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 第8話 「国の終わり」

 セルティア・キシュウ軍務大臣と「爆裂姫」フェイト・ニコの二者による会談は2時間にも及んだ。

 一刻の猶予もないキシュウとカレイニア王国にとっては、痛い2時間だったが、状況を説明しないことには、ギルド機構側も対応出来ない。


 「(事前に情報をまとめておいたのが功を奏したな。さすがは内務大臣といったところか)」


 キシュウは内心で内務大臣アルフォンス・サパスのことを褒めた。もし、資料もなくこの場に臨んでいたなら、会談はさらに長時間に及び、内容も曖昧な部分を残す、不完全なものとなっていただろう。


 「数は50頭以上ということで間違いないですね」


 「嘘を言っても仕方がありません」


 「もっともです。今回の依頼で、我々はA級以上の冒険者15人以上を選抜して、臨時S級クランとして猿王種を迎え討つ予定です」


 臨時S級クランということは、リーダーはS級冒険者になる。もちろん、冒険者ギルド機構に加盟している国においては、一代男爵格を有する。

 雇うとなれば、当然、額はそれなりのものになる。


 「クランリーダーは?」


 「特に問題が無ければ、ダリム卿に依頼の予定です」


 「『血海』ローウェン・ダリム……。しかもA級以上が15人……ですか。(すまん、コニック財務大臣。予算は恐らくお前の予想の倍は行く)」


 ローウェン・ダリム45歳。人族。数世代前に獣人族の血が入っており、純血ではない。

 20代の頃、西王平原のあちこちで起きている紛争に傭兵として参加し、名を挙げる。

 1m50cm以上あるロングソードを振り回し、各地の戦場を蹂躙した。戦闘が終わり、神に祈りを捧げるローウェン・ダリムの足元には、敵兵の流した血の海が出来ていたという。

 二つ名の「血海」はその時付けられたもの。


 「依頼は『カレイニア王国・猿王種討伐』とします。依頼料は60億セラ。形式上、指名依頼になりますので、供託金はありません」


 「60、億……あしっ、足元を見ているわけでは――」

 

 コニック財務大臣が予想した金額の3倍であった。

 日本円に換算して、およそ600億円。猿一頭に対して、実に、10億円以上の計算になる。

 カレイニア王国は人口約800万人。GDPは日本円で約1兆8000億円。60億セラはGDPのおよそ1/3にあたる。


 しかも、形式上、指名依頼の為、猿王種討伐が未達に終わった場合も、供託金は無し。

 もちろん60億セラの支払いも不要だが、その時は国の終わりである。


 「足元を見ているわけではありませんよ。妥当な金額かと。ダリム卿を始め、今回の討伐に参加する冒険者たちは、『勇者』でも『英雄』でもありません。その彼らに興亡の危機にある国の為に、金で戦争(・・)をやって貰うのですから。公平に見て、当然の金額かと」


 冒険者といえども、さすがに生まれ育った祖国の危機となれば、無視できない義理はある。S級で男爵格ともなれば、貴族年金も発生しているのだから尚更だろう。A級であっても、国によっては当該国に留まることで、税金などの面で優遇される場合もある。

 しかし、今回の場合、ダリム卿を始め、参加する冒険者達にカレイニア王国に対する義理はない。


 何の義理もない彼らに、魔物相手の「戦争」をやってもらおうと言うのだ。

 その規模によって戦費はピンからキリまでだろうが、存亡の危機にある国が乾坤一擲の戦に挑むのなら、60億セラの戦費は十分に想定される金額である。


 「しかし……」


 と呟いただけ。

 しかしもカカシも、他に手がないのだから仕方が無い。

 実際のところ、キシュウ軍務大臣もギルド側の言い値で折れるしかないと半ば諦めている。


 「失礼ながら、カレイニア王国がこのアルキド・ヴィータ二連国の、比較的近隣にあったのは不幸中の幸いかと思われます。現に、こうしてキシュウ殿は日を置かず、直接機構本部にお来しになられた」


 「はぁ……」


 「さらには、ダリム卿という大きな戦力を『駒』として使えます」


 「……」


 「これから国にとんぼ返りして、会議会議と時間を浪費するのは、せっかくの幸運をふいにすることだと思うのです」


 「……確かに」


 「A級以上が15人以上もいれば、50頭の猿の群れは討てます。我々が心配しているのは、こちらの頭数が揃うかどうかなのです。一刻も早く討たなくてはなりませんから。具体的には、10日以内に討たなくてはなりません。そうなると、当然、指名する我々も多少の色をつけないと、彼らに依頼出来ないんですよ」


 キシュウは天を仰ぐ。

 「爆裂姫」フェイト・ニコの言うことが一々もっともだからである。反論のしようがないのだ。


 「もっと言うなら、時間が掛かれば掛かるほど、討伐の成否に関わらず、カレイニア王国が危険に晒されます。この案件は極秘依頼にあたりますが、それでも漏れる時は漏れます」


 周辺国が攻めてくる可能性があるということ。

 「平和」な状態が担保されるのは、武力で争うよりも、平和である方が経済的に優位である場合に限られる。

 ノーリスクで隣国の土地を奪えるのなら、誰だって喜んで攻めるだろう。カレイニア王国が逆の立場であったとしても、同様である。


 また、今回の情報が漏れ、国の危機と見た有象無象が王国に侵入し、狼藉を働く可能性もある。警備隊が対応出来なければ、下手をすれば内乱状態に突入する。

 そうなれば、内憂外患、王国は滅びるしかない。


 「正直、60億セラは厳しい条件ですが、考えても仕方がないようです。それで、依頼料の支払いはどうすれば良いのでしょうか? 60億セラともなると、こちらもすぐには用意出来ませんが」


 「分割になります。ただし、機構といたしましても心苦しいのですが、半分の30億セラは90日以内に用意して頂きます。約款を確認してもらいたいのですが、討伐が完遂しなくても、群れのリーダー・ブラックピテクスを討てば、30億は払って頂きます」


 約款には討伐の条件について、大きく以下が記されている。


 (1)【依頼完遂】:ブラックピテクスを含む灰猿、白猿合わせて40頭以上を討伐した場合、満額補償。

 (2)【一部未達】:ブラックピテクスを含む灰猿、白猿合わせて40頭未満を討伐した場合、30億セラ補償。

 (3)【依頼未達】:ブラックピテクスの討伐を失敗した場合、支払い無し。


 「……つまり、一網打尽は難しいと」


 「もちろん、殲滅のつもりで臨みますが、相手のあることですから。ピレト山脈の奥に逃げ込まれたら、いくらS級クランと言えども、追うに追えません」


 「討伐の期限はあるのでしょうか?」


 「最大で90日です。その間、ダリム卿とそのクランはブラックピテクスを追い続けます。ですから、カレイニア王国は90日の間に30億セラを用意して欲しいのです」


 「最悪、討伐が完遂しなかった場合、カレイニア王国に支払いの義務は発生するのでしょうか?」


 「約款の通りです。灰と白をいくら討伐しても、支払いは一切発生しません。あくまでもブラックピテクス討伐が最低ラインです。一応、機構の指名依頼ですからね。未達の場合にクランがこうむった損失は機構が持ちます。ただ……」


 「その場合、我が国も終わりということですね……」


 「申し上げにくいのですが、仰る通りかと」


 討伐の成否を分けるラインは、ブラックピテクスを討てるか否か。

 討てなければ、白猿をいくら討っても、いずれまた群れが誕生する可能性が高い。ブラックピテクスがカリスマ系のスキルを保持している場合、他の種の魔物を率いる可能性すらある。

 逆に、ブラックピテクス以下40頭以上を討てれば、仮に白や灰が何頭か生き残ったとしても、国家という巨大な組織の前では、脅威にはならないということだろう。


 いずれにしても、ブラックピテクスを討てれば、カレイニア王国の勝ち。

 ブラックピテクスを討てなければ、カレイニア王国の負け。

 ようはそういうことである。


 キシュウ軍務大臣はカレイニア王国の全権代表としてこの場にいる。だから、契約書にサインするのもキシュウである。


 冒険者ギルドでも、大きな依頼の時のみに使用される「魔皮紙」を前に、キシュウは緊張している様子。


 魔皮紙は魔物の皮を使った紙である。獣の皮と違って、文章やサインを、スキルを使うことで固着化(・・・)出来るのだ。

 獣の皮だと皮紙の表面を削れば、文章を改竄したり、再利用出来てしまうので、大きな契約などの際は獣皮紙は使われないのが通例だ。


 キシュウは契約書にサインしながら、奇妙な感覚に陥っていた。

 それは両手ですくった砂のように、カレイニア王国の未来がサラサラと指の間から(こぼ)れていくような、そんな感覚であった。


 「(国の存亡とは、何ともシンプルなものだな)」


 「では、二枚目にもサインをお願いします」


 別に、冒険者ギルド機構がカレイニア王国の危機に乗じて、詐欺や陰謀染みた真似をしているとは思わない。実際、機構はそんなこはしないだろう。

 機構の対応は誠実だし、依頼料も受ける方からすれば妥当な額なのだろう。文句はない。

 ただ――


 ただ、王国の未来が自分たちとは別の、第三者に委ねられたのだと、キシュウには強く感じられた。


 生まれ、育ち、学び、治めた領地。

 数百年前より続く王国の歴史。

 先祖が命を賭けて守ってきた土地と民。

 カレイニア王家に帰属する、誇りある血統。


 それがら今、風前の灯となっているような――


 すると何だか急に恐ろしくなり、ペンを持った腕が震え始めた。


 「(なっ!)」


 腕から始まった震えは全身に及び、膝から下も貧乏ゆすりか武者震いのように、ガタガタと震え始めた。

 それでも歯を食いしばり、ペンを持った右手に左手を添え、どうにか震えを止めようと試みる。


 しかし、次から次に震えが湧き起こり、止めようにも止まらない。

 胸のあたりがムカついて、吐き気まで催してきた。

 二枚目の書類にサインが出来ない。


 フェイト・ニコがキシュウの左手に、両手をそっと添える。


 「ダリム卿は確かな人物です。安心してください。ダリム卿が必ずや猿たちを討ってくれるでしょう」


 優しい声音であった。


 「……お願い……します。本当に、お願い……します」


 セルティア・キシュウは軍務大臣という立場も忘れ、「爆裂姫」フェイト・ニコの両手を取ると、頭を下げ、ただただ懇願した。

 祈ることしか、他に手がないとでも言うように。

 まるで少女のように、涙を流しながら。



 ◇◆◆◆◇



 大きな男であった。

 身長は2m以上あるだろう。体重も130kgはある。

 傍らには、これも1m50cm以上はある超ロングソード。鞘に入った様子は、剣というより、鉄の塊である。

 男の隣に同席しているのは、執事か秘書か。契約書を確認しているようだ。


 男の名はローウェン・ダリム。45歳。

 二つ名は「血海」。

 アルキド・ヴィータ二連国における正式な男爵であり、他の冒険者ギルド加盟国においては、一代男爵格が保証されたS級冒険者。


 「カレイニア王国だろ? 大した距離じゃない。俺はいつ出発でも構わんが、他の面子は揃っているのか?」


 「現在、大急ぎでリストアップ中です」


 ローウェン・ダリムの対応をするのは、機構本部詰めの事務方、イーガー。28歳人族。冒険者稼業自体はD級で引退している。事務処理能力の高さを買われて、引退後、本部勤めとなった。若いが優秀ともっぱらの噂である。


 「A級以上なら、うちからも3人ほど出そう。剣士と魔術師どっちが良いんだ?」


 「ありがとうございます、ダリム様っ! 出来れば、魔術師をお願いします」


 今は一刻も早く臨時クランメンバーを選抜したい時である。ダリムの申し出はギルド側としても嬉しいものであった。


 「そうか。ゲイル、早速、グインとハミル、アリージュに連絡しろ」


 「はい」


 ゲイルと呼ばれた執事はダリムとイーガーに一礼すると、そのまま会議室を出て行ってしまった。

 即断即行動である。


 「うちのクランからは俺とA級魔術師三人だ。文句はなかろう。魔術師はあと4人必要だ。残りはそっちで探してくれ」


 「返すがえすありがとうございます!」


 「それにしても、あと12人か。今、二連国にS級は?」


 「本部職員を除きますと、ユーキリス卿のみです。ただし、ユーキリス卿は別の用事がありまして、今回の案件には参加できません」


 「確認だが、臨時クランとしての取り分は税金無しの50億で良いんだな?」


 「はい」


 カレイニア王国が払う依頼料は60億。10億は機構が手数料として受け取ることになる。一見多額の手数料に思われるが、取りっぱぐれもあるし、一時的に機構が立て替えることになるので、単なる右から左の書類上の手数料ではなく、リスクを背負った上での手数料だ。


 「喧嘩になると面倒だから、一人3億で、16人均等割りで行く。残りの2億は世話焼き料として、俺が貰う。最大90日で3億セラなら、A級なら誰でも喜んで受けるはずだ」


 3億セラは、日本円で約30億円。平地ではなく、高地での活動という点は冒険者側にとってリスクだが、最大90日間の報酬としては破格である。

 ブラックピテクス――すなわち、知性を持った強力な魔物との「戦争」だからだ。迷宮から魔物が溢れる、ただの大暴走(すたんぴーど)とはわけが違う。

 黒い猿王種は、明確な目的を持って、攻めてくる可能性があるのだ。

 ゆえに、この金額。


 「ありがとうございます。そう言って頂きますと、こちらも指名しやすくなります」


 「あと、もう一人S級を引っ張ってこれたら、端数の2億をそいつと分けても良いぞ。ああ、そういや、アクバルはどうした? 魔術師なら、アクバルがいるじゃねーか」


 「バツーダ卿は現在、捜索中です。拠点を転々としているらしく、恐らく現在はヂキル王国かレミントラ帝国にいるのではないかとの情報が入っています」


 アクバル・バツーダ。人族55歳。S級冒険者にして、魔術師ギルドにも所属する変り種。

 二つ名は「狂炎」。

 ギルドからの指名が掛かるのを嫌がり、拠点を転々とする悪癖がある。通常、S級冒険者は一代男爵格を得るが、彼はその限りではない。祖国セントアデル王国にて叙勲を断ったからだ。それ以来、一箇所に拠点を決めず、あちこちを放浪しているという。


 「何をやっとるんだ、あいつは。50頭以上の猿の群れなら、猿の足を止めんことには、話にならんぞ。前衛だけだと、ぶっ飛ばされるのがオチだ」


 「血海」ローウェン・ダリムはギルド作成の資料を見て、剣士では猿の進撃を止められないと悟った。3m400kg以上もある猿50頭を止めるには、大規模魔術が必須だと。


 「はい……」


 「剣士と魔術師は半々くらいで丁度良い。ある程度火力がないと、400kg以上ある猿の突進は止まらん。アクバルが駄目なら、本部職員から誰か出せんのか?」


 「それを言われますと、弱ってしまいます。一応、シーバー卿が候補に上がっていますが、ユリジア国内の支部の一つで問題が起きているようでして、その最中(さなか)、90日も拘束するのは難しいかなと」


 ダグラス・シーバーは強力な前衛足りうるが、魔術師ではない。

 そもそも、優秀な魔術師は宮廷魔術師か、魔術師ギルドを目指すので、高位魔術を操る冒険者は少ないのだ。


 「ダグラスか。ダグラスなら文句はないが……仕方ねぇ。どの道、こっちは90日も掛けるつもりはねぇんだ。ダグラスには俺からも声を掛けてみよう。奴なら、途中参加でも構わん」


 「あと、臨時クラン名は『猿王討伐隊』で宜しいですか?」


 「ああ、構わん。クラン名はシンプルなのが一番だ」


 その時、会議室の扉がノックされる。


 「どうぞ」


 ガチャリと扉を開け、顔を出したのは、随分と寂しくなった頭を晒す初老の男。

 しかし、よくよく観察してみれば、その顔つきと身体の厚みは歴戦の戦士以外の何者でもない。


 男の名はグスタフ・トリィスト。63歳。血統的には、人族、獣人族、エルフ族のミックス。

 顔だけを見ると、一見、63歳という年齢通りだが、全身の筋肉は現役そのまま。エルフ族の血が、都合の良い形で影響しているようだ。


 「会議中にすまんな」


 「おぉ、グスタフさん、久しぶりだ」


 「相変わらず、デカいなぁ、おい」


 ダリムは身長が2m以上ある。


 「わははははは」


 「それで、どうかしたのでしょうか? トリィスト卿」


 「あぁ、俺も今回のブラックピテクスの討伐に参加することになった。フェイトに頼まれてな。黒毛の猿は見たことないが、邪魔にならんように手伝わせて貰うよ」


 「爆発女が? 何でまた彼女がグスタフさんに頼むんで?」


 カレイニア王国のキシュウ軍務大臣との会談を担当した「爆裂姫」フェイト・ニコ。彼女が「王格」グスタフ・トリィストを(つか)わせたらしい。


 「カレイニア王国を何とかしてやりたいんだとよ。猿との戦争が長引くようなら、あいつも途中で加勢するそうだ。無償でな」


 「そいつはありがてぇ」


 無償だからありがたいのではない。「爆裂姫」フェイトの火系大規模魔術があれば、現地での作戦の幅が広がるからだ。


 「無償はフェイトだけだ。俺はちゃんと貰うぞ。S級に相応しい額は用意してもらう」


 「重畳、重畳。これで5人確定だ。グスタフさんはガードも行けるから、前衛は結構厚いな。爆発女が途中からでも参加してくれれば、火力も一気に上がる」


 ローウェン・ダリムにとっても、久々の強力布陣による魔物討伐である。迷宮が古代竜絡みで大暴走(スタンピード)を起こしでもしない限り、ここまで破壊力のある布陣で臨むことはめったにない。


 「行けそうですか?」


 「S級が二人確定で、残りがA級だろ。国だって落とせらぁな」


 つまり、そういうこと。

 猿王種50頭の群れは、国を落とせるくらいの戦力でないと、相対できないということである。


 「で、臨時クラン名はどうなってる?」


 「シンプルに、『猿王討伐隊』だ」


 「何だ、その味もそっけもないクラン名は。話にならんな」


 その後、「王格」グスタフ・トリィストと「血海」ローウェン・ダリムの二人の間で、延々とクラン名についての話し合いが続けられた。


 結局、クランリーダーを務めるローウェン・ダリムが強権発動し、当初予定のまま、『猿王討伐隊』で行くことになった。

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