せられたわけじゃなくて、罪人紛いのことをしでかしているのは事実なので言い訳のしようがない。罪を認める気もないけどな!
内心ビクビクとしながら頭を地面に擦りつける僕。
ところが少女は不思議そうな顔をした後、にかっと太陽のような笑みを浮かべた。褐色ゆえに綺麗な白い歯が目を引く。どこか懐かしいと思ってしまうのは気のせいだろうか。
「でもボクを助けてくれたのだから、いつか仮は返すのだ! ――【十二天】が一人、【風天】のオラージュ・ヴァーユの名においてっ!!」
――待て。
――今、なんて言った。
僕は一瞬、言葉を失った。
理解が及ばない。その単語がなかなか脳に定着しない。
今、なんと。この少女はなんと言った。思い出せ。噛みしめろ。
「――【十二天】?」
そして、その言葉へと触れた瞬間。
「――ぅあぁあぁあっ!?」
「っ!? どうしたァ新入りィ!?」
突風が吹いて、僕は腰が砕けたように膝から崩れ落ちた。
フラム先輩が驚愕を顔に貼り付けて直ぐに僕を支えてくれるが、何も物理的な風がぶち当たったわけじゃない。外面的なダメージはゼロだ。
言うなればそれは、『情報の嵐』。
秘宝の眠る宝箱が開くように、大切な何かを封印した扉が開かれるように。
圧倒的な威力をもって、精神的に殴りつけてきた。
「――思い、出した」
『其方、大丈夫かえ!? ……何を、思い出したのじゃ?』
シェルちゃんが憂慮の滲んだ声を出す。
(いや、そんなたいしたことじゃないよ、大丈夫。【十二天】――世界最強の十二人についてと、その中でもこの少女――【風天】について、かな」
思い出されたのは、『世界の覇者』たる十二人に与えられる称号――【十二天】。
やはりその誰とも関わっていたという記憶はないし、どんな人物がその座についているのかも思い出したわけじゃない。ただ、そういう覇者たる存在がいる、という事実を認識できただけ。
そして……十二人のうち、二人の情報が僕の中に流れ込んできた。
一人はこの少女【風天】のオラージュ・ヴァーユ。そしてもう一人は――、
『なぬ、其方はそんなことも知らなかったのかえ? そんなもの、有名どころか世界共通認識じゃ。アルバの石碑にだって刻まれておるであろ……』
(僕だってわかんないよ……ほんとに、なんで忘れてたのか……っていうかシェルちゃん黙ってたな!? シェルちゃんも【十二天】の――)
問い詰めようとしていたところで、褐色少女――オラージュ・ヴァーユが遮るように持ち前の大声を発した。同時に風の魔力が爆発する。
「大丈夫であるか!? よくわからないのだが、まぁそういうわけなのだ! 恩返しを期待してるといいのだ! では、ボクはこれでお邪魔させてもらうのだ! さらばなのだばいばぃ――ッ!!」
そして石畳を砕き、完全な闇に包まれつつある夜空へと跳躍して消えた。常軌を逸した身のこなしにフラム先輩が絶句する雰囲気が伝わってくる。
そんなこんなで、嵐のように去って行ったオラージュ。流石【風天】。彼女は常に追い風に吹かれているのだろうね。本当に元気なことだ。
「立てるかァ?」
「ああ、ありがとフラム先輩」
背中で支えてくれていたフラム先輩に下から押され、どうにか立ち上がる。
もう一度星の瞬く夜空を仰いだ時にはもう、彼女の姿はないのだった。
僕とフラム先輩はなんとも言えない感情を共有しながら歩き出す。
「なんて言うか、ものすごい衝撃的な出会いだったね……」
「…………あァ、そうだなァ」
雪雲の晴れた夜空では、綺麗な満月が僕たちを照らしていた。
小さな鎧と子猫の影を、地面に映して――
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放浪の鎧という魔物は、覚束ない足取りで彷徨うしか能のない魔物だ。
手足をばたつかせて早歩きじみた真似は可能だけれど、『やばいヤツやんこいつ』と見る者に思われるだけ。綺麗なフォームで『ああ、走ってるなこいつ』と思わせるような動きは出来ないのだ。
それはシェルちゃんの莫大な魔力を受けて半ば強制的な進化を経た僕に、新種の『流浪の白鎧』となった僕に、『走る』という行為に対して苦手意識を持たせる要因となっている。
偶に大通りを横切り街の人間を脅かせながら、路地裏をバタバタと不格好な姿で駆ける。
結晶の明かりが道を照らしているため、夜眼を持っていない僕でも特別問題はなかった。けども……
「ひぃぃいい待って、待ってよフラム先輩――っ!! 僕をおいて行かないでぇー!?」
僕の倍はあろうかという速度で先を行くフラム先輩。
このままでは見失ってしまい、再びの迷子――じゃなかった、街を放浪することになってしまうと、僕は情けない悲鳴を上げていた。
「くそっ、これはまずいなァ、もっと急ぐぞ新入りィ……ッ! 本気を出せ、お前を置いていったら本末転倒なんだよォ!!」
「ひぇぇえだからこれが全力なんだよぉー! 」
くそぉ、サイクロプスに追われてたときは火事場の馬鹿力でも発動してたのか、もっと速く走れていたような気はするんだけどなぁ。
なんて言い訳をしている間に、先端が尖っているはずの結晶の上を絶妙な足裁きで踏み込み、ぴょんぴょんと身軽に超えていくフラム先輩。格好いいですぅ。
「ったく仕方ねぇなァ、マジで時間がなィ。無駄に疲れるから嫌だがァ――本気を出す、オレの尻尾につかまれェ」
と、見かねたフラム先輩が僕の元まで引き返しお尻を向けたかと思うと、先端に小さな紅炎の灯った尻尾をふりふりとさせながらそんなことを言った。
出し抜けすぎて「ふぇ?」と間抜けな声を零した僕に一つ舌打ち、フラム先輩は尻尾――ある程度は伸縮自在らしい――で僕の胴体をぐるぐる巻きにすると、「飛ぶぞ」とだけ告げて勢いよく石畳を蹴り砕く。
「――ぅぅううううああああああああああッッ!?」
瞬間、視界一杯に闇が広がった。
上ではあまねく星々が燐光を散らし、満月から奔る月明かりを遮る僕たちの影が落ちる地上では、仕事から解放されて血気盛んな人々の行き交う街明かりが見える。
――つまり、僕は空を飛んでいた。
「幸を呼ぶ幻獣の固有スキル――『火渡り』。どうだァ新入りィ、ヒースヴァルムの夜景は綺麗だろォ!?」
「はぃぃい滝から落ちた時を思い出しますぅぅぅううっ!?」
正確には飛行船のように浮いているわけでも、ドラゴンのように魔力を纏った翼で飛翔しているわけでもなく、『空を蹴っている』。
フラム先輩の愛らしいほど小さな猫足四足の先端には炎が灯り、原理なんかこれっぽっちもわかんないけどとにかく空を蹴って空中を移動していた。
確かに夜景は綺麗だ。日が落ちて静まり返る訳ではなく、逆に火を掲げた人々は日中よりも活発になっている気さえする。海底に散る宝石のような光景だ。
でも正直、僕は先日滝から落ちた光景が蘇って来て、楽しめそうになかった。
「…………どうしてわかるの?」
それから少しして、どうにか落ち着き夜景を楽しむ余裕の出てきた僕は先輩に問うてみる。フラム先輩は立て続けに空を蹴りつつ、ちゃんと答えてくれた。やっぱり良い先輩だ。
「魔物使いと契約を結んだ眷属ってのはァ、絆が深まると主との念話が可能になるんだァ。オレの背中に『契約の刻印』があるだろォ? 流石に距離が離れると無理だがァ、ここから主との間に見えない魔素の紡糸が繋がってるんだァ」
魔素の紡糸――シェルちゃんを固有スキル『鎧の中は異次元』で収納した時の光景を思い出した。あれは魔力消費は少ない分、ある程度の技術が必要だったわけだが、魔物使いと眷属との間にはそれと似たような繋がりがあるらしい。
「そういうことかぁ。それならエルウェと離れててもある程度は安心だね。それで……我らがご主人様は何て?」
フラム先輩は一度深々と溜息をついてから、面倒くさそうに答えた。
「お前を見つけたときに、北門近くの噴水広場で待ち合わせって連絡を入れておいたんだがなァ……ついさっきの念話でだ、『変な男に絡まれてるから早く戻って来なさい、こいつらの眼は小さな騎士さんと同じ、いやそれ以上の変態の目よ』――だとよォ」
「それは心外。随分な第一印象をご主人様の脳裏にこびりつけてしまったようだ」
くっそー、失敗だった。美少女に最悪な印象を抱かれている模様。
まぁ無理して猫被るよりマシだと思うけどね。僕が人間の美少女好きだってどのみち気づかれることなんだ。遅いか速いかの違いである。気にしたら負け。
「そらァあんなこと言やァな。自業自得――っと、ヤバイなァ、野蛮な男共が強硬手段に出たらしィ。今まさに、路地裏に連れ込まれそうだとよォ。『速く助けなさい』ってんだァ、急ぐぜェ、っとォッ!!」
「うひゃん!!」
足に灯る火炎が勢いを増し、フラム先輩はさらに加速する。
夜空を駆け抜ける紅い軌跡は、地上から見る者からすれば流星のように見えているんじゃないだろうか。
僕は強烈な風圧に吹っ飛びかけた兜を両手で掴んで、奇怪な声を上げつつも耐え忍ぶ。
しかしながら、考え方によって、これはチャンスでもある。
エルウェに根付いてしまった僕の最悪な印象を一夜にして覆すことができる、最大の機会。これを逃したら次はないぞ!
これこそ夢にまで見た王道的展開。
誰もが一撃でときめくような格好良い登場を果たし、悪役たる男共の股間を潰しまくってイカした台詞を呟き、可愛い姫様との物語を始める序章となる――実にいい。心躍る。これぞ『人外×少女』! 最高だ!
――待ってろよ、エルウェ。
今、僕が――未来の王子様が迎えに行くからね!!
「もっと飛ばすぞォ!!」
「うひゃぁぁああんっっ!!」




