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北欧神話は俺の嫁  作者: 中畑博也
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2話


「くそっ、頭痛ぇ……」


 鐘のように鳴り響く痛みに目を覚ます。こぶが出来てないか頭を撫でて確認しつつ上半身を起こす。周囲を見回すと西欧の寝室のような巨大なベッドルームに居た。


「あん? どこだここ?」


 困惑の声を漏らしながらも記憶の糸を辿る。

先程まで炎に燃え盛る家に飛び込み、アホガキ共を窓から投げ渡して、俺も飛ぼうとしたら床が抜け落ちて、床と降り注ぐ大量の木材でホットサンドに……。


「っても、なんともねぇな」


 自分の身体を見下ろして胸部や太腿に触れる。浅黒い肌の元、硬く引き絞られた筋肉の下からは血肉のぬくもりを感じる。そこには火傷の痕も痣も無かった。

 しかし着ていたはずの作業着どころか下着すら身に纏っておらず、不可解なことに全裸であった。

 ひとまず布団のシーツを腰に巻いてベッドから降りる。大理石のひんやりとした感覚が足裏を擽り、自分に足があることを認識した。


「足はある……ってことは死んじゃあいないか」


 ベッドルームに覆われたレース状のカーテンを開く。ベッドルームの外もベッド同様に広々としており、緻密な装飾があしらわれた豪華な家具が立ち並んでいた。頬に吹き付ける風を感じて振り返ると、白いカーテンの奥にバルコニーの姿も見える。


「天国にしちゃあ洋風だし、病院にしちゃあ時代錯誤だな」


 ぼやきながらも机の上に置かれていた自身の衣服を見つけて手に取る。

 しかし先程まで着ていた物とは別物であり、自宅のタンスに仕舞われていたものだ。おまけに戸棚に仕舞われた靴まであった。何故ここにあるのか理解できず、困惑しながらも服を着る。

 靴を履いている最中、扉の向こうから話し声と足音が聞こえて僅かに眉を顰める。着替えてから外に出て状況を把握しようとしていたが、誰かが来てくれるのなら状況を説明してもらえる分、都合がいい。


「おお、やっと目覚めたか!」


 扉を勢い良く開けて声を響かせながら、一人の少女が部屋へと踏み入る。

 少女は赤みの入った麗しい金髪をし、同様に赤い瞳はルビーのように鮮やかだった。端整な顔立ちで、身体つきも適度に絞られつつも女性的な丸みを帯びており、見る者の目を奪うほどである。それと共にアクセサリか、腰には小さな金槌が吊り下げられていた。


「いやいや、一時はどうなるものかと思ったが無事そうで何よりだ!」


 少女は笑みを浮かべながらばしばしと俺の肩を叩きながら一方的に話す。女性の腕力とは思えないほどに重い衝撃に肩を沈ませつつも、意地で平然と振舞っていた。


「幼子を救うために炎の中へも躊躇わぬとは、まさに戦士の如き度胸。称賛に……」

「聞きたいことが幾つかある。いいか?」


 揚々と話し続ける少女の言葉を遮って尋ねると、少女は僅かに顔を顰め「いいぞ」と答えた。

 軽く息を吐いて頭の中を一度整理すると少女の目を見て尋ねる。


「あのガキ共はどうなった? ここはどこだ? 何で俺の服がある? あんたは誰だ? 俺はどうしてここに居るんだ?」


 頭の中で溜まっていた疑問を全て吐き出す。少女は疑問の連続を聞いてにこやかな笑みを浮かべた。


「よし、ついてこい。歩きながら問いに答えよう」

「……」


 踵を返して扉の外へ歩き出す少女へ愚痴を零して、渋々後を着いていく。どうせ留まっていても現状がわからないのなら見知らぬ女と歩いたほうがいい。

 部屋から出て高く広い廊下を歩く。廊下は幾つもの太い円柱状の柱に支えられ、その奥では噴水から美しい水が日差しを輝かせていた。まるで神殿のような外観に息を呑んだ。

 そんな俺の様子を見て何故か誇らしげに少女は笑みを浮かべて口を開く。


「目覚めて最初に自らの境遇よりも幼子の安否を気遣うとは。なんと高潔なことか」

「そいつはどうも。で、あのアホガキ共はどうなんだ?」

「安心しろ。幼子は無事だ」


 その言葉を聞いて胸を撫で下ろすも、完全には安堵できなかった。この少女が何者であるのか、自身の状況がわからない以上、発言の全てを信じることは出来ない。


「次にここは何処かだったか。それは自身の眼で見たほうが早い」


 少女は大きく荘厳な扉を押し開ける。勢い良く開かれ、入ってきた突風が身体をすり抜けた。扉の向こうに広がる景色を前にして言葉を失った。


 青空はどこまでも遠く広がり、高い山々では緑が生い茂る。眼下に広がる街は西欧の神殿や宮殿を思わせる造りで、横を見やれば巨大な滝が飛沫を散らし、唸りをあげていた。

 しかしそれよりも目を疑ったのは空の向こうに幾つもの惑星が見えることだ。地球から見上げる月よりも遥かに大きく鮮明に映る。

 現代世界からかけ離れた風景に唖然としていると少女は目の前に立って両腕を広げて叫んだ。


「これこそ神の国、アースガルド!」

「……これは夢だ、夢に決まってる。それも悪い夢だ」


 頬が引きつるのを感じながら自分に言い聞かせるように呟く。

 目が覚めたら片田舎からファンタジーな世界、しかも神の国にいたなどまだ火の下敷きになっていた方がましだ。意味がわからない。

 混乱に苛まれていると眉を寄せた少女が歩み寄り、顔を近づけた。その甘い香りと炎のように赤い瞳に胸が高鳴った。少女はじっと俺の顔を見据えると、右手を静かに上げた。


「こいつは夢みたいだ……じゃなかったこれは夢――ぐおっ!」

 その瞬間、拳骨を頬に浴びて首が曲がる。左頬のじんじんとした痛みを堪え少女を睨みつけて抗議しようとしたが、怒り心頭な俺とは逆に少女は微笑えんでいた。


「どうだ。これで夢では無いとわかっただろう」

「おかげでな。だが次は口で頼む」


 憤りを堪えながらも答える。今も眼前に広がる光景は夢の世界にしか見えないが、痛む頬が現実だと証明していた。


「次は何故ここに居るかだったな。歩きながら話そう」


 進んでいく少女の隣に並びながら歩く。周囲は先程と同様な廊下だが、銀の甲冑を着込んだ兵士達がちらほらと目に入る。その誰もが少女が通るとびしっと構えて姿勢を整えた。


「なぜアースガルドにいるのか。貴様の記憶にもあるようにミズガルズ、貴様らの言う地球で幼子を救おうとして貴様は死にかけた。それを見ていた我がここに呼び寄せたのだ。それと衣服に関しては治療の際に全て捨てたぞ。衣服に関しては貴様の家から適当に取ってこさせた」


「人の家を勝手に……っ!」


 さらりと不法侵入及び物色と聞いて頭に血が上ったが、話を聞く限り俺はこの少女に命を助けられたらしい。今は怒りを抑え、残る疑問を問うことにした。

 再び元居た豪勢なベッドルームに戻ると少女の正体を尋ねる。


「で、あんたは誰なんだ? どうして俺をここに連れてきた?」

「うむ。良くぞ聞いてくれたな。我こそ全知全能なるオーディンの直系、雷神トールだ!」


 少女は豊満な胸を強調するように胸を張って堂々と答えた。どうだと言わんばかりにしたり顔を浮かべていたが、反応を返さなかった。いや返せなかった。


「どうした。かの雷神トールを前にして言葉を失ったか?」


 自信満々で尋ねるトールだが、正直返事に窮していた。それはトールに対して緊張しているわけでも畏敬の念があるわけでもない。雷神トールどころか北欧神話を知らない。

 オーディン、雷神トール……高校時代にクラスの連中がスマートフォン片手にそれがどうとか言っていたような。だが画面を覗き見した時には髭面のオヤジで、こんな美少女ではなかったはずだ。


「ははははっ、緊張しているのか。愛い奴め! それでこそ我が嫁に相応しい!」


 トールは豪快に笑いながら俺の肩を叩く。

 邦弘は少女、トールの行動に理解を示さなかったが気にしないことにし、肩を叩く手をそれとなく払った。


「で、最後の質問だがな……待て、さっきあんた何て言った?」

「ん? 我が嫁に相応しいと言ったのだがどうかしたか?」


 何を言っているんだこの女は。俺に対して嫁だと?


 困惑する俺を尻目にトールは満面の笑みを浮かべたまま話を続けた。


「最後の質問の答えだが、貴様をここに連れてきた理由は我の嫁にする為だ! 光栄に思うが良いぞ!」

「何を言ってるんだ?」

「まあ無理もない。だが少しの間居てくれれば良いのだ」


 婚姻を断るもトールはそれを半ば見越していたかのように宥めた。

 トールの言葉にどことなく含みを感じ、それが何であろうと関わるつもりは無かったが、現状が自身の理解を超えている場所である以上そのまま去ることも出来ず、結果的にそれを聞く形となった。


「実はだな、我が父に身を固めよと催促されておるのだ。だが我は誰かに気兼ねすることなく自由で居たい。だからこそミズガルズに住む貴様を選んだのだ」

「俺なら婚姻を結んでも地球に居るからあんたは実質的に自由の身になるってことか? それについて色々言いたいことはあるが、何故俺なんだ?」

「我とて目を瞑って選んだわけではない。高潔な人間を探していた中で貴様が目に映り、丁度死にそうになっていたからだ。で、受けてくれるか?」

「悪いが別を探せ」

「そうか……なにっ!?」

「俺の家はどっちだ。帰る」


 付き合いきれん。神々の国に雷神トール、しかも偽装結婚ときた。とっくに俺の頭の許容容量は氾濫し、洪水を引き起こしているのだ。早く帰らねば脳細胞が溺死してしまう。


「待たんかっ、貴様!」


 しかしトールにとっては予想外の答えだったらしく、暫くは驚いていたが歩き去っていく俺の腕を慌てて掴むとそのまま勢い良く引っ張った。

 それを瞬間に振り払おうとしたのだが、トールが引っ張ると同時に腕を振ったためトールは突き飛ばされるようにしてバランスを崩した。


「やべっ……!」


 即座にバランスを崩したトールに気付いて、大理石の床に倒れないようにトールの手を掴んだ。

 しかし無理な姿勢で手を伸ばしたからか力が入らず、後を追うように足をもつらせながらトールと共にベッドの上に倒れこんだ。


「ふぅ、悪かったな」

「全く、乱暴な奴だ」

「今の体勢でその言い方はよせ」


 気が付けばベッドの上でトールを押し倒したような姿勢になっており、眉間に皺を寄せてトールを窘める。

 ……それにしても端整な顔立ちだ。

 眼前のトールを見て心の中で唸った。彫りの深く整った目鼻立ちをしたトールはこれまで見てきた女性とは異なる美しさがあった。まるで石像のような洗練された芸術の美しさを覚えると同時に、同年代の女性を前にしている事実がどこか気恥ずかしさを誘い、起き上がろうとした。


「トールよ! オーディンが参ったぞ!」

「ほら、人がきたぞ。誤解がない内に――うおっ!」


 その時、扉の外から大声が響いて二人はとっさに振り返った。誤解を招かないように起き上がろうとした邦弘だったが、トールは逆に邦弘の頭部に腕を回して勢い良く引き寄せた。


「お主の嫁についてだが――」

「んっ……ん……おお! 父上!」


 隻眼の老人、オーディンは扉を開けると眼前の光景に言葉を詰まらせた。広々としたベッドの上で男がトールを押し倒し、それどころか唇を重ねていたのだ。愛娘の情事を目にすれば全能の神と呼ばれたオーディンすら硬直するだろう。

 だがそれは邦弘とて同じことだった。起き上がろうとして突然唇を奪われたのだから動揺どころか思考停止にすら陥っていた。童貞である邦弘には当然の反応だ。


「この男こそ我の嫁、新田邦弘です!」

「……この男が?」


 茫然とする邦弘を押しのけトールは起き上がるとオーディンに紹介する。オーディンは値踏みをするかのように怪訝な視線で邦弘を舐め回す。

 通常の思考状態であればトールの話を否定していたところだが、突然の接吻により頭が回らない今、何も反応を返すことができなかった。


「こやつは人間ではありますが高潔な人物です!」

「むう、だがしかし……」

「祝宴を今すぐにでも開きましょう!」

「……うむ。わしが皆に声を掛けておこう」


 説明を受けても怪訝な視線のままオーディンは顎鬚を弄りつつ部屋から出て行った。扉が閉まり、足音が小さくなっていくのを確認してからトールはほっと一息吐いた。


「ふぅー、なんとかなったな」

「なってない。一体何を考えている?」


 ようやく動揺が治まると腕で唾液に濡れた口元を拭いながらトールを睨みつける。しかし未だ頬は赤く染まっている所為か威圧感は大幅に削がれていた。


「貴様が断ると言ったのでな。少々強引な手を使わせてもらった。これで父上も納得するだろう」

「どうだかな。終始俺を見てたぞ」

「だとしても関係のない話よ。婚約さえ交わせば貴様は元の家へ、我はこれまで同様に自由を得ることができる!」

「ウィンウィンな関係だ。あんたが中心のな」

「何か文句があるのか?」

「ああ。だがやめておく」


 正直に言えば最初に偽装結婚の提案を持ちかけられたときから不満はあった。助けられたことには感謝しているが、そんなことに手を貸してやる義理は無い。トールは俺を家に帰すと言ったが、それは自身が自由でいられるよう俺を遠くに置きたいという理由があってこそ。

 しかし、異界の地から愛しき自宅へ無事帰るためだ。今は盲目的に頷いてこの夢の世界から覚めるのを待つのみだろう。


「……まあよい。今日の宴には皆集まる。その場で我らの婚姻を発表するぞ!」


 トールは一瞬不服そうな表情を浮かべたが、すぐに豪傑な笑みへと変わった。

 適当に相槌を打ちながら、ふと村で今自分の扱いがどうなっているのかと考える。

 もし死亡扱いを受けていたなら偽の冠婚葬祭を同時にすることになるのだから、笑えてくる。

 まあ、雷神トールと挙式を上げたなど誰も信じてもらえないだろうが。


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