第7話:龍皇国ヒースヴァルムに斃れる褐色娘
行き交う人々から浴びせられる好奇の視線の一切を無視して、僕は呟いた。
「――ここが《龍皇国ヒースヴァルム》かぁ」
その国を一言で表するならば――『自然と結晶の国』。
人々の営みを支えるのは高層の煉瓦造りの町並み。色合いは赤系統が殆どを占めているだろうか。粉雪の舞う赤い街は、訪れた者になんともいえない感慨を与えてくれる。
《荒魔の樹海》に近いせいか茶や緑の色彩も多く見られ、背丈の高い木々や冬に咲く薄い色素の花々が所々に散っているのがわかる。近くの公園らしき敷地の凍った池で遊んでいた子供が滑って転んだ。親が来てよしよしと慰めている。
それだけでも人情溢れた自然豊かな美しい街なのだが、そういったものの間隙や建物、街路、木の根などには、氷のような薄い赤色の『結晶』が根付いている。それがこの国の大きな特徴でもある。
この街の結晶化とも言える現象は、都市の中心、鈍色の空へと届きそうな程高く聳える塔の麓に居座る【炎龍王フレアヴァルム】の莫大な魔力が及ぼした影響だと考えられている。
今思えば、僕が生まれたであろう《金龍の迷宮》の洞窟内も、ドラゴンの牙の如く結晶が生え揃っていた。それは最奥で眠るシェルちゃんの魔力の影響だったわけだ。
その時の結晶は淡青だったのだけど、この街の結晶は仄かに紅く、内部に炎の揺らめきを感じる。これに関しては【炎龍王】ゆえに、だろうね。
塔の近くは魔力濃度と相応に、結晶の規模がでかい。塔すら突き立つ結晶の一部のような気さえする。そこらの建物の数倍はありそうだ。
その時、空を震わせるような騒音が一段と大きく響く。
そこで僕は、空を仰いだ。
「何……アレ」
小さな蝶を象った魔素が二、三匹群れて視界を過った、その奥。
都市の上空を飛んでいる正体不明の船を指さし、僕は呆然と呟いた。
「シェルちゃん。アレ何? 何かの決戦兵器? もしかして龍に叛逆でもする気なのこの国の皆さんは? やっちゃう? やっちゃうの?」
『いやいや落ち着け其方、やっちゃわないわ……多分。しかしまぁ、我も驚いておる……なにせ三百年眠り続けていたのでなぁ、文明が進んだ、としか言えぬのじゃ』
僕の動揺した問いに、シェルちゃんもお手上げらしい。
人情的に眠り姫なら許せるが、眠りドラゴンは許せない。可愛げの欠片もない。誰得だよ。逆にドラゴンなんか目を覚まして欲しくないって皆思ってるわ。
「マジで使えないなシェルちゃん」
『其方も知らぬのだからおあいこであろ!? ていうよりなんで前世の知識を引き継いでおる其方が知らぬのじゃ! そっちの方が使えないであろ! ばーかばーかっ!』
「なんかシェルちゃんさ、最近僕に似てきたんじゃない……」
なんて思ったのは置いておいて、それにしても、だ。
やっぱり何だ、あの船。知らない、知ってるもんかよ。
翼もないのに、いやめっちゃ小さいのが生えてるけどさ、あんな翼でどうやって空飛んでるんだ? もしや重力魔法の類い? いやいやいくらなんでもあんなに巨大な物を常時浮かせるなんて魔力がいくらあっても足りないよな。
じゃあ何だ、魔導具か? ええ……あんなのごっつい空飛ぶ船なんて知らないけどなぁ。迷宮に眠る『遺物』なら可能性もあるけど、それが目に見える範囲で四機も飛んでるわけだし……いや何あれ?
僕の知識にはなかった船――幌馬車の幌を人が入れる隙間もなく閉ざし楕円形に固め、その下端部に長方形の厳つい機械を取り付け、最後に申し訳程度に鳥の翼をもした鉄やら木材やらを取り付けたような感じ――に対する憶測が脳内で交錯する。
うん。よくわからないが、考えれば考えるだけ夢でも見てるのだろうかと目を擦りたくなるが、とにかく『神域武装』級の武装なのは確かだ、とシェルちゃんとの議論の末に結論づけたところで、もう一度呟いておく。
「――ここ、本当に《龍皇国ヒースヴァルム》?」
うーん。僕の記憶との差異は些細な物なんだけど、違和感が拭えないんだよね。
空飛ぶ船もそうだが、なんていうか全体的に機械仕掛けが増え、雑多になった印象がある。シェルちゃんは「文明が進んだ」と表したわけだが、それがまさしく的を射ているのではないかと思わせる光景だった。
「パンツが主食の新入りよォ、主が呼んでるぜェ。今から冒険者ギルドに報告を兼ねた挨拶に行くらしィ」
と、そこへトコトコと四足歩行の子猫がやってくる。
細かくカットされて遠目では半球に見える額の紅宝石の輝きは、轟々と燃える大火の揺らめき。そこらで中身がちらちら燃えているような薄赤の結晶より断然綺麗だ。
「あ、フラム先輩。探したよー。ていうか何、その呼び方? 僕が変質者みたいに思われるからやめてよねぇ、酷いなぁもう」
「あれ、お前変質者じゃなかったのかァ?」
傷つくことを言う先輩猫だ。否定はしないけどね。
いやしかし、何度見ても額の宝石は色、透明度、形、重さといい完璧な4Cが揃っている。引っこ抜いたら実に高値で売れそうである。
とはいったものの、専門の機関で鑑別してみれば恐らく純粋な宝石の『ルビー』とは違う不可思議な材質と判断されるのだろうなぁ。魔物ってそういうものだし。
価値の程はわからないけど、まぁ幸を呼ぶ幻獣の持つ宝石だと言えば値段が跳ね上がることはわかりきってる。彼の魔物の存在自体が太鼓判のようなものだし。
僕は邪なことを考えながら、座っていたベンチから身軽に飛び降りた。
こういう物に座ると脚が届かなくてぶらぶらなるため、自分が子供みたいな大きさになったのだと実感させられる。あと地面に立てば何もかもがでかい。
「あと探してたのはこっちだァ、早く行くぞ、新入りィ。主、帰ってきたらどこにもいないってお冠だったぜェ」
フラム先輩が呆れたようにそう言うが、こう、沸々と湧き上がる欲求が抑えられなかったのだから仕方ない。じっとしてられない性質なんだよ。
草原から街に辿り着き、城壁に取り付けられた巨大な門のすぐ側、詰め所みたいなところで話をしてくると言ったきり籠もってしまったエルウェが悪い。僕を放置した彼女が悪い。僕は悪くない。そういうこと。
一度門衛をしていたオジサンに不躾な視線でじろじろと全身を舐め回された後、エルウェに大人しく待っててと言われたような気もするけど、暇だったし街の変わりようが物珍しくて、ついね。
街の観光をした挙げ句、途中で飽きてベンチに行儀良く座り休憩していた僕。決して迷ったわけじゃないよほんとだよ。
因みに、今僕の背中には門衛に貼られたでかい白紙が貼られている。そこには『エルウェの眷属』と大書されていて、これが僕が町中でぶらぶらしててもひっ捕まらなかった理由。
「すっごい暇だったんだもん。僕は基本的に欲求に抗えないのさ。それで、何の話してたの?」
「よく言うぜェ。ん、『本契約』を済ませていない眷属候補の魔物を街に入れるための、ややこしい手続きだァ」
なるほど確かに、そういうところはしっかりしないと問題が発生した時に面倒くさいからなぁ。偉い偉い。
因みにここに来るまでに打ち解けた僕は、フラム先輩から敬語じゃなくていいという許可をもらった為ため口だ。名前に『先輩』をつけるのは、僕なりの最低限の礼儀ってヤツかな。
「なーるほどなるほど。えー、それならフラム先輩が僕と遊んでくれれば良かったのに。さびしかったんだぜー」
ルイもいなくなってしまったし、ね。
「うるせェうるせェ、ひっついてくんなァ。オレは基本、主の側を離れたくないンだよ。眷属のいない魔物使いほど弱っちいものはいないからなァ。主は見目がいいしィ……わかるだろォ?」
ぼくがひしりと抱きついて見せると、本当に気持ち悪そうな顔をして身を震わせるため離れてあげた。別にそんなの友情のキャッチボールみたいなものであって、一々傷ついたりはしないよ。冗談だってわかってるから。……冗談だよね?
「それは禿同禿同。おっきいし可愛いしおっきし……あれ? 今は離れてるじゃん。エルウェ大丈夫なの?」
大事なことなのでエトセトラ。僕って紳士だから何がおっきいとは明言しないさ。
すると早歩きになったフラム先輩は、後ろに回った僕を振り返ることなく言う。
「だから早く帰るぞって言ってんだよォ。魔物のお前がいなくなって問題を起こしたらたヤバイって焦ってたからなァ、主の命令で二手に分かれて探してたんだァ。オレは大して心配はしてなかったがなァ」
おーそれは申し訳ないことをしたなぁ、なんて思ったりしないけどさ。早く帰った方が良いのは確かだ。僕としてもこれからご主様になるエルウェが他人に穢されるなんてたまったものじゃない。彼女は僕のものだ。
『其方、其方。あの空飛ぶ船のこと、そのカーバンクルに聞いてみるのがいいんじゃないかえ?』
あ、そうだった。ナイスシェルちゃん。
「急ぐのはわかったけどさ、フラム先輩。あの空飛ぶ船って、何? 魔法? 魔導具? 遺物? もしかして宝具? どういう原理なの?」
「あァ、あれかァ? あれは『飛行船』――そんなけったいな物じゃねェよ。ただの機械……人間が研鑽し突き詰めた、技術の賜だぜェ」
「…………まじかぁ」
『…………まじかぁ』
「仕組みは整備士でもないとわからないがァ、魔力で魔法を発動させてるんじゃなくてだなァ、魔力をガスに変換させて浮揚することで飛んでるらしィ。それであんな不細工ななりになったんだとよォ」
「…………まじかぁ」
『…………まじかぁ』
素で驚いた。シェルちゃんとハモりながら呆けた。
どうやらあの空飛ぶ船は『飛行船』といって、魔力をガスに変換して幌のような楕円の袋に注ぎ、生じる浮力で浮かんでいるらしい。すごいな、ガスに変換する魔導具もだけど、その発想自体が驚異的だ。じゃああれか、楕円の下についてるちっさい箱に人間が乗ってる訳か。すげぇ。
「最近の若者はすごいなぁ……」
『空はドラゴン族貸し切りの庭じゃったのに……』
「あァ、何言ってんだお前ェ?」
なんだか、しみじみとそう呟きたくなった。
シェルちゃんの言いたいこともわかる。空飛ぶ魔物の中で最も強者たるドラゴンからしてみれば、同じ空に浮かぶ巨大な兵器は脅威なのだろうね。振り返るフラム先輩の怪訝な顔にはポーカーフェイスで対処。
それからも適当な雑談をしながら、気持ち早歩き程度の速度で歩いて行く。
子猫と小さな鎧が並んで歩きながら駄弁るという、端から見れば物凄いシュールな光景になっているが、フラム先輩は気にした様子もないので僕も気にしないでおこう。
親と手を繋いだ小さな女の子がこちらを指さした。
「見たらダメよ」とか言わないでお母さん。
鼻水を垂らした男の子が同じスピードで側を歩き、煩わしいから無視していたら僕の兜に鼻水をべっちょりつけて「うぇ~い」とか言って走り去った。
どこかで遊んでいたのか、僕の頭より大きなボールが後頭部に直撃した。僕は前のめりに倒れ、兜がコロコロコロ……と転がったのがボールに見えたのか、そのまましばらく子供達の蹴り玉にされていた。
……………………あは、この国滅ぼそうかな?
****** ******
次第に日が暮れ始め、時は逢魔が時。
空を覆っていた雪雲は薄べったくなり、その間隙からは橙色に染まる空が垣間見える。都市全体が薄暗いオレンジに塗られ始め、多くの人々が帰宅ラッシュを迎えていた。
あまりにも子供達の悪戯が激しいため、僕とフラム先輩は途中からまともな道を通ることをやめて、大通りを避けて裏道へ。
それはさらに時間を喰うことになるわけだが、絡みに絡まれて一向に進めないよりはマシだろう。子供達をぶっ飛ばして良いなら話は別なのだが、僕は魔物とはいえ『善性』で通ってるわけでそんなことはしたくない。
まぁいくらドラゴンと盟約を結んでるこの国でも、魔物が悪事を働けば即処刑だろうしなぁ。ちゃんとした手順を踏めば受け入れてもらえるだけであって、なんでもして良いわけじゃないのだ。
そして僕はけっこう遠くまで一人歩きをしていたみたいで、まだエルウェの元に帰り着いていない。フラム先輩が身体に巻いていたポーチに金銭が入ってたから主様のご機嫌取り用の土産を買ったことはしっかりと棚に上げ、急ぎたい所ではあるんだけど――、
「……コイツってさぁ?」
「……なんだ新入りィ。知り合いかァ?」
なんとまぁ、薄暗い路地裏で苦しそうに倒れている少女を見つけてしまった。
瑞々しい褐色の肌。額より伸びし捻れた角。身につけているのは簡素だが異様な雰囲気を発する、身の丈に合っていないぶかぶかの衣服。背丈より長い桃色の髪が地面に散らばっていた。
「――……ぅ、あぅ、ぁ…………エッはぁア!? ……ぇう……」
その苦しげな少女はお腹を押さえて蹲り、偶に猛烈に咳き込む。路地裏にも例外なく聳えている薄赤の結晶群に、その身をもたれかけている格好だ。だけど、
……なんだ?
僕は彼女を知っているはずはない。事実として、僕の知識の中にこの少女の情報はない。
だけどなんだろうか、この違和感は? 郷愁とも表せる複雑な感情は?
まるで、シェルちゃんに会った時と同じ――そう思い至ったところで、頭が割れるような激痛が走り抜けた。硝子が割れるような音が僕の意識を砕き、揺らす。
「っ……、どうしたァ、具合でも悪いのか新入りィ?」
思わずふらついた。
横から支えてくれたフラム先輩の心配をよそに、しかし僕は確信を得た。
そうだ、シェルちゃんの時もそうだったのだ。
彼女に遭遇した当初は『黄金の龍』なんて知らないつもりだった。かの世界的に有名な【金龍皇シエルリヒト】を目の前で見ているのに、それを文字もしくは音として取り入れるまで思い出せなかった――それこそ、外部から手が加えられているのではないかと疑うほどに。
もしかしたら僕は、前世で何か大きな事件に――だとしたら、今の僕にはこの少女の情報が必要になってくるな。
「だ、大丈夫だよ、フラム先輩……それより、倒れてる人をほっとくことなんかできないよ。助けないと……」
「……お前、そんなキャラだったかァ? 何か悪い物でも喰ったのかァ」
うるさい。僕だって柄じゃないことをしてる自覚はあるんだ。
でも、今はこの少女から得られる情報を優先したい。本能がそう言っている。
不審がるフラム先輩に「美少女限定で僕は紳士になるのさ」と半分本音の誤魔化しをしてから、少女に近寄り状態を確認した。
「……なんか手つきが卑猥だぞォ、新入りィ」
もちろん美少女の肌をしっかりと堪能することも忘れない。柔い、柔いぞぉ。
『こやつは……』
と、遅まきにこちらの状況を確認したのか、シェルちゃんが呆気にとられたような声を出した。
(何、シェルちゃんこの子のことしってるの?)
『【風天】の……いや、何でもないのじゃ。そんな生意気でいけずうずうしい小娘など、我はしらんのじゃ。我は【金龍皇シエルリヒト】、そんな力しか取り柄のない矮小な馬鹿娘などいちいち覚えてないのじゃ。だいたい――』
最初の方は小声で聞こえなかったけど、ぶつぶつと何か言い始める。
うん、明らかに知ってそうな感じである。でもこの恨みがましい様子を見るに、こちらの話を聞いてくれるようになるまで時間がかかるとみた。よって触診優先。もみもみ。
でも見た感じだと外傷なんかはないんだけどなぁ。となると、僕じゃないけど何か悪い物でも食べたとか? それか病気を患って? 怪しい匂いがするなぁ~。
「――……ふぇ?」
と、その時。
少女が瞳を開け、ひし形の瞳孔を覗かせた。
視線と視線が交錯する。僕はくんかくんかと匂いを嗅ぎながら、ちょうど胸にあたる部分を触診していたため、ちょっと気まずい。
やぁおはよう、元気? 柔らかいね?
互いに硬直したまましばし沈黙がおり、数度瞬きをした少女が掠れた声で「――――」と言った。
至近距離からしっかりと彼女の言葉を聞き取った僕は、一つ頷いて背後で毛繕いをしていたフラム先輩に告げる。微笑んだせいか、面甲がガチャコンッと開いた。
「ご飯――買いに行きましょっか」
その時、フラム先輩がかつてないほどに嫌そうな顔をしたのは、僕の記憶に深く刻まれた良い思い出です。




