【1話:あるチームの憂鬱(1)】
「あづいよ~!」
パドックに戻るなり、彼はいち早く日陰を求めるようにテント内に置かれた扇風機の前。クーラーボックスにしなだれかかった。
夏場のレースは、当たり前だが暑い。拷問に近い。
ただでさえ強い日差し。アスファルトからの照り返し。それにも増してレース用の革ツナギにグローブとブーツ。さらにはヘルメットリムーバと呼ばれるインナーマスクのようなものをかぶってその上にフルフェイスのヘルメットである。
汗が体を伝い落ち、ツナギの中を流れてブーツにたまる。それくらい過酷な状況で集中力を維持してコンマ1秒を争う。
まあもっとも、それはミニバイクレースを戦っている彼らに限らず、この時期モータースポーツをしているライダーやドライバーであれば、誰もがそんな環境に身を置いていることになるのだが……。
「だいじょうぶかー。そめちゃーん。」
隣のテントの日陰で涼んでいたショートカットの女の子が手にしたうちわでパタパタと彼をあおいでくれる。
「あー、涼しい涼しい~!」
「そめちゃんはフリー走行終わり?」
「うん。とりあえずセッティングは出せたから。これ以上走って体力使うわけにもいかないんでね……。はやてちゃんは?」
彼がそう尋ね返すと、レーシングスーツを身にまとっている少女はにっこり笑った。
彼より年齢でひとつ。学年で二つ下だというから中学2年生ということになる。
まだ真新しい白いレーシングスーツ。そして彼ほどではないにしろ汗でややボサボサになった髪。
そう、彼女もまたレーサーなのだ。
「ボクはココ走り慣れてるから。一発でセッティング出たらもう予選まで休憩。」
「そか。はやてちゃんたちもここホームコースか。じゃあこまちちゃんもどっかで休憩?」
「んー。こまちはなんか気に食わないところがあるとかで、まだ走ってるはず。なんかスプロケ頻繁に変えて出たり入ったりしてたかな。」
「ああ、カイもなんかそんなこと言ってたな。コースレイアウト変わってギアが合わないとか何とか。」
「あきらめたよ。もう。」
「うわぁ! いた!!」
「お帰り~。カイくん。」
今度はヘルメットを肩に引っ掛けて戻ってきた少年に向かって、少女はやてうちわでパタパタと風を送る。
「難しくなったなぁ…ここは。」
椅子にどかっと座って、カイと呼ばれた少年、海田はため息をついた。
彼らが今いる八王子サーキットは、今年に入って最終コーナー手前のシケインが改修され、向きが逆になった。
それまでコースの内側に向かって突き出したシケインだったのだが、転倒したマシーンがグリーンゾーンを抜けて再びコース上に飛び出してしまうという事故が去年だけで何回かあり、再発防止のための改修が行われた。
「シケインの右・左が左・右になっただけでそんな変わるか?」
「ソメは変わんないのか?」
やや意外そうな視線を彼は向ける。
「べっつに? 手前の直線がそれなりに距離あるから、その間に左に寄ってたのが右に変わっただけで? それほど変わんないね。」
「……なんて単純なんだ、ソメ。」
「単純と来たか。」
「ありゃー。じゃあボクも単純ってことだー。」
「む?」
「ひでーよなー。オレら単純だってよぅ。今日はカイのことコテンパンに負かしてやろうな~。」
「な~。」
彼が言うと、はやてはどこか楽しげに笑った。
これには海田も苦笑する。……と言うか、やや面倒くさそうな顔だ。
「おーおー。こまちちゃんと新之助くん、ふたり揃って啓示くんをぶっちぎるか。」
「あろ?」
そこにさらに楽しげな声が割り込んで、3人してそちらを振り返る。
「ああ、卯月さ…うわっ?!」
「………………。」
「わ。小夜さんだ~。」
そこにサングラスをかけた少女が立っていた。
ただしメイド服。さしもの啓二もびっくりした。
あまりにびっくりしたからそのままの声が口から出た。
ぼふっ!
はやてがパタパタと小走りで近づいて行って彼女に抱きつく。
「ハァイ! はやてちゃん。こんにちわ~。」
「わーい。あははは~。」
髪をわしゃわしゃとかき混ぜられ、わりと激しくガックンガックンと体を揺さぶられながらはやては笑った。
「もーさ、啓二くんだけじゃなくて新之助くんもコテンパンに負かしてさ、はやてちゃんが……って、なによアンタら。その珍獣を見るような目は。」
固まったままでいた男衆ふたりの視線に気付いて、彼女はようやっと彼らに声をかけた。
「……まさかと思うけど……そのカッコでバイク乗ってきた?」
「もっちろーん♪」
いまだクーラーボックスにしな垂れかかったままの少年、新之助があきれたように尋ねると、小夜と呼ばれた少女はサングラスをずらしてにっこりと笑った。
「どぉ? 似合う?」
「暑苦しい。」
「がびーーん!!」
なんか黒と白のヒラヒラする服を見せびらかすようにクルっと回転しつつ彼女が訊くと新之助が一刀両断する。
「うわ! ひどっ!! 啓二くん今の聞いた!? こげにオシャレまでして会いに来たのに『暑苦しい』てなんなのさ。ホレ。」
「あ、ああ……。」
いきなり話題を振られた啓二としても驚いたように目をしばたたかせ……。
「……けど、本当に暑くない?」
「どっかーーん!! ああ暑いよ! もう許さねーーっ!!!」
「うわあああっ!?」
勘弁ならんとでも言うべく、はやてを解放すると即、椅子に座っていた啓二に襲い掛かりヘッドロックでずるずる引きずっていく小夜。
バタバタやりながら椅子から引きずられていく啓二。
はたから見ればかなりヘンな絵である。
しかし……
「……ほとんどのライダーがシケイン前で一番右ギリギリまでマシンを寄せてくるけど、あのラインは間違い。」
「!」
ふたりから少しはなれてから、彼の耳元で小夜は囁いた。
「最終コーナーまで一本でつなげるにはセンターから50センチ右寄りが正解よ。」
「えっ?」
突然のアドバイスに啓二は目を丸くした。
「パッシングポイントのレイアウトが変わるということがどういうことか、あのふたりに教えてやりなさい。」
ヘッドロックされたままの彼から小夜の表情は見えなかったが、なんだか背筋に嫌な汗をかきそうな声だった。
何より彼自身がゾクっときた。
「それはそうと……」
「?」
「似合っていると言いなさい! 言えーーっ!!」
「いだだだだだっ!!!」
一転して拳骨でグリグリと彼の頭をやる小夜。
「似合ってる! 似合ってますから痛い痛い痛い!!」
「よーしクソガキ! 素直でよろしい!!!」
そして、ようやっと、ちょっとだけ満足したように彼女は啓二を解放した。
■ つづく ■