第7話 「魔人」
キシュウ軍務大臣は王城大門の前で馬を乗り捨てると、そのまま王城の中までドカドカと入っていく。
それはまさに鬼気迫る姿。
あちこちに配置されている衛兵たちも、止めることはおろか、声を掛けることすら躊躇させるほどであった。
そのまま会議室の椅子に座ると、腕を組み、自身を落ち着かせるように瞑目した。
乱れた息を整えているのだろう。
そして大きく息を吸った後、目を瞑ったまま駆けつけた衛兵に告げる。
「国王陛下と、城に詰めている主だった要人たちを集めてくれ。至急だ!」
キシュウに遅れること数分、マット・ガレニア外務大臣が追いついた。キシュウ軍務大臣と同じく、鎧や具足は付けたままだ。
その表情は憔悴しきっている。
精神的にも肉体的にも。
会議室に飛び込むようにして入ってきた国王バート・カレイニアは、二人の様子を見て、即座に理解した。
「戦」に負けたのだと。
その後、兵舎には続々と生き残った兵たちが戻って来ていた。
殿を勤めたガニエ将軍が逃がした兵たちだ。
もちろん、近隣の村にはガニエ将軍の命により、危険である旨の触れは出している。生き残ったガレニア領守備隊の者たちがその任にあたった。
しかし、王国軍本隊がそのまま村に駐屯せず、王都の兵舎まで引き返したということは、すなわち、作戦としては「全滅」したということだ。
触れが回った村の者たちは難民と化すだろう。
当然、ガレニア領主でもあるマット・ガレニア外務大臣はその対応に追われることになる。
しかし、王国の一大事である以上、外務大臣として、この席を外すわけにはいかないと、仕方なく同席していた。
「(これから、我が領地はどうなってしまうのか)」
守備隊が先導し、安全な場所に仮拠点を作ってはいても、逃散する百姓たちを止めることは出来ない。
結局のところ、どこかで線を引かなければならないのだ。
防衛線という名の線を。
「空席はありますが、さっそく始めます。途中で入って来られた方には、隣の方が説明してあげてください」
キシュウ軍務大臣が有無を言わさず、話し始める。
先ほどまで腕を組み、瞑目したままであったが、誰も彼女に問い質す者はいなかった。
彼女が話し始めるのを待っていたのだ。
「まず、最初に、今回の討伐作戦は失敗しました」
キシュウはただ一言、そう言った。
「「「「「……」」」」」
当然、これだけ重い空気なのだ。さすがに全員が承知していた。
「被害状況について、詳細な数字はいずれ提出しますが、概算で死亡者数が半数を超えています。怪我人も含めれば、討伐隊はほぼ『全滅』と言って良いでしょう」
もちろん、「全滅」とは一人残らず討ち死にした、という意味ではない。
通常は「全滅」とは、軍事的な作戦行動を継続出来ない状態を意味する。極端な話、死者がゼロであっても、全戦闘員が重傷を負えば「全滅」である。
いずれにせよ、死者が部隊の半数を超えれば、「全滅」としか表現のしようがない。余程、特殊な任務でもない限り、当初人員の半数を割って作戦を継続することは出来ないからだ。
半数で事足りるのなら、最初から人員は半数のはずだ。
会議室の空気が一気に重くなる。
カレイニア国王などは、両手で顔を覆っていた。
第一軍の半数以上が死んだのだ。
それも当然と言えよう。
「以上を踏まえた上で、防衛線をどこに引くかが最初の議題です。個人的な意見ではありますが、ガレニア領の廃領も視野に入れておいてください」
「それ、は……」
とマット・ガレニアが言ったのみ。
国王も含め、誰も次の言葉を発しない。
「さらに、第二回討伐作戦の早急な立案と、周辺国への対応。これが二番目の議題になります」
「ちょっ、ちょっと待ってくれ、キシュウ軍務大臣」
「何でしょうか、国王陛下」
「我々に作戦立案などが出来るわけがない。周辺国への対応はガレニア外務大臣とコニック財務大臣に引き続き対応してもらうとして、作戦立案に関しては――そういえば、ガニエ将軍はどうしたのだ?」
一同に嫌な予感が走る。
マット・ガレニア外務大臣の蒼白となった頬を涙が伝う。
代々守り続けてきた領地を失うことになると悟ったからだ。
周辺国への対応は外務大臣であるマット・ガレニアの仕事だと国王が断言した以上、従うしかない。そうなれば、自領の対応は不可能だ。
つまり、防衛線も、土地の接収も、領民の避難も、全ては軍と国の主導で進められることになる。
「我々は途中で逃げてきたので、将軍が最終的にどうなったかまでは不明ですが、殿を務めた後、おそらくは討ち死にしたかと」
「「「「「……」」」」」
会議室が静まり返る。
「書類を回します。全てガニエ将軍が立案した作戦ですが、今回、四番目の作戦を採用しました。目を通したら隣に回してください」
「すまないが、これを見たところで、我々には正確なところは分からんよ。結局、我々はどうすべきと考えているのかね、キシュウ軍務大臣」
「その書類にある四つの作戦はどれを取っても、良く練られた、悪くない作戦だと思います。ですが、残念ながら、どれも猿どもには通用しません」
キシュウは努めて冷静に事実を告げる。
討伐作戦が失敗したことは無念の極みだとしても、次なる対応策を決めなければならない。
国を捨て、民を捨て、全てを捨てて他国に逃げることは不可能ではないが、少なくともこの場にいる者たちは、そのような発想はしない。
彼らは生まれた時から貴族であり、これから先も貴族なのだから。
貴族とは、かつて命を賭けて土地を奪い、守った者の末裔である。そういう家に生まれ、そういう教育を受け、そういう仕事をしてきたから貴族は貴族なのだ。
金を持っているからとか、社交界に出入りしているからとか、そういう下世話な理由で貴族なのではない。
命を賭けて領地を守るから貴族なのだ。
それが何代も続き、彼らが誇りとする貴族の血統が作られる。
「どういう意味かね? 金の問題なら、民から強制徴収してでも対応するしかあるまい。我々とて、一軍が大敗したのだから、王国の尻に火が付いていることくらいは理解しているが?」
国王は少しムッとした表情で答える。
キシュウの言葉の端々に、「お覚悟を」といった雰囲気を嗅いだからだろう。いくら「猿どもには通用しません」と言われたところで、「なるほど、では、逃げようか」とはならないのだから。
猿が強かろうが弱かろうが、結局は立ち向かうしかない。
国王としては、馬鹿にするな、と言ったところか。
「その通りです、キシュウ軍務大臣。どの道、ここにいる面々は私も含めて王国と一蓮托生。王国が沈めば、浮かぶ瀬はありません」
発言したのは近衛師団長フレデリク・レンスキー。
重く沈んでいた会議室の空気が少し軽くなる。
「おいおい、王国が沈むだの、浮かぶ瀬はないだの、さすがに言葉が過ぎるのではないか? 陛下も陛下ですぞ、尻に火が付いているなどと」
内務大臣アルフォンス・サパスの言葉でやっと、会議室の空気が弛緩した。
「くふふ。すみません。笑い事ではありませんでしたね。作戦ですが、我々が考えたところで、猿たちには通用しません。なぜなら、王国の戦力が猿どもに通用しないからです」
「猿王種とはそれほど強いのか……」
「はい。恐らく、皆さんの想像を絶するかと。参考までに、今回の作戦では、一頭の猿すら討てませんでした。一頭すらも、です」
「「「「「……」」」」」
内務大臣の言葉でようやく弛緩した空気が、再び緊張する。
「具体的な対応策としては、二つ候補があります。まずは一つ目ですが、周辺国と協議の上、同盟軍を組織し猿にあたる」
「今回の作戦前に一度無視されている。時間を考えると、難しいと言わざるを得んな……」
「――二つ目は『冒険者ギルド機構』に協力を仰ぐこと。周辺国に関しては、ガレニア外務大臣の言ったように、時間的な制約もあります。今回、私がこの目で見たところによりますと、通常の軍隊では猿王種は止められません」
「つまり、選択の余地はないということか」
近衛師団長フレデリクが、ガニエ将軍の立てた作戦が書かれた書類を見ながら小さく答える。確かに、ガニエ将軍の立てた作戦は全て、1500人規模の兵を運用する作戦ばかりであった。当然である。今回の作戦はそういう作戦であったからだ。
しかし、キシュウ軍務大臣の言葉に嘘も誇張もないのなら、それらの作戦は全て通用しない、ということだ。
ならば、冒険者に頼るしかない。
「そう言えば、我が国の軍には特殊作戦用の部隊は無かったな。だが、冒険者ギルドには依頼を出していたのだろう? 以前、会議の場でそう聞いたが?」
近衛師団長フレデリク・レンスキーは人族の38歳。
精悍な顔と、盛り上がった上半身の筋肉が、彼の並外れた実力を雄弁に物語っている。
近衛師団は一般兵より選抜された約800名で編成されている。
一般に「師団」と言えば、規模は数千名以上になるが、カレイニア王国近衛師団は少し規模が小さい。
とは言え、一般兵より選抜された者である為、実力は折り紙つきである。体力も剣術も魔術も、それぞれ得意不得意はあっても、総じてレベルは高い。
冒険者ギルドのランクで言えば、C~Bと言ったところか。中にはAランカーに匹敵する者もいる。
「ええ、どこのクランも二の足を踏んでいたと聞いています。しかし、そもそも猿王種の戦力を考えますと、カレイニア王国支部では手に余ります。『冒険者ギルド機構』本部に直接問い合わせたいと思います」
「なるほど。機構本部を通せば、国内にはいないS級クランへの指名依頼も可能になるというわけか」
国王バート・カレイニアの表情が少しだけ明るくなる。
「いくら有名クランでも、単独では難しいでしょう。複数のS級クランへの指名依頼となると、相当な出費になりますな」
落ち込んだ気分が回復しつつある国王に水をぶっかけるつもりもないのだろうが、内務大臣アルフォンス・サパスが一言添える。しかも、禿げ上がった頭に手をやり、財務大臣シルバラット・コニックの発言を促すように。
「一国の軍隊に匹敵するとなれば、勇者や英雄クラスになるからな。そりゃ、出費も嵩もうさ」
コニック財務大臣もさすがに腹を決めたようだ。
吐き捨てるような言葉は、了承の証だ。
どれだけ出費が嵩もうが、やるしかないのだから。
「言っても仕方が無い。我が国は緒戦に負けたのだ。半ば敗戦処理と諦めたまえ、コニック財務大臣」
「では、異論が無ければ、冒険者ギルド機構に直接依頼することに決定したいと思います」
◇◆◆◆◇
――アルキド・ヴィータ二連国、冒険者ギルド機構本部にて
「――ということです。一応、えっと、明日の朝?! 明日の朝、カレイニア王国はセルティア・キシュウ軍務大臣本人が直接ここに来られるとのことです」
秘書から手渡された書類を見て、驚いた声を上げたのはこの場ではまだ若手に分類されるフェイト・ニコ。
年齢は41歳、エルフ族。
彼女の身を飾るファッションは女性らしい柔らかさを感じさせるものだが、冒険者ランクはA級である。
もっとも、事務方以外で本部勤務となると、全員A級以上ではあるが。
二つ名は「爆裂姫」。
彼女の得意魔術から付いた名だが、「姫」という部分がここ最近気になり始めている。このまま歳を重ねていけば、今は41だが、100歳を超えて尚、「姫」と呼ばれる可能性があるからだ。
現場で派手な殊勲でもあげれば、新たな「二つ名」を付けられる可能性もあるが、既に本部勤務=エリートコースに乗っている為、それも難しい。
「それだけ逼迫しているということだろう、姫。早馬便が届いたのが、昨日の午後だったか?」
「……」
質問したのはドウラ・レンツィオ、年齢不詳――というのは周囲の評判で、実際には61歳。伸び放題の白髪頭は彼のトレードマークだ。
二つ名は「白蛇」。
元S級冒険者であり、男爵格である。また、アルキド・ヴィータ二連国内に限っては、「格」ではなく、正真正銘の男爵だ。
アルキド・ヴィータ二連国は、元々アルキド王国とヴィータ王国が同格で合併して出来た国である。
政治形態は一国二制度――というよりは、『一国二政府』というのが正しい。香港やマカオのようなイメージではなく、連邦制に近い。
一国二政府のデメリットとしてすぐに思い付くのは、立法などの手続きがややこしいことであるが、それに見合うメリットもあるのだろう。現に、建国はコーカ暦821年、約1000年前だ。その間、分離独立することもなく体制を維持出来ているのだから。
冒険者ギルド機構が移管したことも大きな理由だ。
国家級戦力が多数出入りしているアルキド・ヴィータ二連国に喧嘩を吹っ掛ける馬鹿な国は存在しない。
建国と同時に冒険者ギルド機構の本部が当国に移管されたことを考えると、当時、何らかの密約があったのだろう。
ちなみに、アキバ帝国の建国がコーカ暦827年。アキバ帝国の初代皇帝ユウキ・オカも二連国の建国に関係していると言われている。
現在、本部会議室にはフェイト・ニコを含めて4人が小さなテーブルを囲んでいる。
特に冒険者ギルドを取り仕切っている重鎮、というわけではなく、日本の会社で言えば課長クラス。だが、実力は間違いなく本物、一人ひとりが一軍に匹敵する戦闘力を誇る。
「はい。カレイニア王国の置かれた状況を想像するに、逼迫しているのは間違いないかと」
「10日以内に現地入り可能なクランはどれくらいある? およそで構わん」
「A級以上のクランに限りますと、4クランから5クランかと。S級クランなら、ダリム卿とユーキリス卿がすぐに思い付きます」
「ユーキリス卿は近くレミントラ帝国の『帝王宮』に遠征のはずだ。卿のことだから、単に迷宮に入るだけではなく、『神聖シンバ皇国』関連かも知れん。余計な悶着は避けるべきだ」
発言したのは、グスタフ・トリィスト。人族、エルフ族、獣人族の三種ミックス。元S級冒険者で、年齢は63歳。
二つ名は「王格」。
当然ながら、S級冒険者は多くの国において、一代に限り、「男爵格」を持つが、男爵の域に留まらない、という意味だろう。
レミントラ帝国は五大国の筆頭とも言われているので、なるほど、グスタフの言う通り、横槍を入れるがごときユーキリス卿への指名依頼要求はあらぬ誤解を受けかねない。
『神聖シンバ皇国』は中央大陸で勢力を伸ばしている傭兵団である。
現在はまだ傭兵団の形を取っているが、数もやっていることも、傭兵団の域を超えている。団を率いるのはエルフ族の魔術師ケイリィ・レグルス。
「では、クランではなく、まずはA級以上の個人をリストアップしてくれ。50頭以上の大猿の群れとなると、前例がない。多少、チームワークを欠いても、穴の少ない布陣で臨むべきだ」
「クランリーダーはダリム卿に勤めてもらえば良いしな」
「五大国は当然として、『始祖極星』の関係者も除いてください。カレイニア王国としても、借りは作りたくないでしょう。後々、何を要求されるか分かったものではありませんから」
発言したのは、アヴェル。42歳人族。家名はない。
二つ名は「蛮勇」。
元A級冒険者で、「爆裂姫」フェイトとは年代も近く、現役当時はライバルクランとして並び称された。
「うむ。我らとしても、寝覚めが悪いしな」
S級クランともなれば、各国にコネがあり、それが逆にマイナス要素になることもある。
今回の場合、ただの魔物討伐ではなく、カレイニア王国の危機でもある。討伐の見返りに、五大国や『始祖極星』の関係者が王国の政府中枢にがっちり食い込みでもしたら、国が疲弊しているだけに、後々、カレイニア王国がどうなってしまうか保証出来ない。
「姫、ユリジアにエルフの英雄がいたろ。彼はどうだ?」
ゆえに、望ましいのは比較的コネの少ない、フリーのS級ランカー。
「……シュバイツ卿でしたら、250歳を超えていますよ。いくら魔術師と言っても、さすがに現役は退いているかと。ユリジアなら、ギルド長のシーバー卿の方がまだ現役に近い分、期待できます」
エンゾ・シュバイツはエルフ族の「英雄」である。
100年以上前に、ユリジア王国の南の要所、キーフェン砦を巡る攻防戦で、数千のアストニア王国兵をほぼ一人で殲滅させている。
アストニア王国は五大国連合の一員である。
それを相手に数千のアストニア兵を屠ったのだ。現在でもアストニア王国では「狂魔人」と呼ばれ、忌み嫌われている。
「ダリム卿が受けてくれれば大丈夫だとは思うが、一応、A級以上20人規模でのリストアップを頼む」
「白蛇」ドウラ・レンツィオがそう結んで、一応、緊急会議は終了した。
明日の朝、本部を訪れるというカレイニア王国キシュウ軍務大臣の対応は「爆裂姫」フェイト・ニコが引き受けることとなった。
「しかし、50頭以上の猿の群れとは、前代未聞だな」
「王格」グスタフがお茶をすすりながら呟いた。
「しかも、普通にアラト語を操っていたということだ。単なる魔物の群れとは考えない方が良い」
「白蛇」ドウラが呼び鈴を鳴らすと、扉の外で待機していた会議室付きの秘書が入ってきた。
「お茶のお代わりを頼む」
「かしこまりました」
「そもそも、50頭以上の群れということは、ピレト山脈全体では少なくとも100頭以上はいるってことでしょう。100頭以上も猿王種が生き残っていたのか、というのが正直な感想です」
「蛮勇」アヴェルはその風貌、二つ名、大きな剣ゆえに、大雑把な性格と見られがちだが、実は細かい分析が好きである。
アヴェルと違って、本当に大雑把な性格である「爆裂姫」フェイトと、現役時代、反りが合わなかったのは当然かも知れない。
「過去の記録を探してみましたが、ギルドが受けた依頼としては、200年以上前に8頭を討ったのが、群れとしては最大ですね」
アヴェルが会議に遅刻したのは、本部に保管されている過去の資料を漁っていた為だ。
「一体、何をきっかけにそんな巨大な群れが生まれたのか」
質問しながら、「爆裂姫」フェイトは猿王種の巨大な群れに大火球を打ち込んだら、さぞ気分が良いだろうと、夢想していた。
「ピレト山脈は自然条件が厳し過ぎて、麓にさえ人は立ち入らないからな。未踏峰も多い。我々の知り得ない生物の連鎖があるのだろう」
「それにしても、100頭以上の猿王種が生きていくだけの食糧があるということだからな。人族にとっては厳しい自然条件でも、魔物や獣たちにとっては、豊かな土地なんだろう」
「白蛇」ドウラが長い白髪をガシガシと掻き毟る。
痒いわけではなく、単なる彼の癖である。
「一般的に、魔物は近親交配の影響を受けないと言われていますが、その辺りはどうなんでしょうね」
魔物は近親交配による精神的、肉体的な劣化が確認されていない。
むしろ――
「正確には、近親交配の影響を受けないわけじゃなくて、優生種としての上位個体が生まれ易くなるんだ。当然、『スキル』も継承し易い」
「魔核のお陰だな」
ドウラとグスタフが簡単に説明した。
魔核が劣化部分を補っていると言われているが、正確なところは分からない。
ただ、優生体が生まれる一方で、繁殖力が落ちるとも言われているし、そもそも、優生体の誕生そのものがその種にとって、「呪い」とさえ言われている。
理由は簡単。
優生体が生まれる時、基本的にはその群れや種にとっては望ましくない状況だからだ。現に、最期の一頭が優生体であった、という例は多い。
「では、群れが縮小していって、最終的に上位個体ばかりになった群れはどうなるのですか? 永久に上位個体に進化していくわけじゃないでしょう」
「環境による亜種への変異じゃなく、単純に上位種への進化だけなら、いつかは頭打ちだよ。上位種だからと言って、繁殖力まで上がるわけじゃない」
「白蛇」ドウラは面倒だと思いながらも、あまりに「蛮勇」アヴェルの食いつきが良いので、この話題を放るに放れず、丁寧な説明を続ける。
ハーレムを形成する種は多いが、上位個体たる優生体が率いる群れは、そもそも繁殖力に頼ったハーレムではない。
「そりゃ、決まっている。種としての『絶滅』だ」
見も蓋もない断言をするのは、「王格」グスタフ。
「種として栄えることと、上位種が増えることはイコールではないということですか」
「そういうことだ。繁殖力に劣る種が繁栄する道理がない。そういや、ドウラは大猿を狩ったことがあったろう。お前が真っ白な猿の毛皮のコートを自慢気に着ているのを見たことがあるぞ」
「はぐれの若い白猿を一匹な。400kg以上あった。確かに暦史上、猿王種の『魔人』はまだ確認されていないな。近親交配はまだ進んでいないのだろう」
「50頭前後の群れなら、放置していれば、『魔人』まで行くかも知れんぞ。ははは」
「真面目にお願いします、グスタフさん。人族以上の知能を持った猿王種なんて、笑い事で済むはずがないじゃないですか」
「いや、笑い事の部分もあるんだよ。なぜなら、『魔人』誕生は、種として見れば、ロウソクが燃え尽きる寸前の最期の輝きに過ぎないんだから」
あくまでもそう言われている、という話。
「数百年前に絶滅した角熊種の『魔人』が最期に望んだ能力が、ゴブリンの『他胎』だったと記録に残ってるな。ちょっと哀れではある」
『他胎』とは、ゴブリンの種族特性スキルであり、自身のコピーを多種族であっても妊娠させられる極悪スキルである。
もちろん、ゴブリンは弱い部類の魔物である為、自分たちよりも強い種族を妊娠させるのは難しいが、自分たちよりも弱い相手なら襲って妊娠させることが出来る。
かと言って、あまりに弱い相手を妊娠させても、出産まで漕ぎ着けられない可能性もある。その点、人間(人族、エルフ族、獣人族)の女は彼らにとって、都合が良いのだ。
ゴブリンが忌み嫌われる理由でもある。
「『他胎』では雌は生まれないのに、それでも自分が最期の一頭になるのは嫌なのでしょうか」
スキル『他胎』は自身のコピーを妊娠させるスキルなので、当然、雄しか生まれて来ない。種の個体数が危機にある場合、『他胎』を使っても雌は生まれないのだから、状況はあまり変わらない。
「いつだって、『魔人』は孤独なのだろう」
「白蛇」ドウラがポツリと言った。




