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北欧神話は俺の嫁  作者: 中畑博也
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1話


「――こやつを我が嫁とする!」

「逆だろ」


 大勢の観衆を前にし、高らかと宣言する少女に思わず突っ込みを入れる。少女は理解できないと言わんばかりに小さな顔をしかめ首を傾げていたが、それはこちらとて同じだ。

 だが観衆は少女の宣言に沸き立ち、武器や拳を掲げて祝福を上げていた。楽器による演奏が吹き荒れ、酒樽が封切られると皆、浴びるように美酒に酔いしれた。

 祝宴はあっという間に広がり、誰もが幸福に浸っていた。とても賑やかな雰囲気で「俺にそんなつもりはない」と言い出せば場が凍りつくどころか、殴り飛ばされん空気だ。


「ほら飲め。我が嫁よ」

「俺は未成年だ」

「このトールの勧める酒の前には瑣末な問題だ」


 少女は満面の笑みを浮かべ木製のジョッキを差し出した。しかし俺は酒を飲むつもりは無く、両手をポケットに仕舞い込んだままにしていた。


「なにを躊躇う必要があるか」


 少女はポケットに仕舞い込んだ手を引き出すと、俺の手に無理矢理木製のジョッキを握らせた。その中を覗き込むと、透明度の高い蜂蜜酒であるにも拘らず底が見えなかった。蜂蜜の甘い香りが鼻を擽る。その香りに思わず唾が鳴ったが、それでもまだ俺は飲酒の行える年齢では無い。


「乾杯!」


 笑みを浮かべる少女と杯を交わすと、少女は顔を上げ蜂蜜酒を煽る。巨大なジョッキで少女の視界が隠れた隙にジョッキを逆さにして蜂蜜酒を地面に捨てる。もったいないと思ったが、周囲を見渡せば皆、泥酔して口元から酒を零していた。


「うまいっ! やはり最高だな!」

「ああ。こりゃ何杯でもいけそうだ」


 酒が染み込んだ地面を一瞥し、新田は返事を返す。しかし少女は俺の様子に怪訝な表情を見せ、酒を煽ってからぐっと顔を近づける。整った鼻筋と赤く美しい瞳が眼前に寄り、思わず息が止まった。


「どうした。何か顔について――」


 なんとかそこまで言いかけ、口を塞がれた。少女の小さく柔らかな唇が俺の唇に触れる。驚きに飛び退きそうになったが、後頭部に腕を回され、しっかりと掴まれていた。身体が密着し、心臓が破裂しかける。

 重なった口元から甘い香りが流れ込む。瞬きが増え、それが何かを理解する前に顔が僅かに上げられる。生温い蜜が喉を駆け巡り、胃へと沈んだ。


「トールからの酒はどうだ?」

「……おかわりは貰えるか?」


 唇を離した少女は自慢げに笑みを浮かべる。俺は顔を真っ赤にしながらも出来る限り飄々とした態度を取った。こんな大胆な少女を前に奥手になる方が恥ずかしい。


「欲深い男だ。構わんがな」


 少女はもう一度酒を口に含むと、再び顔を近づけた。赤い瞳を輝かせて近づく少女の姿は純真無垢であると同時に艶かしい色気を漂わせていた。まるで大空を飛ぶような高揚感に包まれつつ、俺は雛鳥の様に待った。


「おおい、おめでとうトール! この坊主を借りるぞ!」


 その瞬間、頬を赤く染めた屈強な男達が祝いの言葉を告げると同時に俺の腕を掴んだ。そしてそのまま男達に引き摺られ、宴会の場へと連れ攫われる。

 一人の男が酒を煽り、口いっぱいに含むと俺の肩をガッシリ掴んだ。両腕は他の男達によって押さえられ、動くこともままならないでいた。


「坊主、今度は俺達からの酒だ!」

「何!? 待ておい、よせやめろこの○○野郎! それ以上俺に……ギャアーーッ!!」


 悲鳴が祝宴に轟き、やがてピタリと塞がった。


 なぜ、こんなことになったのか。それは少々遡る必要がある。だがその前に簡単な現状説明だけをしておこう。到底信じられない馬鹿なことで、何度も言いたくないからメモでも取って読み返して、自分の目と耳を疑ってくれ。


――北欧神話の雷神、トールが俺の嫁だ。



 鶏の高らかな叫びが目覚まし代わりとなり、青年、新田邦弘は起床する。煎餅布団から身を起こすと、軽く首を回し、大きな欠伸をする。重い目蓋を引き摺りながら邦弘は障子戸を開け、寝室から出ると廊下の窓を開けて縁側へと行く。

 早朝の眩しい日差しを全身に浴びながら大きく身体を伸ばした。そしてそのまま井戸へ向かうと何度かポンプを押し、溢れる冷水を掌に掬い顔に叩きつける。


「今日も暑くなるな、くそっ」


 軽く空を見上げ、誰に言うでもなく邦弘は悪態を吐くと顔に滴る水を手で払い、シャツの袖で拭いた。重く閉ざしていた目蓋は大きく開き、鋭い目付きを露にする。

 そのまま鶏小屋に向かい、横の木棚に仕舞っていた餌を鶏に与える。鶏が朝食に木を取られている隙に鶏の足元を探ると真っ白な卵を二つ見つけ、それを手にした。


「二つか。これからも頑張ってくれよ」


 鶏小屋から去り、台所へ向かう。炊飯器に残っていた白米を取り出し、油の敷いたフライパンの上に置く。その上で取れたての卵を割り、調味料と共に白米と掻き混ぜる。白米が黄身に濡れると火をつけられた。

 じゅくじゅくと油の跳ねる音と卵が焼ける音が鳴り、鼻孔を擽る。すかさず冷蔵庫からチャーシューを取り、ブロック状に切り分けるとネギと共にフライパンへくべた。

 慣れた手つきでフライパンを操り、米を踊らせる。あっという間に黄金色に輝く炒飯が出来上がると、フライパンごと居間へと持っていった。


「いただきます」


 食事へ感謝の念を抱き、手を合わせると炒飯を頬張る。口いっぱいに広がる芳ばしさと米の解れ具合から確かな出来栄えを実感すると、そのまま黙々と食べた。


「ごちそうさん」


 他に誰が居るわけでもなく手を重ねて一礼すると、台所で食器を洗う。洗い終えれば洗濯に掃除。ある程度の家事を済ました頃には午前九時を回っていた。

 灰色の作業着に着替えると家屋から出て、作業場である離れへと向かう。外では自転車のカゴに花火を載せた小学生達が、大声で何やら話しながら駆けていた。少年は邦弘と目を合わせると大声で叫ぶ。


「おっちゃーん! おはよう!」

「危ねぇから前見て運転しろアホガキ!」


 少年に挨拶を済ますと、邦弘は離れへと歩く。そのとき思い出したように走り去っていく少年へ振り返り「俺はまだ十八歳だ!」と叫んだ。


 離れにある作業場には様々な材木が立て掛けられており、いくつもの道具と、美しく造られた雷神風神の彫刻や、鳳凰の装飾が並んでいた。その中央に設けられた座敷に腰掛けると引き出しから彫刻刀を手に取り、仕事に勤しんだ。


 新田邦弘は両親を早くに亡くし片田舎にある祖父の家で育った。幼い頃から祖父の仕事である彫刻職人の手伝いをし、いつしかその器用さから祖父からも仕事を任されるようになった。

しかし祖父は高校卒業と同時に他界。一時は遠い親戚に養子として引き取られる話も持ち上がったが本人の強い希望により、高校卒業後祖父の仕事を継ぎ、一人暮らしている。

祖父の代では存在しなかったインターネットによる外注も承り、名を広く知らしめると同時に仕事を増やすことで食い繋いでいた。

 職人といえども邦弘の気質は柔らかく、口の悪さや頑固さはあるものの周囲の人々からも親しまれていた。その為、御裾分けを貰うことや、村の祭りで神輿の装飾を彫って欲しいと頼まれるほどだ。


「あっちぃ……」


 額から玉のように汗が滴り落ちる。作業場の窓は全て開けて風の通り道を作ってはいるが、吹くのは熱気と湿気を含んだ風のみ。異音を立てて回る扇風機も同様に涼しさをもたらす事はなかった。


 この仕事を終えればエアコンを買おう。作業場を快適なスペースに改造してやる。庭にプールだって作ってやる。その為にはこの仕事を終わらせるしかない。じいちゃんの死因はエアコン買わなかったからだな……。


 用意した水筒を煽って喉を潤すと、自分に言い聞かせるように念じ、けたたましい蝉の鳴き声に苛まれつつも再び作業を続けた。


 気付けば日も傾き、仕事を終わらせると作業場を片付けると鍵を閉める。以前は鍵など使いもしなかったが、近所の子供が勝手に入っていたことから鍵をするようにしていた。中には鋸や彫刻刀などの刃物が多数あり、怪我に繋がる危険性があるからだ。

 戸締りを確認すると、家屋に戻り夕食を摂ろうとしたが冷蔵庫の中を開けた瞬間、何も無いことに気付き、同時に昼食の際に米を使い切ったことを思い出した。


「あー、くそっ。さすがに買出しに行くしかないか」


 短く切り揃えられた頭を掻きながら乱雑に冷蔵庫の戸を閉めると、財布を持って家を出る。

 田舎町と言えどスーパーは存在し、数十分も自転車を漕げば多くの品物と対面することが出来る。

 米と幾つかの野菜や食品を購入するとそれを自転車のカゴに詰めて帰路を辿った。

 帰り道の最中、田圃の奥がやけに眩しく光っているのを目にし、思わず足を止める。そしてすぐにその光が炎だと理解すると、「誰か来てくれーーっ、火事だーーっ!」と喉を張り裂かんばかりに大声を上げ、周囲に知らせようとし、全力で自転車を漕いだ。

 邦弘が家の前に来ると、家は轟々と燃え盛り、火の粉を飛沫のように宙に舞わしていた。その燃え盛る家を見上げ、一人の少年が不安げに見上げていた。


「おい! なにがあった!?」


 声を掛けると、少年は縋る様な瞳で邦弘を見ると、喉を詰まらせつつ口を開いた。


「あ、あの皆で花火をしようってなって、秘密基地でやろうってしたら、水汲んでる間に火が付いて、気がついたら……」

「まだ中に誰か居るのか!?」


 強く問い質すと少年は怯えたように頷く。

高齢化による過疎が問題となりつつあるこの町では家主が逝去しても住宅が解体されず、放置されることが多い。家を作るにも壊すにも金が発生する。それに加え周辺整理を行う血縁者も存在しないこともあった。

 この家も例に漏れず、持ち主が数年前に逝去し、廃墟となっていたことは知っていた。だが、少年たちの秘密基地と化しているとは知らなかった。もし知っていれば必ず止めていただろう。だがそれよりも今は大事なことがある。


「いいか。お前は誰か大人を呼んで火事を伝えろ。他の奴等は俺が何とかしてみる! 行けっ!」


 邦弘は水田の中に飛び込み、全身を泥と水に濡らすと大きく息を吸い込むと炎に燃える廃墟へと駆け出した。

 扉を突き破って中に入ると、作業場での暑さが快適に思えるほどに熱く。灼熱の熱波がちりちりと肌を焼いていき、立ち込める黒煙が目と喉を爛れさせる。

 暫く周囲を見回して少年達を探したが、どこにも姿が見えず、口を大きく開け叫んだ。しかし応答は無く、灰や煙が肺に吸い込まれた。

 数分と経たず、耳鳴りと頭痛が身体を蝕む。だが同時に外からサイレンの音が聞こえることからどうやら少年が伝えるより早く誰かが通報したのだろう。

 自身も限界を感じ、外に出ようとしたとき、呻き声が微かに聞こえ、邦弘は駆け出した。二人の少年が台所で倒れており、灰に塗れた少年の身体を揺する。少年達の反応は鈍く、力なく横たわっていた。

 両肩に少年達を担いで入り口へと急いだが、玄関の屋根がミシミシと音を立て燃え落ちて入り口を塞ぐ。瓦礫から噴き出す火の粉が邦弘を押し戻した。

 内心で悪態を吐き、周囲を見回す。出口を求めるが火の手は天井を伝い広がって炎の牢屋を形成していた。

 視線を彷徨わせた時、二階へと続く階段が視界に映る。その瞬間、燃え盛る階段を駆け上がって二階に登ると部屋の屏風を蹴り飛ばした。

 二階も一階と同様に炎に包まれ、足元からみしみしと異音を奏でて今にも崩れ落ちそうだった。

一度少年を置くと、火を燻らせるタンスの戸棚を引き抜き、ガラスへと投げつける。炎で柔らかくなったガラスは容易く砕け散り、大穴が開いた。

 再び少年を担ぐと外を見やる。案の定、野次馬が集まっており、誰もが呆然と見ていた。


「おおい! こっちだ! 誰か来てくれ!」


 喉の激痛を無視し大声で叫ぶと、それに気付いた数人が廃墟の側面に回りこみ、真下から手を振った。何かを口々に言っていたが炎の音で何一つ聞こえなかった。


「今からガキを放り投げる。受け止めてくれよ!」


 聞こえるはずも無い返答を待たず、邦弘は少年を窓から放り投げた。大人達は驚愕していたものの数人掛かりで受け止め、水田に腰から倒れる。水田の泥濘が衝撃を吸収してくれていた。

 少年を一人が運び、他の大人達が再び受け取る体制をとると、もう一人も放り投げた。先程と同様にキャッチされ、運ばれていく。

 自身もも窓から飛ぼうとした瞬間、足元が崩れる。一瞬の浮遊感を感じ、悲鳴を上げる間も無く地面に叩きつけられた。枕代わりの炎は容赦なく身体を焼く。

 炎を纏って落ちてくる大量の木材が視界を埋め尽くす。それとほぼ同時に外では廃墟が焼け崩れ、折り畳まれるように身体を押し潰した。

 誰もが騒然となる中、ぽつぽつと雨が降り出し、次第に豪雨へと変化していく。しかし炎の勢いは緩むことなく、雨粒を焼いていた。


 だが突如として暗雲が唸りを上げ、眩い光の後に轟音が響いた。一筋の稲妻が燃え盛る廃墟に落ちると、更に廃墟を燃え上がらせた。

だが不可思議なことに稲妻は消えず、帯電したまま空中で静止していた。一枚の写真のような異常な光景に誰もが驚いていたが、稲妻は巻き戻されたように雷雲へと戻っていく。

 集まっていた野次馬達はその光景に呆然とし、燃え盛る家の前で立ち尽くしていた……。


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