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第3話:あ、どうも、お邪魔しますトレントさん


 ザク、ザク、ザク――


「ふぁ、ふぁ、ふぁっ、ぶぁッはァいんなァッ!! ……ずず……うーん……寒い。ルイ、こっちおいで」


 金属製の両腕を抱き、擦って見るも嫌な音がするだけで暖かくもない。

 そこで後方からついてきているルイに向かって両手を広げて見せるも、


「…………(ぷるぷるぷる)」


 僕と同じように立ち止まり、一定の間隔以上は近づいてこないような有様である。わお、すごい嫌われようだ。

 僕が手を広げた格好のまま黙っていると、例の如くシェルちゃんが翻訳。


『其方、絶対くしゃみが変なのじゃ……いや、近づかないでとルイは言っておるのじゃ』


 うん。だろうね。さすがにやりすぎたかもしれない。

 シェルちゃん相手ならまだしも、ルイは泣き虫のびびり屋なのだった。可哀想なことをした……と思わなくもない。ごめんなさい。


「まだいじけてるのか……ごめんって。それにあれは偽物だったんだから仕方ないだろー?」


『それにしても酷かったと思うのじゃ……其方はもっとルイに優しくすべきであろ。もちろん我に対しても』


 シェルちゃんの言葉を肯定するように、ルイはひしひしと近づきたくないオーラを放っている。これじゃこっちからは近づけそうもないや。

 

 仕方ないので寒いのを我慢しつつ歩き出す。

 洞窟での一人旅を味わったせいか黙っていることが出来なくなった僕はあーだこーだと雑談をしながら、ひたすらに雪に塗れた獣道を進んだ。


「何でかな、鎧なのにすごい寒いんだよね。っていってもこの鎧が肌なんだとしたら、僕ってば今裸ってことになるんだけど……真冬に裸で旅をする。なにそれシュール。その点についてシェルちゃんどう思――」


 それから数分、いつものように軽口を叩いていた、その時だ。


 しゅるるっ、と僕の脚に何か紐のようなものが巻き付く感覚。

 意識を完全にシェルちゃんへと向けていた僕は咄嗟の反応が遅れ、


「――ぅぅうううわぁあああああぁあぁいっ!?」


 why(なぜ)? 一瞬で視界が反転。

 ふらつく視界。頭を振ってどうにか状況判断をしようにも、世界が逆さになっていて思考がぐちゃぐちゃ。焦燥感が口から飛び出た。それも変な言語に変換されて。


「ふぁうふぁうふぁうふぁうふぁうふぁうへぇいっ――!?」


『其方、何言ってるのじゃ落ち着くのじゃ!? よく見ろ、敵が来るであろ!』


 脳内からビリビリと響くような声量で言われ、正気を取り戻す。

 首をひねり、紫紺の双眸をキョロキョロと。そして僕は紐的な何かで脚を捉えられ、空中に宙づりにされていることに気づいた。


「これは――トレントか!?」


 紐を観察すれば、それは植物性の緑の蔓。

 そして森の浅域で植物を操るような魔物と言えば、まず最初に出てくるのが――木精族(トレント)。そこらの木々に化けて身を潜め、獲物を発見次第奇襲する戦法を得意とする、樹とそっくりの化け物だ。


 後方で樹が軋むような、ミシミシといった音がする。続けて木が折れる音に、積もった冠雪が落ちる音、地面を抉るような音はトレントが根を生やしながら移動する際に出る音だ。


 ――間違いなく、獲物を捕らえたと確信して近づいてきている。


木精族(トレント)。一度掴まれば厄介な魔物じゃの。種族等級(レイスランク)はD。今の其方より一つ上の等級(ランク)帯ではあるが――この個体は並の個体より大きいようじゃ。おそらく個としての階級(レート)はD⁺であろ。運がなかったの、今の其方に勝ち目は――』


 長々とした説明ありがとうございます!

 けれど今の僕は冷静に耳を傾けられる状況じゃないんだ!


「ィッ――、いたたたたたっ、離せよくそっ!?」


 脚に巻き付く強烈な蔓の痛みに紫紺の目を細めながらも、即座に腰に佩いていた短剣を引き抜く。ギィィンという鈍く重たい音が響いた。


 鈍い白に控えめな金の装飾が施されたその剣は、確かに短剣であるが僕からしてみれば長剣の類い。身長ほどあるそれを扱うためにはもちろんそれ相応の身のこなしが必要となってくるわけだが……その辺は問題ない。


「――ハァッ!!」


 意識を真剣なモードに切り替え、裂帛の気合いでもって斬りつける。

 迸った白銀の軌跡は寸分違わず脚に巻き付いた蔓の根元に吸い込まれる――が、蔓の強度には叶わなかった。僅かな傷がついた程度のダメージか与えられていない。


 目を瞠るも、驚いているわけじゃない。予想はしていた。

 この身体が鎧であることによる動きづらさ、身長(スケール)の違いによる認識のズレ、異常な状況下での技量の低下、剣の切れ味、単純な膂力、等級(ランク)階級(レート)の差――足りない要素は多い。


 だいたい僕は防御力に秀でた魔物なんだ。攻撃力なんて期待されても困る。


 シェルちゃんの加護だって魔力値や防御値、属性耐性を『極大』に底上げするものばかり。例えワールドスキル『六道』で攻撃値が上昇していたとしても、まだ封印状態のためかその効果は『ただの』上方補正。加護のように『極大』レベルの上昇補正はかかっていない。


「くそぉ、やっぱ今の僕じゃダメか! ど、どうする、どうする、どうする!? やばいぞ考えろ考えろぉ……僕はまだ美少女に会ってないんだ! いちゃこらしてないんだ! まだ本物のおっぱいだって揉んでないのにこんなところで――」 


 逆さに吊られたまま思考を高速回転。

 するとおっぱいという単語から閃きを得た。僕の脳内に前科持ちの黄金のおっぱいが舞い降りる!


 そう、やつだ。

 僕に流星の如くタックルをかましてきたスライム――ルイのことだ。

 

「――そうだっ、ルイ!」


 あのスライムはおっぱいみたいな触り心地のくせして、僕の守りを貫く確かな損傷を与えてきた。きっとルイなら、そんな希望を胸に雪の上に黄金の塊を探すも、


「君なら――ってなんでだよっ! なんでそんな木の陰で縮こまってるんだよっ!? 僕絶体絶命のピンチなんですけど! 僕を吹っ飛ばしたみたいにここは一つお願いできませんかねぇ!?」


 大きく盛り上がって地面から顔を出している木の根に生じた隙間に、すっぽりと収まってぷるぷる震えているルイがいた。震えは普段より大きく、その表情は本気でトレントに恐れを成しているように見えた。


『……ルイは種族等級(レイスランク)Gの粘水族(スライム)。進化を経て階級(レート)がいくら増えているかわからぬが……魔物は強者に従い、強者に恐れを成す。それが本能であって、湧き上がる恐怖に勝てないのは道理なのじゃ』


 シェルちゃんがフォローしているようだけど、否、否、否ァ!

 僕は現にスライムだと侮って殺されかけたんだ、年寄りと同じレベルで物忘れが激しい僕でも覚えてるぞ! うるさい認知症ではない!


「ええっ!? でもスライムより強い僕にはあんなに強烈な抱擁(ハグ)をしてくれたよね!? それも奇襲紛いの会心の一撃(やばいヤツ)を! その威力といい積極性といい、僕が惚れたルイはどこにいったんだ!?」


 字面だけ見ればやばい女だ。ルイの将来が心配だよ僕は。

 ルイは僕の言葉を聞き、蒼結晶(サファイア)の双眸を波打たせながら首を振った。


「…………っっ!? (ぷるぷるぷるるんっ!?)」


『あの時は我がいたから、戦う勇気が出た。今は無理。怖い。……そう言っておるのじゃ』


「こぉんのばかちぃんっ!?」


 シェルちゃんが外に出てくる予定なんてこれっぽっちもありません。

 じゃあ何か、ルイはこれから先戦力にならないとでも言うのか?


 僕がこれま余裕綽々な態度だったのは、そう簡単に破れない僕自身の防御力に、ルイのスライムらしからぬ戦闘力を当てにしていたからだというのに! 僕は安全な位置で守りを固めて、ルイで攻撃させるつもりだったのに! あれ最低かよ僕。


 シェルちゃんの翻訳に、いよいよ状況が差し迫ってきた。最悪だ。


「――グバァラァァアアアァァァァァアアアアアア……ッ」


「ひょぇぇえええぇトレントってこんなにでかいんだっけぇ!?」


 そしてヤツが姿を現した。

 至る所が逆剥けしている荒れた(はだ)

 手や足という明確な区切りはなく、数えればきりがないほどに『触手』が蠢いている。よく見ると幹の中心には黒の模様――丸い目、細い眼、そして威容に大きく引き裂かれた口。


 そんな樹の化け物が自由自在に根や蔓を駆使し、他の木々をなぎ倒して接近してくる。今の僕からしたら樹の巨人だ。

 怖い。怖すぎる。勝てるビジョンが全く見えないねこれ!


『確かに強力な個体ではあるが、まぁ其方が小さくなっているからそう見えるだけであろ。気にせんでもいいのじゃ』


「いや気にするわっ! ていうかなんでそんなに余裕ぶっこいてんだよシェルちゃん? 君にとってはどうでもいいのかっ、僕がどうなってもいいと、そう言うのか他人事なのかぁあっ!?」


 宙に吊られたままジタバタと抗議する僕。

 接近するトレント。

 木陰でガタガタ震えるルイ。

 ややあってコメントするシェルちゃん。


『いや……他人事じゃろ』


「ふぇえぇえぇそうでしたぁ」


 逆さの僕に影が落ちる。

 木精族(トレント)がすぐ目の前まで迫り、ただでさえ大きく裂けた口をかっぴらいた。


 そして、そのまま僕は――



「――硬化」



 呟きの落ちた、その瞬間。

 

 ――ガキィィィィィインッ!!


 という甲高い音が鳴りはためいた。

 それは鋼鉄を思わせる金属音。トレントの牙と僕の鎧の激しい接触で火花が散る。けれど――僕の鎧は負けてはいない。


「グバァラァァアアアァァ、ァア、ァァアア……?」


 木精族(トレント)の勝利を確信したような呻きが、一拍おいて疑義を発するものへと変わった。


 感触がおかしいと思ったのだろう。

 同じ等級帯の魔物である僕なら、成長した階級(レート)D⁺の顎の力で噛み砕けるはずだと、そう思っていたのだろう。


 だが残念。僕は普通(、、)じゃない。


 普通の種族等級(レイスランク)Eの魔物じゃないんだ。


「ひぇえ怖いっ……でも余裕だ! はは、ざ、残念でしたァ! 僕は金龍の加護を受けし『流浪の白鎧』ぃ! お前如きに負けあいたたたたたたたたたたァ――ッ!?」


 余裕ぶってみたけど割と痛くて焦る。痛みとしては強く摘ままれてる感じ。

 トレントに咥えられている格好の僕は、ギリギリと力を込めてくる凶悪な牙と饐えた木の匂いに耐え忍びながらもどうにか状況の改善を図ろうと思考を巡らせた。


 防御面は大丈夫。おそらくこのトレントの攻撃力では鎧に傷をつけることはできても凹ますことはできない。シェルちゃんの加護による防御値上昇と僅かながらワールドスキル『六道』の恒常効果が役立っているとみた。


 それならば、あとは攻撃だ。


「ィタタタタタ噛まれるって痛い痛いめっちゃ痛い――んふんぬぅっ!!」


「グァアアアア……ァアアアァ?」


 僕をただの金属板にしてやろうという殺意を爆発させて、全力ですり潰さんとしてくるトレントの牙をどうにか鎧から外す。横に転がるというより、牙の通らない鎧の曲線を生かして滑らせる形だ。


 そしてそのまま外に出るのかと思いきや、それは否。

 僕が滑ったのはトレントの方。つまり――、


「こんにちはお邪魔しますぅ――っ!?」


「グァッ!? グベラッギィア!? ゲッ! ゲッ!?」


 トレントの口腔からバタバタと喉の奥へ侵入。

 トレントの素っ頓狂な声を聞き流し、咳き込む巨大な気道に揉まれながらもどうにか滑り降りて腹部へ到達。ジュウウウという酸に焼かれる音が響くが、《金龍の加護》による全属性耐性で軽減できるはずだ。痛みはないから、さすがは『全属性耐性(極大)』というところか。


 そして。


「『武具生成』――さぁ伸びろ、どこまでも伸びろっ! 僕の短剣」


 ゆっくりと。

 身体の正面に構えた白と金の短剣の刀身が伸び始めた(、、、、、)


 レアスキル『武具生成』。

 放浪の鎧系統の魔物が稀に得る、自らの鎧を自己修復するためのスキルだ。


 それは魔力から金属を生み出すに等しく、それならばと剣を伸ばせるか実験してみたところ――成功。以来練習を続けてきた。

 まだまだ精度と生成速度は未熟だけど――こうして腹の中に入ってしまえば、そんなの関係あるものか。


「けっこう酸が精神的にきついけど……あとはゆっくりと剣が伸びるのを待つだけだ」


 それからしばらく、冷え渡る空気を裂くような絶叫が轟いていた。


 ややあって、しんと静まり返る《荒魔の樹海(クルデ・ヴァルト)》。

 もがき苦しんだような形跡を辿れば、身体の内側から幾度も剣で刺されたような傷を残し絶命したトレントの骸が、雪降る森の中に残されていることだろう。


 辺鄙な森の中。誰に発見されることもなく。

 死骸は雪に埋もれ、次第に自然へと還っていく。

 これが弱肉強食のしきたり。

 残酷な世界の日常。


 雪の降る音さえ聞こえてきそうな程の痛ましい静寂が、ただただ残されたのだった。




 ****** ******




 ――二日目。


 野生の狼の数倍はあろうかという強靱な巨躯を、地面に横向きに投げ出している狼型の魔物がいた。

 しばらくピクピクと痙攣し、偶にごぷっと血を吐いていたが、最後には白目を剥いて動かなくなった。


 そして、


「狼のお腹の中からおはようございますぅッ!」


 狼型の魔物の腹部から血まみれの剣が突出し、続いて現れたのは小さな鎧の魔物。


 あは! 僕だよ! 森のみんな、おはようっ! 良い朝だね!!



 ――三日目。


 太い木の幹へと、何度も何度も体当たりを繰り返す猪型の魔物がいた。体躯を上回るほどの一対の牙は片方が砕けているにもかかわらず、体当たりを繰り出しては血を吐いている。


 まるで、体内に巣くう害虫を滅さんとしているかのように。


 そして、


「猪のお腹の中からこんにちはぁッ!!」


 猪型の魔物の毛皮の薄い腹中から剣が突き立ち、一度戻ったから思うと――次には穴を押し広げるように血ぬれの兜がにゅっと現れた。


 あっはは! 僕だよ! みんな、元気!? 昼は暖かくて良いねぇッ!!



 ――四日目。


 その魔物は、固いだけが取り柄の矮躯の鎧でさえ、口に含むことが出来ないような、そんな小さな頭部の、けれど頑強な顎を持つ魁偉(かいい)さの甚だしい蜘蛛だった。


 その蜘蛛は獲物として目をつけたナニカと自分を白い糸でぐるぐる巻きにし、外部からの横やりの一切を遮断。お尻から分泌する毒液で徐々に溶かしながら獲物を喰らおうとしていた。


 しかし、


「ごば、がぶばばっ、くっ、蜘蛛のお腹――じゃなくてねばねば糸の中からこんばん――この糸粘ついて外れないんですけどぉぉぉおおおっっ!?」


 白い球体となっていた蜘蛛の糸のドームの内部から、緑の液体が付着した剣が貫通してきた。その後、ゆっくりゆっくり戻っていった白剣が戻りきると、中に溜まっていた緑色の体液がブシャーと吹き出した。そしてもぞもぞと動くだけで、それ以上の変化は見られない。


 あ、あっはははっ!! 僕だよ! みんなぁ、こんばんはっ!! 今宵は月が綺麗だよッ!?



 ――四日目。

 ――五日目。

 ――六日目と続き。


 そして、僕は一週間目の朝を迎えた。




 ****** ******




 全身から滴る赤い液体。湯気の上がる鎧の身体。

 漂う生臭い異臭。時間が経過するとさらにキツくなるから最悪だ。

 ひっかかっていた生暖かい(はらわた)を外し、僕はついに雄叫びを上げた。


「くそ、くそくそぉ……最初にトレントに遭遇してからの一週間、魔物の遭遇率が異常に高い……もう嫌どういうことですかシェルさぁん!!」


 巨大な熊のような魔物――魔熊族(マリス・ベア)の腹の中から這いずり出ながらぐちぐちと愚痴を零した僕。


 トレントとの戦闘を経験して以来、多くの魔物に遭遇した。狼やら猪やら蜘蛛やら蛇やら熊やら。どれも種族等級(レイスランク)がそこまでかけ離れていないが数字上は格上ばかり。うん、トレントは雑魚い方だった。もっとやばいのいっぱいいた。


『其方の放つ魔力は独特じゃからの……恐れを成したわけではあるまいが、一応最初は警戒していたのであろ。それに魔物の血は魔物を呼び寄せる。トレントの血を浴びたことをきっかけに、たかが外れたのじゃろうて』


 不幸中の幸いだったのは、誰も僕の防御を貫くことが出来なかったことだろう。

 負けはしないが、攻撃力不足は甚だしいのも事実。よってそれら全てを『腹に潜った後に剣でブスブス作戦』で仕留めてきたわけだが――、


「いい加減にしろぉおおぉっ!? 何回っ、何回喰われればいいんだよっ! 割と痛いんだぞ辛いんだぞ喰われる時とか生きた心地がしないし精神的なダメージとかやばいんだぞっ!? それに体液とか内臓とか、滅茶苦茶くっさいし! いやくっさッ!!」


『仕方ないじゃろうて、今の其方には特筆すべき攻撃手段がないわけだし……よっぽどのことがない限り死なないんだし、それで良いではないかえ』


「いやだいやだ僕にだってプライドがあるんだーい! もっと格好良くかちたいんだーい! くっそーせめて水浴びしたい。この臭いどうにかしたい。臭い臭い臭い」


『多分凍り付くのじゃ』


「くっそぉ~~~~っ」


 疲労と精神的なダメージが積もりに積もって、実に気分が悪い。

 一頻り地団駄を踏んでから鬱憤を晴らし、その後は熊の死骸から逃げるように歩き出した。魔物の死骸がある場所に長く滞在していると、続々と次の魔物が現れるからだ。冗談じゃない。


 木の根を跨ぎ、茂みに突っ込み、草や蔓をかき分けながら進んでいると、僕の手元を離れて自由行動ならぬ素材集めをお願いしていたルイが戻ってくる。


 その頭に乗っているのは水晶のように澄み切った林檎だ。

 

「…………(ぷるぷる)」


「え、おおっ、えっ、ルイっ! それって『水晶林檎(フローズン・アップル)』じゃない!? すげー!」


 水晶の林檎を手に持ち、太陽も出ていないが空にすかしてみる。奥ではらはらと降る雪がくっきりと見えるほどの純度。


 ――『水晶林檎(フローズン・アップル)


 レア度は『白雪の双果実(スノー・ポム)』と同じ5。

 冬の《荒魔の樹海(クルデ・ヴァルト)》の三大珍味が一つ。

 実物を見たのは初めてで、僕はすぐに機嫌を良くする。めっちゃ綺麗。テンション上がる。


『ほぅ……極寒の地にしか実らぬという珍味であろ。確か特定の木になるわけではなく、魔素を多すぎず少なすぎず最適な黄金比で吸った何らかの実が、突然変異を起こしてそうなるんじゃったか』


「そうそう。滅多に取れないから市場にも出回らないし、もちろん売ったらすごいお金に――って今は無理なのか。まぁその味は極上とも言うし――あれ、まってこれさ、僕って食べ物食べれないんじゃね」


 最悪だ。気づいてしまった。

 人の姿じゃないから売りにも行けないし、食べようにも僕に食べれるはずもない。白雪の双果実(スノー・ポム)の段階で気づいても良かったけど……あれ、やっぱり食べられないよね。例え食べられたとしても味覚とかないだろうし。


『……其方よ』


「はぁ……言わなくていい。言わなくていいから」


 僕がわかりやすく肩を落として落胆していると、シェルちゃんが何か言いたげな視線を投げてきたような気がして、即座に否定しておく。


 あぁ。大丈夫。僕は気づいているとも。


「…………(ぷるぷるぷるっっ)」


 ルイが猛烈な食べたいオーラを出していることにね。

 その蒼結晶(サファイア)は爛々と煌めいていて――って、これじゃ過去の焼き直し。どう見てもデジャブだ。


 うーん、どうするか。暫し考えるように腕を組む。

 そして横目でちらりとルイを確認した後、さりげなく面甲(ベンテール)を開けて収納しておいた。


「……いつか食べれるでしょ。それまでしまっとこっと」


「!? (ぷるるんっ!?)」


 いやだってさ。スライムって何でも食べれる雑食じゃん。わざわざこんな高価な物食べる必要とかなくない? 我慢我慢。僕だって何も食べてないんだし、雪でも食べてようね。


 期待の眼差しから一転、蒼結晶(サファイア)の目を驚愕に見開くルイ。

 非情に愛らしい仕草であるが、本人ならぬ本スライムはというと、さらに激しくぷるぷると震えだし――、


「…………っっ!! (ぷるるるるんっっ!!)」


「あっ、おいルイっ!?」


 一度眼を波立たせたと思った直後、半端じゃないスピードでどこかへ駆けていったではないか。

 しかも僕たちが進むべき方向じゃない。

 正反対とは言わないまでも、遠回りには違いないだろう。


 呼び止めようにも、噴水の如き涙を迸らせて駆けるルイに言葉は届かない。

 そもそも聞く気がないようだ。


 素材集めの際は魔素の紡糸(マナライン)を繋いでいたため心配なかったのだけど、それを容赦なくプツンと切って脱兎の如く逃走。その様は本気も本気だ――はぐれるのはまずい。


「やばいシェルちゃん!! ルイが逃げ出した! 捕まえないと!」


『捕まえないとって……其方、ルイはペットじゃないんだからもっと優しくしてあげるべきじゃて』


「待てぇええ僕の抱き枕ぁぁああぁあ――ッ!!」


『ペットですらなかったのじゃ!?』



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