【0話:イヤな女】
「くそっ!!」
ガンッ!! ガランッ……!
アスファルトに叩き付けたヘルメットがバウンドし、そして割れたシールドをすっ飛ばしながら転がっていった。
何度も走り慣れたコース。
優勝経験もある得意なレース。
マシンの調子は完璧だった。
予選もトップで通過した。
今日こそはチームメイトで親友でもある海田啓二に、実力で勝ってやると心に誓った。
こいつには勝ったことがない。俺が優勝したレースでは大体、海田は怪我か病気でエントリーすらしていなかった。
今日こそ、こいつに勝つ準備が出来ていたはずだったし、勝つ気でいた。
「なあに? アタシに負けてそんな悔しい? けどヘンだねぇ、悔しがるほど善戦できたとか思ってるわけ?」
けど、ボロクソに敗けた。しかも海田にじゃない。
突然レースに現れた、茶髪のクソ生意気な女に、ふたりともが敗れた。
時代遅れもいいところのYSR50をサーキットに持ち込み、予選最後尾からたった2周で首位を奪われ、あっという間に周回遅れにされた。たった15周のレースでだ。
つまり…手も足も出なかった。
「なんなんだよ! オマエは! なんかオレらに恨みでも……!」
「よせソメ! レースとしてはフェアだった。彼女は何も違反行為はしていない!」
「違反にならなきゃ何してもいいってのかよ! オレたち散々おちょくられたんだぞ? カイ、てめぇくやしくねぇのかよ!」
「…………!」
頭に血が上っていた。俺はチームメイトの海田にまで噛み付いていた。
この女は海田ファクトリーのワークスマシーンであるNSR50、2台を散々煽った挙句、パスしたあともしばらく右へ左へオレたちの前を悠然と走り続けたのだ。
「なぁに、仲間割れ? そういうのはあとでやったら? 大体アンタたち、2位と3位の負け犬同士で噛み合っててなんかメリットあるわけ?」
「なっ!?」
矢継早にその女はオレたちの神経を逆なでする言葉を発してくる。
さすがに横にいた親友海田もカチンと来たのか、その表情は硬い。
「ふたりともここでの優勝経験があるライダーだって聞いてたから、もう少し歯ごたえがあるかと思ったら、とんだ見込み違い。ガッカリなんて言葉じゃ足らないくらいガッカリだよ、アタシは。うん。」
『やれやれ』というように肩をすくめて言い放ち、オレたちを見下ろす。
眼鏡越しのその目は、確かに何かに対して失望したような目だった。
「……キミが……。」
「!」
海田が口を開いた。
「……ただのプライベート参戦の一般ライダーとはとても思えない。レースでのサポートは確かにほとんどないけど…すでに補修パーツすらほとんどないYSRをレース実戦で通用するまでにする手法も、ライディングのテクニックも個人の趣味レベルでどうにかなるものじゃない。卯月さん…キミはどこかのレーシングチームに所属しているんじゃないのか?」
「………………。」
しばらく、彼女は少しだけ驚いたように海田のことを見ていたが、やや置いてため息をついてオレの方を見た。
見て、にっ…と笑った。
「ホレ。新之助くんや。啓二くんを見習いたまえよ。こういう冷静な対応に推理が出来るなんて、アンタと同い年とは思えないほど大人じゃんさぁ。ホレ。」
「う、うるせぇな!!」
「ごめんねぇ、啓二くん。それはお答えできないんだな~。けど、その辺の推理はいいセン行ってる…とだけは言っておくよ。」
「………………。」
意地悪くヒントを出して、困る海田の顔を見たかったのだろう。彼女はにこにこしながらそれを見ていた。
やっぱり…コイツはイヤな女だ。
そんなことを思ったオレの口から、その言葉はついうっかり出てしまった。
「……女のくせにレースなんかに出てきやがって……。」
このとき、オレがどんな気持ちでいたのか、実は自分でもよく覚えていない。
ただ、コイツさえいなければオレが優勝出来たのに。そんなことかんじのことは確かに考えていた。……と思う。
ガッ!!
「!?」
次の瞬間、彼女の顔が目の前にあった。
両手で胸倉を掴まれて、引き寄せられたと言うのに気付くのに少しだけ時間がかかった。
「おいクソガキ。」
「!」
鼻先が触れるくらいの超至近距離で、この卯月という女はオレを憎々しげに睨みつけていた。
つい今しがたまで、俺たちを小バカにしていたような薄ら笑いはすでにない。
ぐっ!
そして、オレの右腕を掴むと、尋常ならざる力でオレの掌を自らの胸に押し付ける。
「なっ!?」
一瞬頭が真っ白になった。
真夏だ。
すでに革ツナギの上半身のジッパをあけて袖を抜き、ブルーのプリントTシャツ姿になっていた彼女。
じっとり濡れたシャツとスポーツブラ越しに、その胸の柔らかな感触が伝わってきた。
オレは当然その時まで、同年代の女子の胸に触ったことなんてもちろんなかったのだ。だから尚更驚いた。
「な…おぁ…!」
一気に頭に血が上った…ようだった。
耳鳴りがするくらい。ともすれば頭の血管が爆発するんじゃないかとすら思った。
「いいか、よく聞け。こんな邪魔なものが上半身にくっついてる『女のくせに』がバイクに乗ってアンタたちより速かったんだ! 男のくせに女のアタシに負けて悔しいとか思う以前によくもまあピーチクパーチクと……。」
「!!」
オレの不用意な一言が、彼女の怒りに触れたというのはすぐにわかった。
だけど…なんで彼女が怒ったのかは、実はその時はまだわからなかったのだ。
どんっ!
「わっ!」
そして、彼女はオレを突き飛ばすようにして離れる。
離れてから、海田の顔を睨みつけた。
「………………。」
「………………!」
しかしすぐに海田もその視線から逃れるように目をそらす。
どんな表情で睨まれたのか、今でもあまり想像したくない。
とにかく、あの物事に動じない海田ですら、まともに視線を合わせていられなかった。
「これでまだ、悔しいって気持ちが起こんないならさ……!」
ザッ……!
「テクとか才能とか、それ以前の問題だわ。バイク乗んの、やめたら?」
「!」
そして、振り返りざまに、彼女はオレたちの心をえぐるようなもの凄い一撃を口から発し、そのまま去っていった。
「………………。」
何も言い返せなかった。
優勝の最有力候補だった海田レーシングのふたりのライダーをコテンパンに負かした謎の少女、卯月 小夜。
彼女はこうして俺たちの前に現れた。
忘れもしない。
去年の夏のことである。
■ つづく ■